2004年-2006年の演奏活動のご報告



2006年


ブルガリア(6月)

「Turandot」

私はブルガリアのRousseの国立劇場でPucciniのTurandotの公演があり2週間のリハーサルを兼ねて行って来ました。
Rousseはブルガリアでも北部に位置し、ルーマニアとの国境に近い町です。4月の蝶々夫人の公演と同じ劇場です。
公演はお陰さまで大成功で、お客様にも喜んで頂く事ができました。

Turandotは北京の女王で、彼女の美貌にひかれたカラフが結婚の条件である3つの謎解きに命をかけて挑戦し、彼を慕う召使のLiu'の犠牲を経てTurandotを勝ち取るところまで描かれているスケールの大きい大河ドラマです。主役のTurandot姫をはじめ、Calaf王子、若い召使Liu’、Calaf王子の父Timur、官僚のPing, Pong,Pang、少年合唱団など等...出演者も多数です。私は召使のLiu'役で参加させてもらっていました。
Turandot役は世界的に活躍されている方で、スカラ座やデトロイト、そして東京の国立歌劇場でも歌われているアメリカ在住のブルガリア人の方です。Rousseの国立劇場で今年一番の出し物ということで大変の力の入れようで、演出、照明も本格的で、現場は絶えず張り詰めた雰囲気でした。
一つのオペラをみんなで作り上げるのは苦労も多いですが、その分一致団結して固い絆が結ばれる楽しみもあります。
フリータイムにOperaに出てくる歌詞を使って同僚の方々とおしゃべりするのがその一つです。
私が何かを愚痴ったりすると♪Oh,mia povera Liu'♪(可哀想な僕のLiu')とカラフ王子がLiu'に向かって歌う歌を歌って慰めてくれたり、ご飯を食べている同僚に話かけると♪Lasciatemi passare♪(私を通してちょうだい)というLiu'の台詞をもじって♪Lasciatemi mangiare♪(私が食べるのを邪魔しないで)と替え歌したり、とってもアットホームな雰囲気になります。
そのLiu'が愛するCalafのために犠牲になって死ぬシーンはとってもドラマティックです。Liu’の死を書き上げた直後にPucciniはオペラ未完成のまま亡くなられるのですが、そのせいか、自然と気持ちが入って、練習本番、ともに一度として力を抜いて歌う気がしませんでした。自然に涙が溢れ出て、意を決して死を選ぶような気分になってしまうのです。(ちょっと危ないですね)

当分オペラのお仕事はお休みです。今は心新たに8月19日の東京でのリサイタルに向けて準備中です。皆さまにお目にかかれるのを楽しみにそれまで精進します。どうぞ夏バテでお身体崩されませんように。 

7月8日 青盛 のぼる



スペインオペラツアー(2006年5月9日〜27日)

「Don Carlo」「Aida」

5月10日 Ourenseにて "Don Carlo" (Elisabetta) を皮切りにスペイン各地にて公演。


私はお陰さまでSpainでのDon CarloとAidaのお仕事を順調にこなして28日にミラノに戻ってきました。色々とハプニングの多い旅行でしたが、終わってみると良い勉強がたくさん出来て、前向きな旅であったと思っています。

5月10日にOurenseという町でDon CarloのElisabettaデビューを果たすことができました。今回は急に他のソプラノの方が降りられて代理で参加しましたので、2週間という短い期間で勉強し、ぶっつけ本番で舞台に臨みました。
当日は、天候が悪く、カーブの多い山道を通り抜けて劇場に着きましたのでバス酔いしてしまいました。おまけに開演30分前に到着という慌しさでバスの中でお客様が劇場に入られるのを見ました。(苦笑)火事場の何とかで乗り切れましたが、同僚の方々がとっても気を遣って下さって、特にコーラスの方達が出入りをわかりやすく教えてくれましたので失敗もなく、成功に終わりました。カーテンコールの後は緊張感から開放されたせいか、お恥ずかしいことに同僚の前でボロボロと泣いてしまいました。10日は奇しくも私の××回目の誕生日で思いで深い日になりました。

27日まで、Spain各地を回り、Zaragoza, San Sebastian,Alicante, AlmeriaでAidaを演じさせて頂きました。
San Sebastianでは、あわや途中放棄になりかねない出来事に見舞われました。今、思い出してもぞぉ〜っとします。
休憩まで1幕、2幕滞りなく歌い、順調でした。20分の休憩中にハプニングはおきました。コーヒーを飲みに行った帰り、楽屋に戻るのに近道してやろうと、開演前にチェックしておいた廊下を通って楽屋に戻ろうとした時、開演中はオートロックになっているドアとは知らずドアを閉めたとたん、廊下に閉じ込められてしまったのです。後でわかったことですがそこは非常階段に抜ける廊下で一度ドアを閉めてしまうと外から開けられない様になっているらしいのです。ドアを叩いて″開けてぇ〜″と叫びましたが誰も気づいてくれません。そんな状態が15分ぐらい続き、段々休憩時間がなくなってきて焦った私は、仕方ないので外に抜けるドアを見つけて出てみました。そこは劇場の正面玄関に面したところでした。入り口のそばで若い子達がビールを飲んで陽気に騒いでいました。Aidaのメーク(Aidaは黒人の役ですので濃いファンデーションを使っていました)、衣装で、突然非常階段から慌てふためいて現れたので彼らは腰を抜かしていました。みんなが面白半分に近づいてきて″何でそんな格好してるの?どうしたの?″と冷やかされましたが彼らに説明している時間はありません。劇場の方を見ると、お客様たちがサロンで談笑しているのが見えました。何人かのお客様が私の姿に気づいてくれましたが、私の緊急な様子には気づいてくれず、私の方にジェスチャーで″Brava!"と言って下さってるのがわかりました。私の方もそのお客様たちが係員を呼びに行ってくれる事しか手立てはないと思っていましたので、目でうったえたり、ジェスチャーでSOSのサインを出してみました。様子が変だとやっと気づいてくれた方が係員を呼んできて下さって事なきをえました。(冷や汗)
悲劇(Aida)の合間のコメディのような出来事に私自身大変疲れましたが、カーテンコールまで気を抜いてはいけないと身をもって知った思いです。

さて、前回もお知らせ致しましたが8月19日に東京浜離宮朝日ホールでリサイタルをさせて頂きます。ここ数年、有難いことに舞台経験を積ませて頂き、私なりに勉強させて頂きました。
タイトルの″Sul fiato"とはイタリア語で″息にのせて″という意味です。歌だけでなく、日常の生活においても私達は私達のリズムで、そして息遣いで生活しています。そんな自然で、だけどとっても大切な″自分の息遣いで自分の感性を皆様にアピールできたら″という想いを込めてこのタイトルにさせて頂きました。
同じ劇場でそんな空間を皆様と共感できたらこんな幸せなことはないと思っています。是非聴きにいらしてください。お待ちしております。
天候が定まらない日が続きますが皆様も体調を崩されませんよう、お元気にお過ごし下さい。 

5月30日ミラノにて 

青盛のぼる



      Don CarloのElisabettaの衣装で。  

      Spainのレストランにて、右隣がAidaの共演者Radames役のCamenChanev
    私の正面が指揮者のBonev. 左隣がブルガリアの興行主IvanKiurkchiev.



追伸:
私のSpainでのサイトを見つけましたのでお知らせします。
 
http://www.aragondigital.es/asp/noticia.asp?notid=25103&secid=12
 
http://www.noticiasdegipuzkoa.com/ediciones/2006/05/20/mirarte/cultura/d20cul80.198115.php
 
http://servicios.diariovasco.com/pg060520/prensa/noticias/Cultura/200605/20/DVA-CUL-459.html
 
http://servicios.diariovasco.com/pg060521/prensa/noticias/Cultura/200605/21/DVA-CUL-399.html
 
http://www.elperiodicodearagon.com/noticias/noticia.asp?pkid=250304
 
http://www.heraldo.es/heraldo.html?noticia=165638
 
http://www.gara.net/idatzia/20060520/art165133.php

http://www.cantolirico.com/content/view/457/34/
 
http://www.20minutos.es/noticia/119414/0/Verdi/pasional/escena/



スペインには子供の頃、家族で行った事があります。その頃は思春期で″反抗期″の真っ最中でした。両親を困らし、スペインの島でわざと迷子になって隠れてしまったこともあります。小さな島でしたので最初のうちは隠れてもどこかの道端で両親に見つかっていたのですが、段々エスカレートしてもっと困らせようと隠れていましたら本当に迷子になってしまい、数時間はぐれてしまうことになってしまいました。
今でもその話しが時々家族の間で話題になります。スペインの話しになると″そう言えば、あの時...″のように。
一番、バツが悪いのは、デビューリサイタルの時に子供の頃の私を知っていらっしゃる方がたくさん聴きに着て下さった時に″子供の頃、ご両親を困らせてばかりだった貴女がこんなにご立派になられて″と涙ながらに言われた事です。(苦笑)

話しは前後しますが4月7日のブルガリアでの蝶々夫人はお陰さまで上手く行きました。ルースという町のオペラハウスで歌わせて頂きました。指揮者はウイーン在住のカナダ人の方でした。実は今回の公演のキャストを事前にまったく知らされていませんでしたのでルーマニアのブカレストの飛行場に着いた時、″Noboru Aomori″という紙を持っていらした方にご挨拶をして迷わずついて行きました、その方が指揮者の方とも知らず...ルースから迎えに来てくれてた運転手の方プラス助手?の方、計4名で車に乗りブルガリアのルースに向かいました。車の中で英語で声をかけられ、あ〜、きっと私がわかるように慣れない英語で話しかけてくれてるのねと思い、″英語、お上手ですね″とお声をかけましたら″はい、私はカナダ人ですので″とお返事が返ってきました。(冷や汗)ルースはブカレストから60Kmの国境に近い町です。街中にはドナウ川が流れていてすっかり気に入ってしまいました。

5月1日   青盛 のぼる


「蝶々夫人」


先日ミラノ市内の劇場で蝶々夫人の公演がありました。今回はなんと高校生達の前で歌いました。会場は元気いっぱい、先生方の叱る声も聞こえてきました。司会者の方も最初は″皆さん、元気ですねえ″と笑顔でお話しされてましたがあまりにもにぎやかなので最後には″静かにしろぉ〜!″と一喝入れてました。(笑)
私の最初の出でも″ヒューヒュー″と声援(?)がありました。極めつけはピンカートンとの愛のデュエット。ラブシーンでは″キャー″という悲鳴やら、冷やかしの野次、しっとりした雰囲気には程遠い中で歌いました。

脇役は殆ど学校関係の方がしてくださったのですが、彼らが舞台に出ると彼らの名前で呼ぶ学生の声も聞こえました。
最初はどうなるかとひやひやものでしたが、形は違うけれどこれもお客様とのコミュニケーションの一つかなあと思えました。いつものことですが私がきちっとイタリア語で発音して歌えば高校生達にもストーリーの展開だけでなく蝶々さんの心情もダイレクトに伝わりますし、言葉を通して彼らにアピールすることで私自身舞台の上で色々と発見もあるのです。
最後の自害のシーンではいつもは胸か首あたりに刀を持っていくのですが、今回はインパクトを強くするために思いっきり大胆に″腹切りシーン″にしました。その時の子供達の反応を見て、舞台に釘付けになってくれてるのがわかりました。少しでも心に刻んで帰ってくれるかなあと期待しながらオペラを終えました。
今度は4月7日にブルガリアのルースという町の劇場で蝶々夫人を歌います。今回の経験を生かしながら新鮮な気持ちで望もうと思っています。またご報告させて頂きますね。

3月17日 ミラノにて。 青盛 のぼる



ヨーロッパオペラツアー(2006年 1月9日〜1月20日)


「マクベス」「アイーダ」


1月9日 Aida    Salzburg  祝祭劇場
   10日 Aida     Linz    ブルックネルハウス劇場
  13日 Macbeth  Emden   ネウエス劇場
  18日 Macbeth   Worms    スタットスピエールウントフェストハウス劇場
  20日 Aida    Lahr    スタットハッレ劇場


私は2週間のオペラ公演の予定を終えてドイツから戻ってきました。1月9日のザルツブルグの祝祭劇場でAidaを歌ったのを皮切りにMacbeth2回、そしてAidaを3回,オーストリア、ドイツで歌いました。

マクベスはアメリカの公演にに引き続いてヨーロッパの劇場でも歌わせて頂きましたが、今回、聴いて下さるお客様の反応や私自身の舞台での歌ってる時の感じ方がアメリカとヨーロッパでかなり違うなあと感じたことがありました。

その一つに照明の違い。マクベス夫人は手紙を手に持ちながら、周りに気づかれないように手紙を朗読する、というのが最初の出ですが、舞台に出始めた時、アメリカの劇場では、いきなり私にスポットが当たり、私の動きに合わせて照明がついてきてくれました。
それに対して、ヨーロッパの劇場では照明が一定の場所にセットされ、その光りの場所を探して入っていかないと、真っ暗の中で歌ってしまうことになります。以前から、その照明を見つけるのが苦手でいつも演出の先生に叱られてばかりいました。
その点、アメリカの劇場は照明を探さず、自分の思うとおりに動けたので、″歌に集中できて楽″と安易に思ったものでした。しかし、改めてヨーロッパの劇場で歌わせてもらって肌で感じたことは、照明の位置が決まってるというのは、客席からみて、舞台を″一枚の絵″のようにセッティングして舞台の美しさと歌の一体感をお客様に提供しているのではないかと思ったのです。
やはりお国柄でしょうか。長いオペラの歴史を誇るヨーロッパのモチーフの美しさと、新しいものを取り入れて斬新的に歌手自身の個性をアピールするアメリカ、形は違ってもお客様に楽しんで頂く気持ちには変わりないということが舞台に立って少しわかった様な気がしました。

そしてお客様の反応の違い。私がやってるのはイタリア語のオペラですのでヨーロッパ、アメリカの劇場には字幕が出ますがその字幕を見ながら特別に笑うシーンでもないのにどの劇場でもお客様からドーっと笑いが出るということがありました。
アメリカでの蝶々夫人の公演がまさにそうでした。一幕で蝶々さんとピンカートンの婚礼のシーンで、アメリカ総領事シャープレスが蝶々さんに″貴女には姉妹がいますか?″と尋ねると、必ずと言って良いほど、客席が沸くのです。シャープレス役のバリトンの方が″僕の言い方がおかしいのかなあ″と首をかしげていました。もしかしたら字幕の訳がおかしいのかしらね?とも話していました。
が…公演を重ねていく度にその理由が段々わかってきました。それは、ピンカートンが蝶々夫人と結ばれたのでシャープレスもピンカートンの様に恩恵を受けたくて姉妹いるか質問をしたのだとお客様が思ったのではないかということです。ストーリーの展開でそこは蝶々夫人の人となりを紹介するシーンですが、ただストーリーの展開を楽しむだけでなく彼らの発想でオペラを楽しんで下さってるのがわかった気がしました。(ちなみに、蝶々夫人が″いいえ、私には母がいます、の答えにも皆さんは笑ってくださってました)

  2月1日 青盛 のぼる





                
         ●「AIDA」の楽屋でスタッフと         「AIDA」の告知ポスター 

         
         ●
祝祭劇場でのカーテンコール

 


2005年



北アメリカ オペラツアー(2005年 9月27日〜11月20日)


「マクベス」「蝶々夫人」


9月下旬より11月下旬まで、OPERA VERDI のアメリカ公演に「蝶々夫人」(タイトルロール)「マクベス」(マクベス夫人役)で主演します。
私は、9月27日から始まりますアメリカオペラツアーの準備で慌しくしております。今回はヴェルディのオペラ"マクベス"(マクベス夫人)、そしてプッチーニのオペラ"蝶々夫人"の公演で北アメリカを2ヶ月かけて回ります(公演スケジュールは下記のとおりです)。特にマクベス夫人は初挑戦ですので、どきどきしていますが、楽しみでもあります。シェークスピアのお話しですのでストーリーをご存知な方も多いと思います。ミラノで今年に入ってから元スカラ座の芸術監督でいらしたCamerini先生に一から指導して頂きました。
Camerini先生は特に言葉の発音にとても厳しい方で、私がちょっと気の抜いた発音で歌うと情けなさそうに首を横に振りながら"ノー、"とおっしゃいます。マクベス夫人には手紙を読むシーンがありますが、1分足らずの手紙の朗読だけで一時間のレッスンが終わってしまったということもありました。
策略家のマクベス夫人の表情を少しでも出せたら良いなあと思っています。
蝶々夫人もCamerini先生に特訓して頂きました。私にとっては2年目の挑戦になります。昨年はただただ、歌い切ることばかり考えていました。今年は少しでも蝶々さんの心情に近づけたらと思っています。Camerini先生はお若い頃、蝶々夫人うたいで有名な三浦環の蝶々さんをご覧になって大変感動されたそうで、レッスン中によく、彼女を通して日本人女性の美しさを知ったとうれしそうにおっしゃいます。"お前は日本人なんだから、蝶々さんの気持ちがわかるだろう?楽譜に忠実になって少しずつ蝶々さんに近づいていきなさい"と励まして下さいます。
11月下旬まで、体調を整えてがんばって舞台に立ちたいと思っています。またアメリカよりご報告させて頂きます。 

9月10日  青盛 のぼる


私は前にもお伝えしました通り、オペラ公演のためアメリカに来ております。すでに一ヶ月以上が過ぎました。
アメリカに到着したのが9月25日。ヒューストンの飛行場に到着予定でしたが、例のハリケーン騒ぎで飛行場は急遽閉鎖。予定が大幅に変わって、ダラスに着きました。ブルガリアのオペラ団体と回っていますが今回の出し物は蝶々夫人、マクベス、ボエーム、そしてセビリアの理髪師です。私はその中の最初の二つのオペラの契約をしまして参加しています。
毎日バスで所狭し(笑)と東アメリカを移動しています。100人近いブルガリア人の中に一人ちょこんと参加しています。公演の方はお陰さまで順調にこなしています。蝶々夫人では現地のお子さんと共演させてもらって楽しくやっています。
公演のないフリーの日は、ぐっすり眠ったり、洗濯をしたり、時々散策もしています。
先週はマンハッタンの知り合いの方が、日本レストランに連れて行ってくれました。それも美味しいオフクロの味でした。(涙)SUSHI
YOUというレストランですがそこの女将さんがとっても気さくな方で、何と長崎のグラバー邸(蝶々夫人の舞台となった邸宅)のすぐそばのご出身だそうで、″たくさん食べて、元気出しなぁ〜″と励まして、お弁当まで作って持たしてくれました。

今はバージニア州のFAIRFAXという町に居ます。先程マチネでマクベスを歌ってホテルに戻ってきました。
今、泊まってるホテルのテレビで一日2時間だけ、日本の番組が見れることがわかり、久し振りに日本語放送を観ながらリラックスしています。そしてこの時期の散策の楽しみは何と言っても″紅葉″です。色鮮やかに咲き誇ってる紅葉を見て、心が和みます。
公演は今月の23日まで続きます。体調には気をつけて最後まで頑張ろうと思います。

11月7日 青盛 のぼる


私はベルギー在住の妹一家のところで年を越しました。現在は来週から始まります、オーストリア、ドイツ、オランダ、スイスでのAIDAMACBETHの公演を控え、準備しています。

さて、2ヶ月のアメリカでのオペラツアーもお陰様で無事終了することが出来ました。アメリカのオペラの旅は私にとって色々と思い出の多いものでした。

まずは、どんなスケジュールでもいつもきちっと歌えなきゃいけないという習慣が出来ました。朝5時に出発して、1000キロのバスでの移動の後、そのままオペラ公演という日もありました。前日、劇場から夜通しバスで移動して朝ホテルに着いて数時間休んでから公演という日もありました。最初、スケジュールを渡された時は私にはきっと無理だろうから相当しっかり体調を崩さないように用心しないと、と覚悟はしていました。しかし、同僚のブルガリア人にとっては、日常茶飯事のようでみんな平気な顔をしていましたので(笑)私も彼らに遅れをとってる場合ではないと自分のコンディションのことを中心に考えて生活しました。しかし基本的に住めば都ですぐ新しい環境になれやすい性格が幸いしてか、そして どこでも寝れる性格と、何とかなるさという根っからの楽天的な性格のお陰で、何とかこなすことが出来ました。

ブルガリア人の同僚はみんなやさしく、明るい人たちばかりでした。今日本の大相撲で活躍しているブルガリア人の琴欧州の話しでも盛り上がりました。
彼らは"カロヤン(琴欧州の本名)は強くて今ブルガリアでも注目されてるよ!"と口をそろえて言っています。子供の時から大相撲の大ファンの私も彼らにつられて"カロヤンは今日も勝ったよ"とインターネットで得た情報をみんなに知らせていました。(笑)

昨年は4つのオペラをアメリカ、ヨーロッパの劇場で歌うことができ、充実した1年でした。今年もオペラを通して舞台に立ち、経験を積んで行きたいと思っています。

皆様にとって、2006年が素敵な年でありますようにお祈りしております。

どうぞ今年も宜しくお願い致します。                               

2006年 1月3日  青盛 のぼる



アメリカ オペラツアー のスナップ


   @           A                 B                  C
      

  @ 陽気なイタリア人の同僚TenoreのSimone Angippiと。マクベス夫人の衣装で

  A 蝶々夫人で子供役をやってくれたアメリカ人の男の子と楽屋で。

  B マクベス夫人の衣装で、劇場にて

  C SUSHI YOUの女将さんと



                   

        楽屋で                                     「蝶々夫人」の衣装



今回の全米「マクベス公演」のクリティックがワシントンポストほかに掲載されています。



「ワシントンポスト」ホームページ

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/11/07/AR2005110701599.html?nav=rss_print/style

Press&Sun-Bulletin

(ニューヨーク州のBinghamtonのThe Anderson Center公演のクリティック)


Soprano Noboru Aomori showed razor precision with her voice as Lady  Macbeth, making judicious use of her chest voice to deliver some  intense low notes while acting her heart out.



今回の「マクベス」公演の詳細は下記ホームページでご覧いただけます。

http://web.jccc.net/CarlsenCenter/macbeth_program.htm




6月11日 Petit Messe Solenelle (Rossini の小ミサ)   Abbiategrasso(ミラノ近郊)


「蝶々夫人」


5月20日 Faenza(イタリア)



「蝶々夫人」


4月28日 Stara Zagora (スタラ ザゴーラ) Bulgaria(ブルガリア)

ブルガリアと言えばどうしても“ヨーグルト”をイメージしてしまいますが、実は、オペラがとっても盛んな国で、たくさんの名歌手を輩出している国なんです。
ブルガリアのプリマドンナでドラマティックソプラノの Gena Dimitrova さんにはご縁があって2回レッスンをして頂いた事かあります。まだ私がイタリアに住み始めた頃、彼女は大スターでした。スカラ座で初めて Nabucco の Abigaille 役で彼女の声を聴いたとき、その迫力に“すごーい”と大感激した事を覚えています。その彼女にレッスンをしてもらえるなんてと、私はすっかりおのぼりさん状態でした。“Canta bene !”(良く歌ってるわ!)と褒められた時は、夢のようでほっぺたをつねりたい気持ちになったものでした。(笑)
Dimitrova さんは先月の11日にミラノの病院で亡くなられました。まだ64歳という若さで。その翌日、私はブルガリアに“マクベス”の練習で行ってきましたが、ソフィアの彼女の自宅のそばを偶然通りかかり、ブルガリア国民が彼女の死を悲しんでいるのを知りました。ご冥福を心からお祈りいたします。

さて話しは前後しますが、4月の下旬には蝶々夫人の公演でブルガリアのスタラザゴーラという町に行きました。私にとってはこれからの歌の人生においてもとっても大事な、そしてブルガリア人のやさしさに触れる体験をしました。
私は子どもの頃から、花粉症がひどく、オペラの時期に重ならなければと祈りつつ、ブルガリアに行きました。が、運の悪い事に、公演当日に重度の花粉症に見舞われ、一幕の最後の方で喘息のような状態になってしまったのです。
蝶々夫人は皆さんご存知のように長丁場のオペラですので、一幕を終えた時点で降板しようと、演出家と指揮者に言いに行きました。
二人ともとってもびっくりしていました。なぜなら、声にはその兆候は出ておらず、私の調子が良いとばかり思っていらしたようです。
代わりの歌手もおらず、休憩を10分増やしてもらい、気分を落ち着かせてまた舞台に上がる事になりました。すでに共演者の方々は私の状態を知っていて、皆さんやさしい眼差しで見守ってくださいました。
声に頼れない分、蝶々夫人の役に徹する事に集中するようにしました。
そんな私の演技を舞台裏で見ていた子供役のサヴァちゃんという女の子が私の危機を察してくれて、舞台上で助けてくれました。練習の時、全く言葉が通ぜず、笑ってコミュニケーションを取ってくれていた4歳の彼女が、舞台上で迫真の演技をしてくれたのです。火事場のなんとか・・・ではありませんが私も彼女につられて、本当の蝶々さんになっていつも以上にドラマティックに歌うことが出来ました。
最後、自殺するシーンで、刀を首に持って行きかけた時、サヴァちゃんが“Mamma〜(お母さ〜ん)”と舞台裏から走ってきました。その時は本当に、彼女が(役では男の子ですが)いとおしく彼女を残して自害するのがつらい気持ちになり、自然に涙があふれ、魂を込めて最後のアリアを歌ったと思います。カーテンコールではたくさんの拍手を頂き、一幕の後、降板せず最後まで頑張って良かったと心から思いました。
有難う、サヴァちゃん!!

7月12日  青盛のぼる

 
一幕の入場のシーン            一幕のピンカートンとの愛のデュエット

   
二幕のピンカートンとの間に生  三幕の自害のシーン
 まれた息子に歌いかけるシーン

“日本から来たチョーチョーさん” (公演を伝えるブルガリアの新聞)

記事の内容:日本人の青盛のぼるは数日後“蝶々夫人”の新しい演出によってチョーチョーさんを演じます。
 最高のタレント性で Lady Mcbeth も演じますが、今回は East からやってきた真珠が、新しいモダンの演出に挑戦します。
※付け足し:コスチュームには 10000 dollar 経費がかかっておりすべて手作りで発注したものです。



「蝶々夫人」

4月10日 北イタリア・ベルガモ (Bergamo)

北イタリアのベルガモという町の近くの村で"蝶々夫人"を歌いました。
久し振りのイタリアでの公演ということで大変緊張しました。というのも、蝶々夫人は言葉のやり取りがとっても大事なオペラですので、声のことは二の次にしてイタリア語の発音にかなり敏感になっていました。カタカナ読みにならないよう、家で何度も節をつけないでイタリア人が喋るように練習をしてみたりしました。
その上、今回は日本で購入してきましたお着物2着のデビューでもあり、歌以外にも着付けなどで慌しく、本番前の楽屋は大騒ぎでした。(と言っても大騒ぎをしているのは私だけですが…)
歌詞は、とにかくイタリア人のお客様にきちっと聞こえるように発音しながら歌うように心掛けました。
長い2幕を歌っている時、一列目に座っていらしたイタリア人のご夫婦がハンカチで目頭を押さえているのが見えました。私の歌を聴いて涙してくれるなんて、と勝手に喜んで、気持ち良くなっていましたが、公演後、そのご夫婦がわざわざ楽屋に訪ねてきて下さいました。ご主人に"私は貴女の蝶々さんに感激しました。貴女が喋る様に一字一句、言葉を大切にしながら歌っている姿に感動し、涙が溢れずっとハンカチが手放せませんでした。"と嬉しい言葉をかけて頂き、いつもイタリア人からイタリア語の発音を口すっぱく直され練習していましたので、努力が報われる想いでした。。。が、喜んだのもつかぬま、その横で奥様が"私は主人と結婚して長い年月が経ちますが、劇場で彼の涙顔を見たのは初めてで、クシャクシャになって泣いている主人の姿を隣りで見てたら、何だか急におかしくなってきて笑いが止まらなくなり、ずっとハンカチが手放せませんでしたわ。"と。
この言葉に私もさすがにガクッ。でも大らかなイタリア人に言われるとなぜか憎めず、ご夫婦と一緒に大笑いした私でした。

  4月11日  青盛 のぼる



東京ハルモニア室内オーケストラ 第30回定期演奏会 に客演

3月24日
於  :東京文化会館小ホール

演奏曲目
@ペルゴレージ   カンタータ "オルフェオ"
Aヘンデル     「この方は処女の中の元后」
Bヴィヴァルディ  「まことの安らぎはこの世にはなく」


     


聴きに来て下さった皆さま、お忙しいところ有難うございました。ここのところ、オペラのお仕事の方が多かったので、久し振りのバロック音楽に少々緊張しましたが、皆さまからたくさんの暖かい拍手を頂き、楽しく歌わせて頂きました。



Verdi-Oper Rousse ″Nabucco、Aidaオペラツアー″

2005年 1月 7日 〜 25日

NABUCCO(Abigaille 役)、AIDA(タイトルロール)でオーストリア、ドイツ、オランダ、フランス、スイスにて公演。


 @  A   B 

写真解説

@ オペラ“NABUCCO”終了後NABUCCO役のMauro Augustini(私の隣)、指揮者のLuciano di Martinoとパチリ!
A “NABUCCO”のワンシーンです
B AIDAに扮した私とRADAMES役の同僚と

                                          

1月のAida、Nabuccoヨーロッパ公演はお陰さまで成功しました。色々とハードスケジュールの中での公演でしたが、収穫が多く前向きの経験をしました。
蝶々夫人のツアーは役柄に合わせてオリジナルメンバーでしたので日本の方が多かったのですが今回はブルガリア人のグループ(総勢100人以上)の中に一人ぽつっと日本人での参加でした。
皆さんとっても親切にして下さって楽しい3週間でしたが最初の頃はコミュニケーションが思うように取れず苦労しました。
まず、今回の公演はピンチヒッターでの参加でしたので練習はまったくなく、特にAidaは舞台への入りの場所もぎりぎりまでわからない状態でした。奴隷役のAidaは王様の娘Amnerisに王冠を渡すシーンがありますがどの瞬間で渡してよいのかわからず本番1時間前ぐらいから舞台の袖でイタリア語の出来そうな人を探して聞こうと思いましたがみんな本番まえで忙しく誰もかけあってくれませんでした。
結局舞台に上がってから袖で声をかけてもらうことにしましたが突然″Noboru、今よぉ!″と言われ緊張の面持ちでAmnerisに王冠を渡すことに成功しました。
相手役がどこから出るのかもわからず、当てずっぽうで上手を見ながら″あ〜、お父さん″と歌いましたらお父さんは下手からのお出ましということもありました。
とにかく最初は失敗だらけでしたが、舞台に立つうちに段々と回りが見えてきました。
終わりよければ何とやらで、そのうち何とかなるさと思っているうちに本当に何とか形になってくれました。
特にNabuccoのAbigailleはソプラノ殺しと言われるほどのDramatico Sopranoの重い役でかなり心配していましたが、案ずるより産むが易しでこちらも形になってくれました。
ただ私自身、高所恐怖症ですので高いところから″兵士よ、神殿は陥落しました″と手に剣を持って歌うシーンはかなり手足を震わしながら登場してしまいましたが...(写真A参照)

青盛のぼる



2004年



「蝶々夫人」
ヨーロッパ公演
 
(Compagnia d'Opera Italiana di Milano)   主宰団体名  Schlote(シュローテ)

2004年 9月初旬 〜 12月中旬
ドイツ、オーストリア
イギリス、ロンドン近郊ノルウェー

●ヨーロッパ公演のプログラム

    
 

2004年12月14日 ザルツブルグ祝祭劇場で行われた「蝶々夫人」公演に対する現地新聞の批評(抜粋):

@Noboru Aomori legt die Titelrolle besonders filigran und leise, dabei durchaus spielfreudig an. So wenig Volumen braucht's also fur die Butterfly, und doch tragt das so gut im Raum ? durchaus eine Uberraschung.

主役バタフライを演じた「青盛のぼる」の歌声が、まるで繊細で精巧な細工を思わせるような弱音でオペラハウス中に快く響いた。
広いオペラハウスの空間に、こんなに繊細な弱音を響かすことのできる歌手がいたとは驚きである。


AWas vor allen Dingen ander Besetzung : Noboru Aomori hat nicht nur ein enormes, sicher entfaltetes
stimmliches Potential, sie vermag auch anzuruhren.

すべての総まとめとして、一言;青盛のぼるは、ただ単に、彼女の声の威力と可能性を示したのではなく、彼女はそれを使い、また(人々の)心を動かすような効果をしようと、声で表現するよう努力した。

 
BNoboru Aomori in der Titelrolle hatte einen groβen Ausdrucksradius zur Verfugung, ihre Beharrlichkeit, ihre getauschte Hoffnung, ihr suizdaler Abgang in tiefer Verzweiflung, der gesamte Gefuhlsbogen tragischer Verwicklungen war immer glaubwurdig.

主役の青盛のぼるは、大変インパクトの強い印象を与えた。彼女の我慢強さ、彼女の交差する希望、彼女の深い思いの中の怖れ、それらすべての感情の一端、その悲劇のもつれ、それは、いつも信ずるに値するものである。

      
           

●ヨーロッパ公演の様子を伝える現地の新聞




    「蝶々夫人」ヨーロッパ公演を振り返って                   青盛のぼる

2004年は、私個人としましては 蝶々夫人で始まり、蝶々夫人で終わった年でした。彼女には散々苦しめられましたが(笑)、1年間、オペラの公演を通して少しは仲良しになれたかと思います。
7月にイタリアで初めて歌わせて頂いてから年末まで20回公演させて頂きました。 
9月以降のSchlote事務所でさせて頂いた公演のエピソードをご紹介させて頂きます。

1幕はアメリカ人のピンカートンとの結婚式、そして甘いデュエットで幕を閉じますが2幕は、ピンカートンもアメリカに帰ってしまい、彼との再会を3歳の子供と待つというシーンですが何と、その子供は"お人形"でした。イタリアでは必ずかわいいお子さんと共演させて頂くのですが最初に演出家の方に"これが貴女の子供よ"と言われて紹介されたのがみすぼらしい?お人形でした。
"マジ〜?"と私も動揺しました。ドイツやオーストリアでは10歳以下のお子さんは簡単に舞台に上がれないそうです。子供に向かって歌うシーンでも、中々気持ちが入らずこれではいけないと思いながら歌ったものでした。
一度、長い2幕が終わってホッとした瞬間に愛すべき子供を思いっきり蹴ってしまったことがありました。
もちろん、お客さまからも丸見えで、客席で聴いていた演出家に烈火のごとく叱られてしまいました。
″お人形と思っているから、蹴ってしまうのよ。本当の子供だったら蹴らないでしょう!?″と言われ、私も身にしみました。これはお人形ではなく、私とピンカートンの子供なんだと思うようにしました。
10月で公演も終わり、いったんミラノに戻りましたが12月に入ってまた呼ばれまして1ヶ月ぶりに子供に再会しましたが、長い公演続きですっかりまっくろになっていました。その姿を見てとても悲しく思ったものです。
 
12月の公演は5回させて頂きましたが、最終日の12月14日にはザルツブルグの祝祭劇場で公演させて頂きました。
2003年にも Il TrovatoreのLeonora 役で歌わせて頂いていましたので2回目の公演ということになります。
大きな2000人以上入るホールは満員御礼で、私の声は通用するのか少々心配でしたが、たくさんの拍手を頂き、ザルツブルグの新聞のクリティックも賞賛でしたのでホッとしました。



@  A  B 


  C   D 


写真解説

@ 一昨年の “IL TROVATORE” のオーディションで100人以上応募のあった中で、
   私を見い出してくださった尊敬する La Macchia(ラ・マッキア)先生と蝶々夫人の舞台の袖で
A Pinkerton 役の Kamen Chanev (カーメン・チャネフ)と
B 仲良しのブルガリア人の歌手 Mariella と
C 蝶々夫人のワンシーン
D
 一幕の愛のデュエットに使われた岩の上で





Verdiの IL TROVATORE Leonora役にて主演  (Compagnia d'Opera Italiana di Milano)

2004年 7月3日、4日 フランクフルト近郊 
Schluchtern Castello Ramholz 
     主宰団体 Schlote(シュローテ)


実際に伯爵夫人の住んでいるお城の一部で公演されました。
昨年の12月にツアーを終えて半年振りに同僚達と(メインキャスト、指揮者、オーケストラ団員、コーラス、裏方の方々)再会してのお仕事でしたので楽しく歌えました。

Manrico…Kamen Chanev(カーメン チャネフ)
Azucena…Anna Venturi(アンナ ヴェントゥーリ)
Luna伯爵…Biser Georgiev(ビッセル ゲオルギエフ)

   @    A    B  


写真解説

@ Leonoraが暗闇の中で間違えて、Luna伯爵を恋人のManrico(Il Trovatore…吟遊詩人)と思って飛びついて、
   Manricoに"裏切り者"と言われて、誤解を解こうとするシーンです。
A Leonoraを愛するLuna伯爵が彼女を想って歌っているシーンです。
B Manricoとジプシーである母親のAzucenaのデュエットのシーンです。

   



2003年12月16日 ザルツブルグ祝祭劇場で行われた同じ IL TROVATORE 公演に対する現地新聞の批評(抜粋):

Dennoch greift diese Kritik Kurz. Denn der Gastspielbetrieb belebt nicht nur das Programm er ist zugleich Schule. Die Salzburg Agentur Schlote hat immer wieder junge, noch ganz unbekannte Sanger prasentiert,die manchmal Jahre nach ihren Gastspielreisen bel Schlote in grosen Opernhausern Fus fassen Konnten. Auch gestern war mit Aomori Noboru in der Rolle der Leonore eine interessante junge Japanerin zu horen, die - wenn sie welter Iernt-das Zeug zur Karriere hat.

それから、引き続き短い批評を。 この公演企画は、単なる出し物プログラムとしてのみだけでなく、同時にこれは学校である。ザルツブルグのマネージャー、ショルテは、いつも若く、まだ無名の歌手を紹介している。その歌手は、何年か後、この彼らのシュルテ企画の移動オペラ公演から、大きなオペラハウスへの足がかりとなる事もままある。その例として、昨日レオノーラの役を歌った、青盛のぼる、大変興味深い若い日本人。もし、こうやって引き続き彼女が(実際のオペラ公演の中で)その経験、オペラを学んでいったとしたら、キャリアへの素質(才能)のあると思われるのが、彼女である




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