トップ 教会案内 集会案内 牧師紹介 説教集 教会標語 伝言板 書庫 地図 リンク集
4月の月報「霊の導きに従って歩め」

ガラテヤ書 5章16〜18節

わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。

ガラテヤ書5章13〜14節に 愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされると教えられています。
クリスチャンは愛の実践、互いに仕えあうことの自由が与えられていることを自覚して、自分を制御することが求められています。
このことをさらに包括的に説明し、積極的な命令として5:16〜26で霊の導きに従って前進しましょう、とパウロは教えています。
16〜18節では霊と肉との対立についてパウロは説明しています。
全ての人は理性の働きと肉なる欲望との対立を自覚しています。
ローマ書7章18節以降で、人の欲望は理性に従わないで、肉の欲望のままに行動すると書かれています。このことは私たちも自覚していることです。
さて今日の聖句で霊と肉の対立が教えられていますがここで対立している霊と肉は人間ならば全てという意味の対立ではなく、パウロは彼のクリスチャンとしての経験であり、クリスチャンであるが故の体験であり、主を信じていないノンクリスチャンが体験できない霊肉の葛藤のことを教えているのです。
ですからここで肉とは、ただ単に生まれながらにして持っている欲望のことではなくて罪を犯した人間の罪にけがれ、腐敗している欲望のことを意味しています。自己中心的な、人間中心的な欲求の一切のことです。この肉は私たちのうちに残存している罪に腐敗した肉なる我であり、古き人のことです。
霊とは、聖霊によって新たに生まれた霊的な我、新しい人とされているクリスチャンである私たちのことです。この霊と肉との戦いがここで教えられています。古き罪の残れる肉なる我と、新生せしめられ聖霊のご支配の元にある新しい我、霊的な我との戦いのことです。
信仰にあって生きる全てのクリスチャンが、この世にあって生きる限り必然的に戦わなければならない戦いのことです。
このような霊と肉との対立に勝利するためには、霊の導きに従って歩む以外には道がありません。このことをパウロはここで教えています。
「聖霊によって」とは聖霊を規範として、聖霊と一致して、聖霊のご支配に一致してということです。「歩く」とは生活することです。聖霊のご支配の中で生活すれば、肉の欲を決して満たすことはないとの勧めがなされているのです。
カルビンは「クリスチャン(聖霊によって歩む者)はしばしば肉の欲によって襲撃されるが決して欲望を遂げしめることはない」教えています。
さて毎日の生活の中で、聖霊のご支配のもとで生きている私たちは、いつも勝利の生活をしているかといえば、実際には敗北の生活しかしていないことを告白せざるを得ません。クリスチャンといえども肉体を持ってこの地上にある限り肉の欲望に勝利することはできず、ただただ日々悔い改めて許されることを願うのみです。
真実に悔い改める者を神と主イエスはお許しくださるのです。許しを信じて悔い改める者となりましょう。

トップ 教会案内 集会案内 牧師紹介 説教集 教会標語 伝言板 書庫 地図 リンク集