■1984年 冬〜春■


I 戸隠 飯綱山とその周辺

 戸隠へのドライブは、ハードだった。スキーヤーを掻き分けて、駐車場にスカイラインを駐める。テン場選びに、じっくり時間をかけ、ようやくBCらしいものが出来上がった。これから一週間をこの雪上で過ごす。

 昼、駐車場はスキーヤーの車で満杯になる。我々のBCは異様である。長野から一投足だから地元のガキンチョが多く、しかもガキンチョのくせにスキーは上手い、と来ている。

 まず初心者向けの練習と、一通りスキー・ゲレンデの偵察、といったところだ。ワンゲルのK嬢が早々に板を折ってしまう。私はT女史譲りの(まだ支払いの済んでいない)新しい板に合わせるため、コフラックのプラ靴にコバを打ち付けたりする。

 結局、瑪瑙山頂へのBC設営は、法的許容範囲外とのことで、リフト下からの飯綱山登頂ということに計画は変更されてゆく。

 O大先輩も入山。我が<稜線の光>合宿への元山岳部OBの参加は、早大のNさんを除けば、I、IS、K、S、そしてO大先輩とこういう順番になってくる。O大先輩は、山岳会の中核を担う方だから、こうして参加してくれることをぼくは強く望んでいたし、合宿中、ぼくなどととは考え方の相違等目立ったかもしれないが、このような相克は、連合当時から覚悟していたものだったから、避けるべきものでもないと思っている。

 終始、O大先輩の印象を一言で纏めると、(つっぱってるなあ)という感じであった。ぼくは社会人山岳会(黎明山の会)の育ちだから、そのツッパリ感覚というのがよくわかるし、自分もツッパリをしなかったら、山で置いてけぼりを喰った側に回されていただろうと思う。そういう意味でのツッパリは、KやSN、U、K嬢というところにも多かれ少なかれ見受けられたから、安心はしていいのだぞ。

 それぞれツッパリ度は違うのだが、何かを口にすることによって、自らを意識させているという気がする。

 そこでぼくはさらに抵抗したくなってしまう。ツッパラなくては山に行けないのかよ、と。それよりも、自然に極くナチュラルに山に登れる俺の方がそもそも山に向いているじゃないか、とひとりごちてしまうのだ。

 成果は少ないけれど、山や大自然への愛着、憧憬、といった面では、負けませんよ。そういう意味では先輩のK嬢などは、ぼくの好きな山屋の一人だ。あくまでも自分なりの山を登るのだし、山のために、むしろ組織を毛嫌いしたりもする。心底、山に対してピュアだと思うのです。

 そういうわけで、飯綱山は。スキー隊の四人(俺、N嬢、Y嬢、K嬢)には微笑まなかった。シールをつけて山腹を巻いてゆくのが、到底このメンツには重荷だというわけだ。ぼくは、退却を宣言し、K嬢は泣いた。N、Y両嬢は、こんなものかという心境からか、割とからっとしていた。

 山は、やっぱりルールじゃないんだ、とぼくは思った。

 戸隠隊の数人と合流し、打ち上げを行ったのは、何とも楽しかったが、どうもこちらの分が悪い。やはり難度のある山登りは、羨ましく思われた。これはぼくの個人的な気持ちだ。しかしぼくは羨んではならない。少なくとも反ヒマラヤ主義の最先鋒としては。

 スキーツアーのショートルートとして、瑪瑙山手前のリフト終点から、戸隠牧場に滑り込むコースがあり、ぼくらはそれを試した。シールをつけたり、外したり、木々を回り込むスキー技術の難しさを思い知ったり、と、現役学生には、少し刺激を与え得たかもしれないな。アルピニズムという語句からは遠く離れた意味合いかもしれないが、ぼくは言う。冬山はそこに在ったろう、と。すぐ傍らを、冬という名の、いかめしい季節が、雪煙を蹴立てて降りて行っただろう……と。

 そう、すべて、山だったんだよ。

II 蔵王

 仕事を早めに切り上げて、ぼくと会社同僚のK君は東北縦貫道路へと、スカイラインを走らせた。仙台・白石と経由して、雪の峠道で、自慢のFR車にチェーンを装着。凍えるような思いをした。夜の山形市内に下る。蔵王温泉には22:30着。赤ちょうちんで、濁り酒を呑み、スカイラインの車内にて一泊。

 朝、周りは車の海だった。人出は激しく、ロープウェイには昼頃になってやっと乗ることができた。山小舎は空っぽだったので、中央ゲレンデにて二人で滑る。夕方になって、パラダイス・ゲレンデで滑っていた皆が帰還してくる。

 夜、酒を呑み、後輩Oと口喧嘩になってしまったことについては、皆にすまないと思っている。どうも性格が胆汁気質で激しやすいもので……。特にO嬢とS嬢には会には何の関係もないところ、すまないことをした。

 翌日、地蔵だけに登り、樹氷の間を滑り、横倉ゲレンデに下り……と、非常にスポーティな一日を過ごした。初めて蔵王に来る同僚K君が喜んでくれたのが何よりだった。

 18:00過ぎに山小舎を出て、地元のS嬢を車で上野山駅まで送り、ぼくとK君はそのまま関東への帰路を急いだ。相当な晴天であった。仙台以北は。

 東北道で雪となり、南下するにつれチェーンを着け、しまいにはそのチェーンが切れたり、スリップして危ない目に合ったり、と……。K君宅のある草加市に着いたのは、月曜の午前5:30だった。家にも帰らず、二人はそのまま会社に向かった。勤務のある最悪の月曜日だ。蔵王一泊二日のスキー行は、山よりきつい。

III 三ツ峠四十八滝 氷瀑

メンバー:K、M、I、O、私

 昔は存在しなかった山の家の辺りに車を駐め、テントを張る。毎度のごとく、酒盛り。

 登り口までの雪のアプローチは、こんなに険しかったろうか。そして早速ダブル・アックスの訓練を開始するが、何ともはや、氷が薄いのである。かつて40mトップを切ったあの大滝は、流水がほとんど。先行の血気盛んな老人男女が登りかけると、薄い氷盤が、いやな音を立てて滝壺に没してしまった。

 沢全体を詰めてしまうつもりであった計画を変更して、枝沢の手ごろな氷瀑に戻り、練習。OとKのみが腕力で登った。Mは後々までそれを羨んでいた。遠征参加メンバーのIとMは、どちらも何せ落ちたのだ。

 ヒマラヤは腕力ではなかった。

III 足尾松木沢 氷瀑

メンバー:S先輩、I先輩、E、Y、H、I、M、O、私

 ヒマラヤ遠征隊のメンツに、I、O、私が便乗、参加した。今年の氷は未発達である。一段目も例年より幅がなく、ルートが限られてしまうために、氷一面すっかりバイルで削り取られ、穴ぼこだらけだ。よろしくない。

 二段目の滝は非常に悪く……これは二年前に登ってあまりの薄氷に苦労した思いがある……一部を除いて、全員高巻いた。巻き道も案外悪く、ザイルフィックスまで行う有り様だった。

 三段目の滝は時間切れ退却。短い氷を使い、慰めにもならない練習をして下山。

IV 草津スキー

メンバー:M、私、他3名

 会社のタウンエースで万座スキー場に乗りつけたが、あまりの混雑ぶりに嫌気がさして諦念。草津スキー場に取って返す。テレキャビンに乗って振子沢へ、というつもりで込み合うリフトを乗り継いだが、晴れているのにも関わらず、風が強すぎるという理由から、テレキャビンは運行ストップとなる。仕方なく、そこからの滑降のみで終えることにした。草津最下段スロープは快適な急傾斜。

 午後、露天湯もサウナもあるという日帰り浴場(6百円也)に入り、北軽井沢に向かう。I先輩の山荘があるが、ガスも水もトイレもこの季節は使えないのだ。森の中で、雪を解かして山用コンロで湯を沸かし、トイレは戸外の雪のなかに各自勝手にということになる。

 朝になっても、あんなに混んだスキー場は嫌だということで、雪の上にリクライニングチェアをいくつも放り投げ、その上に寝転がって陽だまりを味わいながら、各自、自分のペースで酒を呑み始める。夕方までさんざんぱらバーボンを呑んで酔っただらしのないスキー行である。

−了−


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