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門左衛門が往く
2009秋 関・鈴鹿「丹波与作待夜のこむろぶし」
2009春 伏見「鑓権三重帷子」ゆかりの地
2008秋 「心中天網島」道行き橋尽くしを歩く
2008春 岡崎・「浄瑠璃姫」ゆかりの地
2007秋 京都「金子一高日記」ゆかりの
2007春 近江「せみ丸」ゆかりの
2006秋 「仏母摩耶山開帳」天上寺須磨寺
2006春 「兼好法師物見車」双岡吉田山
2005秋 洛南伏見を訪ねる
2005春 「忠臣蔵」歌舞伎ゆかりの
2004秋 近江「梅川忠兵衛」ゆかりの地
2004春 丹波「大経師昔暦」おさん茂平
2003秋 茨木「大経師昔暦」おさん茂平
2003春 島原西本願寺
2002秋 「心中天網島」おさん
2002春 丹後・「浦島年代記」
2001秋 京都での近松を偲ぶ
2001春


近松応援団の「門左衛門が往く」では、毎年春と秋の2回、
近松作品の舞台となった名所やゆかりの地を訪れています。

これまでに、遠くは山口県長門市や徳島県松茂町、
福井県鯖江市まで出かけました。

「門左衛門講座」で原作を読んだ後は、
「門左衛門が往く」でゆかりの地を旅する、
これが近松応援団の楽しみ方です。

同行してくださる講師は、「門左衛門講座」で講義をして
くださっている先生や近松研究所の先生方。
事前の下調べや下見は世話人におまかせください。

会員の皆様のご期待に添うべく企画しています。

 あなたも近松応援団の会員になって、
『門左衛門が往く』にもご参加なさいませんか。

   
   
  
         ―草津本陣・関宿・鈴鹿を訪ねる―

  10月21日(水)、抜けるような晴天にめぐまれ、バスは尼崎を
出発しました。今回は近松作「丹波与作待夜のこむろぶし」 
ゆかりの地巡り。
 
 原作によりますと、丹波国由留木(ゆるぎ)家の姫君・しらべの姫は
数え年10歳、関東へお輿入れのめでたい日と云うのに
イヤじゃと駄々をこねられ、一行はなかなか出発できません。
ところが馬子の三吉が持っていた「東海道中双六」のおかげで、
興味を持たれた姫さまが一緒にサイコロ振って遊ばれた結果、
機嫌がなおり「早よ行こ!」とおっしゃった。
ついに駕籠は大勢のお共を連れて出立します。

 物語はこのあと、有名な場面「滋野井の子別れ」が続きます。
調べの姫の乳母滋野井と、馬子三吉が実の親子であることが
判明するも、おおやけには出来ず互いに後ろ髪ひかれる思いで
別れる悲しい場面です。
(続きはどうぞ原作をお読みくださいね)

11歳の勝ち気な馬方だった三吉が姫に教えた
「東海道中双六」はどんなに面白かったのでしょうか。
上の巻「すごろくの場」を追って、近松応援団も
草津宿から鈴鹿峠を越え、関宿へと向かいます。
 
 滋賀県草津市は江戸時代、本陣を頂点にたくさんの宿が集まって
いた宿場町。この日最初に訪ねた国指定史跡「草津本陣」は、
内部のほぼ全ての部屋が公開されていて、白州玄関、上段の間、
雪隠、湯殿、台所など、当時の面影をそのまま伝えていました。

 草津宿も関宿も現在、街並み景観保存地区になっています。
亀山市にある関宿も街全体がまるでタイムスリップしたかのように
江戸の風情を残した格子窓の美しい町屋が、1.5キロも続きます。
 
 昼になり、小万ゆかりの「あいづ屋」さんでの昼食は「街道そば御膳」。
松茸入り栗おこわ、煮物、天ぷらなど盛りだくさんのセットでした。

 午後は、静かな関宿街道を散策します。
小万の墓と石碑のある福蔵寺。
旅籠跡の玉屋歴史資料館。
豪商橋爪家の三角屋根。
あっという間に時間が過ぎ、元来た道を戻るため、
街道の3ぶんの1しか歩けませんでした。
「丹波与作―――」ゆかりの地巡りはここまで。

 次なる訪問先は琵琶湖の南、ミホミュージアム。
森林が生い茂る広大な山中に埋もれるように
その建物はありました。
この日は秋期特別展「若沖ワンダーランド」が開催されていましたが、
外観も内装もたいへん芸術的!
この敷地と山全体、そして収集した美術品も全て
宗教法人オーナーの個人所有というから驚きました。

道中、車内のおしゃべりも和気あいあいだったバス旅行。
講師は、園田学園女子大教授 水田かや乃先生でした。
車中でのご講話、ありがとうございました。









  ー京都伏見京橋・宇治を訪ねるー
2009年6月25日(木)実施

春の近松応援団・門左衛門が往くは、京都を訪れました。  
近松作「鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」の原作を、  
今年2月から「門左衛門講座」で読んでいます。 
上の巻中の巻と進み、次週は下の巻のクライマックス。  
ですから今回はまさに、本読みとバスツアーとが  
きっちり平行して実施されたのです。
講座にも旅行にも両方にご参加の皆様には、
さぞやワクワクドキドキの旅行となったことでしょう。

講師の井上勝志先生には超ご多忙にもかかわらず、
特別の資料も作成、配布してくださいました。
ありがとうございました。

《あらすじ》
茶の師匠、浅香市之進は江戸詰めで、留守居の妻さいが、
真の台子の茶道の伝授を乞いに来たお気に入りの権三と、
夜分に巻物を見ていた。ここで事件が起こる。
忍び込んでいた権三の同僚の伴之丞が
不義の証拠と、2本の帯を持って騒いだために、
二人は不義者の汚名を着せられ
因幡から但馬大坂から京都周辺へと逃げ隠れする。
が、ついにおさいと権三は市之進の手によって
伏見京橋の橋の上で妻敵討ちの刃に倒れた。
当時実際に大坂で起きた事件である。

    伏見区京橋にて


京橋前にて井上先生
   
宇治・上林製茶工場           萬福寺山門

 始めに訪れた伏見区京橋
ここは近松の作品の中で、おさいと権三が市之進に妻敵討ち(めがたきうち)された場所だ。
しかし、実際の事件は大坂で起こり、高麗橋の橋の上で斬り殺されたのである。
 この衝撃的な事件の二日後には、もう浄瑠璃
の演目に掛けられたと云う。今風に云うなら、テレビのワイドショーのように事件を再現して見せたのだ。

その次に訪れたのは上林春松本店。
浅香市之進は茶の師匠であったというところから、宇治茶の工場を
訪ねることになった。3階研修室ではビデオでお茶が出来るまでを勉強し、
次に工場で抹茶を作る行程を見学させていただいた。
お茶の良い薫りにつられ土産も忘れずに買う。

昼は黄檗山萬福寺の普茶弁当。隠元禅師が伝えたという精進料理。
ヘルシーな食材で量もほど良く、おなかにやさしい食事であった。

午後はあじさいで有名な三室戸寺へ。
三室戸では咲き終わったツツジがきれいに刈り込まれて緑の小山となし、
一万本ものあじさい達が青、紫、ピンク、白と色鮮やかに咲き乱れ、
また本殿前では蓮の花も咲き始めて見渡す限りの花の景観。
梅雨の晴れ間にしては暑すぎるほどの、絶好の花見日和であった。

    三室戸寺入り口にて

                   萬福寺本殿前にて
三室戸の蓮


'08秋 心中天網島・名残橋づくしを歩く
  
 2008年11月5日、さわやかな小春日和でした。
近松応援団・秋の門左衛門が往くは、近松作「心中天の網島・名残の橋づくし」
に描かれた橋を巡りました。
 
 近松の時代に実際にあった事件を元に書かれた世話浄瑠璃「心中天の網島」。
妻子ある身の紙屋治兵衛が、曾根崎新地の遊女小春と共に心中場所を求め
て幾つもの橋を通り、たどり着いた網島・大長寺で二人の愛を完結させました。

水田先生の講義を聴く皆さん
 
 JR尼崎駅を集合出発、東西線新福島駅にて下車。地上に出ると国道
2号線沿いを東へ歩きます。ほどなくNTT社屋前広場に着き、今日の
目的「心中天の網島・道行きの段」の橋尽くしについて、水田かや乃先生
の話を聞きます。
 
 先生も拝聴する会員もみな立ちんぼ、朝日がまぶしい。
小春は曾根崎新地の遊女でした。道行きの段ではじめに出てくる梅田
橋は今はなく、蜆川も埋め立てられ道路に。桜橋は「桜橋南詰跡碑」が
サンマルクカフェ脇に残っています。出入り橋を渡り北新地まで来ると、
河庄跡碑や蜆橋跡碑がありました。

 道標や跡碑をたよりに、小春・治兵衛をしのびます。
大江橋を渡ったところで大阪市役所に入りトイレ休憩。所内は天上高く
静かでロビーにはたくさん椅子があり、ゆっくりくつろげる空間になって
いました。
 

元蜆川、出入橋を歩く

「心中天の網島」碑にて(北新地)

網島町 大阪市長公館前

太閤園で昼食
 
水晶橋を渡った裁判所前に船入橋碑、難波小橋碑を見つけました。
歩きの後半に見る橋は大きな橋ばかり、難波橋・天神橋・天満橋は
その昔「三大公儀橋」と云いました。
治兵衛の店「紙屋」は、天神橋の近くにあったそうです。

 京橋を横に見て、地下道になっていた御成橋を渡ったらそこがもうあの心中場所・網島町。        

 時計をみると12時50分!よう歩いたな、限界やなと思ったとたん、おなかがグー?? 
太閤園でいただいた遅めの昼ご飯は、格別美味に感じたことです。
          
 
 大長寺は今は網島町になくここから数分の野田町に移転していました。
門前で記念撮影したあと、門をくぐり境内にある小春治兵衛・比翼塚をお
参りし、寺の宝物と云う「治兵衛の遺書」を拝見しました。
 
 研修所では水田先生の朝の講義の続きを聞きました。
お茶と菓子の用意、大長寺のお心遣いに感謝です。
        

大長寺、「治兵衛の遺書」解説
 今回、大阪在住の会員島田浩三さんや赤川修次さんが先頭にたって
ガイドのお手伝いまでしてくださいました。大阪の名所に詳しいお二方、
本当にありがとうございました。 

大長寺門前にて

'08春 岡崎・浄瑠璃姫ゆかりの地を訪ねて

 去る6月25日(水)、近松応援団は浄瑠璃姫伝説の地「岡崎」へ行きました。
岡崎市は、近松応援団結成時から浄瑠璃のルーツを訪ねたいと、何度か候補にあがったことがある近松作品ゆかりの地。
近松応援団創立20周年記念の今年、やっと念願の「門左衛門が往く・岡崎へのバスツアー」が実現しました。

誓願寺

岡崎公園 浄瑠璃坂

姫供養塔


兵庫県尼崎から愛知県岡崎までは距離にして約240キロ、長旅です。
名神・東名阪・伊勢湾岸・東名と高速を乗り継ぐ車中、まずはお勉強ということで、
近松研究所研究員・井上勝志先生のお話を拝聴しました。
井上先生は、室木弥太郎氏「浄瑠璃姫物語ー語り物史を含めてー」の文を引用して
「浄瑠璃姫物語」各段の解説をなさいました。

 
「まる庄館」加藤氏のお話

      楽しいお食事
  
鳳来寺の薬師如来の申し子といわれた絶世の美女浄瑠璃御前と、
東国へ下る途中の御曹司牛若丸との
悲恋を描いた「浄瑠璃姫物語」は当時爆発的な人気を博したそうで、
その語り口調が非常に人々の心を捉えたため、
節廻しそのものを浄瑠璃と呼ぶようになり、その後三味線や操人形と結びついて
人形浄瑠璃に発展したと云う《浄瑠璃史》も
井上勝志先生のご講義で学びました。

 岡崎市では今年2月、
近松門左衛門作「源氏十二段」が文楽の方々によって復曲公演され
大きな話題を呼びましたが、
この岡崎の浄瑠璃姫物語がベースになっている語り物なのです。

 私たちはこのあとバスの中で、
「源氏十二段」公演の模様を取材したニュース録画(NHKと民放)を、見ました。
おかげで岡崎のことがよく理解でき、午後の見学もいっそう充実したように思います。
このビデオテープを持参くださった籾山綾子さん、ありがとうございました。

                                 


 11時30分、岡崎「まる庄館」に到着、早速2階庄の間にて、
岡崎呉服協同組合制作の文楽人形を拝見。
 
 文楽人形「浄瑠璃姫」と「牛若丸」は、立派な衣装をまとい
高貴な美しさに満ちていました。

 人形の首(かしら)よりも先に衣装を完成させたと云う
加藤さん達呉服組合の心意気が伝わってくるような
格調高い西陣織衣装が特に印象的でした。
 更に床の間には、人間国宝・竹本住大夫師匠から
復刻記念に贈られたと云う「見台」と「十二段床本」も、
飾ってありました。

 続いて、同組合理事長・加藤善啓氏によるお話は、
「岡崎に伝わる浄瑠璃姫物語」。
 加藤氏の話は「笹谷の新発見」など学者も注目するで
あろう新説を披露されたり、「十二段」復刻に尽力した事や、
尼崎と岡崎の共通点、さえずりの読後感にまで及び、
時間のないのが悔やまれるほど話題満載で、
瞬く間に時間いっぱいとなりました。

昼食は仕出し「東」さんより豪華な3段重ね破籠(わりご)弁当。 
 お吸い物はもちろん赤だしでした!



矢作東小学校校庭で


浄瑠璃が淵 句碑の前で
 午後は浄瑠璃姫伝説の名所古蹟の見学です。
 
 呉服組合の皆様には下見の段階からたいへんにお世話になったのですが、
当日はなんと11人の粋な男衆が全員着物姿で現れ、
11台の乗用車を用意して私たちの古蹟巡りに協力してくださったのです。
これには本当に感激しました。
曰く、「岡崎市の道路は狭く、バスでは小回りが利かないでしょうから」。
理事長はじめ皆様のご配慮に心から感謝です。
    
 午後のはじめに訪問した矢作東(やはぎひがし)小学校では、
校長はじめ6年生児童の皆さんによる歓迎セレモニー。
これも理事長の学校教育への熱意が通じた結果だと伺いました。
 近松応援団一行は思いがけないちびっ子たちの歓迎に大感激!
互いに挨拶を交わし、交流を深めることができました。
(今秋、近松応援団人形部はこの学校での人形劇公演が決まっています)
    
 この後約2時間かけて市内古蹟巡り、
姫が身を投げたという「菅生川・浄瑠璃が淵」や、「誓願寺・浄瑠璃姫の墓、
牛若と姫の木像」「成就院・姫と冷泉の供養墓」、「岡崎公園・姫供養塔」、
姫形見の麝香匂袋を牛若が埋めたとされる「麝香塚石(じゃこうづかいし)」など。
            
                                   カクキュー店で記念撮影

 岡崎の名物は「八丁味噌」です、最後はカクキューさんに寄りました。

 バスに乗り込めばいよいよ岡崎ともお別れ。
私たちに手を振って、最後まで見送ってくださった呉服協同組合の皆さんの
優しい笑顔と粋な着物姿が今も忘れられません。

参加した会員さんの感想から。
 「今日はいい経験をさせてもらった」
「岡崎では、至れり尽くせりだったね」
「尼崎も岡崎も加藤という人はすごい」。
    
 帰途、会員・上田伸一さんは「味の分かれ目関ヶ原」という話題の提供。
天下分け目の関ヶ原が、味でも分かれ目だというこぼれ話でした。
    
高速に入って突然運転手が、「刈谷の豪華なトイレ、用を足さへん人も見ときや!」
陽気な池田運転手が云うトイレとは、新名神高速・刈谷サービスエリアにあるトイレのこと。
さっき用を足したばかりの人もそんなら、と全員下車して見学に。
女子トイレに入るとあった!!
中央にホテルロビーかと見まがうばかりの真っ白のソファが4台も。
しかも壁と扉の色が赤と黒で塗り分けられトイレとは思えないモダンな造り。
みんな思わず「うわーっ」「ひゃー!」「ふーん!」
用を足すブース内も広々の洋式トイレ。丸くて大きな洗面台はお湯も出ましたぁ。
 運転手さんありがとう、番外編の楽しいトイレウオッチングでした!
          
'07秋 金子吉左衛門日記ゆかりの地
 近松応援団・門左衛門が往く、秋のバスツアーはおなじみの
京都。 近松が京都・宮川町に住んでいた頃、仕事仲間の一人
に金子吉左衛門がいました。
彼の日記を読むと、近松門左衛門とのかかわりや、歌舞伎役
者たちの様子が浮かび上がってきます。
 
2007年10月18日(木)、「金子吉左衛門日記ゆかりの地」を
訪ねました。
      
      車中で解説 水田先生
    
  講師は、歌舞伎に詳しい水田かや乃先生が、金子の日記の解説を。
バスを降りて金子の日記の通りに歩いてみましょう!
    
     【金子日記より】 
     2月6日雨、
     田嶋氏同道ニテ粟田口エ行 
     大カミノ弥兵衛 打首 主コロシ長兵ヘハリツケ
               (中略)
     帰りニ西ノ土手ニテ 今日切レタル罪人ノ首
     三ツ持テ来ル者ニ逢
     同粟田口ニゴクモンニカヽル
     南禅寺ノトウフ屋ニテ休ミ 宿ニ帰ル (後略)
           
             蹴上 粟田口刑場跡碑  
 
というわけで、まずは京都七口のひとつ粟田口へ。
ここは江戸時代、京都最大の刑場「粟田口処刑場」があった場所。
 当時を偲ぶものは何もなく、明治になって国道改修工事の際、
人骨多数掘り起こされ、供養のために建てられたという石碑が、
ひっそりと安置されている。

 「車石広場」も見学。九条山・蹴上のあたりは勾配が長く続く
交通の難所で、旅人や牛車を苦しめた。その苦労を解決する
ために敷設されたのが車石だと言う。今は地下鉄も通り、自
動車ならあっという間に峠を越せる。
           
             九条山  車石広場   
 金子は処刑の様子を友人と一緒に見物したあと、すぐに昼飯に南禅
寺の湯豆腐を食したそうだ。血なまぐさい現場を見てすぐに名物を
食べる気になったものでは、ある。 
 南禅寺では、五右衛門で有名な三門と方丈庭園を拝観した。
             
                南禅寺 山門より
  

近松応援団一行のお昼は、近松が住んでいた宮川町の近くに
ある「京新山」という料亭の京料理。

 午後は京都の西、嵐山へ。
 
    【金子日記より】
     4月19日晴曇不定
     四ツ時分ニ起 日中ニ役所ヘ行 勤テ宿ニ帰リ
     嵯峨ヘ祭見物ニ行  駕籠代六十文 道中ニテ題目弐千遍
                    (中略)
     日暮方ニナル 火ヲトボシテ料理出ル 
     水木氏ハ星祭予ハ七夜待ニテ 両人トモニ精進 生味噌
     ニソヘテ食ヲ給
    
     皆々カルタヲウツ 予ハ月ヲ拝ミ 追付臥ス
     
     4月20日晴
     早天ニ起 何茂嵯峨ヲ立チテ京へ戻ル 女中ハ皆々跡ニ残ル
     水木氏ト予ハ釈迦堂ヲ見物シテ 井筒屋ニテ少咄シ 追付京
     ヘ登ル
                    (後略)
        
       南禅寺 寝殿造りの方丈


南禅寺 枯山水庭園
 
 嵯峨で星祭りがあって、見物に出かけた金子は、此の地で一泊したようだ。
明くる4月20日、午前中に釈迦堂に寄ったとある。我々も訪ねる。

 嵯峨釈迦堂、つまり清涼寺のことだが、ご本尊は国宝の釈迦如来像。
 寺のお上人から丁寧な説明を聞き、ゆっくりと持仏宝物を拝観する。
仁王門横の境内茶店には名物「あぶり餅」があり、最後に味覚も楽しんだ。
           
            

                清涼寺 嵯峨釈迦堂前で
'07春 「せみ丸」ゆかりの地を訪ねる

 2007年6月12日(火)、梅雨入り前の澄み切った青空のもと、近松応援団は「せみ丸」ゆかりの地を訪ねました。

井上勝志先生

 大津到着までの車中、41名の参加者は、井上先生の
「せみ丸」にまつわる講義を拝聴しました。

 井上先生の資料によると、「蝉丸」という人物には諸説
あって、伝説化の強い人物だが実在したことは確かだという。
先生は、それぞれの説を解説されたあと、時代考証をする
中で最も真実に近い説として、《宇田天皇の皇子・敦実親王
に仕えた雑色であった》説を支持されました。

さすがは学者先生ですね!大学で拝聴すべき貴重な内容
に一同感激にひたりました。 


蝉丸歌碑
 

バスが京都山科を過ぎ、逢坂山のトンネルに差し
掛かるや、会員の上田伸一さんから逢坂山に関
する資料の提供がありましたこの資料は今後の
講座の折りにもきっと参考となることでしょう。
       
 大津インターをおり三井寺駐車場に到着。
ここから近松寺・蝉丸神社まで歩きました。
このあたりは、3年前に「門左衛門が往く」で大津絵
を訪ねたときにも通った道です。
琵琶湖疎水両岸の桜若葉が今年も青々と繁り、
緑風にゆれていました。

 近松寺(ごんしょうじ)は琵琶湖を見下ろす高台に
あります。本殿に上がり、十一面千手観音レプリカ、
龍神雷神像、観音二十八部衆などを拝観しました。

 坊守の今井さんからも 琵琶湖の歴史や千手観音
のいわれ等の説明がありました。
       
      近松寺本堂             十一面千手観音

 関蝉丸(せきのせみまるじんじゃ)神社は、近松寺を
下って京阪電車京津線の線路沿いを10分ほど歩いた
ところにありました。

 往時、音曲の神様として参詣客が絶えなかったと聞
きますが、今はここを訪れる人もまばらで、樹木の陰
にかくれた本殿が、ことのほか寂しげでした。

 百人一首に残る蝉丸の和歌、「これやこの往くも帰る
も別れては知るも知らぬも 逢坂の関」。 
盲目の蝉丸さんに思いを馳せるとき、この歌にも深い
共感を覚えます。 

関蝉丸神社 下社本殿
 
 近江で食事といえば、なんといってもシジミ飯。
食事処「湖舟」でゆっくりと郷土料理を味わいました。

 午後は石山寺へ。
近松門左衛門さんも、近松寺に遊学していたならば、
この石山にも足を運んだのではないだろうか。

 紫式部はこの石山寺で源氏物語を執筆したそうだ。
おりしも来年は源氏物語成立1千年の節目とか、それを
記念した展示が山上で開催中という。

 強い日差しのなか、急勾配の階段を登り詰めたところに
豊浄殿があり、「源氏物語展」も鑑賞しました。

石山寺 紫式部像前にて
 

'06秋 「仏母摩耶山開帳」ゆかりの地巡り



 2006年10月19日(木)、爽やかな秋空の下、
「近松応援団・門左衛門が往く」は摩耶山天上寺を訪れ
ました。

 その名の通り摩耶山の頂上に建つ天上寺は、近松が
書いた歌舞伎の最も古い作品「仏母摩耶山開帳」ゆかり
の寺です。

 参加者39人が通された集会所は、木の香も真新しい
広々とした座敷。まず副住職による寺の由来や秘仏観音
・曼陀羅の解説を拝聴。
 
     天上寺にて水田かや乃先生
 

 続いては今回のメインイベント。
水田かや乃先生より近松門左衛門作「仏母摩耶山開帳」
のご講義。お家騒動狂言の最後の場面を話されました。

《あらすじ》
 「天上寺参詣のおり、主人公・六田掃部(むつだかもん)
が一子きよ松が、お家乗っ取りを計る継母しんげつの弟、
文大夫により首を討ち落とされるも、秘仏十一面観音菩
薩の不思議な力で首は元にかえり(生き返り)、天空より
大蛇が舞い降りて継母と弟文大夫に巻き付き、悪人は
自滅。ひとえに摩耶山観音ご開帳の御利益なり」

 メインのご講義でしたが、先生には十分に時間を
取っていただくことができず申し訳なかったです
 機会があれば、ぜひ全編通しで拝聴したいと
思いました。

天上寺 秘仏十一面観音の掛仏
オテル・ド・摩耶の「エルベッタ」でイタリア料理フルコース
              オテル・ド摩耶で  
 

須磨寺住職


一弦琴の演奏
 午後は一路須磨寺へ。
須磨は「一ノ谷ふたば軍記」ゆかりの地、「平家物語」
の舞台でもあります。

 書院へ通された近松応援団一行は、ここで一絃琴
保存会の方達による「一絃琴」のすばらしい音色をたっ
ぷりと拝聴。
和服姿の麗しい五人の女性が弾じながら切々と歌う
平家物語の、平家のあわれな最後がひしと伝わり、
感動で涙する参加者もいました。

 
                            
               天上寺本殿まえにて
 
今回も会員さんからすてきな話題提供。
ベテラン会員の上田伸一さんから「平家物語」。

平家の決定的敗北を期した一ノ谷合戦の場が、ここ須磨寺周辺であったと解説。
おりしもバスはヘアピンカーブの六甲山下山の最中1!右手にマイク左手に資料と
両手が塞がった上田氏は、補助席から何度もころげ落ちそうになりながらの熱弁でした。
       
 近松応援団結成時からの会員・籾山綾子さんは近松作「十二段」。
「愛知県岡崎市で住大夫さんが、『十二段』素浄瑠璃語りを 完遂された」
という文楽ニュースの録画テープを拝見しました。
 『十二段(義経と浄瑠璃姫の恋物語)』は今回バスツアーのサブテーマとも見事合致です。

いろいろホットなニュース、ありがとうございました。           
   

     -京都 ・双が岡と吉田山-


京都御所の北、今出川通りで降車した一行はまず、 京都大学
北横にある後二条天皇陵に参拝。

次に吉田神社を目指し、吉田山を北側から登ります。
 標高126メートルの丘陵は、まさに都会の中のオアシス。
森を思わせる静けさと木漏れ日や新緑の息吹はすがすがしく、
都会の喧噪をしばし忘れさせてくれました。
兼好も幼い頃、この自然溢れる山で遊んだのでしょうか。
長じて後兼好は、後二条天皇の蔵人として7年間仕えたという。
浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」車曳の段で有名な吉田神社へも参拝
しました。
        
         吉田山登り口
   
 昼食は大徳寺「泉仙」にて鉄鉢(てっぱつ)料理。
このとき、近松応援団会員・上田伸一様の配慮による嬉しい
ハプニング!
先年亡くなられた文楽研究家・吉永孝雄先生のお墓が、
隣接する塔頭「瑞峰院」にあると上田氏に教えて頂き、
無料で境内拝観・墓参もできました。
故吉永先生も思いがけない大勢の墓参客に、草葉の陰より
目を細めておられたことでしょう。
午後は予約してあった塔頭・大仙院へ。
ここでは副住職のユニークな説明になんども笑いが生まれ、
記念にと住職直筆の人生訓色紙などを買い求める姿も。
  
        昼食後 大徳寺境内を歩く
兼好法師と言えば仁和寺(にんなじ)。

ご存じ「徒然草」には、仁和寺法師が何度も登場します。
若干31歳で出家した兼好は晩年、双岡(ならびがおか)の西麓、
仁和寺の近くに庵を結び、生前自分の墓まで建てたと云う。
 そのとき詠んだ歌を刻んだ歌碑や塚が現存するというので、
近松応援団としてはぜひとも見学したかったのですが、
残念ながら塚のある長泉寺は非公開!
もどかしさを覚えつつ石標をあとにしました。
  
    仁和寺から長泉寺に向かう坂道
 
非公開 長泉寺           石碑「吉田兼好旧蹟」
最後は仁和寺の拝観です。
 二王門、金堂、五重塔、御室桜など見所いっぱい。
今回少し歩くとのはがき案内でしたが、トータルする
とかなりの距離を歩いたようです。
午前の山歩きは心地よい汗を流したのですが、
午後になって長泉寺へのゆるい坂道の往復と、
仁和寺の境内自由散策は思いの外きつかった。
想定外の厳しい日差し(30.5゜C)にもまいりましたっ!
いやはや、みなさんお疲れ様!!  
       




 講師はおなじみ、園田学園女子大学助教授・近松研究所
研究員の井上勝志先生でした。
京都到着までの数十分間、井上先生のご講義を拝聴しました。
近松門左衛門が「兼好法師物見車」のなかで、「徒然草」の原文
をそのまま引用していることや、仁和寺法師が出てくる段などは
たいへんおもしろく、抜粋資料を元にいつものユーモアたっぷりの
解説でした。
           
       井上勝志先生
           
                                        仁和寺仁王門を背景に記念写真
'05秋 洛南伏見を訪ねる
 平成17年10月27日(木)近松応援団恒例、秋の「門左衛門が往く」
は45名の参加を得、バスにて洛南・伏見を訪れました。
今日の講師は井上勝志先生(近松研究所研究員)。
 
 車中ではたくさんの資料をたずさえ近松と伏見との接点について、
「吉祥天女安産玉」という作品をとおして面白くわかりやすい解説を
してくださって、伏見を早く見たいと思わせてくださいました。

 バスは尼崎インターから名神高速を走り―大山崎インター、京滋バイ
パス・ 巨椋(おぐら)インターを経て、あっという間に京都・伏見に到着
です。
   
    車中で講義、井上勝志先生
  
  坂本龍馬ゆかりの寺田屋        大倉記念館で説明を聞く
  
   壕川を遊覧する十石船

 午前中は伏見の酒蔵・月桂冠を中心に、周辺の名所見学です。
長建寺、寺田屋、伏見港公園、三栖閘門など。

 今回、十石船にてはじめて船旅を体験できたのはラッキーでした!
こぢんまりした屋形船には、三班に分かれて乗船。

土手の柳並木と白壁土蔵の酒蔵が見事にマッチして、静かな川面
から眺める京の風情はひときわ趣があり、たった四十五分とはいえ、
十分に満喫できる船旅でした。
        
     十石船に乗って満足げな会員の皆さん
 秀吉によって築かれた伏見の港はその昔、京都と大坂を結ぶ淀川
水運の玄関口としてたいへんにぎわったそうです。

 かつて神崎から淀川、宇治川を行き来した三十石船に、近松門左
衛門さんもきっと乗船したことでしょう。
       
             流れ橋(上津屋橋)
 昼食を「月の蔵人」でいただいたあと、午後は大倉記念館を訪れ、
酒作りの歴史を聴いたり、酒蔵の雰囲気を味わいました。

 八幡市にある流れ橋には2時に到着。
この橋は、暴れ川で有名な木津川にかかり、流れることを計算して
作られたという、今や貴重な存在の長大な木造橋です。

 時代劇映画の撮影にもしばしば利用されるそうです。   
   
       流れ橋を見学する近松応援団一行

         木津川の土手で記念撮影
 今回、予定の時間に到着できないハプニングなどで、皆様にご迷惑をおかけしたにもかかわらず、
「いやあ、楽しかった」「とても良い企画だった」と思いがけぬ感想をたくさんいただき、係一同ホッと胸をなで下ろしました。
 
'05春 近松歌舞伎ゆかりの地を訪ねて
 
平成17年6月10日(金)午前9時、強い陽差しもものともせず、
近松応援団一行は、元気よく園田学園女子大学を出発しました。
今回は近松研究所研究員・水田かや乃先生に同行していただき、
旧西国街道に沿って、歌舞伎ゆかりの地を訪ねました。

 名神高速茨木インターを降り、ほどなく郡山宿本陣(椿の本陣)着。

「忠臣蔵」のモデル浅野内匠頭も、刃傷事件の前年に当本陣に
宿泊したと記録が。

「郡山宿本陣 御成門」の横にあの「椿」

「椿本陣」で茨木市職員の解説を聞く





 続いて忠臣蔵ゆかりの地は、 「萱野三平旧邸」(箕面市)。
赤穂藩主・浅野家の仕官であった三平は、討ち入り参加を父に
反対され、浅野家への忠義との板挟みに苦悩したすえ、自宅で
自害しました。 萱野三平は、浄瑠璃では早野勘平として登場し
ます。       

萱野三平邸長屋門
 近松門左衛門直筆の写経が見つかった 箕面・瀧安寺へは
行けなかったのですが、バス車内で、水田先生が資料を携え、
いきさつなど詳しくお話しくださいました。

 昼食は阪急池田駅近くの料亭「魚清」で。
お吸い物が殊の外おいしくさすが老舗です。

千里川沿いの「三平の墓」に合掌
 午後の見学は、呉服(くれは)神社。
参加者は境内の大木等に寄りかかったり思い思いの姿勢で、
近松歌舞伎「一心二河白道」の講義を拝聴しました。

 講師の水田先生もマイクも持たず、立ったままでのお話、
        みなさま、いつもすみません!

呉服神社境内で解説を聞く参加者

くれは神社ご神木の前で記念撮影

 最後は五月山麓の逸翁美術館で、小林一三翁の
コレクションを鑑賞。

 氏の邸宅であった美術館そのものが芸術品であり、
庭園の静かなたたずまいにも茶道を愛した逸翁が
偲ばれ、疲れも吹っ飛ぶ心地がしました。

 


 


                     
'04秋 近江の国に近松を訪ねて 
  
清浄(しょうじょうじ)寺で記念の集合写真
 





10月28日(木)、近松応援団一行は
大津と草津を訪れました。
 道中バス車内で井上勝志先生より
「大津絵と近松」「梅川 その後」について、
古文書より抜粋の資料を元に解説していただき
ました。
 午前の見学は円満院と大津絵美術館。
円満院は千年の歴史を持つ門跡寺院です。ひろびろと続く
境内の庭園、木々の深い緑。

重文・宸殿は澄んだ空気に包まれていました。隣接する
美術館では大津絵をはじめ、丸山応挙の干支十二支図、
鳥羽絵「放屁合戦」などを鑑賞しました。

 高橋松山氏の新工房「大津絵の店」にも立ち寄りました。

 昼食は草津にて。
明治の町屋風情の風雅な料亭・魚忠の「花籠弁当」
はお味も、見栄えもよい料理でした。

円満院内 大津絵美術館

大津絵の店前
  
  梅川の墓          矢橋港(矢橋帰帆)       矢橋常夜灯
 



午後に訪れた清浄寺(しょうじょうじ)では、
お茶とお菓子をいただきほっと一息。
 
更に、私たち一行のために郷土史研究家や
ボランティアガイドさんまで駆けつけてくださり
感謝感激。
 その方たちの詳しい解説を聞きながら梅川の
墓や、晩年を過ごしたと云われる十王堂、矢橋
(やばせ)の港跡や常夜燈など見学しました。


 興味深かった話は「矢橋の喜伴」という題の浮世絵のこと。
梅川・忠兵衛は近松門左衛門作「冥土の飛脚」の主人公。
この二人連れを描いた浮世絵のタイトルがなぜ、「矢橋の喜伴」
なのか。梅川と矢橋、帰帆と喜伴、など絵に隠されたさまざまな
なぞについて話してくだったのが右の写真のガイドさんたち。
  時間があればもっとじっくり聞かせて欲しかったです。
  

清浄寺住職とボランティアガイド 郷土史研究家
平成16年3月20日(祝)、近松応援団一行は特別列車
にて柏原町を訪問し、「おさん茂兵衛DEたんば実行委員会」
による交流事業に参加、近松門左衛門の世話物浄瑠璃
「大経師昔暦」の主人公おさん茂兵衛ゆかりの地を訪ね、
シンポジウムに参加、さらにコンサートも鑑賞しました。

特別列車「おさん茂平衛号」には、なんと兵庫県知事の
井戸敏三氏も尼崎駅から乗車、テレビ局の取材カメラも
同行する車内は、知事とともににぎやかに近松の話題等
で盛り上がりました。
柏原(かいばら)駅に降り立つと幟をかかげた地元の
皆さんに笑顔で迎えられまたビックリするやら感激す
るやら。(知事のための歓迎セレモニーでした!)

午前中は2コースに分かれ、史跡巡り組はバスにて
織田氏 ゆかりの史跡とおさんの森、茂平の墓を探訪。

シンポジウム組は「サミット・近松とまちつくり」に参加、
パネラーは尼崎市から近松応援団代表・加藤道子さん、
鯖江市から林哲治さん、長門市から中野弘司さん柏原
町主催団体代表の佐竹茂康さん、コーディネーターに
河内厚郎さんと云う顔ぶれでした。
 
    柏原市内               茂兵衛の墓
    
 
   コンサート会場

   
  昼食はここでいただきました
 昼になって作味っ都(さみっと)会場内でようやく地元民手作
りという昼食をいただく。

午後は全員で、来年開催される創作オペラ「おさん茂兵衛
恋の道行」(仮称)に出演するオペラ歌手足立さつきさん、
畑儀文さんの歌声を聴きました。
 
 道中案内役の民間ボランティア男性ガイドさんが、熱心で
丁寧な案内が大変印象的でした。
 来年のオペラの大成功、祈っています!

近松応援団会員の皆様、早朝出発にもかかわらず定時に
全員集合!ハプニングもなく揃って尼崎駅に帰着!


           柏原駅で全員集合










                           

    おさん茂平の碑の前で全員そろって
『近松応援団・秋の門左衛門が往く』は 平成15年11月7日(金)
茨木市内に建つ「おさん茂平」の碑と、京都・大山崎山荘美術館を
訪ねました。

 行きのバス車内では水田かや乃先生より、道行きに関連した
お話しで近松の「心中重井筒」にある道行きの挿絵と、「伊勢物語」
芥川(鬼一口)の段の挿絵の構図が極めて似ている事をあげられ
関連性についての 興味深い話を聴かせていただきました。

 降車後、歩いて天王山南麓にある大山崎山荘まで。
これがけっこう急な坂で、距離は短いけど熟年にはキツかったです。

 山荘の重厚な内装や緑したたる庭園を午前中いっぱい見学、
モネの「睡蓮」はじめ当主の美術コレクションの数々をも鑑賞しました。

 午後は、西国街道沿いの一里塚と芥川を散策した後、次なる
目的地、茨木市北部・国見峠に建っていたという「おさん茂平の碑」。
 
 「大経師昔暦」によると、一旦は茂平の故郷丹波へたどり着きながら、
追っ手を逃れこの地へ逃げ延びたとあり、異国で命を絶った二人が
あわれで悲しく、「南無妙法蓮華経」と刻まれたお題目塔に手を合わせ、
魂が鎮まるようにと祈りました。

   お題目が書かれた碑

        解説を聞く

  西国街道を歩く(高槻商店街)
       
     大山崎山荘                 山荘内の睡蓮池

    山荘バルコニーより眺望(木津川 ・宇治川 ・桂川が一望に)

                                
'03春 京都島原と西本願寺
島原「角屋おもてなしの文化美術館」と
          世界文化遺産「西本願寺」を訪ねる


去る6月5日、近松応援団の「門左衛門が往く」は
快晴の空のもと、京都方面に出掛けました。

 講師には井上勝志先生(近松研究所)に
お願いしました。
先生は資料「色道大鏡」をもとに、
遊女に関する楽しいお話しをたっぷり50分。
あっという間に京都に到着です




角屋松の間にて

西本願寺・書院


阿弥陀堂内にて

島原の大銀杏

島原・大門
午前のコースはさわやかなお香のたちこめる西本願寺
阿弥陀堂へ、そして国宝の「書院」・「飛雲閣」・「唐門」な
どを拝観、すばらしい建築美を堪能しました。

午後は、島原の文芸碑めぐりと「すみや」を見学。
島原は、正式地名を西新屋敷と云い、江戸期公許の花街
として発展しましたが、現在そのおもかげをとどめるものは
「角屋」と「輪違屋」と「大門」のみとか。
「角屋」はいわゆる遊郭ではなく、今の料亭と同じ役割の建物
だったそうで、大座敷や立派な庭と茶席、それに広さ五十畳
もある台所などが特徴の「もてなしの館」でありました。
今回の参加者は64名。バスの定員は50人。
バスに乗り切れなかった会員の皆様にはたいへん
ご迷惑をおかけしました。
なにとぞお許しください、申し訳ございませんでした。


 角屋・主庭
     
  おさんのお墓はガラスの扉で大切に!


2002年秋の「門左衛門が往く」は10月19日、

近松門左衛門の名作『心中天網島』の主人公・紙屋治兵衛の妻であった”おさん”ゆかりの地を訪ねました。
今回の講師には、水田かや乃先生(園田学園女子大学助教授、近松研究所研究員)をお招きし、「紙屋治兵衛・紀伊国屋小春心中の実説について」と題して、『摂陽奇観』より抜粋の資料を携えて、心中事件と作品とのかかわりについて解説をしていただきました。

小雨のぱらつくあいにくのお天気でしたが、阪堺電車を細かく乗り継ぎながら、松虫や天下茶屋など、大阪らしさを今に残す街並みを、しっとりとなつかしく散策できたのでした。

住吉大社太鼓橋で記念写真


   天神森天満宮にて
     水田かや乃先生


おさんの墓(安養寺)


    近松の碑 (松木大明神境内)
’02春「浦島年代記」人形劇の成功祈願

 
平成14年5月31日、近松応援団一行は丹後半島
をめぐりました。
 
 美しい水辺の里、伊根町で舟屋の風景を堪能、
つづいて浦嶋神社では、近松応援団人形部の
新作「浦嶋年代記」の公演に先がけ、持参した
人形とともに成功祈願のお祓いを受けてきました。

 バス車中では、近松研究所・井上勝志先生より
近松門左衛門作「浦嶋年代記」のご講義。

詳細な資料を携えての先生の話はたいへん面白く解りやすく、
「門左衛門講座」を一回分得したような気分になりました。

 講義のしめくくり、先生は車中を見回し笑顔で、
「たくさんの”おとひめさん”の前でお話しさせていただいた
と思ったら、いつの間に玉手箱を開けたのやら!?」との
ユーモアに熟年の会員一同大爆笑。

浦嶋神社で人形劇の成功祈願

会員を乗せて走るバスは園田学園大学スクールバス

浦嶋神社に奉納されている「みの亀」

ゼンマイの葉を説明する沖 先生



今回、愛知県在住近松応援団会員・籾山綾子さんは、
お住まいの武豊町にもあるという浦嶋伝説を披露してくださいました。
  
 また植物学の権威、沖亘先生も参加され、たった今採取してきたばかり
の草木を示し、丹後に生息する植物のお話しをされ、たいへん興味深く
拝聴しました。 思いがけない話題満載のバスツアーとなりました。



11月22日(木)
(近松門左衛門祥月ご命日)


宮川町で舞子さんに出会いました

近松つぁんが住んでいたと思われる宮川町
 近松が40年もの長い間過ごしたと言われる京都。
公家の文化に直接触れた近松は、ここで多彩な才能
を開花させ、芸能の道を歩むことになるのです。 
 近松も通ったであろう京の大路小路を、近松応援団
一行は団旗を先頭に散策しました。

 バス車中では、講師の水田かや乃先生が「京都時代の
近松」についての講義をされ、私たちは理解を深めること
が出来ました。
 
         円山公園で記念撮影

近松に影響を与えた公家一条恵観の屋敷跡
(京都御苑内)

小路を歩く

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近松応援団公式ページ