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どんなにCTを愛していても、ちょっとくらい浮気してみたくなることもあるだろう。そんなイケナイ貴方に、まず聞いていただきたいのがリザ・ハニム(Liza Hanim)だ。
1979年11月19日、首都クアラルンプールに近いスランゴール州クラン生まれの20歳。デビューは97年。シティと同じスリア・レコード(SRC)に所属し、これまでに4枚のソロ・アルバムをリリースしている。
わたし個人のことを言うと、在シンガポール時代の97年、ラジオでたまたま「Getaran Cinta di Jiwa」(ファーストアルバム『EPILOG』に収録)を聞き、一目惚れならぬ一耳惚れ。「これは将来スゴイ歌手になる」と直感した。
お顔の方だが、最初は「ワリとカワイイかな」と思った程度が、マレーシアのテレビ番組(シンガポールでも映る)で何回か見ているうちに、だんだん好きになっていった。
一目惚れはしないが、会うたびに恋しさが募っていく――わたしにとって、これは最も典型的な恋愛物語でもある。
以下は、個人的見解によるものだが、各アルバムの寸評。

『EPILOG』(1997年)
いかにもデビュー作らしく、若さと元気がはじけた歌声だ。
のっけから典型的なマレー風センチメンタル・ソングが続く。遠慮なしに思いっきり歌っている姿がすがすがしい。お勧めはヒット曲「Getaran Cinta di Jiwa」(1)と「Siapa Sangka Siapa Menduga」(4)。2曲ともサビの部分で、男に裏切られた恨みつらみを堂々と叫ぶ。何ていじらしいんだ、リザさん……。
P・ラムリーのカバー「Jeritan Batinku」(9)は、次作の予告編か。
『DIMANA KAN KU CARI GANTI』(1998年)
「マレーシア映画・音楽の父」といわれる伝説の人物、故P・ラムリーの没後25周年を記念した追悼盤。アルバムとしては全4枚中の最高傑作といっていいだろう。
歌唱の方は、前作よりさらにワビサビが効いてきた感じ。マレー独特の伝統的節回しが盛りだくさんで、うるさ型のワールドミュージック・ファンにも安心してお勧めできる。バックの演奏も、オーソドックスだが手抜きなしの高品質。全体的にとても丁寧な作りであるところがうれしい。
聴きどころは多いが、ここでは「Hujan Di Tengah Hari」(6)のボーカルに触れておきたい。マライヤ・キャリーら現代風R&Bポップシンガーの影響を強く受けた歌い方ではあるが、マレー的な要素もバッチリ活きている。アジア人ポップシンガーにありがちな「無理して西洋人の真似をしている」というような違和感がまったくない。とにかく自然なのだ。
凄いぞ! リザさん。
『PUTERI JELMAAN』(1999年)
どちらかというと保守的な印象が強かったこれまでの2作に対し、多少実験的(マレーポップスにしては、という意味で)なアプローチも入ってきた。シーラ・マジッド風(?)フュージョン・サンバの「Antara Kita」(2)や、ちょっとエスニックがかった表題曲「Puteri Jelmaan」(4)、Jポップを思い起こさせるようなノリとメロディの「Selautan Merindu」(7)――などがそれだ。
アルバムの売りは、やはりこの3曲と、ヒットした冒頭のセンチメンタル・ナンバー「Ku Idamkan Rindu」(1)だったようだが、個人的なお気に入りは、母親への愛情を歌った「Sentuhan Kasih Ibu」(6)。イメージは60〜70年代のフォーク&ポップスか。サビの部分で一気にピークに達する標準的マレー歌謡とは異なり、この曲は、導入部からサビにかけての静かな展開の中で絶頂を迎えてしまう。――「真夜中に わたしが恐くて泣いてる時 お母さんが側にいてくれた」「うれしい時も 悲しい時も ずっと わたしのために祈ってくれた」(意訳)――歌詞の美しさとあいまって、つい心が震えてしまう。後半のフェイクも感動的だ。泣けるよ、リザさん……。
蛇足だが、妹分のアニス・スラヤ(Anis Suraya)とのデュエット「Rindu Datang Bertamu」(9)で聞けるアニスの声は、「純情そのもの」という感じで可愛い。
『ISTIMEWA』(2000年)
イスティメワ(特別な)というタイトルの割には、地味かも……。最初聞いた時にはそんな印象を受けた。だが、何度も繰り返して聴き、さらに実際にリザ本人から話を聞いた後では、イメージがかなり変わってきた。
「まだ新人ということもあって、レコード会社の側に任せっきりだった」というこれまでの3作と違い、今回はリザ本人とプロデューサー、そしてリザのお父さん(音楽家でもある)までもが選曲の作業に加わったという。そして、60〜70曲もあったデモの中から選び抜いたのが、ここに収められている10曲(+ボーナストラック1曲)だ。バックの演奏は、前作で多用していたコンピューター・プログラミングを減らし、アコースティック楽器を前面に押し出した。
お気に入りの曲として、リザは「Andainya Aku Bersuara」(1)と「Rindu Bistari Kalbu」(6)の2つを挙げている。特に(1)は、作曲家(アズミール氏)の家に出向いて、アレンジや歌い方などを綿密に話し合ったという最も力の入った曲。いつも以上に感情を表に出したような歌い方にも、並々ならぬ気合いを感じる。シンプルなメロディーながら、ピアノとアコースティックギターを中心とした透明感あふれるこのサウンドは、「マレー・ポップス」というジャンルでは意外に斬新な音といえるのではないだろうか。
(6)は、インドネシア・スンダ(西ジャワ)地方の音階を奏でるスリン(笛)が印象的なミディアムテンポのダンストラック。リバーブ少なめのボーカル処理や、大人数によるコーラスは、最近流行りのR&B系ポップスを意識したものだろう。タブラやシタール(サンプリング)、ガムラン(これも多分サンプリング)の音もハマッている。前作発表直後にテレビで見たインタビューでも、バグパイプのサンプリング音などが入った「Puteri Jelmaan」が気に入ってるとリザは言っていたから、この路線は彼女が求めているサウンドの一つなのだろう。ぜひ支持したい。
「Aku Ingin Bercinta Sekali Saja」(3)は何の変哲もない8分の6型バラードだが、それだけに歌唱の善し悪しが目立ってしまうタイプの曲。強弱の付け方や、声質をところどころ変化させるところが、とても上手い。間奏で一瞬だけ飛び出すイスラム風プログレ・サウンドと、それに続くジャズ風アコースティックギター・ソロは意外性があって面白い。それにしても、幸せそうな歌声……。相手は誰なの? リザさん。
余談だが、作曲家のLY氏は8分の6拍子が相当お得意なようで、シティの「Aku Cinta Padamu」など、この手のバラードを何曲も市場に送り出している。これからもきっとそうだろう。

同じレーベルに所属し、年齢的にも近いシティ・ヌルハリザと比べられてしまうのは、リザ・ハニムの宿命か。一番不幸と思うのは、作曲・作詩陣がほとんど同じという点。たとえ声の質やスタイルが違っても、曲調がまったく同じだと、どうしても「二番煎じ」というイメージになりやすい。
正直なところ、歌唱力・スター性・話題性・ルックス――のどれをとっても、いまのところシティの方が上だとは思う(背はリザの方が高いが)。それでも、こんなに支持してしまうのは、去年、ショッピングセンターのスリアKLCC(高さ世界一のペトロナス・ツインタワーに併設)でお買い物している姿を偶然見かけて、彼女のファッション・センスのよさに惚れたせいもあるかもしれない。
パハン州のカンポンで、おそらくは地味な幼少時代を過ごしたシティに対し、リザは首都圏の裕福な家庭で生まれ育ったらしい。
このところ恐ろしいくらいに歌唱力がアップし、普遍的かつ崇高な輝きを放ち始めているシティの歌は、なにか神懸かり的なものを感じさせる。これに対し、カレッジに通う合間をぬって歌手活動に励むリザは、まだまだマイペースでやっているという感じ。ちょっとだけアカ抜けた都会のマレー娘の歌声には、マレーシアの新しい象徴であるツインタワーや、ショッピング街のブキットビンタン辺りの景色がよく似合っている。(これは一応、褒め言葉のつもり……)
最後に、日本にいるファンとこれからファンになる人たちに向けて、リザからメッセージ。
「わたしのアルバムが日本のマーケットにも出ていることをうれしく思います。日本の音楽ファンの皆さんが、わたしの作品を気に入ってくれることを願っています。音楽は、言葉が分からなくても楽しめるユニバーサルなものです。たくさんの人がアルバムを楽しんでくれて、日本にプロモーションで行くことができたら最高にうれしい……」

Shin
兵庫県の国際都市・尼崎生まれ。学生時代を北米で過ごした後、92年に日本へ帰国し就職するが、テレビ番組『アジア・バグース』で見たナジフ・アリ(Najip Ali)に触発され、シンガポールへの移住を決意。しかし、周囲の意見に流されるかたちで、結局はインドネシアに留学してしまう。
97年からシンガポール、98年からはタイを拠点にマレーシア、フィリピン、ベトナムなどでもフィールドワークを進めていた(遊んでただけ?)が、99年10月からはクアラルンプールに定住。
元音楽クリエーターの端くれだが、現在はカラオケ専門のサラリーマン。最近、自身のマレー音楽サイト「MELAYU BEAT」を立ち上げた。
好きな言葉:cinta(愛)、airmata(涙)、bunga(花)。
好きな料理:タイ料理、ベトナム料理、韓国料理など。 |