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#02 遺産の気配(B)

 





 アースラにリンディ以下主要スタッフへの謹慎と本局への一時帰還命令が通達されたのは、レティとの通信からおよそ半日が経過した後のことだった。


 






「初めまして。フェイト・T・ハラオウン執務官候補生。いや、話には聞いていたが、実にかわいらしいお嬢さんだ」
「…………」
 男の軽口にも似た言葉に、フェイトは答えなかった。
 家具らしい家具と言えば飾り気のない質素なテーブルに、向かい合った簡素な椅子が二つ。それ以外には何もない、シンプルというよりは殺風景な部屋。窓と照明がなければ、どこかの牢獄だと言われても信じられただろう。
 時空管理局の本局に帰還したアースラを待っていたのは、ソレイユへの引き継ぎ作業だった。戦闘記録の引き渡し。ヴリトラ艦内情報の伝達。――そして、同時に主要スタッフへの聞き取り。それは、ごく自然な手続きだ。
 だが、フェイトを待っていたのは明らかに不自然な状況だった。
 目の前にいる男はアレンと名乗った。ソレイユの艦長と同じ名だ。そして、階級章も間違いなく準提督のもの。偽称しているのでもない限り、目の前にいるのはソレイユの艦長本人だった。
「そう、身構えずともいい。これは別につるし上げでも、尋問でもないのだからね。そうそう、一応、任意の聴聞、ということで呼んだと思ったが」
 フェイトと向かい合ったアレンは砕けた口調で笑いかけた。だが、その目は笑っていない。まるで獲物を目の前にしたヘビのような目だ。
「では、帰っていいですか」
 ようやく、フェイトが口を開いた。ひどく堅い口調は、この状況に怯えているからではない。目の前の男に警戒しているからだ。
「それは、よくないな。実に良くない」
 アレンは大げさなそぶりで首を横に振ってみせる。
「そうなると、本当に残念だが査問会を開かざるを得なくなる。あれは気分の悪いものだし、私としても幼い君がたった一人で、しかも大勢の大人達からつるし上げを喰らう、などという光景を見たくはないのだよ。わかってくれないかね」
 アレンの目は笑っていなかった。彼が口にしたのは単なる脅しではなく、フェイトの態度次第では遠慮などしないという警告だ。
「ヴリトラのことは、もう報告したはずです」
「ああ、受け取っているよ。もう目も通した。大変だったようだね」
 慰労の言葉はひどくあっさりとしていた。義理でもその言葉を口にするのは面倒くさいといわんばかりだ。
「もちろん、そんなことで呼び出したわけではないよ。聞きたいことは、そんなことではない」
「一体、わたしが何をしたって、言うんですか」
 きっと睨み付けるフェイトに、アレンは肩を竦めて見せた。
「何もしていないな。少なくとも、私が知る限りは」
「なら――」
「君は、という条件付きだがね」
 抗議しかけたフェイトの言葉を遮って、アレンはその一言をぴしゃりと叩きつける。
「君には問題が無くとも、君に関わる人間にはいろいろと問題がある。特に、君の母親にはね」
「母さんの事……? でも、母さんはもう……」
「ああ、プレシア・テスタロッサの事ではない。もはやこの世にない人間を引っ張り出して、生きている人間を責めるなどという愚行はせんよ」
 フェイトの表情に、初めて動揺が浮かんでいた。
「じゃあ……でも……」
 口にする言葉が、揺れていた。そんなフェイトを、アレンは憐憫の目で見つめている。
「そう。リンディ・ハラオウン提督だ。上層部の一部には、彼女の行動を疑問視しているものが少なくない。クロノ執務官のことも含めてね」
「疑問視……?」
「プレシア・テスタロッサ(P・T)事件と闇の書事件を最小限の被害で解決した。近年まれに見る大規模な事件であったにもかかわらず、ね。しかも、その事件の結果として、リンディ提督とレティ提督はともに強力な戦力を手に入れた。つまり、君と高町なのは、そして八神はやてとその従者たるヴォルケンリッター達。さらには無限書庫に配属されたユーノ・スクライアもP・T事件の関係者だったはずだ」
「それが、なんだって言うんですか」
 気色ばむフェイトに対し、アレンはあくまで落ち着いた姿勢を崩さない。
「大問題だよ。リンディ=レティ派閥が短期間に大きな力を手に入れたことになるんだからね。しかも、彼女たちを抑える立場にあったグレアム提督はそれと引き替えるようにして引退したことになるからね。なおさらだ」
「派閥なんて、そんな」
 アレンは首を横に振った。
「残念だが――もし本人達にその意志がなくとも、結果的にそう見えてしまうのは仕方のないことだ。それが組織内の人間関係というものだよ。嘆かわしいことだが。時空管理局は理想的な組織ではあるが、それでもそのようなものを意識する人間が皆無というわけではない」
 彼の表情は苦々しい。少なくとも、フェイトにはそう見えた。
「さらには、君を養子にした。かなり無理のある手続きだったが、彼女の手腕をもってすればどうとでもなる。もちろん、君のためを思ってのことだろう。わかる話だ。けれど、同時に疑惑も生まれたのだよ。なぜ、わざわざ君を養子にしてまで取り込む必要があったのか、とね」
「取り込む……?」
「邪推と言ってしまえばそこまでだが、事実として君の母親であったプレシア・テスタロッサは多大な資産を所有していた形跡がある。また、彼女が握っていた多くの魔導技術も、立派な資産だな」
「何が、言いたいんです」
 フェイトの声は、小さく震えていた。男もそれに気が付いていないわけでは無かったのだろうが、フェイトの表情を一瞥しただけで、その態度はまるで変わらない。
「つまり、プレシア・テスタロッサの遺産を手に入れるための養子縁組なのではないか――そのような疑惑があるのだよ」
「そんな! 嘘だ」
 フェイトは思わず立ち上がっていた。
 だが、否定しながらもその心は揺れている。なぜ、ここでもそんな言葉が出る。目の前の男と、ヴリトラの責任者を名乗ったあの男。二人の間には、何か関わりでもあるのだろうか。
「落ち着きたまえ。あくまで疑惑の話だよ。本気で信じている人間などそうはいない。が、それでも生まれてしまった疑惑が自然に消滅することなど、無い」
 眼鏡の奥でフェイトを見つめる審問官の瞳には、冷徹な色が浮かんでいる。
「だから今、私はこうやって君に話を聞いている。君から何か手がかりが得られるかもしれない。そう思ってね。それが噂を肯定するものか、それとも否定するものかはわからないが」
「……リンディ提督にも、おなじ事を……?」
「その質問に答える必要性はないな。私が今まで口にした内容だけでも越権行為ぎりぎりなのだよ。君は私の質問に答えればいい」
 アレンの声音は今までと変わりなかったが、フェイトはびくりと震えていた。
 いま、この場にフェイトを庇ってくれるものはなにもない。この部屋に入る際には、バルディッシュすら取り上げられた。
 孤独が心細さとなって彼女に襲いかかる。
「質問はそう多くない。心して答えたまえ」
「……はい」
 フェイトは男を正面から睨み返すことすら出来なくなっていた。
 うつむいて、磨き上げられた床だけを見つめる。
「まず、プレシア・テスタロッサについてだ。彼女は多くの資産を持っていた。それは間違いない。だが、その資産は一体どこに行った? その全てがあの移動庭園にあったというわけではあるまい?」
「……わかり、ません」
 真実だった。
 そもそも、フェイトにとってプレシアの資産など何の興味もないものだったからだ。彼女が欲しかったものはただ一つ。けれど、それがプレシアから与えられることは、結局なかった。
「ふむ……まあ、仕方のないことか」
 意外なことだったが、アレンはその言葉をあっさりと信じた。
 いや、信じていないのかもしれないが、少なくともその件についてこれ以上フェイトを追求するつもりはない。そのような意志が見えていた。
「では、次だ。プレシア・テスタロッサは本当に死んだのかね? 実は密かに助かっていた。そのような可能性は、無いのか?」
「……わかりません。わかるわけ、ありません」
 フェイトは首を横に振った。
 虚数空間に落ちていく母親の顔が、その脳裡を駆けめぐっている。あのとき、彼女は憑き物が落ちたかのように微笑んでいた。けれど、それはフェイトに向けられたものではない。その事実が、今も彼女の心を深くえぐる。
「わかり、ません」
 もう一度繰り返したその言葉は、震えていた。
「ふむ、わからない、か。なるほど」
 何事かを納得したような声。
 だが、フェイトはもうほとんどなにも考えられなくなっていた。心が痛い。あの一瞬を忘れられるわけなどなかったが、それでもその痛みはもうほとんど感じなくなっていたはずだ。なのに、今またその痛みが彼女を苛んでいる。
「もう一つだ。君を生み出した技術――つまり、プロジェクトF.A.T.Eだが、その技術に関して、君は何かを知っているかな? いや、そもそも君自身の身体がこれ以上ないサンプルの筈だ。リンディ提督によって何か実験のようなものを施された記憶は? 精密検査の時、彼女が提出した資料以上のものを調べられたりは――」
「もう、やめてください……っ!」
 血を吐くような、悲鳴。
 自分の手によって抱え込まれた少女の肩は、はっきりとわかるほどに震えている。
 床に落ちた水滴は、汗によるものではあるまい。
「ふむ、やめてあげたいのは山々だが、これも任務でね、子供といえど、容赦は――」
 冷酷な言葉が、戸惑った様子で途切れる。
「――ちっ、案外に手が早い」
 数秒ほどの沈黙の後、アレンはいまいましげに呟いた。
「仕方がない。手を回されてしまった。これ以上の尋問は許されないそうだ――ご苦労様、もう、帰って構わないよ」
 一瞬だけ怒りの表情を浮かべたアレンだが、すぐににこやかな表情へと戻り、上っ面の言葉を口にする。
 けれど、フェイトはしばらくの間立ち上がることすら出来なかった。ただうつむき、体を震わせているだけ。
「大丈夫かね、フェイト・テスタロッサ――」
「わたしは、フェイト・T・ハラオウンです」
 アレンが手を伸ばしかけたのを察したのか、フェイトは僅かによけるような動作を見せながら、きっとアレンの顔を睨み付けた。その目尻にはまだ涙が残っていたが、頬に流れた跡は消え去っている。
「それは、失礼した」
 アレンは伸ばした手の行き場に困った様子で、所在なげに頭を掻いてみせる。
「では、帰ります」
 視線を逸らしたフェイトは、当てつけるように勢いよく立ち上がった。
「……これは、あくまで独り言だが。ある執務官の資産が最近目立つ動きをしている。君に関わりがあるあの土地の所有者は、誰になっているのだろうね」
 捨てぜりふのように、部屋を出て行こうとするフェイトの背中へとそんな言葉が投げつけられる。
「――失礼します」
 振り向きもせず、フェイトはそのまま扉の向こうへと消えた。



 

「フェイト、大丈夫?」
 気遣うような声に、フェイトははっと我を取り戻した。
 よく見れば、そこは見慣れたアースラの食堂だった。フェイト自身、どこをどう歩いてアレンの私室からそこにたどり着いたのか、覚えていない。ただ、顔を上げると心配そうな表情を浮かべた顔が、彼女をのぞき込んでいた。
「リンディ、提督……」
 見回せば、クロノも、なのはも、はやても、ヴォルケンリッターの皆も、エイミィも、そして言うまでもなくアルフまでもが、その場にいた。
「……みんな」
「ごめんなさい。出来るだけフェイトにまで呼び出しが行かないよう、手を尽くしたのだけれど」
「アレン艦長は切れ者らしいな。先に手を回されていて、どうしようもなかった。すまない……僕たちの不手際だ」
 うつむくクロノに、フェイトは精一杯の微笑みを返そうとした。
 ううん、大丈夫だ。そんなに辛くなかったよ。そんな言葉を口にしようとして、けれど失敗した。
 肩が、震える。
 けれど大声を出して泣き出さずに済んだのは、突然力強く抱きすくめられたから。
「ごめんなさい……ほんとうに、ごめんなさい」
 リンディはそれ以外の言葉を忘れたかのように、ただそう繰り返す。
 伝わってくるぬくもりを感じて、フェイトはただあたたかい、とだけ感じた。冷え切っていたからだが、芯から温もっていくような、感覚。
 フェイトの身体が、震えた。それは、悲しみによる物ではない。頬を伝った涙もまた。
 彼女の肩に、ぽつりと水滴が落ちる。濡れたその場所は、ひどく熱い。フェイトを抱きすくめたままのリンディが流したそれは、決して演技で流せる物ではない。
 もう一度、フェイトはしゃくり上げた。
「ごめん、なさい……」
「何を謝ってるの。あなたにはなにも悪いことなんて無いのに」
「でも、ごめんなさい……」
 それ以上の言葉が、出てこない。
 二人はそのまま、しばらく互いに抱き合ったまま涙を流していた。
「落ち着いたか、フェイト」
 黙って二人を見守っていたクロノが、二人の涙が落ち着いた所を見計らって懐からハンカチを取り出した。涙でぐしゃぐしゃになった妹の頬をそっとぬぐい上げるその仕草はひどく自然だ。
「艦長も、そろそろフェイトを離してやってください」
「あ――ご、ごめんなさい。苦しかったかしら」
「え、えと……少し」
 ほどかれる抱擁を少し残念に思いながらも、フェイトは小さく息を吐く。
 実際、リンディの抱きしめる力が思ったより強かったので、そのままでは少しばかり息苦しかったのは確かだった。
「フェイトちゃん、大丈夫?」
「うん、もう、大丈夫。ごめんね、なのは。心配かけたかな」
「にしても、ずいぶんな災難やったみたいやね……」
「けど、もうそんなに辛くないから」
 気遣う二人に笑いかけるフェイトの表情は、数分前のそれが嘘のように明るかった。
 もちろん、まだ無理をしている様子はある。いくら強力な魔導師とはいえ、まだ幼い少女だ。そうすぐに立ち直れるほどタフではないだろう。
 けれど、若いからこその柔軟さがある。そう簡単には折れないはずだ。なにより、かけがえのない友人達が彼女と共にあるのだから。
「ところで、これからどうするんです?」
 ふと、はやてが振り返った。
「わたしたち謹慎組は本局からは出たらあかんのですよね? アースラからも追い出されますし、本局内もせいぜい市街区内での行動がある程度許されとるだけですし、ホテルを今から借りるのもちょっと大変です……ぶっちゃけ、どこに行けばいいんでしょ?」
「むう……」
 クロノは眉間を寄せた。実際、それは先ほどからクロノが頭を悩ませている問題のひとつだったからだ。
 本局の施設内には、士官や候補生達のために用意された個室が一応ある。だが、あくまでも任務の際、本局に駐留する必要が出来たときのためにある物で、お世辞にも居住に向いた場所ではない。そもそも、謹慎命令には本局主要施設への立ち入り禁止も含まれているので、利便性が高い場所に用意されたそれらの個室は今回使用が出来ない。
 彼女たちを地球に残してくることが出来れば問題はなかったのだろうが、時空間移動が個人でも可能なクラスの魔導師を非管轄の世界に放置してきて謹慎、などという言い分は通らない。全員が本局にて待機すること、という一文が謹慎命令には書き添えられていた。
「それに関しては問題ないわ」
 だが、対するリンディはなぜかひどく嬉しそうに指を一本立てて見せた。
 胸を張ったその姿は、やけに自慢げだ。
「――まさか、艦長」
 クロノの表情が、微妙に顰められた。
「まさかもなにも、それしかないじゃない。十人はちょっと大所帯だけど、受け入れられないわけじゃないわ」
「いや、確かにそういわれればその通りですが……あそこは」
「気にしない。どうせいつかは行かなければならなかった場所よ」
 リンディの微笑みに、クロノはそれ以上なにも言い返さなかった。
「わかりました。どのみち、選択肢はそれほど無い」
「クロノ……どうしたの?」
 おずおずと、フェイトが口を挟んだ。
 二人の母子以外は、この会話から完全に取り残されていた。なにか事情のある場所なのだろうということはクロノの態度から容易に知れたが、それ以上のことはまるでわからない。
「ああ。実は市街区に、住居がある。もう何年も空けたままになってるんだが。そこなら、十人ぐらいはなんとか寝泊まりできるだろう」
「ちょっと、クロノくん……それて、ひょっとしたら」
 少しばかり考え込んでいたはやてが、慌てたような声を上げる。
「――鋭いな、はやては」
 クロノは微笑んでいたが、その顔には複雑な感情が覗いていた。
「そう。クライド・ハラオウン――僕の父さんが生きていた頃、家族で住んでいた家だ」



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公開開始 2007/07/15