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= 間違い電話 =
今日、家に帰ってみると留守電が入っていた。 声の主は65歳ぐらいのおばあさんか? 「あ、もしもし○○ですが、あのー、フネ子さんのことを聞きたくて、お電話しました。また夜にでもかけますね・・・」 だれだ? フネ子? ダレダ? また夜にかけてくる気か? どうしよう・・・ 結局電話はそれっきりかかってこなかった。 間違い電話の留守電ほど意味のないものはないと思う。 聞いた方だって困ってしまう。 ふと、「祈り」について考えてみた。 いろんな人がいろんなものに祈っている。 しかし、そのほとんどは間違い電話のようなものではないかと思う。 世の中には実に多くの「神様」が存在する。 合格祈願、家内安全、交通安全、商売繁盛といった具合に次々といろんな神様に祈りをささげている。 もちろん、ほとんどの場合、祈ることに意義があるのであって、本当にかなえられると思っている人は結構少ないのかもしれない。 でも、一生の間で一度は必ず心からの祈りをするときが絶対あるのではないかと思う。 肉親の生と死の瀬戸際、人生をかけた一瞬、そして自分の死際・・・。 そんな時、もし祈る相手を間違えたら悲劇である。 なんの頼りにもならないものに真剣に祈っていたとしたら。 ちょうどさっきの間違い電話の留守電のようである。 フネ子さんがだれかはしらないし、多分それほど急な用事でもないようだ。 でも例えばSOSの電話や緊急事態の電話だとしても、間違い電話ではどうしようもない。 ぼくは他の宗教のことをとやかく言う気はないし、知識もないから何も言えない。 ただぼくは自分の祈りを聞いてくれるというのには、いくつかの条件があると思う。 1.自分のことを良く知っている 2.いつも聞いている。聞き逃さない。 3.なんでもできる力と知恵がある。 4.ぼくだけではなく、他のすべてのことをよく理解していて、コントロールできる。 5.先のことを読んで、ぼくにとって一番ふさわしい答えをくれる。 ぼくの願いがすべてかなっても困るし、そうなるとたぶん破滅するだろう。 まあ、もっと挙げればきりがないが、今思いつくのはこれぐらい。 とすると、たとえば、学問の神様とか商売繁盛の神様とか分かれていては困る。 非常に日本的というか縦割り式で、たらいまわしにされそう。 やはり、神様は一人じゃないと信用できない。 真理と言うのは比較ではなく、絶対的なものだから、他の宗教はぼくにとっては関係ない。 ぼくにとって重要なのは、細かい日常の問題にも解決を与えてくれて、人生最大の問題にも解決を与えてくれる。そしてぼくを愛してくれている方がいるということ。 そしてそれが全世界を造った神様であるということ。 聖書に書かれている神様への電話は、いつかけても話し中にはならないし、留守電にもならない。 どこからかけても圏外にならない。 夜中でも寝ぼけた声で出ない。 大切なのは絶対に間違い電話はしないこと。 |