■仙丈ヶ岳の正月 1980年1月■


 当初企てていた仙塩尾根の縦走プランが、暮れも押し迫った29日、パートナーH氏の都合によって断念せざるを得なくなったことは、少なからずショックだった。正月の大型連休を使っての山行に期待をかけていたぼくには、真に痛恨の思いと言えた。BC本隊は、3日早々に下山すると言う。他、甲斐駒ヶ岳黄蓮谷アタックはさすがに手に余る。こうした経緯から、今回は、終始どこかに物足りなさを覚える山行であった。以下、その記録。

     

●1979年12月31日(月)●

 BC先発隊に一日遅れて、N、I両氏と待ち合わせる。23:45新宿発アルプス17号に乗車せしも、銀行員I氏は、ついにその姿を見せず。金融機関の大晦日がしんどいものとは聞いていたが、いやはや……。

     

●1980年1月1日(火)●
   TIME:戸台8:55→11:15赤河原丹渓山荘→13:15大平小屋→14:00北沢峠→14:05北沢長衛小屋BC
     *N氏、私

 夜行列車の中で新年の祝辞を交わし、ウイスキーを呑む。酔いに任せて寝たのはよいが、二人とも眼の覚めたときは4:30、既に辰野を通り越していた。塩尻よりUターンという愚かさ。二、三時間のロスである。飯田線車内にて夜明けを迎えた。西に木曾駒ヶ岳がモルゲンローテを冠しており、東はというと、雲海を中腹に纏った奥深き南アルプス、雲表に頂稜を覗かせるは、仙丈と鋸である。美しい朝だ。

伊那北6:15着。着いたのはよいが、バスが11:08までないという。タクシーの方は正月二日間は休みとの話。冗談のようだが、本当だ。駅舎でおろおろと時間を潰していると、あんまり登山客が溜まり込んでしまったせいか、国鉄バスは臨時の運転をしてくれるということになった。ただし荷物代が小児運賃とはせち辛い。とにかくバスはすぐに現れ、ぼくらはこれに慌てて乗り込んだ。

 戸台に下り立ち、少し歩くと、車道は戸台川の川原に消える。この幅広き川原に沿って、赤河原までおよそ二、三時間も歩くとのこと。道はほとんど平坦で、両岸がかなり高いにも関わらず、全体に陽の当たる明るい谷間である。

握り飯を三つ四つ喰らい込んでから出発。最初のうちは雪が凍って滑り易いが、両岸に水成岩の峻り立つ白石の辺に来ると、河原は一面の雪の原となり、正面に甲斐駒を頂いて、歩く気持ちも爽やかなものになってくる。ヒマラヤの氷河を進む気分など、このようなものなのではあるまいか。酸素の量は別として。

 やがて樹林帯に入り、いきうつかの沢を分岐すると、ようやく赤河原。登山者が大勢休んでいる。長かった水辺と分かれて、ここからが北沢峠への登りとなる。監視員の配っている計画書に記入すると、ぱて気味のN氏にはっぱをかけて、八丁坂へと急ぐ。

 八丁坂と言っても、甲斐駒ヶ岳南面の黒戸尾根胸突き十三丁や、金峰の胸突き八丁に較べれば、同じ「丁」でも厳しさに乏しい。途中からはいよいよ勾配も緩くなり、N氏のばて具合がどうも解せない。

 しばらくの間、北八ツ的な原生林を辿るが、ひょっこりとスーパー林道に飛び出す。ここに建つ大平小屋は、かつては山中のよき小舎と聞いていた。シュプールを雪面に残して、はるか戸台へと延び落ちるスーパー林道。その夏の姿は、いかに凄まじく醜悪な傷痕となるだろう。炊煙を蒼空高く上げるよき山小舎の暖かみも、今、絶え入らんとしているのだろうか。

北沢峠へはそこから一登りだった。木立の影に、遠く槍・穂高が見える。昨年の今頃は、亡きKさんと二人であんなところを歩いていたのかと、ひときわ熱いものが込み上げてくる。

 峠一面に張られたテントの数は、夏の涸沢団地に匹敵するほどである。山スキーに高じる者の姿が、ちょっとばかり羨ましい。我らがBCは峠には見当たらず、北沢の河原に降りるところに張られているのを、やっと見つける。天幕の中は留守である。N氏はシュラフを出すなり寝てしまった。ぼくはザックに詰めてきたワインを独りで呷ることにした。

 30分も経った頃だろうか、先発隊4名が帰幕した。甲斐駒に登ってきたが、雪がほとんどついていなかったとのこと。新人の女性二人もだいぶ元気である。I氏のことを話題にしていると、16:30頃当の本人が到着する。赤河原で一度休みを取っただけでやってきたと言う。その夜は23:00過ぎまで、ワイン、ビール、ウイスキー等、あるものを大方呑み尽くしてしまった。

     

●1980年1月2日(水)●

   TIME:BC7:20→11:35仙丈ヶ岳12:35→14:50BC
     *N氏、I氏、S氏、NM氏、O嬢、私、計6名

 快適な朝だ。清澄なる青空に、プラチナ色の雪線が遠く高くうねっている。北沢峠で、一日早く下山する新人女性1名を見送り、登山路へ踏み込む。

 

 樹林の中の退屈な登りが異常に長いのだと、I氏の説明。が、ある程度高度を稼いでしまえば、木立越しに、甲斐駒も、北岳も、一段と光り輝く形で眺められるようになった。無論、中央アルプス、木曾御岳、乗蔵岳、槍・穂高、後立山連峰と、日本の屋根も一望できる。

 灌木帯を抜け、雪稜に飛び出すこの瞬間の、貴重な横溢感! 濃紺の天に突き上げる雪尾根を行く。この辺りはちょうど五月の如き穏やかさだ。陽の光は、我々の前に際限なく跳ねている。

 

 頂稜に立つと、尾根は痩せ細り、奥まってゆく。どこが山頂か判別しにくい。右下に藪沢圏谷(カール)。銀雪の中に、小舎が埋没しているのが見える。小仙丈辺りでは、吹き抜ける烈風に曝されて、初めてヤッケを着ける。南の空に、分厚い雲の一団があり、どこか怪しい。あれかと思えば、そのまた向うに連なる贋のピークをいくつも越えて、強風に足取りを乱されつ、ようやく真実、仙丈の頂に達した。

 真冬の3000メートルを謳歌する風の音は、さすがに凄まじい限りだ。頂稜直下にて紅茶を沸かしている間に、みるみる視界はガスに奪われ、あれほど透明であった大気が、悪天の到来を瞬時にして告げた。トレースが顕著なので、下山に不安は感じないが、廻しているうちにも冷めてゆく紅茶を啜って、いそいそと下降に移る。

 稜線を抜け切らぬうちに、雪となった。面倒なので尻セードで下る。あっという間に樹林の中だ。雪は、いつの間にか本降りになっていた。昨年、上高地に下り立ったときのように、風もなく、雪だけがきめ細かに、木立の中を舞い降りる。美しい山の姿だと思う。

 北沢峠はには、黄蓮谷を完登したK氏が到着していた。もう酒類は一滴も残っておらず、彼を歓待することも叶わない。雪降る、静寂の夜が訪れた。明朝早くも下山かと思うと、拭い切れぬ不満がぼくを空しくする。飯だけを平らげて、ぐうぐうと大鼾の中に寝入る。

     

●1980年1月3日(木) 雪のち晴れ●

TIME:BC8:20→9:50赤川原5→11:45戸台

 夜が明けても雪はまだ降りやまず。出発支度に手間取った。6〜7人テントを背負子で下ろす役である。だが、結果的には速いペースで、先輩らをしごいた。赤川原辺りで、天候回復。蒼空の下に、ふたたび甲斐駒や鋸岳の雄姿が際立った。河原はやはり長く感じたが、バスの時刻よりは一時間も早く戸台に到着。野沢菜頬張りながらの乾杯のビールは、心地よく喉に沁み渡った。

−了−


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