秋葉原
秋葉原は今でこそ世界的にも有名な電気街であるが、その昔はうらびれた町であった。
秋葉原駅は省線電車(今のJR線)の総武線と山手線の交わる重要な駅ではあったが、乗客の多くは乗り換えるだけで、駅の外へ出る事はなかった。
その乗り換えは、正に殺人的な混雑振りだった。ブレーキが掛かると斜めに将棋倒しで身動きもできなかった。
駅前の横に広大な青果卸売り市場があり(現在のつくばエキスプレス、ヨドバシカメラ方向)野菜類を運ぶトラックが出入りしているだけで、一般の人は近寄る事はなかった。
駅前の中央通りは何の変哲も無い低階層の家屋が並び、電気屋さんなどは殆ど見当らなかった。
しかも中央通りの下には東京で一番古い地下鉄の銀座線が走っているにも拘わらず、秋葉原という駅は無いのである。
今となっては、とても考えられない事で、当時としては乗客の乗り降りが余りないと予測され、飛ばされたのであろう。
地下鉄で三越方面から来ると、神田駅の次は須田町、その次は秋葉原を無視して末広町である。
では、何故現在のような電気街に発展したのであろうか。
そのルーツは神田にあった。
神田駅を降りて三越前からの中央通りへ出ると、左側上野方面への須田町へ行く歩道に沿ってズラリと露店が並んでた。
しかも凡てが電気関連、ラジオの部品などを売っていた。それぞれが専門化して真空管、抵抗、コンデンサー、トランス、書籍などを戸板にござを敷いて並べていた。大通りの上野方面に向かって、なぜか左側の歩道に沿って数十軒以上も続いていた。
ラジオの組立て全盛期の時代で、私もラジオ少年のファンで休みとなると小遣いを握って出掛けたものだ。新しいパーツはないか探しに行くのである。
品物を手にとって、ひやかしたり、値切ったりしたものだった。銀座に行くより楽しいので、我々は「金ブラ」すると云っていた。
この通り以外にも神保町の裏の鈴蘭通り、小川町、更に須田町にかけても露店が繋がっていたようである。
これらの露店商街は大変繁盛したが、露店での販売が禁止されてしまった。
そこで、止むなく露店を追われた露店商の人々は秋葉原のガード下に集結して店を開いた。また、一部の人々は、ガード横のラジオ センターに店を構えて商売を始めた。
当然、客の流れは神田から一斉に秋葉原へと、大移動が起こった。神田駅前は閑散となり、秋葉原駅へ下車する人は劇的に増加した。
これらの小売店が大繁盛するので、周囲に電気関連の店が集り、店を構えるようになった。
更に戦後のラジオだけの時代から電化製品の開発により冷蔵庫、掃除機、洗濯機、エアコン、TVと商品が飛躍的に増え、これらを扱う店は店を呼び、一大電気街を形成するようになった。そのうちコンピュータの時代が到来し爆発的な発展を遂げた。
現在の秋葉原
秋葉原の発展はめざましく、日々刻々とその姿を変えている。秋葉原駅の表通りとなる「中央通り」を中心として見てみよう。
下記の地図の番号をクリックすると、その近辺の画像が現れます。
