2004年-2006年の演奏活動のご報告
2006年
ブルガリア(6月)
「Turandot」
当分オペラのお仕事はお休みです。今は心新たに8月19日の東京でのリサイタルに向けて準備中です。皆さまにお目にかかれるのを楽しみにそれまで精進します。どうぞ夏バテでお身体崩されませんように。
7月8日 青盛 のぼる
「Don Carlo」「Aida」
5月10日 Ourenseにて "Don Carlo" (Elisabetta) を皮切りにスペイン各地にて公演。
私はお陰さまでSpainでのDon CarloとAidaのお仕事を順調にこなして28日にミラノに戻ってきました。色々とハプニングの多い旅行でしたが、終わってみると良い勉強がたくさん出来て、前向きな旅であったと思っています。
5月10日にOurenseという町でDon CarloのElisabettaデビューを果たすことができました。今回は急に他のソプラノの方が降りられて代理で参加しましたので、2週間という短い期間で勉強し、ぶっつけ本番で舞台に臨みました。
当日は、天候が悪く、カーブの多い山道を通り抜けて劇場に着きましたのでバス酔いしてしまいました。おまけに開演30分前に到着という慌しさでバスの中でお客様が劇場に入られるのを見ました。(苦笑)火事場の何とかで乗り切れましたが、同僚の方々がとっても気を遣って下さって、特にコーラスの方達が出入りをわかりやすく教えてくれましたので失敗もなく、成功に終わりました。カーテンコールの後は緊張感から開放されたせいか、お恥ずかしいことに同僚の前でボロボロと泣いてしまいました。10日は奇しくも私の××回目の誕生日で思いで深い日になりました。
27日まで、Spain各地を回り、Zaragoza, San Sebastian,Alicante, AlmeriaでAidaを演じさせて頂きました。
San Sebastianでは、あわや途中放棄になりかねない出来事に見舞われました。今、思い出してもぞぉ〜っとします。
休憩まで1幕、2幕滞りなく歌い、順調でした。20分の休憩中にハプニングはおきました。コーヒーを飲みに行った帰り、楽屋に戻るのに近道してやろうと、開演前にチェックしておいた廊下を通って楽屋に戻ろうとした時、開演中はオートロックになっているドアとは知らずドアを閉めたとたん、廊下に閉じ込められてしまったのです。後でわかったことですがそこは非常階段に抜ける廊下で一度ドアを閉めてしまうと外から開けられない様になっているらしいのです。ドアを叩いて″開けてぇ〜″と叫びましたが誰も気づいてくれません。そんな状態が15分ぐらい続き、段々休憩時間がなくなってきて焦った私は、仕方ないので外に抜けるドアを見つけて出てみました。そこは劇場の正面玄関に面したところでした。入り口のそばで若い子達がビールを飲んで陽気に騒いでいました。Aidaのメーク(Aidaは黒人の役ですので濃いファンデーションを使っていました)、衣装で、突然非常階段から慌てふためいて現れたので彼らは腰を抜かしていました。みんなが面白半分に近づいてきて″何でそんな格好してるの?どうしたの?″と冷やかされましたが彼らに説明している時間はありません。劇場の方を見ると、お客様たちがサロンで談笑しているのが見えました。何人かのお客様が私の姿に気づいてくれましたが、私の緊急な様子には気づいてくれず、私の方にジェスチャーで″Brava!"と言って下さってるのがわかりました。私の方もそのお客様たちが係員を呼びに行ってくれる事しか手立てはないと思っていましたので、目でうったえたり、ジェスチャーでSOSのサインを出してみました。様子が変だとやっと気づいてくれた方が係員を呼んできて下さって事なきをえました。(冷や汗)
悲劇(Aida)の合間のコメディのような出来事に私自身大変疲れましたが、カーテンコールまで気を抜いてはいけないと身をもって知った思いです。
さて、前回もお知らせ致しましたが8月19日に東京浜離宮朝日ホールでリサイタルをさせて頂きます。ここ数年、有難いことに舞台経験を積ませて頂き、私なりに勉強させて頂きました。
タイトルの″Sul fiato"とはイタリア語で″息にのせて″という意味です。歌だけでなく、日常の生活においても私達は私達のリズムで、そして息遣いで生活しています。そんな自然で、だけどとっても大切な″自分の息遣いで自分の感性を皆様にアピールできたら″という想いを込めてこのタイトルにさせて頂きました。
同じ劇場でそんな空間を皆様と共感できたらこんな幸せなことはないと思っています。是非聴きにいらしてください。お待ちしております。
天候が定まらない日が続きますが皆様も体調を崩されませんよう、お元気にお過ごし下さい。
5月30日ミラノにて
青盛のぼる
Don CarloのElisabettaの衣装で。
Spainのレストランにて、右隣がAidaの共演者Radames役のCamenChanev
私の正面が指揮者のBonev. 左隣がブルガリアの興行主IvanKiurkchiev.
追伸:私のSpainでのサイトを見つけましたのでお知らせします。
http://www.aragondigital.es/asp/noticia.asp?notid=25103&secid=12
http://www.noticiasdegipuzkoa.com/ediciones/2006/05/20/mirarte/cultura/d20cul80.198115.php
http://servicios.diariovasco.com/pg060520/prensa/noticias/Cultura/200605/20/DVA-CUL-459.html
http://servicios.diariovasco.com/pg060521/prensa/noticias/Cultura/200605/21/DVA-CUL-399.html
http://www.elperiodicodearagon.com/noticias/noticia.asp?pkid=250304
http://www.heraldo.es/heraldo.html?noticia=165638
http://www.gara.net/idatzia/20060520/art165133.php
スペインには子供の頃、家族で行った事があります。その頃は思春期で″反抗期″の真っ最中でした。両親を困らし、スペインの島でわざと迷子になって隠れてしまったこともあります。小さな島でしたので最初のうちは隠れてもどこかの道端で両親に見つかっていたのですが、段々エスカレートしてもっと困らせようと隠れていましたら本当に迷子になってしまい、数時間はぐれてしまうことになってしまいました。
今でもその話しが時々家族の間で話題になります。スペインの話しになると″そう言えば、あの時...″のように。
一番、バツが悪いのは、デビューリサイタルの時に子供の頃の私を知っていらっしゃる方がたくさん聴きに着て下さった時に″子供の頃、ご両親を困らせてばかりだった貴女がこんなにご立派になられて″と涙ながらに言われた事です。(苦笑)
話しは前後しますが4月7日のブルガリアでの蝶々夫人はお陰さまで上手く行きました。ルースという町のオペラハウスで歌わせて頂きました。指揮者はウイーン在住のカナダ人の方でした。実は今回の公演のキャストを事前にまったく知らされていませんでしたのでルーマニアのブカレストの飛行場に着いた時、″Noboru
Aomori″という紙を持っていらした方にご挨拶をして迷わずついて行きました、その方が指揮者の方とも知らず...ルースから迎えに来てくれてた運転手の方プラス助手?の方、計4名で車に乗りブルガリアのルースに向かいました。車の中で英語で声をかけられ、あ〜、きっと私がわかるように慣れない英語で話しかけてくれてるのねと思い、″英語、お上手ですね″とお声をかけましたら″はい、私はカナダ人ですので″とお返事が返ってきました。(冷や汗)ルースはブカレストから60Kmの国境に近い町です。街中にはドナウ川が流れていてすっかり気に入ってしまいました。
5月1日 青盛 のぼる
「蝶々夫人」
ヨーロッパオペラツアー(2006年 1月9日〜1月20日)
「マクベス」「アイーダ」
1月9日 Aida Salzburg 祝祭劇場
10日 Aida Linz ブルックネルハウス劇場
13日 Macbeth Emden ネウエス劇場
18日 Macbeth Worms スタットスピエールウントフェストハウス劇場
20日 Aida Lahr スタットハッレ劇場
私は2週間のオペラ公演の予定を終えてドイツから戻ってきました。1月9日のザルツブルグの祝祭劇場でAidaを歌ったのを皮切りにMacbeth2回、そしてAidaを3回,オーストリア、ドイツで歌いました。
マクベスはアメリカの公演にに引き続いてヨーロッパの劇場でも歌わせて頂きましたが、今回、聴いて下さるお客様の反応や私自身の舞台での歌ってる時の感じ方がアメリカとヨーロッパでかなり違うなあと感じたことがありました。
その一つに照明の違い。マクベス夫人は手紙を手に持ちながら、周りに気づかれないように手紙を朗読する、というのが最初の出ですが、舞台に出始めた時、アメリカの劇場では、いきなり私にスポットが当たり、私の動きに合わせて照明がついてきてくれました。
それに対して、ヨーロッパの劇場では照明が一定の場所にセットされ、その光りの場所を探して入っていかないと、真っ暗の中で歌ってしまうことになります。以前から、その照明を見つけるのが苦手でいつも演出の先生に叱られてばかりいました。
その点、アメリカの劇場は照明を探さず、自分の思うとおりに動けたので、″歌に集中できて楽″と安易に思ったものでした。しかし、改めてヨーロッパの劇場で歌わせてもらって肌で感じたことは、照明の位置が決まってるというのは、客席からみて、舞台を″一枚の絵″のようにセッティングして舞台の美しさと歌の一体感をお客様に提供しているのではないかと思ったのです。
やはりお国柄でしょうか。長いオペラの歴史を誇るヨーロッパのモチーフの美しさと、新しいものを取り入れて斬新的に歌手自身の個性をアピールするアメリカ、形は違ってもお客様に楽しんで頂く気持ちには変わりないということが舞台に立って少しわかった様な気がしました。
そしてお客様の反応の違い。私がやってるのはイタリア語のオペラですのでヨーロッパ、アメリカの劇場には字幕が出ますがその字幕を見ながら特別に笑うシーンでもないのにどの劇場でもお客様からドーっと笑いが出るということがありました。
アメリカでの蝶々夫人の公演がまさにそうでした。一幕で蝶々さんとピンカートンの婚礼のシーンで、アメリカ総領事シャープレスが蝶々さんに″貴女には姉妹がいますか?″と尋ねると、必ずと言って良いほど、客席が沸くのです。シャープレス役のバリトンの方が″僕の言い方がおかしいのかなあ″と首をかしげていました。もしかしたら字幕の訳がおかしいのかしらね?とも話していました。
が…公演を重ねていく度にその理由が段々わかってきました。それは、ピンカートンが蝶々夫人と結ばれたのでシャープレスもピンカートンの様に恩恵を受けたくて姉妹いるか質問をしたのだとお客様が思ったのではないかということです。ストーリーの展開でそこは蝶々夫人の人となりを紹介するシーンですが、ただストーリーの展開を楽しむだけでなく彼らの発想でオペラを楽しんで下さってるのがわかった気がしました。(ちなみに、蝶々夫人が″いいえ、私には母がいます、の答えにも皆さんは笑ってくださってました)
2月1日 青盛 のぼる
●「AIDA」の楽屋でスタッフと ●「AIDA」の告知ポスター

●祝祭劇場でのカーテンコール
2005年
北アメリカ オペラツアー(2005年 9月27日〜11月20日)
「マクベス」「蝶々夫人」
9月下旬より11月下旬まで、OPERA VERDI のアメリカ公演に「蝶々夫人」(タイトルロール)「マクベス」(マクベス夫人役)で主演します。
私は、9月27日から始まりますアメリカオペラツアーの準備で慌しくしております。今回はヴェルディのオペラ"マクベス"(マクベス夫人)、そしてプッチーニのオペラ"蝶々夫人"の公演で北アメリカを2ヶ月かけて回ります(公演スケジュールは下記のとおりです)。特にマクベス夫人は初挑戦ですので、どきどきしていますが、楽しみでもあります。シェークスピアのお話しですのでストーリーをご存知な方も多いと思います。ミラノで今年に入ってから元スカラ座の芸術監督でいらしたCamerini先生に一から指導して頂きました。
Camerini先生は特に言葉の発音にとても厳しい方で、私がちょっと気の抜いた発音で歌うと情けなさそうに首を横に振りながら"ノー、"とおっしゃいます。マクベス夫人には手紙を読むシーンがありますが、1分足らずの手紙の朗読だけで一時間のレッスンが終わってしまったということもありました。
策略家のマクベス夫人の表情を少しでも出せたら良いなあと思っています。
蝶々夫人もCamerini先生に特訓して頂きました。私にとっては2年目の挑戦になります。昨年はただただ、歌い切ることばかり考えていました。今年は少しでも蝶々さんの心情に近づけたらと思っています。Camerini先生はお若い頃、蝶々夫人うたいで有名な三浦環の蝶々さんをご覧になって大変感動されたそうで、レッスン中によく、彼女を通して日本人女性の美しさを知ったとうれしそうにおっしゃいます。"お前は日本人なんだから、蝶々さんの気持ちがわかるだろう?楽譜に忠実になって少しずつ蝶々さんに近づいていきなさい"と励まして下さいます。
11月下旬まで、体調を整えてがんばって舞台に立ちたいと思っています。またアメリカよりご報告させて頂きます。
9月10日 青盛 のぼる
私は前にもお伝えしました通り、オペラ公演のためアメリカに来ております。すでに一ヶ月以上が過ぎました。
アメリカに到着したのが9月25日。ヒューストンの飛行場に到着予定でしたが、例のハリケーン騒ぎで飛行場は急遽閉鎖。予定が大幅に変わって、ダラスに着きました。ブルガリアのオペラ団体と回っていますが今回の出し物は蝶々夫人、マクベス、ボエーム、そしてセビリアの理髪師です。私はその中の最初の二つのオペラの契約をしまして参加しています。
毎日バスで所狭し(笑)と東アメリカを移動しています。100人近いブルガリア人の中に一人ちょこんと参加しています。公演の方はお陰さまで順調にこなしています。蝶々夫人では現地のお子さんと共演させてもらって楽しくやっています。
公演のないフリーの日は、ぐっすり眠ったり、洗濯をしたり、時々散策もしています。
先週はマンハッタンの知り合いの方が、日本レストランに連れて行ってくれました。それも美味しいオフクロの味でした。(涙)SUSHI
YOUというレストランですがそこの女将さんがとっても気さくな方で、何と長崎のグラバー邸(蝶々夫人の舞台となった邸宅)のすぐそばのご出身だそうで、″たくさん食べて、元気出しなぁ〜″と励まして、お弁当まで作って持たしてくれました。
今はバージニア州のFAIRFAXという町に居ます。先程マチネでマクベスを歌ってホテルに戻ってきました。
今、泊まってるホテルのテレビで一日2時間だけ、日本の番組が見れることがわかり、久し振りに日本語放送を観ながらリラックスしています。そしてこの時期の散策の楽しみは何と言っても″紅葉″です。色鮮やかに咲き誇ってる紅葉を見て、心が和みます。
公演は今月の23日まで続きます。体調には気をつけて最後まで頑張ろうと思います。
11月7日 青盛 のぼる
私はベルギー在住の妹一家のところで年を越しました。現在は来週から始まります、オーストリア、ドイツ、オランダ、スイスでの“AIDA”、”MACBETH”の公演を控え、準備しています。
さて、2ヶ月のアメリカでのオペラツアーもお陰様で無事終了することが出来ました。アメリカのオペラの旅は私にとって色々と思い出の多いものでした。
まずは、どんなスケジュールでもいつもきちっと歌えなきゃいけないという習慣が出来ました。朝5時に出発して、1000キロのバスでの移動の後、そのままオペラ公演という日もありました。前日、劇場から夜通しバスで移動して朝ホテルに着いて数時間休んでから公演という日もありました。最初、スケジュールを渡された時は私にはきっと無理だろうから相当しっかり体調を崩さないように用心しないと、と覚悟はしていました。しかし、同僚のブルガリア人にとっては、日常茶飯事のようでみんな平気な顔をしていましたので(笑)私も彼らに遅れをとってる場合ではないと自分のコンディションのことを中心に考えて生活しました。しかし基本的に住めば都ですぐ新しい環境になれやすい性格が幸いしてか、そして どこでも寝れる性格と、何とかなるさという根っからの楽天的な性格のお陰で、何とかこなすことが出来ました。
ブルガリア人の同僚はみんなやさしく、明るい人たちばかりでした。今日本の大相撲で活躍しているブルガリア人の琴欧州の話しでも盛り上がりました。
彼らは"カロヤン(琴欧州の本名)は強くて今ブルガリアでも注目されてるよ!"と口をそろえて言っています。子供の時から大相撲の大ファンの私も彼らにつられて"カロヤンは今日も勝ったよ"とインターネットで得た情報をみんなに知らせていました。(笑)
昨年は4つのオペラをアメリカ、ヨーロッパの劇場で歌うことができ、充実した1年でした。今年もオペラを通して舞台に立ち、経験を積んで行きたいと思っています。
皆様にとって、2006年が素敵な年でありますようにお祈りしております。
どうぞ今年も宜しくお願い致します。
2006年 1月3日 青盛 のぼる
アメリカ オペラツアー のスナップ
@ A B C
@ 陽気なイタリア人の同僚TenoreのSimone Angippiと。マクベス夫人の衣装で
A 蝶々夫人で子供役をやってくれたアメリカ人の男の子と楽屋で。
B マクベス夫人の衣装で、劇場にて
C SUSHI YOUの女将さんと
楽屋で 「蝶々夫人」の衣装
今回の全米「マクベス公演」のクリティックがワシントンポストほかに掲載されています。
「ワシントンポスト」ホームページ
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/11/07/AR2005110701599.html?nav=rss_print/style
Press&Sun-Bulletin
(ニューヨーク州のBinghamtonのThe Anderson Center公演のクリティック)
Soprano Noboru Aomori showed razor precision with her voice as Lady
Macbeth, making judicious use of her chest voice to deliver some
intense low notes while acting her heart out.
今回の「マクベス」公演の詳細は下記ホームページでご覧いただけます。
http://web.jccc.net/CarlsenCenter/macbeth_program.htm
6月11日 Petit Messe Solenelle (Rossini の小ミサ) Abbiategrasso(ミラノ近郊)
「蝶々夫人」
5月20日 Faenza(イタリア)
「蝶々夫人」
4月28日 Stara Zagora (スタラ ザゴーラ) Bulgaria(ブルガリア)
7月12日 青盛のぼる

●一幕の入場のシーン ●一幕のピンカートンとの愛のデュエット

●二幕のピンカートンとの間に生 ●三幕の自害のシーン
まれた息子に歌いかけるシーン
“日本から来たチョーチョーさん” (公演を伝えるブルガリアの新聞)

●記事の内容:日本人の青盛のぼるは数日後“蝶々夫人”の新しい演出によってチョーチョーさんを演じます。
最高のタレント性で Lady Mcbeth も演じますが、今回は East からやってきた真珠が、新しいモダンの演出に挑戦します。
※付け足し:コスチュームには 10000 dollar 経費がかかっておりすべて手作りで発注したものです。
「蝶々夫人」
4月10日 北イタリア・ベルガモ (Bergamo)
Verdi-Oper Rousse ″Nabucco、Aidaオペラツアー″
2005年 1月 7日 〜 25日
NABUCCO(Abigaille 役)、AIDA(タイトルロール)でオーストリア、ドイツ、オランダ、フランス、スイスにて公演。
@
A
B 
写真解説
@ オペラ“NABUCCO”終了後NABUCCO役のMauro Augustini(私の隣)、指揮者のLuciano
di Martinoとパチリ!
A “NABUCCO”のワンシーンです
B AIDAに扮した私とRADAMES役の同僚と
1月のAida、Nabuccoヨーロッパ公演はお陰さまで成功しました。色々とハードスケジュールの中での公演でしたが、収穫が多く前向きの経験をしました。
蝶々夫人のツアーは役柄に合わせてオリジナルメンバーでしたので日本の方が多かったのですが今回はブルガリア人のグループ(総勢100人以上)の中に一人ぽつっと日本人での参加でした。
皆さんとっても親切にして下さって楽しい3週間でしたが最初の頃はコミュニケーションが思うように取れず苦労しました。
まず、今回の公演はピンチヒッターでの参加でしたので練習はまったくなく、特にAidaは舞台への入りの場所もぎりぎりまでわからない状態でした。奴隷役のAidaは王様の娘Amnerisに王冠を渡すシーンがありますがどの瞬間で渡してよいのかわからず本番1時間前ぐらいから舞台の袖でイタリア語の出来そうな人を探して聞こうと思いましたがみんな本番まえで忙しく誰もかけあってくれませんでした。
結局舞台に上がってから袖で声をかけてもらうことにしましたが突然″Noboru、今よぉ!″と言われ緊張の面持ちでAmnerisに王冠を渡すことに成功しました。
相手役がどこから出るのかもわからず、当てずっぽうで上手を見ながら″あ〜、お父さん″と歌いましたらお父さんは下手からのお出ましということもありました。
とにかく最初は失敗だらけでしたが、舞台に立つうちに段々と回りが見えてきました。
終わりよければ何とやらで、そのうち何とかなるさと思っているうちに本当に何とか形になってくれました。
特にNabuccoのAbigailleはソプラノ殺しと言われるほどのDramatico Sopranoの重い役でかなり心配していましたが、案ずるより産むが易しでこちらも形になってくれました。
ただ私自身、高所恐怖症ですので高いところから″兵士よ、神殿は陥落しました″と手に剣を持って歌うシーンはかなり手足を震わしながら登場してしまいましたが...(写真A参照)
青盛のぼる
2004年
「蝶々夫人」ヨーロッパ公演 (Compagnia d'Opera Italiana di Milano) 主宰団体名 Schlote(シュローテ)
2004年 9月初旬 〜 12月中旬
ドイツ、オーストリア、イギリス、ロンドン近郊、ノルウェー
●ヨーロッパ公演のプログラム




2004年12月14日 ザルツブルグ祝祭劇場で行われた「蝶々夫人」公演に対する現地新聞の批評(抜粋):
@Noboru Aomori legt die Titelrolle besonders filigran und leise, dabei
durchaus spielfreudig an. So wenig Volumen braucht's also fur die Butterfly,
und doch tragt das so gut im Raum ? durchaus eine Uberraschung.
主役バタフライを演じた「青盛のぼる」の歌声が、まるで繊細で精巧な細工を思わせるような弱音でオペラハウス中に快く響いた。
広いオペラハウスの空間に、こんなに繊細な弱音を響かすことのできる歌手がいたとは驚きである。
AWas vor allen Dingen ander Besetzung : Noboru Aomori hat nicht nur ein
enormes, sicher entfaltetes
stimmliches Potential, sie vermag auch
anzuruhren.
すべての総まとめとして、一言;青盛のぼるは、ただ単に、彼女の声の威力と可能性を示したのではなく、彼女はそれを使い、また(人々の)心を動かすような効果をしようと、声で表現するよう努力した。

A
B 
D 
Verdiの IL TROVATORE Leonora役にて主演 (Compagnia d'Opera Italiana di Milano)
2004年 7月3日、4日 フランクフルト近郊 Schluchtern Castello Ramholz 主宰団体 Schlote(シュローテ)
実際に伯爵夫人の住んでいるお城の一部で公演されました。
昨年の12月にツアーを終えて半年振りに同僚達と(メインキャスト、指揮者、オーケストラ団員、コーラス、裏方の方々)再会してのお仕事でしたので楽しく歌えました。
A
B

2003年12月16日 ザルツブルグ祝祭劇場で行われた同じ IL TROVATORE 公演に対する現地新聞の批評(抜粋):
Dennoch greift diese Kritik Kurz. Denn der Gastspielbetrieb belebt nicht nur das
Programm er ist zugleich Schule. Die Salzburg Agentur Schlote hat immer wieder
junge, noch ganz unbekannte Sanger prasentiert,die manchmal Jahre nach ihren
Gastspielreisen bel Schlote in grosen Opernhausern Fus fassen Konnten. Auch
gestern war mit Aomori Noboru in der Rolle der Leonore eine interessante junge
Japanerin zu horen, die - wenn sie welter Iernt-das Zeug zur Karriere
hat.
それから、引き続き短い批評を。 この公演企画は、単なる出し物プログラムとしてのみだけでなく、同時にこれは学校である。ザルツブルグのマネージャー、ショルテは、いつも若く、まだ無名の歌手を紹介している。その歌手は、何年か後、この彼らのシュルテ企画の移動オペラ公演から、大きなオペラハウスへの足がかりとなる事もままある。その例として、昨日レオノーラの役を歌った、青盛のぼる、大変興味深い若い日本人。もし、こうやって引き続き彼女が(実際のオペラ公演の中で)その経験、オペラを学んでいったとしたら、キャリアへの素質(才能)のあると思われるのが、彼女である
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