2000年6〜7月
女房のホームページを作ってばかりでは面白くないので、制作者(竹内俊介)のことも少しは書いてみたい衝動にかられました。と言うことは結構目立ちたがり屋ということでしょうか。まあ大体ミュージシャンやってる訳だから目立ちたくないわけが無いですね。独断と偏見に充ちたページにしますのであしからず。
●思い付くままこのエッセイを書いていたら、いっぱいになってしまった。スクロールも大変だしページを改めようと思います。8月から『つぶやき2』としてスタートします、今までと変わらず購読をお願いします。
up date 2000.7.31
●1966、7年頃、三鷹、吉祥寺、新宿などのジャズ喫茶へよく行った。哲学書を持った青瓢箪がJBLの前で唸って聞いていたり、ベトナム戦争の休暇兵が血走った目でいた。当時ベトナムから来た一時休暇の兵隊たちは立川に降り立ち、中央線で新宿まで出てくることが多かった。平服なのだがすぐに判った、昨日までベトコンと戦っていたかのように身体から殺気を感じた、黒人はプロレスラーのように体格は大きく恐かった。ジャズが世相にピッタシだと思った。ヤバイ時代だったのである。
up date 2000.7.31
●東京都内でベースを運ぶのは至難の技だった。電車の場合は乗車券の他に駅で「手回り品切符」という荷札を発行してもらい楽器ケースに付けて運ぶ。70円だった。国電なら都内でも浜松まででも同じ70円である。チエロは無料だ、ベースをさも軽そうに小脇に抱え改札を通ったことがある。見た目で見過ごされることもある訳だ。タクシーを捕まえるのはもっと大変、電柱の陰に楽器を隠しておいてタクシーを止める。運転手に500円札を渡して乗せてくれと頼み込む。あの頃タクシー強盗が流行り運転席の後ろにアクリル板が取付け始められた、その車だと楽器が乗らない。とにかく苦労した、浜松まで新幹線で帰って来る時も、座席に座ったことは無い、楽器を持っていつも通路に立っていた。ベース弾きは楽器を運ぶので参ってしまう。今でも乗ってる車はバンタイプである。運ぶのが嫌になったらベース弾きをやめる時だ。
up date 2000.7.31
●三田さんというテナーで可笑しな先輩がいた。ビギンザビギンのセカンドテナーソロで『オットシャビデュバ、デユビデュバー』となる所がある、いつもそこを練習していた。本番でそこに来たらバンド全員がテナーのフレーズを歌っていた、アハハ。楽器はヤナギサワだったがラーセンにラボーズのリードで太いゴリゴリの豪快な音してた。花巻出身の彼、高校時代は相当の不良だったようだ。親爺は教育委員会の堅物で伯父さんは警察所長なのだが、交通違反でほっておいたらパトカーで警察に連行されたと言っていた。金送れと自宅に電話したら運悪く親爺がでて延々と説教されていた。僕はどういう訳かそういう変な人が好きで川崎の中華街で焼飯をおごってあげた。その恩か知らないが浜松まで僕を訪ねて来たことがある。お土産に警察無線を盗聴できるラジオとトルコ風呂(角えび商事=関東では有名トルコチェーン)サービスチケット数十枚をもらった。どうもそこの総支配人になっていたらしい。だいたい学生の頃からチョビヒゲでプロの顔してたもんなあ。卒業当初はミクサーとして四ッ谷の日本録音センターに務めていたのだが、女優の○○と駆け落ちして1ヶ月行方不明になったりしていた。とにかくヤバイ人だよ。
up date 2000.7.30
●SBS番組「オーイ!トムソーヤ」の収録が昨夜終った。主役の歌手はプロの手でメークアップに1時間半、黒のドレスはこの日のために選りすぐられたステージ用、彼女は生れ変わった様に変身した。我々バンドがそして司会の今村アナまでタキシードという念の入れようでスタートした。1曲目は今村さんの要望でインビテーションから始まった。客席はサクラを含めてほぼ満席、いい雰囲気だ。「グランドホテル浜松」は24年前からライブの生放送「インビテーション トウー ジャズ」を続けてきて、通やミュージシャンには知られている。日本の名だたるバンドはほとんど全部出演した。このスカイラウンジはその殿堂なのである。インビテーションはそのテーマ曲として今でも使われている。長寿の番組であり、企画である。良いものはいつまでも古さを感じさせない。
up date 2000.7.29
●コーラスグループからベース奏者を必要だと頼まれた事がある。「風」というフォークソングを歌いたいからだと聞いた。その一曲のためにアクトホールまで出かけた。女声3部のグループでベースは勿論アンプなど使わない生音である、音域的に歌は高い声部ということもありベースはブンブンに鳴った。毛色が違っていたから他のグループに比べ拍手は多かった。「俺の楽器こんなにいい音だったか」と我ながら感心した、電気など使わない方がいいと再認識した。そう言えばフルバンやってた30数年前、まだ良いピックアップがなかった頃で生で弾いてたよ。駒は高く弾き難かったけれどラッパがピーピー鳴ってる中でちゃんと聞こえてたもんね。恐るべしコントラバス。
up date 2000.7.29
●黒人の女性ボーカリストと共演した話は前に書いた。アンヤングという歌手で東京でレコーディングしてヨーロッパへ演奏に行くと言っていた。女性シンガーが歌う場合、歌詞のsheをheに替えたりgirlをboyなどにして歌っている。スタンダードナンバーは普通男の恋歌だから男声用がオリジナルキーである。僕達の持っているメモは大体オリジナルキーで書いてある。彼女の音域がバカ広いのにも驚いた。だから女声用にとキーを替える必要はまったくなかった。マライヤキャリーと同じで、とにかくオールキーOKなのだ。基本的にジャズボーカルはファルセット(裏声)ではなく地声で歌う。半音上だ、下だとキーの設定ではうるさい。冬場なんか風邪気味で高い声が出ないからキーを下げることもある。でもあまり低いキーは歌が沈んじゃって立たないことがある、なるべく高いキーで歌えるようトレーニングした方が良いと思う。まあ僕らがやり難いキーは勘弁してもらいたいが。
up date 2000.7.28
●銀座の山野楽器に伊波さんというアルト吹きがいた。彼には楽器のこと、譜面のことで世話になり勉強になった。その後輸入楽譜の仕事を始めたと聞いていた。その彼がボビーシューというトランペット奏者を連れて来て我々トリオでバックを務めることとなった。ボビーシューは確かルータバキンバンドで1番ラッパを吹いていたはずだ。当時日本ではクロスオーバー(重なり合う)と言っていたが、音楽用語として意味が通じず通訳が参っていた。そのうちフュージョン(融合)という言い方が定着した。
up date 2000.7.27
●村上ポンタというパーカション奏者が来るから付き合ってほしいと頼まれて行ったのだが、スルドというタムみたいな太鼓を腰に付け、サンバのようなリズムでドンドコとやった。連れて来たゲタ夫というエレベ奏者は頭はずしのリズムでとっていた。今だによう解らん、あの世界はムヅカシイ。
up date 2000.7.27
●レギュラーでドラムを叩いている岡田君、ある先端企業の研究所に勤める技術者なのだが昔からヨットに凝っている。レースに出たりする本格的なもので何フィートか知らないが大きな艇を持っていた。乗せてくれるというので浜名湖にあるマリーナまで晴美と行った。暑い夏の日だった、「さぞ船の上は涼しいだろうな」と期待していたのだが何にも涼しくない。そのはずだよね、ヨットは風に乗って進んでいる訳だから風があたらない理屈だ。夏はヨットなんて乗るもんじゃない、クソ暑いだけだ。冬海に落ちて、漂流していたら漁船に救助されたそうだ、もうすこし遅かったら土左衛門になっていたそうだ。顔に似合わずやることはヤバイ、だからジャズなんてやってるんだけどね。ドラミングは品が良く私好みだが、コンサートの時など理性をかなぐり捨ててソロをドバーとやればよい、理性は時として邪魔になることがある。ひと皮むけるといいんだね、土左衛門になったつもりで。
up date 2000.7.26
●SBSテレビの取材を受け「おーい!トムソーヤ」という番組に私たちとカルテットで出演することになった。主婦を特訓してステージでジャズボーカルの伴奏をやる内容だ。インタビューは今村アナで話はスムースに運んだが、「ジャズは大人の音楽で40才はまだ新人と言われる世界である」というくだりがある。長くこの世界でやって来て本当にそうだなと思う。人生の甘いも酸っぱいも知っているからこそ解ることもある。僕はガキの頃からジャズにはまったけれど50を過ぎてもまだやっているのは、まだ解らないことがあるからである。いつまでやってもミューズの神の足許まで近付けない。「ブルーバートン」というLPを久々に聞いた。アンバートンという歌手、大人の歌を歌っているなあ、と思う。
up date 2000.7.25
●昔宮沢昭カルテットを収録する仕事をした。後に彼と一緒に演奏できるなんて考えてもみなかったけれど、その時はミクサーとして付き合ったのです。宮沢さんは演奏する時楽器を動かすから音がフワフワして具合が悪い、という訳でサックスに直接小さなマイクを取付る方法をとったが音質は気に入らなかった。太い音に録るにはダイアフラム(振動板)の大きなマイク、例えばダイナミックでエレクトロボイスRE-20とかゼンハイザーMD-421を使いたい。コンデンサーならノイマンU-87ってところだ。RE-20もU-87も20万以上もする高いマイクだからどこにでもあるとは限らない。その後も宮沢さんを録るのには神経を使った。
up date 2000.7.25
●猪俣猛のドラムクリニックに付き合う羽目になった。私たちとトリオをやったのだがリズムはすごく正確、メトロノームより正確とさえ思った。端正なビートでスイングしていた。教えるのが上手く、ミュージシャンというより先生と呼ぶのが相応しいと思った。
up date 2000.7.24
●鳥羽のホテルで歌+デュオの仕事を頼まれて君香さん(当時は福田まゆみさん)と3人で行った。仕事が終りギャラを頂く段になったら『申し訳ありませんがギャラは銀行振り込みにしてください』と言われ『参ったな帰りの交通費が足りないよ』となった。取り引きのない名古屋のエージェントである、当然現金で支払われると思っていたから現金はあまり持っていなかった。3人で頭を突き合わせて『こうなりゃカンカン置いて、ヘソ出し踊りやって稼ぐしかない』と真剣に宿で話し合った。酒盛りのつまみをケチり交通費を捻出、何とかフェリーで浜松まで帰ってくることができた。心細いったらありゃしない。
up date 2000.7.24
●とにかく変な事につきあわされる。ネプチューン海山という尺八奏者と共演する羽目になった。まだ売れ出した頃で、珍しがられていたが、やっている内容はサックスと同じだと感じた。だから別段面白いとも思わなかったが、尺八という楽器をジャズに持ち込んだのは変わっている。でもすでに山本邦山という尺八奏者が独特の世界をやっていたからね。
up date 2000.7.23
●ルータバキンのピアノレスバンドの前座をデュオでやったことがある。ヤマハのテナーにオットーリンクのメタルだった。アメリカ人は身体がでかいからどんな楽器でも鳴っちゃうね。終った後、前座バンドのほうが良かったとギターの富さんが言っていた。ロリンズもやってるけどピアノレスで和音が鳴ってないのは、どうも好きになれん。まあ私はピアノ大好き人間だから余計そう思うんだけど。
up date 2000.7.23
●館山寺の「浜名湖オルゴールミュージアム」へ行ってきた。オルゴールというと可憐な音を連想するがディスク型というのは馬力がありかなり大きい音がする。電気も使わず手回し式であんなに豊かな音がするとは正直驚いた。またレコードではエジソンの蝋菅から、特殊な振動板から聞こえてくる音は懐かしく、ほのぼのとした気分にさせられた。80〜100年前の人が考えた「からくり仕掛け」にしばし感動した。電気や電子音に慣らされた現代人、生身の人間であることを思い出させてくれた、嬉しい一日だった。
up date 2000.7.22
●ゲーリーカーのコンサートを康雄、晴美、私と3人で静岡県立美術館まで聞きにいった。ロダンの彫刻の前で聞くアマティは400年たっている楽器でそれは良い音がした。コントラバスでチェロの曲を難無く弾く超テクニックなのだ。それもハイノートでチェロと同音で弾く、正に神業と言って良いだろう。クーゼヴィッキー(ベーシストで指揮者)の未亡人があまりの超テクに感動して夫の所有していたアマティを彼に譲ったそうだ。その話もなるほどと頷ける音をしていた。クラシックのコンサートであれほど感動したのも珍しい。3人揃ってまいった。
up date 2000.7.22
●菅野さんも宮沢さんもシャンソンに魅力を感じていた。それには理由があるだろう。フランス文化の品の良さ、そしてフランス語の持つ流麗な雰囲気、クラシック音楽に通ずる格調の高さ。越路さんの歌の魅力はその詩にある、と言っていた。岩谷時子さんによる訳詞というより作詞は素晴らしい。「愛の讃歌」の詩(貴方の燃える手で〜)があまりにも素敵で結婚式で演奏されることがあるが、作者エディットピアフは婚約者を飛行機事故で亡くし悲しみのどん底で作られたことを思うと、私は結婚式で演奏したくない。
up date 2000.7.21
●落語好きなミュージシャンは多い。森剣治さんの落語は玄人はだしだぜ、楽屋で受けるもんね。宮沢さんは軍楽隊時代からやってたそうだし、小津さんは落語全集持ってた。忠臣蔵が好きで長谷川一夫、大河内伝次郎などビデオライブラリーを宮沢さんちで見せられた時は参ったぜ。板妻の話まで出てきたもんね。ドイツの戦前の白黒映画も見せられた、「この映画は最高だ」なんてね。ルイフだねー!
up date 2000.7.21
●西直樹というピアニストと付き合うことになった。アフターアワー、私たちとピアノトリオをやることになった。そう、彼はドラムを叩くことができる。あの巨体である、音がドデカイ。あんなやかましいドラムは即、クビである。ピアニストとしては買いだがドラムはちょっといただけない。日頃ドラムに相当いじめられてんだなあ、きっと。
up date 2000.7.21
●リハーサルをやらないというのは猾いからでも時間が無いからでもない。一度やってしまうと新鮮さが無くなって演奏が面白く無くなるからである。一度やった曲をリクエストされたりするとウンザリした気分になるもんね。サウンドチェックはやらなくてはならないが時間はかけない方がいい。バンドによってはサウンドチェックはダラダラやって本番で目一杯というのがある、ミクサー泣かせでこれも困る。アマチュアバンドなどでリハーサルで頑張りすぎ本番で音が出なかったなどと、配分を気をつけなくてはいけない。ミクサーとしてはその方がありがたいのだが、やはり本番で鳴ってなきゃね。
up date 2000.7.21
●ボーカルのソンコさんこと上野尊子(うえのたかこ)さん、菅野さんとレコード出してるぐらいで昔から知っている実力派だ。酒やけした声とおきゃんな性格で好かれている。何回か共演する機会があったが、始めてのステージで全曲知らない曲だった。40分ステージ3回でだよ、あんな事もめずらしい。私たちが不勉強なのだが一曲も知らなかったってこともネー。「玄人好み」のスタンダードというのは沢山あるってことだね、いい勉強になった。彼女の旦那はベース弾きの片山さんというんだけど、僕らみたいに一緒にステージに立つことは少ないらしい。アメリカの楽器製作者が気に入り依頼し、出来上がったベースを飛行機で運んで来る時、座席3人分払い高い運送料で日本に持って来たそうだ。その楽器に触らしてもらったが、なにか勿体無いような申し訳ない気分がした。
up date 2000.7.20
●菅野さんが若かった頃、ローランドハナに似ていると云われたことがあった。『アイツが俺に似てるんだ』と言っていた。キースジャレットに「お前は面白いからアメリカに来い」と言われても『お前が来い』と、とにかくむこうっけが強いというか負けてない人だった。菅野をスガノとも読む、スガノクニヒコというピアニストがいる『スガノは分家、カンノは本家だ』と言っていた。東海大学医学部の太田教授にも面と向かって『ヤブ医者』なんて言ってたもんね、太田さんも負けずに『肝悩さん』といい返してたけど、恐いもの知らずであんな面白い人はいなかったぜ。憎めない人だった。ホワイトホースが好きでベロベロになるまでよく飲んだ。
up date 2000.7.20
●岡崎さんに聞いた面白い話がある。若い頃リーコニッツをみんなでコピーしてたそうだ。本番でギターの中牟礼さんがリーコニッツのフレーズを弾いてしまい、ソロがまわって来ても『俺がやること無くなった』と言っていた。私はその時代を知らないが一時日本のミュージシャンにウエストコーストジャズが流行った頃があったそうだ。ちなみにその頃のミュージシャンはもてまくったそうで、いい時代だったんだね。
up date 2000.7.20
●トモちゃんこと岡崎資夫さんというサックス奏者がいる。ソプラノからバスサックスまで持っていてコンサートで吹いていた。岡崎さんとは宮沢さんとやる前5年間程、主に掛川の「つま恋」でお世話になった。今は袋井に在住しているが東京時代、帝劇で美空ひばりの歌伴を1ヶ月やった時『かなしい酒』で毎日泣くんだそうです。嘘泣きじゃなく本当に泣いたそうである。それを聞いてステージってもんは真剣なものだと感心した。人の心を打つということは真剣でなくてはできない、美空ひばりという歌の天才は今後出て来ないかも知れない。ジャンルはともかく、本物は素晴らしい。
up date 2000.7.19
●面白いミュージシャンを書いてきたがクソ真面目な人もいる、柳沢真一さんである。彼はコメディアンとして有名だが、ボーカリストなのである。それも戦後の懐かしいナンバーを得意としている。私たちとO君(ドラム)のトリオでバックをやった。テレビで知っていたから「さぞ面白いだろうなあ」と思っていたら、さにあらず。インターミッションの時まじめくさった顔で冗談一つ言わない。ナイスハート基金をやっているとか真面目な話ばかりだった。あんな真面目なミュージシャン見た事ない。
up date 2000.7.19
●宮沢さんには鮎の友釣りを教わった。仕掛けの作り方、テグスの結び方、竿の使い方、オトリの泳がせ方など総べてのノウハウを伝授してもらった。友釣りは良い先生がいないと出来ないと言われている。川の釣りではプロと云われた宮沢さんである、「渓流の釣り」、「つり人」など雑誌に記事が載ったり、一連のレコードのオリジナル曲に魚の名前がついていることでも判る。彼と奥さん私の3人で愛知県豊川上流の寒狭川へ友釣りに行った。大きい石がゴロゴロある川だ、石を乗り越えようとした宮沢さんコケそうになって竿で杖をつく格好になった。バキッ!と大事な竿を折ってしまった、その友竿13万円もしたカーボンのダイワ製最高級品で奥さんに内緒で手に入れたのを知っている。ショボンとしている宮沢さん、『何をガッカリしているの、10万もしないんでしょ?』と奥さん、13万円の竿と聞いて『バカ!』の一言。あれは最高に笑えた。宮沢さんの釣り道具(浜松に引っ越す時、楽器はトラックで運んだが竿だけは手持ちで持って来て大切にしてた)、ほとんど私の許にある、夏が来るとそのエピソードを思い出す。
up date 2000.7.19
●クソ暑くて気が狂う。東海地方は梅雨が明けたと聞いた。庭の松の新芽を梅雨中に摘まなくてはいけなかったのだが、つい怠けて放ってある。この暑い中やりたくないなー。毎年この季節になると、「早くやらなくちゃ」「めんどくさいから昼寝でもしよう」とついつい後のばしで結局本人がひどい目にあう。成長はしてないね、何年たっても。
up date 2000.7.18
●伊勢志摩のホテルでパーティーがあるからフルバンの前座をやってほしい、という仕事だった。バンドはシャープアンドフラッツに伊東ゆかりの歌入りだった。その前座を私たちデュオで務めたんですが、客の中にジャズファンがいて大ウケ。パーティは夕方から始まりましたからその日は「ネムの郷」に一泊、一戸建ての宿泊施設でゴージャス。伊良湖で買ってった日本酒で酒盛りだ、つまみは旨いし最高だった。新婚旅行に行って無かったけどあれで満足だよん。
up date 2000.7.18
●ピアノトリオやっていると歌伴はついてまわる。いろんなボーカリストに付き合った。大体リハーサルはやらない、ぶっつけ本番である。だから歌手の出すカウントでイントロを弾きそして歌い出す、コーラスを終ったら誰かがアドリブを取りエンディングは全身を耳にして終る。打ち合わせ無し、どの曲やるかも決めてない、知らない曲でもやってしまう。何回もやっていると出来る様になるから不思議だね。とにかく誤魔化し方が上手くなる。大橋美加といった、巨泉さんの上のお嬢さんであるがチリメンビブラート(?)はお母さん(マーサ三宅)にそっくり、酒が馬鹿強いんで参った。ベロベロでなんにも覚えて無いんじゃないか?
up date 2000.7.18
●O君とバカをやった話はいっぱいあるが笑っちゃうのがある。フリュートからドラムに転向した彼、ピアノトリオを私とやっていた。ライバル会社の主催するコンサートにドラマーとして出演しなくてはならず、気がひけるので付けヒゲで出たことがある。大手楽器メーカーの音楽教室に勤める彼、講師たちには面はわれている。すぐバレてしまったがそれで問題にもならなかった。それで味をしめて仲間のやっている夜中のテレビ番組にレギュラー出演してた、ラブホテルの直撃インタビューがあるヤバイ番組だよ。勿論付けヒゲだが丸判り、同僚に知れても開き直ってやっていた。毎週だぜ、あの根性は見上げたもんだ。
up date 2000.7.17
●マンちゃんというピアノ弾きがいた。彼とピアノトリオを組んで活発に活動していた。菅野先生を浜松に呼んで来てレッスンを始めた張本人である。大手楽器メーカーの音楽教室のディレクターをやっていた。女癖が悪く、其の方の噂は有名だったが、奥さんにバレて捨てられそうになったが平謝りで許してもらい、今は病気も治まり仲良くやっているらしい。四国、高知にいるが、ある時自分が勤務している音楽短大で、コンサートをやるから高松まで出てこいと話があった。楽器は大学のオーケストラのを用意するから体だけ来てくれれば良いという訳だ。それでもクラシックで使っている楽器は弾き難いだろうなあと思い、ピックアップ、ナイフ、ヤスリ、サンドペーパーなど持って高松へ向かった。案の定で駒は削らなくてはいけなかった。無事コンサートは終った、当時はまだフェリーだったが船着き場で食べた讃岐うどんは最高美味だった。マンちゃんは一つだけ良いことを言った。『インストルメンツミュージックはどんな国でも伝えることが出来る』と言った。彼は声楽が本職だがドイツリートを勉強してきた、ドイツ語じゃ日本人に伝わらんもんなあ。
up date 2000.7.17
●私が電器会社に技術者として勤務していた頃の同僚で、スギさんという音楽ファンがいる。彼は私が24、5才の頃演奏したライブ録音のカセットテープを持っている。稚拙な演奏で聞くと冷や汗がでる代物である。勿論手許には無い(持っていたくない)。そのテープ早くワカメのようになってダメにならないかなあ、と願っているのだが、そういうのに限って大丈夫なのである。我々、演奏が終ってその録音など聞きたくない。私は職業柄聞く事には慣れているが、晴美などは聞いた試しがない。エリックドルフィーの言葉を思い出す「空中に放たれた音はもう取り戻すことはできない」。だから空間芸術である音楽って値打ちがあるんですね。
up date 2000.7.16
●今日でお盆も終りです。浜松では曹洞宗が多く茄子で牛を作り、先祖がその牛に乗って帰ってくると言われています。ですから牛にもかわらけ(土で作った素焼きの皿)に食べ物を上げるのですが、何とパンと焼そばがあがってました。それを見て晴美はさすが ミュージシャンだなあと思いました。普通の家じゃそんなの無いと思うよ。いやマイッタ。
up date 2000.7.15
●康雄とポピュラー音楽について話をした。スタンダードナンバーに言及したのだが、出来立てはミュージカルであったり映画音楽であったりで元は『はやり歌』である。我々はよく映画を見た、だから映画で見た場面が浮かんでくる。曲の構成やコード進行がミュージシャン好みでいろいろの人が演奏したから残ってスタンダードと呼ばれる訳だ。そう考えると今流行っているポピュラーソングでどれだけ残るのか疑問ですね、評論家みたいだけど。やっていて大体判るよ、こりゃスタれるなって思うもんね。そんな曲はコピーで沢山、書く程のこたあないと思っちゃうね、悪いけど。
up date 2000.7.15
●昔菅野さんのレッスンで『お前、メモ帳見せてみろ』と私の手書きのメモ帳をパラパラとめくりながら『よし!解った。何をやりたいか、何を好きなのかそれは教えられないんだよ』と言った。その人の好みは他人では変えられない、何を格好よいと思うのかはその人のセンスである、だから音楽は教えられない。そんな事言ったら音楽教室は成り立たない。音楽を勉強したかったら音楽以外のあらゆるものに興味を持ち、幅を広げる努力が必要である。いろいろ考えること、感じることそれが音楽になる訳だから当たり前ですね。「絵が浮かんでくる音楽をやりたい」と菅野さんは言っていた。
up date 2000.7.15
●フランキー堺さんと共演したことがある。テレビドラマ『赤かぶ検事』のロケで浜松に来た時、晴美と二人でつきあわされた。俳優として有名だが元々ドラマーである。曲は昔なつかしスタンダードであったが凄いパワーとリズムでぶっ飛んだ。そう言えば私が小学生の頃、ジャズコンサートが浜松座(?)であり、10才年上の長姉に連れられて行った記憶がある。昭和30年頃で、其の時フランキー堺は現役のミュージシャンであった。ベースは栗田八郎、ボーカルはテネシーワルツで有名な江利チエミだったと記憶する。姉は服飾デザインを勉強中の学生でジャズに狂っていた、将来こんな私に成長するとも思わずにガキの私を連れてコンサートに行った訳だ。姉に聞くとその当時のジャズはそれはカッコ良く、今のロックどころじゃなかったそうで不良だったようだ。その頃姉が買って来たレコードでやたら横文字の歌を聞かされてたもんなあ。僕の育った環境が悪かったんですね
up date 2000.7.14
●ツッカーと呼んでいるが私の小中学校の先輩になる楽器店の社長がいる。大阪フィルでトロンボーンを吹いていたのだが、他のオーケストラにトラでいってもレギュラーの奏者より上手く吹いちゃうほど才能のある人だ。結婚する時、ミュージシャンはいやだと奥さんに言われ仕方なく郷里浜松で楽器屋を始めたそうだ。今は浜松市民吹奏楽団の常任指揮者をやっている。とにかく耳が良い人でギターなどチューナー無しでバッチリ調弦してしまう。私たちの書いた『すてきな街浜松』の吹奏楽用アレンジは彼に依頼した。インランフ○イとは大阪PL学園時代からの仲良しで、お互いに『あいつは才能ある』と誉めている。おかしな取り合わせだが深い所で繋がっているんだね。
up date 2000.7.14
●珍しく関西のミュージシャンの登場である。インランフ○イというパーカショニストであるが、作曲もしていて顔に似合わずナイーブな美しい曲を書く。何故その様なあだ名がついたのかは、赤外線コタツに女の娘と入っていて布団を何気なくめくったら、太ももが赤く見えて色っぽかったと彼が言ったからである。『俺は赤外線コタツが大好きだ』と言っている。NHKのスタジオに行ってタンバリンがあって側にマジックインキがあったので自分の名前を書いて来たら、『お忘れものです』とNHKからタンバリンを届けに来たそうで、恐縮したと言っていた。それから彼が来たらマジックインキは置いておくなとなったのである。とんでもない奴だ。面白い人のベスト3にランキングされている。
up date 2000.7.13
●『企画が腐る』という言葉がある。これはアイデアが浮かんで企画を組み立てて発表するまでに時間を置き過ぎると魅力が半減することを意味する。釣れたての魚のプリプリ感が無くなってまずくなる、鮮度が落ちる訳である。それは私が1964年頃ジャズを聞き出した事にも言える。5才年上の人(50代後半の人)は思春期の一番多感の頃、コンテンポラリーミュージックとしてハードバップジャズを聞いた。まさに旬を体験したのである、だからその年代の人は筋金入りだと思う。私ももうちょっと早く生まれたかったと思う。菅野さんも博さんも小津さんもいい時代に生まれたなあと羨ましかった。私がスコットラファロがすごいと感動してもそれは録音されてすでに5年も経った缶詰音楽だった訳だから、そりゃあ鮮度が違うよね。
up date 2000.7.13
●私のアマチュア時代から仲の良い友人でフリュート奏者のA君がいる。彼は当時大手楽器メーカーの開発室に勤務していたが、突然会社を止めてインドへ行くと言い出したのだ。理由はインド音楽にはラーガといって400ぐらいのモードがあり、それを研究する為に現地に行きたいという話である。当時ビートルズもインド音楽に傾倒していたし、ラビシャンカールというシタール奏者が注目され始めた時でもある。ラビシャンカールはせいぜい40ぐらいのラーガしか使っていない、あれはシャリコマだというのだ。所有していたステレオ、ヴィオリンその他を売り払い旅費にしてラジカセを持ってインドヘ旅立った、北部のネパールの国境沿いに本物のラーガが残っていると言って回り相当ヤバイ旅だったらしい。土産にシタールを買ってきた、麻薬をやる水パイプが出入国管理局で見つかり素っ裸にされ検査されたと言っていた、馬鹿だねえ。今年のお花見は浜松城の桜の下でやった、彼は会社社長をしているが、インド旅行の話をする彼は少年の輝いた眼をしていた。嬉しくて飲み過ぎひどい悪酔いをした。
up date 2000.7.12
●楽器の馬力からいうとトロンボーン、トランペット、サックス、クラリネット、ピアノ、ベースの順となる。これは物理的にという訳じゃなく感覚的(音域にもよるが)にそう思うのは異論は無いだろう。コンボではドラムが全体のバランスを崩している事が多々ある。最近はロックのリズムが多くなった所為もありドラムがデカすぎると感ずるのは私だけだろうか。ドラムが被ってピアノが聞こえないなどのコンサートは何回も経験した。自動車やバイクのようにタコメーターがついている訳じゃないが、ここからレッドゾーンだというのを知っていなければいけない。狭いライブハウスと千人を越すホールでは同じ叩きかたではない、でもレッドゾーンを考えなくてはいけない。ミクサー任せで良いと思っているかも知れないがミクサーから言わせてもらえば限界というものがある。ドラムは『ミクサー泣かせ』なのである。私はドラム奏者にこそバランス感覚、音楽性が要求されると思っている。口では言えても実際には難しいことは分る、抑えて叩けばスイングしなかったり気分が乗らなかったりするだろう。だがアンサンブルしてるのである、音楽の色彩感をだすのもドラムならぶち壊すのもドラムなのである。私たちが数10年間で苦労したのは私たちの意図を解ってくれるドラム奏者とめぐり合える事であった。説明すれば解ってくれる人、説明しなくても解っている人、貴方ならどちらの人と共演したいですか。小津昌彦さんは数少ないその後者で『衣ずれの音』まで表現できた人だった。あんなナイーブなドラミング、音が綺麗なドラマーには会った事がない。
up date 2000.7.11
●悲しいニュースをお伝えしなくてはなりません。テナーサックスの巨匠、宮沢昭さんが去る7月6日逝去されたと知らされました。浜松から東京三鷹に移られかれこれ2年になりますが、東京での体調は思わしく無く入退院をくり返して居られましたが、肺炎を併発され亡くなったそうです。マスコミには発表しておりませんので、この事は一部の方しか知らされていませんが、日本の星が落ちたと悲しんでおります。小津さんの葬式の時、彼を送る為にテナーサックス1本でBody And Soulを吹いていた姿を思い出します、それがまだついこの間だというのに。宮沢さんの晩年の10年間、私たちにおつき合い頂き本当に勉強になりました、感謝しています。有難うございました。合掌。
up date 2000.7.10
●喪中 私の義兄が亡くなりバカ話を書いている訳にもいかず、暫くこのエッセイをお休みします。1週間ほどしたら再開しますのでまたアクセスして下さい。
up date 2000.7.4
●ギターの富塚章という何でもやる面白い男がいる。ヴァイオリン、ピアノ、尺八などおよそつながりの無い楽器に興味を持つらしい。彼は独特の哲学を持っており、音を発源するものが指なり口より遠いと感情の表現がしにくいと思っている。まあ云わんとすることは私にも解る。例えばピアノとギターを比べればピアノのキーを叩いてアクションがハンマーに作用し弦を叩き音がでる。ギターは弦をそのまま引っ掻けば音が出る。指は震える弦にそのまま触れている。どちらが人間的かいわなくても分る、という訳である。ジョーパスを彼のコピーで出版されている楽譜が数冊ある、まあ凝り性だからやれるんだね。その彼とライブをやることになった。私はベースをやる前はクラシックギターをやっていたことは前記した。『アルハンブラの想い出』というトレモロ奏法で難曲があるが、それを目の前で難無く弾いた。『おぬし出来るな』とそれから一目置いているのだが、ミュージシャンらしく冗談ばかり言っている彼に会うと何か言う前に笑えてくる。
up date 2000.7.3
●FM静岡(現K Mix)で生中継の番組がありました。1時間のライブ中継でステレオ生放送です。そのミクサーとしてかり出され技術屋の顔をしていきました。勿論PAもある訳ですから入力マイクをライン分けして卓は2台用意するのです。ボーカルなどいればエコー処理なども必要です、臨場感を出すためにエアマイクも必要で、機材もかなり大変な量になります。大給桜子、益田幹夫などジャズピアノのバンドをやりましたが、ドラムの音がでかすぎてピアノのマイクに被ってしまいます。打弦点をねらってかなりのオンマイクなのですが限界、『申し訳ありませんがもっと強く弾いてください』とか『もやもやになりますからペダル控えてください』などと注文ばかりで、『うるさいミクサーだな』と思われたとおもいます。放送の終りは演奏中または拍手をフェードアウトで良しなのですが、一番参ったのは演奏が予定時間より早く終っちゃってスタッフは全員真っ青、会場のザワザワした音だけの数10秒間。その空白の時間ほど長く感じたことはありません。メインフェーダーは冷や汗でビッショリでした。マイッタ、生放送のミクサーなどやるもんじゃない。
up date 2000.7.2
●我々、ステージ上で返しのスピーカーのお世話になる。ドラムがでかすぎてピアノが聞こえないとか、とにかくモニター頼りになることがある。しかしこれは危険なことなのだ。モニターでハウリングを起すことが往々にしてある。位相がメタメタになって透明感が失われる場合もある。ミュージシャンにお願いがある。それはモニターに頼るな、ということです。クラシックでは電気は使わない、だから音が美しく混ざり合っている。ステージ上でバランスがとれていること、それが客席で聞いても良い音であることを知ってほしい。電気に頼らなくてはいけない音楽は停電したら終りだよ。コンサート最中ミキサー卓が故障してノーPAになった事がある、その時が一番いい音だったと言った奴がいる。
up date 2000.7.2
●ネイティブサンというフユージョンバンドの峰厚介の後釜で藤原幹典というサックス奏者がいた。私たちよりちょっと年代が若いからロック系の感覚はいいと思った。当時民放のテレビ番組『ザ、ファイター’86』に関わっていて毎月1本ライブの収録をやらなくてはいかず、其の為にオリジナルを書かなくてはいけなかった。晴美の書いた16ビーツの新曲をソプラノサックスで吹いてもらったのだが、いい雰囲気で気にいった。ヤナギサワのカーブドソプラノで可愛い良い音をしていた。出来上がったばかりで曲名はまだ付けて無い、彼が『夕映え』と命名してくれ、その曲は無事オンエアされた。この番組は金の無い貧乏番組だったが10ヶ月続いた。放送で使う音楽著作権使用料は高くてJASRACとよくもめた。せっかく良い演奏で撮影もうまくいっても曲によっては使用料が高すぎてお蔵になったものもある。それで苦肉の策でオリジナルを書くはめになったのだが、かえってそれが良かったと思っている。制作責任者はいま『燃えよ浜松祭り』を作っている黒帯プロジェクトの鈴木君、音楽監督は私であった。オープニングとクロージングのテーマ曲は勿論晴美が作詞作曲し、私が録音して使っていた。今でも『夕映え』を演奏すると藤原幹典を思い出す。
up date 2000.7.1
●藤原幹典が連れて来たセシルモンローというドラム(ネイティブサンでいっしょにやっていた)、えらくリズムが良く、違うもんだなあと思った。スイングもそうだがロックの乗りがメチャ良いのである。16ビーツがこんなに楽しいものだと、再認識させられた。ライブのあと『ユーはグーだ』と言ったから『お前が良いからだ』と言っておいた。彼のリズムパターンあまりに良いので(ベードラの使い方が粋)私の持っているリズムマシーンに打ち込んで音楽制作の仕事で使っていた。これって著作権法違反になるの?
up date 2000.7.1
●宮沢さんが書いた曲でDoctor "U"というB♭のブルースがある。これはベース弾き泣かせの曲で泣きながら弾いてきた。稲葉国光さんも井野信義さんもみんな泣いていた、と宮沢さんは言っていた。リフをベースソロでとるのだが、なんせハイポジションでその指型でしか弾けない難曲である。宮沢さんが東京三鷹へ行っちゃってしばらく弾かなかったら弾けなくなってしまった。晴美に『パソコンばかりやっていて練習不足だ!』ときついお言葉を貰いました。シュンとなっています。私たちは練習というものをしないです。ずるいからという訳じゃありません。若い頃さんざんやったからもういいというものではないですね。とにかく本番でミスるのはいけません、以後気をつけます。チャーリーパーカーはさんざん練習やったからああなった、などと息子に意見されてるようじゃ終りだぜ。やっぱりずるいのかな。
up date 2000.6.30
●ホームページを開設して早1ヶ月になる。毎回アクセスしてくれて私の雑文を読んで頂き感謝しています。最近では義務感みたいなものを感じ、この『つぶやき』を書かないと気が済まないように思います。今までお読み頂きミュージシャンとは如何なる人種かお判り頂けたと思う。30数年間私の出会った人たちの事を綴ってきたが、まだまだ他に沢山のミュージシャンと付き合ってきた。恐れ多くて書けない人、面白くない人もいる。この『つぶやき』は面白い話題で、ひとりでも多くのジャズファンが増えてほしいという願いから続けたいと思っている。これからも宜しくお願いします。
up date 2000.6.29
●以前仲間内で『名古屋にいいボーカルがいる』と話題になっていた。『機会があったら一緒にやってみたいね』などと言っていた。その名はリーケイコ、音楽教室でピアノを教えていて歌も歌っていると聞いていた。まだ彼女が売れる前で名前も知らなかった。ライブの仕事を頼まれ歌を入れようという話になった。サックスの森剣治さんと面識があったので彼からリーさんに依頼してもらった。スケジュールの調整がつき共演できることとなった。サックス森剣治、ピアノ竹内晴美、ベース竹内俊介、ドラム岡田裕之のカルテットそしてボーカルリーケイコの構成である。まずびっくりしたのは譜面がメチャ綺麗であったこと、自分で書いたそうである。さすがピアノ弾き、今まで共演したボーカリストでお世辞にも綺麗な譜面にはお目にかかった事はない。まずそれで感動、そしてステージの上とは違い楽屋での彼女は面白い。そこへもって来て森さんのダジャレである。楽屋のほうが盛り上がった。さてステージであるがスキャットやっても楽器と同じ、本格的だと思った。リズムは良いしコードからはずれていない(当たり前だが)。あれだとインスツルメントミュージックと同次元でアンサンブルできる。エラフィッツジェラルドと同じだぜ。
up date 2000.6.29
●いつプロ入りしたんだと聞かれることがある。1983年7月だと答えている。なぜかと云えば、デビューコンサートをやったからである。Silky Voice Summer Jazz Concertである。ゲストにピアノ菅野光亮、ボーカル鈴木博、トランペット内藤道男、ドラム村松勇、私たちと総勢6名のコンサートである。グランドホテル浜松のインペリアルホールで400名の満席で行われた。デビューに相応しい良いコンサートだった。そこで恩師である菅野さんがこの二人はプロとして出発することを認め祝ってくれたのである。弟子になってすでに11年経っていたし、演奏の仕事は勿論やっていた、けれどプロになったのは、此の日だと思っている。その模様は同名のLPに残されている。菅野先生はえらくゴキゲンで僕をレギュラーのベースで使ってくれる、そして晴美には劇判の仕事を任せると約束してくれた。私たちは幸せの絶頂にありました。それが一ヶ月後の8月15日、突然菅野さんは帰らぬ人となってしまいました。人生とは残酷なものだと、しばらく放心状態だった。その1年後国分寺のライブハウスで一周忌を博さん、小津さん、小原さん私たちなどでやったのだが博さんの歌は神がかりで最高の歌だった。会場がシーンとなっちゃったもんね。『菅野はいい弟子を残したな』それが博さんと交わした最後の言葉だったとは。3日後博さんはまたもや帰らぬ人になってしまった。文字通りヨバレちゃったのです。目黒のお寺で行われた葬式で小津さんがポツリと言った『俺達が博とやった最後だったんだよ』と。
up date 2000.6.28
●えー、湿っぽい話になっちゃったので話題を変えることにします。躁鬱病のケがあるからね、時々ブルーになっちゃうんだねえ。さて我々はミュージシャンであって芸能人ではない、真摯な姿勢で音楽を追求するのが目標です。面白い人が多いけど事音楽に関しては厳しい姿勢をしています。だから妥協はしていない、職人だと思う。私たちが数10年来仲良くしているトランペットの内藤君はニューハードの1番ラッパで2度も誘われたが断った。菅野さんも誉めたほどいい音をしている。『ブタのおじちゃん』といって康雄が小さい頃から好かれていた。最近の若い人はプロ、アマを問わず上手いと思う、私たちが駆け出しの頃より数段レベルは上がっていると感じる。この言い方は語弊があるが今の人はバカがいなくなった。世の中バカもいなくちゃいけない。お金を貰って勉強するのがプロ、お金を使って勉強するのがアマ、どちらも勉強する訳だから変わりはないですね。うん。
up date 2000.6.28
●猫の写真数枚をプロフィールのページに加えましたので御覧ください。これでクロちゃん、シロちゃん、タマちゃんと我が家の全3匹総出演です。いい写真はなかなか撮れないですね。
●今から30数年前、スタンダードやろうにも楽譜が簡単に手に入らなかった。当時センイチという著作権法違反で海賊版の楽譜集が出回っていた。勿論ミュージシャン用にであるがどこに売っているか秘密である。仲間から聞き出し渋谷のどこそこと銀座のどこで手に入ると情報を得た、有名な楽器店である。店員にセンイチ欲しいと言ったら、『こちらへどうぞ』と奥の方に通され2500円で売ってくれた。売る方もヤバかったのである、誰の紹介だなどと聞かれたからね。それほど苦労して手に入れた楽譜だが付けてあるコードは嘘八百、そのままでは使い物にならなかった。嘘のコードが平気でつけてある。それからである市販の楽譜は信用しないようにしている。(その後出た続センイチはまともになったが)2冊組でモダンジャズメモランダムという楽譜集が唯一あった。ビーバップの名曲がほとんど入っている、宝の山だ。先生に借りて授業中必死で書き写した。まだコピー機など無かった時代である。苦労したがそれが血となり肉となったと思っている。だから今だに大切に持っている。青春の一ページの記念にである。たかだか30数年前でそんな状態だったんです。しかし宮沢さんの時代はそんなもんじゃない、入ってくる情報はFENの放送だけ、駐留軍の為に当時のアメリカのコンテンポラリーミュージックであるエリントン、トミードーシー、グレンミラー、そしてビーバップなどのジャズを流していたのだ。譜面は勿論手に入らない、ラジオも持っていない、国電のホームで駅員に煙草を渡して流してもらい駅のスピーカーから聞こえるFENの音楽を必死でコピーしたそうである。先駆者は今では想像できない程苦労したんだね。
up date 2000.6.27
●僕がベースを習いたての頃、先生はプロミュージシャンだったけど高校生の僕にこう言った。『プロになるには最低1000曲知らなくてはいけない』簡単に1000曲ったって大変だぜ。それからウン10年書くこと何万枚、とにかく書いた。『お前は写譜屋になれる』とまで言われるほど自分でいうのもなんだけど読みやすい綺麗な譜面を書ける様になった。アレンジャーだから当たり前だが、晴美もきれいな譜面を書く。『貴方の書いた譜面は読みやすい』と言ってくれる。(注、こんな所で夫婦の愛情が表れる、デレ)前の仕事やってた時、車を駐車場に入れていたが、そこで楽譜をいれていたカバンを紛失した。派出所から連絡がありカバンを保管しているというのでホッとした。苦労して書いた手書きの譜面である、表紙裏に住所名前電話番号を書いておいたのが幸いした。ちなみに今使っている譜面はそれとは違うものだが約800曲書いてある。ピアノとベースで倍になる。サックス用にB♭譜など書きたくない訳だ。はやり歌で簡単にコピーで済ました物もある。実際には1000曲いっているが、まだ手書きでは目標にはいっていない。これからも書くことになるだろう。我が家は下の子2人もロックバンドをやっている、譜面の山の中で暮らしている。
up date 2000.6.27
●ほかのバンドから僕だけ頼まれることがある。いつもは晴美とペアだからコードの事など気楽なのだが違うピアニストだと同じ曲でも違うコードだったりする。世良譲トリオからトラの話があった。行ってみるとドラムはいつものジミー竹内さんだった。演奏する曲は晴美とは当然違う、知らない曲2、3曲は親切な世良さんが紙に書いて教えてくれた。テイクファイブはポールデスモンドと同じ、フラット6つのE♭マイナーだったぜ、えらく弾きにくかった。ドラムの見せ場はステージおわり頃に設定してあり、そこでジミーさんが目一杯ソロを聞かせてくれた。突然笈田敏夫さんが飛び入りでWhat A Difference A Day Made歌うからやれという訳だ、それもE♭で。あれはオリジナルたしかGだよね。長3度下げる移調って結構むづかしいんですよ、ベースは。てな訳で真っ青。時々こういう事があるんですよ、歌手の皆さん、せめて譜面だけは持って来てクリョー!トラで行くのは決死の覚悟が必要だ。あれで髪の毛36本ぬけた。
up date 2000.6.27
● 上海バンスキングは御存じだろうか。吉田日出子の劇で有名になったミュージシャンの話である。その話を地でいった人がいる。ジミー原田さんである。とにかく私たちが共演した時は元気でした。歌も『ダイナ』などを歌い、何せドラムソロでステックが折れて飛んでいく程パワーがありました。父親はイギリス人で母親が日本人、ハーフだと云っていた。長身でホリの深い顔だち、おまけに花形ミュージシャンなのである、もてない訳がない。若い頃はさぞもてただろうなあと思った。14才でプロ入りし本当に上海に船で渡ったそうである。原田さん一家はお孫さんまでドラマー、3代続いている。あの歳でちゃんとガールフレンドをつれていた。ミュージシャンの鏡だぜ。
up date 2000.6.26
●ドラマーで守新治さんがいる。ナベサダのバンドに5年ぐらいいたはずだから御存じの方も多いだろう。若手(?)だけあって8ビート物はウマイと思った。今田勝さんのグループでやっているLPを聞くといい雰囲気で叩いている。長身でいい男、菅原文太の甥になる。名古屋のライブハウスまで菅原文太が訪ねてきて『甥を宜しく』と宮沢さんは頼まれたそうである。晴美もよしゃいいのに面と向かって『さぞモテルでしょうねえ?』と聞いたら、ぬけぬけと『ええ、まあ』とコキャーがった。聞く方も聞く方だけど、答えるほうもナンだぜ。ありゃーマイッタ。アマチュア無線に凝って、僕に再開局させた男、電信の腕はドラマーだけあってリズムが良い玄人はだしである。電波でも何回か交信した、今はパソコン、インターネットに凝っている、異色の友達。良い人柄でいまだに付き合っている。
up date 2000.6.26
●このページにこの人を書かない訳にはいかない。ドラムの哲ちゃんこと小原哲次郎さんである。『面白い奴がいる』と菅野さんが紹介してくれた。とにかくハッピーで面白い人である。皆さんライブハウスヘ行ったことありますか。ジャズはライブハウスで聞くべし、そう言わしめるのは彼のライブを聞けば理由が分る。爆笑の連続である。下手な寄席で漫談聞くよりお勧めである。話の内容は当然過激であり、放送コードなどクソクラエである。ここには当然書けない。彼とはアレキサンダー、浜松その他で何回も付き合ってもらった。毎回おかしくてお腹が痛くなった。グランドホテルにもバイブのカルテットで来たことがある。真ん前の席でフガーと晴美が寝てしまったが、哲ちゃんを前にして寝ちゃうとはイイタマだ。とにかく彼のライブでのしゃべりとドラミングを聞いてほしい。ジャズがほんとに好きになり、また行きたくなる。
up date 2000.6.25
●ピアニストの小川俊彦さんは哲学者のように飄々とした人だが、ポリシーを持った人でこと音楽に関しては造詣が深い。学者肌と云ってよい。ビルドビンスの理論書を読めと勧めてくれたのも彼である。もとシャープアンドフラッツでアレンジとピアノを担当していた。歌判は上手いと定評があり、ヘレンメリルのバックをやっていたから聞いた人もいるだろう。小川さんにはAs Time Goes Byのコード進行を教わった。葉書に書いてくれたのだがテンションの動きが素晴らしく美しく流石、とうなった。彼の弾くピアノは熟成されたサウンドがする。玄人好みの大人の音なのだ。けっして奇を衒ったものでなく納得させられる本物を感じる。飲むと蕎麦と酒の話になり、一晩では終わらない。さてクラシックピアニストで調律師と楽器そして調理人までつれて世界を演奏旅行してる人がいる。小川さんが地方のコンサートに行ったら会場にピアノが無い、主催者が『え?ピアノ持ってこないんですか』と聞いたから空かさず『え?ピアノ持ってきていいんですか』と聞き返したそうだ。ピアノが調達出来ずしかたなく足踏みオルガンみたいな楽器を弾かされたそうだ。小川さんらしい可笑しい話だ。
up date 2000.6.25
●メールボタンを上にも付けました。今まで下までスクロールするのは大変だったですね。まさかこんなに長くなるとは思いませんでした。お手数をかけ申し訳ありませんでした。どんどんメール下さい。
●このページ、ヨバレちゃった人ばかり登場する。写真のページにしてもしかりである。諸先輩方にヨバレないよう気をつけてくれ、と心配してくれた心やさしい友人もいる。お盆(浜松は新盆で7月にやります)も近い事だし気をつけなくちゃね。昨日御先祖の墓参りに行って来た。こう見えてもけっこう信心深くて毎月欠かさず墓参りには行っている。数年前菅野さんの13回忌ライブを銀座のスイングでやった。どういう訳か瀬戸内寂聴が来て法話が始まった。『才能のある人はそれを出し切って一生を終える。菅野さんは若くして亡くなったが、私の友人三島由紀夫は自ら命を断った云々』才能有る人は早死に、という意味の話だったが、居合わせた人(だいたいがミュージシャンだったが)は顔を見合わせ真顔で『俺たちまだ生きているよなあ、早く死ななくちゃ』と言って全員大笑い。あの一言はウケた。ミュージシャンという人種、どんな時でもデホ(馬鹿、絵空事の意)を言っている。愛すべき人達である。
up date 2000.6.24
●その種の話をもう一題。菅野さんが浜松へ来だした頃、モッサンこと橋本静男さんというスコットラファロみたいなモダンなベーシストといっしょだった。彼のプレーに感動した私は『後光がさして見える』と誉めたら『俺の後頭部はそんなに光ってない、まだ仏様にはなりたくないよ』と答えた。なんでミュージシャンってこうもデクチが良いんだろうねえ。その時使った楽器、駒が高すぎるので私が削ったが削り過ぎで失敗、ペチョペチョになってしまった。低すぎると弾き難いのである。彼が帰った後よく見たら駒のG線(一番細い弦)にタバコの銀紙を挟んで高くしてあった。『おぬしできるな、タダモノじゃない』と思った。
up date 2000.6.24
●昨日の励ましてくれた女性、他の女性にもURL教えてあるそうで、マイッタ。女人禁制にしてどっかの霊山みたいに立て札をすれば、女性差別だと騒がれてウルサイし、開き直って今まで通りやるっきゃないね。うん。とひとりで納得してテーマに突入する。怪我には気をつけようという話題です。まだ私たちが若かった頃(美男美女だった頃と言い換えてもよい)、音楽教室のレッスンルームの扉(あの厚い大きい取っ手の付いてるやつ)で晴美が指をはさんだ。真っ青になってアセって接骨病院(ホネツギ)に飛んでいった。さいわい骨には異常なしと言うのでホッとして『頭なんか少しばかりぶつけてもいいけど、指だけは気をつけなくっちゃね』と言ったら一週間口をきいてくれなかった。そのぐらい指だけは大切に思っている。ボーリングもバレーボールも野球もプロレス(?)も指を怪我しそうなものは全部禁止!それでも玉ねぎ切ってるとき一緒に切っちゃったりします。オッチョコチョイなんだね。こまったもんだ。
up date 2000.6.23
●ジャーン!女性それも独身の購読者がおられました。(ワナ、ワナ、ワナ、ここで声がふるえる)毎日アクセスしてくれているそうで俄然元気が出てきます。彼女は猫好きでフィーリングが合うんですね。もっと猫の写真載せてくれとリクエストされました。早速プロフィールのシロちゃんの所へ写真を追加しました。彼女実は晴美のお弟子さんでジャズピアノを習っています。これからはポコ○ンとかウ○コとか下品なことは書けないな。ヤバイ、誰が見てるかわからんもんね。
up date 2000.6.22
●みっちゃという康雄と仲の良い友達がMac党で、ブラウザソフトExplorer5を使ってみたらどうだと勧められた。早速インストールして使ってみた。字の大きさが変えられる、こりゃいいなあ。老眼が進んだ話は前に書いたがほんとに細かい字は厭になるだよ。Netscapeを4年も使って来たから頭かたくなってるけど、やっぱりこりゃいいなあ。ウーン、スクロールも早いしゴキゲンだね。しばらく使ってみて浮気しちゃおかな。
up date 2000.6.22
●僕ら学生の頃、源さん(上山源司郎先生)という名物先生がいた。音響工学の先生なのだがNHKに27年いて高橋圭三と同期だと言っていた。紅白歌合戦のマイクアレンジをずっとやってきて面白い話をしてくれたから学生には人気があった。先生は用事があるから授業休みだというのでいつもの喫茶店に行くと、そこに源さんが居るのである。先生がサボッていたのだ。あ、ヤバイと隠れてもあとの祭り、悪い(?)先生だ。でもテストの出来が悪くてもダルマの絵で単位もらったテナーの奴もいる。その先生の指導よろしく私たちは巣立った。秋田のT先輩もアバコの堀くんも私もである。『こんな紙っぺら震わしていい音がする訳がない』スピーカーのことをそのように説明した。生の音を知り尽くしていたからこそ音に対しての哲学を教えてもらったと思っている。アバコクリエイティブスタジオという劇判では名の通っている録音スタジオがある。そこで技術部長をしている堀君は私の後輩になるが、いい仕事をしている。黒沢監督の『乱』とか『楢山節考』などを手掛けた。武満徹や池辺晋一郎など作曲家に信頼されてると言っていた。そのはずだよね、フルバンではピアノ担当だったけどメチャメチャ耳が良くて、どんな楽器でもこなし、アレンジもやっていた。人柄もとぼけていて面白い奴だ。死ぬ前(?)にうちのバンド、彼に録音してもらいたいと思っている。
up date 2000.6.22
●キンサンこと金井英人さんはベース界の重鎮である。確かベーシスト協会の会長だと聞いた。チャーリーミンガスを研究したことで有名だが馬鹿力で弾くことでも有名だよね。何せ弦を切っちゃうんですよ、あんな太いのを。金井さんに弦のことを聞いたら、スピロコア(オーストリア製)をほとんどの人が使ってるがベースの音をしてる人はいないときたもんだ。さすがいうことが違うね。ミンガスは前衛ですからそんな事ばかりやっていたら、現代音楽の作曲家が真っ黒けの楽譜もってきてやってくれと頼まれたそうだ。メチャむづかしくてマイッタそうだ。弦を切った話のついでに駒(ブリッジ)が倒れた話、僕がフルバンやってた頃、忘れもしない虎の門ホールでコンサートをやった時です。駒が傾いていたんだろうねえ、ストレンジャーインザナイト(ベイシーのコピー)のイントロ(ベースがかっこいい所)で突然駒がビヨーンと飛んでコロコロコロ、センターマイクの前でパタと倒れた。真っ青である。すぐ楽器をかかえて舞台袖へ逃げた。あんな思いは二度としたくない。夢でうなされる。
up date 2000.6.21
●さて私のはいっているプロバイダ、昨日障害が起きてまして御迷惑をおかけしました。どうしてこんな事書くかと申しますと、毎日アクセスしてくれる嬉しい購読者がいらっしゃるのが分かったからです。そういうことで俄然気をよくして書くことにします。梅雨の中休みでしばらくいい天気でしたがまた崩れそうですね。昨日はコムヅカシイ内容だったのでいつものパターンに戻そうと思います。突然ですが『痔』の話です。あるホールのミクサールームで浮かない顔をしているM君にどうしたのかたずねたら、『いやあこの間のコンサートで頑張ったら痔が切れちゃって』というのである。彼はあるフルバンで一番ラッパを吹いている。ここぞという時フォルテで必死に吹いたら切れちゃったというのだ。可笑しくても堪えて同情した顔で別れを告げた。有名な話を一つ、ギターの高柳昌行さんと徹夜で飲んだとき『俺痔が悪くてさー、コンサートで痛くなって座っていれなくて腰を浮かせて弾いてたら客がノッテル、ノッテルって受けちゃったんだよ』彼はダジャレの達人で一晩痔の話で飲んじゃった。あんな面白い人なかなか居ないぜ。ストラビンスキーを研究した人は誰あろう彼である。悲しい事だがもうこの世にはいない。
up date 2000.6.21
●このページ、センタリングとっていますが、読みにくいという指摘がありまして、行間を空けるのを止めました。これで少しは読み易くなったでしょうか。これからもアクセスしてください。
up date 2000.6.20
●こんなこと書いちゃうと購読者に嫌われそうですが大事なことだからあえて書きます。それはハーモニーのことです。私たちいっしょに仲良くやってる様に見えますが、それは大変な時期があったのです。ピアノとベースが一緒に鳴った時いかに良いサウンドがするかという問題です。普通ベースはルートか5度をとりますね。その時ピアノの左手はどんな和音をつかんでいるかという事です。まずルートと5度ははぶきます。そうしますとベースは代理和音の♭5が使えますから進行がより自由になります。また9thやmaj7などのナチュラルテンションはベース音より離れて鳴っているほうが綺麗です。ですからその音は上で取れ、それはアボイドしろなどうるさいのです。サウンドが悪いのはベースの音程の所為だなどと喧々諤々で毎日喧嘩です。それが3年続いたのです。夫婦でなかったらバンド解散です。ピアノとベースのコンビネーションについて書いた理論書はありません。いい音がするか自分でそのサウンドを耳で確かめ手の型を考えるしか方法はありません。模索するしかないです。3年かかるよね。以前ピアノの先生に教えに行ってたことがありますがこの事がむづかしいと感じました。理論ではローインターバルリミットとか書いてあるけど耳で聞いて良ければ使って良い訳だから。理屈に縛られるのがだめなんだね。アレンジで突き当たる問題です。やりだすと答えは一つだけではないですよん。悩むから面白いんです。ちょっとコムヅカシイこと書いたけど、これからもつき合って下さい。
up date 2000.6.20
●この調子で書いてるとその内いっぱいになっちゃうね。思い付くまま気ままにやってるからね。今日の話題は、この間イントロやったからエンディングにします。私たち30年近くいっしょだからといってもエンディングは決めていません。どう終わるか分からないです。決めちゃうと面白くないからです。ですから終わりに近づくと、どうくるか相手のフレーズを読んで予想するのです。大体当たりますが裏切られることもたまにあります。それが緊張となってまたやる気になるのです。まあエンディングといってもパターンがありますから、せいぜい3度マイナーから6-2-5か♭6-♭2、あるいはボサノバだと♭2か♭7とトニックとのくり返しぐらいのもので大して悩む程のことはありません。これに限りませんが決めちゃわないほうがいいですね。其の時の気分でやるほうがジャズらしくて好きです。大体エーカゲンな性格ですからね。フルバンとかはそうはいきませんけど、コンボではそんなもんです。『こんな小唄(ジャズのこと)は練習しちゃだめだよ』なんて乱暴なこと言ってたからね、菅野さんは。
up date 2000.6.20
●ミュージシャンは変な流行語をはやらせる達人である。今ではテレビなどで業界用語のようにタレントが使っているが、もともとミュージシャンが仲間内で使っていた隠語がある。C百(ツエーひゃくと読む、100円事)とかD千(2000円の意味)とか訳の解らない事を言って会話している。これかなりメイジャーなので説明の必要はないだろう。説明が必要なもので『ヨバレル』というのがある。あの世からなのである。使い方は『ミーカのエーケがヨバレちゃってね』などと使う。『髪の毛が抜けた』という意味になる。菅野先生には養毛トニックを送ったが本当に呼ばれちゃった。あんなロマンチックな曲を残してくれて私たちは幸せだと思っている。恩師の曲を演奏すると涙が出てくることがある。こんな馬鹿話を書いてるけど根は結構ナイーブなんだから。
up date 2000.6.20
●イントロなしで突然主題に入る、これはだいたいミュージシャン話の特徴だ。だからこの『つぶやき』は解りにくいかも知れない。うちのバンド、晴美は次に何の曲をやるか言ったことがない。突然イントロを弾きだしてそれにベースをつけていく。入りそこねると怒る。4小節ではいれないような相方はいらないという訳である。何とワガママなとお思いでしょう。それでうちのドラムは随分泣いてきた。私はもう慣れたがそれでうちのバンドは厳しいと風評が立ったのかもしれない。かの伝説のピアニスト守安祥太郎のイントロでバッチリ入れたのは宮沢さんだけだったそうだ。全身を耳にしていなければ出来ないことだ。そういえば私が銀座で始めてプロバンドで演奏したときバンマスはテナーだったけど日によってキーが違うんです。『今日は調子いいから半音上でやろう』なんてG♭のブルースだもんね。参ったよあれは。でもヤバイ経験をしてきて一人前になるんです。ピアニストにいじめられて胃潰瘍になったりハゲになった話はどこにでもある。ベースはハゲなきゃ上手くならないとまでいわれてるもんね。誰のことかここに書ける訳ないよね、プライドってもんがあらーね。でも大体分かっちゃうね。ベース弾きはツライ、ハゲて下手だったらなんと申し訳すりゃいいの。
up date 2000.6.20
●髪の毛で2題、静岡でベースの金井英人さんと仕事があって笑い話を聞いた。銭湯へ行って、並んで入って行ったら、申し訳なさそうに料金は半額でいいと言ったそうだ。『俺だって頭洗うんだよ』と番台の親爺に抗議したそうだ。えらくプライドを傷つけられたと言っていた。私の場合、散髪にいって髪が薄くなったからまけてくれと言ったら『バカ、毛が少ないほうが難しいんだよ』と相手にしてくれなかった。とにかく良いことはひとつも無い。今度作ったCDの写真、私のデコが妙に暗闇で光っている。それがひとつ気に入らない。
up date 2000.6.20
●ロドリゴ作曲アランフェス協奏曲の原譜見た事ありますか。主旋律のギターパートですが5連譜だか7連譜で真っ黒けの譜面です。それであのようにはまりきってないようなノリに聞こえるんです。コンボで使っている譜面はシンプルそのものですが、誰もそのように弾かないです。 独特のノリで歌っています。これを正確に譜面にしたら真っ黒けになります。康雄が中学でサキソフォンアンサンブルをやっている時、宮沢さんを講師で招いたことがありますが8分音符の解釈で棒読みじゃだめだという個所があったのです。相手は中学生です。でもその個所を何回も歌って解らせようとする宮沢さん、吹奏楽で団長をやっている友人がいるが彼も言っている、譜面をそのまま読めば音楽になるわけじゃないと。リズムというかノリが大切だという訳だ。ジャズだって一番大切なのはリズムだもんね。スイングする事それが命です。エリントンのIt Don't Mean A thing これだぜ。
up date 2000.6.19
●クラシックサキソフォンのミニコンサートを聞いてきた。美しい音色でウットリである。私がジャズにはまる前はクラシックギターをやっていた。だからシンフォニーより室内楽の方がもともと好きなのである。サキソフォンという楽器、150年前にできた新しい楽器なので、作品は現代曲が多いのである。それもロシアの作曲家がアメリカに亡命して作られたものがほとんどである。(約250点ほど)だからロマン派の作品と違ってむづかしい曲が多い。伴奏のピアニストに嫌がられて断られることが多いことでも分かる。それにオーケストラでも定席を持ってないからクラシックサックスではソリストとしてやっていくしかない。それを知っていた私は食えないから止めろと、さんざん康雄に言ってきた。美しいサックスの曲が少ないということはサキソフォン音楽が大衆に支持されないことを意味する。チェロのカザルスにしろギターのセコビアにしろ他の楽器の為に書かれた美しい曲を己の楽器用に編曲してファンを増やしたのである。サキソフォンという楽器はジャズで発展したといっていい、優れたミュージシャンがサックスの魅力を最大限引き出したのだ。やはりチャーリーパーカーだよね。食えないことはジャズでも同じだけど。なんでベース弾きの僕がこんなこと書いてるんだろう。
up date 2000.6.19
●この『つぶやき』は誰も読んで無いと思っていたら結構ファンがいたのです。私の独断で書いているもんですから内容はたかが知れていますが、玄人受けしてるようでこれからも続けます。という訳でセッセと書くことにしました。さて、浜松ジャズウィークなるイベントが今年で9回を数えるに至ったそうです。毎年6月のこの時期にやっているのですが、もう恒例化されていて盛り上がっていす。今年はジョージ川口ビッグバンドをはじめボーカルに李敬子、綾戸智絵、美山加世子など、そしてクリニックは佐藤昌彦、佐山雅弘などが担当しています。私たちも宮沢さんと参加した事がありますが何回目だったか忘れました。昨夜は演奏しているグランドホテルにSBSの今村さんが来てくれて久しぶりに楽しい一時でした。カウントベイシーの日本公演で最高の録音をして其の時を取り仕切った彼は『あれは最高の演奏だった』と述懐していた。私もそのコンサートは行っていましたがベイシーを神様だと思っていたから興奮した。だって前席の300人はみんな楽器を演奏してる人でうめつくされていたのですから。ステージも観客もノリマクッテいました。あんなコンサート後にも先にもないですよ。康雄は青山和政率いるビッグバンドのセカンドテナーでジャズウィーク初日をつとめました。雨の降るなか沢山の聴衆が来てくれて大成功だと言ってました。青山さんの写真をお借りして私のページにも掲載しましたので見てやってください。
up date 2000.6.18
●さて、ミュージシャンの話ばかり続くが、表現することについて考えてみたい。ニューヨークでプレイしていたトランペット奏者についていた康雄が言うのには『ステージでポコ○ン出してプレイするぐらいでなくちゃ言いたいことは伝わらない』と言われたそうだ。これは名言だと思う。良く言った、座布団3枚!と言いたい。ドンチェリーはステージでウ○コ漏らしながら吹いてるそうだけど本当かな?ジャズを演奏してると熱を帯びてくる。ドラムの音は高鳴りそこにいるもの総べてがある種の世界に入り込み、高揚する。これがジャズの魅力でもある。アフリカの土人が儀式でトランス状態になり神からの啓示を受ける、あれである。呪術=ジャズとまで感ずることがある。単調なリズムのくり返し、それは独特なエクスタシーを呼び起こし人々を狂気の世界にまで誘う。心理学の本で読んだことがあるが正常な人は狂気に憧れるそうである。日頃知的な仕事をしている人程ジャズで興奮したいのかもしれない。以前六本木まで菅野邦彦を聞きいったことがある。ノッテくるとヨ ダレを垂らして弾いていた。あれだなと思う。客を意識してるようじゃ駄目ですよん。これからは江頭を尊敬しよう!だって彼のライブ丸出しだぜ。受けてたもん。今日はちょっと品がなくてごめん。
up date 2000.6.18
●ブルースの話ばかり続いたのでちょっと話題を変えてみたい。『ミュージシャンが聞いても気が付かないことまで気を配っている』これを言ったのは仲間のミュージシャンなのだが、誰あろうアレンジャーでピアニストの小川俊彦さんである。誰のことを言ったのかは毎回出てくる鈴木博さんのことである。彼の歌はリラックスしていてピリピリしてることなど微塵も感じさせない。しかしそれは読みが浅いです。彼はレコーディングするとき緊張をとくために、お酒をガンガン飲んでベロベロに酔っぱらってやったそうである。その話を聞かなければ多分誰にも分からないと思う。表面だけで音楽を聞いちゃいけない。ミュージシャン、特に私のつき合った人は例外なくデリケートで触ったらこわれてしまいそうな感性を持っていました。菅野光亮、宮沢昭、小津昌彦、その他みんな外面からは想像できないナイーブな人たちでした。博さんはコロンビアからLPが出ていた、未亡人がそれをCDに復刻した。手許にあるCDは宝物として時々聞いている。『酒を飲んで演奏するなんぞ10年早い!』と言われていますが意味が違うよね。
up date 2000.6.18
●晴美がある講座を受けて、3度、7度まれに5度を半音下げればブルースになる、と講師は言ったそうだ。そんなのでブルースを説明出来たら苦労はいらない言っていた。30年以上ブルースを考え模索して来たのだから。テナーサックスの宮沢さんと10年共演してきて彼自身沢山ブルースを書いてるのに『俺にはブルースは吹けない』といつも言っていた。そのぐらい奥が深いものなのである。一言に言ってむづかしい。異文化、それを吸収することは真似することとは違うと思う。色、におい、感触すべてが違うのである。ピアニストで大野三平(大野肇)さんという恐ろしくブルースの上手いミュージシャンがいた。タットダメロンの曲などやると鳥肌がたった。東京と浜松で数回共演したが忘れられない。彼は生き方そのものがブルースだった。
up date 2000.6.17
●ミュージカル『池田の渡し』に取り組んでいる。この話は江戸時代末期、天竜川に橋が無かった頃の話であり、4月に脚本が出来上がったばかりで、秋の公演に向け作曲に取りかかっている最中です。劇中『ざんざ節』という唄を子供たちが歌う場面がある。この曲を採譜したものが手許にあるが、陽旋法と陰旋法がありどちらを採用しようかと迷っていたら、一人だけ70才になる伝承者がいることがわかった。連絡をとってみると詩は即興でつける労働歌であることが判った。アレ?これはブルースと同じだとピンときた。以前ニューオリンズ出身の女性ボーカリストと1週間共演したことがあるが、ブルースを歌うと毎日歌詞が違うのである。よく聞いていると今見ていることをそのまま即興で歌にしていることが分かった。たとえば『ベース奏者はいい男だなー、イエーイ!』(僕のこと)『ここから見える夜景はすばらしい』などと歌っているのです。アーこれじゃ日本人にはブルースは出来ないなと思いました。我々はブルースといえば12小節のブルース進行でなくちゃと思っていますが、彼等は気分がブルースなら何小節の曲だろうとそれをブルースとよんでいます。カイダルイ(浜松弁)気分で歌う労働歌、日本にもブルースがあったのですね。
up date 2000.6.17
●私がパソコンやホームページにはまったのには、訳がある。今から5年程前パソコンを始めようとして、秋田にいるT先輩に相談した。何をやったら良いかと聞いたのである。彼はパソコンを10年以上やっているテレビ局に勤める技術者である。迷わずMacをやれ、というのである。DOS/Vを長くやってきた彼はコマンド入力や中身を理解するのに4年はかかるから時間の無駄を考えたら、マックの方が良いとアドバイスしてくれた。それから秋葉原の電気街をグリグリ廻り訳も分からず帰って来て間もなく始めたので4年半になる。まだウインドウズ95が発表される前である。音楽関係、デザイン関係がほとんどMacだと知ったのは後からであった。インターネットは半年経ってから始めたが、当初はあまり面白いとは思いませんでした。ホームページも1年程前からやろうかなあぐらいに思っていて一応はHTMLエディターだけは買ったのですが、ほったらかしていました。それが4月になるとT先輩からホームページ開設の案内が来た。それで私もやりたくなった訳である。今考えると素直に聞いていて良かったと思っている。 先輩のいうことは聞いとくもんだ。
up date 2000.6.15
●ミュージシャンの仲間内のネタで申し訳ないが、鈴木博さんで参った話がある。あれは沼津でのコンサートの時、本番ステージ上でのことです。歌の1コーラスが終わって間奏のとき、ツカツカと僕の所へ来て耳もとで『オイ、チャックが開いてるぞ』というんです。アセって楽器で前をかくそうとする僕を見てニヤニヤする博さん、嘘なのである。そんな茶目っ気で仲間を笑いに誘う。博さんに限らずミュージシャンは冗談ばかり言っている。それはみんなピリピリしてるからだ。音楽をすることは緊張する、それを知ってるから馬鹿話をあえてするのだ。だから休憩時間などでむづかしい話はしない。リラックスしなくては良い音楽は出来ないからだ。ミュージシャンの面白い話は山とあるがここでは書く事がはばかられる。過激でヤバすぎる。
up date 2000.6.15
●天性の声と才能をもった、鈴木博という歌手がいた。もうこの世にはいないがとても良い人柄で面白い人だった。何度か共演して色んな話を聞いたが、思い出して今だに笑っちゃうのがある。彼は釣りが好きであったが、その話である。其の頃、バンドの間で釣りが流行っていて、とにかく暇さえあれば竿を持ってなきゃ気がすまない連中だったそうだ。伊豆方面のホテルでの仕事、インターミッションの時間さえ惜しいので全員タキシード姿のまま近くの池で釣り糸を垂れていたら、『オーイ、この池はタキシードでつり禁止だー』と現地の人に注意され、全員並んであやまったそうだ。が、その人を良く見ると大野三平(ピアニスト)だった。という話だが、タキシードで禁止と言われ素直にあやまったあたりが笑えるね。二人とももう亡くなってしまったが、とにかく昔は面白いミュージシャンが多かった。
up date 2000.6.15
●録音屋をやっていると色んなことに突き当たる。其の一つがSE (サウンドエフェクト)である。ウグイスの場合、都合の良い事にお向かいのおじいちゃんがウグイスを飼っていたので籠のまま借りてきてマイクを立て2時間テレコを廻しっぱなしで録音した。その中で一番良い声だけを使った。たった一声の為に大変なことだ。またせせらぎの音が必要だった時、天竜川の支流で阿多古川という川の上流までデンスケとマイクを担いで行き何とか録音したこと。しかし自宅の水道にトイを付け、それをオンマイクで録った方がリアルだった。トンビのピーヒョロヒョロの音(自然界の生録音)は無理である。自動車の音やらその他の雑音がかぶってしまうからである。その場合は笛などで作るしかない。昔放送などで擬音の達人がいて苦労した本を読んだ。ビフテキを焼く音は濡れた雑巾をフライパンの上でジューとやると其の方がリアルだそうだ。私が参ったのは、子供向きの劇で使う音でクジラがパクッ!とエサを食べる音を作れと言われたが、そんな音聞いた事ないもんね。
up date 2000.6.14
●パソコン使って音楽作るって面白くないねー。3年前からミュージカルの音楽を作ることになったんだけど、最初は8トラックのレコーダーを廻して録音してた訳です。ところが曲が出来上がってから『イントロが長過ぎるから4小節短くしてくれ』逆に『短かすぎるから長くして』やら『途中からテンポを早くして』『ドン帳がおりるのが18秒かかるからそれにあわせて後奏をつけて』など注文がうるさいのです。これじゃ始めからやり直しです。仕方ないからパソコン使わざるを得ないというわけで、それからはシーケンスソフト使ってます。これは優れもので、注文には総べてOK。便利なものです。曲のキーだってボタンひとつで簡単に変わるもんね。しかし!データをいじっているだけ、という感じでとても作曲してるとか録音してる気分にはなれないです。もともと生音を扱ってきたからそう感じるのは仕方ないかもね。そりゃ制作費がふんだんにあればオーケストラで生録やりたいもんね。グチです。トホホ
up date 2000.6.13
●タイトルに使っている晴美の写真、何年前のかと聞いた奴がいる。そういうことをエチケットとして聞いちゃいけない。なんせこの業界すごいことがあるんだから。東京の歌手Uさんから聞いた話です。あるコンサートのチラシでトランペットの人が物凄いいい男で、コンサートを楽しみにしていたそうな。当日どこを探してもそんないい男のトランペッターはいなかった。変だなあと思ってよく聞いたら、その写真、戦前に撮ったものだったと。当の御本人いいジジイだったそうな。この話マイッタ。
up date 2000.6.12
●毎日雨が降って気が滅入りますね。グタグタ書いて気をはらすしかないですね。このページ云いたい事書いています、誰か文句の一つも言ってきてくれたらいい暇つぶしになるのに、と思っているのですが『こんな奴に関わったらヒドイめにあわされる』と敬遠されてるのだと推察しています。さて、いつもこの時期になると我が家の飼い猫にノミが発生し、晴美がまっ先に刺されます。そうなるといつも行く犬猫病院へ行って猫3匹分のノミ取り用の薬を求めます。この薬は強力で3〜4ヶ月間一匹もいなくなっちゃうんです。そこの先生がいうにはノミ一匹で500個の卵を生むそうで、すごい繁殖力ですね。イヤー、マイッタ。もしこのページ読んでいてくれる人がいたら、よくもこの雑文を読んでくださった忍耐に敬意を表します。
up date 2000.6.12
●浜松百撰(創業昭和31年という長寿タウン誌)が取材に来て、私たち夫婦が7月号に載ることになった。当たり前のようにジャズを演奏してきて30数年、よくも続けてきたもんだと、自分でも思う。仕事に行くのが厭と思ったことは一度も無い、やっぱり好きなんだね。他人からは幸せだとよく云われます。『嫌いじゃ出来ない』と答えることにしている。世の中、8割の人が仕事に不満を持っていると読んだことがある。プロだから厳しいこともあるが私たちは幸せだと思っている。お天道様に感謝しなくちゃ。
up date 2000.6.11
●最近嫌になっちゃうことは老眼が進んで譜面を読みたくなくなっちゃうことかな。譜面だけじゃなく新聞もこのパソコンのディスプレーだって見たくないもんね。だからと言って新譜はやらない訳にもいかず、ショボショボした目で読んでるけど、ほんとは暗譜してる曲の方が出来が良いに決まってるよね。スタンダードを何百回も演奏して覚えちゃうほうが結局良い演奏になると思います。だからなるべく暗譜するように努めてます。特にフロントの康雄には譜面立て無しでやるように言ってます。B♭管用の譜面も用意せずCメロの楽譜を移調しながら読むようにしてます。それより暗譜しちゃう方が良い訳だから。まあ慣れで出来るようになるですよ。ウチのバンドは厳しいからね。というのは嘘、譜面係の私が楽したいだけですけど。そういえばこのページのフォント大きいよね。
up date 2000.6.9
●昨夜は私が駆け出しの頃のバンマス(テナー奏者)から飲みに行こう、と誘いがあり30数年前の話で盛り上がりました。コルトレーンは嫌いだと彼はいうのです。そう言えばコルトレーンが来日して新宿の厚生年金ホールで聞いた時、前日徹夜だったこともありぜんぜんやってる事が解らなかった思い出があります。『俺は耳が悪いのかなあ』と30年悩んでいましたが、其の時宮沢さんも行っていて、『あの時のコルトレーンは狂ってたと思う』と聞いて、ああそうだったのかと納得しました。あの時代マイルスとコルトレーンを非難するなどタブーだったのです。日本の評論家で悪く言ってる人はいなかったんじゃないかと思います。宮沢さんだって終わった後、評論家大勢が『どうだった?』と聞きに来ても返事しなかったそうです。今だってコルトレーンの信者はいますから、過激なこと言うと石が飛んで来るかも知れない。『出口の無い音楽』をあえてやった訳だから勇気あったんだなあと思います。サックスの皆さん怒らないでネ。
up date 2000.6.8
●シェーンベルグの唱える『12音による作曲技法』を読んだことがありますが、コムヅカシイ本で解ったことはジャズのアドリブ方法論にはなり得ないということです。あまりむづかしいので途中でぶん投げたのですが、天下の宮沢さんは本がボロボロになるまで読んで、モノにしたそうで流石です。『野百合』というCDでそれをやってるのですが、本人に言わせると一度使った音をワンフレーズの中で使えないのはコンピュータでもなければ出来ないと言うわけで、ありゃだめだと言ってました。ストラビンスキーをアナリーゼしたミュージシャンもいます。しかし先輩たちは真面目に勉強してますね。
up date 2000.6.7
●作曲と演奏は同じプロセスのように見えますが、ストレスの面では大違いです。作曲ではアイデアを模索し組み立て、それを楽譜に起す訳ですが、細かい作業ですし神経も疲れます。それにひきかえ演奏することは発散また解放することですからストレスが溜りません。我恩師、菅野光亮は売れてたころ年間50本以上の仕事をこなしていました。週1本、ということはテレビドラマ2時間物で50テイク以上有りますから1週間でそれだけ書くのはかなりハードな事です。ストレス発散の為酒をガンガン飲んだ結果肝臓が悪くなり、食道動脈瘤破裂のため44才で亡くなりました。晴美は女ですし酒も弱いですから先生と同じにはならないと思いますが、作曲に取りかかると神経ピリピリで夫の私でも気をつかいます。まあ程々の仕事が一番ですね。売れない方がいいですよ。ヒガミに聞こえるけど。
up date 2000.6.7
●先輩アレンジャーから教わってビルドビンスの理論書を手に入れたんですが、これが結構手強いです。ピアノ和声なんですがモダンです。和音を広く解釈した人はエバンスに影響を与えたトリスターノやエリックドルフィーなどがいますね。数日前に理屈をあまり勉強すると云々と書きましたことに矛盾しますが、それはブルースのことですからあんまり深く考えないで下さい。女房は作曲と理論も教えてるから知らない訳にもいかず一応勉強する訳です。Two Fiveのバークリー理論だけじゃもう古い?のかも知れないです。ニューヨークで先端をやっているセシルマクビーのグループでやっていたランドルコナーズについていた康雄に言わせれば、どの曲やっても同じフレーズに聞こえると言っています。実験的な音楽をやっていると落とし穴に落ちるのかも知れないです。私は高校生の頃エリックドルフィーばかり聞いていました。ベースの先生が前衛が好きでその所為です。ハードバップを聞き出したのはもっと後からで、最初鳥肌が立ちました。こんな粋な音楽がこの世にあることを知りジャズにはまったのです。アバンギャルドは一度やってみると良いと思います。そして戻ってくるとスゲー『ダンモ』に生まれ変わって、もっと粋なスタイルができると思うのです。行っちゃったきりになるかも知れないけど。
up date 2000.6.7
●ホームページを開設すると、やたら気になって手直しをやりたくなって毎日更新状態です。私の使っているパソコンはPower Mac 7600のCPUをG3/300MHzに換えたものです。仕事柄CD-R、MO、HD、プリンター、スキャナーなどごちゃごちゃ付いています。この機械が数カ月前、すこぶる調子悪く毎日徹夜状態でした。原因が解りそれを直して今は快調、私も御機嫌です。私は技術屋あがりですから機械物に強いと過信してましたが、間違いでした。おかげで勉強になりました。てな訳で1年間ほったらかしていたホームページエディターを使いだし、このページを書いてるのです。機械が調子良いと気分が良いですね。
up date 2000.6.6
●理屈をあんまり勉強しちゃうとジャズがダメになると、最近思うんだけど違うかなあ。私がジャズの勉強しようと思った昭和39年ごろは勉強しようにも理論書らしきものがどこを探しても無かったから、仕方なくただレコードをひたすら聞くかコピーするしか方法がなかったです。その後ナベサダがバークリー理論を紹介したので随分楽になったと思います。それで勉強した第一号が晴美の年代です。僕と晴美は3つしか違わないけど随分と勉強の仕方が違うんです。理論勉強してアベーラブルノートを使ってただ音の羅列をしてるだけ、と感ずるのは僕だけでしょうか? 大体ジャズってもんは方言あるいはこぶしの世界だと思うから、理論で攻めるより演奏を聞いてそのエッセンスを感じるほうが良いと思うんだけどね。歌心が肝心だと思うよ。今日は辛口でした。
up date 2000.6.5
●浜松は東京の方を向いてるから、というよりもこの東海道筋は江戸時代から江戸文化を真似してきたむきがあると思いますね。郷土史の研究をしている人から聞いたんだけど、民話とか伝説のたぐいが輸入物だと言うんですよ、オリジナルじゃ無いっていう訳です。そう言われると分かるような気がします。浜松は結構方言がきついけど東京弁の人も多いからね。僕ら面白がってわざと浜松弁を使うようにしてるけど、これが結構奥が深くてむづかしいですね。近隣の磐田、袋井、掛川、引佐、浜北、舞阪、新居、湖西などと微妙に違うんです。純粋の浜松弁を研究保存をしてるのが知人にいるけど笑っちゃうもんね。これからも浜松弁を普及すべく努力します。
up date 2000.6.4
●僕がラジオ少年だった中学生の頃、浜松で手に入らない部品を東京の秋葉原まで買いに行ってたのです。昭和34、5年です、まだ東海道線しか無くて準急で4時間かかりました。秋葉原の部品屋街をほっつき歩いて、あの界隈はどこにどの店があるか大体知ってたものです。ある日の帰り台風で電車がストップして明朝まで缶詰になったことがあります。浜松駅に降り立ったら看板やら立ち木がグチャグチャでびっくりしました。それが伊勢湾台風だと後で知りました。ああ歳が分かっちゃったですね。それから39年、アマチュア無線(JA2CWO)やってます。今は新幹線で2時間、ひかりなら1時間半で着いちゃうもんね。便利になったもんだ。イエーイ!
up date 2000.6.4
●浜松という土地柄はヤバイ(?)所でして、右を向いても左を向いてもヤマハとかカワイ(両方とも本社あるからねえ)とかに関係ありまして、悪口は言えません。ミュージシャンにとって、どこのメーカーの楽器を使おうと『カラスの勝手しょ!』と言いたいですが、ピアニストの晴美やサキソフォンの康雄はツライです。だってメーカーがスポンサーのコンサートだって沢山あるんですから、プロはそんなことまで気を使うんです。特に浜松ではという実感です。個人的にはヤマハにもカワイにも沢山の友人がいますから、そんな事はどうでも良い事ですがね。唯一私の楽器(コントラバス)は大メーカーでは作っていませんので気が楽ですよん。アハハ。せめてもの抵抗は息子たちの乗っているバイクは、ハーレー、ヤマハ、ホンダ、カワサキとみんな違うことぐらいです。(バイクメーカーも沢山有るからね浜松は)
up date 2000.6.3
●浜松が楽器の街だということはみなさん御存じですが、音楽の街だと最近言い出したんです。この街で長いこと演奏してきましたが、どうもそう言われても実感が湧きません。どうしてでしょうか。浜松のイメージソングを作った張本人がこんな事言ってちゃ怒られそうですが、そもそも文化というものは一朝一夕には育たないものだと思います。ヨーロッパの文化にしても、また横浜や神戸に見るように長い歴史のなかで住民が培ったものだと思うのです。何百年単位で出来上がったものだと思います。気長に見守りたいと思っています。いやー偉そうなこと言っちゃたなー。
up date 2000.6.3
●僕ら浜松育ちは何といっても『凧』だよねー。5月のゴールデンウィーク3日〜5日まで浜松の若者は血が騒ぐと言いましょうか、とにかくルンルンになちゃうんだね、これが。僕らが子供の頃は5日間あって、もうフラフラになったものです。『昔のほうが良かった』というオジサンは多いですが、そういう私ももうオジーかな?浜松市のホームページでも見てちょうだい。
up date 2000.6.3