■道北の秋■

■道北の秋■


……2003年9月13日

●旅の発端


 小学四年になる息子と二人で頼むからこの三連休を旅に出てくれと妻に依頼された。ゆっくりしたいのだそうだ。やった、と心の中で叫んだ。息子は乗り気ではなかった。宝探しの旅だと説得したら俄然ハッスルし始めた。やった、とまたも心の中で叫んだ。台風が、これから向かう道北に上陸しそうな気配だった。そんなことではぼくら父子は怯まなかった。

●幌加内<ほろほろ亭>


 日本で一番蕎麦の美味い店はここだと思う。11時から16時までしか営業していないが、蕎麦がなくなり次第店じまいとなる。幌加内は、どこを見ても一面の蕎麦畑。冬には一面の雪野原となる。多分、ここは東直己『探偵は吹雪の果てに』の舞台でもある。新蕎麦について店の人に聴いてみると、ちょうど今ごろ、つまり九月から十月くらいが新蕎麦の時期なのだそうだ。息子が「これ、美味い」とため息を吐いたのが珍しかった。こんな子供でも味がわかるのか。緑がかった蕎麦の色つや。細打ち麺をわさびを利かせた蕎麦つゆに少しだけひたしてずずずと大きな音を立てて啜る。息子はときにつゆなしで蕎麦のみを噛み締め味わう。本当に蕎麦が好きなのだと思う。


 十八年前に先代の宿主である岸なにがしから現在の女性宿主が引き継いだ旅人民宿。通称<とほ宿>の一つ。ということは阪神の優勝した年から宿主が引き継いだということになる。野球に興味のないぼくにも宿主にもどうでもいいけれど。岸をアイヌ語で<トシカ>というらしい。それに宿はクッチャロ湖の湖畔にある。借りた部屋の窓から湖が見える。台風で風雨にさらされてなければ夕陽の奇麗な窓辺であったはずだ。

 ぼくはこの宿へ何度も来ている。冬にも何度か。少し恥ずかしいが、言ってしまうと、妻にプロポーズしたのもここだった。男女別相部屋の宿で。雪の舞う夜。汚れた壁を見据えながら。ランプの点る洗面所。おつりのくる汲み取り便所。ベニヤ板の立てつけ。牛舎を改造した食堂。農家の跡地に手を入れただけの貧しい宿。今はペンションなみに立派な新館が増築されている。

 他の部屋は男女別相部屋。<とほ宿>の基本だ。全員で歓談しながらジンギスカンを突つく。毛蟹が半分に割られ、一人一人の皿に乗っている。ホタテの刺し身。茹でトウキビ。これからどこへゆくの? 向かいのおじさんが息子に訊ねる。ぼく砂金を採りに来たんです、と息子が応える。

 あの頃にいた樺太犬の子どもたちが今は軒先に繋がれていた。南極犬と称した父の湖太郎はもういない。冬には雪橇を引いた犬。映画『南極物語』出演のタロの息子。だから今いる犬はタロの孫たち。うちの息子は犬には目がない。動物という動物が大好きで、必ず近寄り頭を撫でる。剥製も必ずさわる。

……2003年9月14日

●鮭の捕獲場


 中頓別の原野のただなかに、鮭の捕獲場がある。立ち入り禁止の札を越えて車を停めると、軽トラックのおじさんが走ってきた。見学させてほしいんですけれど、とぼくが叫ぶ。危ないから気をつけてなとおじさんが叫ぶ。

 川の瀬音。分厚い雲の下。激流をカラフトマスが飛ぶ。傷だらけになって大洋から帰還した鮭が飛ぶ。凄まじいい水量の落下を遡行できる鮭の最後のあがきに震える。どきどきする。懸命に遡上しようとする鮭たちがせき止められた木の柵に引っかかり捕獲されることになる。


 私有地だったのに今は町が買い上げて観光資源にしている。随分前に訪れて以来だ。息子は最初こそためらったものの、鍾乳洞の奥へ奥へと登って行ってしまう。ぼくは筋肉痛気味だ。最奥部までの通路は相当に狭いし、体を屈めなければ通り抜けることもできない。子供は絶対的に有利だ。鍾乳洞を戻って外に出ると、台風の去った道北に大洋の光が溢れていた。軍艦岩という派手目な岩の山頂から、あたりを睥睨して、息子とふざけながら木段を下った。

●中頓別<マルヤ食堂>


 今は引っ越して<マルヤ>となり、店構えも立派になった。ここは塩野菜ラーメンがオススメ。素人臭い作り方で調理時間も非常にスローペースで忍耐を強いられるが、まあ美味い。この土地だからこそ美味い。トシカの宿から客が二人。同じテーブルに座る。<とほ宿>ではこうして仲間になるのが普通のことである。一緒にあとの旅程を行動したり、男女の場合そのまま結婚したり、それが普通だ。北海道の旅では人間と人間の素の繋がりができやすいのだと思う。だからぼくも息子も初めて長時間二人だけの時間を過ごし、その中でお互いを発見し合い、驚き合って、やまない。

●ウソタンナイ砂金採掘公園


 息子はこれにつられて道北までやってきたのだが、朝のうち雨が残っているし、川は増水ぎみで危険だし、だいいち川よりも水槽の方が砂金は採れるよと管理人はいうのである。30分一人500円也の料金だから、ちゃんと砂金は仕込んである。ヨーロッパから輸入した砂金が入っているのだそうだ。なぜなら日本では今現在砂金を採っていないから。輸入するほかないのだそうだ。そういう現実を息子につきつける。

 それでも水の中の砂を掬い、じゃらじゃらと水の中で漉してゆく。比重で金は一番下に残る。父と子で四片ほどの砂金を拾った。日本酒に入っている金箔ほども大きくない。川の中の砂金だともっと小さいのだそうだ。それでも川には大きな金塊が眠っている可能性があり、水槽にはその可能性が全くない。大きな金塊を入れていないのだから。ふたたび息子の前につきつけられる現実。

 これでいくらくらいになるんですか? 息子はレジのおばさんに食い下がる。さあ、いくらと言われてもねえと困るおばさん。10億円くらいになるかもねえ、くらい答えてくれればいいのに、サービス精神のかけらもない答えだった。雨が少し強くなったような感じだった。


 秋口なので最早、花はないだろうけれど、海辺に出たいために立ち寄った。海岸段丘の湿地帯。北海道は自然の原生花園が豊富だ。フラワーガイドと看板のかかった小屋があって、他に訪問者がほとんどないせいか、おばさんが相手をしてくれる。今は花よりも木の実と言われる。

 広い広い青空。強い風。湿地沿いの遊歩道を歩くと、確かにキイチゴの実がなっている。他にツルリンドウや、ハマナスの実の群生。おばさんに送り出され、ぼくらは周囲2キロほどの広さのある湿原を一周する。水辺にはスギナモ。

 海辺に出てホタテの貝殻を拾う。フラワーガイドの優しいおばさんが、息子にもっときれいなホタテの貝殻を何枚もくれた。貝の内側に絵を書くようにすすめて。息子は大切そうにそれを両手で抱え込んで、少し嬉しそうに微笑む。

●モケウニ沼


 ベニヤもモケウニも息子を連れてきたことはあるのだが、何せ三才で北海道で移住したてのころのことで、息子にはこのあたりの記憶が一切ない。なので、周囲を牧草地に囲まれ、海の見える高台、神秘的に青空を映すモケウニ沼に辿りつくや否や、息子は湖畔に下りる急な木段を駆けおりて行った。この下を小さな息子と六年前に歩いたときにはモウセンゴケがたくさんあったと話したので、食中植物にとても興味を持つ息子は張り切って走り出したのだ。

 だがどこにもモウセンゴケは見当たらなかった。季節が悪いのか、環境が悪くなったのか。モウセンゴケはああ見えてけっこうデリケートな生き物であるらしいのだ。手つかずの自然でないと生き延びられない。モケウニ沼なんて無名の沼は、この姿こそ素晴らしいのだが、およそ手つかずの自然に近いものがある。以前は北大の水産学部の学生たちがテントを張って幻の巨魚イトウの観察をしていたっけ。

 風が吹きすさび、雲が早い勢いで流れる。とてつもなく空が大きい。牧草がなびき、紺青の海が横たわる。凄みのある風景である。

●サロベツ<あしたの城>


 猿払から沼川経由で、豊富に抜ける。オホーツク海から一路日本海へ。今日の時間切れだ。民宿<あしたの城>のことも息子は全く覚えていなかった。同い年である美野里ちゃんのことも、弟の拓野のことも。

 夜はここの名物であり今やわが家のメニューの一つになりきった牛乳鍋。ホタテとツブとイカの刺し身も。今年はホタテが豊富なのだそうだ。SARSの影響で中華料理の材料になるはずの貝柱の輸出規制がかかった。余りに余ったホタテは生食用で一つ20-40円くらい。いつもの半額なんだそうだ。ぼくらには嬉しいけれど、猿払あたりの人は困っているらしい。

 息子は宿の兄弟とはしゃぎ回っている。ぼくは客たちと酒を呑んでいる。昨夜に引き続きアルコールをたらふく体内に注ぎ込む。明日のことなど何も考えずに。

●クッチャロ湖畔<ウィング>


 一日めは台風でどこも見ることができなかったので、温泉施設ウイングに入る。泉質が日本でも最高級で大分別府温泉に匹敵するらしい。湯船からクッチャロ湖を見渡す。露天はなし。確かにわずかな湯浴みでも体が芯から温まりそれが持続した。

 <あしたの城>で二泊目の風呂を二人で使っていると、湯の温度が不安定で使い難いことこの上ない。夕陽の時間帯には、利尻の夕焼けを眺めながら入れるというマジックミラー装備の湯船なのだが、残念ながらぼくらは日没には間に合わなかったし、利尻富士は雲の中だった。またこの次と、息子に約束した。じゃあ、来週くる、と息子はやる気を見せていた。

……2003年9月15日

●豊富大規模草地


 豊富の町から豊富温泉へ向かうと、途中で大規模草地へ向かう道が分かれる。昔、あしたの城に客がいなかった頃、宿主も独身だったし、風呂を沸かすのは面倒と、豊富温泉に入りにきたりしていた。そのときにこの枝分かれした道を登って、名前のとおりの大規模な草地のてっぺんに案内してもらったことがある。本当に大規模のいわゆる牧草地である。

 この朝は息子と二人てっぺんに辿り着いたが、連休の祝日、まだ九月だと言うのにレストハウスはクローズ。せっかくの美味い牛乳を期待してきたのに。金をかけて作ったモニュメントは初秋の風を受けて空しく、ウサギや羊のいるはずの柵や小屋の向こうにも生き物の気配はない。ここはもう観光事業は廃止したのだろうか。

 道東に開陽台というライダーのメッカみたいな高台があって、夏にはそこに多くのテントが見られたものだが(今はわからない)、ここはそこに匹敵する地平線と広大な空とを満喫できる場所だ。それなのに、誰にも訪れることなく、風の音と、「はいはいはいはい」という女性の牛追いの声とが響くだけだ。頭上の丘の上、スカイラインに沢山の牛の整列する姿が見えた。朝の搾乳が終わって草地へと放牧に出される光景なのだろう。

 北海道の象徴的な風景を前にしているような気になった。

●トナカイ観光牧場


 トナカイ牧場と言えば稚内公園にあったと思うけれど、こちらではより本格的に観光資源としてのトナカイ牧場を運営しているみたいだ。レストハウスに入ると季節はずれのサンタクロースとトナカイがぬいぐるみという形で歓迎してくれる。餌を買い、入場料を払って、中に入る。ぼくら親子はほぼ一番乗りだったのだが、どんどん観光客が訪れ、みるみる牧場内に人が増えてゆく。

 でもそれ以上にトナカイがいる。百匹くらいのトナカイが区切られた柵の向こうに悠々と草を食んでいる。ここのトナカイはなつっこく、柵の方にやってくるため容易に触ることができるのだが、餌はあまり食べない。餌はジャイアントコーンのような大きさのトウキビで、乾燥させたもの。たまにこれが大好物なトナカイがいて、彼らは掌に置いて広げてあげると、鼻息を吹き掛けながらむしゃむしゃと食べる。掌はトナカイの唾液でべとべとになるが、ちゃんと手洗い場が設けられていて、不便はない。

 まわりはせっかくの景色なのに隣の公園の造成でもしているのか工事作業の音がかまびすしく、せっかくの静けさがダンプのエンジン音に削がれたりしている。

●大沼公園


 稚内空港近くの高台。初冬と春先には展望台から見下ろす大沼に大量の白鳥が飛来する。その時期には何度かやってきたが、今は鳥たちはいないし、展望台にあるストーンヘンジを模したモニュメントも息子はやはり覚えていないみたいだった。利尻岳のシルエットがくっきりと見える。言問の海も。最終日は快晴である。

●稚内公園


 氷雪の門という名前のモニュメント。ここで利尻行きの船を待って昼寝をしたのは30歳の頃だったろうか。今日は風が吹きぬけて肌寒く、オホーツクと日本海が合する水平線の向こうにあまりにもくっきりと近く樺太が見える。あそこはロシアという名の外国なのだと息子に告げる。ソフトクリームを食べようと上がってきたけれど、寒過ぎて食べる気がしなくなった。


 新装移転なった<お天気屋>はライダーや旅人で賑わっていた。旅行者に慕われる、稚内の基地みたいな店だ。厨房に入ってゆき、<あしたの城>で頼まれた食材を手渡す。昨年の火災で前の店は全焼した。新しい店には初めてやってきた。多忙ななか、マスターのまっちゃんと近況を話す。店の古いアルバムを開いて示す。これだけは燃やしたくなかったと、最初に外に持ち出したのがアルバムだったそうだ。大火。あっという間に燃え広がった炎。強風の夜。北海道が災害指定したほどに一角がまるまる焼けた。その後は店の斜向かいで、今も空き地だ。まっちゃんは元気だった。息子と一緒に写真を撮影してもらった。新しいアルバムにこの写真が載ることになる。

●コウホネの家


 観光地として随分整備された。日本で最も好きな道路である道道106号線。稚内から手塩までの、荒びた直線。そのさ中に利尻・礼文を正面に見る湿原があり、ここにパーキングとレストハウスというかたちでコウホネの家がある。ハマナスの赤く大きな実の向こうに青い海と白穂を砕く強烈な波。峻険な頂上の稜線で凶悪な表情を見せる利尻岳。こんんな場所が日本にだってあるんだ。あまり知られていないが、胸を張って自慢したくなるような場所である。道路である。

●石狩落日


 地球の丸さを海に感じ、息子は太陽がなぜ赤く大きくなるのか、なぜ海の向こうに沈んでゆくのかを、最近覚えたての天文学の本から得た知識で、ぼくに語ってみせる。

 長い段丘を通り抜けると、石狩平野が一望となる丘の上。札幌の夕景が視界いっぱいに広がり、すべてが夕陽を斜めから受けてセピア色だ。大地の色。時間の歌。いろいろな調べを感じる。乗馬クラブを過ぎて、石狩川の最も河口に近い大橋を渡る。

 家路。息子との冒険旅行の終わりである。

 
−了−

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