ルカによる福音書 1章46節〜
そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。
マグニフィカート(あがめる)は相手を大きくするであり、同時に、自分を小さくすることを表します。マリヤは自分のことを『身分の低い、この主のはしため』と告白しています。神様の女奴隷という自覚を持っていました。神様に身をささげどんな困難も我が身に引き受ける信仰を言い表しています。それが1:38の言葉です。『マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
12歳か13歳という幼さにもかかわらずここまでの信仰を言い表しました。
いいなづけのヨセフにどう説明したら良いのか、両親や、近隣の人々に、ヨセフの知らない子どもを身ごもるということは当時としては死刑になっても仕方がないほどの大罪でした。でもこれが神様のご命令であるならば、この身になれかしと献身したのです。これが私たちの信じる処女降誕の信仰です。
これほどの困難にもかかわらず,恐れることなく献身できたのには彼女の神様への信仰が大きく、我が身のことに対して謙遜でありました。神を第一とする信仰が彼女にはあったのです。
さてご一緒に考えましょう。わたしたちは神を崇め、大きなお方と信じていす。マリヤと同じ信仰を告白しています。でも実際の生活において神さまのことを第一の事として生活しているかというと、そうではないのではないでしょうか。
何よりも自分の生活を第1として神様のこと、信仰のことは2の次3の次になってはいないでしょうか。
わたしは『主の奴隷』です。この言葉に抵抗を感じる人が多いのではないでしょうか。神様はわたしの願いを何でも叶えてくだる全能のお方です。だから私は信じているのです。このように神さまをあたかも自分の奴隷、願いを叶えてくださるお方というように思っておられる方があるのではないかと思います。
マリヤから正しい信仰を学びましょう。
(1)マリヤ賛歌によってまず、彼女は神様を崇め、喜びたたえています。
わたしたちも日々の生活の中でまず主を崇め、讃美し、褒め称え、救いの喜びを心から感謝しましょう。
(2)神さまを力ある方と信じています。今日多くの人々は科学の力を信じて神様の力を信じようとしません。人工衛星が飛び交い、世界のニュースが瞬く間に行きめぐる便利な時代になりました。
でもわたしが最近特に感じているのは、人の心の貧しさです。人を大切にすること。親切にすること。思いやりを持つこと。科学が万能になればなるほど人間の心が壊れていくように思います。
マリヤは1章51節や54節で神様のことを憐れみ深いお方と信じています。今日の言葉で言えば48節の『目を留めてくださった』という言葉です。この言葉は憐れみ深い神さまが私達を愛の目を持って見ていてくださることを教えています。
神様はわたしたちを愛してくださっています。哀れんで下さっています。この生きるに困難な時代にあって神の愛と憐れみを知らず、多くの人が心貧しく、人としての思いを壊しています。今日ほど福音を必要としている時代はないのではないでしょうか。主は言われます「汝の隣人を愛しなさい」と。伝道しましょう。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」 Uテモテ4:2