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Recurring Fantasm/nigthmare overdrive

    2/Death Trap  ―― chapter D

       
 

 むろん、彼が驚いたのは彼女がみせた手品まがいの芸にではなく、彼女そのものに対して、だ。
「バゼット……」
 その声が呻き声じみていたのは、結界に捕らわれているのが辛いからなどという理由では、もちろん無いだろう。
 かつての主従。
 彼を喚び出した主は敵である男に背を晒し、従者を支配する印を失なった。彼女に喚び出された従者は守るべきだった主を救う事も出来ず、ただ令呪に屈した。互いに思うところは多かったはずだ。
 だが、二人はそれ以上何の言葉も交わさない。ただ、数歩ほど離れた場所で見つめ合うだけだ。
 ただ、状況は二人の沈黙を許してはくれなかった。
 ランサーの身体は、ずぶずぶと泥のなかへと沈んでいる。いや、正確には泥のほうがランサーを沈めるように、彼の周囲へと渦巻きながら集結している。ランサーがその中に埋没しきってしまうまで、それほどの時間は掛からないだろう。
 ふっと、ランサーは口元を緩めた。肩も小さく竦めてみせる。もっとも、すでにそのほとんど全身から自由が失われているため、それははっきりとした動作になりはしなかったが。
「よう、久し振りだな。相変わらずいい女じゃねえか」
 さきほどの呻き声が嘘のように軽い口調。
「ありがとう。けれど、そろそろ私も若くはないものでね、今や立派なおばさんだ。いい女という評価は謹んで返却させてもらおうか」
 バゼットの方も肩を竦めて笑ってみせる。
「冗談だろ、あんたはすこぶる付きのいい女だ。今でもな」
「わかった。その言葉はありがたく受け取っておくとしよう」
 二人のあげる笑い声は、場違いなほどに明るい。
「さて、君を封印する前に、一つ二つ聞いておきたい事はあるのだが」
 そう告げるバゼットの前で、ランサーはすでに首元まで泥に埋まっていた。泥の総量はそれほどのものでもないのか、全身を覆うそれは泥の塊というより拘束衣のように見えた。
「悪いが、何を訊かれても答える気はないぜ。あの野郎に義理はねえが、一応令呪で縛られてる身だからな」
 ランサーは口元を意地悪く曲げて見せる。そんなランサーに、バゼットはただ苦笑じみた溜息を漏らすだけだ。
「まあ、君の事だからそう答えるだろうとは思っていたがね」
「わかってるなら、話は早いわけだ。俺としてはこの忌々しい泥をなんとかしてもらいてえけど、そっちだってそうも行かねえだろ?」
「あたりまえだ。この結界を構築するためにいったいどれだけの魔術師を動員したと思う」と、バゼットは首を横に振ってみせた。実際、それは二人や三人というわけではないだろう。それどころか、彼女は己の人脈を尽くして魔術師達を駆りだしたに違いない。
「その結果が収穫無しというわけには、さすがにいかないからね」
「そうか、そりゃ残念だ」
 大げさに肩を竦めるランサーの口調には、かけらほどの深刻さもありはしなかった。



 少し離れた場所で、凛と士郎はその光景を眺めていた。
「よく似てるわよね、あの二人」
 笑う二人に誘われたのか、凛の声にも楽しそうな響きが宿っている。
 けれど、話を振られた士郎は少し顔を顰めただけで、答えない。そんな士郎の反応を見て、凛はなおさら目を細めてみせた。
「そんなことより、もう、大丈夫なのか?」
 いくぶん不機嫌そうな声で、士郎は話の向きを変える。
「ん、結界の事? なら、大丈夫よ。結界そのものはもう完成してるもの。あとは封印が完了するのを待つだけだから」
 確かに、凛はもう術の制御を解いている。にもかかわらず、ランサーを拘束する赤黒い泥は少しずつ彼の黒い身体を侵蝕し、拘束を強めていく。ランサーの全身がその中へと沈んでしまうまで、それほど時間は残っていないだろう。
「士郎こそ、大丈夫なの?」
 凛の視線は、士郎の右腕に向けられている。
 槍に貫かれた筋肉質の腕からは、いまだに赤い血がしたたっている。しかし受けた傷の大きさを思えば、いくら傷口を手で覆っているからといってもその量はいささか少なすぎた。
「治療魔術はまだ効果が残ってる。しばらくは右腕を使えないだろうけど、問題はな――っ!?」
 士郎は声にならない悲鳴を上げていた。
 心の準備がないところにいきなり傷の上を叩かれては、どれだけ屈強だろうとたまったものではないはずだ。むしろ痛みのあまりにのたうち回らなかったという我慢強さを褒め称えてもいいくらいだろう。
「問題ない事無いじゃない。あとでちゃんと私に見せなさい。治してあげるから。安くしといてあげるわよ」
 凛はいやらしく笑ってみせた。だが、士郎は何も答えない。
「なによ。無視するわけ?」
 眉を寄せた凛は、もういちど軽く士郎の腕を叩く。だが、それでも士郎は反応しなかった。呻く事もせず、抗議の声も上げず、じっと鋭い目で交叉点の中央を見つめている。会話を続けているランサーとパゼットを。
「……どうしたの?」
「変だ……いま、アイツ何をした」
 凛の問いかけに答えたのか、それともただの独り言なのか。士郎の目は睨むようにランサーへと向けられたままだ。
「なにをって……何も出来るわけ無いじゃない。じきに、呼吸だって出来なくなるわよ。その程度の事でサーヴァントが死ぬかどうか、ちょっと怪しい部分もあるとは思うけど――」
 その言葉を最後まで聞く事もなく、士郎は唐突に駆けだしていた。何の予備動作もなく、瞬時に最高速へと達する迅速さで。
 危うく凛は士郎の姿を完全に見失うところだった。
 短い疾走の目的地はランサーとバゼットがいる、交叉点の中央部。自由になる左腕には、もう莫耶が握られていた。士郎の行動にバゼットが気付き振り向きかけたその時にはもう、士郎はその刃を振るっていた。
 ランサーとバゼットの合間にある空間を、まるでそこに潜んでいた何かを弾くように下から上へと。
 もちろん、そこに何かがあったわけではない。何かがあったならばバゼットともあろう者が気が付かないはずはないからだ。
 にもかかわらず、士郎が振るった剣は甲高い音を立てる。
 バゼットの目は捉えられただろうか。霧の向こうから飛来した、巨大な釘ともくさびともつかないそれを。ウィンチが鎖を巻き上げるような連続した金属音を伴いながら、宙に跳ね上げられたはずのそれは生物のように霧の向こうへと戻ってゆく。
「なっ……なんだ!?」
 バゼットは愕然と呟きながら、一歩だけ退いていた。
「……気付いてくれたか。正直ひやひやしたぜ」
 口元まで泥に埋まったはずのランサーが軽口を叩く。
「馬鹿な……この周辺はお前ランサーがここに現れた時点で封鎖したはずだ。侵入者などあるわけもない」
「そうだったら、良かったんだけどな」
 ランサーはわざとらしく溜息を吐いてみせた。
「そう。申し訳ないが、途中からお邪魔させて貰ったよ」
 嘲笑を隠さない、男の声。それはこの場にいる誰のものでもない。
「誰だ!」
「誰って、そこにいる間抜けなサーヴァントの主人だよ」
 三人の視線が、交叉点の奥へと向けられる。
 さきほどの釘が消えていった方向。白い霧の向こうに、黒い影が浮かび上がっていた。
「私は誰だと問うたはずだ……」
 バゼットは睨み殺しそうな視線を影に向けているが、影は気にする様子すら見せなかった。
「悪いが、名乗っても君には心当たりのない名だろう」
 霧の向こうに浮かび上がる影はすらりとした長身。真っ白な道化の仮面だけが、奇妙に浮かび上がって見える。
「とりあえず、今は用事を済まさせてもらおう。話はまた後日しようじゃないか。時計塔の魔術師どの」
 鎖の音が、再び響いた。
「下がれっ!」
 割り込むように士郎はバゼットの前に出て、剣を振るう。
 影が放った巨大な釘は再びはじき返され、鎖の音を立てて影の元へと戻ってゆく。だが、攻撃は一度などで終わりはしない。耳障りな音を立てながら、それは持ち主であるだろう影とはまるで違う位置から降り注ぐ。
「……この武器、見覚えが」
 士郎の眼は、巨大な釘にしか見えないそれが短剣に属する武器なのだと見抜いていた。それにしても尋常な武具ではない。柄に当たるだろう部分にはささくれだった針金状のモノが巻かれ、輪になった柄尻には棘が生えている。そしてその輪に連結された鎖がうねるたび、鋭い刃先は蛇のようにのたうちながら襲いかかってくる。
「そりゃそうだろうさ。テメエは奴とやり合った事があるんだろ」
 士郎の呟きを茶化すように、ランサーは笑い声を上げた。
「それにしてもあの野郎、ライダーを使いに出しやがったか」
「ライダーだって!?」
 片腕で飛来する釘を何度もはじき返しながら、士郎は呻いた。確かに、その武器はかつて彼を襲ったサーヴァントのものだ。だが――
「あの影がライダーだと……? 馬鹿な」
 さきほど、その影は自らサーヴァントの主を名乗りはしなかったか。なにより、影が発したのは男の声だったはずだ。
「おやおや、こちらだけにかまけてていいのかい、エミヤ。今日は大サービスでね、ここに来ているのは一人や二人じゃないんだよ。例えば、ほら、彼女のうしろに……」
 ライダーと呼ばれた影が、男の声で嘲笑しながら背後を指差す。むろん士郎はそんなことで集中を切らされるほどヤワな男ではない。
「――なっ」
 にもかかわらず、士郎は慌てて背後を振り返っていた。
 バゼットは彼から数歩退いた位置にいる。襲いかかってくる短剣は士郎が弾いているのだから心配は要るまい。だが、さらにその向こう――遠坂凛の背後に、もう一つ黒い影が浮かんでいた。
 総毛立つほどの気配を放つ、何か。
 ライダーと剣を交えている士郎さえも振り向かせてしまうほどの空気を持った何かが、そこにいた。
「遠坂――っ!」
 士郎の声を聞くまでもなく、凛も異常に気付いて振り返っている。
「な、なに、コイツ……」
「逃げろ!」
 士郎にできるのは、ただ叫ぶ事だけだった。駆け寄ろうにも、背後から士郎を貫かんと襲いかかってくる短剣をはじき返すのだけで精一杯だ。だが、凛はその声に応える事が出来なかった。
 鋼のブーツが、アスファルトを蹴って音を立てる。
 黒い影は、騎士の形を取っていた。真黒の鎧を纏った騎士。狂気じみた殺意を周囲にまき散らすそれは、その気配に違わぬ凶悪な意匠でかたどられている。なによりも、その顔を覆う面頬はさながら悪霊か邪神のそれだ。
 相対しただけでヒトの魂を凍り付かせかねない、悪鬼。
 何も手にしていないはずの腕が、まるで剣を構えているようにも見える。いや、その騎士が漂わせている殺気は威嚇でも虚勢でもない。背中を向ければ、そいつは躊躇無しに彼女の身体を両断するだろう。それは誰の目にも明らかだった。
 だが、凛がそれに背中を向けなかったからといって、それで生き延びられるわけではない。
 鉄のブーツがアスファルトを蹴って音を立てる。
 振り上げた両手は、確かになにかを握っていた。いや、それが何であるかという事など、士郎には今更思い起こす必要も無い。
 風王結界インビジブル・エア
 剣の力を封印する結界は光の軌道すら曲げ、強大な聖剣を外界から隔離していた。それだけではなく、膨大な量の風を織り込んで構成されるそれは、それ自身が剣そのものにさえなる。黒い騎士が握るのは、紛れもなくかつて衛宮士郎のサーヴァントが振るったそれだ。
「くそっ!」
 間に合わないと知りながら、士郎は駆けだそうとした。もう、ライダーのダガーなどにかかずらってなどいられない。
 だが、背を向けるという事は防御を完全に放棄するという事。
 ぞぶり、と右の肩へ釘状の刃が埋まる。それが心の臓を貫かなかったのは、それでも莫耶を盾代わりに使ったからだ。
 士郎は小さく呻く。
 ただ貫かれただけならば、彼は痛みすら黙殺しただろう。だが、根元まで食い込んだ短剣が生きているようにのたうち、みぢみぢと、ぎちぎちと肩の肉を抉り潰すその苦痛は、生きている人間が耐えきれるものではない。
 いや、それでも士郎は駆ける。もはや痛みなどで彼を止める事などできはしない。
 けれど、結局彼の脚はそこで止まらざるを得なかった。短剣を繋ぎ操る鎖が、うねりながら彼の行く手を阻んでしまっては。
「遠坂――」
 士郎が上げたのは絶望の声。
 バゼットが呪文を唱えてはいたが、間に合うわけもないだろう。
 そんな彼らを嘲笑うかのように、騎士の腕はことさらゆっくりと振り下ろされる。
 剣速が遅くとも、それに籠められた力は充分だ。鋭い刃と変わらない切れ味を持つ風の刃は、凛の身体をやすやすと切り裂くに違いない。
 むろん、凛とて素人ではない。体術だけならばその道の達人すら一目置くほどのものを持っている。だが、そんなものは何の慰めにもならないだろう。振り下ろされた風王結界は生身で止められるようなものではない。
 だが。
「なに……?」
 あがったのは、戸惑いの声。発したのは、ランサーの主を名乗るもの。
 凛は路上にしりもちをついてはいた。だが、それは傷を負ったからではない。
「怪我はありませんか? お嬢さんレディ
 不可視の刃を止めたのは、曇りひとつない鋼の刃。
 細身の剣を手にした老人は、ちらりと凛を振り返って涼しげに笑いかけた。


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 公開開始 2005/7/5