眠ろう。
と囁いて、共に目を閉じたのは昨夜のこと。
目を閉じて、次に目を開けたら、もう朝が来ていた。
信じられない思いで、障子越しに漏れる朝の光を睨んだ。
何度か瞬きを繰り返し、視界と意識をはっきりさせる。
胸元に微かな重みと仄かなぬくみがある。
隣に眠る人を、リズヴァーンは蒼い双眸に映し出す。
その人を見つめるだけで胸に温かいものが充ちてきて、身体のどこかで『愛しい』と囁いている声がする。
それにしても。
布団を並べて眠ったはずなのに、少女は枕から頭を外し、身体を毛布にくるめ、布団の上に豊かな黒髪を散らしてリズヴァーンの胸元に引っ付くように
して眠っている。
リズヴァーンの位置からは、眠る横顔しか見えないが、硬く瞼を閉ざしていて、ぴくりともしない。ただ、ふっくらとした桜唇からは、すやすやと健や
かな寝息を溢している。
このぬくもりの傍にあれば安心だと言うように。
戦場に身を置いていた二人にとって、他人の気配には酷く敏感になっている。
互いの気配に深く眠れるものかと思ったが、余計な心配だったようだ。
身体が冷えないように自分の方へ背中を引き寄せて、毛布を肩までかけ直してやっても身じろぎ一つしない。
昨夜は夢一つ見なかった。
目を閉じた途端、意識がすうっと眠りに引き込まれた---と思ったら外の明るさに目が醒めたのだから、夢など見る暇はない。
勿論、目を閉じて再び目を開くまでの間は、少なくとも七時間以上経っている。
夜が明けるのが早いと思ったのは、こちらの世界に来て初めだ。
そう考えて、思い直す。
いや、ずっと前から、それこそ向こうの世界にいた頃から、夜は長いものと思っていた。
「………」
リズヴァーンがつらつらと考え事をしながら少女の貌を眺めていると、瞼が痙攣し、ぱちりと音がしそうなほどはっきりと目を開く。
それでもなかなか焦点が合わないのか、少女は寝惚け眼で暫くリズヴァーンの貌を見つめた後、ふわりと笑った。
「おはようございます。リズ先生」
「おはよう……良く眠れたようだな」
「おかげさまで。先生は?」
「私も同じだ。眠ったと思ったらもう朝だった」
望美は同意する。
「あっという間に朝が来たって感じがします」
夜が短かった。
それだけ互いに深く眠っていたと言うことなのだろう。
まだ僅かに眠気を滲ませて望美は笑う。
そのとろりとした貌を見つめ、毛布に包まれた身体に触れながらリズヴァーンは訊ねた。
「どこか痛むところはないか?」
「痛むところ……?」
「ああ。望美には辛い思いをさせた」
一眠りする前から少女の体調が気になって仕方がなかった。
人は自分の心ですら持て余すのに、望美は他人の心の苦痛を受け入れたのだ。
一晩経って、その影響がどこかにでていてもおかしくない。
望美は自分で自分の身体に触れ、あちこち探ってから口を開いた。
「別に。辛くないし、怪我したところもないですよ。大体昨日は……」
望美はリズヴァーンの貌を見つめながら視線が遠くなる。
昨日の出来事を思い出そうと、記憶の扉を開いた途端、怒濤のように記憶が押し寄せてきた。
その記憶の中には、リズヴァーンに触れたひとときもあって、それが鮮烈に甦ってくる。
望美は一瞬にして表情を強張らせた。
そうかと思うと、望美の貌に、かあっと血の色が上った。
慌てて望美は自分の頬に顔を当てたが、これほどの至近距離ではリズヴァーンに隠しようがない。
貌が火を噴いたように熱く火照っている。
リズヴァーンは暫くまじまじと望美の貌を凝視めていたが、表情を読んで、小さく吹き出した。
それはリズヴァーンの意表を衝いてくれた。
しかも、一度溢れた笑いは腹の底に留まることなく湧いて出て、ついには望美の肩に縋って身体を震わせていた。
「ちょっ……先生」
大柄の体躯に抱きしめられると言うより懐かれて、望美は目を白黒させた。束の間羞恥を忘れたほど。
喉の奥の震えは止まらない。
しかし、いつまでたっても引かないその笑いの漣に痺れを切らして、ぺち、と軽く彼の身体を叩いた。
「先生、笑いすぎ」
「すまない」
身体越しに望美のむくれた声が聞こえてきて、リズヴァーンはすぐさま謝った。
身体を放しながら、
「同じ言葉でも、相手によって、様々な意味合いに取れるのだなと思った」
性的なことを訊ねたつもりはなかったのに、望美はそちらの意味に受け取ったらしい。
「悪かったですね」
望美は幾分ふて腐れたように言った。口を尖らせていても本気で怒っている訳ではない。
それを知っていても、敢えてリズヴァーンはかぶりを振った。
「いや、こちらが訊きにくいことを答えてくれて助かった。………身体のことは訊こうと思っていた」
指先で寝乱れた頭髪を撫で付ける。
「おまえの身体に負担を掛けたのではないかと気になっていた」
「私は大丈夫」
あの熱に浮かされたひとときの中で、大切にされた記憶しかない。
「……先生に触れることが出来て嬉しかったし」
傷つけないように、細心の注意を払って触れていたのを、望美は知っている。
あんな時でも、リズヴァーンは自分の感情に溺れることなく、ただひたすら望美のことを考えていた。
「私はおまえに触れたことを謝るつもりはない」
この人が『ここ』にいるのか確かめたかった。
間違いなくこれが現実で、目の前の身体が血肉を持った温かい身体であると知りたかった。
何より、この人を欲しいと思った。この人でないと自分はだめなのだ。
それは、言葉で伝えるよりも確実に、望美に伝わっている。
毛布から伸びてきた繊手が、リズヴァーンの頬を擦るように触れてきた。
「謝ったら怒ります」
「そう言うと思った」
望美の強がりに、リズヴァーンは淡く笑む。
「謝れと言われても謝れない。この先もきっと私はおまえに触れずにいられない」
望美の指先が目許を辿る。そこには、かつて望美と自分を繋ぐ証があった。
今はもうそれはない。
しかし、その証がなくても自分は望美の傍にいる。
決めたのだ。
そのことで自分は揺らぐまい、と。
望美は花が綻ぶように桜唇を開いて、リズヴァーンに笑い掛けてきた。
「それは……勿論」
-終-
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