*Record winner〜記録的な成功者〜

2001.11.16付け「The Star」の記事です。原文はウェブ上の英文です。最近のシティの心境に関する記事です。

なお、例によって英語の成績でぶっちぎりの底辺だった私が訳してますので、いい加減なところがあります。お気づきの点がございましたら、ご指摘お願いいたします。

2001年11月16日金曜日
文:ZIEMAN

ほんの22歳のシティ・ヌルハリザは彼女よりも長いキャリアを持つ他のどんな芸能人よりも多くの賞をかき集めた。マレーシア・ブック・オブ・レコード(マレーシア版ギネスブック)でさえ彼女についていくことができない。
その中の記録ではシティは52の賞を獲得したとされるが、その数字はとっくに時代遅れになっている。ラジオ局ERAの5つの賞とマレー語紙「Berita Hrian」による2つの賞(シティが獲得したファン投票数は鰻登りだったことから、「Berita Hrian」が5年連続彼女を「もっとも人気のあるアーティスト」と名付けても驚きに値しない)を合わせて7つの賞を彼女は獲得している。来るべきTV3の「Juara Lagu」にノミネートされた4つの曲によって、年末までに数字は再び改められねばならないだろう。

Pos Malaysia(マレーシアの郵政局)でさえ、最近終了したマレーシア切手祭に併せてシティを「ミス・切手」に選出することによって、彼女が若い人に趣味としての切手のコレクションを始めさせることを期待している。

しかしシティにしてみれば、トップに居座り続けていることにとまどいを覚えているようである。先月ゲンティン・ハイランドで開催されたERAの授賞式で、彼女がこうつぶやくシーンがあったらしい。「どうか神様、もうわたしじゃありませんように...」
祈りの甲斐なく、その夜シティは4つの主だった賞を総なめにした。カメラが他のノミネート候補者達に向けられたとき、彼らは不満な表情を隠しさえしなかった。

写真:アサ・ネギシ
「1996年に初めて賞をいただいたとき、わたしはとても興奮しました。2回目、3回目、4回目と賞をいただくたびにありがたいと思ったし、嬉しかったし、神にも感謝していました」
「でも最近では、どう感じていいのか分からないのです。わたしが受賞することで嫌な気持ちになった人を見るのは悲しいです。彼らは不満を述べ、徹底的にわたしを非難し始める。辛いです。まるでわたしが間違ったことをしているかのようです」
「多分もうわたしは受賞すべきではないのです。分からない、それほどとまどっています」

中傷者が何と言おうとも、保守的な人物像にもかかわらず多くのファンを獲得してきたシティのプロ意識を思えば、誰も彼女をとがめることはできない。
しかしきちんとして健全なイメージに裏付けられた人物とは誰なのだろう?
彼女は優秀でかわいらしいく、スキャンダルやゴシップとは無縁の天使のような存在なのだろうか?

「わたしはいい子ぶった人間ではないわ。一部の人が思っているほどわたしは純真ではありません。」とシティは言う。
「たまには悪いことだってしますけど、もちろんそんなことはしゃべりません。」

スキャンダルをでっち上げることはほとんど不可能である。同世代の多くのアーティストと違って、シティのガードされたライフスタイルには、ほんのわずかな悪い評判ですら入り込む余地がない。手に入る唯一のゴシップは、ファンと求婚者と彼女がファンとして考えている「彼氏」の長いリストについてのものである。
以前ある記者がシティはどんな男性アーティストとでも一緒に写真を撮られることを拒否すると書いたことがある。

「あれは誇張しすぎです。わたしが言いたかったのは、誤解されやすいから男性アーティストと一緒に写真を撮られるのは好きではないということです。でももし仕事に関係することなら写真撮影だってOKですよ」

胸元がはだけていたりノースリーブ、ミニスカートのような肌を露出するもの、体の線にぴったりしたものを避ける彼女の衣装について、シティは本当に自分でチョイスしていると述べた。

「私は、katak di bawah tempurung(椰子の固い殻の下の蛙)ではありません。最近の流行やトレンドに遅れないようにしています。それがわたしなんですけど、小さすぎる服を着るのはあまり好きではないのです。家族はわたしに好きな服を着る自由を与えてくれましたが、そういうふうに育てられたのです。内心わたしはカンポン・ガール(田舎娘)だといつも感じています」と8人兄弟姉妹の5番目であるシティは言う。
「富と名声そして人々の評判ではわたしの控えめな生い立ちを忘れさせることはできません。田舎で友達とバドミントンをしたり、サイクリングしたり、何でも話していたりしていた頃がなつかしいです。田舎に帰るたびに、これがわたしの全てなんだと確認するのです」パハン州クアラ・リピスのテンポヤン村でもっとも有名な「子供」はそう言った。

上品で礼儀正しいシティであるが、そんな彼女もかつては警察官になる夢を胸に抱いたことがある。このかわいらしい歌手(現在マレーシア赤新月社の親善大使をつとめている)はゴツゴツしたアウト・ドアが好きというが、自分が感傷的な性質であり、アラニス・モリセッティのエネルギーがこだまする曲やバラードを好むことを認めている。

現在、8つのソロアルバムと7つのコンピレーション・アルバムに加えて、「Jerat Percintaan」「Balqis」「Purnama Merindu」「Cindai」「Aku Cinta Padamu」を含む一連のヒット曲を経たシティのスリア・レコードとの契約は切れている。シティは新しいレコード会社と契約するか、あるいはスリアとの契約を更新するかどうかを決定していない。それについて考える時間をとっているのである。「このことにはわたしのキャリアと将来が掛かっているので、多くの要素をふまえてよく考えなければなりません」と彼女は言う。

雑誌の表紙を優雅にし、メイベリン化粧品の顔となり、ペプシとのエンドースメント契約にもかかわらず、贅沢さと快適さは彼女の優先順位の中では決して高いところに位置していない。

「わたしは単純な人生を送ります。全ての名声と贅沢さがわたしのライフスタイルをまったく変化させなかったとは言えませんが、節度を保つことがいつも大切だと思います。旅行しているときやリラックスしているときが、わたしにとって良いひとときだと思います」

ことショービジネスに関して言えば、シティ(12歳の時に結婚式で歌い始めたのが最初だが)は歌うこと以外に悩む必要はない。彼女のショー全てを組み立て、管理する信頼の置けるプロダクションをシティは持っている。1998年に設立されたシティ・ヌルハリザ・プロダクションを率いるのは、元歌手である兄のアイーとジャーナリストだった義姉のロジー・アブドゥル・ラザクである。
アイーはシティにとっての強い支えであり、交渉者、マネージャー、ドライバー、経理担当、時にはボディガードとしての働きをする。ロジーはシティのワードローブを管理し、全てのPRを一手に引き受け、またパーソナル・アシスタントであり親友でもある。
シティが兄の言いなりになっているという話について、彼女は笑いながら答えた。

「それは逆なの。わたしが彼ら(アイーとロジー)をコントロールしているんです。彼らは仕事をしなくちゃいけないし、いつでもわたしの味方でなければいけないの。わたしを何かに巻き込む前に、彼らはわたしの許可が必要よ。だからその話は本当ではないわ。あなたがわたしについて耳にした他の噂と同じように意地悪な話ですね。」

シティはどうやって悪意に満ちた意見に対処するのだろう?

「耳を貸しません。最後には真実が明らかになるのです。わたしには、そういうことが無くなるように祈ることしかできません。いつわたしがリポーター恐怖症になったか知ってますか?わたしはいつもわたし自身のことを話しますが、彼らがわたしのことをどのように書くつもりかは分かりません。幸いにもほとんどの記事は、とても協力的だし勇気づけてくれます。気が楽になったので、しばらくすればネガティブな話も聞こえなくなってくるでしょう」

人生における哲学は?
「Tak mati dek keji, tak luak dek puji(侮蔑によって混乱せず、賞賛に惑わされず)です」

*ひとこと*

シティが各種の賞を独占状態にしていることに対する不満の声は時々耳にします。やはり本人がその辺を一番気にしているということなのでしょう。「受賞しませんように」と祈る辺りのくだりはちょっとショッキングです。
やはり22歳の女の子としては、今の立場というのはあまりにプレッシャーが掛かりすぎるものなのかもしれません。
しかしこういう状態におんぶにだっこの音楽産業界にも責任があると感じているのですがどうなのでしょう。

なお、後半の話に出てくる実兄氏は、何かと我々の行く手をジャマをする嫌なヤツです。(笑)


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