訪れ


いざ、塔矢邸。
お手伝いに行きたかったけど、アキラくんに断られたし、行くつもりもなかった。
それじゃ、なぜ今玄関前にいるか?というと……。
明子さんにお願いされたから、である。
押し掛けるようなことはしたくないので、夕飯は作らない。ちょっと、様子を見るだけ。
嬉しくてハメを外さないよう、自分に言い聞かせ続ける。
アキラくんを好きだけど、囲碁の邪魔はしたくないから。
いざ!

ピン、ポーン……

呼び鈴を鳴らすと、人の気配が近づいてきた。

「はい」
「あ、アキラくん、こんにちは…、市河です」
ガラガラ、と扉が開く。
「こんにちは。どうしたんですか?」
突然訪れたのにもかかわらず、いつもと同じ笑顔を返してくれる。
「うん、明子さんに、様子を見て欲しいって頼まれて」
(ああ、お母さん、そういえば言ってたな…)
「どうぞ……」

   *   *

客間に通された。やはり、緊張する。
ひょっこり顔を出して、アキラくんは言った。
「コーヒー、紅茶、お茶、何がいいですか?」
「い、一番簡単なので…、すぐ帰るから」
ふっ。彼の表情が和らぐ。
「そんなに、気を使わないで」
(その微笑みに、弱いのよ〜)
「じゃ、アキラくんと一緒で」
「はい」

   *   *

正直、驚いた。何が、って。
「…おいしい!」
「そう?良かった」
アキラくんの煎れてくれた紅茶。正確には、アイスティー。
「アキラくん、紅茶いれられるんだ……」
「うん、教わったんだ。お茶と、ご飯炊くくらいだけどね。
それだけできれば何とかなるって、母が」
(う〜ん、私なんかの手伝いなんて、いらないはずだわ!)

   *   *   * 

碁会所と変わらない、世間話をしているだけ。それなのに。
あっと言う間に時間が過ぎてしまい。
まずい。長居し過ぎた。これじゃ、勉強の邪魔じゃないの!
「そろそろ、帰ろうかな……」
(あれ、もうそんなに経ったのか…。早いな)
アキラくんも壁の時計を見る。
まったく、若いのにできた人ね、これだけ長居したのに
全然時計を見ないんだもの。
「じゃ、もう一杯だけどうですか?」
「ありがと」
コップを受け取る瞬間に、アキラくんの手に触れてしまった。
(!!)
いつも、碁石を片付ける時は、触っても全然平気だったのに。
どうなるかを考えずに、手を引っ込めてしまった。
結果は一つ。
ビシャッ。
「キャ!」
自分の服にこぼしてしまった。
「市河さん!」
「ご、ごめんなさい!」
「大丈夫ですか?」
「手が滑っちゃって…。あの、もう帰るね」
取り敢えず、貸してもらったタオルで拭いてみたが。
大丈夫ではない。でもすぐ帰れば、風邪も引かず、汚れも落とせる。
たぶん。
考えていたアキラくんが、ゆっくり言った。
「だめです、汚れが落ちなくなっちゃうから。
……ちょっと待ってて下さい」
「あ、上着を着ればヘーキだから……」
パタパタパタ…
言い終わるのを待たずに、他の部屋へ去ってしまった。
(今の、きこえてないな……?)
数分後。
パタパタパタ…
戻ってきた彼に、何か洋服を手渡された。
「これに着替えて下さい」
「へ?」
(ちょっと待って!?)
混乱する。頭の中が整理できない。
アキラくんに差し出されたのは、シャツだった。
俯き加減に、言い難そうに言われた。
表情は、読み取れない。
「その、洗面所なら、鍵かかりますから」
やっと、理解できた。

「え〜〜〜!!」

リアクションは、当然大きい。
(ど、どうしよう、わざと…わざとやったんじゃないって、わかってる?)
アキラはアキラで、自分でもよくわからない気分で。ましてや拒絶反応?を示された。
(信用がないのだろうか。さっき、手が……。不可抗力だが、それで、か)
二人とも間が持たず。結局、その通りにすることになった。

    *    *    *

着替えを済ませて。汚れたカットソーはアキラくんが洗濯機へ。
洗濯してもらっちゃった〜〜〜!!
…考えないようにしよう。
「……」
「……」
さっきまで私、あんなにおしゃべりだったのに。
アキラくんも、話題がないのか、黙ったきり。
余ったアイスティーを、二人で飲んでいた。
その時。

ガラガラ…、ドカドカドカ

人が入ってきて、歩いてくる音。
明らかに物音がしたはずなのに、私たちには聞こえなかった。
ス…、と襖が開いた。

「アキラー、いるんだろ〜?今晩な、また飯作ってや……」

笑顔が強張った。
視線の先には。

弟弟子と、見知った女性が座っていた。
市河さんの、服装が問題だった。
見たことのある、服だ。彼女のものではない。

「悪い!アキラッ、また来る!」

開いた時より素早く、ピシャリと襖が閉まった。
遠ざかる足音。
はっ。
市河は、我に返った。
(芦原先生!)
まずい。非常に、まずい。

「アキラくん!芦原先生、誤解してるわ!」
「え?」
彼は察しがつかないらしい。無理もないが。
自分で行きたいが、この格好では……。
「早く!連れ戻して〜」
「は、はい」
訳もわからず、切羽詰まった市河のいうとおりに動く、アキラだった。

    *    *    *

市河が事情を話すと、芦原は笑顔で言った。
「いやー、おかしいと思ったんだよ」
「もう!芦原先生、アキラくんに不利な事しないでよね!」
隅っこで話す二人にアキラが言った。
「え、何?市河さん」
「いーのいーの、こっちの話!」
「……ふーん」
たまに感じる、この疎外感。自分はまだまだ子供なのだ。
もう慣れてしまったけれど。
『誤解』…。
意味くらいわかる。疎い僕でも、この年なら。
でも、自分の気持ちがよくわからない。
今はまだ、考えないようにしよう。


「せっかくだから、市河さんも食べていきなよ、おいしいよ、芦原さんの料理」


終

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