5月30日から6月2日までの4日間、クアラルンプールのイスタナ・ブダヤ(Istana Budaya)で「Konsert Salam Terakhir Siti Nurhaliza Untukmu Sudir」というコンサートが行われました。
すでに掲示板などで話題に出ていますのでご存じの方も多いと思いますが、今回のコンサートは昨年行われたようなシティのコンサートではなく、あくまでもスディルマンという稀代の歌手の追悼コンサートです。従ってこのコンサートの中で、シティは自分の曲を一つも歌っていません。スディルマンという歌手の軌跡を紡ぐためのストーリーテラーとしての役割を忠実にこなしていたという印象です。
そのスディルマン(Sudirman)ですが、ご存じない方のために簡単に彼のプロフィールを紹介しましょう。
スディルマンは1954年5月25日にマレーシアのパハン州のTemerlohという町に生まれました。シティとは同郷ということになります。
1976年マラヤ大学在学中にマレーシアの公共放送RTM主催のコンテストで優勝したのを機に歌手活動を開始した彼は、1978年にファーストアルバム「Aku Penghiburmu」を発表後、数々の曲を大ヒットさせ一躍大スターとなります。
1981年に結婚するも3年で結婚生活は破綻してしまいますが、その後は歌手活動以外にも作家や画家としての才能を発揮し、また1986年のクアラルンプールの繁華街チョウキット通りで行われたライブは、今や伝説とまでなっています。
1992年2月22日、37歳という若さで肺炎により急逝してしまいますが、シティにとっては同郷の大スターということで思い入れも大きいようで、彼女自身大好きな歌手の中にスディルマンの名前が挙がります。また、99年の自身のコンサートでもスディルマンの曲を5曲も歌うなど、彼の影響力はシティにとって相当強いようです。
さて今回は4日間の公演のうち、夜の公演が最後になる6月1日のステージを観てきましたので、簡単に様子をご報告します。
夜8時半からのステージということで開演の1時間くらい前にイスタナ・ブダヤに入りましたが、さすがにクラシックの演奏などに使われる格調高い会場だけに、ドレスアップした人が大勢います。ロビーにはスディルマンの写真パネルが飾られています。コンサートのプログラムが販売されているあたりも格調高さが伺われます。
ロビーで歓談する人たちの中には関係者も多くいたようで、あのアドゥナン・アブハッサンもいました。
会場はいかにも劇場という作りで、それほど大きくはないものの、ステージが近く見えてなかなかです。左右の壁にはバルコニーも備えられていて、この様子では一応フォーマルに準じた服装でないと中に入れてもらえないというのもうなずけます。
今回のコンサートチケット
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さて肝心なコンサートですが、基本的にはスディルマンの一生を彼の曲と数多くの映像資料で追っていくという構成で、およそ2時間のステージです。オーケストラが入っているあたり、さすがイスタナ・ブダヤというところでしょうか。
シティはトータル30曲以上歌いましたが、いずれの曲も表情豊かに見事に歌い上げました。そうそう、髪を切っていたのにはちょっと驚きました。最近更に短くしたみたいだけど。
スディルマンの曲というのは、彼が活躍した時代を考えれば分かるように、古い歌謡曲という感じのものが多いのですが、日本人にも郷愁を感じさせる曲が多いのでなじみやすいかもしれません。悪くいえば古くさい曲なのですが、何故かホットさせられる面もあって、個人的には好きな感じです。
コンサート中の演出として、例えば「Basikal Tua」という自転車をテーマにした曲では、相当太り気味の「彼女」を「彼氏」が自転車に乗せて走ろうとしても上手くいかず、代わりにシティを載せたら上手に走れて太った「彼女」がムッとするというコミカルなシーンがありました。また「Hujan」という曲ではシティが観客の女の子をステージに上げ、ベンチに座って一緒に傘に入るという場面がありました。これはhujan(雨)というタイトルにそった演出ですが、実はスディルマン自身がステージで同じ演出をしていたという事実があり、シティはそれに習ったということのようです。このコンサートでは随所に「スディルマンの行動を踏襲をするシティ」という構図があって、シティが中盤で着たマレーシア国旗をモチーフにした衣装にしても、スディルマンもかつて同じような衣装を着たことがあったようですし、コンサートプログラムの中では彼と同じポーズで写ったシティの写真もあります。そういうシティの姿勢の中に、彼女にとってのスディルマンの存在の大きさが感じられます。
コンサートの最後ではステージのスクリーンにスディルマンの葬儀の映像が流れ、それにあわせてシティが切なく歌い上げるという演出からフィナーレに移ったわけですが、正直スディルマン自体をろくに知らない筆者にも胸に熱いものがこみ上げてしまいました。
全体的にシティはスディルマンの功績を観客に伝えるという姿勢を貫いていて、自分の色をだいぶ抑えていた印象がありますが、今回に限っては追悼コンサートであるという意味でそれが正解だったと思います。
とはいうものの、シティは9回も衣装替えをしていますので、その辺はさすがという感じでしょうか。
そうそう、やはりこれだけ多くの他人の曲を歌うからなのか、ステージから見て正面の壁にそれぞれの曲の歌詞がでる画面がありました。やはり間違えずに歌うためには必要なのかな?
ところで、4日間のステージということでしたが、情報によると日によって演出や曲に若干の違いがあったようです。また最終日は昼間の公演だったのですが、コンサートの後サイン会もあったようで、どうやらそこでかなりオイシー思いをした日本人ファンもいたみたいです。
今回は残念がら写真を撮ることができなかったですし、このコンサートが映像化されるということも難しいと思います。ただ、1999年のkonsert Liveの中でもシティは5曲スディルマンの歌を歌っていますので、VCDをお持ちの方はそれをご覧いただければ雰囲気はわかると思います。
というわけで、いつもとはまた違った印象のシティのステージでしたが、個人的には感動的な素晴らしいコンサートだと感じました。
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