中華街45度の謎を追え!


写真1(横浜村外六ヶ村之図) 写真2(クリペ横浜絵図面)

 中華街を歩いていると道に迷ってしまい、JR石川町駅へ戻れなくなったという話をよく聞きます。なぜ人々は方角が分からなくなるのでしょうか? それは、中華街の成り立ちに深く関わっているのです。
 関内地区の地図を眺めていると、「あれっ?」と目に付く一画があります。マス目状に走った道の中で、ちょうど45度に曲がった四角形の地帯・・・。こっちはこっちで碁盤の目状になっている。ここがまさしく中華街なのです。しかも、こちらの方が東西南北に街路が走っているのです。そんなことから、この一画は「中国の風水思想に基づいて造られた街=中華街」という人が現れるのですが、果たして、本当なのでしょうか?

 そんな謎を解き明かす地図があります。『横浜村外六ヶ所村之図』(写真1)には、開港前、嘉永7年頃の関内付近の地図が描かれています。どう見るかというと、上が海側で、下の方が後に伊勢佐木町となる吉田新田です。
 右に見える半円形の碁盤状の部分は横浜新田で、のちに中華街となる所です。この時はまだ、あぜ道のある田んぼでした。
 現在の場所に中国人たちが集団で住み始めるようになるのは、開港以後のこと。ここはそれ以前から、ほぼ今と同じような道があったのです。だから、この形が風水思想に基づいているはずはないのです。

 一方、横浜新田の外側の地域は、畑の中にわずかばかりの道が付いているに過ぎません。どう見たって、端正な街路パターンは、のちに中華街となる部分の方が先にできていたと考えざるを得ません。
 その後、周辺の道路が整備されていくのですが、元々あった道を利用しながら、海岸線に対して平行・直角に道路を入れていったのでしょう。
 そんなわけで、中華街と周辺とでは街路パターンが45度ずれてしまい、その結果、接続部分に五差路が生じ、迷宮化してしまったのです。多くの人々が横浜中華街で道に迷ってしまうのは、こんな歴史が原因しているのでした。

 それでは、この迷宮で迷わないようにするには、どうしたらいいのでしょうか?
 それは、“通り”の名前を覚えること尽きます。



 ここに掲載した通り名は必ず覚えてほしい通りです。これらを覚えたら、次は主な目印となるものを把握しておきます。
 牌楼(門)はもちろん、警察、学校、関帝廟、公園などです。
 以上を頭に入れて街を歩いてみましょう。そして五差路に出たら、「ああ、あの接続部分に来ているんだな」ということを思い出してくださいね。
 これで、あなたも「33%の中華街ツウ」になります。
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