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*1980年5月3日〜5月5日
*パーティ=リーダーKY、IH、IK、私 (以上黎明山の会)
---序---
黎明山の会では、今回鹿島槍ヶ岳東面のルート研究を目的に、西俣出合をBCと定めての合宿を行なったが、私、IK二名の稜線の光分子はともに北壁ラッシュアタック隊に加わることになり、出発前からの少なからぬ不安と緊張を強いられていた。中でも出発前の連日の天気図によって予想されていた悪天候は、大陸上の低気圧が停滞を続けたために思わぬ快晴に恵まれるとという幸運な登山をもたらしてくれた。
当初、KY−IKパーティは正面尾根、IH−私パーティは主稜を企図していたが、これは様々な事情から急遽ピークリッジにと変更された。が、これも我々のミスルートから失敗。一体何を登ったのかというと、これが一口では言い表し難い。詳細は以下の記録を参照されたい。全体の印象としては、鹿島槍は北アの中でも近くて良い山だった。アプローチの短さもさることながら、素晴らしきバリエーションルートの宝庫であり、親しみの持てる山である。
●1980年5月3日(土)●
*晴れ
*TIME:大谷原(6:30)−荒沢出合(7:30)−天狗尾根取付点(7:40-8:00)−天狗の鼻(13:15)
大谷原は広い河原である。ここまでタクシーで乗り入れる。朝食を済ませると、BCからの出迎えに混じるIKと合流。
早速天狗尾根を目差し、4人は大川沢を遡った。荒沢に少し入って左岸へ移り、いよいよ急な登山道に分け入る。ひとしきり喘ぐと、雪も次第に深くなり、尾根筋が定まってゆく。IKは前日の疲労が取れぬと見え(赤岩尾根より冷小屋往復)、元気がない。
やがて木の間越しに遠見尾根を眺めるようなると尾根筋。やや傾斜は落ちるが、ポカポカした暖かい陽気のせいで、つい小休止の腰が重くなる。
第一クーロワール下でアイゼンを着け、荒沢の底へすっぱりと切れ落ちた雪壁の、ぐずぐずいう腐れ雪を攀じ、首の痛くなるほどの高さにある天狗の鼻に向けて第二クーロワールを喘登する。IH氏のペースが早く、私以下は遅れがちであるが、天狗の鼻の好展望台へやっとのこと漕ぎ着けた。
IKは嘔吐感などあるらしく、ザックの上に座り込むや、もう梃子でも動かない。北壁を目前にツエルトを二張り据えて午後いっぱいの荒天を持て余した。テントは他に6、7張りあって、キレット沢の転落事故や北壁主稜の雪崩事故の模様が乱れ飛んでいる。我々は、この日北壁核心部を抜けて雪壁上のビヴァークを望んでいたのだが、何しろカクネ里に計8名もの遭難者が救助を待っている。IKのバテがひどいこともあって、天狗の鼻ストップを余儀なくされた。夕刻まで、ヘリが頭上を旋回し、トランシーバーの交信が絶え間ない。けたたましい非常時の空気が一帯を領していた。
夜、それぞれのパーティで食事を摂るが、IKはこれも喉を通らないようだ。4人で、さんざん話し合った結果、2パーティ一緒に行動しようということになる。主稜という案も出るには出たが、今日の雪崩事故と言い、危うさが拭い切れない。しかしどうしても北壁をやっておきたいとの主張から、最も所用タイムの短い、北壁左端のピークリッジを登ることにする。
寝不足と疲れのうちに、19:00就寝。
●1980年5月4日(日)●
 *晴れのち曇り、夜雨
*TIME:天狗の鼻(5:30)−登攀開始点(6:40)−天狗尾根第一岩峰下(9:45〜10:00)−第一岩峰上(11:00)−鹿島槍北峰(11:45〜12:20)−南峰とのコル(12:30)−西俣出合(14:15)
3:00起床。朝食の間に空が白み始める。ティーバッグ一個で4人分の紅茶を入れる。これで食糧は全部腹の中に収まった。
風が強いが、雲一つない快晴の夜明けだ。
天狗のコルに下りて、急峻な雪面をトラバースし、モルゲンロートの北壁に向かう。銀雪はまだ良く締まっているが、雪壁上部の亀裂が雪崩の危険を告げている。何度も立ち止まって取付点を探す伊東氏に先を促すが、どうも踏み跡らしきものがなく、はっきりしない。
ピークリッジ下の3本のリッジと思われる岩稜が頭上に現われたところで、このほぼ中央をめがけて雪壁を踏んでゆく。最初5〜60度であった斜面は、次第に傾斜を増し、80mほど登ったところでブッシュ帯に入る。この辺り、7〜80度の傾斜で、ウインドクラストした氷雪をピオレトラクション駆使して登る。ダケカンバの枝に自己確保して足場を固め、かろうじてザイルを出した。


見上げると、濃紺の空を区切って雪壁ばかりがやたら眩しく、ところどころダケカンバが点在している。こうしたダケカンバを可能な限り中継点に選んで、3〜40mずつのピッチをツルベで登る。股ぐらにカクネ里を見下ろしながらの快適な登高だが、ルートは未だなお判然とせず、右方のリッジに人の姿を見て、そちらの明瞭な登攀を羨ましく感じる。
我々二つのパーティはやや左上気味に数ピッチを登ったが、やがて最上部を行くKY氏が気落ちしたような声で「間違えたあ!」とコールして来た。どう間違えたのかは、そこまで登ってみて初めてわかった。今まで主稜らしいと思って眺めていた右の明瞭なリッジこそ、我々が辿っているつもりであった正真正銘のピークリッジなのだった。ピークリッジは荒沢ノ頭に突き上げているので歴然としている。荒沢ノ頭と、それに続く天狗尾根第一・第二岩峰を頭上にして、今改めて我々が北壁上のほんの片隅を突いてきたことに気づき、全員気が抜けたように項垂れてしまった。
やや下向きに突き出されているダケカンバに跨がって、IKから煙草をもらい大きく一服する。今回、4人とも愛煙家でありながら煙草持参者はIKのみなので、彼に接触せねば山上ならぬ壁中の一服は味わえなかった。
空中での一服を済ませると、さらに左上して天狗尾根の一角に出ることにする。我々は天狗尾根とピークリッジとの両側から目撃されており、多少恥ずかしい思いをしないではなかった。雪の中から下向きの這松を掘り出して、これにホールドを求めつつ進む。

ビレーの術なき雪壁を3ピッチほど登って、ようやく第一岩峰下に飛び出す。岩峰は直登とトラバースを思い迷うが、ザイルを着けたまま直登。外傾してはいるが、ホールドは豊かであり、2ピッチで抜ける。抜けたところがかなり気持ちのよい尾根であり、光がそこら中に跳ねている。
ずいぶん休んで、今日はIH氏の調子も悪いため私がトップとなり、ゆっくり第二岩峰の雪壁を登り、荒沢の頭を越える。
「長いなあ」とのIKの喘ぎを尻目に、北峰まで頑張り、頂上にて大休止。北アのほとんど全山が目の前に展開し、山脈全体に雪崩の音は轟いている。剣・立山をこんなに近く望むの初めてだ。4人にとって初めての鹿島槍頂上であり、皆すこぶる上機嫌と言えた。
ここからの下山ルートが、南峰・布引山経由の赤岩尾根、または西俣が考えられるが、何としても南峰とのコルより北俣本谷を下るのが鹿島槍中最短の下山ルートと言えた。だが北俣は下り口が雪壁状の急斜面で、何よりも雪崩の危険が大である。現に今、我々の眼の前で鎌尾根の落石とともに、表面の雪がゆっくりと落ちて行った。

頂上には、いつの頃からか広く分厚い雲が寄せ始めており、遂にはあれほど燃え続けていた太陽をも覆った。急速に迫りくる寒気に我々もようやく立ち上がり、急な斜面をコルに下りたが、ここにツエルトを張っている一人が、北俣を恐る恐る覗き込んでいる我々に、ここを下降する者がいること、現に自分たちも本谷を登って来たのだが、たいていのデブリが落ちてしまっていたことなどを助言してくれた。
雪の下降が好きなKY氏は、これを苦手とするIH氏に有無を言わせず、さっさと北俣に身を乗り出して行った。続いてIH、私と後ろ向きになって下りて行くが、やがて傾斜にも慣れてきたので前向きで下る。陽の陰ったせいもあって雪質はちょうど良く、滑落の心配はほとんどなかった。
IH氏は恐る恐る下ってくるので何度も待たされる。そのうちにKY氏とIKはずっと先に消えた。私は尻セードを試したところ、かなりの距離を下ってしまい、IH氏を待つのは諦め、ゆっくり先に進むことにした。グリセードの巧い3人パーティがあっという間に傍らを滑り下りて行ったが、我々にはその勇気がなかった。蛇行する渓に落石の音を聴きつつ、やっとIKに追い着き、KY氏にIH氏を待ってもらうことにして、私らは軟雪に足を取られ、転倒を繰り返しながらも、西俣出合のベースに下って行った。
本隊ベースでは皆に笑顔で迎えられ、後から下って来た鎌尾根パーティには、さっき北俣を下っていたのはお前らだな、上から見ていた、と冷やかされた。
夜、酒宴。23:00過ぎ、IKの裏切りによって、私は雨の中ツエルトに独り、酔いと疲労に身を委ねることになった。
●1980年5月5日(月)●
*曇り
*TIME:西俣出合(5:30)−大谷原(6:00)
ベース内の煙草がすべて切れ、私らは禁断状態に悩まされている。装備を分け持つと、早足で大谷原の林道を下る。大谷原でタクシーを拾って信濃大町へ。8:00過ぎには松本に到着し、朝飯とビールとで合宿の成功を祝った。
---後記---
今回の合宿を終えて、IH・KY両氏はルートミスについて非常に面目ないとの言であったが、私としては北壁のそのほんの一部にでも数時間を過ごし得たこと、またこの壁全体を領していた輝かしい雪の広がり、カクネ里の伝説めいた静謐、天狗を通して終始感じられた北アらしからぬ、山の深遠なイメージ等、感慨に名残るものが非常に大であった。失敗は失敗として、山登りをそれなりに楽しく安全に実践したことは確かであり、雪山の好きな私には、天候も然り、素晴らしき五月の三日間として、今後、後立の山々への憧憬を深めて行ってくれるものと信じる今日である。
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