Sincerely Siti
マリナ・アブドゥル・ガニ
大成功を収めたスターには何をプレゼントするのが最高だろう?先週の金曜日に22歳を迎えた歌うセンセーション、シティ・ヌルハリザについての話である。
過去6年間のうちに、シティ・ヌルハリザがショービジネスの寵児となり、彼女は100万枚以上のアルバムの売り上げと音楽産業に対する貢献度の高さから、少なくとも45個の賞を獲得した。さらにこの国の中でもっとも稼ぎ出した歌手のうちの一人だともいわれている。
シティはお金で手に入れることのできるほとんど全てのものを手にしているが、彼女にとって最新アルバム「safa」はもっとも大切な贈り物なのである。
この間に、シティは内気で無垢で上品なカンポンガールから、まるで王女のような雰囲気を醸し出す若い女性へと開花した。しかし1996年のデビューアルバム(Jerat Percintaan)でスターダムにのし上がっても、このかわいらしい少女を変化させることはなかった。同世代の他の少女のように、シティは空いた時間をセリーヌ・ディオンやマライヤ・キャリー、ホイットニー・ヒューストンといった大好きなシンガーの曲を聴いたり、「フレンズ」のVCDコレクションを見たりして過ごすのがお気に入りだ。
「わたしは自分が最高であるとは思わないけど、わたしにできることに対しては最善を尽くそうと思ってます。今の人生に向き合う力を神がわたしに与えてくれたことに、本当に感謝しています。」
「人生には上り下りがあるものだし、最悪なことに対しても覚悟はできています。ずっとトップでいられることはないこともわかっているし、そうなっても構わないわ。」
仮に、シティが賞を獲得することによって音楽産業を支配するという好ましくない話がささやかれたとしても、彼女自身は現実的に考えてるという。
「わたしが全ての音楽賞を独占したということはありません。数年前Anugerah Industri Muzik(AIM)で賞を取れなかったときに、そうした現実に対してどういった気持ちになるものなのかは知っています。」
「『safa』という言葉は『putih bersih(純粋性)』を意味していて、それはわたし自身の誠意を音楽で表現することです。宗教詩人Raja Ali Hajiの詩集(Puisi-puisi Raja Ali Haji)の中のサンスクリット語から『safa』という言葉を引用しました。」とシティは説明した。
『safa』という言葉は人生の中で健康にいい意味を持っていて、またこの最新アルバムによって本当のイメージと個性を表現したいとシティは言う。
新しい年に際して、控えめなシティは、大成功を収めたこれまでの足跡にも関わらず、エンターテイメントの世界の中で生まれたての赤ちゃんになったような気がするという。
「この新しい年に、うまくいけば何かよい出来事がわたしの身の上に輝くかもしれないわ」と彼女は冗談を飛ばす。
「よりよい大人となって、自分の仕事にベストを尽くせるようになれればいいですね。」
『safa』はAzmeer, Ajai, Aubrey Suwito, Helen Yap, Adnan Abu Hassan, Ahmad Izham Omar, Wong, Zulkefli Majid and Pak Ngahという作曲家陣によって作曲された。
特に伝統的なポピュラーソングで知られる受賞作曲家Pak Ngahの初のポップス曲は注目の的だ。Pak NgahはCe'kenが作詞した「Kudus Sinarmu」の曲を書いた。「Kudus Sinarmu」は地元の歌手によってレコーディングされたPak Ngahの最初のバラードだ。
「わたしはFauziah Latiffが主演したミュージカル『Rubiah』の中で初めて「Kudus」を聴いたとき、それに魅せられてしまった。わたしはその歌が気に入って、わたしのアルバムの中のバラードとして十分な可能性を持つと思いました。」
シティはまた、Helen Yapの「Jalinan Cinta」、Ajaiの「Percayalah」、Mat SWの「Kehidupan」のために歌詞も書いている。
「アルバムのために特別に歌詞を書いたの。自分の感性に従うことはいいことだと思います。自分の身の回りにあるいろんな考え方や感じ方、それにハプニングから詩のアイディアは浮かんできました。」と歌い手は話をした。
お気に入りの作詞家としてHabsah HassanとLukhman Sの2人の名前を挙げたシティは、他のアーティストのために自分が詞を提供しても構わないという。
ニューアルバムの他の曲としては、「Azimat Cinta(曲:Adnan Abu Hassan、詞:Hazida)」、「Bicara Manis Menghiris Kalbu(曲:Aiman、詞:Lukhman S)」 「Milikmu Teristimewa(曲:Azmeer、詞:Habsah Hassan)」「Indah Percintaan(曲:Nyzar、詞:M.Zulkifli)」、「Kau Ku Sayang(曲・詞:InnuendoのPot)」、「Beradu Di Khayalan(曲:Aubrey、詞:Tisya)」がある。中でも、Adnan Abu Hassanの「Azimat Cinta」は最近地元のラジオでもよくかかっている。
新しいアルバムの出すたびに、新しいソングライターや、それまでに一緒に仕事をしたことのない新しいスタッフを迎えるようにしているとシティは言う。
面白いことに、「Beradu Di Khayalan」はもともと英語の曲として書かれたものらしい。シティの所属するスリアレコードによると、日本で「Beradu Di Khayalan」の英語バーションをリリースするという計画があるようだ。もしSRCと日本のプロモーターの間で契約が交わされれば、今年シティが日出ずる国に姿をあらわすチャンスが巡ってくるのかもしれない。
最近シティの誕生日パーティ兼アルバム発表会がゴールデンホースパレスで派手に行われた。艶やかなアーティストは、新しいアルバムのために彼女自身が選んだイメージに合わせて Michael Ongがデザインした真っ白なパンツスーツで装った。ナチュラルなメークは光り輝き、新たな「隣の女の子」的な雰囲気を醸し出した。
『safa』は、会場前方の大きなビデオスクリーンをシティとSRC社長Tan Su Lokeがリモートコントロールするという洗練された方法によって発表された。シティの歌手としての足跡を記したビデオが会場に集まった人のために上映され、その中では10代の頃からのシティのキャリアをたどっていた。
2000年でもっとも人気を博したアーティストは、インターネットと自身のウェブサイト(sitinurhaliza.com)を通じても誕生日祝いのメッセージを受け取った。後で彼女は観客の中のファンと時間をとって、このイベントの中で電子メールで返事を書いた。
シティがプルクニン(慶事に用いられる伝統的マレー菓子)にナイフを入れるセレモニーに両親であるSalmah BachikとTarudin Ismailをつれてきたときは、家族同士の内輪のことにもなっていた。シティはマレーの文化と習慣を守ることはよいことだと考えていることから、本来伝統的な人物である彼女はケーキではなくプルクニンを選択したのである。
トラディショナルなアルバム『Cindai』を含む過去6つのアルバム作品に対して、Tanが多くのプラチナ賞を贈ったことにより、シティはまた歴史をも作りだした。
1996年にリリースされたデビューアルバム『Jerat Percintaan』は5万枚のセールスを記録しプラチナディスクに輝いた。しかし1996年のセカンドアルバム『Aku Cinta Padamu』はなんと30万枚売れ、まさに彼女のベストセラーアルバムであった。
1997年、トラディショナルソングへの初めての試みであり、十分な成果を上げた『Cindai』は5つのプラチナに相当する25万枚のセールスを記録した。そして1998年、マレーシア経済の悪化にも関わらず、4枚目のソロアルバム『Adiwarna』は20万枚販売され、4つのプラチナに輝いた。シティの成功は1999年にリリースされた『Pancawarna』にも引き継がれ、ダブルプラチナとなる10万枚の売り上げに達した。1999年にリリースされた2枚目のトラディショナルアルバムである力作『Sahmura』も10万枚のセールスとなり、ダブルプラチナとなる資格を獲得した。
シティは今月スリアレコードとの契約が切れるということを発表したが、今後のことについて詳しく話をするのを避けている。彼女は化粧品会社のメイベリンとの契約を延長し、また彼女を自社の宣伝の柱としたいと考えているペプシとの交渉のまっただ中にいる。 |