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題名:斧 原題:Ax (1997) 作者:Donald E. Westlake 訳者:木村二郎 発行:文春文庫[パルプノワール2001] 2001.03.10 初版 価格:\667 失業者としての安定感のない経済事情の下、家族との変わらぬ日常を送ってゆくことのなかには、ある種のとてもデリケートな事柄が存在する。ぼくは現在失業中であり、家族とともに日常を暮らしており、それらのうちに生じる心の問題を次々とクリアにしてゆかねばならず、また、日々そうしたことへの圧力を感じつつも、多くの問題に対処して生きているわけだ。 本作品の主人公はまさに、同じような状況を既に2年も送っている。既に失業手当の給付期間を過ぎ、生活の資金が底を尽きつつある。より切羽詰まった状況に置かれ、心のバランスを欠こうとしている。しかし、ただひたすらに仕事を求めてゆく。家族の心の問題に対処しながら、自分の売り込むべき専門技術で生計を復帰したいと今でもずっと思っている。そのために自分と同等以上のスキルを持った人間を6人ばかりリストアップして彼らを一人一人殺してゆく計画を作り出す。 彼は日常生活に戻りたいだけであり、そのために敵を殲滅しなければならない。殲滅するためには、今まで撃ったこともない拳銃を携帯し、家族に隠れた時間を作って敵を調査し、さまざまな町や地形に慣れ、時間の使い方に慣れ、履歴書の書き方に慣れ、一方で殺害という行為にも同様に徐々に慣れてゆく。その冷静な、日常に滑り込んできたような殺人は、まるでローレンス・ブロックの『殺しのリスト』のようだ。非常にクール。 殺しは仕方のないことで、自分をそう追い込んだのは世間だと彼は確信している。殺しは早くやめたいのだ。こんなことは早く終わらせてしまいたいのだ。家族を守るために、息子を育てるために、何よりも日常に平和と安定を取り戻すために。しかし、多くの殺人が心に積み上げてゆくのは、本質的な冷血。どこかで最初のうちに感じていた被害者への同情が徐々に冷え冷えとし、殺しはその度に残酷さを増し、躊躇がなくなり、大胆になってゆく。 そうした殺しの履歴書を、ただひたすら丹念にこの物語は綴ってゆくのだ。ぞっとするほどの恐怖。一人称文体。 そう。一人称文体は、ジム・トンプスンがよくやるように、いろいろな仕掛けができる。行間を読ませる効果が強い。表現の向こうに人格を感じさせる。だからこその恐怖だ。 殺人の一つ一つは決して同じものではないから読者を飽きさせることはない。その都度スリリングであり、淡々と描かれているのは心の壊れてゆく様子である。皮肉でブラックな結末と、その後への空虚な予感とが、さらなる冷気を吹きつけてくる。社会風刺を取り入れながらも、個人の狂気のきっかけを、大きな壊滅へとじわじわと表現せしめた非常に完成度の高い逸品であるとぼくは思う。 |