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MM線が開通してから、中華街はたいへんな賑わいを呈しています。新聞記事によれば、平日の来街者数は、以前の3、4割増しともいいます。休日は、もっと凄いことになっているのでしょう。 今までなら、昼頃に行っても必ず入れた店が、最近は観光客が多すぎて、入れなくなってきています。 十年ほど前、中華街への年間来街者数は1,200万人と言われていました。それが1、2年前には5割増の1,800万人にまで増加し、今年は軽く2,000万人を突破するに違いありません。まさに、ディズニーランドに匹敵するテーマパークと言えるでしょう。 今日は、そんな横浜中華街の歴史について、お勉強をしてみたいと思います。ここに中華街が出きるに至った経緯を知るためには、まず、19世紀半ばの外国の状況を見ておく必要があります。 横浜が開港する19年前の1840年、イギリスと清国の間でアヘン戦争が勃発しました。この戦いで清国が負けると、ヨーロッパの列強が続々と大陸にやって来て、広州、上海、香港などに商社の支店を建設し始めます。 それから十年ほど経った1853年、今度はアメリカの東インド艦隊司令長官ペリーが4艘の軍艦を率いて浦賀に現れました。イギリス、スペイン、オランダなどのヨーロッパ勢は、アフリカ、インドを経て清国へ到達したのですが、アメリカは太平洋を渡って日本へやって来たのです。 その背景には捕鯨上の問題がありました。鯨の捕獲は大航海時代の地理的冒険を通じて、沿岸から遠洋へと拡大しています。ビスケー湾から始まった捕鯨が北極海、北大西洋と進むとアメリカも参入してきました。そしてマゼラン海峡を越え南太平洋、北太平洋、日本近海まで鯨を求めて活動は広がったのです。アメリカから遥か彼方の極東まで来ると、どうしても水・燃料、休養が必要になります。そのための最適地が、日本だったのです。 「太平の眠りを醒ます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず」 当時、こんな狂歌が流行りましたが、喜撰とはお茶の銘柄で、その高級なものを上喜撰と言いました。もちろん蒸気船のかけことばであることはお分かりでしょう。そして、たった4隻に脅かされて夜も寝られなかったことを、4杯飲んだお茶のカフェインのため寝られなかったことに掛けているのです。 数日後、ペリー艦隊は品川沖まで侵入し空砲をぶっ放します。これは外交というよりも恫喝といってもよい態度でした。アメリカのこのような手口は、いまだに世界各地で行われています。 それは兎も角、翌54年、再びペリーが9艘の軍艦を従えて江戸湾に現れ、今の大桟橋近くに上陸しました。そして日米和親条約を締結。 それから5年後、横浜が開港し、多くの欧米人が横浜にやって来ました。しかし、彼らは欧米本土から来たのではなく、先に開国していた清国から来日したのです。そのとき、商館のコック、会計係、通訳などとして連れだって来たのが中国人でした。それには、次のような理由があります。 彼らには、漢字を通して日本人と意志の疎通ができるという通訳上の利点がありました。さらに、茶や絹といった東洋の産品についての知識があったこと、日本より先に開港し西洋流の商習慣に馴染んでいたことなどがあげられます。 最初は欧米の商館に住んでいた中国人たちは、次第に人数も増え手狭になってくると、今の山下町135番地あたりに集団で住むようになりました。これが横浜中華街の始まりです。 しかし、その頃から今のような料理店の集積があったわけではありません。当時の中国人は、さまざまな職業に就いていました。土木建築関係、西洋家具製造、パン製造、印刷、保険金融、写真技師など、欧米からの技術を利用した経済活動を行っていたのです。 その後、それらの分野に日本人も参画するようになると、中国人は次第に「三把刀」へと収斂していったようです。三把刀とは、刃物を使う三つの職業、料理人(包丁)、裁縫師(鋏)、理髪師(剃刀)を意味しています。手先の器用な中国人が得意とする分野といえるでしょう。 いまでこそ中華料理屋街の感が強いこの街ですが、1950年の朝鮮戦争以降20数年間は、アメリカ兵相手の歓楽街というイメージが強かったようです。62年のデータでは中華料理店が60軒ほどなのですが、それ以上に多かったのがバー・キャバレーで、81軒もありました。今の中山路はかつて「ハッピーアベニュー」と呼ばれ、たくさんの外人バーが並んでいたのです。 64年、根岸線が開通し石川町駅ができると、それまで徒歩か市電に頼っていた中華街は交通の便が非常に良くなりました。 しかし、決定的な転換点は72年の「日中国交正常化」でした。これを境に中華街を訪れる客とともに中華料理店も増加し、今では200軒とも言われるほどになったのです。三把刀から裁縫、理髪が抜け、料理だけに特化してしまいました。 最近は、従来のエリアからさらに広がりを見せ、住宅地にも店ができるようになりました。 横浜中華街はまるで宇宙のように膨張しているのです。 |