山西大同緑化ツアー

7月26日から31日まで非営利活動法人・緑の地球ネットワーク(GEN)のワーキングツアーに参加した。GENのツアーは昨年夏に引き続き二度目の参加となる。 今年の参加者は25人ほど。私はちょうど前日の朝に緑家園のツアーから北京にもどってきたところで、26日は昼に北京環境ボランティアネットのみなさんと会食し、 その後、夜10時に北京駅で日本から到着した本隊と合流した。

<7月27日>

7:30

北京駅からエアコンの無い軟臥に乗って、朝ようやく大同駅に到着。大同賓館で朝食をすまし、一路、現場へ。

10:50

陽高県の小学校附属果樹園(中日合作希望果樹園)に到着。GENとは98年から緑化協力を開始。中日合作希望果樹園と称され、杏や桃が栽培されている。98年には野ウサギの害で打撃を受けたが、その後は成功している。陽高県は旱ばつや地震・水害など十年で八回の災害に遭っている。極めて深刻な貧困県のひとつである。緑化に際しては貧困対策のための経済性を重視して植える樹種を選定指定している。ここでは主に杏を植えている。杏子は四年で実が実る。植える京杏は干し杏に適している。売り上げは地主・学校に配分される。植樹には育苗の段階から日本の技術が導入されており、現地のものより30%成長速度が速いという。なお、植える際には現地の風の多くが東北風であることから東向きに枝を向けて植えるといいという。

希望果樹園(現場)          (数年前植えたところ)

14:40

匯衆希望小学校にて交流会。この学校は1996年に大同の企業である上汽集団が20万元、村が10万元を提供して作られた。先生10名が教鞭をとっている。二時間ほど縄跳びサッカー、ハンカチ落としや綱引き、さらに日本人による人形劇など子供たちと交流した。

16:45

陽高県少体校(体操の学校)をしばらく見学した後、この日は陽高県招待所にて宿泊

小学校の子供たち           校長先生のおはなし

<7月28日>

9:00

出発。朝早く、昨日から体調を崩されていた高見さんが離脱。私たちもあいにくの雨のため午前中に予定されていた作業は中止。残念だが、昨年のように旱魃で水不足になるよりはましか。

11:00

天鎮県人民政府到着。人口19万のこの県にはにつかわない立派な建物だ。天鎮県青年団書記の張氏の案内により周辺を散策。といってもデパートを物色する程度。

12:20

天鎮県東沙河村にて昼食。GENは去年からこの村と緑化協力を開始した。この村は天鎮県で二番目に裕福な村だという。当初、天鎮県ではほかのより貧困な村で緑化協力をしていたが、緑化が成功しやすい立地条件ではなかったことや、村との協力体制がしっかりしていなかったことなどでうまくゆかなかった。そこで、この比較的緑化がしやすい地理環境にあり、経済的にもやや裕福な村で手始めに緑化を成功させ、それをより貧困な村に広げて行くという手法を取ることとしたという。梨(鴨梨(洋なし))・杏を植えている。ここでの活着率は85%、もともとはトウモロコシ畑であった。杏は7・8年でトウモロコシの7・8倍の収入が期待できる。その7・8年はトウモロコシによる収入が減少するわけだから、その期間を乗り切れるだけの経済力が必要となる。

16:00

万里の長城へ。昨年の夏は新栄区の長城を見たが、今回は大同市の一番東の天鎮県のもの。途中、バスが通れなくなり、一時間ほど歩いて長城へ。霧の中の長城もまた趣がある。天鎮県温泉度暇村に宿泊

東沙河村役場             万里の長城

<7月29日>

10:30

天鎮県から二時間ほどで大同県聚楽郷の現場に到着(海抜1380m)。郷の書記の張さんはいつもにこにこしている大酒のみ。カササギの森の近くに位置しているため、昨年もこのまちに来た。ここがGENと緑化協力を始めて四年目。1999年から主に油松を植えているが、単植ではなくサージやモンゴリ松や灌木などとの混植を行っている。この日は春に植えた苗のうち枯れてしまったところに補植する作業を行った。植えたのはモンゴリマツ(樟子松)・アブラマツ(満州黒松)・遼東ナラ(遼東櫟)。一時間半ほど作業。作業後は恒例の中国人の人々との綱引き。なかなか勝てない。

15:40

遇駕山プロジェクト(海抜1300m)見学。中国政府がかつておこなった松林植林プロジェクトである。1984年に三北防風林プロジェクトのひとつとしてすすめられた。三年間で1000haに植林した。主にアブラマツを植え、ここの水土流出は改善されたというのが公式見解である。ただ、問題が全くないわけではない。95年にここで虫害が発生し、中国側は天候の問題とした。しかし、日本人研究者の見解では単一樹種の植林が招いたものと結論づけた。混合林にすると次の三つの問題が解決できる。まず、混植をすればある特定の虫の蔓延が防げる。第二、単一樹種の林だと保水力がなくなり、水源涵養林の形成がなされない(この問題点は内蒙古のエコツアーでも指摘されていた)。第三、マツの葉には油分が多くそれをきらう草は生えない、マツの葉は分解が遅く、腐葉土の形成が遅い。以上のような問題が指摘できる。しかしながら、もちろん日本のNGOが中国政府のすすめている緑化政策を無理に変更させることはできない。そこでGENではこれ以後、主体的に緑化協力をする場合には混植をすすめるようになったという。この日は聚楽郷の農家にホームステイした。

郷書記の張さん            綱引きで交流              遇駕山プロジェクト           ホームステイ先   

<7月30日>

9:00

聚楽郷から一時間ほどでカササギの森(喜鵲杜)到着。入り口でバスを降り、谷を散策。ヤナギ・ポプラ・サージが生育。昨年は全く川
の流れがなかったが、今年は雨がよくふったため、流れている。去年、白酒を飲んだあとに苦労してのぼったカササギの森の丘陵上へ。今年は楽にのぼれた。小屋の周囲には今年の春から本格的に植えられた植物がわかりやすく配列されている。楡・雲杉・マツ・ナラ(遼東櫟。多少大きくなってから植えた方がよい。二年生では早すぎ)、桧柏(ねず、ユニペルス。大きすぎ苗を植えてもだめ。大きいものはすでに枯れていた)。この植物群を抜けると、昨年同様、苗がどっさり待っていた。去年はあっけにとられたが、今年は午前中のため、まだ体力は残っていた。一時間ほど作業。作業も終わりごろ、高見さんが合流。

昼食はカササギの森の事務所でとる。ここにはカササギの森に寄付した方々の名前が掲げられています。上田信先生(立教大学)の娘さんの名前もしっかり載っています。このあと、自然林の散策が予定されていましたが、雨がふりそうだったので中止して、直接大同市内へ。途中、昨年緑化活動をした採涼山プロジェクトの現場を通過。かなり成績はいいらしい。このプロジェクトは大同事務局の武珍春さんが最初に手がけたものだそうで、きちんとアフターケアがなされているようです。私たちの植えた樹をきちんと保持してくださる現地の方々あっての緑化活動だと思う。

カササギの森(谷の下から)     (谷の上から)             現場にて             寄付した方の名前一覧 

15:00

大同市内自由行動。雨天のため、GENのツアーには珍しい市内自由行動だ。昨年は全くといっていいほど市内を見ていない。さっそく、大同市博物館へ。下華厳寺内が博物館となっている。化石・漢代雁門郡・魏都平城・遼金西京大同府・明清のブースに分けられている。やはり、北魏平城のところがもっとも大きい。漢代の遺跡には、渾源県華村西漢墓(1971年)、新平旺漢墓(1986-87)、郵電局工地出土陶竈・陶井など。北魏の遺跡には方山文明皇后馮氏墓石雕門眉・平城鎮将元淑墓・司馬金龍墓墓誌(騎馬俑あり)がある。雨の中タクシーを拾って九龍壁へ。たいして感動もしなかったが、雨の九龍もまたよしか。夕食は大同名物(?)の火鍋、大同賓館伯

九龍壁

<7月31日>

10:00

大同市内から一時間ほどで雲崗石窟到着。昨年も見た石窟をまた復習。武周山の岩に造られた石仏はやはり壮観。

雲崗石窟

12:30

地球環境林センター到着。ここはGENの指揮命令の中心。建物自体は昨年とあまり変わらない。ここ で昼食をとる。ここの食事がうまい。室内は暑いので外でたべる。

14:00

昼食後は高見さんにセンターを案内してもらう。本来ならばここで作業をするハズだったのだが、やはりぬかるんでいて作業不能となった。カエデ・ライラック・アイカイ(バラ科、ハマナスの類)・エンジュ・イブキ・ポプラ・トショウ・アンズ・ニレ(この地方では強い)・シンジュ(神樹、ニワウルシ、臭椿)・ヤナギハグミ(サージ、銀川にサージ研究所あり)・クコ・アスパラガス・ヒエ・コウリャン・金糸柳・マントウ柳・金葉エンジュ・ネム(あまり×)・銀杏(大同では育つが実はならない)・トネリコ・ニセアカシア・モクゲンジ(はねつきの頭)・石竹・ニラ。懐仁県にドイツのODAによるポプラの研究所があったが、今は閉鎖されている。その新品種の標本を買って、育てている。ポプラの見本園にしている。ミスト法の温室もあったが、この日は停電で見られず。このセンターには技術者の養成という目的もある。かつて敷地内にあった小学校の建物を改装して、技術教室として利用している。この後、予定ではビデオ『よみがえる森』を見る予定であったが、停電のため残念ながら見られなかった。

環境林センター(入り口)       (内部)                 (温室)

16:20

万人坑見学。媒峪口と呼ばれるこの地を訪れるのは昨年に続き二回目。昨年と違うのは大きな解説の看板が設置されたことだ。この坑には日本占領時に炭坑で強制労働させられていた中国人の死体が埋められている。白骨化しておらず、その表情からは、生きたまま埋められた人々もいたことがわかるほど、生々しい。大同での緑化活動には抗日戦争の犠牲者となった中国人とかかわりの深い現地の人々とどのように協力関係を築いてゆくかという極めて難しい問題が横たわっている。これまでのODAのように技術や資金を一方的に流すだけではなく、如何にお互いを理解し、理解させるのか。NGOだからこそできる国際協力のありかたを見つけることもGENの活動のひとつといえようか。夕食は大同賓館のレストランにてとる。ほかの参加者は夜の列車で北京へ。私はあと一日大同賓館に宿泊。

<8月1日>

北魏平城城壁跡見学。夕方16:30の列車で西安に帰るまで時間があったので、午前中は平城城壁跡を見に行く。あるガイドブックには白馬城というところにその一部があるとあったのでそこまでタクシーでゆく。30分ほどで確かに白馬城の物見櫓を発見。説明を読むとそこは真武廟観景台というそうだ。近くの住民に聞くと、かつての城壁のあったところに造られたという。城壁は壊されたんだ、と思い目の前の建設中の廟へ。その奥には白馬城の人民政府があってそこで話を聞くと、城壁は残っているという。早速外へ行くと、何と民家の横に版築の壁があるではないか。あまり、保存状態も良くないし、短いが発見したことには変わりないから、勝手に満足してホテルへもどる。午後に大同駅発。これにて2002年の私のワーキングツアーは終了した。

北魏時代の平城の城壁