|
「関平」 「はい義父上!」 「物は相談なのだが…」 「はい義父上!」 「…お主…を娶る気はござらんか」 「はい義父上!……、…は?」 馬鹿の一つ覚えのように『はい義父上』を繰り返していた青年は、敬愛して止まない義父が突然放った言葉に停止した。 「は―――せせせ拙者がああ、義姉上をっ!?」 衝撃的な関羽の言葉に関平は手も足もやたらガクガクしていた。 元から純粋で素直な青年だ、決して平静を装えるとは関羽も考えていなかったろうが、それにしてもかなりの動揺っぷりである。 「な、な、何故そのようなお考えを…!?」 「うむ…実はな、我等が遠征に赴いていた際、がまた何やら仕出かしたらしい」 「…な…」 関平は心の中で『義姉上…』と呟いた。 「それも聞く所によると軍議を妨害したとかしないとか…、全くけしからんことだ」 「なっ」 関平は心の中で『義姉上…!』と叫んだ。 「その時は軍師殿が即刻制裁を与えたらしいが、そもそもあやつには落ち着きが足りんのだ。年頃の娘らしく淑やかにしようとする意思がまるで感じられん」 娘らしい。 淑やか。 義理ではあるが青年の姉という立場にいる人物は、そのような単語とは真逆に位置するであろう所を目指し日々邁進している。 進むどころかむしろ全力疾走している勢いだ。 「だがあやつとて女。夫でも出来れば変わるやも知れぬと思ってな」 「そ…それで義姉上を嫁がせようとお考えになられたのですね…」 話を聞き次第に冷静さを取り戻していた関平はごくりと唾を飲むと訊ねる。 「しかしその相手がせ、拙者というのは何故でしょうか」 「嫌か?」 「そんな訳っ…!…そ、そうではありませんが、義姉上ならば…お相手は幾らでも…」 いい言い方をすれば天真爛漫なを妻にと望む者は少なく無いはずだ。 あくまでいい言い方をすればだが。 関平のしどろもどろの問いに、関羽は表情を曇らせてその豊かな髭を撫でた。 「そうさな…あれも見目はそう悪くない。これまでに縁談が無かった訳では無いが、何を考えているのかおらんのか…あやつは持ち掛けられた話を悉く破談させるのだ」 どういった手段を用いているかは不明だが、はそれは見事な手腕で己に湧いた縁組を次々と破談という方向へ導いているらしい。 義姉の才が意外な方向に開花していることを知ったが、どうでもいいことだった。 「だが此度の相手が他でも無いお主と聞けばの対応も変わるであろう」 「…しかし、義姉上は拙者を弟としか見ておりませぬ。それを急に、お、夫とは…!」 「はそうであっても、平、お主はどうだ?義姉としてしか見ておらぬか?」 「そ…、それは…」 口篭り、頬に朱を走らせる関平。 分かり易い反応に関羽は目を細めた。 「何、お主らを結ばせるに支障など存在せぬ。お主は義姉と呼ぶし、拙者も娘同然に可愛がっては居るが、あれは正式に関の姓を戴いている訳では無いからな」 とぼとぼと自室に戻り椅子に力無く腰掛ける関平。 関羽の話は彼の頭を痛ませるに充分過ぎる内容だった。 「…拙者は一体、どうすべきなのか…」 を娶ることが嫌なのかと訊ねられれば、迷う間も無く否と答えよう。 彼女に対して、姉弟の情に留まらない想いを、関平は密かに抱き続けていたから。 ならば何故先の案に頷くことが出来なかったかと問われると―――。 「ぺーい!いつ帰ってたんですかーっ!」 「うわぁっ!」 突如背中に加わった重みと体温に関平は情けない声を上げた。 背後から首に飛び付いてくるなど、彼に対してそのような無礼とも言える行動を働くのは、そしてそれが許されているのは一人しか居ない。 まさに今関平が悩んでいる原因―――は、彼の悲鳴に澄んだ笑いを響かせた。 「お帰りなさい!と言うか凄い声ですね!」 「あっあっ義姉上っ!このようなことは止してくださいとっ…」 「一月半…二月ぶり位ですか!ご無事で何よりです。いつ戻ったんですか?」 「え、あ、はい…3日程前に」 義弟の帰りが嬉しくて堪らないのか破顔する。 そして次には大きな目を瞬かせ不思議そうな表情を浮かべた。 「平、何だか背中が悶々としていました。私の足音にも気付かなかったですし」 「…すみませぬ、少々考えることがありまして…」 その洞察力は流石、腐っても諸葛亮の弟子だ。 「遠征先で何かありました?…あっ!そう言えば丞相が、義父上と平が向かう所は人が逆立ちで歩行する文化だと仰ってましたけど…それも恐ろしく素早いんだとか!」 「信じないでください義姉上」 訂正。 軍師の弟子にしては些か人を信用し過ぎるきらいがある。 そもそも逆立ちで光速移動などどんな文化かと問いたい。 関平は本来突っ込み担当では無いが、明らかに虚言だと分かった。 えっ?嘘なんですか?と呟くの細腕は変わらず関平の肩を包んでいる。 およそ二月ぶりの義姉の温もりと香りに安らぐ心も確かだが、“弟”という立場であるからこそ無条件に与えられることに、痛みを覚えるのも紛れ無い真実だった。 「そう言えば、さっき義父上と廊下でぱったり出くわしたんですけど…何かまた私に縁談が持ち上がってるみたいです。しかも今度は凄く自信たっぷりで…!」 「!…さ、左様ですか」 「必要無いと言うのに聞いてくれないんです!そんなに私が邪魔ですか義父上…!」 の話から察するに、縁談の相手が関平だとは知らされていないらしかった。 ぎゅうと縋り付いて来るをどう扱うべきかと迷いながらも、とりあえず関平は己の右肩に寄せられた彼女の小さな頭をぎこちなく撫でた。 ここで相手は己だと告げ、反応を見る勇気は生憎持ち合わせていない。 「あ、あの、義姉上。…義父上には義父上のお考えがあるのだと思いますよ」 「一体どんな考えですか!…折角最近やっと姜維殿との間に進展が見られたのに…」 ―――青年の、少女を撫ぜる手が止まる。 「…そう、なの、ですか」 「その代償が敵陣ど真ん中の単騎駆けだって丞相の過激な投駒だって構いません!」 「てっ…敵陣?単騎駆け?投駒って一体…!?」 「けど縁談だけは…縁談だけはー!」 横槍は受け付けず、あくまで己の話を突き進め、ひっしと回した腕に力を込める。 『お主らを結ばせるに支障など存在せぬ』 義父の言葉に、そうですね、と言えたら良かったのに。 この心優しい青年が頷けなかったのは―――ひとえに義姉の想いを知る所為だ。 「……義姉上…」 再度ゆるりと動き出した関平の掌は先程よりもぎこちなさを増していた。 軋みをあげる胸には最早、気付かない振り出来なくなってきている。 の髪に触れていた指先はゆっくりと動いて、肩越しの彼女の頬を捉える。 素直にこちらを向いた面に、関平は静かに顔を近付けていった。 「…平?」 「…義姉上…っ、拙者は…」 「どうしたんですか、平……って、あれ?平何だか痩せました?」 想いを伝えてしまおうか躊躇う関平の言葉と、流れかけた濃厚な雰囲気を、実にあっさりと打ち消したは義弟の僅かな成長に大喜びしていた。 「ああ!顔付きが精悍になったってこういうことを言うんでしょうか」 「…、……義姉上…」 「二月見ない間に変わるものですね、男の子って!」 関平は涙目になった。 何が悲しいくて何に悲しいのかもうよく分からないが、先程まで気分が高揚していたこともあってか、無意識に肩透かしを喰らった衝撃は大きかった。 とりあえずちょっと泣きたい。 しかし関平の涙をどう受け取ったのか、漸く彼から身を離して己の胸をどーんと叩いたは、声も高らかに見当違いな宣言をした。 「だーい丈夫ですよ!義姉上は嫁になんて行きませんからね!」 「……へっ」 「相手がどんな人だろうと私の手段は決まっています。一に粗相、二に粗相、それでも駄目なら奇声と共に不気味な言動を行いながら相手に詰め寄るまでです!」 縁組を破談へと導く奇跡の方法が今明かされた。 「……ま……さか、いつもそのような、ことを…?」 「勿論です!この間の相手は中々しぶとくて、お茶を掛けるという粗相などでは引かなかったので…仕方無く片足を引き摺りながら息も絶え絶えに床を這い回りました!」 確かに嫁候補にそんなことをされれば世の大抵の男は引く。 ドン引きである。 この場に諸葛亮でも居れば『這い回りました!ではありません』とでも突っ込んでくれたのだろうが、頼りの人物は妻ともう一人の弟子と一服している最中だった。 義父上には内緒ですよー!と実に無邪気なの未来を関平は少しだけ案じた。 姉弟水入らずで語り明かそうと、関平の遠征先のことを尋ねたり城で起こった出来事などを楽しそうに話していただったが、次第に口数の少なくなる彼女を見れば眠たげに舟を漕いでいた。 と言うよりも、ほぼ夢の世界に旅立っていた。 先日軍議をぶち壊した罰として、師から連日鬼のように大量の内務を命ぜられるのだと言っていたから、きっとその疲れもあるのだろう。 椅子に座る関平の背後から、腕を彼の首に回したままうとうととしているの格好は、まさしく立ち寝である。 何と器用な眠り方をするのだろうと感心してばかりもいられない。 「義姉上」 呼び掛けに返答などある訳も無く。 関平は一つ息を吐き、頤の下の細い両手首を片手で押さえるとゆっくり立ち上がった。 背後で浮いた体に残る腕を回し、一度上に揺すって背負い直す。 手馴れた様に己のことながら苦笑した。 腕白な義姉を探し当て、背負って屋敷に連れ帰るのは、いつも彼の役目だった。 二人とも出仕し始めてからはそのようなことも無くなったのだが、身に付いた癖を忘れないのは武術と一緒かも知れないなと思い、また一人笑う。 「……、…の…ももまん……る…」 穏やかな空気に呼応するかのように呟かれた、の寝言に、関平は瞠目した。 そしてゆったりと、緩慢な速度で眦を緩め―――気配を感じ扉に向き直った。 「平よ、を知らぬか」 「義姉上ならここに居りますが……あ」 反射的に答えるが関平はを背負ったままだった。 戸を開いた義父は仲睦まじい子達の様に目を細め、それから関平に揶揄を投げる。 「何だ、も満更では無さそうでは無いか」 「ち、義父上」 「お主ら二人の間に子が出来ればどれ程可愛かろうな」 その言葉に眉を寄せ、刹那思考を巡らせた後、関平は口を開く。 「…その、お話なのですが。…どうか、暫し…、お待ちいただけぬでしょうか」 「うぬ?」 片眉を持ち上げた関羽の前に膝を付き、頭を垂れた。 徒に背きたい訳では無い。 己の誠心を見せれば理解してくれる人だと彼は信じていた。 「義父上の仰る通り、拙者は義姉上を…殿を、女性として好いております。そして…もう拙者は逃げませぬ。心のままに殿に向き合う覚悟を致しました。ですから、どうか暫しの時を、…拙者に与えてはくださいませぬか」 義父に告げる勇気を。 己が決断する勇気を。 くれたのは義姉の言だ。 『―――ぺい、あねうえのももまんもあげる』 夢現に零されたそれは、弟という位置を煩わしく感じていた己を恥じさせた。 そして同時にこの人が愛しいと改めて思い知らされた。 手放したくなど無い。 ならばもう覚悟を決めなければならない。 変化を迎え入れるべき時機が来た―――ただそれだけのこと。 「姉弟であった時を厭うこと無く…それを糧に、平は新たな芽を育てたく存じます…!」 ぎりりと唇を噛み締める。 後頭部に義父の視線が刺さり、けれどここで逃げ出す訳にはいかなかった。 長い長い沈黙を、関羽のどこか満足げな呟きが打ち破る。 「……全く、知らぬ間に大人になったものよ」 関平は静かに面を上げた。 口元に微かな笑みを刷いた関羽の、けれどどこまでも真摯な瞳と視線がぶつかる。 「あい分かった。…だが、そこまで言うからには義父を満足させねば承知せぬぞ」 「…努力致します!」 「ならばそやつを部屋へ運んでやってくれ。縁談の話をする為探していたのだが…当面は必要無くなったようなのでな」 はい!と元気な返事と共に立ち上がった関平は、一礼して部屋を後にした。 きびきびとした足取りにはどことなく浮かれた様が滲んでいて、先の真っ直ぐな声や瞳との違いに苦笑する関羽。 「…向き合う覚悟、…か」 人気の無い室内に響いたそれは、温かな感情に満ちていた。 すうすうと実に平和そうな寝息が耳元で聞こえる。 関平の人生でも上位を争うであろう大事の最中を、この人物は寝通していた。 薄暗い廊下には所々灯りがあるだけで、城全体がしっとりとした雰囲気に包まれている。 その中を一歩一歩、踏み締めるように歩きながら、関平は小さく口にした。 「義姉……殿、平はもう…、今の状況に甘んじるのは止めることにします」 独白は誰にも届くことなく夜の闇に吸い込まれていく。 名を紡ぐ口の動きがたどたどしいのには、我がことながら苦笑を抑えられなかった。 例えばこうして名を呼び続ければ。 背に抱き夜の下を二人歩けば。 は少しでもこちらを見てくれるだろうか。 己がもたらす変化を厭わずにいてくれるだろうか。 「これは、関平殿……と、…殿…?」 「姜維殿!お変わりなさそうで何よりです」 向こう側から、姿勢良く廊下を歩いていた姜維が関平を見つけ声を放った。 二月ぶりに見た彼の変わらぬ様子に姜維はまなじりを緩めかけたが、その背で眠る少女を認めた刹那、柔らかな動作はぴたりと止まった。 常と異なった反応に気付き瞠目する関平。 今までならば二人一緒の様子を見ても姜維はただ穏やかで。 相変わらず仲が宜しいですねと、笑いながらそんなことを紡ぐだけだったのに。 「……どうされましたか?」 「、ああ…いえ。ただその、…人の背で、良く、眠っていらっしゃるなと思って…」 「…拙者は、弟の、ようなものですから。…殿にとっては」 「―――…“殿”?」 先の一言で関平の変化を悟ったのだろう。 鋭い人物だと再認識しながらも、追及される前に礼をしてその場を去る。 もしかしたら思うよりずっと二人の距離は縮まっているのかも知れない。 室の扉を開ける際、最後まで微妙な面持ちだった先刻の姜維が脳裏を過ぎり、牀榻に横たわらせたの身を軽く整えてやりながら睫を伏せた。 「良い夢を。……、」 少女の寝顔はどこまでも安らかだった。 不毛なのは踏み出す前から分かっていたこと。 自信などあるはずが無い。 失う日は間際まで身を覗かせていたとしても。 もう引き返せない。 己は大きな一歩を踏み出してしまったから。 「平っ…!義姉上はもう、駄目です…っ」 「おはようございます殿…、どうされたのですか?」 「何だか姜維殿が余所余所しい気がするんです!わ、私何かしたんでしょうか…!」 だから義姉上―――このくらいの意地悪は許してください。 「……さあ。平は何も」 さめざめと涙するに気付かれないよう苦笑した。 |