1/The Nightmare Comes ―― chapter B
『Emiya』 ロンドン市内、古ぼけたフラット(アパート)の一室。その扉にはシンプルにファミリーネームだけが記載された、飾り気のないプレートが貼り付けられている。ドアにもその周辺にも、ネームプレート以外の装飾はいっさいない。 どこから見ても変哲のない一室に過ぎないが、ちょっとその筋の事情に明るい者ならば、そこが探偵の真似事をしている男の事務所兼住居だということを知っているだろう。真似事、というのは彼が正式にその看板を揚げて仕事をしているわけではないからだ。 やっていることを見るならば、何でも屋という方がむしろ正確かもしれない。だが、より正確を期するならば、いずれの業者にも該当しないと表現するべきだろう。 なぜならばこの部屋の主は仕事としてそれらの依頼を請け負っているのではない。 彼はただ単に困って扉を叩いた者に対して助力をしているだけでしかないからだ。もともと広告も出していなければ、看板だって出してはいない。それでも、困った者は人づてにエミヤの名前を聞き、ただ『Emiya』と刻まれた看板のみを頼りにここへとたどり着く。 むろん、部屋の主に頼めば何事も魔法のように解決する、などという事はない。それに彼がここにいることもまた稀なのだ。出会える人間は運が良いと言っていい。だが、それだけに苦労は多くの場合報われる。持ち込んだ問題が彼の手が届く範囲の物事であるのならば瞬く間に解決してみせるし、そうでなくとも全力は尽くしてくれるだろう。それも僅かばかりの礼金で、だ。 ゆえにエミヤの名前を知っている探偵業の関係者は彼を嫌う。嫌うだけで手を出すわけでもないが、その名前を聞く度にこう吐き捨てるのだ。「あの正義の味方気取りが」と。 だが、皮肉のつもりで吐いているその言葉が真実を突いているのだと知るものは少ない。彼自身と、親しい僅かな人間しか。 衛宮士郎、単一の魔術に特化した魔術使い。 聖杯戦争を生き残ってから十年。彼は目指したものに少しずつ近付いているのだろう。 夜霧は日の出とともにどこかへと消えてゆき、朝日がようやく街を照らし始める。 衛宮士郎が住居としているフラットは、そのネームプレートに負けず劣らずシンプルに片づけられていた。いや、片づけられていたというのは少々語弊があるだろう。何しろ、散らかるべきモノがほとんどないからだ。 寝室を覗けば、頑丈さだけがウリになりそうなシンプルなベッドと、巨大さと古さだけは並以上にあるクローゼットのみが鎮座していて、他には何も見あたらない。きちんと掃除はされているようだが、寝室と言うには少々殺風景に過ぎる。 リビングに足を運んでもそれは変わらない。こころもち小さめのテーブルに椅子が二脚、あとは部屋の片隅に蔵書らしいモノを纏めた戸棚がある程度。いずれもオフィスにある機能性ばかり優先したようなものばかりだ。だから、初めてこの部屋を訪れる者は必ず、その様子にぎょっとする。 唯一の例外がリビングと半ば隔離されたようになっているキッチンで、一人暮らしとは思えないほどに大量の調理器具と調味料が並んでいて、そこだけがやたらと生活感に満ちている。 しかしそのキッチンも今は綺麗に片づいていて、シンクにも水気はまるでない。恐らく一週間以上は誰もここを使っていないのだろう。そういう意味では、このフラットに人気はない。だが、現在室内に誰もいないというわけではなかった。 リビングの椅子に女性が腰掛けている。赤いコートを着たままの彼女は、テーブルに俯せ、小さな寝息を立てていた。よく手入れしているのであろう艶のある黒髪は、このような状態で寝ていても全く乱れていない。ソバージュのかけられたその先端が呼吸のリズムに合わせて僅かに揺れているくらいだ。 カーテンの隙間から漏れた陽光が床を照らし始めてはいるが、彼女に起きる様子はまるで無い。小鳥が騒がしくさえずりながら窓の外を飛び交っていても、彼女はまるで反応しなかった。実に確固たる居眠りだ。いや、ここまで来るといっそ堂々とした、と言っていい。なんぴとたりとも私の眠りは妨げさせないわー、と言う決意がその背中には感じられる――ような気がしないでもなかった。 だから、誰かが廊下を歩くカツカツという音が室内まで届こうが、その足音がドアの前で足を止めようが、鍵束を取り出す音がはっきり聞こえても、彼女はぴくりとも動かない。微かに戸惑ったような声が聞こえても、鍵を回す音がないままに誰かが室内に入ってこようとも。 「……なんで、ここにいるんだ。遠坂」 帰ってきた衛宮士郎が思いっきり呆れた声を上げようとも、断固として。 「遠坂……とおさかー」 衛宮士郎は唸るようにその名前をもう一度呼んだ。だが、それに対する返答はもちろん無い。 今更言うまでもないが、ここは衛宮士郎一人の住居であり、遠坂凛は同居者ではない。 にもかかわらず、凛は部屋の主が帰還しようとも、その名前を呼ばれようとも、さらには肩を叩かれようとまるで反応を見せはしない。完全に熟睡しているのかそれとも狸寝入りなのかは定かではないが、とにかく居眠りしたままだ。 士郎はこめかみを掌で押さえながらしばらく立ちつくしていたが、テーブルに突っ伏したままの彼女はまるで顔を上げる気配がなかった。 いつまでも根比べをしていても意味がないと諦めたのか、やれやれと首を横に振りながら士郎はキッチンに向かう。 水道水は使わず、帰宅時に購入してきたらしいペットボトルを手にし、棚から愛用の年季の入ったケトルを取り出す。片手だけで器用にペットボトルを開封しケトルへと手早く水を注ぎつつ、空いた方の手でガスの元栓を捻ってコンロに火を入れる。古いものではあるが持ち主によってよく手入れされているためか、それはしばらくぶりの操作にも確実に応え、一筋の乱れもなくきれいな蒼い炎の円周を作り出してみせた。 ケトルをその上に設置するまで、ほんの数秒。彼がそれらの作業をこなして行く手つきには、いっさいの澱みがない。 だが、道具を取り出す段になって彼の動きがはたと止まった。 小さな呻き声。 しまった、と呟く彼の手にはほとんど空になった透明の瓶が一つだけ。棚をあらためてのぞき込み、しかし目当てのモノがなかったのかむうと小さく唸る。 瓶の中には琥珀色をした茶葉がスプーン半さじほど残っていた。だが、それだけでは一杯の茶を入れるのにも足りないだろう。どうやら長期の不在直前に切らしたまま、買い足すのを忘れていたらしかった。 「ん……」 士郎が唸っていると、リビングの方からか細い声がした。士郎が振り向くと、ようやく目を覚ます気になったのか、リビングの凛がすこしだけ顔を上げ、くいくいと指先で床の隅を示している。 「士郎、お茶なら……買ってある」 しかし、まだ頭がはっきりとしていないのか微妙にろれつが回っていなかった。 「そこの袋。あ――ついでだから、私の分も……」 そこでかくん、と頭が落ちる。士郎が黙って様子を見ていると、それから猫がやるように背中を伸ばして、ようやく彼女は上体を起こした。 普通なら居眠りしていたらしい痕跡が残っていてもおかしくない寝かたをしていたというのに、その顔はきれいなものだ。十年という時間を経て『いい女』という呼称が相応しくなった彼女にとって、それは基本の嗜みなのかもしれない。 もっとも、まだほとんど寝ていると言って良いその表情が全てをぶちこわしてはいたが。 「……了解」 指差された先に転がっていたビニール袋の中から茶葉の入った缶を取りだし、士郎はただそれだけ答えた。数秒だけ凛を見つめていたその顔には何か言いたい事があると書いてあったが、結局何も言わずそのままキッチンに戻る。 さほど時間もかからずに、淹れたての紅茶が立てる特有の香りがリビングにまで漂いはじめた。彼の客となった人間がこの部屋を訪れて二度目に驚くのが、彼が淹れるこの紅茶だろう。 衛宮士郎は日本人としてはかなり長身の部類に入り、このロンドンの住人に限ったとしても平均よりはやや高い。しかも無駄な肉がほとんどない筋肉質の体躯は、衣服の上からでもはっきりとその起伏が確認出来る。加えて彼はかなりの異貌だ。赤い髪が色落ちしたような、奇妙にくすんだ頭髪。そして日本人にしては奇妙に濃い赤銅色の肌。日焼けとは明らかに違うその色は、髪の色素が流れ落ちて肌に沈着したようにも見える。そして何よりも彼を際立たせている鋭い瞳は、光の具合次第では猛禽のそれを鋼で複製したモノのようにさえ見えることがある。 はっきり言ってしまって、厳つすぎる。そんな人間が入れた紅茶に負の先入観を持ってしまうのは仕方のないことかもしれない。 だから、差し出された茶におそるおそる口を付けた瞬間、誰もが口の中に広がる芳香に驚く。 むろん、客に出すものだからそれなりに良い茶葉を使っているのだろう。だが、良いモノを、最上級の技術で、細心の心遣いを持って扱わなければこうはいくまい。 その紅茶は、落ち着かないはずのこの部屋をリラックスできる空間へと変化させる。そして客がおもわず口元を綻ばせたのをみて、ようやく衛宮士郎は話を始めるのだ。 「で、そろそろ聞いていいかな」 もっとも、今日の彼はいささか不機嫌な様子ではあったが。 「まず最初の質問。どうやって俺の部屋に入ったんだ、遠坂」 いらついているのか、少々すごんでいるようにすら見える。十年前からはずいぶんと身長が伸びてしまった彼がそうするとかなり迫力があるが、遠坂凛はまるで動じた様子を見せない。 「普通に鍵を開けて入ったけど」 「鍵なんか渡してないだろ。解錠の魔術なんて使えたっけ?」 「そんな事しなくても管理人のおじさんが気前よく鍵を貸してくれたもの。恋人の部屋を掃除しに来ましたって言ったら」 さらりと、とんでもないことを凛は口にした。 「なあっ――」 絶句する士郎の目の前に、凛は一本の鍵を晒してみせる。それは紛れもなく士郎が持っているこの部屋の鍵と同じ形状をしていた。 「なにしろ士郎が居るときは三日と置かず遊びに来るもんだから、顔覚えられちゃったみたいね。まあ、日本人ってのが珍しいってこともあるんだろうけど」 呻き声が漏れた。 士郎にとってはどうしても忘れがちになってしまうことだが、遠坂凛という女性は驚くほどに外面が良い。本性を知っている人間には二重人格なのではないかと思えるほどだ。他でもない彼自身がかつてその事実にショックを受けたという経緯もあるのだが。 恐らくは一階に住む管理人も彼女の愛想に騙されてしまったのだろう。 「恋人に合い鍵の一つも渡さないなんて、男としてどうかと思うんだけど。管理人のおじさんも呆れてたわよ」 「誰が恋人だよ。誰が」 「あら、この遠坂凛では不足かしら?」 士郎がうろたえ、凛がその様子を嬉しそうに眺める。 本当に恋人同士の掛け合いにも見えるが、二人の間ではほとんど挨拶のようになっているやりとりでもある。 「そういう問題じゃないだろ――」 士郎は呻きながら抗戦を開始する。もっとも、この赤いあくまを前に衛宮士郎が勝利したことなど数えるほどもないのだが。 「――つ、次の質問だ」 程なくして、士郎は矛先を一時変更した。戦力に差がある上に先制攻撃を喰らわされた以上、無駄な抗戦は己の墓穴を掘るばかり。だからこれはいわゆる戦略的撤退というやつだ。 「なんでここに来てたんだ?」 「だから、恋人の部屋を掃除しに来たって言ったじゃない」 にやにやと笑いながら、凛は先程の台詞を繰り返す。 「士郎がずいぶん長い間留守にしてたみたいだったから、一応片づけに来てみただけよ。――とはいっても、あんまりやることはなかったけどね。相変わらずモノがないから、ここは」 「いや、そうじゃなくって――」 士郎の口調は十年前と変わらない。普段は年齢相応の喋り方をする事も多くなったが、凛の前では元に戻ってしまう。理由の一つには、士郎が堅い喋り方をするたびに、嫌味なヤツを思い出すからやめろと凛が怒るという事情があるのだが。 「でも、郵便物がいっぱいたまって郵便受けが溢れてたから、まとめておく位のことはしたわよ」 士郎の言葉を無視して、凛はベッドの上を指差した。 言葉通りある程度分類され整理されたらしい郵便物が、文字通り山のように積んである。恐らく大半は公共料金の請求書や領収書、そして何の役にも立たないダイレクトメールばかりだろうが、そうでない物もかなりあるのだろう。 「とりあえず何も捨てていないし、中身も見てないから安心して。――あ、そうだ」 それだけは手元に持っていたのか、凛は一通の封筒を取り出してその署名を指差してみせた。 「懐かしいひとから手紙が来てたから、取っておいたけど」 「藤ねえ……?」 エアメール特有の派手な封筒には藤村大河の名前が綴られていた。かつて彼らが過ごした学園の教師であり、士郎の姉のような立場であった女性。彼女は今でもあの学園で教鞭を執っているはずだ。 「本当に久し振りに名前を見たわね。たまには帰ってる?」 「いや」 士郎は首を横に振り、手を伸ばす。 「もう何年も帰ってない。うちの管理は藤村の家でしてくれてるはずだし、イリヤと道場の方を使ってはいるみたいだけど」 「そっか、イリヤスフィールもまだ先生のところに居るんだっけ」 藤村大河と異常なくらい仲の良くなった彼女は、今でも(一応)保護者となっている大河をからかって遊んでいるのかもしれない。 「そういえば名字が変わってないな……」 凛から受け取った封筒を見つめ、士郎はぽつりと呟く。 「まだ結婚してないのかしらね。藤村先生らしいかもしれないけど」 「藤村の家が婿養子を取ったのかもしれないけどな。まあ、なり手がいないか」 苦笑いして、士郎はその封筒を放り投げた。無造作に投げたように見えるのに、それはベッドの上に纏められた封筒の山の上にあやまたず落下する。 「あら、中身は見ないの?」 封筒の行方を目で追った凛は、少しだけ残念そうな顔をした。 「あとでいい――で、ここにいた本当の理由はなんだ、遠坂」 「片づけに来たってのも嘘じゃないんだけど。――うん、まあここのところの事件で、ね」 ようやく眠気も飛んだのか、凛はティーカップを傾けながら、緩めていた頬を少しだけ引き締める。もちろん、彼女が言う事件とは毎夜の連続殺人のことを指しているのだろう。 「昨日のうちにロンドンに戻って来てたのは知ってたから、部屋で待つことにしたのよ。まさか一晩帰ってこないとは思わなかったけどね」 「ああ、そうか。でも、時計塔の方だって動いてるんだろ。上に言われて情報収集にでも来たのか?」 じろり、と鋼を埋め込まれたような瞳が凛を睨め付ける。並の人間なら怖じ気づくほどの迫力だが、凛にとっては猫が威嚇するほどの効果もないようだった。 「言っておくけど、誰かに何か言われここに来たわけじゃないわ。協会の方では別に動いている人がいるし、一介の魔術師如きが口を挟めるようなものでもないもの」 「一介の魔術師、か。その割には協会での評価は高いって聞いてるけどな」 「意味がないわ。時計塔始まって以来の天才っていうならともかく、どんぐりの背比べのなかで多少抜き出ている、程度の事だし」 「他の魔術師が聞いたら怒るだろうな」 「事実だもの」 涼しい顔をして、凛はカップをまた傾ける。 「そもそも魔術師の本分は能力を競うことでも権力争いでも無いはずなんだけどね。何か勘違いしてるのが多すぎるのよ」 凛は溜息をひとつだけ吐いてみせる。 げっそりした表情を一瞬だけ浮かべたあたり、そのことでよほど苦労したにちがいない。 「とにかく、私がここに来たのと時計塔の意志は関係ないわ。もちろん私が魔術師である以上、この事件との関係は切りたくても切れないわけだけど」 魔術師。 世間の一般的な科学技術体系とは全く異なる、もう一つの技術を実践する者。ただし、よくある物語などで語られるように悪魔と契約して力を得るような妖術の徒ではなく、あくまでもそれは理性的かつ統合された学問を修めた者達であり、求めるものは通常の学問と基本的には変わらない。 真実の探求――それだけだ。 ただ、求めている真実の方向が違うだけ。 だが、その過程で彼らが手にした技術があまりにも超越的であり、干渉は変容をもたらすために世界そのものの存在を揺るがしかねず、そして行使出来る人間が限られていたという理由で、彼らは疎まれ、除外され、迫害され、そして彼らの世界へと埋没した。 今では“協会”が彼らを束ね、管理している。 協会は表向きの世間に一切干渉はしない。その代わり、表向きの世間にあるものは協会に対して干渉することを避ける。特にロンドンに在住するものにとって、時計塔という名前はもはや禁句に近い。 もし警察がそこまで踏み込むことが可能ならば、連夜の殺人と魔術師に関係があると結論づけるのは容易なことだろう。なにしろ、被害者の過半がそこに所属する人間なのだから。 いや、恐らくそれなりに事情を知っている者はもうある程度察しているにちがいない。それでも、彼らには何も出来ない。魔術師間の問題は魔術師がカタをつける。それが彼らの間に敷かれた協定だからだ。 「他人事じゃないってのもあるけど、なんとなく気になるのよね……なにか、放っておけないというか」 「なんとなく、か」 士郎は溜息を吐いた。 「なんとなく、よ。何か文句がある?」 馬鹿にされたと感じたのか、凛は少々不快そうな顔をする。が、士郎は首を横に振ってそれを否定した。 「いや、いい勘をしてると思ってさ」 「その様子からすると、やっぱり何か掴んだのね。何があったのか教えてもらえると嬉しいんだけど」 「――その前に、ひとつだけ聞きたい」 テーブルに肘を突き、顔の前で両手を握り合わせながら、士郎は凛の顔を見つめた。己の表情を隠そうとするかのように。 「強力な魔術で召喚され、その魔術で肉体を構成していた存在は、もしその召喚主を失っても、ひとりで長期間現界出来ると思うか?」 む、と唸って難しい表情になった凛は、すこしの間だけ考え込んでから答えを出した。 「それは――その大元の魔術によるわね。どのように召喚されたか。どのような形で現界するか。大抵は不可能だと思うけど」 「じゃあ、例えば俺達が良く知っているサーヴァントならどうだ?」 「無理ね」 即答だった。 「サーヴァントシステムは“聖杯”の活性化を前提とした特殊な召喚魔術だもの。召喚にも現界にも、“聖杯”から流れ込んでくる魔力を利用してたわ。その“聖杯”をセイバーが吹きとばしちゃった以上、サーヴァントは肉体の維持さえ困難になるはず。よほどの魔力供給源がなければ無理よ。例えば私くらいの魔術回路を持っている魔術師とか」 「じゃあ、ギルガメッシュはどうなんだ」 かつての聖杯戦争で最後まで彼らの前に立ちはだかったサーヴァント。 それはありえない筈だった八人目のサーヴァントであり、ゆいいつ十年の間を生き延びた存在でもある。 「アレは……例外中の例外と言っていいでしょうね。二十年前の聖杯戦争で聖杯の中身を浴びたこともあるんだろうけど、士郎があの教会の地下で見たっていう装置――それがギルガメッシュという存在を維持する秘密だったんじゃないのかしら」 「なら、不可能じゃないだろ」 「不可能じゃないけど、無理よ――だって、もう聖杯は失われて、あの戦争を生き延びたサーヴァントもいないんだもの」 「本当に聖杯は無くなったのか、遠坂」 「――何が言いたいのよ、士郎」 いつまでも本題に入らないからか、いらついた声で問い返す凛に、士郎は目を閉じてしばしの間沈黙した。 「ランサーだ。俺は、ゆうべランサーに出会ったんだ、遠坂」 ゆっくりと、はっきりと。 士郎は昨夜遭遇した男の名を凛に告げる。 「ランサーって……クーフーリン!? そんな、いったい誰がそんな英霊を召喚して使役してるのよ……」 「そうじゃないんだ、遠坂」 血相を変える凛をじっと見つめ、士郎はもう一度言う。 「アイツは、ランサーだ。なにしろアイツ自身が俺にそう呼ばせたんだ。クーフーリンって云う英霊の名前じゃなく、ランサーというクラスで」 「ちょっ……それって」 ようやく士郎が告げる言葉の意味を理解し、凛は椅子を蹴立てて立ち上がった。 「クーフーリンが、サーヴァントとしてまた召喚されたっていうの?」 「誰かが召喚したのかもしれない。でもアイツは俺に『久し振り』って言った。変だと思わないか?」 「……本当に?」 「嘘なんかついてどうするって言うんだ。こんな事で」 軽く溜息を吐いて、士郎は吐き捨てた。 無理もないだろう。それは嘘だった方がよほどマシな現実なのだから。 「そうよね……ごめん」 「いや、俺も言いすぎた……でも、実際俺達はランサーが倒されたところを見ていない。なら、まだアイツが現界していても不思議は無いんじゃないかって思うんだけど」 「あり得ないわ。だって、アイツのマスターだった綺礼はもう死んでる。士郎、それはアナタが一番良く知ってる事じゃない」 「それはそうだ――けど」 士郎は腕を組んで、背もたれに身を預けた。 ランサーのマスターだった男を殺したのは衛宮士郎自身だ。なにより言峰綺礼の目的が聖杯だった以上、サーヴァントであるランサーを殺さずにおく理由があり得ず、殺さなければならない必然だけが存在していた。 ならば、やはりランサーは士郎とセイバーの脱出を手助けしたあとギルガメッシュの前に倒れ、消滅したと考えて間違いないはずだ。 「それに、もし生き延びていたのだとしても今更ここに現れる理由がわからない……魔術師を殺さなければならない理由だって……なんでだろう……」 腕を組んでぶつぶつと呟き始めた凛を邪魔しないよう、士郎はそっと席を立った。 空になったティーカップを取ってキッチンへ向かう。自分の分も含めてもう一杯ずつ紅茶を入れるのだろう。 だが、その背中にふと凛が声を掛けた。 「人違いって事はないわよね、士郎」 「……暗かったし、霧の中だったから確実とはいえない。けど、ゲイボルクは俺が見る限り本物だった。俺だって最初は模造品だと思ってたけど――それに、アレで俺の心臓を貫いたなんて事を知ってるヤツなんて、ランサー以外には遠坂と……アーチャーだけの筈だろ」 最後の名前を呼ぶとき、一瞬だけ士郎は言い淀んだ。 「士郎がそういうなら、それがランサーなのは間違いないとして――まさか戦闘したわけじゃないんでしょう?」 「――いや、した」 きゅっと凛の整った眉が寄る。 「おかしいわよ。士郎が弱いって言う気はないけど、クーフーリンが英雄として良く知られてるこの場所なら、ランサーの能力は十年前のセイバーに匹敵するはず。ううん、士郎のサーヴァントとしてのセイバーはいろいろなペナルティを受けていたから、それ以上かもしれない。そんなのと戦って無事でいるなんて」 「む――」 士郎の表情が歪んだ。いろいろと突かれたくないところを突かれたからだろう。 「――五分に戦えたわけじゃない」 苦々しげに、士郎はそう呟いた。 最初のサーベルは凌いだが、あとに繰り出された槍は充分に防げたわけではない。あの時ランサーが言ったように槍が全力で放たれていたならば、士郎はここに立っていないだろう。 「遊ばれたって事、か。ひょっとして士郎の方が逃げた?」 「ランサーから逃げはしてない。それ以前にヤードの警官達が押し寄せてきたから」 ああなるほど、と凛は笑った。 「あそこで見つかったら俺のほうが犯人扱いされかねなかったから、退いただけだ」 「逃げたって事実には変わりないじゃない。じゃあこんな時間になるまで帰ってこなかったのは、警察を撒くのに手間取ったから?」 「……まあ、そうだけど」 あからさまに嫌そうな顔をして、士郎は凛に再び背を向けた。この男がそこまでの態度を取るのだからよほど苦労したのだろう。もちろんそれは警察も死にものぐるいだという事を示しているのだが。 「そっか、お疲れ様。――それにしても、士郎がまともにやって敵わないとなると、時計塔の方でも楽には始末つけられそうにないわね」 「次にやり合うときは――負けない」 ケトルを火に掛けながら、士郎は半ば独り言のように呟く。 「期待しておくわ」 その背中に、凛は目を細めた。
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改装に伴い外観変更 2005/3/31
公開開始 2005/2/28