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| いまでこそ中華料理店だらけの感のある横浜中華街ですが、バー・キャバレー・クラブが密集していた時期があります。 1950年の朝鮮戦争から60年代のベトナム戦争の頃まで、横浜にはアメリカ兵がたくさんいました。そんな彼らにとって、憩いの場が、いわゆる外人バーだったのです。 いま「獅門酒楼」や「六鳳居」のある通りは中山路と名づけられていますが、当時は米兵たちにハッピーアベニューと呼ばれていたそうです。西門通りや中山路は、軒並みバー・クラブでした。 私の手元に昭和37年の住宅地図があります。それを見ると、今の西門通りには当時、「バー・ポニー」「バー・サンフランシスコ」「バー・サンディエゴ」「クラブ・ラスベガス」「クラブ・ロングビーチ」といった片仮名の外人バーが並んでいました。 ここで気づくことがあります。それは、店名にアメリカの地名を使っている例が多いということです。 幕末にペリー艦隊が横浜へやってきたとき、綺麗に湾曲した根岸湾を見てアメリカのミシシッピーを思い出し、ここを「ミシシッピー・ベイ」と名づけたという話は、横浜の人の間では良く知られています。また、太平洋戦争後、初めてアメリカ軍が本牧に上陸したときにも、この沿岸がフィリピンのナスグブという所に似ているという理由で、ここの接収地(住宅地区)にナスグブ・ビーチと名づけています。 異国に駐留する米兵たちは、懐かしい地名や良く知っている地名をつけて、そこに慰安を求めていたのかもしれません。 中華街には、このような外人バーの歴史があるのですが、こまめに歩いていけばその名残を垣間見ることができます。 ここでは、バーだけに限らず、居酒屋、パブ、大衆割烹など、いわゆる呑み屋さんを紹介していきます。たまには中華料理から離れて、中華街の居酒屋で“酔っチャイナ!”。 |
| ■GREAT WALL(関帝廟通り先)■ | ||||
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関帝廟通りの両サイドには牌楼があります。南門通り側にあるのが天長門。長安道に接続する部分にあるのが地久門です。その地久門を抜けると五叉路になっており、右へ行く道が長安道で、善隣門に続きます。左は元町方面へ向かう道。前方は二つに分かれていて、右斜めに伸びているのが福建路、もう一本の左斜めの道には名前がありません。「GREAT WALL」は、この名無しの道に面して建っています。 中華街のなかでは外れの方に位置してるので、観光客などはなかなか通らない道ですが、結構、個性的なお店が並んでいます。「GREAT WALL」も、そんな中の一つです。 ここの特徴は、大人の雰囲気を醸し出す正統派のイメージと言ったらいいでしょうか。BGMにはもちろんジャズがかかっています。 マスターの陳さんは中華街生まれ。現在「GREAT WALL」のあるこの場所で、ご両親が喫茶「鴿」を営業していたそうです。その後、自宅ビルの建て替えを機に、商社マンを辞めて20年ほど前にこのバーを開いたといいます。 そんな陳さん、バーにはこだわりがあります。中華街というのは中華料理だけではない、開港以来の都市が持つ洋風の歴史が連綿と続いていることを大切に考えているのです。 日本におけるバー発祥の地は山下町。1860年、横浜市中区山下町70番地(現在のレストラン「かをり」本店所在地)に、わが国初の洋式ホテル「ヨコハマ・ホテル」が建てられました。そのホテルに併設されたプールバーが、日本のバーの始まりだとされています。そして、現在も中華街にはバーがたくさんあり、そうした歴史と伝統が息づいているのです。 中華街探偵団「酔華」がお世話になっているホームページに「横浜BARマップ」というのがあります。陳さんはそれの編集にも携わっています。 話は変わりますが、野毛で「飲兵衛ラリー」というのをやっていました。3500円のチケットを買い、それを持って野毛町内の居酒屋・バーなどを回ると、1軒につき酒1杯+肴1品、合計5軒のハシゴ酒ができるというものです。普段は行きつけの居酒屋ばかりに足を運びがちなのですが、こういった企画に乗って「まだ入ったことのない焼き鳥屋」とか「気になっている居酒屋」などにも気軽に入ることができました。 中華街のバーでも、こんな企画を立ててみたらどうでしょうか。いつもは中華料理を食べるばかりの街ですが、中華街の別な側面が見えてくるはずです。 GREAT WALL ホームページ→→→→→→HP |
| ■はいからさん(開港道)■ | ||
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| 1月頃から「桃源邨」のビルで、なんか工事をしていると思っていたら、それは桃源邨の改修などではなく、この建物の2,3階に新しい店を造っているのでした。できあがったのが「はいからさん」です。 店のコンセプトは大正ロマンでしょう。2階がオールドファッションのカフェ、3階は和風の古い趣きを取り入れた居酒屋です。今流行のメイド喫茶の大正時代バージョンと考えればいいかも。 3階の居酒屋は、靴を脱いで入る方式をとっています。白とこげ茶のツートンカラーで統一された和風の店内、その中を、矢羽根模様の着物に紫のハカマを履いた女店員が動き回っていました。 カウンターは8席程度。板の間にはテーブルが4つ置いてあり、16人ほどが座れるようになっています。BGMはもちろん懐メロです。壁に架かっている絵も大正ロマンを感じさせるモノで、座っているだけでも懐かしくなってきます。 日本酒で目についたのは酔鯨。私の好きな銘柄です。焼酎はいろいろ取り揃えているようで、白波、一刻者、高千穂などが、また泡盛も各種ありました。 そんな中からとりあえず頼んだのが、ホッピーです。焼酎をビールに似たホッピーで割る、チューハイの元祖みたいな酒で、昔は居酒屋でよく見かけたものです。チューハイが流行ってくると同時に、ホッピーは廃れていったのですが、最近は再び出回ってきたような感があります。 でも、ここで呑むホッピーは、ちょっとお上品過ぎるのではないでしょうか。本来はもっと、場末感の漂う、庶民的でうらぶれた酒です。ここのは「はいから」なんでしょうか。 続いて懐かしい酒がありました。デンキブランです。浅草・神谷バーが発祥のカクテルで、電気ブランデーを略してデンキブランと呼んでいます。やはり、電気ブランを呑むのだったら浅草まで行ったほうがいいですね。 でも、まあ、中華街で電気ブランが呑めるなんて、話のネタにはちょっといいのではないでしょうか。 |
| ■一福(媽祖小路)■ | ||
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| 媽祖廟の前に「愛香楼」とか「シャングリラ」などといったお店があります。これらが並んでいる斜めの道が媽祖小路です。以前は南門通りの一部でしたが、廟ができるということで、このような名称がつけられました。 この小路の最奥に「一福」があります。「いちふく」ではなく「いっぷく」と読みます。横浜駅西口の狸小路にあるお店が本拠地で、こちらは2006年3月のオープンとのことです。媽祖廟の開廟と合わせたのでしょうか。 ここは長いこと倉庫のような状態でしたが、2005年7月7日、「AYAME]という和食のお店ができました。写真(右)はその当時のものです。ジャズの流れる和風インテリアがなんとも言えぬ雰囲気を醸していました。ご主人が沖縄出身ということで沖縄料理も出していましたが、昼の定食は和食がメインでした。そのうち夜も呑みに行ってみようかと思っていたら、新しい店「一福」に代わっていたのです。 夜7時からオープンということでしたので、ほかをブラブラ観察してから行ってみました。内部は「AYAME]時代と大差はありません。和風の造りです。BGMもなぜかジャズがかかっていました。 カウンターの上には焼酎がずらりと並んでいましたが、まずは生ビールを注文。お通しは牛タンが3枚。なかなか美味しいです。 いろいろ凝っているようで、割り箸も独特のものでした。ご覧のように茶色いのです。一瞬、割り箸ではなく普通の箸かと思ったほどです。 「AYAME」時代もそうでしたが、この和風の造りにジャズという組み合わせも、なかなかイケてます。焼酎・泡盛にも、特別な思い入れがあるのかもしれません。 酒の肴類はちょっとお高めです。どんなメニューがあるのか、書きとめてきましたのでご紹介しておきます。 きんき煮付け(2800円) 串焼き (200円〜) ほっけ干物 (1000円) トマト (400円) 真アジ干物 (600円) おろし納豆(400円) 牛タン塩焼き(1500円) ナムル (400円) ハンバーグ (1100円) タタミ鰯 (500円) そのほか、オムライス900円、ライス300円、味噌汁200円とありますから、お食事にも向いているのかも。酒は酔鯨、八海山など。 それにしても、かなり立地条件は悪いです。観光客なんか、ほとんど入り込まない路地ですから、お客さんは地元の人たちや近隣のサラリーマンということになるのでしょうか。今後の健闘を期待したいものです。 |
| ■千草(開港道)■ |
中華街の中で一杯やっか、と思っても、なかなかそれに相応しい店はありません。一杯といっても紹興酒ではないですよ、日本酒です。以前なら中山路に「能登屋」という正しいスタイルの居酒屋があったのですが、そこも今では「悟空茶荘」になってしまいました。 酒屋さんもたくさんあって、なかには長安道の「万両」のように、立ち呑みのできる店もあったのです。そんなオジサンたちのオアシスが激減し、現在残っているのは、この「千草」くらいでしょうか。新しく開業した酒場はありますが…。 今日は夕飯も食わずに10時まで仕事。それから、ここで軽く一杯やってきました。 長いカウンター、20人くらい座れるでしょうか、そこには常連客が6人ほどいて、テレビを見ながらマスターとおしゃべりをしていました。まずは、枝豆と生ビールで乾杯。 カウンターの上には、煮物などを入れた大皿・大丼が置かれています。そこから茄子の煮物を出してもらいました。和風居酒屋なのですが、この煮物はどこか中華風の趣があります。それは、材料にニンニクの茎などを使っているからなのでしょう。美味しかったです。 サービスで出たキュウリの浅漬け。中華街で食べるお味はまた格別でした。 |
| ■アマゾン(福建路)■ | ||
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| 福建路を横浜スタジアム方面へ向かうと大桟橋通りにぶつかるが、その少し手前に広めの駐車場があり、奥に怪しげな倉庫が建っています。かなり古めかしい建物で、2階へ上がる外階段がついていて、壁には小さく「Amazon Club」とだけ書いてあります。 一見しただけで、ただの倉庫でないことは理解できるはずですが、ここが何なのか、誰もが不思議に思いながらも確認できずにいる、中華街の中でもかなり怪しげなスポット。アーチストのたまり場だとか、会員制のクラブだとか、ひどいのになるとSMクラブじゃないかとか、いろいろな憶測が乱れ飛んでいる所以です。 でも、ここ「アマゾン・クラブ」は、れっきとしたダイニングバーなのです。それも、中華街のハズレという場所にぴったりな、アジアンテイストを味わえるまともなお店。昨年末、ここで忘年会をやってきました。 入り口は2階。隠れ家的バーらしく、扉には鍵がかかっており、ベルを鳴らして入れてもらいます。中はかなり暗い。ライターの火か携帯電話のバックライトでもないとメニューが読めないほど。天井は5m以上あろうかというくらい高く、その広大なスペースをさらに上下2階に分けています。 マッチの灯りを頼りに読んだメニューには、ベトナム、中国、イタリア、メキシコ、韓国、そして日本の料理が並んでいました。アジアンというよりも無国籍に近いでしょうか。写真はベトナム風生春巻と野菜サラダ。 |
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アマゾン・クラブは店自体が隠れ家的存在だですが、それ以上に隠れているのがトイレ。始めて来店したお客は、まず一人ではトイレに入れないでしょう。どこにあるのか分からないというよりも、開け方が分からないのです。 ドアを開けるための取っ掛かりが見当つきません。私も先にトイレへ行った人から聞きだし入ることができたくらいです。 ドアを開けるスイッチは、なんと! このミシンに隠されていたのです。だいたいトイレの前にミシンが置いてあるなんて、「ん?」と思わなければいけません。勘の鋭い人は自力で開けていました。 馬のようなミシンの背中から立ち上がっている鉄の棒を見てください。これを押すとドアが開くのです。 さすがアマゾンクラブ! 料理以外でも楽しめます。 同店の歴史がホームページに出ています。それによると、1988年、山手駅ガード下の奥まった住宅地にある一軒家を改造して始めたようです。本物の隠れ家として著名人が多く訪れていました。 1998年5月、原因不明の火災により全焼し閉店。その後、現在地で再オープンしています。 しかし、今また移転の話が持ち上がっているようです。ここが再開発されるのでしょうか、2006年8月末日をもって一時閉店する予定だとか。9月2日にはクローズドパーティーが開催されるという案内が出ています。 |
| ■ロックウェルズ(西門通り)■ | ||
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| ここの看板を見ると、焼酎&カクテルバーとあります。焼酎は30種類ほど取り揃えているようで、なかでも芋焼酎が目に付きました。 写真上中は通路に並んだ数々の酒瓶。「さて、さて、今日はどれを呑もうかな」という気分にさせてくれます。 ロックウェルズの店は鹿児島にもあるということなので、九州の関係者なのでしょうかね。 肴はバーによくありがちな乾き物ではなく、なんとかこだわりを出そうとしているようです。メニューには自家製豆腐のあつあつごま油ぶっかけ、クリームチーズの味噌漬け、石焼塩辛、ブルーチーズと〆鯖の大葉巻きなんていうのが並んでいました。 写真下右は赤鶏たたき溶岩プレート焼き(1050円)です。石の上で鶏肉を味噌焼きしたものと思ってください。ここのお勧めのようです。 なんとなく、飛騨高山の朴葉味噌を想い出させてくれました。 |
| ■チェッカーズ・クラブ(長安道)■ | ||
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| 中華街には気になっていながら、なかなか入らないでいる店というものがあります。いや、“入れない”と言った方が正確かもしれません。その代表格が、この「チェッカーズ」。英語では「CHECKERS」と書いてあるのに、カタカナで「チェカス」というのはご愛嬌でしょうか。 ここの入り口ドアを見たら、ちょっと怯んでしまいますよね。会員制というわけではないのですが、見るからに会員制という感じです。入り口の扉も、1枚目は鉄の格子、2枚目は重厚な木製扉。本当に入りにくいです。 でも、昼間見ると、マスターが葉巻をくゆらしながら、鳥に餌をやっていたりして、そんなに怖そうな雰囲気はありません。だから、いつでも入れるはずなのですが、なんとなく入りそびれていたのです。 今日は「東林」で宴会がありました。「チェッカーズ」には、その2次会で行ったのです。重たいドアを押し開けると、そこには昔懐かしいバーがありました。 まず匂いです。なんて言ったらいいんでしょうか、ワックスの匂い? 石油ストーブの匂い? なんだか懐かしくなる匂いを感じました。たとえば野毛の「R」とか「山荘」で嗅いだのと同じ匂いなのです。これは、まさしく昭和30年代のバーの匂いでしょう。 そして、この狭さ。10人も座れないほどのカウンターに、暗くてよく見えないテーブル席。女の人はいません。マスターが一人でやっているようでした。 もちろんジャズレコードがかかっています。それも、思いっきり古いヤツ。これが「ああ、横浜で飲んでいるんだなあ」と思わせる、ひとつの演出となっているのではないでしょうか。 カウンターの中にはレコードがたくさん並べられていました。マスターに聞くと、かなり集めていたそうです。ただ、野毛の「ちぐさ」とか「パパジョン」には及びませんがね…。 それでも今日は、コニー・フランシスやプラターズなんかもかけてもらいました。レイ・チャールスも流れていたかもしれません。そのあとは、もう覚えていませんが、ビリー・ホリデーとかケニー・バレルもかけたかも…。 |
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ここのマスターが集めていたのは古いレコードだけではありません。実は、酒も集めているのです。カウンター内の酒棚には、普通の酒しか置いていませんが、奥の方からいろいろと持ってきて解説してくれました。 これは、30年以上前のサントリーレッドとか。懐かしいビンですよね。なで肩の…。 こんなのを40本も持っているとか言って、自慢していました。いつか酒を仕入れられなくなったときには、これを使うんだそうです。でも、そんなこと言ってないで、一杯呑ませてよと言うと、小さなグラスに注いでくれました。 真ん中は年代モノのホワイトホース。30年以上前に買ったそうです。これが何十本もあるとか…。こちらは、商売を辞めたら、毎日、チビチビやるんだと仰っていました。 そんなマスターですが、もともとはハワイの日系2世で、アメリカ空軍の軍人でした。戦後、日本に来てこの店を出したそうです。 1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が始まると、この中華街の中には兵隊相手の外人バーがたくさん出現してきました。私の手元に昭和31年の住宅地図があります。そこには、現代の中華街の姿からは信じられないような文字が並んでいます。 当時はまだ通りに今のような愛称が付いていませんでしたが、たとえば香港路、西門通り、中山路にはバーやクラブがズラリと並んでいるのです。朝鮮戦争のあとはベトナム戦争です。中華街を訪れる米兵の数は相当なものだったに違いありません。 そんな外人バーのお客は兵隊だけではありませんでした。当時の横浜港には、外国船もたくさん入港していましたから、世界中の船員が街を歩いていたものです。「チェッカーズ」にも多くの船員が呑みに来ていたといいます。 その名残が壁にありました。船に備え付けられている赤白の浮き輪や船員のサインなどです。聞きそびれてしまいましたが、おそらく店名の由来は港で働く検数員からきていると思います。この輸出入貨物の個数、重量等を判定する検数員を英語ではチェッカーと呼ぶからです。ここには「古きよき時代のヨコハマ」が、まだ息づいているようでした。 マスターの自慢は柔道です。講道館の証明書を見せてくれましたが、5段か6段だったような記憶があります。酔っ払っちゃっていて、よく覚えていません。もしかしたら7段だったかも。 東京オリンピックで金メダルを獲ったアントン・ヘーシンクを教えたといいます。そのヘーシンクが「チェッカーズ」に来たときの写真が飾ってありました。それを見ただけでも、彼のデカさが分かります。 そして、もう一つの宝物は、あの三船十段からもらた「書」だそうです。三船といえば空気投げで有名でした。1945(昭和20)年に十段で名人の称を受け、その後は文化功労者となった人物です。こんな人と一緒に練習をしていたんだと、嬉しそうに振り返っていたのが印象的でした。 今日は「東林」での宴会といい、「チェッカーズ」での2次会といい、充実した一日でした。謝謝。 |
| ■屯(長安道)■ | ||
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中華街では数少ない和風の居酒屋へ行って来ました。場所は長安道に面した要明鶴ビルの1階。この要明鶴というのは広東省の三つの県名の頭文字を組み合わせたもので、2階には要明鶴同郷会があります。毎夜、このビルの下を通ると、ジャラジャラと麻雀の音が聞こえてきます。 「屯(たむろ)」は昼のランチもやっていますが、やはりお薦めは夜の部でしょうね。以前は板前を雇ってすし屋をやっていたのを、いつだったか忘れましたが和風の居酒屋に転換したのです。 インテリアには黒いテーブル・イス、黒い板などが多用されています。床は黒石の洗い出し。どうやら黒が基調のようです。女将さんは兵藤ユキか聖飢魔Uのデーモン小暮に似たヘアスタイルで、かなり特徴的。この方が和服にたすきがけ、一人で切り盛りしています。 まずは日本酒を注文。枡の中に厚手のグラスを置き、そこへ、なみなみと冷酒を注いでくれました。酒がグラスから溢れて枡にこぼれ出てくるのが嬉しいじゃありませんか。大き目のグラスでこぼれないよう入れても同じなのに、こうやって注いでくれると、なんだか得したような気になるものです。 “お通し”はポテトサラダでした。そこに入っている魚肉ソーセージがなんとも懐かしい。お代わりしたくなるほどでした。 料理は好みのものがたくさんあります。カウンター上の置かれた大皿には、今日の煮物や焼き物などがドーンと盛られていました。他にも納豆のお袋焼き、ゼンマイ煮、ピリ辛キンピラなど、一人で切り盛りしているにしてはメニューが豊富です。 日本酒は真澄、黒松剣菱、久保田など、これまた好みの銘柄がありました。ビールは中ビン(500円)と生中(600円)です。焼酎は大分の「なしか!」。その宣伝コピーにはこんなことが書いてありました。 要領がいいのしか出世せんのち! そん要領ちゅうのは学校じゃ教えんのち。 なしか! これはいずれ呑んでみるとして、今日は濁り酒「五郎八」をやってみました。写真にあるつまみは芋の煮っ転がしです。結構な量でしょ。これだけ食べるのに濁り酒1杯というわけにはいかず、あと1杯、2杯と呑んでいるうちに今度はつまみがなくなり、お薦めの馬刺しを注文することに。なかなか両方が同時に終わるというのは、難しいですよね。 それにしても、この中華街で馬刺しが食べられるなんてビックリしましたが、料理も酒も、たいへん満足できるものでした。 |