2002年最終通信
21世紀も2年が過ぎ、世紀末のノストラダムス騒ぎは過去の事、そう簡単に未来が分かってしま っては夢も希望も無くなってしまいます。
しかし、設計業界でも不安な将来にリストラなどの対策を立て対応している所が有ると聞きます。 くりえいと創は貧乏に慣れているのかヒーヒー言いながら1年を過しました。 (スタッフの多田は大変でしょうが)やはり建主の顔を見て、話をしての『物づくり』が大切で 楽しい事と考え「じっくり」「ゆっくり」の「くりえいと創」で取り組んで来ました。 工務店からの確認申請業務を受けたりと、モット売上を伸ばす方法も有るのでしょうが、建主の 立場になり取り組むという、設計事務所の大切な社会的役割を放棄しては、未来は無い様な気が しています。
先月、カーディラー・ショールームのプレゼンテーションをさせて頂きました。 クライアントの「今までとは違う趣で、暖か味の有る楽しい提案が欲しい」と言う思いに共感し、 設計監理の大切さも説明し理解して頂いた上での提案でした。提出した際にクライアントから、 断りきれない有る方から紹介され、以前お付合いの有った施工者が設計者を同伴し「設計料は要 らないので是非提案させて下さい」と営業に来たのでしかたなく提案を受ける事にしましたとの 事、結果その事務所で設計する事になったようです。 ・・・「くりえいと創」の提案がクライアントの思いに答えられなかった事が一番の理由で 有る事を望みます。
2002年は、中学校での住環境教育のお手伝い・都市景観賞の選考・某町の町づくりの提案・ 中心街を考える会への参加・地元広告社の「建築家との家づくり」の連載・建築雑誌への原稿・ 講演会のスタッフ等など色々なお手伝いで仕事は少ないのに何かと忙しく過しました。
「くりえいと創」は明日大掃除をして2002年を終わり2003年1月6日から活動開始です。 ホームページへいつも来て頂く方、時々来て頂く方、たまたま来た方、良いお年を!ありがとうございました。 来年も遊びに来てください。
ショールーム提案模型
子供への住まいや住環境教育 Part3
前回に引き続き、隣町の釧路町で行なわれている「子供への住まいや住環境教育」での 「ダストステーション」づくりの完成までをご紹介致します。 壁パネルづくりまで紹介しておりましたが、その後10月24日には建設場所でのヤリ 方(建物の位置出し)・土工事の掘削・基礎の設置・生徒が中心になって進行した地鎮 祭(供物は工作でつくり、神主役の生徒も決めました)10月29日と11月5日で、 床パネルの作成・建て方・サイディング貼り・塗装・看板作成となれない作業を大工さ んの助けを借りながらも全員で取り組み最後に『使ってHAPPYゴミステーション』 と書かれた看板(裏には自分達の名前を書いてありました)を取付け何とか完成。 11月11日に引渡式を行い、学校代表の建主である校長先生へ引渡書と共に渡し、生 徒たちの手を離れました。
この取り組みを地元の新聞が紹介し「物をつくる大変さや、設計の大切さやおもしろさ が少しですがわかりました」との生徒のコメントが載っておりました。この様な子供の 頃の住環境教育の必要性をひしひしと感じています。 釧路町立別保(べっぽ)中学校2年生19名の皆さん、ご苦労様でした。楽しかったね!
子供への住まいや住環境教育 Part2
前回に引き続き、隣町の釧路町で行なわれている「子供への住まいや住環境教育」 の続きをお伝えします。前回の基本計画を基に、出来上がった設計図を見ながら 子供達が材料を加工していきます。
今日は4グループに分れての壁パネルの作成、ツーバイフォー工法と言う事で、決
められた長さに材料を切っていくだけなのですが、これがなかなか大変でスケ−ル
と差金とノコギリと金づちを手に四苦八苦しながら、しかし楽しそうに作業が進ん
で行きます。指導に当る大工さんが時々手を借すと子供達から「早いー」と声が上
がったり釘を打つときの裏技を聞き「なるほどー」と感心したりと、少しづつ「物
づくり」へ引き込まれて行く様子が頼もしく思えました。
作業中の子供たち
子供への住まいや住環境教育 Part1
今回は、隣町の釧路町で行なわれている、住宅マスタープランに基づく事業の一つである「子供への住まいや住環境教育」についてお話致します。
自分達が住んでいる町の環境を住民自ら考え、気持ちのイイ町にするための基本計画を立てる事が、住宅マスタープランです。釧路町では数年前からこれに取り組んでおり、住民や行政や専門家など、多くの方が加わり策定しておりました。街並みの景観や安全に安心して暮せる環境やコミュニケーションのある公園づくり、などなどたくさんの意見を集約し方針を決めていきます。その中で、子供達に街並みや住宅づくりなどの大切さを、物づくりの中から体感する事を目的とした、住環境教育というプロジェクトが始まりました。子供の頃から建築や街づくりに触れる事は、とても大事な事で海外では授業のプログラムの中に、建築を学ぶカリキュラムが有ったりするのですが、残念な事に日本では、建築を学ぶ機会は早くても高校へ進学する時、本人が選択しなければ一生有りません。
建築に触れる機会を中学校で実践しようというのがこのプログラムです。釧路町別保(べっぽ)中学校2年生19名:男子6名、女子13名が計画し設計し施工し実際に建物をつくります。その講師3名の一人として、設計部分のお手伝いをしました。19名が3つのグループに分れ、それぞれのチームで意見を出し合い、計画して設計してコンペのようにプレゼン発表してまでで、たったの6時間という、私には無理無理という強行日程。
1日目なぜか私は男子チームのアドバイザー、女子2チームが活発に意見を出し合い進めて行くのとは対照的に、・・・じっくりと・・・ゆっくりと・・・寡黙に進んでいくチーム。何をつくるか、どのくらいの大きさにするか、何を入れようか(比較的容易な2×4工法で物置程度と大まかには決定済み、私だったら工法は自由で、展望台付きクラブハウスと計画したいところですが)外へ出ての建てる場所の検討から、実際の大きさをスケールで確認、入れる物の大きさを計測しと進みましたが、教室では、なかなか意見が出ずの手が動かずの停滞気味の男子チームでした。ただ屋根はカッコイイ形にしようぜ!となんとなく意見はまとまっておりました。学校の先生も男子チームが明日でまとまるか、不安な様子で一日目が終了しました。
2日目プレゼン用の図面を作成、それぞれがキャッチコピーのレタリングや平面図・立面図の作成と分担しながら、壁を塗りつぶす生徒、寸法に悩んでいる生徒、窓の位置に悩んでいる生徒、イイ言葉が浮かばないコピーライター風の生徒、大変な作業になりましたがナントかフーフー言いながら設計を完了させ、プレゼン発表。3チームがそれぞれ違う用途で違うデザイン、悩みながら一つのプランに決定。最後に着工前に行なう地鎮祭の意味や用意するものを説明し授業は終了。少しづつではありますが、設計と言う「物づくり」体験に興味を持っていく様子がうかがえ、大変で楽しい私の体験は終了しました。
これからは大工さんが講師になり生徒全員で建設していく予定、頑張って楽しんで下さい。
※追伸、インターシップという高校生の体験学習で釧路町役場へ来ている学生の中に先月ジュニアオープンデスクでくりえいと創へ来ていた工業高校の林君がいて、相変わらず元気そうで、なつかしく言葉を交わしました。
夏休み返上の高校生
今年も釧路工業高校建築科の学生が*JIA北海道支部のジュニアオープンデスク・プログラム に参加し、「くりえいと創」へ体験学習にやってきました。今年は原 万馬君と林 拓也君の 2年生男子2名。 7月24日から8月6日の休みも入れての2週間をCADや模型づくり、現場会議や建物調査 と設計事務所の仕事の一部を体験し、多田の指導の元フーフー言いながら、最後には「おもし ろかったです」と嘘か本当か言い残し残り半分の夏休みへと返っていきました。貴重な体験と して心に残ってくれると嬉しいのですが。原君、林君・・・そして多田さんご苦労様でした。
完成した模型を前に「はいポーズ」右:原君・左:林君
賑やかな2人組がいなくなりチョット淋しい眞壁でした。
*JIA:(社)日本建築家協会
地元設計者達の熱い7日間
釧路のある社団法人が行なった設計プロポーザル、施設の規模は約7.000m2。プロポーザルとは 公共的な施設の設計者選定方法の一つで具体的計画案の提出ではなく、考え方や実施体制・取り 組み姿勢などを表現したイメージ程度のプレゼンテーションで総合的に評価し設計者を決定する というシステムです。(小さな事務所にもチャンスがある筈なのですが)そのプロポーザルへの 参加案内が地元設計事務所の協会を通し会員に通知されました。実は地元以外の大手設計事務所 数社で進んでいたのですが、法人の理事たちの中から地元を無視するのはイカガナモノカという 声が上がり急遽案内が来たと言う訳なのですが・・・と言う訳で時間はワールドカップ開催中の 土日も入れての7日間、常識的には無理な日程。当初は地元設計事務所の協会役員数名で同様の 施設設計経験のある(これが参加条件の一つ)私達の仲間AさんとBさんに声をかけ参加しよう としていた動きに仲間達が意義を申し立て参加意思のある有志全員がチームを組んで挑戦しよう ということに、その数12社15名!勝てる可能性は消費税率以下の連日夜中までの無謀な挑 戦が始まりました。
プロポーザルは残念な結果に終わりましたが、この熱き7日間で近年に無い充実感を味わったの は事実ですし、地元設計者の横のつながりが一層強まったのも成果の一つと考えています。 ただ、12社の中で釧路の設計事務所や若い設計者をリードしていく立場の地元大手事務所?3 社が名前だけで共同作業に加わらなかった事が非常に残念でなりません。 疲労困憊した私達は2・3日体力が戻らなかった事を付け加えROOM7月号とします。
某町の町づくりの提案書と別件プロポーザル(提案書を検討し設計者を選定するシステム)にスタッフの一人 として参加し、月末は連日空が明るくなる頃ベッドへ入る状態で、月一の更新間に合いませんでした。申し訳 ありません・・・ということで急遽作成。今回は以前設計させて頂いた『休み坂の橋の有る家』の御主人が施 工中に住宅金融普及協会へ投稿し採用された「住まいの体験談」をご紹介致します。
「ネコにせかされて」
北海道釧路市 むったん(30歳 男性)我が家には、猫がいる。名前はメロンとチェロ。 いずれもメス猫だ。つまり我が家は妻と猫のメス3に対し、私オス1の女系家族である。 結婚して数年なかなか子供に恵まれないこともあって、ネコ中心の生活が続いていた。 そんな我が家に大きな変革が訪れた。「家を建てよう」ってことになった。 事の発端は、住んでいた借家の水道が冬、凍結したことからだ。 「えっ水道が凍るの!?」とたいていの人は思うかもしれない。ところが北海道では当たり前のことなのだ。 寒い日の晩には天気予報で「水道凍結注意」なるものが発せられるその位寒いのだ。 しかし最近の建築では長期間留守にしない限り凍結するなんてことは滅多にない。 まあ、それだけでは「家を建てよう」なんて決心はつかなかった。 その思いをより一層強めたのは、我が家の中心メンバーであるメロンとチェロだ。 縦横無尽によじ登り、這い蹲り、その姿はネコではなくクモではないかと思わせるものだった。 終いにはあちこちで爪を研ぐ始末。あと数年で彼女達は家を解体してしまいそうな勢いだった。 そんな事もあって家族会議が開かれた。といっても私たち夫婦2人。もう自分たちの家を持つことしか考えなかった。 このネコ達がのびのび遊び回れる家が欲しい。日の当たる、暖かくて、気持ちのいい家が欲しい。 もちろん水道の凍らない家。我が街自慢の海が見え、霧がたちこめたり、真っ赤になった夕日が眺められる家。 2人の会議は深夜まで続き、夢を語り合った。ところで、家を建てるには資金と土地が不可欠だ。妥協して土地を決めようと思いはじめた。 そんなとき、近所の古いアパートが解体されるという話を聞いた。日当たり、眺めともに最高の場所。少々予算をオーバーしたが、この場所に決定した。 土地さえ決まれば、すぐに新築の計画が始まった。
設計は設計事務所にお願いした。その方がより自分たちの夢を実現できると思ったからだ。 数ある設計事務所の中から我が家のイメージに近い設計をしてくれそうなところにお願いした。 とにかく自分たちの夢をいっぱい書いたメモを設計者のMさんに渡した。Mさんはそのメモを見つめ黙ってしまった。 「いろんな事書きすぎたかな?的はずれな事書いてしまったかな?」ちょっと不安がよぎった。 しばらく沈黙が続いたあとMさんは「うん、おもしろそうな家ができそうだ」とニッコリ笑っていった。 それから1週間、出来上がったスケッチを見て2人ともびっくり。想像をはるかに超えた面白い家になっていた。 居間の真ん中にネコがのぼる“にゃー柱”ネコ専用の日向ぼっこスペース“にゃー棚”。ゆっくり景色を楽しめる部屋は、別棟で、2階から橋を渡っていく“海のDEN”。 やっぱり設計者のMさんにお願いしてよかったと2人とも思った。施工業者選考も、いくつもの業者の中からより安く、確かな施工をする業者を選択してくれた。 もう一つ設計事務所にお願いしてよかったと思ったのは、工事が始まってからだった。現場監理を設計事務所の方がやることで、施工業者とは別の目で見ることができる。 そのため常に厳しい目が光っているのだから手抜きはできない。だから安心して工事の進行を見守ることができた。ちょっとした変更も常に私達に有利になるように施工業者の方と交渉してくれた。 現場にいた大工さんも私たちの要望に応えてくれた。本当によかったと思っている。さてさて、私たちの夢の家、実はまだ施工中。 12月23日に引っ越す予定だ。私たちにとって素晴らしいクリスマスプレゼントになった。もちろんメロンとチェロにも。 早く引っ越して、元気に“にゃー柱”をのぼるネコを見たり、“海のDEN”で夕日を眺めたり、楽しみはつきない。
これから家を建てる人にも設計事務所に相談することをおすすめする。きっと自分の思った以上の家が出来上がると思うから・・・。
※一部整理して掲載致しました、詳細は住宅普及協会のホ−ムペ−ジをご覧下さい。 http://www.sumai-info.com/index.html
設計事務所と建築士の姿と性格
最近インターネットで欠陥住宅について調べたことが有ります。その中で欠陥住宅の被害者に関わっているある弁護士の方の新聞の連載欄の中で興味深い記事がありました。要約して説明すると以下のような内容です。
『日本での住まいづくりは大工棟梁に注文する設計施工一括発注が一般的で、消費者の中には[設計]と[施工]の区別すらつかない者もいる。住宅会社も往々にして「設計や監理は当社の建築士が無料サービス致します」と設計施工一切のお任せ契約を勧め『無料』につられ多くの消費者はこれに応じている。しかし業者とて設計監理に費用がかかる、見積書の中に『設計監理料』が無いだけで実質的には他の項目に上乗せされているのである。 欠陥住宅の多くは業者に雇用されているか、業者に依頼され従属関係にある建築士の工事監理の手抜きによって生まれている。今の建築は極めて分極化専門化されている、したがって消費者は業者とは無関係な三者性の高い独立した建築士に、自分の予算と意向を告げてまず設計を依頼し、構造や下地までも含めた詳細な図面を作成してもらう。それをもとに、相当と思われる業者から見積りを取り、その建築士の意見を聞いて契約し監理もその建築士に依頼し、施工が図面通り行なわれているか確認してもらうことである。現在の重畳的(元請・下請・孫請のような)住宅生産システムから見れば設計監理を建築士に頼み、地場の直接施工する業者に施工を頼んだ場合と、一切を住宅会社に頼んだ時とでは、その代金にはほとんど差がなく、かえって実質的に設計監理を分離する発注の方が[良い住まい]が出来る可能性が高い』
このように述べております。
アナタが家を建てる時、業者の方と同行して来る建築士は記事の中にある『業者と従属関係にある建築士』の方が
ほとんどです。私の知り合いに建材会社に勤め、そこから建材を購入してくれる業者の方の依頼で設計をする建築士
の方がおります(建材会社ですが建築士が居れば設計事務所として登録も出来ます)以前こんな話を聞きました。
「ある業者の方からの依頼で、2日後には融資の関係で設計審査用の図面を役所へ提出しなけらばならない建て主の
所へ同行し、打合せをしている中でなかなか進まず、つい[一生住む家なのに今日中に考えをまとめなくても]と言って
しまい、建て主も我に帰りもう少し時間をかける事となり、結局融資が遅れ業者の方に余計な事をしてくれたと非難された」
彼は失敗談として私に話していましたが、私はそれは建て主にとっては成功談だと思いました。
設計事務所には建て主からの依頼で仕事をしている専業事務所と、施工と兼業や業者に依頼され従属関係にある事務所が 有ります。建築士には依頼して下さる建て主の立場で仕事をする建築士と、依頼される業者の立場で仕事をする建築士が おります。私達、設計監理専業の事務所の仕事は、建て主のトータルコストの中でいかに機能性やデザインのバランスを とり予算を100%有効に割り振っていくかを設計図書という指示書に表現していくことと、その設計図書通りにきちんと 物が出来るかを監理することです。それは欠陥住宅を未然に防ぐためにも非常に重要なことです。
設計監理料がもったいないと考えてる方がまだまだおりますが、『良い住まい』を実現するため私達は設計監理に多くの 時間を費やします。工事価格が適正か余分な物が見積もられていないか、又アナタにとって本当に必要なものは何かを一緒 に考えコストコントロールをしシンプルな『住まい』を実現したりと、建て主と時間をかけた丁寧な打ち合わせをするゆえに 時間が多くかかります。これが設計事務所へ依頼するデメリットといえなくも有りませんが。
くりえいと創は施工業者を信用しない訳では決して有りません、中には友人の工務店の社長のように家づくりは『建て主・ 施工者・建築家』の協同作業と考える施工者がおります、ですから彼は施工のプロとして、設計監理は分離し設計事務所と 直接と言い私の事務所へ建て主を置いていきます。
見た目では分からない設計事務所や建築士の質、建築家の仕事を知る事から『住まいづくり』が始まります。まず第一に設計 事務所へ遊びに行きましょう、快く対応してくれる筈です。
「アルヴァー・アールトの住宅」北海道展−釧路展
ご無沙汰しております。今年に入りもう4月末、このROOMもベトナム旅行記で持ちこたえましたが今回はそうもいかず、
自分で決めてしまった月一更新の時期になりました。
今月は近々開催する「アルヴァー・アールトの住宅」北海道展−釧路展の準備(かなり充実した展示内容、見逃すと先
10年以上は見れないでしょう:5/8〜5/11 10:00〜19:00 釧路市生涯学習センター「まなぼっと」
入場無料)やら月曜塾が関わる事となった某町村の小さな「まちづくり」やらと実務から遠ざかり、スタッフの多田に
すっかり迷惑をかけておりました。
アルヴァー・アールトHugo Alver Henrik Aalto は1898年にフィンランドのクオルタネに生まれ1921年から
1976年に亡くなるまでの50年以上に及び活躍した建築家で、フランク・ロイド・ライト、ル・コルビジェ、ミ−ス・
フェンデルローエなどの近代建築巨匠の1人と称されていす。
今回の「アルヴァー・アールトの住宅」北海道展は東海大学の伊藤大介先生が中心になり準備をされ、札幌〜帯広〜釧路
〜旭川〜函館と巡回する企画です。
アルヴァー・アールトの設計した15の住宅作品(札幌・旭川は16他は今回の展示作品を制作したアルヴァー・アールト
美術館のヤリ・イッツオネン氏が世界巡回展用にスタートしたオリジナル・ヴァージョン)を中心にアルヴァー・アールト
のデザインによるガラス花器やチェアーなども合わせて展示する充実した内容です。
アールトの言葉に「建築には秘められた動機も常に見え隠れしている。それは、パラダイスを作ろうという建築家の思いで
ある。これこそが建物をつくる本当の目的と言えよう。もし我々が、こうした思いを抱き続けなければ建物も日々の生活も
単純でつまらない物になるだろう。いかなる建物も建築作品も、ごく普通の人達のためにこの世にパラダイスを作り出した
いという、我々の野心を示すシンボルなのだ」
・・・この言葉に建築家としての存在価値がこめられており、皆さんが建築
家へ仕事を依頼する大きな意味があると考えます。
札幌展設営へ参加したときの写真を数枚掲載します、釧路展でもフィンランドの空気やアールトの世界を感じる素敵な空間 を計画していますご期待下さい。

追伸:小さな「まちづくり」:道路拡幅と区画整理による補償金も絡む再開発なのですが、依頼している方々は「まちづくり」 よりも補償金による店舗の建替え、それを仕事にしたい建設会社の会長がリーダーとなっている1部のグループ・・・ さて月曜塾が、このような方々の考えをどのように住民による「まちづくり」へ変換していくのか。
『ホ−チミン(サイゴン)の旅・No3』
ベトナムの食べ物は日本人に合うと聞いていたのですが、まあ美味いものは美味 いし、不味い物は不味いのです。代表的なフォーという麺料理もたくさんの種類 が有り2度食べたうちの一つは全部食べられませんでした。もう一つは非常に美 味い、とにかく何でもレモンと赤唐辛子と香草を突っ込みます、美味くなったり 不味くなったり。怪しい果物も食べました、果汁がまるで甘いミルクのヴースア、 キウイを大ざっぱにし酸味を取ったような味のタンロン、臭くて甘いミット、そ の他にホビロンと言うアヒルのゆで卵、中身は卵6のヒナが4の割合で塩味、バ イン・セオというベトナムのお好み焼きは、もやしと豚肉を薄焼きの皮で包んだ 食べ物、油の味しかしないのでナンプラーをつけて食べる。
最後の夜はフランチレストランで食事をしたのですが、食事中タバコがOK、く わえるとボーイさんが火をつけてくれる、そんなフランスレストランで良いので しょうか?その後自分のライタ−と交換してくれと言うので、そうするとメイド・ イン・ベトナムのもうガスが残り少ないライターでした。
観光みやげ店では今流行のベトナム雑貨の他に滅茶苦茶安いブランド品のコピー を正々堂々と置いてあり、これ又正々堂々とコピー品として売っており、本物は 別のブースでショーケースに飾ってあるとのこと、見せてもらうと有る筈の無い クウォーツのロレックスの時計が・・・
滞在中はウルサクテ、ウサンクサクテ1週間も居れないなと思いましたが、大好 きになったサイゴンも有ります、日本の女性を85%縮小したようなベトナムの 女性(やはり子供の頃の食糧事情や環境なのだとガイドさんは説明してくれまし たが)同士の会話を聞いていると、まるでメロディを口ずさんでいるような心地 よい言語なのです、声調言語といいサイゴンでは5つの声調を持っているそうで す。クォック・グウというベトナム文字自体が発音文字で北のハノイは厳しい響 き、南のサイゴンは柔らかい響きなのだと聞きました。鼻から抜くような音や舌 を鳴らすような音などリズム感に溢れたその意味もわからない言語に聞きほれて 大好きになりました。
今、ベトナムコーヒーを飲みながら買ってきたベトナム女性歌手のCDを聞いて います。
私にとってサイゴンは帰国してから、じわじわとその時は理解できなかった魅力 に引き寄せられていく、不思議で妖しい喧騒の大都会でした。
『ホーチミン(サイゴン)の旅・No2』
前回に引き続き、ベトナムのお話を。
空港に着き、テレビのサッカー中継に気を取られながら、ダラダラと審査をす る入国管理官(警察官)の審査を終え入国すると、もう熱帯サバンナのお出迎 え、旅行代理店のガイドさんに案内され歩く通路の回りには何故かベトナム人 の子供から老人までフェンス越にジロジロト私達を見つめる歓迎(日本からの 便なので全どが日本人、親戚や知り合いではないと思います)一発目からオド カシテクレマス。空港からは近代的な道路と小奇麗な建物、20分程でホテル に到着、さあ明日からベトナム人。
翌日早朝から郊外へ出発、ところが空港から反対方向へ(というか空港からの 道路以外)サイゴンの都心から20分も走ると凸凹の道路が所々にあり舗装は 車道のみとなり周囲はバッラクのような建物が連なるように風景が変ります。 早朝からホコリ舞い散る道路脇でバイク部品の店、フォーの店やフランスパン サンドイッチの屋台、ゴザを広げた上に靴を並べて売る人、道路脇の空き地に ハンガーラックに服をぶら下げた洋服屋が営業しており、それらを物色してい る人や道端で食事をしている家族、何かを飲んで話をしたりゲームをしている 男たち(どうもこの国はとにかく女性の働く姿が目に付く:男の働く場所が無 いと言うのだが屋台でもバナナ売りでもココナツジュース売りでも、靴売りで もたくさん有るのではないか?:全て露店では有るが)が添景として存在しだ すのです、まるで戦後の貧困な東京のようだと言う人もいました。
戦争の記憶を展示している戦争証跡博物館で、これでもかこれでもかと見せら れたベトナム戦争の悲劇、殺されたベトナム人の残酷な数々の写真や奇形で生 まれた我が子を抱きしめる母の姿、生きて自分の母に逢う事の無かったホルマ リンに入った奇形児などを、このサイゴンの地で改めて知ると衝撃と怒りと悲 しみで言葉が無くなってしまい、恐ろしさに先程までの外の異常な熱さも忘れ 早く外へ出ようと足早になる自分が居ました、アメリカ人もたくさん来ており 皆言葉も無く見ていたような気がします。
ベトナム戦争が終わり28年ということは、私と同年代のベトナムの人は日本 でいう中学生の頃直接被害を受けている訳で、20代の人たちも戦後の酷い時 期を子供として暮らし育った訳で、ベトちゃんドクちゃんのように枯葉剤によ る奇形児の話題やボートピープルとして日本にも漂着したベトナムの人は遠い 昔のように感じてしまっていたのですが、ベトナムでは『今』であり、世界一 美しく見えると言うアオザイをきた女性や夜の町で働く女性たちの人生の背中 にはベトナム戦争の悲劇があることを、浮かれていた観光客の一人である私は 思い知らされ、心をグッサと刺された気がしました。
サイゴンは今、活気にあふれ、たくさんの外国人が訪れ、外国の企業が進出し 高層ビルが建ち並び発展目覚しい大都市です、一方で悲しい記憶の大都会でも 有るのです。
今日は2002年1月30日、しまった新年の挨拶が・・・ 明けましておめでとうございます、今年も時々『くりえいと創』へ遊びに 来て下さい。
『ホーチミン(サイゴン)の旅・No1』
実はさっきベトナムから帰ってきました、日本から6時間(帰りは5時間)で ホーチミン(サイゴン:地元の人は今でもサイゴンと呼ぶらしいのでここから はサイゴンと言います)ちょっと行って来た程度の旅では有りましたが、少し サイゴンの話をして2002年1回目のROOMにさせて頂きます、決して手 抜きでは有りません。
最近日本でも観光地とし注目され、ベトナム雑貨なるものが流行の兆しを見せ 始めている国ベトナム、その南部最大の都市であるサイゴンは人口500万人 の熱帯サバンナの都市でした。社会主義国家で有りながら幾つもの高層ビルと フランス植民地時代に「東洋のパリ」と称されたフレンチ・コロニアルの建物 が混在し、洒落た高級レストランや妖しげな屋台、ホンダの50ccバイクが 乗れるだけ荷物や人を乗せ川の流れのように走っている訳の分らない都市でした。
サイゴン川の辺に建つホテルの部屋で朝4時頃、外の喧騒に目が覚めカー テンを開けると、渡し舟のフェリーからトコロテンを押し出すようにあふれ出 るバイクが、両車線バイクでイッパイの前の道路に平気で突入し、左右へ分か れ合流していく様子が広がっていました。昨日寝る時に見た様子と同じです、 夜中の1時2時まで家族が路上で小さな椅子とテーブルを出し食事をしていた り、まるで24時間昼間のように生活しているサイゴンの人たち、部屋から見 下ろすリバーサイドの公園は、日中テニスコートや電動カートのコースになり、 夜はジャンキー(麻薬常習者)の溜まり場(夜一人では絶対に近づくなと言わ れ)片側3車線も有る大きな道路も、6M程度の小さな道もバイクと屋台で溢 れ、信号の有る交差点は数える程しかなく、反対車線を走りながら車線変更す る奴や、赤信号を右折する奴や(一応右側通行)、道路に有る横断歩道は機能 しておらず左右から来るバイクや車をカワシカワサレ渡る人々、帽子やTシャ ツ、ライターを売る親子はバイクに乗りバスに並走しながら買え買えと言い、 ホテルの玄関であきらめる。ホテル玄関前の歩道では毎日夕方バラの花を売り にくる5歳くらいの可愛い女の子、少し離れたところで父親らしい明らかにジ ャンキーのような男。
ベトナム戦争が終わり28年、ドイモイと言われる市場 経済導入政策が始まり18年、未だ充分では無いにしろ表現の自由も認められ、 絵画を売るアーティストも現れているようです。(しかし、ベトナム人が私達 の宿泊しているようなホテルに泊まる場合は、写真入のIDカードをフロント に預けることとか、男女でホテルに泊まることが許されていないことなど、全 てが自由な訳ではないようです)日本人とアメリカ人の観光客であふれている 、ベトナムで一番治安の悪い都市サイゴン(一人で歩いているとシクロ:前に 座席のある自転車に乗れとついて来たり、路上で怪しげな物を売ろうしたり客 引きをする男にはたくさん出くわしましたが)スリ・引ったくり・事故にも遭 わず帰ってきました。
次回は都心とは正反対の郊外のサイゴンや町並みの明と暗、ベトナム戦争の悲 惨な記憶の残る戦争証跡博物館、食べた事の無い果物やフォーという麺のこと 食事中煙草を吸っても良い高級フランチレストラン(でも安い)、大好きにな ってしまったベトナムの言語などなど記憶の薄れないうちにお伝えします。 写真も上がって来ますので少し交えながら。
※写真はベトナム人アーティストのかいた水彩画:1,400,000VND = US10$ = \1,400
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