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#03 幕間の休息(A)


 


「うわ、素敵なおうちだ……」
 なのはが感嘆の声を上げた。けっして世辞とか、口先だけの言葉ではない。純粋に感心しているのが見て取れる。
「なのはさんのお家に比べれば、大したことはないわ。狭いし、庭もないし、しょせんマンションだもの」
 リンディの言葉に謙遜の気配はなかった。
 実際、海鳴市でフェイトたちが暮らすマンション――かつては時空管理局の臨時指揮所として機能し、いまはハラオウン家の自宅となっている――の倍以上の空間があると思われる住居は、集合住宅としては豪邸の部類にはいるだろうが、それでも旧家そのままのたたずまいを残しているなのはの自宅には、風格も広さも及ばない。まして、なのはの友人には本物のお嬢様が二人もいる。普通なら感覚が麻痺してしまうはずだ。ミッドチルダの様式でそろえられた調度が、なのは達には見慣れない物だった、ということもあるのだろうが、素直な感性を保っているのだという証でもあるのだろう。
「でも、すごいですよ。えらい高かったん違います? 街区シティの居住区って面積が限られとるからほとんど貸し出し扱いで、買い取りはそれなりにお金要ったはずですけど」
 はやても感心しきった声を上げた。その感覚がなのはとちがって幾分現実的な方向に向かっているのは、彼女が一家を預かる主だからなのだろう。
「そうね、たぶん」
 笑って、リンディは答える。その表情にはわずかな曇りもない。だが、聡いはやては、自分の言葉が失言だったことにすぐ気付いていた。
「えらい、すいません……気がつきませんでした」
「気にしなくていいのよ」
 リンディは笑う。
「ここを買ったときには、あの人が全部お金を出してしまったから……私も出すって言ったのだけれど、あの人ったら頑として聞いてくれなくって」
 あの人とは、言うまでもなくクライド・ハラオウンのことだ。クロノの父親であり、リンディの夫であった男性。若くして時空管理局の提督を務めた人物であったが、十一年前『闇の書』に当時乗船していたエスティアを支配され、最後には乗艦と運命をともにした。
 今は失われてしまった『闇の書』だが、はやての魔法はその『闇の書』――いや、『夜天の魔導書』に根ざしているものだ。むろんクライドの死についてはやてには何の責任も無い。だが、それでも罪悪感を覚えてしまうのは仕方のないことだろう。
「本当に、気にしないで。あの人がいないのは確かに寂しいけど、今はみんながいるもの。私はそれが嬉しいの」
「でも、このお住まいからずっと離れとったんは」
 クライドさんの事を思い出してしまうからやないんですか――と続けようとした言葉は、リンディが小さく手を叩いたことによって止められてしまう。
「はい、余計なことに気を遣わない。ここを使ってなかったのは、親子二人だけで過ごすにはちょっと不便だったからよ。わかった?」
「――はい」
 はやては頷くしかなかった。
「ねえ、フェイトちゃん、はやてちゃん、こっちにきて!」
「さ、行ってきなさい」
 はしゃぐなのはの声に、リンディは少しばかりいたずらっぽく微笑んだ。

 

「きれいに、整ってる……」
 何気なく開いたままになっていたドアをのぞき込んだフェイトは、少しだけ首をかしげた。
 ドアの向こう側にあった部屋はただの空き部屋のようだったが、長期間住んでいなかったというわりに、部屋の状況は悪くない。むろん、それなりにホコリは堆積しているようだが、軽く拭き掃除するだけで何とかなるだろう。とても数年間放置されていたとは思えない。
「たまに、掃除しにきてたのかな」
 軽く見て回っても、几帳面に掃除をした形跡が見て取れる。通り一遍のおざなりなものではない。部屋の隅にまで掃除が行き届いている。なんとなく、無言で真剣に掃除をしているクロノの姿が見えたような気がした。
 フェイト達とリンディが先に到着したのは掃除のためだったのだが、これならすぐに寝泊まりできる状態になるだろう。
「ここも、わたしのおうち、になるのかな」
 まだ実感は薄い。けれど、ここならとても居心地は良いのかもしれない。そんな風にフェイトは考えた。
「ねえ、フェイトちゃん、はやてちゃん、こっちにきて!」
 どこかでなのはが呼んでいる。はしゃいでるその声から察するに、なにかおもしろいモノを見つけでもしたのかもしれない。
 フェイトは床にのばしかけた手を引っ込め、きびすを返した。
「お、フェイトちゃん、そんな所におったんか」
「うん、ちょっとね。でも、なのは、何見つけたのかな」
「なんやろ。これだけのお家や。サプライズのひとつくらいあってもおかしないけど……」
 顔を見合わせながら、二人は並んでなのはの声がした方へと向かう。廊下の奥の方、つきあたりだ。幸い、ハラオウン邸はバリアフリーを考えて設計されているのかほとんど段差が無く、車いすのはやてでも苦もなくそこまで移動することが出来る。リビングを横切り、やたらと長い廊下の先、開かれたドアの向こうにある小部屋で、なのははやたらとはしゃいでいた。
 その理由は、すぐに判明する。
「すごい、お風呂だ……」
 彼女たちの前に広がっていたのは、湯船だけでひとつの部屋くらいはありそうな、個人宅のものとはとても思えないサイズの浴室だった。
「銭湯みたいだよね」
 壁に三つ並んだシャワーのノズルを見て、なのはは素直な感想を漏らした。高町家の浴室も一般家庭のものとしては比較的広い方になるだろうが、この浴室とは比較にならない。
「そうだね。なのはと一緒に行った、あの大きなお風呂ほどじゃないけど」
 フェイトが少し懐かしむように言う。
「あー、スパラクーアやったっけ。そういえば、あそこでなのはちゃん達とニアミスしてたんやったね」
「そうそう。あのときは残念だったよね」
 三人ははしゃぐ。ほんの一年ほど前の話だが、三人にとってはひどく懐かしい思い出になっているのだろう。
「あのときはエイミィさんとおねーちゃんたちに誘われて行ったんだよ」
「そやったんか。こっちはちょっとしたトラブルで、お風呂を沸かし損ねてしまったんよ。お風呂が沸くのを待ってもよかったんやけど、遅くなるのもいややったから」
「へえー、すごい偶然だよね」
「それですれ違ってしもた、ゆーのも面白いな」
 二人はぐっと盛り上がった。
 が、フェイトはそれに交わらず、ふとこの場にいない人間の名前を口にする。
「美由希さんは仕方ないけど、エイミィも来られたら良かったのに」
 なのはとはやては一瞬口をつぐんだ。
「仕方がないよ。エイミィさんにはいっぱい仕事があるんだから」
「それに、わたしらがここにお世話になるのは、行く所がないからや。エイミィはちゃんと帰る所があると思うけど」
「……そう、だね」
 フェイトはいまいち釈然としない表情だったが、小さく頷いた。
「また、エイミィさんとおねーちゃんを誘って、みんなで行こうよ」
「うん、そうしよう」
 なのはの提案に、フェイトはあらためて首を縦に振る。
 いつも一緒にいると言っていい彼女のことだ。いつでも機会はあるだろう。
 それからあらためてフェイトは浴室を見回した。
「ここでも、いいかもしれないね」
「うん、みんなで入れそうだもんね」
「ほんま、すごい広さや……」
「あの人がね、どうしてもってこだわったのよ。お風呂は大きい方がいい。家族全員で入れば気持ちいいじゃないか、ってね。ずいぶん困ったんだけど、出来ちゃったものは仕方なくて」
 三人の背後に立ったリンディが、苦笑混じりの声で説明した。
「ここを使わなくなった理由のひとつなのよね……一人で入るには広すぎるし、コストも嵩むでしょう? お風呂はできるだけ毎日入りたいけど、かといって、こんなお風呂を毎日使うのも不経済だし。どうにも、暮らしづらくなったのよね……だから、中央センター近くの寮を使うようになっちゃったの。あそこなら普通サイズのお風呂が使えるから」
 嘆息する彼女に、三人の少女は顔を見合わせた。
 もうちょっと感傷的な理由でこの住居を使わなくなったのだと思っていただけに、いささか拍子抜けしたのだろう。
「でも、これだけ人数がいればこのお風呂も本領発揮が出来るわね。さあ、早めにお掃除を終わらせてご飯を食べたら、ゆっくりお風呂に入りましょう」
「はーい」
 三人の元気な返答を聞いて、リンディはこれ以上ない満面の笑顔を浮かべた。

 

「遅くなりました」
「買い物、終わったぞー」
「ごめんなさい。ちょっと迷っちゃって……」
 玄関先からヴォルケンリッターたちの声が響く。
 クロノを先頭にして、六人の人影が玄関をくぐり抜けた。それぞれが山のような荷物を抱えている。もっとも、ベルカの騎士とはいえそれほど腕力があるわけではないシャマルは買い物袋を二つぶら下げているだけだが。
 クロノは居間の中央にたどり着くなりへたり込んだが、それはまだ充分に傷が癒えてないからだろう。あわてて、フェイトが介抱に走る。
「おー、ご苦労さんや」
「まったく、人をなんだと思ってるんだ。山ほどモノ持たせやがって」
 ヴィータの文句も、仕方はないだろうと思えるほどの量だ。小柄なヴィータなどは荷物と運ぶ本人の体積比率が明らかにおかしい。
「文句を言うな、ヴィータ。我らは世話になる身だ。この程度の労働を厭うものではない」
「わかってっけどよー」
 ぶつぶつ言いながらも、ヴィータは律儀に背負った荷物をひとつずつ下ろしていった。
 食料品、簡単な寝具、衣料品、キャンプなどで使うようなプラスチックの食器類、その他諸々の小物。当面の生活に必要だと思われる各種物資が、リビングの中央に小さな山を築く。
「迷った……? クロノ、自分の家を忘れたの?」
 怪訝な顔をしたフェイトに、クロノは冗談じゃないと抗議した。
「僕が道を忘れるもんか。たまの休みにここを掃除していたのは、僕なんだから」
「あ……やっぱり、そうなんだ」
 フェイトは少し納得した。そして、自分の印象が間違っていなかったことにちょっとした喜びも覚える。
「まめに掃除してたから、こんなに急な事情でもすぐ使えるのよね」
 えへん、と胸を張ってみせるリンディを、クロノはジトっとした目つきで睨んだ。
「母さんは滅多に掃除にも来ませんでしたが」
「そうなのよ。提督のお仕事って、忙しいのよね」
 しれっとため息を付いてみせるリンディに、クロノは少しばかり不満そうな表情を浮かべた。だが、それ以上何を言っても無駄だと判断したのだろう。その視線は、ヴォルケンリッター+約一名の方向へと向けられる。
 クロノの視線に気付いたのだろう。ヴィータがあからさまにふてくされ、アルフは慌てて視線を逸らした。
「アルフ……」
 少し眉根を寄せたフェイトに、慌ててアルフは両手を振ってみせる。
「あ、あたしはさ、ただこんな時だし、景気づけに肉が多めの方がいいかなーって、そう思ったんだ。だから――」
「嘘つけ! てめー、こっそりと荷物に自分用の肉を紛れ込ませてただけじゃねーか!」
 ヴィータが唐突に立ち上がって、怒鳴りだす。
「何だって!? むりやりバケツサイズのアイスを買おうとしてたのはどこの誰だよ!」
「あれは十人分ならそれくらい要るだろって判断したからだ。てめーみたいに勝手な判断で突っ込んだわけじゃねー」
 猛烈な口論を開始する二人。
 どうやら、二人が担当した食料品の買い出しで、いろいろと意見の相違が発生した、ということなのだろう。

 しかし。

「――二人とも」
 クロノの咳払いに、二人の論争が一瞬で収まる。
「買い物の内容については、任せた僕にも責任がある。しかし、喧嘩したあげくに別行動を開始、などという勝手を許した記憶はないのだが」
「あは、あはははー」
 アルフは顔を引きつらせながら、笑った。
「慌てて皆で探しに走ったのだが、なにしろあの巨大なショッピングセンターではなかなか見つけ出せなくてな」
 シグナムは少しわざとらしいため息をついてみせる。
 街区シティの中央にある総合ショッピングセンターは、本部で生活する人員の日常を支える重要な拠点だ。必然的に売り場面積は膨大なものとなる。人が多いこともあり、食品売り場に限定しても、人二人を捜し出すには相当の苦労があっただろう。
「ヴィータ、あんまり困らせるようなことしたらあかんて、言ってるやろ。ご飯抜きにするよ?」
「う……そ、それは」
「そうそう、悪い奴にはお仕置きをしないとね」
 がくりとうなだれたヴィータに、アルフはからかうような言葉を向ける。
 が、はやての視線はそのままアルフにも向いた。
「アルフ、あんたもや。ちょう反省せんとあかんよ。反省せん子に、ご飯はあげられへん」
 たとえ友人の使い魔であろうとも、全く容赦なしである。
「え、あたしもメシ抜き!? そ、そんなぁ」
「当たり前や。二人ともちょおここに座り。ええか、買い物かて任務のひとつや。任務いうんは――」
 はやての説教が始まった。
 アルフもヴィータもしょんぼりとうなだれたまま正座で説教を聞いている。
「アルフ、情けない……」
 これでは誰の使い魔なのかわからないと、フェイトは小さくため息を付いた。
「あはは、はやてちゃん、貫禄あるね」
 なのはも苦笑いでその光景を眺めている。
「はい、そこまで」
 笑いながら成り行きを見ていたリンディが、小さく手を叩いた。
 叱られていた二人はあからさまにほうっとため息を吐き、はやては幾分不満げな表情を浮かべる。
「けど、リンディ提督――」
「謹慎中なんですから、提督は無し。せっかくだし、今日は無礼講よ」
 リンディが浮かべた満面の笑顔に、はやても怒る気を無くしてしまったらしい。
「はい、わかりました」
「よろしい。今日はみんな仲良く謹慎なんですから、みんなで仲良くご飯にしましょう。はやてさん、シャマルさん、手伝ってくれるかしら?」
「はーい」
「あ、はい、今すぐ」
 はやてと、はやての分もエプロンを用意したシャマルが、慌ててリンディの後を追う。
「はー、助かったよ」
「はやては、怒るとちょっと怖いからな……」
 なぜか正座のままの二人が、ぼそぼそとそんな会話を交わしていた。
「うーん……」
 クロノはクロノで、なぜか難しい顔をして考え込んでいる。
「……どうしたの? クロノ」
「いや、なにか、激しく間違っているような気がするのだが」
 きょとんとしたフェイトに、クロノは唸るような声で答える。
「偶然だな。私も、何か間違っているような気がする」
「シグナムまで……?」
 フェイトはなんだかわからないと言うように首を捻り、それからふと思い出したようにぽつりと呟いた。
「えと、そういえば、謹慎処分って、任務に失敗したペナルティなんだよね? みんな、楽しそうにしてるけど」
「――む」
「――おお」
 本質を突いた言葉に、二人はすこし目を見開く。
「……気付いていなかったのか」
 黙って様子を見ていたザフィーラが、ぽつりと呟いていた。

 

☆  ☆  ☆

 

「うう、なんだかひどい仲間はずれを受けてる気がするんだけどー!」
 抗議の声は、広い空間にむなしく響く。
 人気が少ないアースラの艦橋。主要スタッフの姿がほとんど見えないその片隅で、エイミィはぐったりとコンソールに突っ伏していた。
「きっといまごろなのはちゃん達は楽しくやってるんだろうなー。みんなでテーブル囲んでパーティしてるのかも。いや、ひょっとしたらお風呂で仲良く洗いっことかー」
「……艦長達は謹慎ですよ?」
 思わず、近くのコンソールに向かっていたアレックスが呆れた声を上げた。
 もっとも、エイミィの妄想が当たらずとも遠からず、という事実を知ったら彼も同様の反応を返すかもしれないのだが。
「まあ、仕方ないですよ。処理しなきゃいけない仕事は、それこそ余るほどあるんですから」
 二人のためにコーヒーを持ってきたランディが、苦笑しながらカップを差し出す。
「あ、ありがと。――あれ、これ、もしかして翠屋の?」
「ええ、さすがですね。艦長からの差し入れですよ」
「へへん。けっこう行きつけだしねー」
 胸を張りながらもう一度カップを傾け、エイミィはふう、と一息つく。
「――うー、けど納得いかないんだよねえ……」
 多少落ち着いた様子だが、やはりなにやらぶつぶつとこぼしている。
「まあ、確かに謹慎と言っても臨時休暇みたいな感じでしたけど、ここのところ艦長は俺たち以上の激務でしたし、たまには休みがあってもいいじゃないですか」
「違うよ。そこじゃない」
 エイミィの表情は真剣なものに戻っている。
「レティ提督も言ってたけど、謹慎処分が早すぎるんだよね。その割に処分内容はやたらとゆるいし、まるで艦長を本局に釘付けにしようとしてるみたいで――」
「その可能性は、確かにあるわね」
 口を挟んだ四人目の声に、リラックスしかかっていた三人は揃って背筋をぴんと伸ばした。
「れ、レティ提督!?」
 三人の視線が集ったその先、ブリッジの入り口にその人物はいた。
「ああ、構わないで。デュランダルの損傷データを取りに来たついでにちょっと寄っただけだから」
 固まってしまった三人に笑いかけながら、レティは手近な席に腰を下ろす。
「提督自ら、ですか?」
 エイミィの言葉に、レティはそうなのよ、と相づちを打った。
「どこも人手が足りないのは一緒よ。マリーが取りに来る予定だったんだけど、デュランダルの損傷が思ったより厳しくて、手が離せないようだったのよね。ちょっと、ついでにアースラの様子も見ておきたかったし」
 おそらく、部下であるマリーの様子を見てレティが気を利かせたのだろう。良い上司であるのは間違いないが、後でマリーはひどく恐縮するだろうな――そんなことを思いながら、エイミィはなるほど、と頷く。
「管理局って言っても一枚岩じゃないわ。詳しくは言えないけど、いろいろあるのよ。今回の謹慎処分も、妙な所から出てきてる。困った話だけど、こっちにとっては悪くない話だわ」
「艦長が、謹慎処分になったのに、ですか?」
「だからこそ、よ」
 レティの目が、剣呑な光を帯びる。
「何が目的かは知らないけど、余計な手を出したこと、たっぷりと後悔させてあげるわ」
 エイミィはぞくり、と背筋を震わせていた。

 

☆  ☆  ☆

 

「うわあー」
 浴室へと真っ先に飛び込んだなのはが、歓声を上げる。
「すごいね」
 広い浴室には湯気が立ちこめ、反対側の壁が見えにくくなっている。もちろん、相応の広さがあるからこそ、そんなことに気付けるのだが。
 先ほど確認していた広さではあったが、こうして湯船にお湯が満たされ、お風呂本来の姿を取り戻すと、やはり覚える感動は一段違うものになる。
「ほんま、あらためて広さに呆れてしまうよ」
「確かに。立派なお風呂です」
 はやてと、彼女を抱え上げるシグナムも、感嘆の声を上げる。
「…………」
「…………」
 ふと、シグナムは奇妙な視線を感じて視線を下げる。すると、じっと見上げる二対の眼と視線があった。
 言うまでもなく、それはなのはとフェイトの視線。
「――どうした?」
 その瞳に浮かんだ奇妙な色の意味をはかりかね、シグナムはつい尋ねてしまう。
「――こっちも、立派だ」
 ぽつりと、フェイトがそんな言葉を口にした。
「うん。すごい、立派だね」
 なのはも、うなずきながら感嘆する。
「なにを言って――っ!?」
 僅かに遅れて、シグナムはその言葉の意味に気付いた。
「大きいだけじゃなくって、やわらかそうで、形もいいよね」
「うん、なんていうか、理想型? でも、なんだかどんなに頑張っても届きそうにないんだけど」
 狼狽するシグナムをよそに、二人はいきなり評論を開始していた。
「な、な、なっ!」
 もちろん二人には何の悪意もないのだが、シグナムにとってはもはや関係のないことだ。
「まー、でっけーだけだけどなー」
 ヴィータはうろたえるシグナムをにやにやと傍観しながら、そんな憎まれ口を挟む。
「でも、ええ事もあるよー。こうやってだっこされてると、やらかい感触が気持ちええんよー」
 とどめを刺すように、シグナムに抱えられたはやてまでがそんな言葉を口にする。
「あ、あ、主はやてっ!?」
 だが、そんな抗議の言葉など聞こえなかったかのように、はやてはがばっと腕を伸ばした。シグナムは抵抗もできず、はやてのなすがままに蹂躙される。
「ほら、こうやったらほんま弾力が感じられるんよ。だっこされた人間だからこそ味わえる感触や」
 だっこの体勢から力一杯シグナムの首根っこに抱きついたはやてが、本当に幸せそうな声を上げた。
「あーっ、いいなー」
 なのはが上げた羨望の声は、ひょっとしなくとも思いっきり本気だった。
「ふっふっふっーん、でもな、これは主だけの特権なんよー」
「あ、あ、主……」
 シグナムは顔を真っ赤にしたまま、硬直している。この状況から待避しようにも、はやてを放り投げるという選択肢が最初から存在しない彼女に、取ることのできる行動はなかった。
「あら、ずいぶん楽しそうね」
 遅れて入ってきたリンディが、そんな彼女たちの様子を見て和やかに微笑んだ。自然、なのはやフェイトの視線もそちらに向かう。
 まだ若いとはいえ、もう十代後半になる息子がいるとは思えない、整ったプロポーションだ。出る所は出て、引っ込む所はしっかり引っ込んでいる。シグナムのそれほど刺激的ではないが、女性としての魅力は十分すぎるほどにある。なにより、ごまかしが利かないはずの肌にはまだ張りと艶がある。まるで極上の磁器のようだ。
「はあ……なんかすごいね」
「そやね……なんていうか、完璧超人?」
「将来の目標、だね」
「? そう? なんだか嬉しいわ」
 会話の意味を良く理解できていないらしく、リンディは微笑んだままだ。もっとも、理解していたらもっと喜んだかもしれないのだが。
「けど、ほんとすげーな」
 こちらはなのは達ほどそのあたりの話題に興味がないらしいヴィータが、浴室内を見回してもう一度大きくため息を吐いた。
「いいなー、テスタロッサは」
「え……?」
 ヴィータの言葉に、フェイトは戸惑った声を上げる。
「だってよー、ここはリンディ提督の家なんだろ。だったら、テスタロッサの家でもあるわけじゃねーか。つまり、このすげー風呂もテスタロッサのもんだろ?」
「え、えと……そう、なるのかな?」
 すこし顔を赤くしながら、フェイトは浴室をあらためて見回した。
 やはり、フェイトにとってはいまいち現実味に欠ける光景だ。もちろん、嬉しくないわけではないのだが。
「そうね、そう言う考え方もあるわね。それじゃあいっそのことフェイトの湯、とでも名付けようかしら?」
 ヴィータの言葉を受けて、リンディはにこにこしながらそんな言葉を口にする。
「そ、それは……」
 フェイトは顔を真っ赤にして、俯く。
「――ちょっと、遠慮します」
「あら、そうなの? 残念」
 本当にがっくりと、リンディは肩を落とした。
「……ひょっとして本気だったのか、あれ」
「……かも」
 なのはとヴィータが、固まってしまったフェイトの背後でこっそりと会話を交わす。
「あはは……」
 はやての表情も、さすがに引きつっていた。
「さて、湯船に浸かるまえに、ちゃんと身体を洗いましょ。ボディソープは――はい、これと、これ」
 リンディは浴室の隅に置いてあった真新しいボトルを手に取った。先ほどクロノ達が買い出しの際に買ってきた物で、当然のように未開封だ。
 ひとつだけではなく、ボトルはシャワーの口の数に合わせて三つ用意されている。
「でも、リンディさん。一度に三人ずつしか洗えないですよ?」
 現在浴室にいるのは計六人。呆れるほど広い湯船があるだけにこれでもまだ余裕があるくらいだが、シャワーの口の数はそれを考えるといささか不足している。だが、なのはの疑問に、リンディは胸を張って答えた。
「ふふふふふ。それは、もちろん二人一組で流しあいっこで洗うのよ!」
 ざっぱーん。
 なぜかあるはずもない波頭の砕ける光景が、リンディの背後に心象風景として具現化した。無意味に握られた拳も、ふるふると震えている。
「とりあえず、シグナムさんとはやてさん。なのはさんとヴィータさんでそれぞれ組になってね」
 嬉しそうに配置を決めるリンディに、なんとなく一同は抗議することが出来ないでいる。
「で、私はフェイトと洗いっこ。んもー、隅々まできれいに洗っちゃうわよ?」
「え、あ、あの」
 なにか良くない気配を感じ取り、おもわずフェイトは後じさっていた。
「考えてみれば今まで忙しくってなかなかフェイトとは一緒にお風呂に入れなかったもの。ここでたっぷりと親子のスキンシップを楽しみましょうねー」
 わきわきと指を動かしながらフェイトににじり寄るリンディの目つきはほとんど変質者のそれであったと、のちにはやては述懐している。
「それじゃヴィータちゃん、よろしくね」
「……いや、アタシは一人でいいから――」
「まあ、そう言わず。リンディさんの命令なんだし」
 うふふ、と笑いながら、なのはもヴィータを追いつめつつあった。
「ぶ、無礼講じゃなかったのかよー!」
「それはそれ、これはこれなの」
 逃げようとしたヴィータは、だがあえなくタックルのように抱きついてきたなのはに捉えられる。普段は運動神経皆無なはずのなのはだが、このときだけは歴戦の騎士であるヴィータの動きを明らかに上回っていた。
「うわ、ヴィータちゃんふにふにのすべすべだ」
「わあっ! やめろ、ちょっ、まっ、どこ触ってんだこらーっ!」
 ここにもまた一人変質者が居た。シグナムは後日そう語ったものだ。





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公開開始 2007/9/9