フィレンツェ/トスカーナプロジェクト2005京都
日伊ビジネス交流推進企画
〜日伊ビジネスフォーラム〜

Progetto Firenze / Toscana 2005 a Kyoto
Business Promotion
Japan-Italy Business Forum

パネル・ディスカッション / Panel Discussion

「都市経営の時代〜文化・商業振興を基軸にした街づくり〜」
“Era di Urban Management - Progetto della citta’ con lo sviluppo commerciale e culturale”

  
■コーディネーター / Coordinatore

宗田好史(京都府立大学 助教授)
Yoshifumi Muneta (Professore / Kyoto Prefectural University)

■パネラー / Paneller

エミリオ ジェノベージ(ミラノ・ドムス・アカデミー ゼネラル・ディレクター)
Emilio Genovesi (General Director / Domus Academy Milano)

レンゾ ビッラ(在日イタリア商工会議所 理事)
Renzo Villa (Consigliere / Camera di Commercio italiana in Giappone ICCJ)

平井義久(京つけもの 西利 代表取締役社長)
Yoshihisa Hirai (Presidente e Amministratore Delegato / Nishiri)

細尾真生(株式会社 細尾 代表取締役社長)
Masao Hosoo (Presidente e Amministratore delegato / Hosoo)

三浦健次(東京汐留シオサイト5区イタリア街開発プロジェクト・クリエイティブ・ディレクター)
Kenji Miura (Creative Director / Progetto per lo sviluppo di una comunita’ italiana a Tokyo Shiodome Sio-Site n.5)


-パネルディスカッション / Panel Discussion-

宗田好史(京都府立大学 助教授)
Yoshifumi Muneta (Professore / Kyoto Prefectural University)

第一部にてヨーロッパの都市再生の中核としてのアーバン・センターの話がありましたが、ヨーロッパの様子はなかなか日本には伝わりづらいところがあります。日本ではここ7,8年の間、中心市街地の再生を行っています。産業構造の転換、バブル崩壊後の都市経済の停滞に対して、いろいろな危機が叫ばれ、そのための政策がでているわけですが、ヨーロッパでは。実は、日本より20年早く産業構造の転換、都市の危機が訪れたことは皆さんご存知かと思います。例えば、1970年代から80年代にかけて英国病ということをいって、イギリスの産業構造、あるいは経済全体がいかに立ち遅れていて、我々日本がいかに優れているかということを言って、日本の素晴らしさに酔いしれた時代があります。ところがこの間、英国病のイギリスも、長い間経済が停滞しているといわれていたイタリアも、決して座して衰退を待っていたわけではなく、EUを中心にヨーロッパがひとつになって都市再生に取り組んできました。このEUの一連の都市再生、地域再生事業を例えば、インテレッグというような財政制度、あるいはプロジェクト制度で呼んだり、特にミラノ、アムステルダムの事例が説明されましたが、アーバンという事業名で呼ばれたりします。この中でイギリスでは、例えば、タウンセンター・マネジメントというような第三セクター方式といいますか、半官半民の都市を経営する組織、タウンセンター・マネジメントが設立され、イタリアではアーバン・センターをはじめ、各国それぞれにいろいろな形をとりますが、その行政と民間のパートナーシップによる都市再生の取り組みが進んできました。
日本ではイギリスのタウンセンター・マネジメントとアメリカの同じようなシステムを都市再生に使おうと言うことで、中心市街地活性化法にいいます、タウン・マネジメント・オーガナイゼーション、街づくり公社と訳したりしておりますが、この仕組みをつくりまして、中心市街地の再生のための基本計画を作った自治体の資金、商工会議所、経済界の基金を集めて、街づくりを担う公社を作るという制度を発足させました。
実は、この法律が制定されてから7年間に全国520の自治体で、中心市街地活性化基本計画が作られました。その街づくり公社TMOもすでに300近く設立されています。京都では、この京都の都心にはありませんが、伏見区に伏見街づくり公社があり、これが、京都では最初に認定を受けたTMOです。その活動が、今ジェノベージ先生からお話をいただいたような、都市の再生に繋がるあれだけたくさんの事業をてきぱきと行っているかというと、なかなかそうはいかないというか、そもそも、どうすれば都市がトータルに再生できるかということを知らないまま形から入ってしまったがために、TMOはできたけれども、さて何をしたらいいのかわからないというのが、非常に大きな課題として、今、日本の我々に残っているわけです。
今から三浦さんにまず、お話を伺います。三浦さんは、汐留シオサイトのタウン・マネジメントをしている特定非営利活動法人コムーネ汐留を代表して、今日の主催者でもありますが、このパネルディスカッションにご参加いただいていますが、我々東京の汐留で大規模に再開発が進んでいる一角、シオサイト5区にイタリアの街ができるというと、ついつい長崎にあります、ハウステンボス、オランダ村というものを創造してしまいますが、今ジェノベージ先生からご紹介があった、そのシオサイトの計画を見ますと、どうもそのようなものではない。そのディズニーランド、オランダ村のように、イタリアの街並み、広場をそこに実現して、その日本人のお客様を喜ばせると言うような仕組みではなくて、もっと非常に深いところで都市再生の、あるいは、21世紀の都市の形を実現していくためにイタリアの知恵と日本の文化を融合することで、新しい文化的な中心としてその東京のひとつの重要な中心となるような仕組みを、わざわざドムスアカデミーからジェノベージ先生をはじめとするスタッフの皆さんに来ていただいて、作っていこうとする大変な取り組みだということがわかります。おそらく、現在グローバル化が進んでいる中で、日本の、東京のお客様は頻繁にイタリアに行き、イタリアのお店、街で買い物をし、飲食をする。そのお客様が東京に戻ってきた時に、まがい物のイタリアで満足されるはずがありません。そこには当然本物以上に本物のイタリアがあり、その日本のお客様のイタリア人よりはるかに厳しい美意識に答えることができる。日本よりも日本らしいその商品、そして、サービスがあってはじめて、汐留シオサイトにコムーネ汐留が目指す街ができるわけです。
この一見不思議そうに見えて、しかし、実は極めて本質的な日本の都市の再生に繋がるプロジェクトのご担当になっている三浦さんより、まずそのいろいろなご苦労を伺いたいと思います。

 

三浦健次(東京汐留シオサイト5区イタリア街開発プロジェクト・クリエイティブ・ディレクター)
Kenji Miura (Creative Director / Progetto per lo sviluppo di una comunita’ italiana a Tokyo Shiodome Sio-Site n.5)

汐留シオサイトの再開発について簡単に説明します。一度再開発でゼロの状態にして、また新たにビルを建てながら開発していく中で、汐留シオサイトは1区から5区までわかれていて、主に1区から4区は高層ビルが建っています。その中には日本を代表するような企業の本社ビルが連なっていますが、この5区は新幹線、山手線の線路の向こう側に位置していて、もともとここには、1区から4区と違い、地元の人が住まわれていました。いわゆる場所性と言いますか、場所に歴史があったという部分があります。
そこに住んでいた方々が改めて再開発で、いわゆる不動産業に転換していく時に、やはりビル賃貸業で今後生計を立てていくわけで、我々の理事の中には、ビルの上に住まわれている方もいらっしゃるものですから、その場所性というものをまず無視できないところがあります。そして、その場所性の中で、皆さんが最初におっしゃったのが、「他にない本物の街づくりをしたい。テーマパークではなく、住むのも働くのも楽しい、そんな街にしたい。」と言われました。そして、この地区は東京の中心ではありますが、港区の一番端に位置していて、場所としては決して良い立地とはいえません。
ここで、商業的な部分の成功を前提にこういった開発を考えた時には、何らかの仕掛けが必要ということと、もともと住まわれていた地権者の方々の思いを総括していくと、どうもイタリアの人たち、イタリアの街に近いのではないかという簡単な着想から、イタリア街が発想されていきました。そういった思いが根底にあるので、ここまでぶれずにきています。
やはり商業開発で大切なのは、どんなイタリアになるのかというのを問いかけながら開発を続けていくことだと考えています。単純にいうと、簡単にビルをイタリア風に建ててしまい、イタリアのお店を並べてしまえばそれでいいのではないか。というのが一般的に考えられがちですが、東京の場合は、近くに銀座、青山、六本木があり、今いろいろな再開発が進んでいます。いろいろなイタリアのお店にしても出尽くしている感があります。先ほど美意識の話がありましたが、日本人もそろそろ飽き飽きしているところがあります。
ただ、根底にはイタリアに行った時に日本人は本当にうれしそうに買い物をしています。それは品物だけでなく、売るときのサービス、街を歩きながら、景観を楽しみながら買い物をしている。そこで、イタリアの歴史に触れられるというような喜びがあります。イタリアでは「あなたに似合いますよ」と言う売り方をしますが、東京では「これが一番売れています」と言い方をしないと売れないという傾向があるそうです。こういったサービスが日本では一般的になっています。ですから、我々はイタリアのお店を単に並べるだけではなく、こういったサービスの質も整えていきたいという思いがあります。
そして、本物のイタリアを実現したいという思いがあり、いろいろと試行錯誤を続け、都市マーケティングの手法を導入したりなど街づくりを進めてきましたが、昨年どんなイタリアになるのかに限界を感じた時に、ミラノのドムスアカデミーと共同研究というかたちでイタリアの文化とは、イタリア的なものは何なのか?そして、日本の文化の良さは何か?の洗い出しをし、その融合は可能なのかというテーマで共同研究をしました。その結果、Japlyというひとつのコンセプトを打ち出すことになりました。これはこの場所でイタリアと日本が出会い、新しい文化が発信されると言う意味が込められています。
ですから、本物の街づくりは、イタリアのものをコピーするのでは本物は生まれないと思います。ほとんどのビルにしても日本人が設計するものなので、決してそれが本物のイタリアにはなり得ない、ただし、イタリアの良さ、日本の良さを融合して、この2000年代に東京の中心地でふさわしい設計のあり方、デザインのあり方、お店のあり方というものを模索しながらやっていこうと考え、このJaplyというコンセプトを打ち出しています。

 

宗田好史/Yoshifumi Muneta

ジェノベージ先生が話したイタリアのアーバン・センターの役割、特にもうすでに工業化時代とは違う、脱工業化社会の都市と人間のモデルが求める都市像が21世紀の都市の新しい形ですが、それが東京汐留でどこまで本当に実現できるかという課題、意義は非常に大きいと思います。
京都でも新しい都市を求めるいろいろな取り組みが進んでいます。例えば、三条姉小路の間の烏丸通に面して「新風館」というNTTの古い建物をコンバージョンして商業ビルにした事例があります。中の空間には、京都の街には珍しい、広場、ピアッツァがあり、ただ中庭が広場になっているだけではなく、あの新風館の広場で、人が出会うと、高島屋や大丸など河原町四条通の繁華街で人が出会うのとは違います。すぐに仲良しになれる。ちょっと言葉をかけても、必ずやさしい表情が返ってくる。という非常にイタリア的なというか、親しみやすい空間を、渡辺館長が演出してきたわけです。
このように、最近では「古今烏丸」が開店しましたし、いろいろな京都らしい、新しい取り組みが始まっています。この実は、京都のアーバン・センターの役割をひとりで孤軍奮闘しつつ長年に渡って取り組んでこられたのが、ここにおられる西利の平井さんです。平井さんは京都経済同友会を代表して、北イタリア・プロジェクトを推進されてきた方でもありますし、その中で、イタリアのお店を京都に誘致する。それも、サンタ・マリア・ノベッラというフィレンツェの大変な歴史のあるお店、老舗を京都の町屋でということを最初におっしゃった方でもありますし、あと京都の方はご存知ですが、平井といえばLRTでありますし、平井といえば、といろいろな代名詞に使われるように新しい街づくりの提案を続けてこられた方です。その意味で今日はジェノベージ先生のお話を聞いた後、京都を代表してお話になる一番ふさわしい方かと思いますので、まずは平井さんからお願いいたします。

 

平井義久(京つけもの 西利 代表取締役社長)
Yoshihisa Hirai (Presidente e Amministratore Delegato / Nishiri

私の仕事はディベロッパーでもなければ、何でもなく、漬物屋です。本職は最近どこかいっているのかと思われるほど、ここ10年間ほどはどういうわけか、街づくりに携わってきました。
まず、最初は、私の商売柄、京都へは4000万〜5000万の間を目指していこうとする、観光客がたくさんおいでになります。その街で、大変な交通渋滞が起こりました。これでいいのか京都と思った時に、やはり京都の街を歩いて観光してもらいたいという発想が10年前に起きました。特に、地下鉄ができた当時、地下鉄で都心まで来てもらい街の中をとりあえず歩いてもらいたいと考えました。その時に、歩き疲れて、どこで一服できるのかと思った時、お寺ではありませんし、街の中ですから、パリのシャンゼリゼ通りのように、あのようなすごいストリート、場があれば、カフェテラスがあったり、ショッピングができ、楽しめると思いました。ですから、京都の街を観光していただいた上で、御池通りという通りに至ったときに、一服していただける、ゆっくりしていただける。このために、とりあえず御池通りを立派な通りにすべきではないか、そこで、御池通りをシャンゼリゼにしたらどうなのかという、今日はイタリアの話なのにパリの話をして申し訳ないのですが、そんな思いがあって御池通りに関わってきました。
そして、先ほどおっしゃっていただいた、京都の人の移動をよくするためのLRTにも関わってきました。
今日、基調講演を聞かせていただいて、「これは10年間私がやってきたことと違うのかな?」と思いました。そこで、休憩時間に宗田先生に「京都で僕ひとりでやっていることと違いますか?」尋ねたところ、「そうですよ。そのために呼んだのですよ。」とお答えをいただきました。私が呼ばれた理由は、今、経済同友会の副代表幹事をやっていて、現在、北イタリア・プロジェクトに関わっているという立場でここに呼ばれたのだと思っておりましたら、基調講演の話を聞いているうちに、だんだんと、私のもうひとつの仕事、商工会議所の地域開発の都市整備委員会の仕事だと思いましたので、今から切り替えたいと思います。
御池通りを楽しくみんなに喜んでいただける素晴らしい通りにしたいというのが私の思いです。コムーネ汐留さんのように広いスペースをいただいて、「さあ何をするのだ」ではなく、御池通りには、京都は古い街ですから、通りに面した土地を持っている皆さんは、どうこうしなくてもあのままで良いのです。売る必要もありません。ですが、いい通りにしていただくためには、みんなで集まって話をしなくてはいけないということになり、土地の所有者を商工会議所に調べてもらい、全員に案内を出し、御池通りを良い通りにしませんか?素晴らしい通りにしませんか?と言うように訴えました。最初は皆さん半信半疑でしたが、商工会議所の要請でありましたので、皆さんに集まっていただきました。最初は駐車場をしている方に駐車場をやめて、もっと楽しいものを作りませんかという話をしましたら、人の土地に構わないでくれ、君にどうこう言われる筋合いはない。というところから始まりましたが、現在は、あの街を賑わいのある街にしよう、賑わいのある通りにしようということで、御池通りシンボルロードというものがみんなに認識をしていただいたというのが、ここ1年くらいの間だと思っております。その間はみなさんに素晴らしい通りにしませんか、皆さんの土地が今、坪100万ですが、これが坪500万くらいになるように努力しませんか、というような誘いをしながら、実は今日まできております。
その中で、特に私が、なぜイタリアに関わったかと言いますと、京都の経済同友会で、北イタリア・プロジェクトを進めています。京都の産業、特に、京都の繊維産業(室町、西陣)が一時疲弊しました。その中で、やはり京都は繊維産業だ。室町であり西陣がしっかりしていただかないと、京都の産業は成り立っていかないだろう。そのためにどうしたらいいのかというのを、経済同友会の産業活性化委員会の委員長を務めたときにいろいろと検討し、北イタリアを見に行こうではないか、北イタリアはなかなか元気であろうと、大企業は大変だけれども、零細中小企業が大変元気でがんばっているようだ、ということを聞いて、直に一度見てこよう、会って話を聞いてみようということになり、北イタリアに視察団を出しました。その時に、みんなが、このミラノ、フィレンツェの産業を京都とマッチングすべきだと考え、今年は、北イタリアビジネス・マッチングというプロジェクトを立ち上げました。今年6月に両市を訪問し、より交流を深めていくということであります。
その中で、イタリアの人、人間性というのは、京都人にぴったり合うのではないかと感じました。先ほど相性の問題も出ましたが、やはり、大事なことはただビジネスだけではなく、いかに京都を好きになってくれるか、我々もいかに受け入れられるか。それは産業も長い歴史をもっています。これはイタリアも一緒でしょう、フィレンツェも京都もそうでしょう。素晴らしい伝統技術を持ち、人間的にも相性が合うという、このように街同士がうまく交流し、友情を育んでしっかりとがんばっていけば、大変素晴らしい産業、または技術が生まれてくるのではなかと思います。その中で、ただ技術を使って、ものを作るだけでなく、それを京都で皆さんに紹介し、販売していく必要があるのではないかと思いました。そのためには御池通りがいいのではないか。という形になり、先だってのミッションでも、実は御池通りに出店しませんか、ということで、フィレンツェ、ミラノに声を掛けました。まだ、声を掛けてから、なかなか来ていただいていませんが、これからも粘り強くやっていこうと思っております。今、核になるところを一箇所か二箇所、フィレンツェ又はミラノの方に出店いただくような準備を進めています。
今日の話を聞いていて、京都でもアーバン・センターのようなものを、もっと作っていくべきだと、いくら経済同友会でその仕事を私もして、商工会議所で同じスタンスで、たまたま、お役が一緒なので2つの団体を利用してやっておりますが、やはりそういった団体が必要なのではないかと思いました。冗談で「あれ?僕ひとりがやっていたことだな?」とちょっと生意気なことを申し上げましたが。

 

宗田好史/Yoshifumi Muneta

 私が申し上げたので、平井さんが最初におっしゃったわけではない、というのは、実は皮肉るわけではなくて、確かに、平井さんがいろいろなお役をたくさんおやりになっていることを、京都の経済界の方のなかには皮肉る方もおられるのかもしれない。しかし、私は一度もそういったことを申し上げたことがないのは、今日のお話を聞いていただけたらわかっていただけたと思いますが、まさにこれをトータルに筋を通してデザインしていくということが、京都の再生に繋がるわけであります。私はそれを気づいていましたので、平井さんが都市整備も、LRTも、北イタリアの交流も、あるいは西本願寺の前の本店のデザインも、あるいはお漬物の商売も、見事に一貫して繋がったコンセプトの中でおやりになっているということをわかっていたわけですが、今日ご参加いただいた京都の経済界の皆様方も、その思いを新たにしてくださったと思いますし、このトータルなアーバン・センター、アーバン・マネジメントというものが、今おっしゃったように京都では必要なわけですし、もし、アーバン・センターが京都にあり、そのプロジェクト・マネージャーが平井さんだったら、その今までやったことはすべて収まるわけですし、更に地権者の人たちに対しても、もっと強い発言権があるわけであります。東京のディベロッパーが京都の街を食いつぶすようにビルを建てる時に、誰が止めに行ったかといえば、平井さんでありました。それも皆さんご存知かと思います。

 

平井義久/Yoshihisa Hirai

ひとつだけ言わせていただきたいのは、街づくりの中で、経済団体が、ただ言うだけではなく、行政を動かすことが、ひとつ御池通りのシンボルロード化でできたことだということをご披露したいと思います。
マンションがどんどん建ち、1階は消防法か何かで、店舗にしてはいけない。というような法律になっています。駐車場にするなど、いろいろなことが義務付けられますが、御池通りのシンボルロード化では、京都の条例制定を作っていただき、1階の容積の半分は必ず商業施設にするなどの条例を定めてもらいました。そして、風俗的なお店もダメというような、いろいろなことを全部入れていただき、我々の目指すシンボルロードというのに相応しい条例を産業界、経済界、市民が行政に向かって訴え、そして、行政が動き、条例ができました。そういったことが我々にとっては一番良かったことだと思います。

 

宗田好史/Yoshifumi Muneta

次に細尾さんからお話を伺います。細尾さんは、京都の西陣の織屋さんです。この西陣に代表する京都の繊維業界が今、非常に厳しい状態にあることは、ご説明するまでもないことであると思います。この上京の西陣地域をどう再生するかが、京都市にとっても京都府にとっても大変大きなテーマとなっています。ただ産業振興というような取り組みで解決することではない。今日お話をいただいたような、本質的なアーバン・マネジメントへの取り組みを考えていかないと、京都の西陣は再生しないところまできています。その中で、若手の細尾さんが、ご自身は伊藤忠商事にお勤めで、ミラノにも長年駐在されたことがあるわけですが、いち早くイタリアの取り組みをお知りになり、今回の北イタリア・プロジェクトでも中心の役割を果たされ、そして、ビジネスマッチングでもすでに成果を挙げつつあるという、都市再生のモデルを実践されている方です。その意味で続けて京都からお話を伺いたいと思います。

 

細尾真生(株式会社 細尾 代表取締役社長)
Masao Hosoo (Presidente e Amministratore delegato / Hoso

私は1978年から82年の4年間ミラノのファッション業界で仕事をしていました。今から思い起こしますと、私のいた頃、日本でフェラガモといったら、どこの鴨料理屋ですか?と言われた時代でした。プラダといってもどなたもご存じない。レストランと言えばフランス料理でイタリア料理のレストランは非常に少なかった時代でした。生ハム/プロシュット・クルード、「おいしいでしょ」と言っても、「あんなまずいものは食べられないよ」と言う時代で、「エスプレッソ」と言えば、「あんな苦いコーヒーはコーヒーではないよ」と言われる、こういうような時代でした。
ところが、1970年代〜80年代、私はイタリアの大好きなところ、尊敬しているところはここなのですが、21世紀の成熟経済と文化優先主義社会、これをイタリアは見事に先取りし、新しい価値を作り出したのがイタリアです。プラスティック製のバッグを作り、それを何万円で売る。これはすばらしい価値作りです。それからそのような文化、価値の集積をする中で、京都でもイタリアン・レストランばかりですし、エスプレッソを飲むことが非常にかっこいい、プロシュット・クルード(生ハム)も美味しい、ということで、この20年間でイタリアが行った文化と価値の創造、収蔵は、全世界でも本当に評価に値する仕事だったと思いますし、今のイタリアの経済はそれがベースになっていると思います。まさに、私は大好きなのですが、イタリアは生きることの楽しさを消費者に提供するという、脱工業化、情報化社会という新しい21世紀のモデルを、いちばん最初に作ったのがイタリアだと確信しています。
ところが、今私も30年間イタリアとお付き合いしてきまして、今、MADE IN ITALYは日本では売れません。MADE IN ITALYだけの話では日本では売れません。1978年、80年代、MADE IN ITALY というだけで飛ぶように売れていた商品は、今もう日本では売れません。なぜでしょうか。私は、今イタリアが価値創造のなかで大きな壁にぶつかっていると思います。イタリアの商品は、今言いましたように、生きることの楽しさを消費者に提供するということで、差別化されたものであって、非常に個性化されたものであり、非常に独自性のあったもの、そういうものを生み出してきたのがイタリアだと思います。ところが、20世紀の大量生産、大量販売のマトリックスの中の罠にはまってしまい、差別化、個性化、独自性が失われて、画一化、同質化されたものになり、また非常に均一性のものになってきていて、日本のマーケットでもイタリアの商品、イタリアのブランドは「もうそろそろいいわ」という時代性が、今現代ではないかと思っています。
そういう面で、今イタリアでは、私はミラノ、フィレンツェいろいろな方と話をしていますが、新しい21世紀のイタリアの価値を作らなくてはいけないと、皆さん考えておられ、悩んでおられ、もがいておられるのが、今のイタリアの姿だと思います。
今度、わが京都の足を引っ張っているこの伝統産業の繊維産業ですが、非常に低迷しています。すばらしい伝道技術を持って、すばらしいデザインを持っているのに、中途半端に日本のマーケットが大きかったために、今までそれで食べてきて、クローバル化に遅れ、そして、自分たちの伝統産業が生み出す商品の現代性、未来性を無視し、そういったことにより現代のマーケットからはずれてきて、今、売れなくなった、非常に苦しんでいる、これが我々の現状です。したがって、我々京都の伝統産業も、今新しい価値作りを行わないと21世紀は生き残っていかれないという危機に直面しています。
それで、今私がやろうとしていることは、イタリアの文化と日本の文化を、先ほど三浦さんがjaplyということで融合とおっしゃいましたが、私はぶつけ合うことによって、新しい文化、価値を生み出すということをやってみようと実験をしています。そして、徐々に芽が出てきています。イタリアにすばらしい歴史と伝統に育まれた文化がありますし、我々京都、そして、日本にも伝統と文化があります。その文化と文化がぶつかり合うことを私は文化の衝撃と呼んでいますが、この衝撃がいままでイタリアにもなかった、また日本、京都にもなかった新しい価値、文化を作り出すという可能性が出てきたと確信しています。これを我々ファッションの分野だけでなく、食文化、建築、都市改造などのすべての分野で生かしていくのが、この新しい21世紀のマーケットに、また21世紀の生活に適応していくひとつの新しい形ではないかと思っています。
マーケットは消費者のニーズが作るという話がありますが、半分は本当ですが、半分は他の要因でニーズは作られます。カルチャーショックが突如としてマーケットを変えるというのが大いにあるのが21世紀の市場です。そういう面で、コムーネ汐留が「japly(ジャプリ)」というひとつのテーマを掲げ、日本とイタリアの融合ということは、日本にもイタリアにもない新しい価値を東京で作ろうとしているのだと思いますし、また、京都の人間も、京都とイタリアの文化をぶつけ合うことによって京都にもイタリアにもない文化を集積していくことが、21世紀の新しい道ではないかと考えています。そういうことを考えながら今日のお話を聞かせていただきましたし、是非、これだけは今日皆さんにお伝えしたいと思いまして、お話させていただきました。

 

宗田好史/Yoshifumi Muneta

大変勇気付けられるお話ありがとうございました。実は、細尾さんとは、イタリアに関するシンポジウムを3回から4回か一緒にやっておりますが、今聞いたお話は大変感動的でありました。今お話を聞いておりますと、イタリア製品が日本のマーケットを席巻したのがこれまでだとすると、あと10年20年経つと西陣の新しい製品が日本のマーケットは言うまでもなく、イタリアのマーケットも席巻するというような、何か期待を持てるような、大変強い展望が開けてきたと思います。それを我々に十分納得させるだけの、技術も文化も美意識も西陣には備わっているわけでありまして、京都が、西陣が、イタリアとぶつかり合うことによって、その衝撃から新しい価値、美意識が生まれてくるのではないかと思います。細尾さんのお話は、21世紀の京都にとって考えなくてはならない、忘れてはならない、非常に重要なご指摘ではなかったかと思います。
 さて、このような高い期待、強い意識をもって、京都の産業界あるいは東京の企業はイタリアの産業界と交流をしようとしています。次に、在日イタリア商工会議所、今日の主催者でもありますが、代表してレンゾ・ビッラさんにお話を伺います。最近の日伊の経済交流の動きについて、あるいは、今の細尾さんのお話についてお話を伺いたいと思います。

 

レンゾ ビッラ(在日イタリア商工会議所 理事)
Renzo Villa (Consigliere / Camera di Commercio italiana in Giappone ICCJ)

今までのみなさんの話に続けて話をしたいと思います。どのようにしてイタリアと日本の文化、ビジネスを関連づけていけばいいのかというのは面白い問題だと思います。2001年には日本におけるイタリア年というのがありまして、様々なイベントが開催され、また、日伊基金協会もできまして、非常に経済界にも大きな刺激になったと思います。あの時にお互いのビジネスにおいて様々なチャンスもありましたし、イタリアと日本の関係は向上したと思います。ですから、それをきっかけに、これからも在日イタリア商工会議所として、日本で活動するこの機構として、さらにその動きを推進させていきたいと思います。
どのように行うかということですが、今回のコムーネ汐留のイタリア文化と日本文化をどのように融合させていくかというのは非常に面白い取り組みだと考えています。そして、その経過も面白く、イタリアの文化は非常に長い歴史と伝統を持っています。日本のなかでイタリアの文化は素晴らしい働きをすると思います、そして、それがコムーネ汐留という器として的確な要素を入れられたらよいと思っています。コムーネ汐留という非常に面白い、注目を浴びる地区の中に、根底の中に、単に、公園にする、遊園地にするのではなく、どれだけ面白い素材を中に入れることができるのか、イタリアと日本のビジネス交流につなげるものにしていくかということが、非常に興味深い点だと思います。
現在、日本を始めとして、各国の経済状況は決して簡単な状況ではありません。私は毎月日本に来て、日本を見ていますが、日本はイタリアにとって非常にすばらしい、重要なパートナーとしてあり続けています。日本の皆さんはすばらしいアイディアを持ち、そして、日本市場はイタリアにとって非常に重要であり、これから一緒にやっていけるパートナーではないかと感覚があります。ですから、様々な企業にとって在日イタリア商工会議所はそのプロモーターになっていきたいと思います。つまり、日本の企業とイタリアをマッチングさせたり、日本の企業の市場分析にも協力ができればと考えます。在日イタリア商工会議所は単にコムーネ汐留だけではなく、様々な機関、ビジネス、企業とともに、イタリアの土地、そして、日本市場におけるイタリアのビジネスの振興のために活動していきたいと思っています。そして、在日イタリア商工会議所だけではなく、在日で活動するイタリアの様々な公的機関も同じような気持ちであると思います。1万キロ離れていますが、イタリアの声を代表して協力していきたいと思います。

 

宗田好史/Yoshifumi Muneta

大変力強いお言葉をいただきました。確かに、我々京都の再生を考えていくときに、単に、現代生きている京都人の力だけでできるのかという、それだけ重く、深い伝統文化を京都は持っているわけです。この伝統の上に革新を続けていくことは、これは、漬物業界がベンチャービジネスであると、私は常に申し上げておりますが、かつての漬物業界と、今の平井さんがおやりになっている業界というのは、隔世の感があります。西陣も細尾さんのお話にあったように、隔世の感があるほど新しい取り組みを始めようとしているわけですが、このように伝統から革新に繋げることを、単に、ひとつの産業ビジネスだけではなく、ビジネス交流を通じて、都市全体、地域全体の課題として取り上げていこうというような大きなお話であります。特に、京都府が目指しますトスカーナ州との交流、イタリアとの交流でも、イタリアのこのような力を活かすことで、京都産業を再生するということを進めておりますので、是非またお力添えをいただければと思います。
では、ジェノベージ先生には、汐留イタリア街開発プロジェクトを通じて、日本の文化とイタリアの文化の衝突、出会いというものが、今後どういう新しい文化を生んでいくのかということに関してお話を伺います。
この「都市の文化」というキーワード、「la cultula dalla citta」とイタリア語で言いますが、ルイス・マンフォードの本でもありますし、1970年代には、ボローニャのピエール・ルイジ・チェルベッラーティという有名な方が、ボローニャの都市計画で使った言葉でもあります。
この意味で今日は、ルネサンス、新しい文化ということをまた定義されたわけでありまして、21世紀の都市と文化のあり方、そして、イタリアの日本の出会いについて、さらにお話を伺えればと思います。

 

エミリオ ジェノベージ(ミラノ・ドムス・アカデミー ゼネラル・ディレクター)
Emilio Genovesi (General Director / Domus Academy Milano

今まで皆様がお話になったなかから、特に平井さん、細尾さんがお話しされた、二つのコンセプトに注目したいと思います。
ひとつは、平井さんがおっしゃったことですが、アーバン・マネジメントの専門家ではありませんとおっしゃいました。私はアーバン・マネジメントとは全く違う、漬物屋なのですよとおっしゃいました。しかしながら、このような漬物を製造している場所、街、消費者との関係が非常に重要だとおっしゃいました。ですから、私の街を支援するとともに、結果的には、私の商品の販売を促進していることになるのだとおっしゃいました。
平井さんのこのコンセプトこそとても重要で強力なものです。現在のグローバル化しつつある現代では、とても価値のある重要なこととは、場所に関連して何かをしていく、何かを活かしていく、その場所を活かすということなのです。ですから、ブランドなどもそうですが、どこで製造して、どこで売っても同じわけです。あれはとてもまれなことであり、普通はその場所、その街、環境との繋がりをもって、物は売り上げに成功していくものです。ですので、私は何回も日本に来ていますが、京都には初めて来ました。今朝少し街を散策したにすぎませんが、平井さんがおっしゃったように他の日本の街と、京都はやはり違うと思いました。イタリアの街のようなところです。つまり、私がハイブリッドと名づけた街だと思います。現代においても、様々な歴史を背景にしているのがよくわかります。街を歩いていると。ここにはこういった歴史、過去があるのだ、ということを実感することができます。
このような歴史性、伝統性はMADE IN ITALYの売り上げには過去とても貢献しました。私たちドムスアカデミーでも、いくつかのセミナーを開催し企業家に様々な情報を提供しています。しかしよく考えて見ますと、ミラノはとても醜い街です。ですので、日本の企業家の方々をミラノに招きいれて、ミラノに残っている600年代の教会やルネサンスの遺跡など、そして、そのような歴史を見た上で、ブランド街の様々な商品を見せるとしましょう。そうすることによって日本の企業家はよくわかると思います。やはり歴史を背景にしてブランドなども成功したということです。アルマーニなどを買いながら、大教会をイメージするわけです。日本においては京都こそ同じようなメソッドを取り入れることができるのではないでしょうか。
私は表参道のブラダ、トッズのショップなども見ました。この街でどのような新しい建物が建てられたのかという興味だけで東京は訪問します。それだけであって、歴史を踏まえているわけではありません。
しかし、京都では違います。京都は、ホテルを出てすぐに1200年代の日本の歴史を実感することができました。また、自然と建築との関係も京都ではよくわかります。イタリアでは、昔の教会を見ることで建築家がすばらしいものを作ったと実感し、神との関係性などを、そこで実現しているわけです。西洋の文化と東洋の文化の違い、西洋は神に近づこうとする保守法をとりますが、京都は自然との協調を重要視していると思います。ですので、京都は幸運ながら、第二次世界大戦の時の爆撃もうけていませんので、京都は今後も守られなくてはいけないと思います。
先ほど平井さんがおっしゃったように、文化の保護も消費につながります。つまり、観光客やそこに住んでいる人以外にも、企業家、産業界においても街を守り、改革していくことは重要なことだと思います。
アーバン・センターでもこれが重要となってきます。この話し合いでもよくわかるのは、今後、民間と公的機関が手を携えてやっていくことが必要だということがよくわかります。
それから細尾さんがお話した異文化との出会いについてですが、MADE IN ITALYもすでに日本で危機を向かえつつある、日本で壁にぶつかり、新しい価値が必要だとおっしゃいました。これは実に私も賛成します。
実際には、危機に面しているのは中流以下のブランドで、トップ・ブランドはステイタス、シンボルとしてまだ販売力を保っていると思います。アジア地区、発展途上国にて購買力が増加してきたということで、トップ・ブランドは未来が開けていると思います。しかしながら、将来的には新しい価値が必要であるということは私も賛成します。
この新しい価値と言うのはおそらくコラボレーションだと思います。イタリアは世界の文化遺産の50パーセントを有しています。そして、大きな理解力を持っている国です。私たちが今後付加価値をつけていくとすれば、バッグの形を変えるとかではなく、私たちの文化と異文化を出会わせることによって、新しいものをクリエイトしていくことが、今後の道ではないでしょうか。
イタリア文化と日本文化が出会うということは、もうすでに、長い交流の歴史があるわけですが、今後とても重要となってくるのは、多くの商品が東洋で作られていくということです。ヨーロッパではサービス産業が今後発展していくでしょう。
日本とイタリアの文化が出会うことによって、現実的に新しい価値が生みだせると思います。細尾さんが先ほど、プラスティックのバッグなどに非常に高い価値を与えるのに成功したイタリアのデザインがあるというお話をしました。ステファノ・ジョバンノーニというアレッシィのデザイナーがいますが、あまり価値のないプラスティックのものを、アレッシーが5倍の値で売っているのは、デザインに付加価値をつけているからだと言いました。ですから、今後、新しい価値を創造するにあたっては、デザイン、美観を新しく作り、いかにグローバルに売っていくかだと思います。
これから、イタリア、日本のすり合わせ、衝突の中で何かが生まれているというのは、例えば、中国とヨーロッパ文明の衝突の中から生まれてくるよりは簡単だと思います。私たちの中では衝突の中から統合、集約的に新しいものが生まれてくるものと考えられているわけです。そういった意味でポジティブな関係です。
こうしたプロセスは、確かに難しいプロセスであります。我々は日本の社会や企業と仕事をしていますし、お互いに理解するのも、変化を要求し、納得してもらうのは非常に難しいということをよく知っています。例えば、日本の陶器はイタリアのものより品質は優れています。比較はありません。しかし、イタリアの陶器のほうがよく売れています。というのは、イタリアは役に立つタイポロジーの製品を売るのに優れているのです。ヨーロッパ人が使いやすい陶器を売るのがうまいのです。イタリアの製品は中国までも売るような陶器も売っています。日本の中小企業は今まで作ってきた、例えばお茶碗や小皿など、デザインがある程度販売促進の犠牲となるようなところからなかなか出て行けないという、これはひとつ悲哀なケースですが、こういったケースもあるわけです。しかし、新しいものを作っていくのは一人では難しい。衝突にこそ新しいものが生まれるヒントがあると思います。

 

宗田好史/Yoshifumi Muneta

今、平井さんと細尾さんに対して、ジェノベージ先生よりすばらしいコメントをいただきましたので、おふたりにお話を伺いたいと思います。
平井さんは特に、「genius loci」という「地の霊」と言ってもいいと思いますが、この京都が京都であるが故に、その上に育つものすべてに影響を与えるようなすごい力を持っている、だからそれは、ただ伝統というだけではない、未来まで京都が既定するというようなものであります。
そして、もうひとつハイブリット、高度に交配して雑種ができてくる街が京都だと言うことをおっしゃいました。純粋な京都という言い方には慣れていますが、様々な要素、もちろん海外のものを含めて、いろいろな要素が交配、雑種としてなって今の京都の文化ができていること、その点こそ、その点において、実は京都とイタリアが大変似ているということだとおっしゃられました。

 

平井義久/Yoshihisa Hirai

私はイタリアへ5年間ほど続けて一周してきました。とても相性が合うといいますか、楽しい旅でした。そういった意味で、イタリアの人々ともっと融合していきたいと思います。その為には、ビジネスとの融合も大事ではないかと思っています。先ほど、ジェノベージ先生がおっしゃっていたように、自分の仕事だけをやっていればいいのではなく、自分が商売している街が楽しく、みなさんに来ていただける街、そして、自分達も愛せる街、そういう街づくりを行っていくのが、一番の根幹だと思います。それによって、自分の商売にもいつかきっといいことがでてくる、という信念を皆が持つべきではないかと思います。そういったことで、こういった街づくりがもっとうまくいくと思います。京都の街づくりは伝統だけを守っているわけではありませんから、京都市の精神としては、伝統と創造という大きな心があるわけでありますから、このようなものを、革新という言葉がいいのか、創造という言葉がいいのかわかりませんが、これを繰り返しているが京都だと思っています。先ほどもそれが大事だとおっしゃっていただきましたので、また京都と一緒になったなと思いまして、これからも北イタリア、特にミラノ、フィレンツェとは、これからもどんどん仲良くしていきたいなという思いがいっぱいです。そして、この思いが知事に通じ、知事がトスカーナ州と仲良くしようとおっしゃいましたし、フィレンツェの商工会議所が、遅ればせながら自分たちも京都商工会議所と仲良くしたいとおっしゃって、ラブコールをいただきましたし、みんながいいタイミングだと思っています。このイタリアとの関わりの中で、京都が2005年は記念すべき年になると思っております。こういったフォーラムを開いていただいて大変喜んでいます。出来ればもっともっと交流を深めていきたいと思っています。

 

宗田好史/Yoshifumi Muneta

 先生がおっしゃったことは、確かに、平井さんは西利という企業の社長さんでありまして、いろいろおやりになってるけれども、それは他の企業と比べて、ちょっと手厚く、かなり手厚くお客様のお世話をしている、ちょっと手厚くお客様のお世話をしようとすると、北イタリアとの交流まで考えなくてはいけないという、他の京都の企業が、もうちょっと手厚く、お客様もう一歩二歩面倒見よう、お世話をしよう、というのが京都の街づくりに繋がってくるという、商工会議所がなぜ交流するかという深い意味のご指摘もあったと思います。また平井さんのお取り組みの様子をそう表現していただいたというのは、今日のひとつの成果ではなかったかと思います。

 

細尾真生/Masao Hosoo

ジェノベージさんがおっしゃられたように、口で言うのは簡単ですが、実際はいろいろと難しいことが多いと思います。ただそれをやり続けなくてはいけないと思います。基本的に平井さんがおっしゃったように、イタリア人と日本人は非常に相性が良い。私も30年間おつきあいを続けているので、イタリア、イタリアの方がすべて好きです。男と女ではないですが、お互い愛し合いながらコラボレーションをやり続けることが大事だと思います。
 確か、私のイタリア語が間違っていなければ、文化・カルチャーは耕すという意味があったと思います。文化はそんなに簡単に一日二日ではできません。本当にイタリア人と日本人、イタリアと日本が長年かけて耕して、耕して、耕し続けることによって、新しい文化が生まれるのではないかと思います。耕し続けることを我々もビジネス交流を中心に進めていってやり続けなくてはいけないと思います。きっといい、新しい文化が生まれるのではないかと期待しております。

 

宗田好史/Yoshifumi Muneta

文化の融合の拠点としてのシオサイトの未来、今後の京都との交流について、三浦さんに一言最後にいただきたいと思います。

 

三浦健次/Kenji Miura

今回開催するにあたり、最初、京都の方々に「なぜ京都でフォーラムを開くのか」という問いかけをいただきました。今一番感じているのが、個人的には本当にやってよかったという感想を持っているということです。
我々は東京という都市で日伊の交流を進めきたのですが、京都がここまで盛んに日伊の交流をしていることを知りませんでした。そして、長い歴史を持ったこの街で、産業とイタリアの歴史の中に何とか融合を見出そうというところに、個人的に本物性、深い文化の融合のヒントを今回感じています。
今までは、お寺をみていいなと思っていただけの京都ですが、その中で、平井社長、細尾社長、今回ご協力いただいている経済同友会、商工会議所の方々、府、市の方々との調整を通じて、まるでイタリアで仕事をしているような感覚さえ覚えるくらい、ある意味コミュニティを継続し、何か文化のようなものを感じています。そして、目指している本物性が、我々にちょうど足りないもの、ヒントがこの京都あったように感じています。このフォーラムが終わった後にどういったビジネスを新しく汐留で起こしていくかの重要なヒントをいただきました。

 

宗田好史/Yoshifumi Muneta

京都は日本の中におけるイタリアです。日本人に美しさを提供し、文化歴史を提供するのもこの京都の役割です。そういった意味で東京汐留にもイタリアと並んで京都が進出しそこで、京都とイタリアの融合が全国の皆さんに見てもらえる機会ができるのではないかと思います。
京都にとって今日のフォーラム、特にジェノベージ先生のお話は、21世紀に向かってこの京都をどう経営、再生していくかというアーバン・センターの役割というものを再考させられる会になりました。特に京都商工会議所、同友会はイタリア以外にもドイツ、オランダにもミッションを送っていますし、このヨーロッパの都市の再生には大変熱い視線を送ってきました。
現在、京都市が中心となりまして、京都創生委員会というのを作り、この4月には京都創生推進室というものが立ち上がりました。私も先日会議に参加してきました。
この京都創生ということの方向が今日のアーバン・センターの話の中から大きく浮かび上がってきたのではないかと思います。京都創生は、単に、景観、文化、観光ですむ話ではなく、もっと総合的な取り組みとして、21世紀に、世界に提案する新しい街の文化、新しい都市の形というものでありたいと強く思いました。
イタリアとの交流を今後も続けていきたい、そして、皆さんの熱い期待、熱い視線を注いでくださいますようお願いいたします。