ヨゼフ=ハルテル氏 講演会
エッチャーランド内観研修所所長
2005年5月24日 石井先生の刑事政策の授業内で
(講演はドイツ語、石井先生が通訳)
「行刑と依存症における内観」
内観との出会い
私は8人兄弟の貧しい家庭に育ちました。父は一定の職がなく、母は工場で働いていました。私は小、中8年間しか学校へ行っていません(ドイツの制度ではそう)。それなのに今こうやって大学で講義しているのは実に不思議なことです。私の父はアルコール依存症で、飲むと暴力をふるいました。13歳のときに父は女をつくって家を出て行きました。私は父を憎んでいたので喜びました。父は教会に行かない人だったので、村で私達は仲間はずれにされていたのです。
だから学校を卒業するとだれも私のことを知らないまちで職業訓練を受けました。でも仕事も好きになれず、友達もできずにうまく行かない日々が続きました。
14のとき、悪い仲間にとアルコール、ハッシジ(ドラッグ)をやりました。たまに家に戻ると父親のように暴力的になりました。家族と縁がきれがちになり、ますますハッシジにはまっていきました。そのうちスピード(覚醒剤)に手をだすようになりました。ひどいときには1日に50粒飲んだりしました。1週間以上寝ないときもありました。自分の中でだんだん世の中が狂っていきました。
16歳で仕事をやめ、知り合った女性と一緒に住み、彼女に売春をさせてお金を稼がせていました。彼女が売春することは問題ありませんでした。私にとっては薬を買うお金さえ入ればどうでもよかったのです。スピードをやると攻撃的になります。やがてコカイン、ヘロインにはまっていき、最初は吸入だったのですが最終的に注射するようになり依存症になりました。私は禁断症状で一日2gの薬が必要で、それはだいたい10万円でした。彼女の金では足りなくなり、仲間と組を作って強盗をしました。そうしているうちに警察につかまりました。
裁判にかけられ、判決で6週間のセラピーか拘禁を選ぶことが出来ました。私はセラピーを希望しました。しかし、表面上はやってもまったく本気ではありませんでした。14日後、また麻薬に手をだし中毒にもどりました。パスポートを偽造し、非社会的に生きていました。アムステルダムからウィーンへ麻薬の引きをして暮らしていました。たいてい道端や売春宿で寝ていました。そのころの私にとっては金があってコカインをやることが全てでした。父を殺そうと思ったこともありました。彼女は薬のやりすぎである朝私が起きたら隣りで死んでいました。私は犯罪者だったので、彼女を置き去りにして逃げるしかなく、非常に嫌な思い出です。よく刃物やピストルで喧嘩をしていました。よく死ななかったものです。
17歳で再び逮捕され、2年間拘禁されました。表面上だけのセラピーを受けながら、あらゆる手段を使って麻薬を手に入れてやりました。一度逃亡しましたがすぐにつかまりました。私は他の受刑者と問題を起こしたり、官舎に火をつけたりしてたので独居房に入れられてました。そこでも自殺未遂を繰り返しました。出所してもまたすぐにつかまりまた2年間拘禁されました。私は普通に働く人間を憎んでいました。
23歳のとき、私は重犯罪者の刑務所に入っていました。そこの受刑者の中では私は一番若いうちの一人でした。他の者とは関わりあいたくなく、刑務所の中で麻薬の取引をしていました。
ある日、窓の外を見ると800人の受刑者が散歩していました。私はそれを見て非常にショックを受けました。そこに自分の将来を見た気がしたのです。14歳までは私は家事を手伝ったりしてとてもいい子だったのに。初めて拘禁されたとき、祖母が「もう会えないね」と言いました。そのとおりに祖母は刑期中に死にました。私の母はいつも働いてたので私は祖母に育てられました。祖母が今の自分を見たらどんなにつらいだろうと思いました。でも私はだれも信頼できませんでした。人生を変えなければ私は刑務所で死ぬか、撃たれて死ぬだろうと思いました。麻薬で死んだ仲間は30人くらいいます。自分も自殺未遂を繰り返していました。
そのショックを受ける2週間前、仏教の本を読みました。ブッダの教えは2500年も影響しているのだから、何かしら真実があるのだろうと思い、坐禅をやり始めました。そのとき悟りを得るまで坐禅をする。もしやめたら自殺をしようと決めました。仏陀が本物なら私は悟りをひらけるだろうし、いんちきだとしたら仏陀は世界一の嘘つきで、私は2番目の嘘つきになれるのでどっちでも悪くないと思いました。毎日2〜4時間、壁にむかって座りました。麻薬の取引もやめました。
そうやっていると、刑務所の医者が、彼は仏教徒だったのですが、私が私が変わったといいました。そしてオーストリアに仏教センターがあるということを教えてくれました。私は刑務所の厨房で働いていたので、刑務所を出たらそこで働き、坐禅を習いたいと手紙にしたためて送りました。彼らは「内観」をするなら働いていいといってくれました。内観が何か知りませんでしたが、麻薬から解放されるなら何でもやろうと思いました。本当の生き方をしたかったのです。
しかし、最初に内観の説明を聞いたときはショックでした。4年間も刑務所にいたのに、また狭いところから動いてはいけないというのですから。でも、やる以上は全力でやりました。100%麻薬に向けていた力を100%内観に向けました。夜も眠らずに内観を続けました。2回目の父に対する内観で面白いことが起こりました。内観をやる前は、父は死んだも同然と思っていたのですが、ある朝5時ごろに父が私を起こして森へキノコ取りに出かけたことを思い出しました。手をつないでいました。どんなところにキノコが生えているのかとか、大きいキノコを取るときは小さいキノコを踏まないようにしなさいと教えられました。そのときのキノコの匂いや、父の大きな手を思い出しました。父は私を背負ったので私は頭が枝にぶつからないように頭を下げていなければなりませんでした。そのときの父の汗の匂いも思い出しました。それまで父のことはどうでもいいと思っていたけれど、涙が溢れてきました。このとき、私は父が私のことを愛していたのだと、初めて体感しました。父は愛していると一言も言わなかったけれど、愛していなければそんなことはしてくれません。父は言葉で表現できない人だったのです。それから過去のことがとめどなく溢れてきました。味や匂いが蘇ってきました。面接者に短く報告するのが大変なほどでした。初めは泣くのを恥じていましたが、止まらないのでどうしようもありませんでした。泣きつづけました。犯罪人生から外にでたのです。
しかし、すぐにもとどおりというわけにはいきませんでした。3ヶ月ほどは内観に酔った状態でした。しかし、また麻薬に戻りました。しかもお世話になった仏教センターのお金を盗んで麻薬を買いました。私はあのとき本当に地獄にいました。やっと希望が見えてきたときにそれがなくなったのです。自分が恥ずかしくてたまりませんでした。もう誰も私を助けることができない、自殺をしようと決めました。HIV感染者の知り合いと故意に3週間ヘロインを同じ針で注射しつづけました。だんだん量を多くして気を失い、気付いたときは警察にいました。自殺しないように全てがゴムでできている保護房に裸で入れられていました。もうHIVにも感染したし、全てが終わったと思い、歯で動脈を噛み切りました。しかし血だらけで発見され、ベットに拘束され1ヶ月ほど重い鎮静剤を投与されました。そしてまた独房へ戻りました。自分で自分に距離を置きました。そして3ヶ月内観と坐禅をしつづけました。
検査の結果奇跡的にエイズには感染しておらず、あれほど裏切った仏教センターの人が面会に来てくれました。内観の面接者が1週間に一度くらい面会にきました。その人はいまの私の妻です。
裁判では精神科医の医者が私を更生不能とし10年間の拘束を訴えたのですが、私は内観のことを話したところ、裁判官は一番軽い刑にしてくれました。14ヶ月服役して、それ以後私は犯罪を犯さなくなりました。内観が正しく、精神科医の言ったことは間違いです。
6ヶ月間仏教センターでお世話になって27歳でウィーンに彼女と移りました。しかし前科11犯では仕事がなかなか見つからず、3年かけて指圧、マッサージを学びました。そして1992年内観研修所を開きさらに内観、坐禅を続けました。今、150人の弟子がそこで勉強しています。今までに130人が内観をしました。2000年には私は仏教の師匠から僧職を与えられたので、もう自殺も出来ません。
2005年5月24日
内観フォーラムでの特別講演
(石井光先生が通訳)
エゴです。
私も悪い性格を持っていますが、それがいいのです。全く悪いことを考えない僧侶がいたとしたら、それは悪い僧侶です。その僧侶の前に立つと余計自分が小さく見えます。僧が私を小さくしてしまうのです。私の元へ内観しにくる人たちは悪いことを報告することが楽なのです。みんなも私が悪い人だと信じていますから。面接後、仏に報告します。いっぱい悪いことを聞いたけど、私のほうがずっと悪いです、と。
個人的な私の歴史を短く話します。23歳の時に坐禅をはじめました。刑務所に何年もいて、薬にはまって、ピストルも持っていました。そして売春街にいました。未来がありませんでした。自分は変わらなければ刑務所で死ぬだろうということに気付き、ショックを受けました。今はオープンに話すことができますが、長い間できませんでした。自殺をするか抜け出すしかない。抜け出すとは悟りを開くことです。
お釈迦様の言うことを信じる必要はありません。お釈迦様のしたkとを体験することが大切なのです。深い体験のためには坐禅をしたのです。お釈迦様を試しました。2500年も広まっているのは、どこかに真実があるからだ。もしもお釈迦様が間違いだとしたら彼は最大の盗人です。そういう理論から、真実を得るのも、お釈迦様の次にすごい盗人になるのもどっちもいいと思いました。悟りを得るまで修行を続けると決めました。
出所後仏教センターに入るには内観をしなければなりませんでした。それは非常にショックでした。4年以上拘禁されていたのにまた小さな部屋に拘禁されるというのですから。しかし、今までの人生を変えたかったので必死にやりました。最初の内観で父が私を愛していたことを知りました。それを知った最初の何日間かは泣きつづけました。何度も内観をしました。断食しながら内観や、日常内観を繰り返しました。
人々が一週間内観に行くといいますが、本当に一週間するでしょうか。違います。眠気や雑念といろいろと戦います。本当は内観のトレーニングをしているのです。内観の3つの質問に取り組む。でも本当にやっているのはどれくらいでしょうか。本当に内観に入り込んでいるときというのは、私が内観をしているのではなく、内観が私をしているのです。内観が起こっているのです。私がそれに提供する。全く違うことです。人々がやっている内観はトレーニングでしかないのです。
私が今回話をするにあたり、落ち着く時間は必要だったか?いりません。講演は心を開けばやってくれるのです。みんなは心の問題を抱えているのだから、私は話さなければなりません。私はこういいます。「内観に行ってください」しかし人々はもっと複雑なことを要求するのです。吉本先生(内観の創始者)はもっと大きな悟りを持っていて、方法論を作りました。「自己が自己」を見るのです。「私」が「自己」を見るのではありません。内観はエゴから来ています。人々はエゴをなくして「自己」が「自己」を見ることが必要です。内観とはそういうものです。かつて犯罪者として売春宿へ誘うように、今は皆さんを内観へ誘います。みんなが行ってほしい。でもそうならなくても私は幸せです。私の母はやがてしぬでしょう。でも私は幸せです。彼らは天国へ行きます。たぶん仏陀となって私のところへ戻ってくるでしょう。私は横のほうで家族を持ったり仕事をしたりしています。でも全部それは脇のことです。そういう問題があるからこそ幸せなのです。「自己」が「自己」を見つめるとはそいういうことです。
あるとき内観をした人が1週間ごに会った時にこういいました。その人は駅に行き、地下鉄が入ってきたときに泣かざるを得なかったのです。前は地下鉄が遅れると怒っていたのに、今は来てくれることに感謝していると。
もっと内観をすると誰かが問題を持ち込んできてくれることに感謝するでしょう。それはネガティブなことでなく、全てがすばらしいことなのです。世界はすべてワンダフルです。ほとんどの人は問題をかかえています。それを解決するための内観は、内観の表層的なものでしかありません。人々は苦しみから解放されたい、それは当然です。しかしそこで止まっていたら泥棒と同じです。誰かが病気になったので自分は健康になったのと同じことです。全ての健康で正直で真面目な人は嘘つきです。セラピストは患者が健康になったと言いますが嘘です。なぜなら彼はまだ悟りを開いていないからです。悟っていないと周りのものの魂を汚します。かつて身調べに来る人は、「悟りを得るまで修行する」と契りをたててやりました。そうすると、「病人がまた来た」といわれたのです。我々は病人です。意識が健康ではありません。自分が全部を与える用意ができていれば誰も何もとることはできないのです。我々は内観をやるとき表面的なこともできるが、深くもできます。しばしば内観をした人はは感動した話をします。涙が出たと。確かにそうです。人々はそれが深い内観だと思っています。それはエゴに過ぎないのです。
深い内面的な内観は平和で、平安で、感情が高まったりしないのです。「忍」を持っているとそうなります。人々は悪かったことが起こると悪かった、良かったことが起こると良かったと思いますがそうではありません。私は全てを持っているので全てがOKです。もっと静かなところへいきます。日常生活でもそっちに向かって生きていないとそうはなりません。そうなれば、足は大地にあるが心は浄土へ行くことが出来ます。(浄土とは仏教的な意味ではなく人間的な意味で)浄土はそこら中にあります。意識がきれいになったときに起こるのです。親鸞は一度念仏を心から念ずれば浄土へ行けると言いました。完全にきれいで、命さえいらないという状態です。誰かが、私の命を差し出せば悟るというなら私はその用意ができています。私はとても悪い人間です。でも私の妻はそんな人と20年も一緒にいます。妻は私が捧げる準備ができていることを知っています。妻がこどもたちのことについて言うのも知っています。妻は「あなたが狂っているのか、それとも本当にそこまで行ったのかわからない」と言いますが、それは大きな問題ではありません。あなたがどこまで行っているのかわかればいい。すべてはやわらかくて、軽くて、でもそうなるためにはハードにやらなければいけません。私は頑張ったという感覚を持っていてはいけない。普通我々はそこにあるものを見ます。しかしそういうふうに見えているだけです。お日様はだんだん下がって来て消えます。お日様が行っちゃったと思います。でも光が残っているのです。内観を深めていくとお日様が行ってしまっても光を見ることが出来ます。その光はお日様よりもおもしろいのもです。しかしとても輝いています。
「自己が自己を見つめる」。人々は「私」が何をやったかという感覚を持っています。「私」とは幻想です。周りなしでは私は存在しないのです。時間、空間も幻想です。エゴがあるから起こるものです。私と相手の空間は、私が完全に開いていれば空間はなくなるのです。
※あなたの悟りとはどんなものですか?という質問に対して彼は言葉ではなく行動で答えを示します。と言って、一度おじぎをし、膝をつき手をついて二度おじぎをして、たって再びおじぎをした。