2000年10〜11月
「つぶやき」の御購読ありがとうございます。ページ満杯につきこちらのページに移ります。これからも宜しくお願いします。
●「つぶやき3」も満杯になったので、明日から「つぶやき4」に突入します。これからも宜しくお願いします。
●私が録音屋を始める時、S社の業務用テープレコーダーを購入したのだが、モニターから出るピアノの音が歪んで聞こえるので修理を依頼した。浜松のサービスでも静岡のサービスセンターでも判らないという、「どうしてこの歪みが判らないのか?」とクレームを付け、最後は東京から「このテープレコーダーを私が設計しました」という人が来た。私が仕事で使っていた2現象オッシロスコープを入出力に繋ぎ、正弦波をオッシレーターで入力した。出力波形にはクロスオーバー歪の波形がはっきり出ていた、それを見たメーカーの技術者は「解りました、申し訳ありません」と謝った。プッシュプルの出力トランジスタのバランスが悪く、石を交換して直った。この様に技術者だ専門家だと言っても判らないことがあるのである。需要家が素人とは限らない、私の様にうるさい客もいる訳だ。音楽だって同じだ、ものすごく耳が良い人がいる。ごまかしがきかないのである。ジャズはたまたま出来ちゃったフレーズの場合だってある。我々ジャズをやっていて音に厳しいのは「猿に絵筆を持たせ書かれたものが前衛だと騒がれる」のを恐れるからである。ジャズはアドリブ(インプロビゼーション)という素晴らしい表現手段を持っている。理論が後でついてきた音楽の宿命である、嘘をやりたくないから理論を勉強するのだが、これが足かせになる場合がある。「理論が先にありき」ではない、そこに理屈でない難しさを感ずるのである。
up date 2000.11.30
●アンドレギャニオンの曲を2曲ばかり手書きで書いた。何れもストリングスが絡んだ美しい曲である。市販のピアノ譜は2段で左手も書いてあるが我々には使いづらいから、一段譜でコードを書くことになる。この方がベースをつけるにもオブリガートをやるにも便利なのである。クラシックのピアニストは2段譜でちゃんと書いてないと弾けないのは不便だなあと何時も思う。左手をこの動きでなくてはならないと指定する場合を除き、コードシンボルで和音を表したほうが便利だと常々思っている。余程複雑な和音でない限りコードシンボルで表せないことはない。テンションの音でもおよそ表せないものは無い。だからコードが解れば、理路整然と説明出来るから分かり易いし、和声進行も一定の理論に則っているから分かってしまえば楽なのである。我々はコードを見たときその構成音を全部知らないといけないとは思っていない。そのコードがどういう意味で付けられているか、例えばドミナント7th系なのかメイジャー系なのかタイプが判れば良いのである。代理で付けられているコードがある、それを見破る眼力が必要であるがやっていれば自然に分かる様になる。ダンゴで見るよりはずっと分かり易い。私も勉強を始めた頃は何千とあるコードを前にして混乱したが、「解ってしまえばどうって事ない」のである。重要な音、飾りの音はすぐに判る。コード進行を見れば自然にベースの動き、オブリガートの流れが見えてくる。
up date 2000.11.29
●買い物に街へ出ればクリスマスソングが流れている。師走が近づいたなあと実感する、クリスマスソングやクリスマスの飾り付けは早くからやるが、12月25日が過ぎればパタっと止める。ディスプレイなど跡形も無く片づけられる、私たちも25日を境にクリスマスソングの演奏はしなくなる。毎年思うのだが、その変わり身の早さに感心するのだ。そして来るべき正月の飾り付けに取って代わられる、「前に前にやる」これは鉄則なのだろう、「楽しいことを期待して前から準備する」のが楽しいのである。何でもそうだが期待に胸膨らましている時の方が楽しいものである。誰しも実現してしまうと幻滅してしまったことは経験がある。こんなことがあった。あるパーティーで「会の歌を歌う」と言われた、主催者は時として勝手な要求をする。譜面が無いのでそばにあったピアノで急きょテープを聞きながら晴美は採譜したが、実際は歌われなかった。いっしょだった金井英人さんは「努力して準備することに意味がある、結果ではない」と言った。ここで「馬鹿野郎と怒らない」謙虚な彼に人間性の素晴らしさを感じた。音楽の大きさは人間の大きさだと思う所以だ。
up date 2000.11.28
●ワープロを使っているともっと早く入力出来る方法はないかと考える。単語登録をしてやれば良いのである。例えば私の場合「たし」と入力すれば「竹内俊介」と出てくる様に登録してある。同じ様に「たは」とやれば「竹内晴美」が出てくる。この様に楽する様にパソコン辞書をお利口さんにしてやる訳だ。エスカレートして「め」とやれば「cwo@sa.hctnet.ne.jp」とメールアドレスが、「ほ」とやれば長ったらしい「http://www.hctnet.ne.jp/sa/shun/」とホームページURLが出る具合である。Web上で何かに登録する時などすごく楽である、一字で済むもんね。自分の使い易いパソコンにカスタマイズする訳だ、誠に便利だが狡くなったおかげでアドレスがスラスラ出てこなくなった。パソコンは利口になっていくがやってる人はだんだん馬鹿になっていく。こんな事ばかりして遊んでいる。随分打ち込みが早くなること請け合いである。
up date 2000.11.27
●自分の好みのテンポに強引に持って行ってしまう事がある。イントロのテンポより速めになってしまうから晴美に怒られる、いつも同じ曲である。私のリズム感は突っ込みぎみで、鼻先が前に出ていないとスイング出来ない。生まれつき泡くらいなのである。ともすれば走ってしまう危険があるが其れぐらいでないとスイングしない。一言では言えないがテンポによってスイングさせる躍動感やドライブ感を出すのは難しいと思っている。36年もジャズをやっていて此れが一番難しいと言える。ジャズの命であるスイングを判れば大方解ったといえるだろう。リズムについて色々な言われ方をする、重い乗り、軽い乗り、ジャストに乗る、ネバッて乗る、フワッと乗る、ドライブする、などの意味が解るには身体で覚えるしかない。自分の身体の中に持っている時計の正確さにも関係がある、リズムを語る時はドラムと相対的に言われることが多い。必ずしもドラムが正確なリズムを叩いているとは限らない、とても難しいことなのだ。
up date 2000.11.26
●音楽をCD-Rで焼いた物は時々エラーが出て読めないものがある。プレーヤーによっては盤の反射率により読めない場合があるようだ。私の場合、パソコン本体のCDドライブ、据え置き型のプレーヤーでは問題なく再生するが、車についているプレーヤーではエラーが出る。音飛びしてしまうから誠に具合が悪い。息子の乗っている車のCDプレーヤーは、違うメーカーだがまったく問題なく再生する。故障とは言えないがどうもしっくりしない。要はCD-Rの反射率を高くするかレーザーを読み取る感度を高くするかの問題である。メーカーによってバラツキがある訳であるから選べば良いのだが、CD-R盤とプレーヤーとの相性があるから良く吟味しなくていけない。こういうのが一番難しい。
up date 2000.11.25
●「ゆやの里芸術協会」という団体に私と晴美は会員となっている。この協会は舞台芸術の世界で現役で頑張っている人で構成されている。クラシック、ジャズ、演出、作曲、バレー、日本舞踊など多彩である。各自自分のやっているジャンルが最高だと思っているが、「ゆやの里芸術座」の出し物となればみんなで力を合わせてスタッフになる訳である。和物から洋物までこなしてしまう。何とも力強いことである。そもそも芸術とは単独で成り立っているものではなく、他に依存する割合の差こそあるがおたがい関係はあるのである。音楽が踊りの為に存在した様に共に共存している。無から有を生ずる訳である「この場面はこうだ」と説明しなくてはならない、共通語は「イメージ」なのだ、それでちゃんと伝わるのである。
up date 2000.11.24
●私の使っているベースアンプはGallien Kruegerと云って米国製である。小さいアンプだがパワーは100Wあり結構使えるアンプである。どこへ行くにも手軽に持っていける重宝なアンプである。このアンプが「ガサガサ」とひどい音がしているので分解してみたら、何とスピーカーのエッジがボロボロなのだ。早速部品屋に行って25Cmのヘビーデューティーを探してこなくてはいけない。もうこうなれば電気屋である。スピーカーを求めて40年来付き合っている部品屋へ行って来た。JBL、Altec、EV、etc.の中から、ベースアンプのスピーカーに相応しい物を選ばなくてはならない。エレクトロボイスの10インチで定格300W、ピーク1200Wの楽器用を見つけた。楽器で使用するとピークの大入力でスピーカーを吹っ飛ばすことがよくある。タフでなくてはならぬのである。オーディオ鑑賞用のスピーカーでは危ない、過酷な使い方なのである。オーディオで思い出したが、昔は「フリュートのタンポのパタパタいう音まで聞こえる」とか「バイオリンの松脂が飛び散る音まで聞こえる」と文学的表現で説明していた。最近は其の様な言い方を目にすることが少なくなった。オーディオファンにはこだわっている人がいる。私は主に録音オーディオをやってきたから再生オーディオのことをいう資格は無いが、そりゃ参ってしまう程キ印の人もいる。マイクケーブルを銀の単線でやると音が変わるのには驚いた。ケーブルが太すぎて曲げることが出来ず、すごい大回りで引っ張ったのには参った。コネクタの金メッキは当たり前、接続する方向でも音が変わると言っている、材質の分子配列の方向があるからだという。「そこまでやるかなあ」と感心した、恐れ入りました。どの道もとことんやると奥が深いものである。
up date 2000.11.23
●「音楽は演奏されると空間に消えてしまう。それを取り戻すことは出来ない」エリックドルフィーの言葉である。彼のLast DateというLPのなかに声が録音されている。当たり前の事である、しかし真理である。録音されてレコードやCDになったにせよ所詮缶詰音楽である。そのものを取り戻すことは出来ない。本番でなかなかエンジンが掛からないミュージシャンがいる、終わり頃にやっと乗ってきて、「もっと聞きたいな」という時に時間が無くてお開きになる事がある。そういう人は日によって出来不出来が激しい。ギリギリの綱渡りのような音楽をやっている。それを知っているファンはたとえ出来が悪くても又来てくれる。良い時を知ってるからだ。本当の追っかけファンとはそういうものだ、気が長い。普通我々はコンサートに聞きに行って出来が悪ければ二度とその人を聞きに行かない。高い入場券を買って行くのである、当たり前かも知れぬ。ただこのジャズにあっては天才と云われる人程出来不出来は覚悟しなければいけない。良い演奏に遭遇したのはラッキーなのだ。天と地ほど違う、だから聞いてくれる人を失望させない為にも実力の80%ぐらいの演奏はしなくてはいけないと心掛けるのだ。それには体調、気分が良いコンデションを保っていなくてはいけない。楽屋などではプレッシャーのかたまりとなっている、冗談を言っているしか方法はない。ピーターソンでさえ楽屋でストレスのためにゲロ吐いてるぐらいである、ナイーブ過ぎるのである。良い聴衆に囲まれて気持ち良い演奏が出来た時は本当に嬉しい。
up date 2000.11.22
●パソコンの動作が遅くなって、フリーズが多くなったと感じNORTON Utilitiesというソフトをインストールした。Macでは定番ソフトである。ユーティリティソフトというのは必要である。システムフォルダも一応CD-Rでバックアップを取ってある。それらは問題が起きた時強い味方になってくれる筈だ。ファイルを検査したら壊れていたのを発見したので修復した。ハードディスクの断片化も解消した。毎日使っているパソコンである、調子良く働いてもらうには日頃のメンテナンスは不可欠だと思う。File Buddyというユーティリティソフトも使っている。壊れたエイリアスがいっぱい見つかる、パソコンの中はいらないファイルがグチャグチャに入っていることを知らなくてはいけない。潔癖性の人は驚いちゃうよきっと。お掃除を定期的にやってやる訳だ「備えあれば憂いなし」である。こんな面白いおもちゃ他にはちょっとない。
up date 2000.11.21
●絵が好きだったのは前にも述べたが、中学、高校まで描いていた。美大に行こうとせっせと石膏デッサンを木炭で描いていた。私の従兄で東京にプロのデザイナーがいたので相談したら「イマジネーションが湧いてこない時は死にたくなる、絵に進んでも上野のガード下で似顔絵を描いてるのが落ちだよ」と脅かされ断念したのである。ミュージシャンになっても似たり寄ったりだと今は思うが、言う事を聞いて良かったのかも知れない。お金で苦労するのは同じであるが、子供の頃の純粋に「絵は面白い」という気持ちが、プロになって崩れてしまうほうが悲しい。「好きな事は道楽でやるのが最高なのだ」と思うようになったのは、こんな思い出があるからである。やせ我慢かも知れないが好きだという気持ちは変わらない。絵と音楽を比べたら絵のほうが好きである。その気持ちが遺伝したのかも知れない、子供たち全員絵心をもっているしデザイン方面に進んだ。不思議なものだ、精神遺伝というのはあるのだろうか。それぞれ同じ子はいないがどこか私に似ているのである。
up date 2000.11.21
●息子の買ってくるCDを見ると50〜60年代の復刻盤ばかりである。どうしてだと聞くと「今のは良いのが無い」という答えが返ってくる。他の人に聞いても同じ答えが返ってくる。ジャズはハードバップという様式を完成させた、そして混迷の時代を通り過ぎ、模索を繰り返して現代に至ったと言えなくも無い。私のジャズとの関わりは正に混迷と模索の時代に一致する。みんな頑張ったのだが不毛の努力だったのだろうか、コルトレーンが一世を風靡して一色になったかに見えたがハードバップ派はちゃんと居たのである。長くジャズファンを続けてる人はそうだった。ジャズの世界の流行はハシカの様なものである。ミュージシャンは何か新しいことはないかと奇を衒った事をやろうとする、マイルスディビスがビッチェスブリューを発表した時、失望して聞くのを止めた人には沢山お会いした。ビルエバンスがエレピでレコード出した時は私もがっかりした。「これでジャズも駄目になるな」と悲しくなった思い出がある。息子の年代とは30年隔たりがある。彼等が今ハードバップを聞いて、「粋な音楽だ」と理解している事に素直に喜びを感ずるのである。
up date 2000.11.20
●この時期になると賀状欠礼の挨拶状が届く。悲しいことだ、日本の風習はこうなっているから又悲しいことを思い出さないといけない。年賀状をいつも版画で出していた。忘れもしない酉年の木叛を彫っていた時、彫刻刀で左手首を切ってしまった。外科に飛んで行き何針か縫う羽目になった。幸いにも筋を外れ簡単な手術で済んだが、もしもと思うと青くなる。ベースなど弾いていれなかった事になる。今でも手首に3Cmぐらいの傷が残っているから思い出す。一番下の息子が交通事故で頬骨骨折と左腕を80針縫う大怪我をした、ベースを弾いている彼は「早いパッセージが弾けなくなった」と嘆いたが元に戻って安心した。男の子は怪我が付き物である。それを心配して「あれをやるな、此れをやるな」じゃロクな大人になれない。とにかく外科とは縁が切れず回数券が必要な程である。心配の種は尽きない。
up date 2000.11.19
●修理に出していたプリアンプが治った。雨が降ると発生する不思議な故障である。原因を知りたかった、「電源を供給する貫通コンデンサが経年変化で不良になっていた」そうである。湿度が高くなると半導通状態になることは理解できる、アース間で半導通状態になり電圧がドロップする訳だ。したがってアンプ部分が機能しなくなる。よく原因を突き止めたと感心するのである。症状が出た時電流は何mA、正常時何10mAだと実測データを付けたことも良かったと思っている。修理依頼する方も素人ではない、話は早いのである。これで犯人探しは一件落着で気分よく寝られる。原因が解ってしまえば「なーんだ」と思ってしまうが、三流推理小説を読んでいるよりはるかに面白いのだ。
up date 2000.11.19
●ジャズについて論文らしき事を書いたが「所詮日本人にはジャズは出来ない」から「開き直って自分が出来る音楽をやる」と、とられるかも知れない。菅野光亮や秋吉敏子の音楽はアメリカ人には書けない。私たちは此の日本に生活していて、外国の文化を其のまま真似しても所詮もの真似だと思う。30年前なら通用したかも知れないが、それをやっていたら物真似だとひんしゅくを買ってしまうだろう。彼等は其の事にいち早く気が付いたと言える。日本人は物真似するものがあれば一生懸命努力して頑張るが「自分が好きにやってみろ」と言われると困ってしまう。ヨーロッパに留学したバイオリニストの話だが教授に「どうして其処をそう弾くんだ」と聞かれて「先生にそう弾けと言われたから」と答えたそうだ。答えになっていない、表現とは自分がそう感じてこういう気持ちをこう表現したいという衝動を表す事である。他人の言葉で話すのではなく自分の言葉で自分の言い回しで語ることである。他人や先生から聞けば良いというものではない。私の日頃言っている「そのまま自分を表現すればよい」とか「背伸びせず言えば良い」、宮沢さんの言った「色気だすな」も総べて同じことである。自分を100%理解してもらおうとか、実力以上に評価してもらおうとか思わなければ良いのである。セコイところも恥ずかしがらず出してしまえば良いと思う。その方が返って気取っているよりも可愛いし好感が持てる。美意識だけが一人歩きしているのではない、最後は人間性だと思う。スッポンポンでステージに立っていると思えば良いのだ。
up date 2000.11.18
●ボジョレヌーボの試飲と称してライブをやった。デュオであるが楽しいライブだった。20人程しか入れない店だが盛り上がった、ジャズは狭い所で聞くのが最高である。目の前に客がいて唾が飛んでくる位の近くで演奏するのは全部伝わる様な気がする。PA抜きの生の音、やっている方でも聴衆に伝わっている実感がある。何千人も入るホールでやった経験は数々あるが、此のほうがやったという確かな実感を感ずる。そもそも広いホールで聴衆の息使いを感ずることが出来るだろうか。満足である、伝わればそれで良いのである。ライブの後の客との会話は最高である、この「つぶやき」でも語れない本音を話す事が出来る。久しぶりに気持ち良く酔っぱらった。
up date 2000.11.17
●最近また音楽の話題に戻ってきた。音楽と絵画は二大芸術として並び称され対比されて一冊の本になったりしている。よく言われるのがフランス印象派の絵画、モネ、ルノワールなどの絵がドビッシーやラベルの音楽と対比され論じられている。その時代背景が作品に反映されるのは良く解る説明である。さて、ジャズがフランス音楽に影響された事実について論じられた文章を読んだ事がある。簡単に説明すればこうである。ジャズの発祥については「アメリカ黒人がマーチを彼等のフィーリングで演奏して出来上がった」とある、約100年前米国南部の金持ち(牧場主など)は子女をフランスに留学させた、クリオール(白人と黒人の混血)も留学させたが「彼等が当時のフランス音楽を吸収してジャズを進化させた」のだとある。ちょうどヨーロッパは印象派の時代だ。ジャズの歴史は本場アメリカにもはっきり書いてあるものは少ない、人種問題をさけて通れないからだ。南北戦争をやった国である、黒人、クリオールについて書くことはタブーなのであろう。白人中心の社会であることは我々日本人でも判る、そこに踏み込めないジレンマを感じてしまうのである。人種差別がひどいとか、教会が彼等に与えた影響、ニグロスピリチャル(黒人霊歌)の発祥、ブルースの意味、シャウトとは何か、黒人文化とは?我々日本人が理解できるのか疑問である。ブルースの詩などは卑猥で参ってしまう。だいたいアメリカ白人がジャズを芸術だと認めているのか疑問に思う時がある。1920年代禁酒法時代に地下室で発展した音楽である、アルカポネ、エリオットネスのアンタッチャブルの時代にジャズは享楽を煽った音楽である、これだけで不良の音楽の烙印を押されてしまっても仕方ないのかも知れない。時のPTAのオバサン達が良くいう訳がないと思う。推測である、私にはジャズを語る資格など無い。
up date 2000.11.17
●最近やたらと猫たちがニャゴニャゴと甘えて私を呼ぶ。通る度に呼ばれるので「何か用か?」と聞くのだが返事はニャゴーだから理由は解らない。私は猫と話ができる方だと自認しているのだが100%理解するには至っていない。まだ猫語の勉強が足りないと思っている。彼等の動作や鳴き声で判ってやらないといけないのだが時には誤解もあるのである。猫3匹と暮していると家族の一員だと思っているから姿が見えないと心配するのだ。時々間違えて名前を呼んでも返事する、「あいつらバカじゃないか」と思うが可愛いものだ。猫が側にいるだけで嬉しくなる。猫好きとはそういうものである。
up date 2000.11.17
●中学の頃、写真に凝って一眼レフカメラを持って撮りまくった。引き延ばしや現像の為に暗室が欲しくなり廊下の隅に暗室を作ってDPEをさんざんやった。長姉が6×6ブローニーでコンクールで賞などを取っていた影響もある。まだカラー写真が一般的でなく白黒写真の時代である。今だにモノクロ写真が好きである。さもない写真でもトリミングして4つ切りぐらいに伸ばすと見られるものになる、インパクトが出てくるのだ。当時はフィルムの感光度が低くASA100〜200が精一杯であった。コダックのTry-Xというフィルムは高感光度で暗い被写体の場合助かった。増感現像すると粒子は荒れるが暗いステージ写真でもノーフラッシュで使えた。次姉の日本舞踊のステージ写真を撮影させられたお陰で舞台写真に慣れた。ラチチュード(被写界深度)といって絞りを絞っていくとピントの合う範囲が広くなるがシャッタースピードは早く切れなくなる。逆に絞りを開けていくとピントの合う範囲は狭くなる。ポートレートなどは目にピントを合わせ周りをボケさせると綺麗な雰囲気のある写真が撮れる。85mmの中望遠レンズでポートレートを撮るとがボケは最高だ。写真雑誌ばかり読んでいた、土門拳や秋山庄太郎の写真に憧れたものである。絵も写真も好きでとにかくやりまくった、天気や光りの状態を見て絞りとシャッタースピードは正しく設定できるのは其のお陰である。望遠だズームだのとレンズを揃えやっていたのだが、今はバカチョンカメラになってしまった。あの情熱はどこへ行ってしまったのだろう。
up date 2000.11.16
●バイオリニストのクライスラーは大作曲家の未発表作品と偽って自作曲を発表したが、時の評論家は見抜けず作品は誉めたが彼の演奏そのものを酷評した。30年経って事実を暴露したが、其の時は演奏家として確たる地位を確立していた。なんと言う痛快な話ではないか、世の評論家の耳は節穴なのだろうか。権威主義のなせる業だと思う、ジャズの世界でも同様なことが起る、音楽そのものを理解できないからだ。本物かどうか判断出来ないからだ。「良いものは良い」と判断できる耳を持っていれば、そんな事は起らない訳だが、事実起ってしまうから不思議である。菅野先生に「世の中、盲半分目明き半分ですね」と言ったら「バカ、盲のほうが多いよ」と答えた。音楽を勉強することは言い換えれば良い耳を育てる事である。素直な感性と研ぎすまされた耳を養うことである。開かれた自由な心を養うことだと思う。
up date 2000.11.16
●ジャズを勉強することは音楽をより深く理解することができると思う。高校生まではベートーベン、リスト、ショパンなどを弾いていた晴美は、「ジャズを勉強したお陰で左手のやっている意味が解った」と言っている。だからクラシック音楽の素晴らしさを再認識したのである。アナリーゼすることは音楽を勉強する第一歩である。彼女は弦のアレンジをやっても内声部の動きや厚さの事を口にすることがある。そんな時は菅野先生のスコアーを引っぱり出してきて研究している。「ジャズもクラシックも、どちらで勉強しても同じだ」と言った先生の言葉を思い出す。違うものだとして片方を無視したり理解しようとしないのは了見が狭いと思う。音楽は広く、その素晴らしさを一面しか楽しめないなんて可哀想である。当たり前だが自分でやってみる事が一番よく解る。評論家のいうことは信用していない「ブルースの1コーラスでも弾いてから言ってみろ」と思っている。そもそもミュージシャンは鼻ッ柱が強いというか「突っ張った不良」なのである。
up date 2000.11.15
●久々にバルトークを聞きたくなってレコード店を訪れた。目的のCDは店頭に無いのでコンピューターで検索してもらったが1997年発売のCDはすでに廃盤になっていた。クラシックやジャズのCDは発売されたらすぐ買わないと手に入らなくなってしまう。ほとんどの場合復刻しない、ある枚数を初回プレスすると終りである。採算が取れないからだ。この世は売れるものは良い物で売れない物は駄目だと片付けられている。「河童のあやまり証文」のLP化の時、メイジャーレコード会社各社の担当者と話したが、ジャズもクラシックも窓際族になっており社内の新譜発表試聴会もガラガラだと嘆いていた。「良い作品を残していこうとポリシーを持ってるつもりだが、そうも言って居られなくなった」と悲しそうに言っていた。1983年、あの時代でそうである、今はもっと厳しい筈だ。資本主義とは全部お金で物事を考える、善し悪しとはいったい何なんだろう。
up date 2000.11.15
●小学1年生から画塾に通った。同じ町内なのでせっせと通った。そのうちそこの会場が都合悪くなり我が家が会場になった。姉、私、妹が生徒となり先生が来てくれたのである。家を引っ越しても先生は来てくれた。金原秋夫先生と云い児童画では有名な先生だと後から知った。本職は高校の美術の先生だったのだ。一番最初に描いた絵は今でも覚えている、トンネルから機関車が出てくる絵である。画用紙いっぱいにはみ出しそうに描いた、「大胆で非常に良い」と誉められた。ある日葡萄の静物画を描いた、葡萄の粒を全部違う色で塗ったら「表現が自由で色彩感覚がとても良い」と誉められた。絵画コンクールにいっぱい応募したから賞状やバッチが沢山ある。先生は「こう描け」とか「こんな色を使え」とかいっさい言わなかった。「自由に表現することの素晴らしさ」を知ったのはこの先生のお陰だと思っている。絵を描くことが嬉しくて学校でもクラス一だった。絵画教室は6年生まで続いた、この時期に押し付けがましい先生ではなく、「自由な発想を表現する」ことを育んだことは今になって良かったなあとつくづく思う。感性を潰されずに済んだ、心に傷が出来なかったのである。
up date 2000.11.14
●小学校3〜4年の担任の先生は音楽の鈴木美ね先生だったが、変声期が早かった私は歌のキーが高すぎて歌えず音楽が苦手になった。5年生から始めたクラシックギターの所為で其の傷を広げずに済んだ。何10年も経ってから、先生を小学校に訪ねて「音楽が苦手だった僕がミュージシャンやっています」と言ったら「竹内君は表現することが出来た子だから、音楽の道に進んでも先生は何も不思議だとは思わない」と言った。見ていてくれたのだ。それを聞いて長年コンプレックスをもっていたのが氷解した。そう言ってくれた先生も今は他界されてしまった。1〜2年は国語の中村明子先生で「すてきな街浜松」の詩を誉めてくれ受賞を心から喜んでくれた。5〜6年は内山高先生で後に県議会議員になった。体育の先生で一番世話をかけたが今だにおつき合いしている。こうしてみると先生とは人生にとって本当に大切だなあと思う。学校の先生はこちらで選ぶことができない、運悪く相性の悪い先生に当ってしまった人は不幸だ、一生を左右してしまう程の意味を持っている。だから先生になる人は人格に優れ心が広い必要がある。先生という職業は「聖職」だと私は思っている。
up date 2000.11.14
●ドビッシーやラベルを聞くとキースジャレットのコンセプトと同じだなあと感ずる。ビルエバンスや彼に影響を与えたとされるレニートリスターノもしかりである。印象派以降の和声様式を超えているとは思えない。モダンなサウンドは初め抵抗があるが、はまってしまうと抜け出れなくなる。バルトークの弦カルにシビレるのは時間の問題である。その先にはチャーリーミンガス、オーネットコールマン、エリックドルフィーなどがやった世界や、シェーンベルク、ストラビンスキーそしてニューヨークの前衛ミュージシャンのやっている音楽がめじろ押しである。一生かかっても聞き遂せない世界が広がっている。眉間に皺よせて聞く音楽が上等だとは思っていないが、「聞かず嫌い」は損だと思う、人類の文化遺産なのだから。
up date 2000.11.13
●新作の作曲とは新しい試みをするものである。「飛翔」CDでは舞曲として作曲したのだが各所で新しい試みがされている。「河童のあやまり証文」の河童の踊りの部分ではペンタトニックのフリーで演奏された。「雷井戸」の雷がピカっと光る部分では4度和音を使いノンキーフィーリング(無調)をやっている。マイナーブルースの部分もある。さりげなく其のコンセプトを挿入して完成させている。舞曲であるから再現性を要求される、即興の部分もあるが出来る限り楽譜に起こした。真っ黒けの譜面である、おまけに長い巻紙状である、書くのに大変だった。ピアノの2段譜を書くのは嫌になる。この話を思い出して「飛翔」をもう一度聞いて欲しい。
up date 2000.11.13
●「砂の器」のリクエストがきた。珍しいことだ、どうして我々が「砂の器」をレパートリーにしているのを知っているのか不思議である。日本広しといえども此の曲を演奏している人はそういないと思うからだ。「レパートリーが広いですね」とその客は驚いていた。ジャズ、ラテン、シャンソン、クラシック、ロック何でもやってしまう。私たちのスタイルは長年やってきて出来上がったものだ、良いと思ったものはジャンルに関係無しで演奏してきた。だからリクエスト曲には大体答えられる。これが売りである。菅野先生から学んだことは「良いものは良い」という事だ、これは嫌だと思って弾く曲はない。コード進行が駄目だと料理しようがないが、ジャズ風やボサノバで演奏すれば原曲が何であっても雰囲気が崩れることは無い。デュオの可能性を追求してきたが「やってやれない事はない」というポリシーを貫いている。打ち合わせも何も無く始められて終ることができる、ものぐさな私たちにはこんな便利なユニットはないと考えている。
up date 2000.11.12
●昔技術者だった頃の先輩で「ネジの杉さん」という人がいる。今時珍しい職人堅気の技術屋である。彼とは30年以上の付き合いであるが何故「ネジの杉さん」なのか説明しなくてはいけない。会社での出来事である、錆ついてどうしても取れないネジがあった。ネジの頭はドライバーで何回もやったから山が潰れてしまっている。万事窮す「何をやっても駄目だ」と諦めた時、電気ドリルでネジもろとも穴を開けてしまい新しくタップを切ってしまった。1ゲージ大きいネジを使いOKとなった。それを目の当たりに見ていて感動したのである。本当の職人気質とは此れをいうのだと思った。杉さんの伯父さんは腕の良い昔堅気の大工さんである、テレビで欠陥住宅の番組をやっていた、天地逆さまの柱も平気で使っているそうだ「なげかわしい」と言っていた。プロ根性に欠ける例である、「杉さん」も最近は職人が減ったと嘆いていた。世の中技術は向上したようなことを言っているが、質は落ちていると言えないだろうか。
up date 2000.11.11
●テレビの画面に縞模様が入って参ったことがある。勿論私が電波を発射していて妨害しているのではない。NHKの4チャンネルに妨害が混入するのでNHKの受信相談に電話をして調査に来てもらった。屋根にアンテナを付けた車で調査専門の技術者が来てくれた。其の時は障害が出ていなかったので原因は特定出来なかったが、「近所でビデオブースターがゲイン上げ過ぎで発振している」のが原因だろうという説明だった。原因の人は知らずに他人に迷惑をかけているのである。私の家の地域はゴーストも多い、ケーブルテレビに切り替えてしまった。このケースや弱電界地域ではブースターのゲインを上げ過ぎてトラブルが発生していると聞く、自分は知らずに他人に迷惑をかけている例である。そんな時あらぬ疑いを掛けられるのがハム局である。「草加次郎爆弾事件」の時、夜な夜なハンダゴテで機械をいじっていたら、近所の人に通報され犯人と間違われ、刑事にピッタリ張り付かれ参ったと言ったハムがいた。たまったものではない。
up date 2000.11.10
●「太った豚になるより痩せたソクラテスでありたい」と東大の総長が言ったそうだ。「太ったソクラテスになりたい」と私は考える。これはジョークだが、肩肘はって生きて行くことは厳しい事だと思っているからだ。戦時中物資統制の時代、闇米を拒否して死んだ高潔な人がいたと聞く。どう考えますか?答えは色々あるだろう、世の中総べての答えが一つなら簡単だ。逆に色々な答えがあるから面白いとも言える。私は「つぶやき」で思想に関することはあまり書かない、音楽家が政治的に利用されたり政治的に困った存在になった例はある。フォークのジョーンバエズやジョンレノンが反戦歌でアメリカの若者の心をとらえ、国防省はにがりきった話は有名である。グレンミラーもプレスリーも志願して入隊した。音楽なんてなどと言って居れない程インパクトを持っている訳だ。サッチモが公民権運動に狩出された時は拒否したそうだが、逆に黒人から悪く言われた話も残っている。音楽を政治に利用しようと企てる輩はいる「俺は音楽を好きだからやっているだけだ」と言ったサッチモは勇気あると思う。
up date 2000.11.9
●小学校で「雪が解けたら何になる?」と子供達に質問したら、みんな「水になる」と答えたそうだ。一人だけ「春になる」と答えた子がいたそうだ。こんな話もある。子供達にお日さまの出ている絵を描かせたら、ほとんどの子は赤い太陽を描いた。その中で白い太陽を描いた子が一人いた。太陽を見たことありますか?赤く見えるのは朝日と夕日の時だけですね。今の教育は「春になる」と言った子や「白い太陽」を描いた子を間違いだとしていないだろうか。個性のある子供を育てたいと口で言っているが同じ制服を着せ、同じ考え方をさせ、同じ答えをさせている。これでは個性など育つ訳がない。私たちジャズの世界で生きていて他人と同じ事をやっていたら、それこそ個性がないという烙印を押されてしまう。
up date 2000.11.8
●夏の日照りで枯れてしまった植木の後に「石楠花(しゃくなげ)」と「五月(さつき)」を植えた。花をつけない木蓮(もくれん)には骨粉の肥料をやった。こうして庭木の手入れを時々やっている。花をつけた時は嬉しいものだ。今日も母と姉を連れてJAがやっている「緑花木センター」に行って来たのだが、花を見て廻る人の顔は好きで仕方ないという顔をしていた。母も「温泉などへ行くよりも楽しい」と言っている、根っから植木や花が好きなのである。時々こうして母と見て廻るのがとても楽しみなのだ。
up date 2000.11.8
●暦の上では立冬だという。朝晩はめっきり寒いと感じるこの頃である。山の上に移動運用している局から紅葉が綺麗だとインフォメーションを頂いた。山歩きが好きな人は紅葉を観る楽しみでせっせと山に通っている。紅葉と黄葉はともに「こうよう」と読む。カナダは楓(かえで)の葉が国旗にも描かれているが紅葉を楽しむ風習は無いようだ。日本人特有の感性なのだろうか。シャンソンの「枯葉」を聞いても益々風情を感ずる季節になった。
up date 2000.11.7
●金曜、土曜など週末は仕事を休んだ経験が無い。我々の仕事が週末忙しいのは、今始まった事ではなく昔からそうであった。もう何10年もそうだから別に休めないのを当たり前と思っている。ただ困るのは何かの会をやるのは大体週末という事だ、一般的には皆週末が良いという訳である。不義理をしてしまうがこんな職業を選んだから仕方ないと諦めている。昼間庭の草や植木をいじっていたりするから端からは暇で気楽そうに見える。人はビール飲みながらナイター見てる時間に仕事をしているのである。野球に興味ないから羨ましいとは思わないけれど、とにかく反対の生活であるがもう慣れた。
up date 2000.11.6
●実家から掛かってくる電話の声が歪んでいるから、「コードレスホンの子機の充電電池を交換するか全部を新品にするかにしろ」とアドバイスした。子機に使っている電池は高いから全部変えるほうが良いという訳である。最近は本体プラス子機を1万円ぐらいで購入できる。こういう事が産業廃棄物を増やす結果となる。電子機器は大量生産してるから安く出回っている。修理工賃は高騰しているからこういうアンバランスが生じる訳である。バイク屋で聞いたら全部部品を購入してバイクを組み立てると、完成品バイクの3倍位の値段が掛かると言っていた。何か理屈に合わない様な気がした。
up date 2000.11.5
●天候不順が祟って風邪を引いてしまった。咳、鼻水、頭痛がありステージをしばらく休んでしまった。急に寒くなった日、やっぱり掛かってしまった。3日間風呂にも入らず過ごしたがチベットの人は大変だなあと思った。彼等は一生入らないと聞いたが本当だろうか。身体中気持ちが悪い、私ゃ風呂嫌いだが3日入らないとさすがに身体中痒い様な気分になる。石鹸で良く洗ってスッキリした、生れ変わった気分である。演奏する音楽も心なしか変化した様に感ずる。気のせいであるが。
up date 2000.11.5
●買ってちょうど1年目にCD-Rの故障である。データ転送が間に合わずエラーが出る。息子にCD焼いてくれと頼まれていたのだがエラーが立て続けに出た。最近パソコンは調子良く面白くないと思っていたが障害が出ると俄然元気がでる、変な性格である。これでしばらく勉強になると喜んでいるのである。故障原因が解らないと本を読んだり色々と勉強する。悩むと覚えるのである。行きつけのパソコン店に行ってCD-R本体のテストやってみたが異常なしである。あとはデータ転送に関するエラーが出る要素を考えることになる。P RAMのクリアをやったらOKになった、拍子抜けである。いつまでもビギナーの域を抜け出られない。パソコンはやっぱり難しい。
up date 2000.11.4
●物干台が倒れるほどの強い風が吹いて、干すのを諦めてコインランドリーに洗濯物を持って行き乾燥をやってきた。その後は大雨である。これは台風が熱帯性低気圧に変わって本州に押し寄せたからだと天気予報で知った。先日は地震がありグラっときた、思わず側にいた晴美にしがみついたら張り倒された。最近自然現象が不順だと感ずる、日本中地震が多すぎると思うのは私だけだろうか?小松左京の「日本沈没」を思いだしてしまう。自主防災隊の訓練を予定している、何だか心細くなってきた。だいたい「ヨイヨイになる前にコロっと逝ってくれ」なんて言われてるだぜ、キツイお言葉ワシャ悲しい。
up date 2000.11.3
●涼しいのを通り越して寒いと感じるこの頃である。クリスマスの音楽企画の話はとうに済んでしまった。何処も時勢を反映して厳しい予算しかない。企画も萎んでしまうのは仕方ない。早く景気が上向いてほしいと誰もが願っている。音楽は衣食住には直接関係無いのでどうしても二の次になりやすい。でも潤滑油の働きをするから生活が滑らかになる、なくてはならないものだと思っている。人に幸せを与える仕事だからと自らを励ますしかありません。
up date 2000.11.2
●私のコンピューターが最近もてている。息子が写真画像の編集に使っていたりする。デジカメの写真を取り込んだり、スキャナーで取り込んだりMOに保存したりで良いように使っている。私はと言えばインターネットやハムの交信記録の管理をパソコンでやっている。たまに仕事で使っているがほとんど遊びに使っている訳だ。こんな面白いおもちゃは他に無いと思っている。特に「つぶやき」などという日記を毎日書いてる訳だから最たる物だと思う。当たり前の様に使っているとパソコンの無い生活など考えられない。パソコンを使い出してもう5年になる、習慣とは恐ろしいものだ。
up date 2000.11.2
●この「つぶやき」が変なページになってきた。書く事に一貫性が無く音楽はまだしも技術の話も登場する。これでは読者に嫌われると思うが、私自身が技術屋あがりなのでつい専門的な話しになってしまう。「女性には絶対もてないな」と思う。晴美などはちょっと専門的な難しい話しになるとフガーと寝てしまう。昔から屁理屈こいてる青瓢箪は嫌われる。「男は黙ってサッポ◯ビール!」これだよね。
up date 2000.11.1
●アマチュア無線の面白さに自作がある。私の開局した昭和30年代は自作が当たり前、自作出来なくては電波を発射する事が出来なかった。既製品もあったのだが高いし性能も良くなかったので送信機も受信機も測定器までも全部自作した。それが面白くて徹夜が続き、授業中に昼寝という状態で悪い中高生だった。その経験が勉強になったし理論も体で覚えてしまったから技術者になってからも為になった。今はお金さえ出せばメーカー製の機器を買うことができる。先日部品屋で聞いたら同程度の機器を自作すると3〜5倍のお金が掛かると言っていた。自作をする人はどんどん減っていくだろう。私の場合プロマイクを繋いであるので、自作20dBのマイクアンプを付けている。その程度が昔の面影である。真空管式のオーディオアンプでも作ろうかと考えている今日この頃である。
up date 2000.11.1
●鈴木博さんの大ファンというOさんからメールを頂いた。彼は東京在住で博さんの未亡人がやっているお店に行って、鈴木博さんの歌声をCDで始めて聞いたそうである。私のホームページを探し出し連絡を頂いた訳である。そのCDは「Now in the night」、これがタイトルである。この録音はコロンビアでLPを出版し其の復刻したCDである。内容は最高、こんな良い声の歌手が日本にいたのを驚くはずである。私は「つぶやき」で博さんの天才振りを書いてきたが聞いてみるのが一番だ、何の説明もいらない。Oさんによれば再度限定で復刻するそうである。聞いてみたい方は私かOさんに申し込んでほしい。私が宝物としているCDだ、菅野さんも手放しで誉めた天性の声である、是非聞いてほしい。
up date 2000.10.31
●しばらく前だが風邪を引いた時、右耳の「耳鳴り」が始まりしばらくすると低音が聞こえなくなった。耳鼻科に飛んでいき検査したら周波数特性は200Hz以下はガクっと落ちていた。私の職業は耳が一番大事である、薬を飲んでも一向に治らない、知り合いの医者に聞いたら「耳鳴りは原因が解っていない、治らないかも知れない」という。頭のCTスキャンまでしても解らないのである。演奏していてもピアノの音はキンキン鳴って自分の音は良く聞こえない、音楽どころではない状態だった。かなり落ち込んで薬を飲むのも止めて半年ほったらかしていたら自然に治ってしまった。あれは何だったのだろう?今だに不思議だと思っている。
up date 2000.10.30
●どうしてアマチュア無線が面白いのか、其の一例を挙げればDX通信(遠距離通信)だろう。いかに遠くと通信できるかを競うのである。大きく別けて海外と国内がある、海外DXは電離層の反射を利用して電波を飛ばす訳だが主に波長の長い短波を使う。一方国内のDX通信はグランドウェーブといって地表波あるいは山岳回折を利用し、波長の短い超短波やもっと短い極超短波を使う。短波は電離層反射を利用するから遠距離通信に向いているが、反面近距離通信には向かない。波長の短い電波は遠くなるほど届きにくくなる。雑音すれすれの蚊の鳴くような弱い信号を耳をそば立てて聞くのである。その為には弱い信号をいかに増幅するか、雑音をいかに低減するかにかかっている。前にも書いたがプリアンプが必要になる、それもアンテナ直下に接続してS/N(信号雑音比)をかせぐ。其の為に足がガクガクになっても屋根の上に上がることになる。バカなことにのめり込んでいるとも言えるが、やってる本人は大真面目なのである。良く言えば飽くなき戦いである。男のロマンとも言える。
up date 2000.10.30
●最近音楽の話しがあまり登場しない。実を言うと毎日のように演奏していると音楽の事に触れたくないというのが本音である。ハムでの話題にしてもあまり音楽のことには触れない。本職のことにあまり触れたがらない人は多い。私なんかまだ書いてるほうだと思う。実はハムで話していて喧嘩しそうになった事がある。ぐっとこらえて我慢したのだが、事音楽に関して本気で悩んでいることをいとも簡単に言われると「素人に解る訳がない」と怒った事がある、まだ人間が出来ていないと反省しきりである。それからはミュージシャンであることを明かさない、説明することが面倒くさいと思ってしまう。その道に入り込んでみないと本当のことは解らないと思う。同じ音楽でもクラシックや邦楽の人はジャズのことは解っていない。それで良いのだと思うようにした。やってること悩んでいる事が違うのだから解れという方が無理である。
up date 2000.10.29
●無線機に付けているスピーカーであるがオーラトーンという舶来のスピーカーである。これは一時モニタースピーカーとしてもてはやされた事がある。直径8Cmほどの小さいスピーカーだが優れものなのである。なぜこのスピーカーが使われたのかは、ラジカセで再生される事が多いポピュラー音楽のバランスを取るにはうってつけだった訳である。再生音は切れが良く了解度を必要とする無線のモニターにはうってつけだ。もやもやする低音の出るスピーカーは使えない、さりとて出ないスピーカーはキンキンで耳が疲れる。ただ2本で3万円した記憶がある。結構高い、音屋であることがマイクやスピーカーにこだわる訳だがこれが面白いのである。本職総べてが道楽に思えてきた。
up date 2000.10.28
●アンテナ直下に付けてあるプリアンプを交換する為に、命綱をつけて2階の屋根に上げているタワーに登った。何時上がっても恐い、足がガクガクする。コネクターを防水する為にブチルゴムのテープを巻くのである、したがって両手を使わなくてはいかず命綱はどうしても必要である。地上10メートルで両手を離すのは軽業師の心境である。下に降りてくるとドっと疲れがでる、良い歳をしてこんな事やってる自分が情けない。好きだからしょうがない、上がる前に晴美に「日頃言ってる事を遺言だと思ってくれ」と毎回言ってから悲愴な思いで作業に取りかかる。道楽やるにも命掛けである。
up date 2000.10.28
●よくもまあ「昼の日なかからクッチャベッてる人がいるもんだ」と普通の人は思うだろう。短波のハムバンドを聞いてみると沢山の人がオンエアーしている。「暇な人もいるもんだ」と思ってはいけない。職業によっては昼間しか空いた時間がない人だっているし現役をリタイアした方だっている。リタイアした人は「毎日サンデー」だと言っている。現役の頃は技術職でバリバリだった方もいる、「仕事を一生懸命やってきたからこれからは趣味を頑張ってやりたい」と言っている元気な人がいる。そんな人は現役時代、忙しい合間をぬってハムを続けて来た40年もやっているベテランである。頭が下がる、一生を通して一つ趣味を続けられる魅力がアマチュア無線にはある。先端産業の企業経営者や研究者の中には基にアマチュア無線があった事は意外と知られていない。大東亜戦争(大平洋戦争)の敗因はミッドウェー海戦で敵のレーダーの為だと言った人がいる。科学技術の遅れが原因だというのだ。「これからの日本は若者に科学技術に興味を持ってもらい育成しなくてはいけない」と昭和33年、初級アマチュア無線技士、則ち電話級アマチュア無線技士と電信級アマチュア無線技士の資格が新設された。一回目の試験が実施されたのは昭和34年だから私は3年目に受験して合格した事になる。昭和36年の事である。当時3万人に増えたと騒いでいたが現在は288万人と言われダントツ世界一である。初級ハムの新設の動機がミッドウェー海戦にあるかどうか知らないが電子技術が世界レベルになった事は周知の事実である。歴史を知ることは面白い。
up date 2000.10.27
●雨が降るとアンテナ直下につけてあるプリアンプが動作しなくなる。天気が晴れていれば異常なしである。湿度が高くなると内部回路がおかしくなる事は事実である。どうしてか理由が解らない、こういう故障には苦しめられる。症状が出なければ対処のしようがない、ヘアドライヤーで温めたり冷却スプレーで冷やしたり症状が出るまでをやったのである。どうしても症状が出ない場合は見込み修理をやる。原因となる可能性がある部品をかたっぱしから交換するのである。これで治した場合、何となく気分がすぐれない。地上高10数mにつけてある装置である、苦労して取り外しても原因が解らない可能性は否定できない。犯人をはっきり特定出きないのは納得できぬものである。「やんなっちゃったなあ」という所である。名探偵がホシをあげる決め手で悩んでる時のようだ。勘が働いて一発でホシを特定できる事もある、その時は本当に嬉しい。
up date 2000.10.26
●ベースのN君から久しぶりに電話があり、ジャズのビートについて話しした。彼とは長い付き合いだが、浜松弁の研究家であるから笑ってばかりで真面目な話はあまりした事がない。同じベース奏者なので内容は意味が良く判る。私がこのページで言っている事は彼も良く理解していた。たまには同業同志の話はしなくてはいけないと痛感した。人は色々の考えをしていて良いのだが、普遍的なことは正しいことだと理解してやって行きたい。それでないと別な方向に進んでしまい誰にも支持されない音楽になってしまうかも知れない。聞いてくれる人があっての音楽である、「我がままにやっていて気が付いたら孤立していた」なんて事に成りかねない。自分の姿を鏡に写してみることも必要だ。
up date 2000.10.25
●雨降りの一日であったがお墓参りに行って来た。親爺のたち日に母を連れて毎月行くことにしている。何をお願いする訳でもなく、幸せに暮していることを感謝しに行くのである。花と線香を持って、こうして行けることを感謝している。こうした平穏な生活は幸せだと実感している。人は波乱万丈の人生に憧れることがあるが、けっしてそうではない、平凡が幸せなのである。端からは派手に見える職業だから趣味も地味なものが好きなのである。だからバランスのとれた生活ができると思っている。
up date 2000.10.24
●トランシーバが具合悪くなって部品が無く修理不能であった。ディスプレイの故障なので周波数の表示がデタラメで、しばらく使ってみたがまこと調子が悪い。仕方ないので新品を購入することにした。メーカーが違うのでマイク入力の結線が異なるから、ハンダゴテでやり直さなくてはいけない。これが嫌いじゃないから楽しいのである。新しいトランシーバは使い方が難しい、いじりまわして慣れなくてはならない。しばらくはいいオモチャができたからルンルンでやる事ができる。生まれつき機械いじりが好きなのだ。
up date 2000.10.23
●トランシーバが新しくなり調子に乗って10局も交信してしまった。私はいつものんびりしていて、こんなに沢山の局と交信することはない。新トランシーバは機能がいっぱい付いているが、使いながら覚えるしかない。最近はデジタルだからボタンを押して設定するのが当たり前になった。Sメーター(信号強度を見るメーター)は以前はアナログメーターで針が振れていたが、今の物はデジタルでLEDである。時代は変わったのだ、録音現場でもVU計はLEDになり、表示はピーク表示になったから最初は面喰らった。ぎりぎりまで録音レベルを追い込んでS/Nをかせぐのが当たり前の考え方だったが機器はデジタルに変わりテープヒスノイズから解放された。むしろ入力オーバーで歪むのをしっかり監視するのがレベル設定の考え方だと理解した。
up date 2000.10.23
●私たちの演奏しているグランドホテル浜松スカイラウンジ「サムデー」に秋吉敏子さんがみえたので、お話する機会があった。70才になる彼女はすごいパワーを持っている。共演ミュージシャンは3、40代なのに其の中で一番元気があった。「私は宮本武蔵の生き方に共感し努力している」と言った。実は秋吉さんに御会いするのは始めてではない、18年ほど前本多俊夫さんに紹介され藤枝のコンサートで楽屋を訪ねたことがある。しかし其の時は挨拶だけでお話は出来なかった。今日始めてお話ができて良かった。宮沢さんが亡くなったのをニューヨークの自宅で内田修先生からのファックスで知ったそうである。10年間宮沢さんに付き合ったことや宮沢さんとコンサートで共演したときの事などを話した。秋吉さんの前で演奏したのは恥ずかしい気がするが彼女のパワーに圧倒された一夜だった。
up date 2000.10.22
●物事には潮時というものがあるらしい。「これをやってみたいがどうしたものか」と迷うことがある。其の時は方位とかに決断を委ねる場合がある。どう考えても結論がでない時は、私でもそういうものに委ねて決めてしまう。非科学的と言われようが決断力が無いと言われようがそうしてしまう。此の世の出来事が総べて理屈で説明出来ないと思っているからである。理屈で分らない時は超自然の摂理に素直に従ってしまう自分を思慮が足りないなどと思わない事にしている。
up date 2000.10.21
●フロッピーディスクが1枚だけ読めないのがあったので、パソコン店に行って調べてもらったが異常なかった。店の人がいうには原因は不明だが時々トラブルがあるそうだ。最近では保存する概念が変わって、ハードデスクの中に保存したり、プロバイダーの空きスペースに保存しておくなど方法をとっているそうだ。新機種にはフロッピーディスクのドライブさえ付いていない。これからは無くなってしまうのだろうか。書類などはフロッピーディスクに保存しておくのが当たり前だったが時代は変わって行くものだ。
up date 2000.10.21
●最近二人からメールを頂いた。二人は好きでジャズを演奏している、ベースとドラムス奏者である。本職はコンピュータソフト技術者と建築デザイナーそれぞれであるが以前からの知り合いである。半年前パソコンのトラブルで、OSやブラウザソフトを入れ替えたらアドレス帳やブックマークが消えてしまい、連絡とれずにいたのである。「音楽は道楽でやるのが最高」といったがその見本のような人たちである。何故、道楽でやるのが良いのかは嫌なことはやらなくて良いからです。「魂を売らなくてよい」からです。プロはやりたくない仕事も頼まれることがある。「にしきのあきら」の歌判を頼まれたがさすがに断った。ロミー山田の仕事は仕方なくやったが頭にきただけでした。とにかく芸能界の仕事は良い思い出はありません。純粋にジャズだけやりたいのならアマが最高だと思います。私たちはジャズにこだわってやって来れたのは幸せだと思っています。だけど貧乏は覚悟しているという話は書いたばかりです。彼等ののびのびとしたホームページ是非見てやって下さい。有谷仁志さん(ベース)のページ 内山淳平さん(ドラムス)のページ
up datr 2000.10.20
●我々ミュージシャンは気楽に見えるらしく「この不況に関係ないだろう」とか「楽しそうでいいね」とか言われる。社会に関係してるのだから不況に影響されない訳がない。ただミュージシャンは万年不況だから別にこの不況下で殊更騒いでもしょうがないと思っているだけである。東京のミュージシャンに聞いたが仕事が薄くなって大変だそうだ「才能があっても止めた奴がいる」とか「田舎に帰ってしまった人」もいるそうだ。「コッペパンで頑張る覚悟がいる」と30年前は言われたが今でも同じだ、コッペパンすら買えなくなったら仕方がない。作家、画家、音楽家は売れる前は貧乏する覚悟は出来ている。売れた後、貧乏するのが耐えられないのである。私たちは良い思いをした経験が無いからいいのである。「純粋に音楽に行き詰まって自殺する人を尊敬する」と私は常々思っている、その前に経済的に行き詰まって死にたくなる筈だから。そもそも「音楽で飯を食おうなんてこと事態フテー考えだ」と思っている。今日は厳しいお話でした。
up date 2000.10.19
●鈴木博さんとアレキサンダーの浅野さんを知る方からメールを頂いた。とても嬉しかった。彼等の人柄を知っている人に「つぶやき」を読んで頂いたことは彼等の供養になったような気がする。新しい付き合いが始まる予感がする。「インターネットも捨てたモンじゃない」と喜んでいるのである。
up date 2000.10.18
●ドラムの内山淳平さんから1997年12月の大晦日、宮沢昭さんとのライブの写真を送って頂いたので掲載します。この時が宮沢さんとステージに立った最後です。

在りし日の宮沢さんと私(グランドホテル浜松スカイラウンジにて)
up date 2000.10.18
●聴衆はテクニックを聴いて上手いだの下手だのと言う。ミュージシャンは「味がある」「リラックスしてる」とか言う。聴いている所が明らかに違う。出来て当たり前の世界である、おのずと違う訳だ。小津さんは「ファンに上手いと言われるより仲間内であいつは出来ると言われたい」と何時も言っていた。プロ意識とはそういうものだと理解した。「衣擦れの音」といわれる彼の繊細な表現を私たちは評価していたが、それを解ってくれた聴衆がどれだけいたのか知らないが、中には解る人がいる。その人とは話が合い今でも友達である。美意識が共通である人とは音楽の話が出来るのである。
up date 2000.10.17
●ミュージカル「池田の渡し」の公演を観て来た。半年がかりの仕事であったが終ってみると呆気なかったと感ずる。晴美と二人で「あの曲は中低音が薄かったので、アレンジ上何とかならないか」とか「ストリングスの音色がもっと良い音が欲しい」などと反省しきりである。音源を新たに購入しなければならないし検討しなくてはならぬ。最近の音源はリアルになってきたがまだ不満はある。生音には適わないのである。ちょっと聞きは誤魔化せても福よかさとか音のニュアンスとなると駄目である。別に厳しい耳で聞いている訳ではないが気になってしまうのである。我々の耳はもうそうなってしまってるから始末におえない。
up date 2000.10.16
●私の所にプロのベース弾きになりたいと相談に来た人が2人いる。彼等には「絶対やめろ、音楽はアマチュアでやるのが最高だ」とアドバイスした。プロの厳しさを知らない為だが、この道でそう簡単に食ってはいけない。息子にだって散々言ったのである、最後まで反対したが説得出来なかった。私自身がやって来てしまったのだから説得力はありません。息子には泣き言は言わせませんし言わないと思います。息子から見れば私は厳しい存在なのだろう。私が周囲から反対されてそれをバネにして歩んできた道だが、こうなった以上反対する理由はない。最大限がんばって努力してほしい。親子でもステージの上では甘えは無い、ちゃんとやらなければお互い文句をいう。これで良いのである。
up date 2000.10.16
●世の中が灰色に見えるのは心のなかに「わだかまり」があるからだ。その元を取り除かない限り明るくはなれない。何をやっても面白くない。鬱状態になるのである。その元を取り除くのが無理の場合、例えば誰某が亡くなってしまった時などは方法がない。何かに打ち込むとかして其の事を極力忘れる方策をとるしかない。あとは時間が解決してくれるのを待つのである。恋をして世の中がバラ色に見えた頃の自分が、こうもブルーになってしまうのか人間とは不思議なものだと思うことがある。私は心の起伏が激しく、うつろいやすい事を知っているからなるべく気楽に物事を深刻に考えず楽天主義で通している。端からは脳天気に見えるがそれでいいと思っている。子供の頃の私を知っている人は私のことを「カミソリみたいで恐かった」という、本質は暗い眉間にしわをよせている自分があるのを自覚している。そんな自分が嫌いで努力して楽天家に変身したのである。康雄が子供の頃、教育テレビでクラシックのバイオリン奏者が眉間にしわよせて演奏していた。「こんな辛そうな顔してやる音楽はやりたくない」と言った。子供の目は純粋である、それを聞いた私はその通りだと思った。
up date 2000.10.15
●他人の演奏を聴いた時、自分と同レベルの場合自分より上手く感じるものらしい。何故自分の演奏が他人より下手に感じるのかは、やっている本人は自分のやることに飽きているからだと思う。他人のやることは新鮮に映る、だから自分より良く感じる訳である。自分自身に酔ってしまい満足してしまったら進歩は終りである。自分の芸に厳しく、ある時は満足もしながら長い道のりを歩んでいくのである。優越感と挫折感を交互に感じつつ進んでいくしか方法はない。道は違うが芸に生きる姉も同じことを言っている。どちらかが勝ってしまえば鼻天狗になったり、逆に落ち込んでやるのも嫌になってしまう。気持ちの持ち方は丁度良いバランスが必要なのである。
up date 2000.10.15
●ミュージシャンは冗談めかして一言いうが、これが的を得ている。彼等からユーモアを取ってしまったら面白くも何ともない。やっていることは結構シビアであるからつらくなってしまう。ミュージシャンは誰でもギリギリのところをやっているのを知っているから、プレイについてお世辞も言わないがあまり厳しい言い方はしない。昔、決定的な事を言われ自殺した人や、未遂に終った人の事を聞いたことがある。自分の才能に疑問を持ち世をはかなんだ結果である。宮沢さんも若い頃は「鬼の宮沢」と言われ恐れられたそうである。私たちがカルテットを組んだ時は60才の「仏の宮沢」になっていたから、死にたくなる程の厳しい言われ方はされなかった。しかし彼の演奏の素晴らしさに鳥肌が立ち、何度か死にたくなった。もうあんな天才とは巡り会えないと思っている。
up date 2000.10.14
●ひと月も放っておくと庭の雑草がボウボウに増える。仕方ないので草取りをやるのだが、これが結構重労働なのである。暑くて仕方ない時期ではないのでそれは良いのだが、後から身体中が痛くなる。日頃身体を動かさないから慣れないことをやるとてきめんに来る。ネコの額ほどの庭だが管理は大変です。以前は池に鯉を飼っていたから一週間おきに池の掃除をやっていた。20年ぐらい飼っていたので70Cm程に成長した鯉が数匹いた。ある時池の水漏れが止まらず「池はやめる」と大鯉は近くの川に放流し、玉石を敷いて枯れ山水にしてしまった。それで手入れは楽になったのだが植木の刈り込みや草取りはやらなくてはいけない。嫌いじゃ出来ないよ、毛虫に刺されたりカブレたり、蚊に刺されたりだもんね。まあこれも楽しみの内だと思うしかありません。
up date 2000.10.13
●秋が来ると人は皆詩人になると書いた。ということは皆感性を持っていることである。気恥ずかしくて発表しないだけである、面の皮を厚くして勇気をもってやれば良いと思う。日本人は昔から謙譲の美徳とかいってそれを善しとする嫌いがあるが、引っ込み思案はいけない。私の知り合ったアメリカ人は自分をアピールして「俺は世界一だ」ぐらいのことは平気でいうから、話半分でいないとヒドイ目にあいますよ。それぐらい国民性は違います。図々しいのは困るが自分のことを表に出すことは恥だと貴方は考えてはいないだろうか。ナイーブとハッピィーは表裏一体だがそんなことは作品を見れば一目瞭然なのだから素直な自分を出せば良いのである。もっと、もっと自分を表現して明るく人生を送ってほしいと思います。
up date 2000.10.13
●音楽の技術を維持することは大変である。康雄は休みなく毎日3時間は練習している、これでも上達するか疑問である。テクニックでは指が多少動くようになるだろうが上手くなるという保証はない。実際にステージに立って経験を積むより他に方法はないと思う。音楽はある程度上達するとテクニックの問題より音楽性が問われる。これが難しいのである。発想力が有るかの問題である。天才と共演すると死にたくなることがある。「どうしてあんな表現出来るのだろう」と感動すると同時に、自分の才能の無さを嘆くのである。素晴らしい音楽は聴衆に感動を与える前に共演者に感動を与えるものである。音楽の道は遠く、険しい。何を目標にして何を表現するのか、その人の人生感と生き方が問題となる。
up date 2000.10.12
●魚を貰った話ばかりで恐縮だが、今度は鱚(キス)である。私の駆け出しの頃のバンマス「ふみさん」が釣りに凝っていてキス釣りに行っているというから「30匹釣れたら連絡下さい」と言っておいたら、本当に電話があった。30匹背開きにしてすぐ料理できる状態で頂いた。「釣るのは簡単だが捌くのは大変だ」と言っていたが私にも経験があるから分る。2時間ぐらい掛かったこともある、腰が痛くなった。本当に料理するのが嫌になる程釣れることもあるのだ。頂いた鱚はパン粉をつけてフライにした。かなりの量である、3日目であるが冷蔵庫にまだ残っている。これで今夜も一杯やらなくてはいけない。
up date 2000.10.11
●私はベースを弾き続けて36年ぐらいになるが、若い頃はスコットラファロに憧れてハイノートでパラパラ弾いていた。しかしこれでミュージシャンに誉められたことは一度も無い。「ベースはドシっとした音でしっかり4ビートを弾け」と耳にタコができる程言われた。サムジョーンズのビートが最高だと判るまでかなり時間が掛かった。彼はソロすらほとんど取らないがすごいビート感でスイングしている。小津さんには「下手になれ」とも言われた。「確実なビートで弾く」これがベース奏者に要求される共演者の意見なのである、良いベース奏者とは決してパラパラ動くことでは無く、確実なビートを出せる奏者のことをいうのである。聴衆とミュージシャンは明らかに目の付け所は違うということである。ベテランのミュージシャン程「動けばいいってもんじゃない」と一言で言う。
up date 2000.10.10
●アマチュア無線にはパケット通信といってパソコンのキーボードで文字が送れる通信方法がある。勿論無線機を使って電波で信号を送る訳だが、バケツリレーの様にして地球の裏側まで届けることも可能だ。電話代など一切掛からないが時間はかかる。インターネットの方がスピーディである。私もちょっとやってみたが魅力を感じず直ぐに止めてしまった。アマチュア無線の魅力はリアルタイムでやってこそ面白いのだ、コンディションが落ちないことを祈りつつ、冷や汗かきながらやるから面白いのである。缶詰音楽が面白くないのと同じである。電離層の反射を使って通信を行う場合はコンデションが猫の目のように変わる。尻切れ交信も何度か経験した。携帯電話で話の途中で切れてしまった事は経験されたことだろう。無線は災害時に威力を発揮する、非常通信は有線通信の復旧するまでは必要なものである。無線は確実性から言って有線に劣る訳である。電波法にはっきり明記されている。
up date 2000.10.9
●島根県出雲市に住む熱田修二さんというトランペット奏者からCDの案内が来たので、2枚のCDを送って頂いた。早速聞いてみたらハードバップのゴキゲンな演奏で大変気に入った。テナーサックス高橋達也、ピアノ小川俊彦、ベース野中英士、ドラム山下暢彦、リーダートランペット熱田修二からなるクインテットである。タイトル「Blues On My Mind」と冠し、大人の音楽をやっている。もう1枚は「Sweet And Lovely」でギター宮の上貴昭、ベース山口雄三、ドラム高橋信之介、リーダートランペット熱田修二のカルテットの構成である。こちらもボサノバなどを取り入れた選曲でまた良い。小川さんや宮の上さん、山口さんはアレキサンダーで良くお会いしたので懐かしい。どこでどう繋がっているか不思議なものだ、もっとも熱田さんのことは小津さんから聞いたのである。若い頃東京でプロ活動していて「稼業を継ぐために出雲に帰った」とライナーノーツに書いてある。音楽と手を切れないでいるのは私たちだって同じ気持ちである。こんな素晴らしい音楽を頑張ってやっている同志を見つけた思いである。
up date 2000.10.8
●パソコンの前に座るのが日課になってしまった。この「つぶやき」の所為である。私は文章を書くのは平気なので手紙等も億劫がらず書いている。国語が好きであったかと言われれば否である。学校の授業でやった文法などは頭の上を素通りしていった。最近の人は電話という便利なものがあるから手紙などというものは書かなくなってしまった。活字ばなれを言われて久しい、声が聞こえたほうが良い場合もあるが、手紙のほうが良い場合だってある。インターネットのメールが流行だと聞く、紙に書かないだけだ、この世は捨てたもんじゃない。
up date 2000.10.8
●私は親譲りで植木や花が好きである。その所為か姉妹全員植木と花好きである。母と一緒に植木市や花屋へよく行く。二人揃って「あの樹はどうだ」、「あの花を買おうか」などと時間を過ぎるのを忘れてやっている。その時の母は輝いた顔で嬉しそうである。だから植木や花の栽培の話になると俄然元気が出て「もうちょっと涼しくなったら植木センターに行こう」などと計画している。昨日花の苗を4鉢程求めてきた、我が家は男ばっかりだからせめて玄関に花を飾るぐらいしないとむさ苦しくていけない。
up date 2000.10.7
●今年はやらなかったが毎年朝顔を植えていた。早朝大輪の朝顔を見るのが楽しみだった。朝5時頃起きて朝顔を見て、それから又ふとんに入っちゃうという日課だった。花を育てるってのはそんなもんです。嫌いじゃないね。朝顔は結構大変なんです、水を朝晩やるのは当たり前です。竹でツルを巻く為の棚を作りハリガネで縛る。シーズンが終れば解体する手間もかかる。そりゃ苦労するんだから早起きもするぜ、ウン。
up date 2000.10.7
●我々音作りを生業としていると、自分の作った音楽がテレビやラジオから聞こえてくる事がある。そんな時何故かくすぐったい気分になる。スーパーマーケットなどでBGMで流れていると、そそくさと買い物を済ませ早く店から帰ってきてしまう。「不祥の息子に会った」ような気分になる。別に恥じらう必要はないのに何時もそんな気分になる。それと他人の音楽を聞くと「これは生バイオリンだな」とか「これはシンセの音だ」とか言って中身を吟味している自分がある。音楽を楽しめない習性が身についてしまっている。音の仕事は損である。
up date 2000.10.6
●波長の短い電波は性質が光に似てくる。電波の性質上山岳回折(反射)といって頂上で曲がる、この浜松は富士山の山岳回折を体験できる。埼玉県、東京、神奈川当たりの電波が強力に入感する。特に埼玉とは浜松市内の局と間違う程強い。アンテナは多素子の物を使っているが富士山に向けておけば良いのである。名古屋の局とは直接では駄目で30度方向、赤石山脈の方向に向けると良い。あさっての方角である。此の様に面白いのである、ハムをやってるおかげで地名と方角には明るくなった。
up date 2000.10.6
●私たちの付き合っている「ゆやの里芸術座」は一昨年発表した「熊野御前」で芸術祭に参加し、県文化協会から奨励賞を頂いた。立派な賞状と盾である。設立2年目でこんな立派な賞を頂き劇団員も演出家もスタッフ全員が喜んだ。子供が多い劇団なので、シリアスな演技で見せるのは無理がある、どうしてもミュージカル仕立てになる。演出家は鈴木良枝さんといって宝塚の俳優出身で、大地真央の1年先輩になる17年宝塚に在団した美人である。芸名は松風(まつかぜ)某といったそうだが御存じの方もいると思う。音楽は私たちが担当で企画、台本の段階からやり合うのである。これを4年続けてきた、他には日本舞踊の先生(私の姉と姪)、モダンとクラシックバレーの先生、声楽の先生、ピアニストなどのスタッフで指導している。先日リハーサル(通し稽古)に行って来たのだが、歌も台詞も声が出ていて感心した。年々成長している、文化とはこうやって育っていくのだと目の当たりにすると嬉しくなる。今年のテーマは東海道400年祭である、14日(土)、15日(日)の公演を是非観てほしい。
up date 2000.10.5
●やらなくていけない仕事が一段落して気が楽になった。追い立てられているのは何か落ち着かなくていけない。早くかたずければ良いのだが何時もグズで遅いと反省する。気は短いほうだが段取りが悪いと言おうかグズなのである。演奏する仕事はやってしまえばそれで終りだから後腐りがなくて良い。期限がある仕事が駄目なのである。間際になってジタバタするのは計画性がないという事である、生まれつきだから変わらない。
up date 2000.10.5
●アクセスカウンターが1000を超えた。カウンターを設置したのが8月5日だからちょうど2ヶ月である。とても嬉しく思っている。一ヶ月平均500アクセスということになる。この駄文を沢山の方に読んで頂いた証拠である。毎日更新を心掛け続けているが、反応があるということは続けなくてはいけないとファイトが湧いてくる。時々「つぶやき」の内容を「私もそう思う」と感想を頂く、とても嬉しいことだ。私のページは掲示板を設けず、一方的に「つぶやき」で発信してるだけだが、メールの質問には100%返事を書いている。コミュニケーションが一方的だと思わずこれで勘弁してください。
up date 2000.10.4
●オルゴールミュージアムコンサートの写真を送って頂いたので掲載します。ここは適度の残響があり、アコーステック楽器はとてもいい音がします。コンサートは沢山のお客様が来てくれて成功です。ありがとうございました。

2000年9月オルゴールミュージアムにて(ピアノ竹内晴美 ベース竹内俊介)
up date 2000.10.4
●曲の時間が短いからテープを繋げる場合がある。自分が作ったテープでもハサミを入れるのは気が進まない、完成している物をいじるのは何か悪いことをしている気分がする。昔はひと様の音楽にハサミを入れた事もあるが良い気分はしない。最近はデジタルだからハサミで切る訳ではないが作品をいじることには変わりはない。編集で素人が判るようなことはしないが、やった張本人はその個所を気にしているのである。迷宮入り事件の犯人の心境である。
up date 2000.10.3
●鮎を10数匹頂いた。大きいもので23Cmあった。この時期の鮎はお腹に卵を孕んでいる、産卵の直前なのである。子孫を残そうとしているのをつかまえて食べちゃうのは可哀想な気もするが美味しかった。宮沢さんは岐阜の郡上八幡で大鮎を釣り、サンマ程もある大鮎を小津さんに送ったそうだ。「あの時の鮎は美味かったか?」と聞くと「あれはうまかった」と答えていた。同じ返答なのだが、クドクまた聞いていた。小津さんに釣りはやらないのか聞いたら「釣り好きの人と友達になる」と答えた。ミュージシャンは日本全国美味しいものを食べ歩いているから舌は肥えている、余程美味しくないと誉めない。「山陰で食べた河豚の厚切りはうまかった」「フグは厚切りにかぎる」と小津さんに何回も聞かされた。
up date 2000.10.3
●ミュージカル「池田の渡し」の本番用テープがやっと完成した。長いの短いのと注文が多いミュージカルの音楽は本当に大変です。今年で4年、5作目になりますが、いい勉強になります。1作やるのに取りかかって半年掛かりですのでそれは大変です、まあ道楽商売です。そうでも無きゃ晴美は曲を作りません。何時も追い立てられて音を作っています。私が誉めちゃ手前みそですが良い曲を書くと思います、私たち演奏家は演奏そのものは空中に消えてしまいますが作品は残りますから、そうやって苦労しても満足感はあります。絵は作品そのものが残りますから羨ましいと思います。こんなに苦労しても公演したら終りです、何とも贅沢ですね。音楽とSEで32テイク作りました、アングリしています。
up date 2000.10.2
●東海沖地震が来るのではないかという予想があり、私の町でも自主防災隊なるものが組織され私も隊員になっている。もう5年やっており部長である。係は物資部であり簡単にいうと「飯炊き当番」である。災害時お釜で飯を炊く必要から薪で昔ながらの方法でやる、今どきの人は薪で炊くなど経験が無いから失敗の連続であった。炊出しの経験者から勉強してここ3年は上手に炊けるようになった。作った「おにぎり」は美味しくて好評である、その筈である、魚沼産の一番高いお米を10Kg買って来てやっている。吹いた後の火の引き方などベテランのタイミングで丁度良いオコゲが出来て最高に美味しい。コンテストに出場すれば上位入賞は確実である。同時に豚汁も作る、これが又好評で4杯お代りした人がいた。どうせやるなら美味しく、楽しくをモットーにやっている。本当に災害がきた時はタンカで運ばれている自分を想像しているが、とにかく防災意識だけは持っているつもりである。
up date 2000.10.2
●めっきり秋らしくなり過ごしやすくなった。夜などは寒いぐらいである、風邪など引かぬよう気を付けなくてはいけません。夏の頃と生活パターンが変わる、鍋物が多くなり夕飯のおかずも雰囲気もガラっと変わる。日本は四季があるから良いですね、景色もみんな変わって見える。ロマンチックな詩も生れそうな気がします。「日本の四季」や「日本の情景」を晴美が作曲したものが今春発表したCDです。日本舞踊の舞踊音楽として作られたのだが、独立した曲として聞いてもその詩情を感ずることができます。日本は四季によってその表情を変えるから詩情溢れる表現が出来る。この日本に生れたことに感謝しています。
up date 2000.10.1