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#水の惑星の魔法使い(4)
「フェイトちゃん、お湯のお加減はどう?」
「はい、ぬるめでちょうど気持ちいいです」
夜も更けたARIAカンパニーでは、二人の少女が入浴の時間を楽しんでいる。もちろん、もともとごく普通のお風呂でしかないので湯船はそれほど広くないのだが、少女二人程度なら少し窮屈なくらいで何とかなるものだ。
もちろん、一人ずつ入っても全く問題はないのだが、
「フェイトちゃんの金髪って、素敵だよね。でも、アリシアさんもそうだけど、一人で洗うのって、大変そうだな。ボリュームも結構あるし」
「……えと……実は、一人で洗うの、あんまり得意じゃないです……」
「えーっ? じゃあ、どうするの?」
――というような会話の末、二人が一緒に入浴したのが最初の夜。最初は灯里も興味本位だったのだろうが、実際に一度入浴してみた結果として、以降は毎日そうしようという結論になった。
普段のフェイトであれば、それでも頑張って一人で入浴してみようと考えたに違いない。けれど、いまのフェイトはいつもと違う。
「じゃあ、こっちに来て、フェイトちゃん」
「は、はい」
立ち上がったフェイトの顔は、少し緊張していた。対する灯里はシャワーを構えて、にっこり笑っている。
「いいかな、フェイトちゃん」
「はい、その――おねがいします」
灯里に背中を向けて座ったフェイトは、ごくり、と唾を飲む。
そんなフェイトの頭に向けて、灯里は勢いよくシャワーを浴びせかけた。
『ひゃううううううっ!』
悲鳴は、まったりと食後のお茶を楽しんでいたクロノの耳にまで届いていた。瞬時に反応して顔を上げた彼は、小さくため息を吐いて再びお茶をすする。
「……またか」
一昨日も昨日も同じ悲鳴を聞かされている彼は、もう全く動じなくなっていた。
猫耳に触られるのはだいぶ慣れたらしいが、風呂でシャワーを頭から浴びるたびにフェイトは大騒ぎをしていた。あの耳はよほどに敏感なのかもしれない。とりあえず、それがどうにかなるまでは一人で頭を洗うことなど不可能に近いだろう。
「あらあら、大騒ぎね」
くすくす笑いながら、アリシアがクロノの向かい側に座った。クロノは無言で湯飲みを取り出すと、まだ急須の中で熱さを保っているお茶をその中へと注ぐ。
「熱いお茶ですが、暑気払いにはいいですよ」
「うふふ、ありがとう」
日は沈み、いくらか気温は下がっている。けれど、残った熱気はいまだにじっとしていても汗が出てくるほどのものだ。
「今日も熱帯夜になりそうですね」
「そうね……いつもの夏ならここまで暑くはならないのだけど」
苦笑しながら、アリシアはクロノが出していた煎餅に指を伸ばした。
「あら、美味しい」
「ちょっと散策に出たついでに、見つけてきたんです」
「フェイトちゃんと一緒に?」
「ええ」
頷いたクロノは、そこでちょっと居心地の悪そうな顔をした。
「なんだか、嬉しそうですね」
「うふふ、嬉しそう、じゃなくって嬉しいの」
満面の笑顔ではっきり言われてしまうと、クロノもどう答えればいいのかわからなくなってしまう。
「家族が増えたみたいだもの。嬉しくないわけがないわ。クロノくんも、フェイトちゃんが家族になったとき嬉しいと思わなかった?」
「思わなかったわけはないんですが……」
揺れるお茶の表面に視線を落とす。
フェイトが養女になったことで、母と息子の二人きりだったハラオウン家はずいぶんと騒がしくなった。もちろんおとなしいフェイトがそんなに騒ぐわけはなく、主に大騒ぎしたのは母であるリンディだったり、フェイトの使い魔であるアルフだったりしたわけだが。
「――いや、まあ、フェイト自身にもずいぶん驚かされたことがあったか」
フェイトにハラオウンという姓がついたすぐあとくらいの小さな事件を思い出し、クロノは小さく苦笑いを浮かべた。間を持たせるために湯飲みの中身に口を付けながら、その思い出を掘り返してゆく。あのときはクロノもずいぶんと取り乱したものだが、今では微笑ましい、けれど決して忘れ得ない――
「ぶはっ!」
いきなり、クロノはむせた。飲みかけのお茶が逆流し、湯飲みの中で反転して顔に掛かる。
「あらあら、大変――はい、大丈夫?」
「あ、ありがとうございます……いや、つい余計なことを思い出して」
せき込みながら、クロノはアリシアの差し出したタオルで顔をぬぐった。一息吐いて背もたれに体重を預けたところで、ふとアリシアの視線に気付く。先ほどのあたたかい視線とほとんど変わっていないはずのそれに、なぜか楽しげな表情が混ざっていた。
「それで、何を思い出したのかしら」
口調も、何故か微妙にからかうようなものになっている。
「い、いや、なんて言うか、その」
「うふふ。顔が真っ赤になってるわよ」
アリシアの指摘もむべなるかな。クロノの顔には大量の血液が怒濤のように流れ込み、今やその表面は茹でダコもかくやという赤さに染め上げられていた。
「あ、い、いやっ、こ、これはっ」
「うふふ」
うろたえるクロノを、アリシアは実に嬉しそうに眺めている。
「……もっ、黙秘します」
「あらあら、残念ね」
クロノは椅子の背に体重を預け、がくりとうなだれた。危ういところだったと、こっそりため息を吐く。
「あら、灯里ちゃんたちお風呂から上がってきたのかしら」
上の階からの気配に気付いたアリシアが、クロノから視線を逸らした。はっきりとは聞こえてこないが、会話と足音からするに二人そろって浴室から出てきたのだろう。
アリシアの興味が自分から逸れたことにほっと息をついたクロノは、ようやくのことで上体を起こし、
「アリシアさん、アリシアさん、大ニュースですっ! クロノくんとフェイトちゃんって、一緒にお風呂に入ってたらしいですよー」
盛大に椅子から落っこちた。
「クロノ、どうしちゃったのかな」
フェイトはしきりに上階の様子を気にしている。灯里に少し遅れて階下に降りてきたフェイトとすれ違ったクロノは、何故か逃げるように風呂へと飛び込んでいったからだ。
「ごめんなさい。ちょっといじめすぎちゃったかしら」
「ほへ? いじめるって、何かしたんですか?」
クロノにとどめを刺した張本人は、もちろんとぼけているわけではない。
「うん、ちょっとね、からかっちゃっただけなんだけど」
アリシアは苦笑いだけを浮かべていた。あまり余計なことを口にしないのは、彼女なりの気遣いといったところだろうか。
「そういえば、アリシアさんは帰らなくていいんですか?」
会話が途切れたところで、フェイトは少し疑問に思っていたことを口にした。ここ三日間ほどの経験で言えば、アリシアは確かに業務が終わったあともこうやってくつろいでいることが多い。けれど、フェイトが風呂から上がったころにはもう帰宅していることの方が多かったはずだ。
「あら? 灯里ちゃんから聞いてないの?」
フェイトの質問にきょとんとしたのは、アリシアの方だった。
「え?」
「あ――」
首を捻ったフェイトに対し、灯里はあからさまに慌てた顔をした。
「ごめんなさい、忘れてましたっ」
「あらあら」
手を合わせて謝る灯里に、アリシアは困ったような笑顔を浮かべる。
「えと……なんの話ですか?」
「ほら、フェイトちゃん達がうちに来てからもう四日になるのに、あまりお話が出来ていないでしょう? ここのところ予約のお客様がいっぱいで、私もなかなか時間が取れないし、灯里ちゃんもお昼はゴンドラの練習があるから」
「えと、その、そんなにお気遣いは……」
「うふふ、違うのよ」
恐縮するフェイトに、アリシアは笑う。
「私たちが、フェイトちゃん達のお話をもっと聞きたいなって、思ったの。違う世界のお話とか、魔法のお話とか」
「は、はい……」
「それにね、今日はとても天気が良いのよ。絶好の観測日和だって、ニュースでも言ってたの。ここ何日かは、夕方から夜になると少し雲が出てたから」
「え……? 観測って?」
「うふふ、もうすぐ分かるわよ」
「はひー、もうしばらくしたら、藍華ちゃん達も来るはずですから」
――結局。
フェイトが二人の観測という言葉の意味を理解したのは、クロノが風呂から上がり、集まるべき面子が全て集まった、そのあとのことだった。
―― りぃ ん
夜光鈴は、自らが放つ淡い光にふさわしい音色を、かすかに奏でている。それは、静かな夜にもっともふさわしいBGMかもしれない。
「ふあ――」
満天の夜空に浮かび上がるそれの下では、フェイトもただ言葉を失って見上げていることしかできなかった。
「なんだか、少し動いてない? 昨日見たのより大きくなってるような気もするし」
フェイトと同じようにそれを見上げた少女が、なんだか納得いかないといわんばかりの口調でぶつくさと呟く。
「ええ、それなりに高速で移動している天体ですからね」
答えたのは、クロノによく似た体格の少年――だろうか。衣服が黒っぽいもので統一されているところまで、何となくクロノに似ている。
「それにあれはこのアクアにかなり近いところを通過するんです。見た目の移動速度は、当然早くなります。よく観ていると、肉眼でも移動しているのがわかると思いますよ」
「えーと、よく分からないんだけど……」
「ああ、ほら、こうやって僕が藍華さんの近くに寄るとしましょう。そうした場合、ほら、少し僕が移動しただけで――」
「な、なんで本当にちっ近寄るのよっ!?」
「いや、実演したほうが早いかと――」
藍華は突然顔を真っ赤にして騒ぐ。けれど、他のメンツは一人残らず『またか』というような顔をしただけだった。
「藍華ちゃんは照れ屋さんだからねー」
「でっかいおのろけです」
むしろ、そんな言葉を小声で交わし、少しばかりニヤニヤしていたりする。
「うふふ、素敵な関係ね。うらやましいわ。晃ちゃんもそう思うでしょ?」
「まあ、悪い男じゃないみたいだしな。私が口出しする事でもないだろ」
黒い長髪の女性は、いささかぶっきらぼうに言い放つと、そっぽを向いた。けれど、その場にいた誰もが気付いている。ちらりと二人を見た視線にやさしいものが含まれていたことを。
「晃ちゃんも照れ屋さんだから」
「うっせーぞアテナっ!」
最年長の三人が騒ぎはじめると、さすがに誰も止めることが出来ない。
「あのー、一応、観測会なんですけど」
「でっかい酔っぱらいです」
灯里は苦笑を浮かべ、アリスは呆れた表情を隠そうともしない。
アリシア、晃、そしてアテナ。ネオ・ヴェネツィアが誇る水の三大妖精も、いまや単なる酔っぱらいの一味でしかなかった。
「っていうか、そんなに近かったら引き寄せ合うんでしょ? その、重力で。ぶつかったりはしないの?」
「ああ、あれはものすごいスピードで移動してますから、火星の重力なんて振り切ってしまうんですよ。もちろん、僕たちも微調整はしていますが」
「え、そうなの?」
「まあ、何らかのトラブルで砕けたりすれば大きな破片が落ちてくる可能性はあります。でも、今のところ、その危険性はないと――」
藍華とアルの会話は、まだ続いている。
「凄いね、クロノ」
「ああ、確かに圧倒される」
二人はそんな背後の騒ぎを聞き流しながら、ひたすら空を見上げていた。
雲一つ無い夜は、暗闇にならない。無数の星が放つ光によって、僅かな明るさに包まれるからだ。けれども、今夜に限ってはひとつの天体のみが放つ光によって、夜空のかすかな光は遠慮無く追いやられてしまっている。
「本当に摩訶不思議な星だね……彗星って」
灯里が、ぽつりと呟いた。
皆が見上げている夜空には、夜空を真っ二つに割る光の帯が浮かび上がっていた。星々の光など圧倒してしまう青白い一文字は、凍り付いた小さな天体が太陽の熱にあぶられ吐き出す塵とイオンの尾。いま、アクアの夜空はこの巨大な天体に占拠されている。
いや、夜空だけではない。この巨大な彗星は、今まさに火星の軌道を通過しつつあるところだという。その明るさも今や月のそれを超えている。ゆえに夕方が近くなると彗星の姿は水平線より現れ、まだ明るいうちからその姿をはっきりと視認出来るようになっていた。
「これはもう、大彗星中の大彗星と言っていいでしょう。有史以降、いくつも大彗星が観測されてはいますが、この惑星アクアの歴史に限れば、これは完全に空前絶後。地球の歴史をさかのぼっても、これほどの大彗星が観測されたという記録は数えるほどしかありません。今回、地球からはこの彗星を観測出来ないため、火星で彗星を見ようというツアーも数多く組まれているほどです」
「しつもーん。なんで地球からは観測出来ないんですか?」
「ええ、実はいま地球はこの火星と最も離れた位置にあるんですよ。つまり、互いの位置関係を見れば太陽を挟んでいるということになり――」
なにやら繰り広げられている会話は、いつの間にか中学か高校の講義じみてきていた。騒がしいこと、この上ない。けれども、皆が皆会話に加わっているわけではなく、ただひたすらに空を見上げているものもいた。
「本当に、綺麗な彗星だ……」
フェイトが呟き、クロノは無言で頷く。
「……でっかい迫力です」
「アリスちゃん、眠くない?」
「大丈夫です」
どちらかといえばおとなしい――と言うよりは寡黙な部類に入るオレンジぷらねっとの水先案内人達も、いつの間にか二人の横で夜空を見上げていた。
どれだけ時間が経っただろうか。
ひとり、また一人と会話から外れ、並んで空を見上げていく。
―― りぃ ん
いつの間にか周囲を支配していた静寂《》のなか、鳴り響くのは夜光鈴の澄んだ音色だけ。
「はあ……素敵……なんだか、夜空を渡る銀河の船が残した航跡みたい」
沈黙を破ったのは、灯里がため息のように漏らした一言。言い得て妙とも言いたくなる表現ではあったが。
「恥ずかしいセリフ、禁止!」
「ええーっ!?」
藍華の言うように、確かに少し恥ずかしいセリフでもあった。
フェイトは思わず笑い出してしまう。
「でも、最初は思ったんだよ。クロノくんとフェイトちゃんは、あの彗星から落ちてきたんじゃないかなって。ちょうど彗星が見えてくる時間帯だったし」
「うんっ、ありえないから」
「ええーっ? でも、実際に何もないところから落ちてきたんだよ」
「それはそうだけど……ねえ、実際、どうなのよ」
「え……と、最後は、確か」
他人事だと思って笑っていたフェイトは、話をいきなり振られて少しばかり戸惑った。
「覚えてないんです。気が付いたら、落ちてましたから」
言葉に詰まったフェイトをフォローしたのは、クロノだった。
二人は同じ場所にいて、同じタイミングで見知らぬ世界の空に投げ出された。転移魔法の一種と考えられなくもないが、二人を同時に一瞬ではるか遠くの世界に吹き飛ばす、などという魔法はかなり大がかりな儀式を必要とするはずなのに、僅かな魔力の動きすら知覚できなかった。
ただ、ひとつ。
「誰かに、呼ばれたような記憶はあるんですけど」
「呼ばれた?」
フェイトの言葉に、クロノは何故か戸惑う。
「え……どうしたの?」
「いや……僕は記憶にないんだが……」
「あ、でも、確かに呼ばれたっていうわけじゃないし……」
フェイトはいまいち自信なさげな様子でうつむく。
「もしかすると、本当にあの彗星に呼ばれたのかもしれないね」
灯里の言葉に、皆は天空を見上げた。
あり得ないことだ、とは誰も思っている。けれど、そのあり得ないことばかりが現実に起こっているだけに、否定しきることもできない。
「そもそもさ、その子たちが魔法使いだって話、本当なのか?」
「晃さん?」
「そりゃ、確かに猫耳は見たよ。何もないところから落っこちてきたっていう藍華の話を疑う気もない。けど、それだけで魔法使いって信じるのは、ちょっと無理があると思うんだけどな」
晃の目が、じっとクロノを見据えた。その瞳に、酔いの色はない。それどころか、気の弱い人間ならそれだけで圧倒されへたり込んでしまいそうな、強い意志が放出されている。
けれど、クロノはたじろぎもしなかった。
その、睨んでいると言ってもいい晃の目を正面から見返し、口を開く。
「もっともな言葉だとは、思います。むしろ、僕としてはあっさり信じて貰えたことの方が不思議でならない」
自らの言葉を肯定するようなクロノの言葉に、晃は少し目を細めた。
「今の僕らには、それを証明する手段さえない」
「そうだな。あの彗星を空から消してみたりでもすれば、私も信用出来るんだが」
にやりと、晃は口の端を歪めた。
「それは、魔法が使えても無理な話ですよ」
クロノは苦笑いするしかない。
「小さな天体と言っても、それなりのサイズはあるでしょう。僕ごときの魔力では――」
そこで、クロノは一瞬言葉を途切れさせる。
その視線が向けられたのは、彗星ではなく彼の妹の方向。
「――いや、フェイトとなのは、はやての全員が揃えば、わからないかもしれないな」
「ええっ!?」
驚いたのはフェイトの方だ。
「むむ、無理だよ、クロノ」
「相手はただの凍った岩だ。僕の知識が正しければ、密度もそれほどのものじゃない。君たち三人が揃うと本局の訓練室でさえ吹き飛ぶからな。それくらいは、可能だと思うが」
むろん、クロノはからかっているのだが。
「そ、それは……」
実際に訓練室を半壊させてしまった張本人の一人であるフェイトは、少々へこむしかなかった。なにしろ、半壊した訓練室の後始末で大わらわになったのは現場責任者のクロノと上司のリンディなのだから。
「あらあら、フェイトちゃんをいじめちゃダメよ」
「お兄ちゃんはでっかい意地悪ですね」
フェイトが困っているのを見て、女性陣が援護に入る。
「ちょっと物騒すぎる話じゃないか、それは」
彗星を落とせ、と言った自分のことを棚に上げて、晃は肩をすくめてみせる。
「まあ、そうですね」
クロノは、自分の手のひらに視線を落とした。
「もしかしたら、僕らがこの世界で魔法を使えないのは、それがこの星には有ってはいけない力だからなのかもしれません。だとしたら、僕たちをこの世界に呼び込んだ何かが、そう仕向けたのでしょう」
クロノはフェイトの方へと視線を向けた。正確にはその頭上に。
フェイトの身体に起きた異常は、何らかの――おそらくはかなり酔狂な――意志が介在したものだとしか思えない。それにフェイトがさっき口にした言葉もあわせて考えれば、クロノが口にした推論は、比較的妥当なものだと思われた。
もちろん、それはあくまで推論でしかない。それに、大きな穴もあった。
「なら、その魔法を使えない子供二人を招待して、何をしようってんだ? その誰かさんは」
晃の言葉は、正面からその穴を突いてくる。
「それは……わかりませんけど」
クロノが首を横に振ると、何故か晃は笑い出した。
「正直だなあ。まっ、嘘をついてるわけじゃないってのはわかる。こう見えても、人を見る目には自信があるつもりだからな。どこか違う世界から来たんだって話も信じよう。けどさ、それならどうやって帰るんだ?」
「それは……」
二人は同時に表情を曇らせた。
この惑星に落ちてきて、もう四日目。本来二人がいるべき場所に帰るための手段を探していないわけではない。けれど、今の二人に魔法はなく、時空管理局のバックアップもない。今は二人ともただの無力な子供でしかないのだ。
「わかりません……どうやったら、いつになったら帰れるかも」
二人をこの世界に呼び込んだのが誰かの意志だとしても、それが二人を帰してくれるという保証はなかった。
「じゃあ、これからどうすんだ? 身よりのない子供二人で。あー、確か君は十六だっけ? けど、未成年って事には変わりないからな」
「そうですね。路頭に迷うことになるかもしれません。そもそも灯里さんとアリシアさんの好意がなければ、僕らはこうやって落ち着いて夜を過ごすことさえできなかったんですから」
「なら、簡単じゃない」
アリシアがパンと手を叩いた。その顔は、最高のアイデアを思いついた、といわんばかりの笑顔に染められている。
「二人とも、正式にARIAカンパニーの社員になっちゃえばいいのよ。フェイトちゃんが望むなら、水先案内人《》水先案内人になってみてもいいんじゃないかしら」
「水先案内人《》水先案内人、ですか? わたしが……?」
フェイトは戸惑うしかなかった。気軽になれる職業でないことは、アリシアと灯里を見ていればよく分かる。
「ええ。才能はあると思うわ。体力もあるし、歌も上手だし、きっと大きくなったら美人になるし」
けれど、アリシアは太鼓判を押してみせた。
それは単なる当てずっぽうの言葉ではないのだろう。
「え、えと、その、けど、わたしはこの街の事なんて知らないし……」
「うふふ、灯里ちゃんも最初はそうだったのよ」
「あう……」
フェイトは助けを求めてクロノへと視線をやる。
「クロノくんは地重管理人《》に向いてそうですね。どうですか?」
こちらはこちらで、アルの勧誘を受けている。
「……もしかして小柄なだけで当てずっぽうなことを言ってませんか」
「いやあ、そんなことはないと思いますよ。堅実かつ着実。それは地重管理人に最も大切な資質なんですよ」
「いや、そう評価して貰えるのは嬉しいですけど……」
残念なことに、クロノも苦戦中のようだった。
「どうかしら、フェイトちゃん」
いつの間にか、フェイトの両手はアリシアの両手にがっちりホールドされていた。
「あ、えと、その」
「わーひ、それなら私の後輩になるんですね」
灯里のなかでは、いつの間にか既成事実になってしまっているらしい。
「そうなれば私もでっかい先輩です」
にやりと笑うアリスも、ほぼ規定事項として捉えているようだ。
「フェイトちゃんの舟謳《》、私も聞いてみたいかも」
アテナの瞳の奥で、妖しげな光が一瞬の輝きを放つ。
四面楚歌とは、まさにこのことだろう。
「ぷいにゅ!」
四面どころか五面を囲まれたフェイトに、もはや逃げ場はない。
「あ……えと………」
「やめとけやめとけ。困ってるじゃねーか」
フェイトを助けてくれたのは、結局苦笑いを浮かべて割り込んできた晃だった。
「無理強いは良くないな。とりあえず今は彗星の観測会なんだろ。勧誘はあとにしろ、あとに」
「一番最初に脱線したのは、晃さんだったような……」
小さな呟きをかき消したのは、すわっ、という息を吸う音。
「わわわっ、ななな何も言ってませんよ!?」
慌てて両手を振って誤魔化したのは、一人蚊帳の外状態になっていた藍華だった。
「ふう……どうなるかと思ったけど」
大きく息をついて、フェイトはテラスに出されていた椅子に腰を下ろした。少し窮屈になったのか、帽子を取ってぶるっと首を振る姿は、頭に生えた耳のせいか猫のそれに見えなくもない。
クロノが何となく見つめている中、不意にその耳がぴんと立った。
夜光鈴の音色をきっかけに、静かな謳が流れ始める。優しく切なく響く、澄んだ声が歌いあげるのは、夜の海に捧げる妖精の恋歌。
「アテナ先輩はね、『天上の謳声《》』っていう二つ名を持ってるんだよ」
「――そう、なんだ」
灯里がささやいてくれた言葉に、フェイトもクロノもただ納得するしかない。
謳は、高く、低く、夜の海を渡っていく。
目を閉じれば、きっと気付かないうちに寝てしまえるだろうと思える、それはとてもやさしい謳だった。
やがて、妖精は愛する人と一緒に手を取り、海の向こうを目指す旅に出る。
謳はそこで終わり、アテナの謳声はすこしずつ小さくなっていく。その歌が静寂と入れ替わったタイミングがいつか分からないほどに、静かな終演。
拍手が送られなかったのは、その音で静寂を破ってしまうのが勿体なく思えたからかもしれない。
「あれ……」
だから。
静寂を破ってしまったのは、フェイトの戸惑う声だった。
「誰かが、遠くで歌ってる……?」
フェイトの猫耳が、ぴくぴくと動く。
「……え?」
「そう? 聴こえないけど」
「でっかい静かですが」
フェイトの言葉に皆は耳を澄ませてみたが、彼女が言うような謳声はどこからも聞こえてこなかった。
「慣れてきたら、本当の猫さんみたいによく聞こえるようになってきたんでしょうか……社長、何か聴こえますか?」
「ぷいにゅ……にゅ」
灯里の質問に、しばらくアリアは目を閉じてじっとしていたが、やがて目を開き、首を横に振って否定の意を示す。
「そんな……でも、確かに……」
もう一回、フェイトは耳をぴんと立てる。呼吸も止めて、どんな小さな音も聞き逃すまいとするように。だが、その耳はしばらくすると力無く垂れていた。
「気のせい、だったのかな……」
「どんな歌だったのかは、わからないのか」
クロノは問いかけながら、フェイトの頭にもう一度帽子を戻した。折りたたまれた耳をうまく帽子の中に収めれば、さっきまでと同じように猫の耳は自然な感じで隠れてくれる。
「えと……なんだか、歌うような、唸り声みたいな……とっても、怖い感じだったのだけはわかるんだけど」
「ふむ……」
椅子に座ったクロノは、何故か難しい顔になっていた。
「なんだかすこし余韻が変な感じになったなあ」
唐突に不満げな声をあげたのは、晃だった。
「そうだ、フェイトちゃんも歌が上手いんだっけ?」
「え?」
いきなりの指名に、フェイトが一瞬硬直する。
「あらあら、それはいいわね」
「え、えと」
「私も、聴きたいな」
三大妖精の残る二人も、次々と晃の言葉に同調する。それどころか、
「わ、それは素敵ですね」「でっかい興味ありです」「いや、僕もそれは聴きたいですねえ」
などと、他のメンツまでが晃の提案に順次賛同してくる。挙げ句の果てには、
「ほほう、ではちょっと希代の新鋭のお手並みを拝見と行きたい所じゃない」
というように、藍華などは先ほど保留と言うことになったはずの水先案内人《》就職を規定事項のように語ってくる。
「ク、クロノ……」
フェイトは残る唯一の味方に援護を求め、振り向く。
だが。
「ん? ああ、いいんじゃないか? 僕も聞きたい」
フェイトにとっては残念な事に、完全無欠の孤立無援という奴だった。
「はう……じゃ、じゃあ」
立ち上がったフェイトは、けれどそこで口ごもってしまった。恥ずかしさもあるのだろうが、まだどこかにアテナの謳声が響いているように思えて、歌い出しにくいのかもしれない。
「大丈夫……」
いつの間にか後ろに回っていたアテナが、フェイトの細い肩に両手を置いた。
「人に聴いてもらうために、謳はあるの。だから、みんなの前で謳を歌うことは恥ずかしくないの」
アテナの言葉が呪文のように響き、フェイトの身体から堅さが抜けていく。ためらいも、恥ずかしさも嘘のように消え、あとにのこったのは歌い上げるための熱い心だけ。
すうっと大きく息を吸い込んだフェイトは、そっと右手を胸の上に添える。
舟謳《》とは違うもう一つの優しい歌声が夜のARIAカンパニーを包み込み、夜は静かに更けていった。
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