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「ねえ、アンケートに答えてくれる?」と彼女は僕に訊ねた。
「偶然、あなたが選ばれたのよ。名簿から無作為に取り出されたのが、あなたの名前だったの」
「ふうん」と僕は答える。
彼女は茶封筒から調査票を取り出すと、背筋をぴんと伸ばし、紅茶をひと口飲んだ。
「これからの私は、あなたの知らない、ただの調査員です。だから正直に答えてね。頭を切り替えて、よろしくおねがいします」と彼女は言ったが、自分自身に言い聞かせているようにしか聞こえない。
「まあいいや。で、何が聞きたい」
「ではと、イエスかノオでお答えください。あなたは、もう一度子どもの頃に戻りたいですか?」
「ノオ」
「それほんと? 信じられない」
「じゃあ、イエス」
「ねえ、どっちなんですか? はっきりしてください」
「ノオ」ぼくはちょっと頭にきて、すこし大きい声を出したので、レジにいたウェイトレスがちらりとこちらを向き、唇を横に細く結んで微笑んだ。少し静かにしてね、というかんじに。
「ねえ、よそ見しないでください。ノオ、ですね」彼女はすこし口をとがらせ、回答を書き留め訊いた。「では次の質問です」
あなたにとって人生でいちばん幸福な時は何歳の頃ですか?
「いきなり、哲学的な質問だね。すこし話しが長くなってもいいのかい?」
「かまいません。馴れてますから」
「オ−ケ−」僕はグラスに半分残った水を飲み干した。
「ある日のこと、男はとても古いカセットテ−プを見つけるんだ。机の引き出しの裏側に落ちていて、ラベルには鉄腕アトムのシ−ルが貼ってある。彼には、そんなものは全く見覚えがない。誰かが歌謡曲かなにかを録音して忘れてしまったんだろう、と何も考えずそれをごみ箱に捨ててしまう。ところが、翌日、食堂のテーブルの上を見ると、そのカセットテ−プが置いてある。
燃えないゴミは捨てないこと!
添えられたメモには、彼が一緒に暮らしたいと思っている女性のサインがある。彼が眠っている間に、彼女が部屋を片付けてくれたのだ。彼は、やることもないから、ちょっとそいつを聴いてみることにする。
雑音の向こうで、食器のこすれあう音や何人かの子どもや大人の笑い声がする。彼らが近くにやって来る気配が伝わってくる。
知らないうちに、彼は音のする部屋に吸い込まれていくような感覚を味わっている。パンパンと乾いた音をたていくつかクラッカーが鳴り、喜びながら走り回る子どもたちの声。テープレコーダーに向かって、司会者のように客観的に説明する声は全く入っていない。むしろ、わざと会話していないようにさえ聞こえる。そういえば、はじめてテープレコーダーで録音したとき、なぜだか緊張してしまい、何をどう話していいのかわからなかったな、となつかしく苦笑する。きっと、かれらもそうなのだろう。
拍手、そしてハーモニカの演奏が始まる。そう、これは知っている曲だ。
『聖者が町にやってくる』
吹いているのは妹だ。彼女はハーモニカがとても上手く、人が集まると、きまってこの曲を吹いた。彼女の得意そうに小さな鼻をつんとつきだした顔がすぐそこにいるようだ。
誰かの誕生日か何かだろうか。昔はよく、家族や友だちとパーティーをした。朝早くから待ち遠しくて、買い物に行ったり、窓も床もぴかぴかに磨いて、すべて準備が整ったのに、まだお客さんが来ない時間のそわそわした気持ちが蘇ってくる。彼はそれがいつの日のことか、正確に思い出そうとするが上手くいかない。
また拍手。
『将来は何になりたいですか?』と若い女の声。まわりで笑いをこらえている気配。
ここで、彼ははっきり思い出す。記憶の深い森に棲む白鳥の王子が目覚めるように。十歳の誕生日、母の質問に答える少年の自分がそこにいる。
『もちろん野球選手だよ。でも、なれなかったとしたら、ぼくは困っている人を助けるような仕事をしたいな』
『まあ、なんておまえはやさしい子なんだい』と父がからかう。
彼は不思議な気持ちになる。少年だった彼はもう年をとっていて、その時の両親よりも年上なのだ。
『カッコつけてるじゃない』と妹がくすくす笑い、少年は追いかけようとするが、すべって転ぶ。家族一同笑いころげる。
そこで突然、カセットテ−プは終わる。
彼は、おいてけぼりをくったような気持ちになる。舞台の登場人物で生き残っているのは彼一人だけなのだ。とても幸せだった少年時代」
「人生でいちばん幸福な年齢は十歳の頃だと思うよ。でもこれから、彼はその頃よりも、もっと幸せになれると思うかい?」
「そうねえ」彼女はにっこり笑って、考えるふりをする。
「彼がその頃よりもっと幸福になれるかどうかはわからない。だけど、その人があなたじゃないってことだけはわかるわ。だって、あのカセットテープには、何もはいっていなかったもの」
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