■平標山 冬山単独■


*1979年12月3日〜4日

*単独行

---序---


 正月に南アをやるつもりでいながら、一ヶ月も山から離れていたぼくは、雪上トレーニングの必要を痛切に感じていた。今回の山行はバイトの合間を縫っての時間的ハンディを負っていたが、逆にこの時差登山は、車中にあっても山中にあっても遂にただ一人の登山者さえ見ることのない完全な単独行という珍しい形を提供してくれた。積雪にも天候にも恵まれた好山行の、以下はその記録である。

●1979年12月3日(月)●


*快晴

*TIME:平標登山口(15:20)−林道分岐(16:05)−平標小舎(17:10)

 清水トンネルを抜けると、突然白い嶺線が車窓に輝く。川端翁の『雪国』を髣髴とさせる土樽駅の雪野原。越後湯沢で下車の後、一時間のバス待ち。午後も遅く、平元新道の登山口にただ独りバスを降り立つ。

 残照はもはや前山の尾根付近を躊躇しているに過ぎず、日陰に続く雪白き林道を歩く淋しさが胸に纏いつく。だいぶ歩いた頃、平標小舎への登山道を左手に見る。叢林のなかの狭隘な木段を登り、立ち迫る薄暮に精いっぱい息を切らす。

 中腹より顧みる西上州の山々。稜線に悽蹌な山吹を縁どった黄昏の色彩が、踏み締める雪の軋みと相まって、訪れつつある北国の冬を切々と感じさせる。

 登るに従って雪はますます深くなり、膝を取られつ急ぐ登山者の頭上一面を、はや藍の闇は覆った。終いには雪灯りだけを唯一の頼りに、平標山と三国峠とを繋ぐ国境稜線にひょっこり飛び出した。

 今にも消え入らんとしている幽かな明るみを西空に宿らせた、冷たくも美しい隔絶の宵である。星と雪とのひそやかな孤絶に包まれている。ザックを下ろして、小舎の扉を確認する。錠は下りていなかった。当てにしていなかっただけに殊更嬉しく、雪を掘り下げて中に入る。

 板張りにツエルトを垂らすと、すぐにメシの用意にかかった。狸うどん(インスタント)にボンカレーを空け、茹でた餅を投げ込んだ簡単な夕食だが、実に熱く美味い。

 夜、外に出ると、月光の雪面に映えて何と明るいことか。また、どの山々も蒼白く屍の姿で静まり返っている。オジカノ頭の薄化粧は際だっていた。午後にそこを急いだ谷あいの辺りは、べっとりと湿った雲海に沈んでいる。ホワイトのオン・ザ・スノウを傾けつ、惜別の歌を口ずさんでみた。

 19:30就寝。

●1979年12月4日(火)●


*晴れのち曇り

*TIME:平標小舎(7:00)−平標山頂(7:50)−平標小舎(8:10)−林道(8:50)−登山口(9:25)

 2:00、外の様子を眺めに出る。月は方角を変え、相変わらずの穏やかな天。北空に絹雲が広がっている。夜明けにはまだ遠く、ふたたびシュラフにもぐる。

 5:30起床。一時間半の寝坊。三国峠への縦走プランははかなく崩れ、朝飯のマーボ餅を頬張りながら、山頂アタックを案ずる。9:30のバスにぎりぎりであろう。多少ヤケ糞な気持ちに陥り、ヤッケに身を固め、アイゼン・ピッケルを伴侶に、空身で歩き出す。

 道なりに無数の兎の足跡。膝を没する積雪である。2日に終日降り続けたと言う正真正銘のバージン・スノウだから、お山の大将我独りでまことに気分が良い。雪面のクラストは崩れ、始末が悪いので、アイゼンを途中で投げ出した。そうして右手に仙ノ倉の大きな山体を拝しつつ、心臓を高鳴らせてのラッセル。

 頂は清浄無垢の白い磐石であった。野太い国境稜線がひときわ雪を冠して、谷川岳・蓬峠・巻機山へとうねり行く。血の如き暁は、今は地平を離れ、空にたなびく雲影を黄金にたぎらせている。

 しかしぼくは、即座に小舎へとって返さねばならなかった。雪の傾斜を崩しては転げ、転んではもがき、思う存分戯れに浸りながらの駆け下りであった。何度となく振り返る平標の頂稜が背にたおやかだ。

 小舎に着いて一服。荷を詰め直し、ふたたび雪に翻弄されての下山に移る。林道に下りた頃には、すっかり曇天であった。

 バス停には、何とか間に合った。火打峠の南面に、バスの音を聞いたときの安堵感と言ったらなかった。鼓動も収まり切らぬうちに、客のいないバスへ乗り込む。


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