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あらすじ 科学が発達した未来、。 もはや飢えやエネルギーで悩むこともなく、 快適で幸せな生活を営んでいた筈だったのだが・・・ 街に積み上げられた、おびただしい数の自動車。 実は、そこには別の問題が生じていたのだった。
街に積み上げられた、おびただしい数の車・・・ いつしか、人々は車の中で生活するようになった。 かわいそうなことに、車中居住者の子供達は、 かつて車は動くことができたのだということを知らない。 なぜそんなことになったか、それが以後の映像で説明されてる。
かつて車を移動手段として使うことができた時代、 他の車を追い越すことや、より大きな車に乗ることに人々は夢中になった。 道路はおそろしく長くて大きな車で溢れかえるが そのうち、ただ長いだけの車に飽きたらず、用途別の大きな車を求めるように。 そして、今まで以上に車で溢れかえるのだった。 道路を埋め尽くし、長閑な田園を侵食してしまった車の群は、 今や新たな文明構造すら作り上げ、おかげで世界は平和になる。 機動性の問題から、戦争なんて考えられなくなってしまったからだ。
平和で便利な世の中にはなったが、すぐに新たな欲望が人々の頭を擡げ始めた。 積み上げられた車の層のうち、より高いところに住むことを望むようになったのだ。 他の人よりも高いところに引っ越すことを繰り返した結果、 ますます車の層は高くなってゆく。 車の大量生産がまだ十分でないことを知った科学者は、 自動的に自己生産の出来る究極の車を開発する。 ところが、この車の開発により、車の層はさらに積みあがることとなり、 ついには科学者のいる研究塔の高さにまでなる。 窓を破って大量の自動車が研究室に入り込み、 自己増殖カーが彼を飲み込むところでこの映画は終わる。
解説 近い未来の話として受け止めるべきだ。 大きな車に乗り、他の車を追い越すことに夢中なのは、 現在の日本の道路事情も、そうたいして変わりはあるまい。 この作品のような出来事が、実際におこりそうでおそろしい。 内容が妙にリアルに感じてしまうのはそのせいだろうか。 葬送行進曲をバックに車が増殖していくシーンは、まるで悪夢を見ているようだった。
警告のメッセージが非常に強い作品ではあるが、 ユーモアな描画も決してわすれてはいない。 テックス・エイブリーの「未来の自動車」の話ほどでは無いが、 半端じゃなくロングボディの車や、デート用の「ロミオとジュリエットになれる」車、 ミルクからおむつまで、なんでも出来る自動ベビーカーといった、 未来の車の発想が楽しかったし、コミカライズされた研究室もなかなか良かった。
ラストの科学者を飲み込むシーンは、欲望という勝手な大義名分により、 本来の姿を奪われた自動車達の怒りであると同時に、世界の滅亡を示唆している。
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