趣味の“孫文先生的部屋”


孫文先生的部屋

このPageは孫文1866-1925)及び、それに関係する内容のページです。

1866年11月12日広州香山県(現在は中山市)で生まれる。 1897年日本亡命中に偽名を使う必要から中山樵(中国の山のきこりの寓意)を名乗る。 その後、孫文自身が中山や中山樵を使うようになり、中山の号が定着。 中国革命の先導者として国父と称された孫文(号は中山、逸仙は逸仙)。
「革命いまだならず」と遺嘱して北京で客死。 亡骸は南京郊外の中山陵に葬られた。

  
略譜
1866年11月12日 孫文、広東省香山県で生まれる
1879年 ハワイへ
1885年 結婚
1892年 マカオで開業医、その後広州へ移る
1896年 アメリカへ
1897年 日本に亡命
1900年 恵州で蜂起、失敗
1905年 東京で中国革命同盟会結成、三民主義提唱
1911年 辛亥革命、臨時大統領に選出
1912年 中華民国成立
1913年 宋慶齢、孫文の秘書になる
1915年 日本で宋慶齢と結婚
1917年 広東軍政府樹立、大元帥に就任
1918年 上海へ移る
1919年 中華革命党を中国国民党に改組
1921年 非常大統領に就任、北伐開始
1924年 中国国民党第1回全国大会開催。
      大アジア主義講演
1925年3月12日 北京で病没 (58歳)


遺嘱 日本語訳
私は国民革命に尽力することおよそ40年。 その目的は中国の自由、平等を求める事にあった。 この目的を達しようと考えるならば、必ず民主を喚起し、共同で奮闘すべきことを40年の経験から深く感じ取った。 だが革命はなお未だ成らず、すべて私の同志は私の“建国方略”“建国大網”“三民主義”及び“第一次全国代表大会宣言”を参照し、継続し努力して欲しい。まずは国民会議を開き、不平等条約を撤廃することをすぐに求めるように。

 

中山市 孫中山故居

2005年5月撮影
とてもモダンな建物・色使いなので驚きました。

中山市 孫中山記念館にて

三民主義

孫中山記念館に展示の三民主義の本です。

中山市 孫文記念公園

天気はまるで台風のような雨の中の撮影で、公園の外から1枚だけ撮影するのがやっとでした。  たった1枚写しただけなのに、全身ずぶぬれになっての撮影でした。 2005年5月撮影

マカオ 国父記念館にて Part1

2004年3月マカオにて

Part2

マカオでこの旗を見るとはオドロキました。

台北 中山公園にて Part1

孫中山故居(上海)

孫文像と故居  2003年3月9日

台北 中山公園にて Part2

孫文像と共青団員

故居見学時に共青団員が孫文像を前に整列。

中山陵

南京の中山陵です。 2003年3月7日。

中山陵、孫文の墓

墓は撮影禁止です。 これは中山陵に掲示してあった写真を写したものです。

神戸 孫中山記念館(移情館)

明石架橋の傍にある神戸市垂水区にある孫中山記念館です。
1913年3月孫文の来阪時に昼食会の会場となった場所に始まる。 (注:記述をそうとう省略しています。 正確には調べなおしてネ)
撮影:2002年6月15日
 

神戸 孫中山記念館にて


 

広州 孫文記念堂

広州にある孫文記念堂での孫文の像と記念堂です。
 

上海 宋慶齢故居

孫文夫人の宋慶齢は宋家の美人三姉妹のひとり。 孫文と宋慶齢とは27歳の年の差がある。 孫文は離婚して宋慶齢と結婚。 うーーん、“孫文 百年先を見た男: 田所武彦 著”にある“第一に革命、第二にウーマン…”の言葉も分かる気がする。
 

北京 宋慶齢故居


 

国慶節での孫文

国慶節期間は天安門広場に巨大な孫文肖像画が建てられます。
撮影:2001年10月1日
 

国慶節での孫文

この写真は、2002年10月1日撮影です。
上の写真と比較して分かったのですが、こんなに大きな肖像画どこに」保管しているのだろう??? 謎です!!

天下為公

南京 中山陵で売っていた孫文書の扇子です。

中山堂

北京の中山公園の中にある中山堂です。
客死した孫文の遺体を安置した場所。
 

孫文像の・・・

中山公園の孫文像の台座の文字です。


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