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#03 幕間の休息(B)
もちろん、風呂場での大騒ぎは外にまで筒抜けだった。
「あーん、なんだか楽しそう……いいなあ」
流し場で食器を洗うシャマルは、恨みがましい目で自分の手を見つめる。じゃんけんで負けたのは彼女自身の不覚だったが、逃した魚は想像以上に大きかったのかもしれない。
「うう、この手がチョキさえ出していれば今頃は――なんでグーなんか出したのよー、あなた」
責任を思いっきり自身の手に転嫁して、悪態を吐いてみたりする。だがそれも予想以上に空しい行為でしかなかったのか、ふう、とため息をついて、シャマルは最後の食器を乾燥用のトレーへと乗せた。
『り、リンディ提督、やめてくだ――』
『だーめ、お母さんって呼ばないとやめてあげません』
『お、おかあさ――わぷっ』
『あーん、かわいいっ! もうはなしてあげないんだから』
ひときわ大きな嬌声がはっきりと響いてくる。
「何をやってるんだ、あれは……」
リビングに戻ってきたクロノが、げっそりとした表情で頭を抱えた。
「とりあえず寝室の用意は出来た。シャマル、まだ片づけるものがあるならやっておくから、お前も風呂に入ってくるといい」
「ありがとう、ザフィーラ。とりあえずこっちも終わったからゆっくりしてていいわ」
ザフィーラの勧めに応じて、シャマルはエプロンを外した。
バカ騒ぎも一段落したのか風呂場からの声もそれほど聞こえなくなってきている。洗い場の面積が限られているので一緒に入る人数は制限されたが、後から入るなら余裕はあるだろう。
「アルフはどうするの?」
「アタシはパスだ。あとでゆーっくり広い風呂を独占させてもらうよ」
子犬形態に戻って床にだらしなく伸びたアルフは、その姿勢のままぱたぱたとしっぽを振る。
「それじゃあ、遠慮無く……ああ、そうだ。さっきユーノ君から連絡がありましたよ」
「ユーノから? なにか重要な用件が?」
「いえ。無限書庫の仕事が一息ついたんでこっちに遊びに来るそうです。場所、教えてしまったんですけど、構いませんでしたよね」
「ああ、問題はないが」
「よかった、それじゃお風呂に行ってきます」
ああ、と手を振ってシャマルを見送ったクロノは、ついでのように視線を時計へとやった。そこに表示された時間は、クロノを少し呆れさせる。
「こんな時間までこき使われているのか。とくに差し迫った案件はなかったと思ったが」
「んー、泊まり込みも多いらしいよ」
クロノの独り言に、アルフがぽつりと漏らした。なのはから伝え聞いた話なのだろうが、ひどい話だ。
無限書庫は重要な施設だ。近年までろくに情報の整理もされていなかったが、そこに蓄えられていた多くの記録は、まさしく全世界の歴史でもある。そこに現れたスクライア一族の少年が見せた高度な検索・処理能力は、司書長自らが飛んでスカウトに来るほど衝撃的なものだった。古代史の探索、研究を生業とするスクライア一族の少年にとっても、無限書庫の司書はまさに天職であり、両者はほとんど即決といっていい勢いで合意することになった。そのユーノもすでに次期司書長として指名される事が内定しているらしく、今は蔵書の整理だけではなく、実務引き継ぎのための事務処理にも追われているという。将来を嘱望されているがゆえの激務というわけだが、それでもまだ彼は十代の少年だ。かなり酷な仕事であるのは間違いないだろう。
「まあ、なのはと顔を合わせて元気が出るというのなら、安い話だな」
「でも、元気出したらこき使うんだろ?」
「そこまで非道じゃない。むしろ、できる限り休みが取れるよう、便宜を図ってるくらいなんだが」
心外だ、とクロノは鼻を鳴らす。
「へー」
『来客でぇーす』
アルフの気の抜けた返事に、玄関の方から響くリンディの声が重なった。とはいえ、本人はいまだ入浴中だから、そちらから彼女の声がするわけはない。あらかじめリンディが吹き込んでいた呼び出しメッセージだ。
「ああ、入ってくれ」
クロノの声に反応して、扉が開いた。
「お邪魔するよ――って、ずいぶん広いマンションだね」
現れたユーノは、少しばかりしわの目立つ管理局の制服を着たままだった。
「ああ、遠慮せずくつろいでくれ。しかし、ずいぶん疲れてるようだが」
「うん。もう三日は泊まり込んでるからね。一番きつい所は抜けたけど」
「……後で風呂に入っていけ。着替えは用意しておく」
「ありがとう。言葉に甘えるよ――で、謹慎だって?」
「少しばかり、失態をな」
クロノはいまだ包帯に包まれたままの右手を差し上げて見せた。回復魔法の支援があるのであと2〜3日もあれば包帯も要らなくなるだろうが、それでも重傷には違いない。
「大丈夫なのか?」
「まあ、謹慎の間には直るさ」
「そうか……ところで、なのは達は?」
ユーノはきょろきょろとリビングを見回した。もちろん、女性陣はアルフを除いて入浴中なので、その姿が見えるわけもない。
「ああ、彼女たちに怪我はない。不幸中の幸いだな」
「いや、そうじゃなくって……お風呂?」
なにやらまた聞こえてきた嬌声に、ユーノは不思議そうな顔をした。無理もあるまい。姿の見えない女性陣の数が多すぎるし、聞こえてきた声も明らかにかなりの人数のものだ。
「ああ、うちの風呂は広くて……な……」
「へー、そうなんだ」
「何を、している」
クロノの声が、ひどく険しいものになっていた。
「え? 何って?」
答えるユーノの声には、まるで邪気がない。
「何でその形態になっているのかと、聞いているんだが」
「いや、別に……って、なんで僕を掴んでるんだよ、クロノ。ちょっと苦しいんだけど」
「いいから、答えてみろ」
クロノの顔は、真剣だった。その手にがっちりと掴まれてしまった小動物は、さすがに身動きもとれないらしい。もちろん、その小動物は言うまでもなく――
「そのフェレット形態に変身した理由を今すぐ自白しろ。さもなくば、今ここで処分する」
瞳に浮かんだ光は、それが掛け値なしに本気であることを示している。
「や、やだなあ、ちょっとお風呂に入ろうかなって思っただけだよ。さっきクロノ自身が勧めてくれたじゃないか。先客もいるし、邪魔にならないようにちいさくなっただけだって」
はっはっは、とクロノは笑った。
「よしわかった。今すぐ絞ってやる。余計な邪念が出尽くすまで念入りに」
「ちょっと待て! 怪我はどうしたんだよ!?」
「大丈夫だ。今治った」
「わああっ!? ギブギブ!」
クロノに一切の容赦なし。フェレットに似たけだものの身体が、あっさりと九〇度捻られる。
「きゅーっ!?」
哀れな悲鳴が、響き渡った。
☆ ☆ ☆
「あれ? 何か聞こえなかった?」
「なんや、さわいどるみたいやけど……」
「でも、リビングに残ってるのって、クロノ君とアルフさんとザフィーラさんだけだよ?」
肩までお湯に浸かったなのはとはやてが、顔を見合わせた。
「ザフィーラはそうそう騒ぐようなたちでもありませんが……来客でもあったのでしょうか」
「ああ、きっとユーノ君が来たんですよ」
一人体を洗っていたシャマルが口を挟む。
「さっき遊びに来るって連絡があったんです」
「へえ……じゃあ、一緒に入りに来るのかな?」
さらっと口にされたなのはの言葉に、はやては危うく湯船の中でひっくり返りそうになっていた。
「……なのはちゃん、それは、ちょお、どうかと……」
「え、どうして?」
「どうして、て……」
口元をひくつかせながら、はやてはちょっとだけユーノに同情した。全く異性として意識してもらえていないという事実に。――もっとも、ユーノの行動を知っていたら、彼女も全く同情などしなかっただろうが。
「フェイトちゃん、どうしたもんやろ――」
「えと、どうなの、かな」
困ったような、それでもひどく嬉しそうな笑顔を浮かべたままの彼女に、はやてはそれ以上今の件について議論しようとする気を無くしていた。もちろん、フェイトの場合、ユーノが入ってくるかも知れないことを喜んでいるわけではない。
「ええねー、フェイトちゃん。気持ちよさそうやし」
「……そ、そうかな」
その顔は、真っ赤だ。まだお湯でのぼせるには早いというのに、だ。その理由は、彼女の背後にあった。
「ほら、もっと遠慮せずにくっついていいのよー」
いきなり伸ばされた腕が、フェイトの小さな身体を強引に抱き寄せる。もちろん、それは言うまでもなくリンディの腕だ。広い湯船でわざわざ身を寄せ合う必要などありはしないのだが、リンディがあまりに嬉しそうな表情でフェイトを引き寄せているので、誰も無粋なことは口にしなかった。
当のフェイトも、顔は真っ赤だが、決して嫌がっているわけではない。単に慣れない経験なのと、なのはやはやての視線が恥ずかしいのだろう。
「本当、嬉しいわ。クロノは親離れの早い子だったし、男の子だから、物心ついた頃にはなかなか一緒にお風呂にも入ってくれなくなってたのよ」
「そう、なんですか?」
「そうなのよー。『もう僕は一人でお風呂に入れます』なんて堅苦しい言い方でね」
不満を隠しもせず、リンディは口をとがらせる。
「けど、こうやってフェイトと一緒にお風呂に入れたのは幸せよ。女の子も欲しいなって、思ってたし」
ぎゅっと抱き寄せるリンディは、実に幸せそうだ。
フェイトものぼせそうになってしまいながらも、喜びを感じていた。プレシア相手には望んでも得られなかった、過剰なほどの愛情。もちろん、フェイトの育ての親的な存在であったリニスから与えられた愛情はとても深いものだったが、彼女は己がいつか消えるということを知っていたためか、それともプレシアに対する遠慮があったのか、必ず一歩引いた位置でフェイトに接していた。年齢の割に大人びているとは言っても、やはり幼い少女だ。触れあいがないということを寂しく感じて当然だろう。
フェイトが憧れ、得られなかったもの。望んではいけないのだと半ば諦めつつあったもの。それが、今の彼女を包んでいる。
背中に触れるリンディの柔らかい感触はいささか恥ずかしくもあったが、触れ合った肌から伝わってくるぬくもりが、フェイトにはひどく心地よく感じられた。
「あは、フェイトちゃん、嬉しそう」
「あ――うん」
なのはの言葉に、こくりとうなずく。フェイトが幸せそうなのが彼女にとっても喜びなのだと、はっきりそう語っているなのはの表情を見れば、否定する必要などありはしなかった。
「なんか、ええなあ」
はやても笑顔を浮かべて、そんな母娘を見つめている。
「わたしももう両親はおらんから、そういうのにはちょお憧れるな」
「――あ、ご、ごめんね、はやて」
フェイトが表情を曇らせたので、慌ててはやては手を振って否定した。
「いや、ちがうんよ。別に、気にしてるわけやない」
「でも……」
「あら、ならはやてさんもうちの子供になる?」
そんな二人に、リンディは迷った様子もなくそんな言葉を口にした。それは、ただの軽口ではない。おそらくはやてが頷けば、リンディは嬉々として手続きを開始しただろう。
けれど。
「うーん、魅力的な提案ですけど、ご遠慮します」
はやてはためらいもせず、断りの言葉を口にした。
「わたしには、大切な家族がようさんおりますから」
シグナムに寄りかかったはやては、さらにヴィータと、会話の合間に遅れて湯船に浸かってきていたシャマルの腕を引き寄せ、笑う。
「主はやて……」「はやて……」「はやてちゃん……」
騎士達は口々に、愛する主人の名前を呼ぶ。笑ってそれに応えるはやての表情には、子供の素直な愛情と共に、母親のそれにも似た雰囲気が漂っている。
「わたしの腕には多すぎるくらいの幸せやから、これ以上は遠慮しときます」
「――そうね、残念だけど」
提案を断られたリンディだが、気分を害した様子は全くなかった。最初から予想していた回答だったのかもしれない。
「それに、レティ提督が怒りますよ? 人の戦力に手を出すなって」
「あら……それは困ったわね」
はやての軽口に合わせ、大げさに眉間を抑えてみせるリンディ。
浴室内に笑い声が満ちる。
「さて、フェイトは確か髪を洗うのが苦手だったのよね?」
ひとしきり笑った後、リンディは思い出したようにそんなことを口にした。
いや、そのようにふるまってはいるが、きっとタイミングをずっと計っていたに違いない。誰の目にも明らかな、見え見えの切り出しかただったが、フェイトは素直に首を縦に振った。洗髪が苦手なのは確かな事実だったし、リンディから切り出されなければきっとフェイト自身から切り出していた話題だろう。
「えと、その、目が開けられなくって……」
「じゃ、今日は私が頭を洗ってあげましょ。せっかくだし」
「はい――その、お願いします」
そんなに堅くならなくてもいいのに、と笑いながら浴槽を出たリンディは、そこでふと妙な表情をした。
「あら……?」
「――どうしたんですか?」
「シャンプーがないわね……」
彼女が手にした容器は洗髪料ではなく、コンディショナーのものだった。きょろきょろと浴室内を見回すリンディだが、広い浴室をいくら見回しても、無いものが見つかるわけはない。
「おかしいわね……持ってこなかったのかしら」
「確かきちんと購入した筈ですが――」
買い物でそのあたりの雑貨を担当したシグナムが、少し考え込んだ。
「ああ、重くなったので、荷物を分けなおしたときに別の袋に入れたかもしれません」
「なら、買い物の山の中に残ってしまってるのかしら……」
少し思案して、リンディはついと空中に手を伸ばした。空中に簡易型のコンソールが浮かび上がり、リンディの操作に答える。
『――なんですか』
短時間のタイムラグの後、クロノの声が浴室に響いた。もちろん空中に展開したパネルは映像の送受信も出来るのだが、さすがに入浴中なので展開しない。
「どうしたの、クロノ。何か物音がするけど……ネズミでも出たのかしら」
キューキューという小動物の悲鳴らしいものを聞き取ったリンディが、眉をひそめた。
『似たようなものです。とりあえず、もう問題ありません……で、何か?』
「えっと、シャンプーを忘れたみたいなの。持ってきてくれないかしら」
『それは、構いませんが――じゃあ、浴室前に置きますから、そちらで取ってください』
そこまでの会話には、何の問題もなかったと言っていい。
だが、リンディはふと些細な悪戯心を出してしまった。彼女としてはこの生真面目でぶっきらぼうで、しかし純情な所のある息子をからかいたくなってしまっただけなのだが――
「なんだったら、クロノも一緒に入ってもいいのよ」
『な――っ!?』
声は、面白いほどにうわずっていた。
『な、何を言ってれるんですかっ!』
もはや滑舌まで怪しくなっている。滑稽なほどに動転しているクロノの顔は、おそらく真っ赤になっているのだろう。そんなクロノを何度か見たことがあるなのはやフェイトだけではなく、驚いてリンディに振り向いていたシグナムやシャマル達にも、それは容易に想像できる光景だった。
なぜかキューキューという悲鳴が少し大きくなっていたが、すでに誰も気にしていない。
「いいじゃない。遠慮しなくっても」
『遠慮します! フェイト一人だって言うのならともかく――』
言葉が、そこで止まる。
浴室内の空気も、同じく止まっていた。
「えええーっ!?」
なのはとはやてが、揃って驚きの声を上げる。
「へえーっ、フェイトならいーんだ、執務官は」
ヴィータが笑いを隠さない声で揶揄する。
「……クロノ執務官と一緒に入浴することがあるのか、テスタロッサ」
「えと……たまに、ですけど」
こくりと首を振るフェイトに、なのはとはやては共に目を丸くした。
「へー、意外や。クロノ君はそのへん、ガチガチに堅い思うてたんやけど」
「えーと、一応、クロノ執務官はお兄さんですから、不自然ではないですけど……」
シャマルは首を捻りながら、一生懸命考え込んでいる。
「じゃあ、クロノ君に体を洗ってもらったり、するのかな?」
「うん……優しく、してくれるよ。洗い残しがないように、丁寧に洗ってくれるから、気持ちいいんだ」
フェイトはもちろん背中のことを言ってるのだが、なのはの質問が悪かったために事情を知らない皆は、思いっきり間違った方向へと勘違いした。
「うわーっ、クロノ君、ひょっとしてエッチなんだ?」
「それは――ちょっと危ないんと違うかな。クロノ君、ちゃんと責任取れるんか?」
『ちょ、ちょっと――まて!? 何か誤解してないか!?』
二人の反応に、クロノの声が更に裏返る。
「誤解ならいーんだけどなー」
笑いを隠さないヴィータの声は、クロノの言葉なんて信じていませんと言わんばかりだ。
『だっ、だっ、だから、君たちは――』
「大丈夫です。私は応援します」
シャマルはなぜかやたらと嬉しそうだ。
「テスタロッサちゃんとクロノ執務官って、お似合いな感じだから」
「うんうん、言えてるっ」
「そうやねー、でも、エイミィってライバルもおるしな」
「そりゃ強力なライバルだなー、大丈夫かよ、テスタロッサ」
「え? えと……そ、そうかな」
もはや、クロノの言い分など誰も聞いていない。フェイトはフェイトで半分くらい何を言われているのかわかっておらず、消極的な肯定を返すだけ。
どうにもならないのかと絶望しかけたとき、しばらく黙っていたシグナムが口を開いた。
「クロノ執務官――」
はやし立てる四人とはちがって落ち着いたその声に、クロノも少し冷静さを取り戻したらしい。
『――な、何だ』
うわずっていた声も、幾分元に戻っていた。
シグナムは場が落ち着いたと理解して、重々しくその言葉を言い放つ。
「せめて、あと五年は待った方がいい」
『違うっ!』
クロノは思いっきり絶叫していた。
同時に響くのは、ぼきり、という何か堅いものが折れたような、不吉な音色。
一瞬の沈黙。
『――あ』
気まずそうなクロノのつぶやきに、アルフの叫び声が重なる。
『わーっ、ユーノが折れた!?』
淫獣死すべし。
「殺すなっ!」
突然怒鳴ったユーノが、そのまま悲鳴にならない悲鳴を上げてのたうち回る。
「ユーノ君、大丈夫?」
「だ、だいじょう、ぶ……」
顔面は真っ青で、手足が思うように動かないのか、ひくひくと痙攣を起こしている。
どこから見ても大丈夫ではない状態なのだが、ユーノはなのはの手前、強がってみせた。
「あまり無理をしちゃ、だめだよ」
「う、うん、ありがとう」
気遣うなのはに引きつった笑みを返して、ユーのはもう一度呻く。
「どうしたんだ、突然」
「悪い夢でも、見たんじゃないかな……はい、クロノ」
うめくユーノを無視して、フェイトは湯気の立っている湯飲みを差し出した。
「ああ、ありがとう」
春の豊かな山を思わせる深い緑色をした液体を軽くすすり、クロノはほうっと小さく息を吐く。
「ん……旨い」
「良かった。お茶の入れ方、お母さんに教えてもらったの」
「母さんにか……」
苦笑気味にクロノは湯飲みの中の液体を眺め――
「なんで人ごとみたいなんだよっ! おまえらっ!」
ユーノの抗議も至極もっともな話である。
「ああもう、まだ治療は終わってないんですから、動かないでください」
クラールヴィントを展開させたシャマルに叱られ、ユーノは起こしかけた身体をふたたび横たえる。
「いいかげん、タフだな、君も」
クロノに動じた様子はない。まるっきり罪悪感など覚えていない、と言った風体だ。もっとも察しの良い者であれば、そのこめかみに一筋の汗が流れているのを見逃しはしないだろうが。
「いやー、アタシはもうダメかって思ったけどね、あのときは」
腕組みしたアルフがしみじみとつぶやく
「これ以上はないってくらい見事に折れてたもんねえ」
「ひどい目にあった……」
ユーノは唸りながら、そんな呟きを漏らす。それも無理はない。ユーノを握りしめたままの状態で思わず力を込めてしまったクロノにへし折られて、平気でいられる方がどうかしているというものだ。身体の柔軟性が極端に高いフェレット形態だったからこそ、本当に真っぷたつにならずには済んだわけだが。
「けどな、フェレット形態になってなかったら、クロノ君に折られるようなことも無かったんと違うかなー?」
「……それは」
うっと、ユーノは言葉に詰まる。
「なんで、わざわざフェレット形態になってたんかなー?」
はやての指摘は、この上もなく鋭い。というよりも、横たわったユーノを見下ろすはやての目は、どこから見ても笑っていなかった。口は笑いの形を作っているが、そこから漏れてくるふふふふ、という音は地獄に住まう幽鬼の呼び声のようだ。
「え、えーと」
ユーノは唐突に己の立場を理解した。
はやての横に仁王立ちになったシグナムは、なぜかレヴァンティンを抜きはなっている。治療魔法をかけてくれているシャマルも、その瞳はかなり厳しい。
――返答次第では容赦なし。
ぶわっと、いやな汗がユーノの全身から吹き出す。
「さて、答えてもらおかー」
じり、とはやての車いすが車輪半回転分だけ前に出る。
ユーノ・スクライア。今度こそ、命の生命が危機のピンチなのであった。
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