目を閉じて、何時間過ぎただろうか。
――――おそらく、20分と経っていないだろう。
いくら待っても、眠気がやってくる気配はなかった。
酒でも飲むか?
いや。
――――理性が保てるか、自信がない。
それでは、風呂でも入るか。
――――いい考えだ。
だが、彼女を一人残す訳にはいかない。
というよりは、残していきたくない。
(・・・・・・・・)
それでは、部屋の風呂はどうだろう。
―――トイレに入られたら、困る。
では。
―――露天風呂に入ってみるか。
市河さんが目を覚ましても、部屋の外側である。
すぐにどうこうということもあるまい。
(よしっ)
暗がりの中、物音を立てないように気をつけ、こっそりと行動を開始した。
* * *
窓の外は段差になっていて、露天風呂を見下ろす格好になっている。
脱衣所ともいえないような、板張りの横に棚があり、そこに着替えを置く。
木製の手すりをつたって、下に降りてみると。
湯船と洗い場からは、小さな日本庭園を望めるようになっていた。
間接照明に照らされて、いい眺めだ。
体を流しているうちは、寒くてしょうがなかったが。
洗い終わって、湯船につかると天国であった。
いや、極楽か。
「ふぅ・・・」
後から思えば、
嵐の前の静けさであったのだ、このときは。
* * *
私が目を覚ましたとき、部屋には私しかいなかった。
一瞬、記憶をたどれなかったけれど。
―――思い出した。
「アキラくん・・・・・・?」
―――いない。
周囲を見渡すと、布団もなかった。
布団といえば。私、いつ寝たんだっけ?
も、もしかして。
―――アキラくんが!
顔が、かぁっ、となる。
(私って、ばかだなぁ・・・)
それより!アキラくんを探さないと。
隣の部屋に移った可能性は、ゼロ。
自分の考えた事により、顔がさらに赤くなった。
(・・・・・・)
この部屋をくまなく探そう、まずはそれから。
* * *
どうしよう、見つからない。
となりの部屋、お風呂、トイレ、押入れ(こんなところ、なんで確認したのかしら?)。
どこにもいない。
「あ、ベランダかなあ?」
ベランダの外は、露天風呂。
(―――躊躇、しないで)
旅行に行くことになった時、私は、覚悟を決めた。
決めたくせに、お酒を飲みすぎてしまい。
いや、決めたからこそ、ちょっと勇気がほしくて。
もし、アキラくんが外にいても。
もう、自分の気持ちから、逃げたりしない。
* * *
湯船につかっている時。
目の端に、窓が開くのが映った。
(!!!)
パニックに陥った僕は、なんと。
湯船に頭から、沈んでしまったのだった。
滑稽で、愚かな行動。
間接照明・・・、どの位まで見えるだろう?
やってしまったからには、息が続くまで耐えるしかない。
『・・・・・』
『・・・・・』
『・・・・・』
耐え切れなくなる直前、顔をあげると。
「ハァ、・・・ハァ・・・」
市河さんは、いなかった。
―――ほっ。
いや、がっかり、か?
とりあえず、赤っ恥だけはかかずに済んだようだ。
濡れた髪に、夜風が冷たかった。
* * *
せいいっぱいの勇気を振り絞って。
そろり、と、ガラスの引き戸を開けた。
「・・・アキラ、くん?」
返事はなかった。
夜も遅くなると、少し肌寒い。
足元の明かりが、宿自慢の露天をうっすらと照らしていた。
見える範囲には、見当たらなかった。
少し、音量を上げてみた。
「アキラくん!」
しん、と静まり返っているが、風で水面が揺れていた。
少なくとも、そのときはそう見えたのだ。
―――――いない。
(アキラくん、こんな夜中にどこにいったの!?)
探さなくては。
開けたときより静かに、しかし素早く、室内へと戻った。
* * *
頭だけ、ざっと乾かしたが、濡れたタオルでは限界があるようだ。
(早く、出ないと・・・風邪ひくな、これ)
その時。
羽織の中から聞き慣れた音がした。
携帯の着信音である。
RRRR・・・・
(!!)
なぜ、今まで思い至らなかったのか?
早く部屋に戻らなければ。
市河さんの事だから、次の行動を取るに決まっているのだ。
電話に出なければ。
僕を探して外出してしまう。
こんな夜に、見知らぬ街で。
もともと心配だったから、部屋を離れなかったはずなのに。
逆の結果になってしまうのだ。
転ばない範囲での猛スピードで、湯船から出て、
バスタオルで雑に体を拭き、手を拭き。
・・・RRRR・・・
「も・・・、もしもしっ」
間に、あった。
『アキラくん!!もう、心配したん・・・』
電話は感度良好であった。
それもそのはずである。
タオルをかけた自分と、通話相手の彼女が、向かい合っていたのだから。
(!!)
(!!)
* * *
現状について訂正がある。
タオルをかけていた自分と、携帯を持った市河さんが相対していた。
絶句して顔を背けられてはいるが。
僕も反対側を向いて、僕も反対側を向いて、――通話を切った。
浴衣を羽織り、
頭を拭いて。
「すいません、すぐ、戻りますから」
思っていたより、冷静な声が出てしまった。
「ああ、う、うん!・・・風邪ひいちゃうから、早く、ねっ」
対して、市河さんは明らかに焦った声。
こちらには見向きもせず(振り向かれても困るが)、
後ろ手に、ピシャリと引き戸は閉められた。
(ああ・・・)
済んだことは、悔やんでも仕方がないとは言うが。
どうして。
こうなってしまうのか。
物事には、順番というものがあるというのに。
冷静な態度とはうらはらに、鼓動が激しく打ち続けていた。
* * *
アキラが部屋の中に戻ると、市河は俯き加減に、ミネラルウォーターを啜っていた。
(とりあえず、謝ろう)
「すいません、勝手に・・・」
(勝手に、―――なんて言う?
勝手に、いなくなって?
勝手に、露天風呂に入って?
勝手に、湯船に隠れて?
勝手に・・・)
考えが進むにつれ、アキラの顔は紅潮していった。
「ううん、あの〜〜・・・」
(ごめんね、かな。
嬉し・・・嬉しいの?そりゃ、嫌じゃあ、ないけど。
待ってました、ってのも違う。
ありがとう、じゃあ、ないでしょっ!
好きです。・・・は、裸が好きなわけじゃないし!!)
お互い、言葉が続かない。
(どうする・・・?)
(どうしよう・・・?)
向かいあっても、目を見られないままであったが、
女の方が、先に動いた。
(年上の私が、しっかりしなくては!)
「あの、気に・・・しないで」
「え・・・?」
(市河さん?)
「――私、平気なのよ、初めてじゃあ、ないし」
「・・・・・・」
(そんな言葉、ききたくない)
アキラがむっつり黙りこんだのを見て、市河は言葉が足りないことに気がついた。
(ん?)
「ああっと、ち、違うのよ、変な、あの、そういう意味じゃなくて」
(ていうか、それもそうなんだけど・・・って、言えないし〜)
相手の表情が和らぐ。
(それくらい、わかってるつもりだったけど、口にされると、やっぱり・・・)
「ほら、前さ、あったじゃない」
「?」
「プールでさ、アキラくんがちっちゃい時」
「・・・・・・」
「一緒にさ、」
(市河さん・・・!!)
言葉は、最後まで言い終わらなかった。
塞がれてしまったから。
キスで、唇を。
(!!)
驚きで、まばたきしながら、彼女は目にする。
彼の怒りを含んだ、真剣な表情を。
そして、そうするのがとても自然であるように、抱き寄せられる。
「アキラくん・・・」
「もう、
「子供扱いは、止めてください・・・」
「あ・・・、」
(・・・囲碁以外にも、そんな顔するのね)
男は、女の目を見て言った。
「―――愛しています、心から」
(いままで、遠回りしすぎたんだ、単純なことなのに)
女は応えた。
「私も、愛してる」
(遠慮・・・、しすぎてたのかな、私)
二人の思いが通じあい。
そして――――・・・。