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岡田真次
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映画館「ネプチューン座」は海底の古代遺跡のように、高層ビルの谷間にひっそりと佇んでいる。二十世紀末に建設され築五十数年を経過したその三階建てのビルは、まるでバートンが描いた絵本「ちいさいおうち」のように、時代とともに変貌する都市の中でおきざりにされ、高層ビルに挟まれて身を縮ませているように見える。絵本で擬人化したその家は、暮らしにくい都会をあとに、りんごの木やひなぎくの咲く丘のある、むかしむかし暮らしていたような風景の場所に引っ越して幸せになるのだが、その映画館は現在のところどこへも移転する予定もないし、都会暮らしに嫌気がさしているというわけでもなかった。 古風で謹み深い彼女は、眠りの森でまだ見ぬ王子を待ち続けている。 インターネット・ニュースの報道記者は、その時代遅れの映画館についてコラム「二十世紀の風景」の中でこのように評した。画面には、ネプチューン座周辺の建設当時の写真と現在の写真が並べられている。過去の写真の中におけるその映画館は、賑わいのある風景の一部分として、街の景観に見事に溶け込んでいる。試しにその写真でジグソー・パズルをこしらえ、バラバラにしてみたとして、そこからネプチューン座のピースを探し出すのはかなり骨が折れることだろう。いっぽう、現在の写真の中での位置はというと、街にすっかり飲み込まれ埋没してしまっているという印象を受ける。偏光強化ガラスに覆われた蒼く光る両脇の高層ビルの間で、コンクリートが劣化し流行遅れで人気のない映画館は、すっかり個性を奪われ、ほとんど存在さえも無視されているといってよいのだった。 とはいえ、ここにも文化遺産的なものは存在する。事実この市で現在、フィルムを映写機のリールでカタカタ鳴らせて巻き取りスクリーン上に映像を映し出す昔ながらの映写装置のある劇場は、ここか二〇世紀文化保存博物館くらいのものである。劇場で大勢の人々が一斉に同じ映画を見る行為自体、今日的ではなくなっていた。好きなときに見たい映画をデジタル映像によって個室で楽しむ、というのが二一世紀的映画観賞スタイルである。もう誰も隣人のいびきや、きつい香水の匂いや、いちゃつくカップルを気にせずに画像に集中することができるし、経営効率の面からいってもこのほうがはるかに高い採算性があるのだ。 何か、悪い面ばかり目についてしまうのだが、このような理由によって、効率至上主義からも疎遠な映画館には、いろんな意味で現実感そのものが希薄になり、夢の中にでもいるのではないかと疑われても仕方ないのだった。 しかし、ネプチューン座は永遠の眠りについているわけではない。その気になれば、アイスクリームをなめるヘップバーンだって、十五分以内に映し出すこともできる。貸し切りにしてしまえば、レストランでメニューを選ぶように、上映リストの中から好みの映画をリクエストすることもできる。ただ、いくらその気になろうとしても、ちっとも客が来ないのだ。一日開館して、せいぜい七、八人の客を相手に二回も上映すれば良いほうなのだった。 「やあ、本日の上映作品は何だね?」 |
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