ルカ 4章42〜44節
朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。
朝になると、とは安息日が終わった日没から一晩中、主は病人を癒し、悪霊に悩まされている人の解放のため徹夜で働かれたことを意味しています。(4:40)
人里離れた所とは主の祈祷の場所を示す言葉です。(マルコ1:35)主は多忙であってもそれに巻き込まれることなく、いのりのため、父なる神様との交わりのためお一人になられました。
主は神様との交わりのためには、努力してご自身を人々から引き離されたのです。
祈りにおいても、み言葉の学びにおいても、そして礼拝のために時間を割くことにおいても、私たちはこの主の模範に習うべきではないでしょうか。
今日私たちは忙しすぎます。そして神様のみ声よりも自分の業のため多忙を極めています。み言葉に聞き、日々の祈りに励み、礼拝を通して、私たちは主の愛に生かされているものであるを証して生きる者でありたいのです。
ルカは祈りを省略して、主がユダヤ全国で「神の国の福音」を宣べ伝えたことを強調しています。病人の癒しよりも福音を宣べ伝えるために遣わされたことを自覚しておられたからです。
癒しも悪霊追放も神の愛の憐れみのみ業です。しかしまず「神の国の福音」が宣教されなければなりません。
癒してほしい人々がいます。主のもとに殺到する人々がいるのです。しかし主は「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」といわれます。癒されるべき人々を置いてでも前進されるということです。私は宣教する。神のご支配を宣べ伝えなければならない。そのために私は出てきたのだと宣言なさるのです。
群集は、「自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止め」ました。これに対して「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。」とこうおっしゃって広くユダヤの全土の諸会堂へと進んでいかれます。
癒しの業にせよ、神の愛の説教にせよカファルナウムの人々が独占したいという狭い考えに対して、神の国の福音であるがゆえに広く神の国・神のご支配を告げ知らせなければならないと主は自覚しておられました。
このことについてペトロは後に使徒言行録10章で証しています。36〜38節「神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、 あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。」
このときから今日に至るまで2千年間、教会は福音宣教のため主イエスとともに全世界へと遣わされているとの自覚で伝道してきました。世界宣教のビジョンはこのときから教会に与えられた勤めとなったのです。
「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」この言葉は今日の私たちに対する主の尊いご命令であることを覚えましょう。同じことをマタイでも命じています。(マタイ28:18〜20)