炭焼き雑記
炭を焼くようになったきっかけや、焼きながら思うことなど書いてみます。
ここでの炭焼きの始まりなどについて
炭焼きをきっかけに雑木林と関わることになりました
十数年前に雑木林で遊ぶ会が行った「雑木林で炭を焼こう」との企画に興味をもって参加しました。
伏せ焼きの失敗例 表面が焦げただけの生焼け。こんな失敗が多かった。 |
最近の記録(1) 2003.7 ドラム缶カマで実施。これから点火しようというところ。 |
飾り炭作りの準備。クリのイガ、木の実、枝葉などの材料を拾い集めたところ。保護容器の竹筒にそば殻と材料を入れました。 |
最近の記録(3) 焼き上がり。何とか成功。 |
「雑木林で遊ぶ会」が取り組みを始めた当初、皆さんがここでやってみたいと考えていたことには、キノコ栽培、燻製作りなど野外での料理、草木染め、そして炭焼きがあったそうです。
炭焼きの先生(炭焼き伝道師の杉浦先生)をお招きして講習を受けたと記録にはあります(1990年)。そして、今度は自分たちでやろうということで呼びかけられたその企画が、私にとってこの雑木林と関わり始めるきっかけになったのでした。
失敗の繰り返しを経て・・・
この当時、地面を掘っての伏せ焼きをやっていました。そして、この頃は皆さんも経験が十分ではなく、たいてい生焼けで失敗ばかりでした。今度こそは、とやってみては失敗、また失敗と、その繰り返しでした。
煙突から煙がいっぱい出ているしもう十分だろうと思ってもまだまだ炭化に至ってはいません。どんな状態ならいいのか、これがわかるようにならないとなかなかうまくいきません。そして稀に炭化段階まで至ったならば今度は終点がわからずに時間をかけ過ぎて、空けてみたら全部灰になっていたりします。これもよくある失敗です。
そのうち、近隣の他グループが主催する炭焼き教室にやはりS先生がいらして指導されるという機会が2回(1994年頃と97年頃)ありこれにも参加、私も直接教わる機会を得ました。何らか経験したうえで教われると効果的です。
炭焼き手法も、ドラム缶カマ、ブロック積みカマと増え、それらでさらに失敗を繰り返しつつ、ついに感覚を得たというか、何とか炭焼きしてますといえる技術を得たように思います。今では、まず失敗はしないはず。20回くらいは失敗してきた成果はあるといえます。
炭ができるようにはなったけど・・・?
ただ、そうなってみると今度は炭焼きする機会がなくなりました。というか、もともと実際にどうしても炭が必要だという事情は無かった訳でして、それまでは技術習得のために挑戦し続けてきていたようなところがありましたから。できるようになってみれば、あえてやるのはたいへんな作業でしかないという現実がのしかかったわけです。できた炭をどうするというアテがないと、その前の炭焼き、炭材準備、木や竹の切り出し作業からひっくるめて動き出せないということです。
できるようになった、と思えた頃からこの7年間で7、8回くらいしか実施してません。昨年、04年はついにやりませんでした。
何とか炭を使って、そのために焼いて、そのために切って、という流れを確保したいです。まだアテがあるわけではありませんが、今度の春には炭焼きを企画したいと考えています。炭焼きしながら、一緒に何か考えられたらいいなと、そんな機会となれれば幸いです。(2005.2)
現代の雑木林で炭を焼くということについて
雑木林で炭を焼く意義って何だろう
炭を使うアテを見出して、そこへ向けてどんどん切って、焼くという取り組み方をしてみたいです。目的がしっかりしていれば、それは作業全体を動かす大きな原動力になりますから。
私たちのような立場で炭焼きをやってみようとするとき、その目的はどんなことだとすればいいでしょうか。
今挙げるならば「雑木林を維持する手法として炭焼きという利用法を考えてみました」ということになってしまっています。とにかく炭にしてみてからそれをどう使うかは後から考えようというわけです。未だに有意義な使いみちを見出せていません。
今のところできた炭はバーベキューの時などに自家消費しています。この用途だけではなかなか使い切れませんが。
他所の取り組みなどを見て、炭を販売したりするところまで頑張っているような所もあるのだなと感心したりしながら、何かしら方法を考えなければいけないと考えつつ持て余しています。
商売にしていくくらいのことを考えなければいけません。でも、それに耐えるだけの品質の炭を提供するのは容易ではありません。中途半端ではやはり無理。といって大がかりに計画しても、それを進める動機付けができません。うまくいくとなれば納得されるんだろうけど、そもそもどうやって始めるか。鶏と卵の話みたいになってしまう。
炭材用に材料を切り出して、定期的に炭を焼いていくような関わり方を目指したいです。でもなかなかそういう態勢をとれません。今のように、端材を使って思いついたときにやるようでは駄目だと思いつつも、今はここから始めていくしかない状況です。
炭焼きは環境教育となるか?
炭を焼く意義として、それが環境教育になるという考え方もあるようですが、私には納得できないところがあります。
もうずいぶん昔のことになりますが、付近の児童館の行事として炭焼きの企画を2年続けて行ったことがありました。炭焼き体験教室というようなものでしょうか。日頃から雑木林の常連だったある子が2年目の時には参加していなかったので、後で機会があった時にどうしたのかと聞いてみたところ、「炭を焼いてもしょうがない」というような答えが返ってきました。前年に炭を持って帰っても家で使うことが無く、やがて何かの行事のバーベキューに使うのがせいぜいであったと。
これはたいへん新鮮な答えで、とてもほっとさせられたものでした。
「炭焼き=環境学習」といういうような取り組みも増えているようですが、果たして今の時代の普通の暮らしにおいて、炭を焼いて使うということがそのまま日常生活の環境であると言えることがあるのかと疑問です。
炭を焼いて環境学習というと、
炭を焼きましょう ⇒ なぜ炭を焼くのか? ⇒ 環境にやさしいから、 といった説明になりますが、こういった説明で納得されてしまうことにちょっと戸惑います。簡単に納得できるような暮らし方ではないはずなんだけれどもな。そう話す大人も、聞いている子供も、何より地域社会全体でそういうふうには動いていないはずなのに。
そんなふうに考えていた時でしたから、先の子供の答えに出会えて少し救われた気がしました。
「炭焼き=環境学習」となるのは、先述したような「何とか炭焼きのアテを探そうとする試行」の目的とするところです。炭を焼くことがそのまま環境学習になるということは、炭が日常暮らしの中で取り扱われるような暮らしをする世の中になっていると言うことです。今はそうではないから、炭を焼いても手詰まりなわけですから。そういう世の中であって、どんどん炭を焼くことが生業として成立しているようである世の中で炭焼きを学ぶならばそれが環境学習と言えるのでしょう。
今の時点では、炭焼きすることは技術体験ではあっても環境教育ではないと思います。
だけど、何らかの取り組みを経て、「炭焼き=環境教育」とためらわずに考えられるようになってみたいものです。
とにかく自分たちの炭の使い方を考えてみます。炭焼きしながら。(2005.10)