*CT jayaうらばなし*

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2002.5.8 入院の話
いや〜、いろいろご心配おかけして申し訳ありませんでしたが、昨日なんとか退院することができました。こんな状態になったのは今まで生きていて初めてのことで個人的にかなり参ってしまったのですが、とりあえず無事に病院をでることができたのはよかったと思っています。
本来ならこのゴールデンウィーク中にこのコーナーを更新しようと考えていたのですが、とりあえず近況ということで入院したいきさつなんかを書いてみたいと思います。シティネタでなくてスミマセン。(苦笑)

マレーシアから帰国後3週間の休暇をとったわたしは、3月の終わりから仕事に復帰しました。マレーシア関連の仕事になるであろうという当初の目論見はまんまと外れて、都内某所に位置する会社の営業所に回されてしまいました。今まで工場の現場で比較的技術系の仕事をしてきたので、今回配属になった営業の仕事というのはだいぶ畑違い。正直なところ業務内容もよくわかってないので、はっきり言って「新人君」です。もう30も過ぎるとこういう状況はツライっスね。
それでもどうにかそれなりに毎日を過ごしてきたのですが、体は相当疲れ切っていました。そういう状況の中で迎えた連休だった訳です。

写真:マレーシア支部
連休初日、これまでの疲れを解消すべくかました爆睡から目覚めてみると、どうにも体がだるい。寝過ぎたせいなのかとも思ったのですが、しばらくするとすさまじい悪寒が全身を覆いました。ヘンだなと思いつつ熱を測ってみたらなんと40度。こりゃだめだということで熱冷ましの薬を飲んでまた布団に逆戻り。しばらくすると熱も下がってやれやれと思っていたら、突然おなかに激痛が走り七転八倒の大騒ぎ。さすがに耐え切れなくなってきたし、歩くことも困難になってしまったので、弟の車でまずは夜間休日診療所へ送られました。ところがそこでも激痛を訴える患者の症状にお手上げ状態。そうこうしているうちに血圧が異常に下がってしまい意識も遠ざかる。こりゃいかんということで救急車が呼ばれて大学病院送りと相成ったわけです。
この時点でのわたしの記憶はあいまいで、断片的にしか覚えていないのですが、各種検査を経た後、結果的に鎮痛剤と抗生物質で様子を見ようということになって、そのまま絶対安静患者用の病棟に送られたというわけです。

入院2日目、緊急事態を脱したわたしは一般病棟に移されますが、3日ぐらいは熱が下がらずだいぶ苦しい状況でした。医師の話によると腸内の炎症が収まらないせいだということでしたが、このころは異常にのどが渇いて仕方なかったです。食事はもちろん水を飲むことすら禁じられていたので、かなり辛かったです。基本的な栄養は点滴で補っているとはいえ、ちょっと歩けばフラフラするし体力が落ちているということを実感しました。
その後徐々に体調が戻ってきまして、入院6日目の5月3日にようやく水分を取ることを許可され、翌4日から食事も始まった次第です。最初に食べた薄味のお粥は実に感動的だったです。生きてるって感じですか。(笑)
そして点滴もとれ腹部の痛みを無くなったことで、主治医から退院の許可がでてめでたく退院となりました。今もやや体力に不安は残るものの、ほぼ普通の生活に戻りました。会社にはまだ行っていませんが、明日ぐらいから出勤する予定です。

しかし何ですな、普段はまったく考えもしませんが、健康というのは大切ですね。入院中は若い看護婦さんが面倒みてくれるとはいえ、トイレすらベッドの上でやらされそうになったりすると、正直情けなくなってきます。
皆様も健康には十分ご留意ください。
ではでは。

2002.3.10 帰ってきましたな話
どうも。日本に帰ってきてからもう10日ぐらい経ちますが、いまだにボーッとした毎日を過ごしております。一応会社からは3週間の休暇をもらったのですが、あまり有効に使ってないですね。最近になって、ようやくコンピュータ周りの環境が揃ってきたので、そろそろ更新を再開せにゃならんなと思い始めています。

写真:Kennyさん
そうそう、明日はシティの新譜の発表会がクアラルンプール郊外にあるワン・ウタマというショッピングセンターで行われます。って、違った。それは今日でしたね。明日は正式な発売日でした。イカン寝ぼけているな。(^^ゞ

さて、帰国したということで、近所のCDショップを覗いてシティのCDを探してみました。わたしの実家は神奈川県の厚木という町の近くなのですが、それなりのショップでも残念ながら見あたりませんでした。やっぱり都内まで出ないと手に入りにくいのかなという感じですね。今回の新譜が日本でいつ頃から売られるのか分かりませんが、それをゲットする方法もちょっと考えないとイカンですな。

ところで、この3月7日にマレーシアのA氏とS氏がシティにインタビューしました。まだその内容はこちらに届いていませんが、いずれその内容もCT jayaでご覧いただけると思います。乞うご期待というところです。個人的にも楽しみです。 ではでは。

2002.2.28 帰国直前な話
というわけでマレーシア滞在も後24時間を切りました。
この2年足らずの間にわたしの生活環境は激変しました。もちろんこのサイトを作ったからです。もしシティについてこれほどのめり込まなければ、多分イポーでダラダラとつまらない生活をしていたのでしょう。しかし、いろいろな方々の助けがあり、そのままでは経験できないような貴重な体験をすることができましたし、何よりも、ここにこれほど多くの人が集まってくれるようになったことが、飽きっぽいわたしの生活に変化を与えた最たる理由なのでしょう。関係者の皆様、本当にありがとうございました。
帰国すると、さすがに今までのような生の情報を得ることは難しいとは思いますが、在マレーシアの方々の助けを借りながらできるだけ今までのようなスタイルで更新していきたいですね。

帰国後も、シティに関連していくつかやらなければならないことがあります。その準備はそれなりに進めていますので、いつかその件についてお話しできるかもしれません。
新作も近く発売されるはずですし、どうやらビデオクリップの制作も進んでいるようです。これから春にかけていろいろ動きがあるはずですから、その辺を楽しみにしていこうと思います。

しかしなんですな。これでトータル4年半以上の滞在になったわけなんですが、いまだに帰るという実感がわいてきません。これはどうしたことなんでしょう?
さすがに成田に着けば変わってくるかもしれないですが、実に複雑な心境です。果たして、日本で無事社会復帰ができるのか不安ですね。ハハハ。
それはともかくとして、日本でも皆様よろしくお願いします。(._.)オジギ

2002.1.11 シティの誕生日にかこつけた話
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。もう松の内もすぎてしまい、お正月も何もあったもんぢゃないのでしょうけどゴメンなさい。
昨年の11月末に引越をしたのですが、新しいうちに未だに電話回線がありません。そのためどうもこのサイトの更新も遅れ気味で四苦八苦しています。こういうインフラに対するサービスという面では、マレーシアはまだまだだったりします。

さて、トップページでも書きましたとおり、今日は我らがシティのお誕生日です。昨年は『safa』の発表を兼ねたパーティが開かれましたが、今回はそういう催し物は聞こえてきてません。
その代わりBBSで触れたとおり、新作のレコーディングの話が入ってきました。このタイミングだと、当然昨年中から曲作りが始まっていたはずなのですが、その辺は伏せられたままこの時期にいきなり発表されたようです。早ければ2月上旬にリリースされると聞いてますので、おそらく今の段階で残された作業は歌入れとトラックダウンだと思われます。1年ぶりの新作ということになりますから、楽しみにして待ちましょう。

さて管理人個人のことですが、マレーシア滞在も残すところ後一月半ほどになってしまいました。就労ビザの後始末や荷物の整理などが徐々に始まっています。
率直なところ、4年半にわたるマレーシア生活が終わってしまうこと自体何となくさみしいですし、何にもましてこのサイトのことが気がかりです。まぁ、IT時代だそうなので、国境を越えて情報をまわすことは容易いことになってますから、インターネットでシティ情報を集めるのも何とかなると思っています。直接シティを見られなくなるのは残念ですが、メディアとテクノロジーを駆使することでその穴を埋めることもできるかもしれないです。
いざとなれば飛行機に乗ってまた来てしまえば...って、簡単にはいかないか。(笑) とにかく、残された時間はわずかなので、やれることはやっておきたいなと思う今日この頃です。
では、今年もCT jayaをよろしくお願いします。(._.)オジギ

2001.12.29 年末のご挨拶な話
各種メディア上でもすっかりそういうネタばかりですけど、今年もとうとう押し迫ってきましたね。一年前のこのコラムでも年末のご挨拶をしたのですが、今年ももうそんな時期だったんですね。
マレーシアにいると、どうも日本のような年末とお正月の盛り上がりに欠けているので、管理人もイマイチそういう心境になっていません。もっともこの12月はハリラヤプアサからクリスマスと後半にかけて休みが多かったので、それなりにホリデイ気分に浸っていたのは事実なんですが。

ラマダン中に行われたイベントより
写真:Kennyさん
さて、CT jayaもこの1年、お陰様で日本はもとよりマレーシア国内やシンガポール、ブルネイ、インドネシアといった様々な国の皆様からご覧いただけたようで、管理人としては感謝の気持ちでいっぱいです。もちろんCT jayaがこれだけ更新できたというのは、シティがこの1年、『safa』のリリースに始まり、5月のNHKの『ASIA 2001』出演、6月のコンサート・メガ、VCD『safa』の発売などなど、精力的な活動をしてきたおかげです。シティあってのCT jayaですから当然ですが、まずは彼女に感謝の意を捧げたいと思います。
「Terima Kasih SITI! Aku Cinta Padamu!」(^^ゞ
また、そういう数々のイベントに参加する機会やサイト更新のための各種ソースを提供していただいたマレーシア在住の皆々様のおかげでもあると思っています。この場を借りて改めて感謝したいと思います。
「みんな、ありがと〜!」(^_^)
とはいえ、管理人の駄文がご覧になっている皆様に、どこまでシティの情報をお伝えできたのか、やや心配ではあります。それでもこのサイトの更新を楽しみにしてくれる読者の皆さんにも、
「Terima Kasih Banyak-banyak!!!」ヾ(^v^)k

ところでBBSの方ではすでに触れておりますが、管理人は来年2月いっぱいで日本に帰国することになってます。何らかの突発的事態が発生しない限り、間違いなく帰国するはずです。
そうなると今までのようなレポートを書くことが出来なくなってしまいますが、その点はマレーシア在住の強力な助っ人様に一肌脱いでいただこうと思っていますので、ご心配なく。(って書いちゃったけど、いいッスよね?)
管理人としては、今度は日本からシティを見ていくという視点でこのサイトを更新していこうかと思ってます。そう意味では今までとは少しスタイルが変わっていくかもしれませんが、その点はご容赦くださいませ。

さてさて、結局宇宙の旅も実現することもなく、何かと気の滅入るような話題の多かった2001年も幕を閉じようとしております。次の年が少しでも明るく楽しくあるように、また我らがシティに更なる飛躍がありますように、このサイトを見ていただいているあなたにより多くの幸せが訪れますように、ついでにCT jayaがより発展することを願って、年末のご挨拶とさせていただきたく思います。
それでは皆々様、よいお年を〜(^^)v

2001.11.4 女王様と会った話(一部フィクション)
曇りがちな10月の午後、携帯電話が鳴った。電話の主はKLのD氏。
「実は今度の土曜日、女王様に会うんですけど、一緒にどうですか?」
あまりに突然の申し出であったせいか、一瞬返答に窮してしまった。土曜日といえば昼間仕事をしている日である。しかも翌、日曜日も朝からの仕事になる。普通に考えれば、片道3時間近くもかけてKLに出向くことは不可能に思えた。
「それって、何時からなんですか?」
こりゃ行けないなと思いながら、わたしは聞き返した。
「夜10時からのラジオの番組に一緒に出演することになったんで、その辺の時間です。」
「ラジオ?」
いぶかしげに聞き返してしまったかもしれない。ことのあらましはこうである。
D氏の知り合いにラジオのDJ女史がいるらしいのだが、その人物のはからいで、彼女の番組の中でD氏が女王様と対談するという企画が持ち上がったのである。
女王様といえば、これまで何度かそのステージをこの目で見たこともあったし、まったく興味がないわけではない。夜の話なので、仕事が終わってからKLに出向いて、また帰ってくれば仕事に穴を開けることもなさそうだ。
「なるほど。日帰りという形であれば、仕事の後で行けそうですね。ご一緒する方向で検討します」

常夏のマレーシアにしては珍しく冷たい雨が降りしきる土曜日の夜、わたしはKLに向けて車を走らせていた。天気が悪くなるだろうという予想のもとに、フロントガラスに処理した撥水性の液体ワイパーはいつもより明確な視界をわたしに提供してくれた。
前日の電話で夜の8時過ぎにはKLに入れるだろうという連絡をD氏にしていたが、8時前にはKLの料金所を抜けることができた。そのままD氏との待ち合わせ場所である、彼の自宅に向けてステアリングを切る。
しばらくしてわたしは一つの異変に気がついた。
「道、間違えちゃったなぁ...」
雨に濡れたKLの街並みはわたしの方向感覚を狂わせたようで、すでにD氏の自宅とは反対方向に車を向けてしまっていたのだ。
一旦表通りから、人影もまばらな住宅街に車を乗り入れD氏に電話かける。
「スミマセン、道を間違えちゃったみたいなんでちょっと遅れます。」
「そこどこだか分かります?」
「さっぱりわからないんだけど、戻れば何とかなると思うんで、分かるとこまで来たらまた電話します」
車をUターンさせ、来た道を引き返す。ほどなくどうやら以前も走ったことのある通りに出ることができた。そしてようやくD氏と合流。
「RTM(マレーシアの公共放送局)でしたよね?」
「夕飯は後で考えるとして、とりあえずRTMに向かいましょうか。女王様を待たせるわけにはいかないですし」
わたしは再び冷たい雨のKLに車を走らせた。
しかしこのちょっとしたトラブルがこの日の悲劇のプロローグであったことは、本人達は知るよしもないのである。

RTMは今年5月のNHK主催の音楽祭「Asia2001」の舞台になった場所である。KLの中心街から20分ほど行ったところにある。建物そのものは大きな通りに面しているのだが、その入り口は裏手の通りにあり、メインストリートからは入れない構造になっている。5月に行ったときは、その入口を発見するのにとまどった覚えがある。その経験があったせいか、メインストリートを避け、古くからの通りを行った方がよいと判断したわたしは、あえてバイパスを使わない方法を選んだ。
途中予想と違う通りに出てしまい四苦八苦したが、結果的にメインストリートに出ることに成功した。ところが大きな落とし穴があったのである。
5月に来たときに迷いながら通った工事中の道路が、いつの間にか完成し有料道路になっていたのである。しかもKLに戻る方向に道が続いている。
ここまでいくつかのミスが重なり遠回りしていた上、道も混んでいたため思ったよりも時間がかかっていた。さらに新しい道路はわたしの方向感覚を完全に狂わせてしまい、ようやくKLの中心街に戻ったときにはすでに9時半をまわっていた。しかも未だに道順がはっきりしない状態である。
「こりゃ、間に合いそうにないッスね、10時に」
平静を装いながら、わたしは汗ばんだ手でステアリングを握る。
「さすがにマズイッスね」
D氏は焦りを隠しきれない表情でそう言うと、おもむろに電話を取り出し今回のアレンジをしてくれたDJ女史に連絡を取り始めた。
「いろいろ教えてくれるんですけど、ここなんて通りかわかります?」
D氏の問いに、
「全然...」
かすかな記憶とあやふやな方向感覚の中でわたしは素っ気なく答えた。
「一応待っててくれてるんですが...」
D氏も徐々に緊迫してきた。

しばらくすると、奇跡的にRTMの入り口のある通りに出ることができた。しかし、走っている方向はまったく逆。普通ならすぐにUターンするところなのだが、中央分離帯に阻まれてそれができない。
信号のある交差点にさしかかる。Uターン禁止の表示は幸運にも出ていない。わたしはタイヤを軋ませながら180度の旋回を敢行した。
「後はここをまっすぐ行くだけです!」
時計は9時55分。もし今RTMのゲートをくぐっても、番組自体にはどう考えても間に合わないが、とにかくた急ぐことが大事だった。
そしてようやく、やっとの思いでRTMにたどり着いたのである。

ゲートの守衛に車の乗り入れを禁じられたため、仕方なく外の駐車場に車を止めた。訪問者のパスをもらいゲートの内側に駆け込んだのもつかの間、
「ところで、今日はどこで女王様と会うの?」
「確かこっちの方だったと...」
自信なさげにいうD氏の後に付いていくと、ガードマンに呼び止められる。
「どこへ行くんだい?」
「ラジオの収録で来たんだけど、スタジオは...」
「それならあっちだよ」
ガードマンが指さしたのは我々の向かう建物とは反対方向。
来た道を駆け戻ったが、相変わらずどの建物が目的地なのか判然とない。再びD氏がDJ女史に電話する。
「あっちだ!」
坂の上にある建物を指さしたD氏は走り出した。わたしも遅れじと後につづく。
そして、建物の前で待ちくたびれたDJ女史と合流。時計をみるとD氏の自宅を出て2時間近くが経過していた。

DJ女史に促されて建物の中に入る。
すると我々を待ち続けていたスタッフが迎えてくれた。その中にはSRCのB氏、女王様の事務所のH氏がいた。D氏の後で彼らと握手をした、肩で息をするわたしはもう一人の首から携帯電話をぶら下げた女性と握手をした。
「ノラニザです」
「あぁ、どうも...」
脳内酸素量が不足気味だったわたしは彼女の言葉の意味をしばらく理解できなかった。一瞬の間の後に、わたしは驚愕した。
(今の人が、あの女王様だったのかぁ〜!)
わたしの驚きをよそに、D氏と女王様はスタッフと一緒にスタジオに向かって歩き出していた。

オンエア中の女王様
時間はすでに10時10分。オンエアの時間からは10分も過ぎている。しかしそんなことを気にかける様子もないDJ女史は、小さなスタジオの中に我々を案内し、今日の簡単な段取りとマイクの使い方などを説明する。
「この曲が終わったら始めるからね」
人が3人も入ればもう一杯のスタジオの中で番組の始まりをしばし待つ。わたしの息もすでに平常状態に戻っている。D氏は緊張の面もちだ。
「ハーイ、皆さんこんばんは。今日はスタジオにあのノラニザ・イドリスと日本人のお客様が来てくれました。今日はイラマ・マレーシアについて二人でいろいろ語ってもらいます」
そうやって番組が始まると、D氏はあらかじめ用意して置いた質問を女王様に投げかけ、女王様もそれに真摯に答えていく。女王様からも日本での伝統歌謡に関する質問がD氏に出され、彼もそれに緊張しながら答えていった。
途中、聴視者からの電話コーナーがあったりして、たとえ遅れて始まったとしてもちゃんとした番組の様相は呈していた。
この日のメインイベントはD氏と女王様のアカペラ・デュエットだった。曲はもちろん女王様の曲で「Dondang Dendang」。さわりの部分だけであったが、おそらく女王様とデュエットした日本人というのは後にも先にもD氏だけであろう。

こうして番組はどうにか無事にオンエアされた。
オンエアの後事務所のH氏が
「サインをもらってあげようか?」
と言ってくれたので、D氏は持ってきた女王様のCDのジャケットにサインをいただいていた。わたしもついでに、持ってきた日本で購入した女王様のアルバムにサインをいただいた。わたしの持っていったCDには、日本語の解説が入っていたのだが、それを見た女王様とH氏は驚きと喜びの表情を浮かべていた。

記念撮影。右のモザイクはわたし
帰りがけ、SRCのB氏が
「車はどこに置いてあるんだい?」
と訊く。
「下の駐車場です」
D氏が答えると、女王様が
「じゃあ下まで一緒に乗っていったらいいわ」
と、なんとも優しい言葉をかけてくださった。
大人5人が乗るにはちょっと小さめの車であったが、まさか女王様と同じ車に乗れるとは夢にも思わなかった。駐車場での別れ際、
「今日は本当にありがとうね」
と女王様。
「こちらこそありがとうございました」
「気をつけて帰ってね」
「ありがとうございます。彼はこれからイポーに帰るんですよ」
というD氏の言葉に、女王様は「え?」と驚いた顔をしてわたしを見た。
「遠いところから、ありがとう。気をつけてね」
なんとも胸を突く女王様のお言葉である。

イポーへの帰り道、霧のかかった高速を流しながら、その日の出来事を振り返ってみた。もし道に迷うことがなければもっとゆっくり女王様とお話しできたのにと、本当に悔やんでも悔やみきれない忸怩たる思いが胸に渦巻く。しかし、女王様を待たせた不届きな日本人に対して、あんなにも優しく接してくれた彼女の心遣いは本当に嬉しかった。 それにしても、マレーシアの伝統文化を伝えていくことが自分の使命だと言い切ったときの女王様の真剣な眼差しが印象的な夜であった。
次は我らの姫だな...

2001.8.22 残暑お見舞い申し上げますな話(?)
いや〜、ここのところ本業の方が妙に忙しくってすっかりサイトの更新をサボっております。コンサート・メガ以来、CDの発表以外に目立った話題がなかったというのも理由の一つですが、忙しさにかまけて更新できなかったというのが一番でしょう。
それにしても、こういう更新しない時期が続くと当然のようにCT jayaのアクセス数も減ってきます。5月や6月はAsia2001ミュージックフェスティバルやコンサート・メガのおかげで今までにないくらいのアクセス数でしたが、7月後半当たりから何となく数字が落ち込んでしまいました。まぁ、それはそれで仕方ないかなと言う感じです。ホントはこういうスタンスではいけないのかもしれませんが...

こんな広告がそこかしこに...
このサイトとは全然関係ないのですが、先日筆者の両親がマレーシアにやってきました。筆者ももう4年マレーシアにいますし、いる間に一度来てみたらという話が実現した形になります。
さて、久しぶりの親子会談の中で、なんとうちの父がシティのCDを時折聞いているという事実が発覚しました。実は今年の4月に帰国したときにシティのCDを何枚か実家に置いてきたのですが、それをちゃんと聞いていたのです。
母も曲自体はともかく、「シティちゃんはカワイイね」という発言をし、なんだが親子でファンやってんのかぁ?という状況になりつつあるようです。

さて、一応シティネタを一つ。
ペナン在住の方ならご存じかと思いますが、ペナン島のジョージタウンのそこかしこにMaybellineの広告が出ています。化粧品売り場以外に、他の場所で見た記憶がないのですが、他の町にもあるのかしらん?

今月末はマレーシアの独立記念日です。昨年はセパンサーキットでのイベントに出演したシティでしたが、今年はクアラルンプール・シティ・センター(KLCC)でのイベントに出演するようです。CT jayaとしては万難を排して取材してくる予定です。

2001.7.29 コンサート・メガの思ひ出
早いもので、コンサート・メガが終わってからもう一ヶ月が経とうとしています。コンサートそのもののレポートはあそこで書いたとおりなので、今回はあの日のことについて少々雑感でも...

今回のコンサートで一番緊張したのが、日本からいらっしゃるファンの受け入れです。まあ実際には二人の方をご案内するだけだったのでそれほど大したことではないのですが、やっぱりわざわざ日本からいらしたのですからちゃんと楽しんでもらいたいし、よい思い出を作っていただきたいですからね。結果的にどうだったかはご本人達に聞いてみてください。(笑)

写真:アサ・ネギシ
コンサート会場には車3台に分乗して移動したのですが、会場周辺についたらモノスゴイ渋滞。駐車場には入れるのかどうかちょっと不安になりましたが、どうにか車を止めることに成功しました。
そこから会場まではちょっと距離があって、10数分は歩かなければなりません。途中には食べ物の屋台が結構出ていて、まさにお祭り気分。食べ物屋に交じって、(多分アンオフィシャルな)シティ・グッズを売り歩いている人もいます。
汗だくになりながら会場に着くと、入り口付近のチケット売り場には長蛇の列。この感じだと当日チケットを買っても入れたのかもしれません。またオフィシャルなのかどうかはっきりしませんが、Tシャツなどのシティグッズを売っているテントも立っています。

話は違いますが、当日我々CT jaya部隊は、筆者と日本からの二人、シンガポールから駆けつけたS氏とインド出張を切り上げてきた(?)Sさん、以前パラリンピックの取材でも同行したM嬢の6人編成。これにNMプレスのA氏とそのアシスタントさん(?)が加わって、結局8人という大所帯になりました。
これだけの人が集まるんだから、CT jayaも大したものです。(笑)
ちなみに、あの日のコンサートに一体どのくらいの日本人が集まっていたのでしょう。正確なところはまったくわかりませんが、CT jaya部隊で7人(8人中1名はマレーシア人だったので)、他に確実なところで3人はいたはず。さらに会場で他にも4、5人ほどの日本人のグループを見かけましたので、最低でも15人はいたはず。おそらく他にも見にいらした方がいたと思いますので、20人以上の日本人が来ていたのではないでしょうか。

さて会場にはいるに当たって、今回驚いたこと。
まずミネラル・ウォーターのボトル持ち込みが禁止されていたこと。よく理由はわかりません。
もう一つはカメラ・ビデオ類の持ち込み禁止です。マレーシアの場合、あまりそういう部分での規制は厳しくないのが普通なのですが、今回のコンサートではかなり厳重にチェックされていました。実際係員にカメラを預けさせられた人もいましたし、筆者も没収されそうになりました(係員が三脚の存在には気がついたけど、カメラの存在には気付かなかったみたい。それはそれでマヌケな話)。さらにコンサート中も係員がよく監視していて、写真を撮ったりビデオ撮影をしている観客に対して注意を与えているシーンもよく見かけました。
これは明らかに海賊版対策です。ビデをで撮影したものをコピーして販売しようとする業者がいますので、そういう非合法行為に対する対抗策なのでしょう。
今回コンサートからわずか1週間後にテレビでコンサートの模様が放送されたのも、海賊版として販売される映像の価値をゼロにする目的があったものと思われます。
それはともかく、そういうわけで今回のコンサートの写真を撮影することができなかったので、レポートの写真は全てプレスとして会場に入ったA氏から頂くことになったわけです。まあCT jaya部隊が座っていた席から仮に撮影を試みても、あれだけの画像を得ることはできなかったと思いますけど。

写真:アサ・ネギシ
コンサートの詳細についてはレポートのところで書きましたのでそちらを参照していただければいいのですが、個人的な感想を書いておきましょう。
今回一番感動したのがやはりタン・スリが登場したシーンですね。あの場では一人で騒いでしまいましたし、後にテレビで見たときも胸が熱くなってしまいました。
他にはアトラクションが多かったのが一番印象的です。テーブルマジックや本人が消えてしまうという大がかりなマジックはそれはそれで楽しかったと思いますが、ちょっとサービス過剰のような感じもあります。確かに事前にシティはみんなを驚かすようなショーになるという発言をしていますし、実際驚いたのですが、何となく違和感があるような気がしています。個人的にはシティの歌そのものをじっくり堪能できるようなステージにして欲しかったです。
もちろんコンサートを盛り上げるための様々な演出を目の当たりにして、筆者も素直に楽しむことができましたし、シティのキャパシティの大きさを賞賛したいと思っています。今回のステージをコンサート以上の一つのエンターテイメントとして考えれば十分に満足のいくものであったと思いますから、一つのアプローチの方法として今回のコンサートを認めないわけにはいかないでしょう。

ところで、コンサートが終わって会場を後にしたのは深夜12時過ぎ。記者会見のために会場に残ったA氏が戻ってきたのが1時過ぎぐらいでしたか。その後CT jaya部隊は揃ってKLに戻り恒例のテ・タレ・タイム。要はお茶の時間ですね。
結局そのまま4時近くまでみんなで話し込んでしまいました。その日の朝早く一人日本に帰る人がいたにもかかわらず、ついつい...
とにもかくにもそういう時間も含めて、この日は実に楽しくて有意義な一日だったわけです。(^^ゞ

2001.6.16 チケットの話
6月30日、2年ぶりのソロコンサートが行われることになりました。CT jayaとしては何が何でも(たとえ仕事を休んでも)行かなければならないということで、そのチケットを入手することにしました。折しも今回のコンサートのために日本からやってくる人もいらしたので、その方々の分も購入することになったのですが、今日はその顛末でも。

紆余曲折の後にやっと手に入ったチケット
チケットの購入方法については早い段階からオフィシャルページでアナウンスがありました。そのため5月末の時点でチケットの販売店としてあげられている店にアプローチを仕掛けたのですが、6月に入ってからでないと買えないという返答でした。
その後具体的な発売日が6月5日という発表があり、その日に備えて購入のための段取りをつけはじめました。5日の日は昼間仕事だったので、ローカルの人間に頼んで、イポーでのチケット販売店に行ってもらうことにしました。ちなみに買おうとしているのは最高金額RM250の席です。

ところが当日になって、販売店に行ってもらったローカルの彼から連絡が入りまして、まだチケットが届いていないといいます。この時点で次の手を打っておくべきだったのですが、後日手にはいるからという言葉をそのまま鵜呑みにしてしまったことが失敗の原因でした。
数日後頼んだローカルの彼の元に、販売店からチケットが届いたという連絡が入りました。早速彼はお店まで行ってくれたのですが、そこでまたトラブル。なんとRM250の席は金額が高すぎるからイポーには入ってこないと言われたらしいのです。「KLなら買えるんじゃない?」と言われた彼は、すぐに連絡をよこしました。
一旦彼を自宅に呼んで事情を聞き、仕方がないので、KLの販売店に電話してもらいました。するとそこでもRM250のチケットは扱ってないという返事。そのチケットを買うならここに電話しなと、ホットラインの電話番号を教えてもらっただけ。
このホットラインの予約番号は、すでに発売される前からわかっていたのですが、支払い方法や受け取り方法などが今ひとつはっきりしなかったので避けてしまったという事情があります。どうせイポーで買えるなら何も電話しなくたって...と思ってしまったのです。 その日はちょうど日曜日だったので、案の定ホットラインはお休み。
仕方がないので、次の日そこへ電話をかけてもらったのですが、やはりRM250のチケットはすでに完売という答えでした。

結局最初に足を運んでもらったイポーの販売店にまた行ってもらって、ようやくRM150のチケットをゲットしたというお話。
それにしても、RM250のチケットがそんなに入手しづらいとは思いませんでした。店頭販売がないというアナウンスがあったのかどうかも怪しいのですが、その辺もうちょっとチェックするべきでした。
まぁでも、無事にチケットがゲットできたのだからよかったと言えばそうなのかな?

2001.6.13 Asia2001の話
先日ようやくAsia2001のレポートを公開しましたが、お楽しみいただけましたでしょうか。今月22日のNHK BS2での放送の際に多少なりとも参考にしていただければ嬉しいのですが...

さてあの日のショーに関連していくつか。
レポートの中でも触れましたが、とにかく一番驚いたのは今井絵理子やDA PUMPのマレーシアでの人気ぶりですね。というより、中国系の間での人気ぶりというところでしょうか。

あそこでも書いたとおり、普通のマレーシアンチャイニーズは大抵香港の歌手を中心に音楽を楽しんでいるようで、それは時折放送される香港のバラエティー番組(それらの内容はやっぱり日本のそれによく似ている)や香港アイドルに多くの紙面を割いた新聞や雑誌を見ればわかります。また近所のナイトマーケットを覗いてみれば、香港のアーティストのCD(海賊版)が格安で手に入りますから相当身近な存在のようです。わたしの身の回りの中国系もはっきりと「マレーシアの音楽は聴かない」といいます。「じゃあどんなの聴いているの?」と訪ねるとほとんどが「香港の曲とか(欧米の)英語の曲」と答えます。
一方、香港や台湾で日本の歌手が結構の人気のようですが、そうした情報はやはり新聞や雑誌をとおしてマレーシアの中国系の間にも広まっています。雑誌の中にはわざわざ日本の歌手やアイドルのためのコーナーを設けて情報を提供しているものありますし、「日本語を覚えよう!」なんていうページもあったりします。
しかも最近フジテレビとマレーシアのテレビ局が提携を結んで日本のドラマが数多く放映されていますし(従来は吹き替えものばかりでしたが、最近は日本語のまま放送されていて、マレー語の字幕が入ります。)、そもそもVCDでは数多くの日本のドラマが入ってきていて、それらをレンタルして楽しんでいる人も多いみたいです。
こうして考えてみると、日本のアーティストがあれだけ受け入れられる土壌がすでにできあがっているのかもしれません。

それだけ日本のアーティストが受けられるというのは日本人として喜ばしいことであるのですが、今回のAsia2001で見かけた中国系ファン達の行動はちょっとあきれてしまったというのも事実です。
とにかく日本人アーティストが出てきたときの騒ぎようはものすごい。日本のアーティストとマレーシアのアーティストが司会者を交えて話をするシーンがいくつかあったのですが、話なんてそっちのけでひたすら日本のアーティストの名前を叫び続ける。例のデュエットの時もせっかくLizaが歌っているのに、「エリコー!!!」コールは止まないし。その騒々しさに、マレー語のメディアの記者が呆れながら振り向いていたぐらい。
極めつけは、トリ前のダンスボーカルグループの出番が終わった時点で帰ってしまった連中。そんな彼らが今回のショーのコンセンプトを理解していたとは思いませんが、ちょっと残念な行動でしたね。

でもそんな困ったファンばかりではありません。ショーの後にたまたま話した中国系の女の子は、なんとこの日のショーのためにわざわざタイからやってきたというのです。お目当てはやっぱり今井絵理子。今井絵理子のCDを抱えながら恥ずかしそうに話す彼女のおかげでイヤな気分もちょっぴりすっきりしました。

ところでショーの後、実はシティに接近できるかもと思って、しばらく通用口で張っていたんです。その通用口からはマレーシアのアーティストが次々出てきたのですが(もうちょっと行くのが早かったらLizaと話せたかもしれなかったのですが、Lizaは足早に帰ってしまった)、シティはちっとも出てきません。
KOOLとRabbaniはすぐに出てきましたが、周りに人がたくさんいるのに誰からも声をかけられていなかったのがちょっと哀しい。まあ彼らもステージから下りるとその辺の兄ちゃんみたいな感じで、バイクにまたがって帰っていきました。
その辺Erra Faziraさすがで、出てくると数人のマレー系の女の子達に囲まれてサインをねだられていました。
その通用口ではどうもシティ目当てのファンが30人ぐらい待ちかまえていたみたい。しばらくしてシティが出てくるとドヤドヤと集まってきました。要領のいい二人のファンが早速シティを捕まえてサインしてもらっていましたが、この時点でスタッフがヤバイと思ったのか、シティはまた中に引き返してしまって再びそこから出てくることはありませんでした。残念...
後で聞いた話によると、別の通用口からさっと車に乗り込み帰っていったようです。

日本のアーティストはシティが帰っていった別の出口から帰っていきました。そこにも今井絵理子やDA PUMP目当てのファンが集まっていましたが、そこは天下のNHKが仕切っていますから、そういうファンはことごとく追いやられてしまいました。
数台のバンに分乗して日本からやってきたアーティストは宿に向かったようですが、島谷ひとみしか確認できませんでした。突撃しようにも、NHKの壁は厚かったです。

さてさて、今度のコンサートはどうなることやら...


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