最終更新日:03/11/22
特別書庫:アカデミカコール演奏会プログラム
BGMは、Bachの Jesu Joy of Man
目次
| 御挨拶(濱崎 幹) | 第1ステージ:組曲「雨」より 歌詞 | 第2ステージ:ヨハン・シュトラウス作品集 | 第3ステージ:ケルビーニ 「レクイエム・ニ短調」 | 第1回東京大学OB合唱団演奏会の記録 |
| 演奏会プログラム | 男声合唱組曲「雨」と多田武彦氏について(三澤洋史) | 曲目解説と歌詞概要 | アカデミカコールと奏でるケルビーニ(三澤洋史) | アカデミカコール演奏史 |
| 祝辞(OB六連代表:細田有二氏) | 組曲「雨」演奏史 | 以上は、シュトラウスの書庫へ | ケルビーニの横顔(岸 柾文) | エピソードなど(穂坂直弘:東大音楽部50年史より) |
| 祝辞(コール現役一同) | 指揮者:三澤洋史 | 関西OB会の紹介 | ケルビーニ演奏史 | 「歌声響く野に山に」 |
| アカデミカコール出演者リスト | 合唱ピアノ伴奏:小野智子 | 指揮者:松井義知 | コールとケルビーニの最初の出会い(中村良太) | 楽しいかな、合唱人生(野々垣顕彦) |
| 関西OB会出演者リスト | ピアノ伴奏:吉田謙吾 | 彼らに永遠の安息を、そして我らの心にも(塩谷隆英) | 男声OB合唱という「奇跡」(上野紘機) | |
| 東京ニューシティ管弦楽団 | 以上は、関西OB会紹介へ | 以上は、ケルビーニの書庫へ | 出演者のプロフィール | |
| 編集後記 |
| 東京大学コールアカデミーOB合唱団アカデミカコールの記念すべき演奏会の開催にあたり、一言御挨拶申し上げます。 コールアカデミーは、大正9年(1920)に東京大学音楽部合唱団として創設され、今日に至るまで80年の歴史をもつ合唱団です。OBの活動も戦前から盛んでしたが、昭和25年(1950)にはOB合唱団として合唱コンクールに参加して優勝し、昭和30年(1955)にはOB合唱団単独での演奏会を開催したこともあります。その後、断続的ながら現役定期演奏会において正式のステージをもつようになり、昭和40年代には「アカデミカコール」の呼称が付けられました。そして、昭和59年(1984)に現在のOB会が発足するとともに、OB合唱団アカデミカコールの活動も恒常化して参りました。 他方、ケルビーニ「レクイエム」は、昭和35年(1960)に現役コールアカデミーが故前田幸市郎先生の指揮で本邦初演した曲で、その後何度か演奏が繰り返されましたが、OBとしては最も馴染みの深い曲の一つと言えます。 また本日は、遠く関西から、コールアカデミー関西OB会の賛助出演も迎えることができました。これは、現在のコールアカデミーOBの総力を結集した演奏会と言えましょう。 このように、本日の演奏会は、我がOB合唱団が45年振りに単独で開催する演奏会であり、関西のOBも交えて、コールアカデミーゆかりの曲を演奏するという、記念すべき会です。 どうぞ御来場の皆様には、本日の演奏をごゆっくりお楽しみいただきますとともに、今後とも我がOB会並びにOB合唱団の活動を暖かく見守って下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。 東大コールアカデミーOB会会長 |
| 多田武彦作曲 組曲「雨」より 指揮:三澤 洋史 合唱:アカデミカコール 武蔵野の雨 大木 惇夫 作詞 雨の日の遊動円木 大木 惇夫 作詞 雨の日に見る 大木 惇夫 作詞 雨 八木 重吉 作詞 ヨハン・シュトラウス作品集より 指揮:松井 義知 ピアノ伴奏:吉田 謙吾 合唱:コールアカデミー関西OB会合唱団 美しく青きドナウ 皇帝円舞曲 ラデツキー行進曲 ケルビーニ作曲 レクイエム・ニ短調 指揮:三澤 洋史 管弦楽:東京ニューシティ管弦楽団 合唱:アカデミカコール T.Kyrie U.Graduale V.Dies Irae W.Offertorium X.Sanctus Y.Pie Jesu Z.Agnus Dei |
| アカデミカコールの皆さん、本日の演奏会開催おめでとうございます。ケルビーニの「レクイエム」はコールの十八番、「雨」は私共明治大学グリークラブが初演した曲でもあり、今日は楽しく聴かせていただきます。 昨年4月25日の第1回OB六連(東京六大学OB合唱連盟)演奏会以来、コールの皆さんとその歌声は、私の身近なものとなりました。OB六連本番当日のステージリハーサルで聴いたコールの歌声は、正直耳を疑うほどでした。伝統と歌心に培われたコールのハーモニーは、これぞ東大と言うに充分なものだったのです。 1997年5月、OB六連演奏会準備会に集まった時から、私とコールとのお付き合いが始まりました。「何故か会計は東大」という六連の不文律を破ることなく、OB六連の会計係を快く引き受けてくださり、規約の草案を作っていただきました。会議の後の飲み会にも必ず参加していただき、その上しっかり飲んでいただきました。 OB六連演奏会に向けてのコールの結集力を持続させ、定期的な演奏会の開ける合唱団にしていきたい……と熱っぽく語っておられた幹事の方の夢の第一歩が、今日コールの皆さんと共に実現されたのだと思います。 第2回OB六連演奏会は2002年開催と決まり、6校を引っ張っていくチーフ役がアカデミカコールに決まりました。今日の演奏会を機に、コールのさらなるご発展を心より願っています。 前東京六大学OB合唱連盟代表 |
| 東京大学音楽部コールアカデミーOB合唱団アカデミカコールの皆様、本日の演奏会の御開催おめでとうございます。我々東京大学音楽部コールアカデミー現役部員一同、心よりお慶び申し上げます。 先輩の皆様には、一昨年のドイツ演奏旅行や日頃の活動での御援助のみならず、隔年で私共の定期演奏会でOBステージを演奏していただいたり、昨年の駒場祭では合唱祭に参加していただくなど、演奏についても御協力をいただいており、部員一同、誠に感謝しております。 また、現役部員の活動を温かく見守って下さるその御様子は、まさに「父親」のような存在と言えます。皆様から見れば、まだまだ「子供」のような我々ですが、今後とも変わらぬ御支援をよろしくお願いいいたします。 また、一昨年のOB・現役合同ステージの練習の時に拝見しました、皆様の多忙な中でも決して失わない、練習に対する真摯さ、合唱に対する情熱は、部員一同、見習うべきものが多くありました。 そして、本日のステージにおきましては、皆様の長き経験と日頃の練習の成果による、繊細かつ重厚なハーモニーが、オーケストラ伴奏と共に会場の皆様を魅了するものと確信しておのます。 最後になりましたが、本日の演奏会の御盛会とアカデミカコールの益々の御発展、御活躍を心よりお祈り申し上げます。 東京大学音楽部コールアカデミー現役部員一同 |
TOP TENOR |
SECOND TENOR |
BASS |
| 荒木 透(昭和15年卒) 畑野 逸與(昭和29年卒) 山口 義人(昭和32年卒) 上野 紘機(昭和39年卒) 和田 宏一( 〃 ) 勝部 素行(昭和40年卒) 黒住 昌昭( 〃 ) 羽原 靖彦(昭和42年卒) 廣吉 正元(昭和43年卒) 小原 義夫(昭和45年卒) 田中 敏章(昭和45年卒) 渋谷 治美(昭和46年卒) 酒井 雅弘(昭和53年卒) 市木 圭介(昭和58年卒) |
廣田憲一郎(昭和22年卒) 黒岩 恭浩(昭和31年卒) 小玉 武司( 〃 ) 森下 忠幸( 〃 ) 岸 柾文(昭和36年卒) 沖 明雄(昭和38年卒) 中村 晴永( 〃 ) 青木 修三(昭和39年卒) 赤羽 正昭( 〃 ) 小笠原紀利( 〃 ) 梶川 浩( 〃 ) 斉藤 信一( 〃 ) 森 明夫( 〃 ) 米村 紀幸( 〃 ) 五月女 勲(昭和40年卒) 塩谷 隆英( 〃 ) 埋田 基一(昭和42年卒) 藤田p一郎( 〃 ) 岡橋 孜(昭和43年卒) 唐津 治夢(昭和45年卒) 川越 和雄( 〃 ) 沢田 茂( 〃 ) 田中 雅章( 〃 ) 富松 太基(昭和47年卒) 渡辺 毅(昭和51年卒) 三木 祥史(昭和53年卒) 六川 修一( 〃 ) 澤山 秀尚(昭和58年卒) 土肥 英生( 〃 ) |
濱崎 幹(昭和13年卒) 小寺 嘉秀(昭和16年卒) 大山 哲雄(昭和21年卒) 鳥生 敬郎(昭和26年卒) 福田 恒男(昭和28年卒) 長久保隆英(昭和29年卒) 山内 貞次(昭和30年卒) 熊原 壮一(昭和31年卒) 中村 至( 〃 ) 松本 大四(昭和32年卒) 蒲田 順一(昭和35年卒) 清水 重男( 〃 ) 野々垣顕彦(昭和38年卒) 岩永 裕二(昭和39年卒) 打保 元康( 〃 ) 下苙 直樹( 〃 ) 進藤 正明( 〃 ) 岩本 宗孝(昭和40年卒) 楠田 修司( 〃 ) 長尾 正和( 〃 ) 降幡 久夫( 〃 ) 藤本 健介(昭和41年卒) 山岡 成行(昭和42年卒) 吉岡 正人( 〃 ) 大橋 正教(昭和45年卒) 小林 務(昭和46年卒) 酒井 博人( 〃 ) 野口 雄二(昭和52年卒) 荒川 昌夫(昭和53年卒) 広畑 俊成( 〃 ) 山田 亮(昭和55年卒) 関家 一雄(昭和56年卒) |
T1 |
T2 |
B1 |
B2 |
| 久山 研一 後藤 玲嗣 三宮 靖典 西岡 孝博 松本 洋一 |
中村 充男 本田 達也 米澤 啓明 |
末木 弘 吉田 謙吾 米岡 実 鷲崎 巍 |
加納榮吉郎 北川 克一 小林 務 野口 雄二 萩原 康彦 八木 雅司 |
第1ステージ:〜多田武彦作曲 組曲「雨」より〜
| 1.武蔵野の雨 大木 惇夫・作詞 群鳥(むらどり)を追いながら 2.雨の日の遊動円木 大木 惇夫・作詞 3.雨の日に見る 大木 惇夫・作詞 4.雨 八木 重吉・作詞 |
三澤 洋史 多田武彦氏に会った。多田さんは気さくで楽しい人だった。それでいて実に研究熱心な人で、言葉を歌に乗せて表現する方法を、フィッシャー・ディスカウから広沢虎造の例まで引き合いに出して、懇切丁寧に教えてくれた。 多田さんの組曲『雨』は、僕にとっては男声合唱の原体験とでも言えるものである。男子校である群馬県立高崎高校に入学した僕は、合唱部に入部した。そこで一番最初にやったのが「武蔵野の雨」だったのだ。その頃から神様のように思っていた多田さんとこうしてお会いできるなんて夢のようだ。 「『柳河風俗詩』のなかの『かきつばた』ね、『夜はしおれて』というくだりなんてね、あれはラヴェルの亡き王女のパバーヌなのよ。」なんて自分の曲の種明かしをどんどんしてしまう。何て飾らない人なんだろう! 終曲の「雨」は、「しずかに死んでゆこう」という歌詞だ。詩人の八木重吉の発する言葉は、単純でいながら僕の感性を鋭利な刃物でバッサリ切る。多田さんの選んだイ長調という明るい調性がこの詩に輝きを与えている。こうした言葉が昔と違って心に深く響いてくるのは自分が年を取った証拠か? 高校時代の思い出。青春。多田さんとの出会いと現在の死生観。そうした様々な思いを胸に、今、僕は再び組曲『雨』を振る。 |
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| 三澤 洋史(みさわ ひろふみ) 群馬県出身。国立音楽大学声楽科卒業。声楽を原田茂生、中村健氏に、作曲を増田宏三、島岡護氏に師事。在学中より指揮を志し、故山田一雄氏に師事、同大学卒業後、指揮者に転向した。 1981年渡独、ベルリン芸術大学指揮科に入学、指揮をH.M.ラーベンシュタイン氏に師事。84年同大学を首席で卒業。同年9月ベルリン・カラヤン・コンクールにファイナリストとして入選。 85年夏の東京音楽祭参加公演ブリトゥンの「カリュー・リヴァー」でオペラ指揮者としてデビュー。当初より二期会オペラスタッフの中心的存在として活躍、また卓越した語学力でホルスト・シュタインやサヴァリッシュ、デュトワなど、外来の指揮者のアシスタント、合唱指揮者を務め、信頼を得て来た。宗教音楽の分野では、クリストファー・ホグウッドのアシスタントを務め、古楽アンサンブルの方法論を学んだ。 バッハに深く傾倒し、ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ、クリスマス・オラトリオ等のほか、多くのカンタータを暗譜でレパートリーに持つ。名古屋と浜松にバッハを専門的に研究、演奏する団体を主宰。 劇と声楽、詩と音楽の接点を追求し、自作のミュージカル「鬼ころ」「ノアの箱舟」「愛はてしなく」では台本も執筆。98年2月新町歌劇団の「カルメン」で演出も担当、ユニークな解釈は注目を集めた。 97年新国立劇場開館記念公演での「ローエングリン」に、音楽スタッフのチーフとして参加、総監督ヴォルフガング・ワーグナー氏や合唱監督バラッチ氏らの信頼を得た。それが機縁となり、99年夏のバイロイト祝祭音楽祭の合唱アシスタントとして招聘され、8月末帰国、さらに今年の公演にも参加することになっている。 現在、東京芸術大学非常勤講師。滋賀県立びわ湖ホール専属指揮者。 |
| 小野 智子(おの ともこ) 東京芸術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業、同大学院修了。1992年より国際ロータリー財団の奨学生としてシュトウットガルト国立音楽大学大学院に留学し最優秀で修了、更にソリストコース修了とともにドイツ国家演奏家試験に合格。神奈川県立音楽堂推薦音楽会、芸大定期「室内楽17、18回」に出演。1995年、1997年にはシュトウットガルトにて、1996年には藤沢にてリサイタルを行なった。 ピアノ協奏曲のレパートリー拡大にも意欲的で、鎌倉交響楽団、藤沢交響楽団とシューマン、チャイコフスキー、また、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第五番「皇帝」を共演。1997年にはドイツ・バーデン・バーデンフィルハーモニー管弦楽団とピアノ協奏曲を共演、地元紙に絶賛された。 ピアノを神西敦子、辛島輝治、フェリックス・ゴットリープの各氏に、室内楽を金昌国、岡山潔の各氏に師事。1995年より1998年まで、東京芸術大学弦楽科伴奏助手をつとめる。 |
| 東京ニューシティ管弦楽団は、1990年、音楽監督・常任指揮者に内藤彰を擁し設立された。定期演奏会のほか、名曲コンサート、協奏曲・オペラ・バレエの伴奏、レコーディングなど幅広く活躍。特に、オペラの分野では評価が高く、二期会、藤原歌劇団の他、レナータ・スコット、ヘルマン・プライ、渡辺葉子等、世界で活躍するオペラ歌手との共演も数多く、聴衆や批評家のみならず、世界の著名オーケストラと共演している彼らからも、絶賛の言葉を贈られた。 バレエでは国内のバレエ団の他、英国バーミンガム・ロイヤルバレエ団、ロシア国立レニングラード・バレエ団等、海外からのバレエ団の日本公演でも大変高い評価を得ており、今後も内外のバレエ団の公演が目白押しである。メンバー個人個人の実力は勿論、それぞれの温かい人間性も、共演の指揮者、ソリストから大変高く評価されており、また、一切の無駄を省いた新しいオーケストラの運営方針もユニークな発展を見せ、近年その活動が各方面から注目されている。 平成8年度より(社)日本クラシック音楽マネジメント協会に加盟し、東京で第10番目のオーケストラとして、今後の活躍がますます期待されている。 |
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穂坂 直弘(昭和15年卒、T1) 大戦末期から十年近く現役コールの指導は薗田誠一先生となったが、昭和23年頃、当時の若手OBが集まって、YOB合唱団なるものをつくり、音楽部室を本拠として再び伊藤(武雄)先生に見ていただくことになった。 Yは 「Younger」の意で、長井維理(大正8年卒、B1)邸で続けられていた「OBコア」(通称「大OB」)は御本家として崇め置き、これとパラに学内団体として暴れようというものであった。 熱心な数名は先生宅に個人レッスンを受けに行き、「あなたは喉に何か詰まってるんではないですか」と、ライトで口の中を覗き込まれたりしながら発声練習をした。その甲斐あってか、昭和24年(?)秋の合唱コンクールでは男声の部で優勝(総合2位)し、銀杯を持ち帰って現役コールを大いに刺激することができた。 この頃、伊藤先生は邦訳歌詞の質の向上に努めておられ、次々に名訳を発表しておられた。われわれも「 Long ,long ago 」(想い出)、「 Home , sweet home 」、「 Auld lang syne 」など次々に歌い楽しんでいた。印象に残るのは、赤門前のタムラである晩、「今こんなのを作りかけているんですがね」と「 Coming through the rye 」を口ずさんで下さったことである。あのCまで響く低いバスで、物語るように「誰かが誰かと麦畑で、こっそりキスした、いいじゃないの」と歌い出された。その頃はまだ暗かった電灯と古い石炭ストーブと、そして歌につれて静かに動く先生の左手が忘れられない。この歌詞はわれわれが初演した。 やがて、その頃の現役が、またもっと若いOBとなったとき、「大OB」と「YOB」とこの最も若いOB(「オルフェオン・アカデミーク」)が合同して「東大0B」を名乗ることになり(昭和25年)、薗田先生が新しい指導者となって今日に至っている。薗田先生独特の短い指揮棒がグッと下がり、パッと上がるとき、われわれは自然と息を吸い込まされ、声を引っ張り出される思いがして、小さな棒の力に驚いたものである。先生が家でビールパーティーをやろうと言って下さるのに飛び付いて、二晩続けて皆で押しかけたことなど、20年近く経った今、頭を掻き掻き懐かしむ思い出は尽きない。 (「東京大学音楽部50年史 1920-1970」 <1971年1月23日 東京大学音楽部発行> より抜粋) |
| 作曲:O.Schlze(不詳) 作詞:不明 訳詞:丹治 汪 うるわし春よ 緑にはえて 歌声ひびく 野に山に ラララ・・・・・・・・・・・・ 『私の提案で、「われわれの下手な演奏を聴かせただけでは悪いから、最後に聴衆のみなさんに一緒に歌ってもらおう」ということになり、ドイツの民謡で三部カノンの形式でわれわれが飲むとよく歌った「Wie shoen ist es」のオーケストラ編曲を申し出た。これが満場一致で採択され、私は生まれて初めてオーケストラ曲を作る機会に恵まれ没頭した。 この試みは大成功に終わり、毎年演奏されることになった。(後にドイツ語では無理だとわかり、日本語がつけられた。この訳詩は本郷の喫茶店で丹治汪という千葉医大のビオラマンと私とで作った) この成功が私を再び法律の勉強に立ち返るのにどんなに邪魔をしたか。』 (三木鶏郎著「三木鶏郎回想録(1) 青春と戦争と恋と〔1914〜1945〕」1994 平凡社刊 P.210 より抜粋) (注)三木鶏郎は本名繁田裕司氏。昭和10年(1935年)東大法学部入学、東大管弦楽団に所属。以後の活躍は周知の通り。 |
野々垣 顕彦(昭和38年卒、B1) 通勤カバンの中に、仕事の資料が入っていない日はあっても、楽譜のない日はない。地元横浜の混声合唱団の他に、コールOB合唱団などの練習があり、演奏会を聴くのも入れると多い時は週3、4回も合唱に係わっている。休日の空き時間を真っ先に当てるのは取り組み中の曲のおさらい。年間4、5回のステージがある。最近の我が生活は正に「合唱三昧」といえる。こうなった元は勿論、学生時代に没頭したコールの活動にある。 合唱がよい趣味と言える理由はいろいろある。まず、安上がりなこと。楽器は喉一つ、アフターコーラスの飲み代が最大のコストであるが、大したことはない。健康でないと歌えないが、「歌っているから健康でいられる」ということがどうも言えそうである。多くの曲へのチャレンジは知的、芸術的欲求を満たしてくれる。「高尚なご趣味ですね」と言われ、世間体も甚だよい。 楽しい合唱活動の基盤はなんといっても心地よい人間関係である。今、コールのOB活動の中で一大勢力となっている三期会(昭和38〜40年卒の会)は、現役時代に力を合せた仲間が年次を越えて仲良くしている会である。多士済々、皆そろそろ還暦を迎える年格好だが、私も交友を大いに楽しませてもらっている。地域の合唱団でも、尊敬すべき立派な、そして気の措けない人々が沢山いるからこそ、共に歌うことが実に愉快なのである。 合唱は兄弟でもやっている。私は男5人女1人の6人兄弟だが、男全員で合唱ができる。甥姪たちの結婚披露宴で「だんご5兄弟」が歌う男性4部合唱の「ふるさと」は毎回、拍手喝采である。我家を含めまだ大勢残っており、杖を突いてでも全部歌い納めたいと思っている。 楽しいかな、合唱人生。これからも元気溌剌、大いに歌って行きたい。 |
上野 紘機(昭和39年卒、T1) 男声合唱にはえもいわれぬ魔力がある。大学を出て何年もたった今、「赤とんぼ」のような童謡や、ケルビーニの「レクイエム」のような西欧の古い宗教曲を、何のために歌うのだろうか。忙しい仕事のやりくりをして、あるいは土曜日夜の家族との団らんを犠牲にして、何のためにOB合唱の練習に駆けつけるのだろうか。その理由は「好きだから」というしかない。確かに、いい年のおじさんが集まって口をぱくぱくやりながら一所懸命歌っている格好は、外から見ると気違い集団のようにに見えるに違いない。それでも皆好きだからやっているのである。それだけ男声合唱にはやり始めたらやめられない魔力がある。 もちろん、混声合唱も、女声合唱もそれなりに美しいし、楽しい。高野宏君(コールOB39年B1)がどこかで書いていたが、合唱曲の真の名曲は混声合唱曲に多い。モーツアルトの「レクイエム」、バッハの「マタイ受難曲」、あるいは日本人の大好きなベートーベンの「第九交響曲」など、みな混声合唱曲である。たぶん、これは混声合唱の方が音楽的な幅があって、より豊かな表現ができるからであろう。また、女声合唱はハーモニーの美しさだけをとれば一番である。それでも男声合唱のような「魔力」はないのではないかと思う。その「魔力」を理屈で説明するのは難しい。とにかくハーモニーが決まったときの感動は、男声合唱が一番なのである。4パートの音がぶつかり合ってできた不協和音が解決して、ハーモニーが鳴り響いたときは、全身に鳥肌が立つ思いがする。これは男声合唱がホモジーニアスな声の質からなっているために、よりインパクトが強いためなのであろうか。 このような真の感動は、練習の時よりもステージに立って歌ったときにこそ体験できるものである。人前で歌うという緊張が良い集中力を生んで良い演奏ができたとき、本当のハーモニーがつくられる気がする。そのような時は全身が共鳴し、魂まで真底から揺り動かされる。昨年4月の東京六大学男声合唱団OBによる第一回演奏会は、まさにそのような場合であった。300余の男声がひとつになって、多田武彦の曲を歌ったとき、それに続いて六大学の校歌を全員で順番に歌ったとき、ステージと客席が一体になった感動がつくられたと感じた。これはまさに男声OB合唱という「奇跡」なのだと思ったのである。 |
| 本日の出演者全員にアンケートをとり、その全体像を浮彫りにすることを試みてみました。有効回答は73名でした。グラフとコメントでまとめてみましたのでお楽しみ下さい。(このHPでは、グラフではなく、表でデータを示します) 1.パート別比率(図1)
・比較的いいバランスがとれていますね。 2.卒業年次と年齢構成(図2)
・最高齢は84歳(昭和13年卒)、一番若い人が30歳。ピークは50歳代後半です。 3.コールで歌った意味(図3)
その他の意見: ・大げさだが「支える」ことを学んだ。 4.アカデミカコール以外に所属している(所属したことがある)合唱団(図4)
団体名: ・横浜泉男声合唱団 5.合唱を続けて良かったこと(図5)
その他の意見: ・仲間と共に音楽を楽しみ、少しでもいい演奏をしようと努力する姿を、家族や友人たちに見てもらっている。 6.合唱活動に対する周囲の評価(図6)
その他の評価: ・好きなことを続けて良い。(家族も音楽好き。家内はピアニスト。) 7.仕事との両立(図7)
その他: ・コールで培った実力(?)で、何とか間に合わせている。 8.ステージに乗る回数(図8)
・年2回以上が41%も! 9.家族の趣味(図9)
・妻は合唱、子は楽器。 10.今後も歌い続けますか? ・一人を除いて全員が「YES!」 |
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