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前夜のFADVオフから帰宅したのが朝の4:00過ぎだったので昼頃によ うやく起きだして、朝昼兼用の食事を済ませると、早速スポーツクラブへ 向かった。後頭部に残る酒の残滓を絞り出したかった。ジムでランニング 45分+エアロバイク30分+マシン・エクササイズ3セット+ストレッ チ20分をこなし、サウナで最後の汗を絞り出した。ようやく体から酔い が抜けきっていた。17:00パーキングから車を出すと奥多摩へ向かった。 首都高は酷い渋滞だったが国立で下りてからのR20は更に酷い渋滞だ った。新奥多摩街道に出て、やっと人心地が着いた。川井キャンプ場に着 いたのは、20:00近くになっていた。明かりにほんのり浮かび上がる吊り橋 を渡った。若者たちの嬌声が聞こえていた。管理人室は既に受け付けを終 了してカーテンがかかっていたが、うちの山岳会の連中が陣取る場所はす ぐにわかった。 バーベキュー用のファイアサイトを囲んでいるみんなの笑顔に迎えられ た。全員で6、7人といったところで意外に少なかった。学生たちが飯豊 連峰の冬合宿に向けての偵察登山に出かけているせいもあった。早速ビー ルと里芋の汁ものが出される。 我が山岳会というのは基本的には山岳部OBと現役学生山岳部員とで成 り立っている。しかし他の山系統のクラブやときには他の大学からも参加 してきたりするので、かなり雑多な人間の集まりといっていい。雑多な構 成だからヒマラヤに遠征を出すこともあれば、こうして酒をのみに山や温 泉に集まることも多い。家族連れのハイクもあれば、学生の雪上訓練やア イス・クライム、岩登り訓練などにコーチとして顔を出す機会もあったり する。まあとにかくいろいろな人がいるのだ。 隣にいる同期の一人Eはしばらくインドやパキスタンで放浪していた男 だ。学生時代には槍ヶ岳の穂先から落ちて足首を折り、ヘリコプターで救 助されるシーンは、テレビニュースでも放映された。その後彼はヒマラヤ でガイドをやっているうちにシルクロードのペルシャ絨毯のよい卸し元を 見つけ、日本で輸入業を始めるようになった。正式な就職をしたのは、後 輩の女性との結婚を決めてからのことで、今夜は2歳になる娘を連れてき ていた。 後からやってきたNさんは、つい先頃ヒマラヤで雪崩に巻き込まれ死亡 した長谷川恒男と同じウータン・クラブのメンバーで、その死のニュース による衝撃を隠せないようだった。長谷川恒男は登山界のスーパースター で、ヨーロッパ三大北壁単独登攀で世界的に名を知られた名クライマーだ。 夏の穂高・涸沢ではガイドをやっていたからよくその姿は見かけた。Nさ んはときどきうちのテントにやってきては後輩たちを彼に紹介してあげて いた。あの頃の登山界のスターは現在ことごとくいなくなってしまった。 絶対死なないと思われた者たちが、次々とこの世を去っていた。 紅一点のKはワンゲルの出身だが、現在、沢登り専門の山岳会<わらじ の仲間>に所属、現役でハードな山登りをやっているが、下北沢をベース に劇団員としての活動も意欲的にやっている。芝居のネタを探しているの で、ぼくとは年中本の話になる。「アルジャーノン……」を最初に勧めた のも彼女だ。 広島出身のHがバーベキューセットを用意して、広島風お好み焼きを提 供してくれた。高カロリーであることがとても気になったが、焼きそばが 入ってとても美味いので、たらふく喰ってしまった。後から年に何度も山 スキーに通っているYが到着した。Iは真夜中まで飲んで、明朝6:00に起 き、何と勝沼のハーフ・マラソンに参加するそうだ。一時期結婚して太っ たので、マラソンを始め、7月にはYを誘って出場。Yは突然の出場にも 関らずちゃんと21km以上の距離を完走したという。なんともタフな連 中だ。 学生は二人一週間前に入部したばかりという新人が来ていた。他にひと りだけ二年生が学祭のチケットをOBに売りつけに参加していた。彼は翌 日千駄ケ谷の岩登り競技会のワールドカップ観戦に駆けつけるらしい。う ちのOBでありなおかつぼくの会社の上司であるSがそこで審査員をやっ てもいるはずだった。 飲みながら自己紹介やら近況報告やらを交わしているうちに、夜は更け、 寒くなってきた。夜中の1:00過ぎに借りている15人用のログ・キャビン に宴の場を移した。一人また一人と睡りにつき、最後にはKと二人残って 小説の話などをしていた。最後に残ったぼくが睡りについたときは3:30を 回っていた。
9:00になって起こされ、シュラフから抜け出すと、外ではちゃんとうど んが出来上がっている。昨夜の残りつゆを使っての美味しいうどんで、キ ャンプの朝はいつもこれが楽しみだ。マラソンに出るIはしっかりいなく なっていた。皆酒残ったぼんやりした顔をしているが、この後何処へハイ キングに行こうかという話になる。 Kは氷川屏風へ岩を登りに行きたいというので、自転車で埼玉からやっ て来たNがつきあうことになり、それではみんなでとにかくそこまで行こ うということになった。EとHはここで別れて帰宅だが、思えば今回のキ ャンプで子供がいるのはこの二人だけだ。 奥多摩の氷川キャンプ場に車を移動し、奥多摩駅前で、食糧を調達。ぼ くは缶ビールを買った。駅の裏手から線路を渡り急な坂道を登ってゆくと、 民家が途切れ、奥多摩の谷あいに開ける氷川の町並みが望める。頭上には 氷川屏風岩が見え、そこにはザイルを使って登降するクライマーの姿があ った。ヘルメット片手のパーティも一緒になって登っていった。 30分の急登を終え、屏風岩に辿り着く。小さなゲレンデだ。KとNが まず3級+の岩に取り付いて、20m上の立ち木にザイルをセットし懸垂 下降で下りてきた。それから新人の一年生を順繰りに指導しながら登攀と クライム・ダウンをさせる。一人は器用で身軽だが、一人は少し腰が引け ていた。その間にぼくは5mほどの登降をひさびさに繰り返したり、上の 意外に悪く梯子のかかった道を辿ったりしていた。 岩登り自体はぼくはあまり得意な方ではないが、一通り基本的なことは 学んでいたし、うちの会はだれも同じ様なものだったから、どちらかとい えば指導する側にいた。しかし現在では道具が当時とはまるっきり変わっ ている。EB(ゴム底のクライミング・シューズ)やチョーク(手が汗で 滑らないようにするための粉)を使ったこともない。しかも今のクライマ ーたちはエアロビ用のレオタードなどを身につけて、岩に取り付いていた。 ぼくらの頃は登山靴かせいぜいスニーカーで、着ているものはジャージに カッターシャツと相場が決まっていたものだ。それに段違いにフリー・ク ライミングのテクニックが発達しているのにも、やはり時の経過を感じた。 12:00から2:00過ぎまでそこで過ごすと、K、N、Mの三人を残しぼくら は学生を連れて山を下った。風が強くてかなり肌寒くなっていた。学生た ちを水道橋まで乗せてゆき、帰りに再びジムで一日前と同じメニューをこ なし、酒を抜いて帰ることにした。
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