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晴れた九月の金曜日の午後、ぼくたちは車を北へ走らせ高原の湖畔に着いた。コナラの林の間から、夕陽の落ちた空にサソリ座が見えはじめていた。彼女は熾きになった焚き火の熱で頬を赤く染め、ゆっくりと静かに話しはじめた。遠くの森でみみずくが人間の時間が終わりに近づくことを告げている。夏空の透明な時の中を音もなく星が流れた。
星降る夏の夜、山の中で車がエンストしたの。緑の稲穂が一面広がる水田の側の一本道で、車がひとつ咳をしたかと思うといきなりエンジンが止まった。民家の明かりなど全く見えないし、私って未だボンネットひとつ開けたことがない人だから、降って湧いたような事態が上手く理解できずに呆然としていたわ。ひんやりとした外気にあたって、地虫と蛙の声を聞きながら星空を見上げ考えたことは、タイムスリップなんかしていたらどうしよう、ということだった。ばかみたい。
それからどのくらい時間が過ったか、微かに遠くエンジンの音が聞こえてきたの。とにかく私ライトに照らされた道路の真中に立ちはだかり、合図を送った。オートバイは少し手前で止まり、ヘルメットを脱いだ彼は私と同じくらいの年頃に見えた。今でも不思議なのは、彼が目の前に現れた瞬間、私は今後どうこの話が進展していくのかがわかったこと。今まで何かを予知したとか、夢の中の出来事が現実になったとか、そういった類のことはこれまで皆無であったにもかかわらず。わかるかしら? それは、見たことのある映画のストーリーのように、ただそこにあったの。
思ったとおり、彼の手にかかると車は何事もなかったようにたちまち息をふきかえし、彼は汗ひとつかくことはなかったわ。
「何かお礼がしたいのですが」と私とても丁寧に感謝を込めて訊いたの。確かにどんなお礼でもしたい気持ちだった。
「じゃ、食事をつきあってくれる?」と彼は訊いたの。「今すぐにここで」。
普通なら何かおかしいと思うはずだけど、そのときはすこしも怖くはなかったの。さっきも言ったように、私にはわかっていたから。
「ついておいで」と彼は言うと、さっさとデイパックをかついで、懐中電灯で小道を照らし歩いて行くの。すすき野を歩きながら、夜なのに何だか明るいな、と思った。見上げると雲間から丸い月がのぞこうとしていた。そして、いきなり目の前がひらけ、ゆったりと流れる川が曲がったところで、そこにぽっかりとした河原があった。
手際よく流木を集めてきた彼は「おいしいサンドウィッチがどっさりあるんだ」と言って、たちまち焚火をおこし、いつの間に敷いたのかテーブルクロスをシートのかわりにしてくれた。その時私短かいスカートだったけど、周囲が青いインクをこぼしたような闇だったから全然気にならなかった。それまで私は焚火をしたことなんてなかったし、男の人とふたりきりでこんな夜にいることなんて初めてだったけど、ちっとも警戒心が起きないのよ。ほんとに不思議ね。
それはまわりの環境のせいでも、危機的状況から救われてほっとしたからでもないということに気づいたのは、その日彼と別れてしばらく経ってから。つまりその人のせいよね。こうなると素敵なのにって思っても、まずはそのとおりにはならないんだけれど。
でも、私がそのとき見たのは、それだけではなかった。ゆったりとうねる時の流れに、ただ流されている自分の姿だった。車のエンジンが止まり、彼が現れる。日常の日々はそのときを境として、わたしの目の前でわかれていた。一方の流れを運命と呼ぶのかもしれないけど、でもその流れに乗っていても結局このままどこにもたどり着くことはできないのだと気づいた。それは私にとってほんとうに怖いこと。ただ時に身をまかせるだけの人生。わたしはその流れの中に入っていくことを、拒否し、立ち止まった。
彼女は暗い森の方向に目を向けたまま、静かに息をしている。夜風に炭火がかすかにゆらめき、明るさを増した。
「それから?」と務めて静かに僕は訊いた。
「それだけ。電話番号も知らせず、ただ新鮮なトマトとベーコンのサンドウィッチを一緒に食べて、それでおしまい」彼女は胸の前に腕を伸ばし、ぴったりと合わせた手のひらをゆっくりと開いた。ほら何もないでしょ。
「でもね、それから私は焚火が大好きになった。それで今、こうしてここにいるというわけ」 |