徳島新聞への寄稿より



私の風景
 徳島市バス津田行き終点の一つ手前で降りると、そこがみどり公園。黒松とワシントンヤシに囲まれて、白い壁、青い屋根の津田こども会館が立っている。
 「このあたりは、木材団地ができるまでは海水浴場だったんよ。ここらに海の家があって、遠浅だったので地引き網もしとったらしい」と、こども会館で行われている学童保育の指導員の山内先生が教えてくれた。なるほど、松が多いのはその名残かと合点がいった。
 厚生省の都市児童健全育成事業に基づき、主に留守家庭の低学年児童を対象に取り組んでいる学童保育。子供たちにとっては放課後の、そして春、夏、冬休みには一日の生活の場となる。単に安全というだけにとどまらず、子供の発達も保障されなければならない。その点、ここは自然がいっぱい。遊び場には事欠かない。
 赤や黄色のチュウーリップが新入生を歓迎してくれた。オダマキに、アイリス、ポピーも追っかけて咲いた。夏休みには、お泊まり会をした。公園にテントを張って寝た。雨が降り始めたのかと思ったら、浜風に騒ぐヤシの葉ずれの音だった。秋にはお月見を、冬には落ち葉を集めて焼き芋をした。子供たちのポケットには松ぼっくりが入っていた。
 スイセンが咲き、ツバキが落ち、そして桜が満開のころ、新しい一年生が。公園の四季の移り変わりが、子供たちの成長そのものだった。季節がめぐり、真新しい黄色のランドセルカバーの列を見る度に思い出す私の風景である。
                                 1994.6.15 徳島新聞

私の一冊
 北海道の開拓時代から筆をおこし、酷寒、凶作、イナゴの来襲、大火、洪水など大自然の猛威を描いた上巻。舞台が東京へも広がり、第一次世界大戦、関東大震災、日中戦争から太平洋戦争へ、そして敗戦直前までの激動の時代を書いた下巻。この本はすさまじい自然と時代の変革を敢然と受け止めて生きる主人公・鶴代を通して、近代日本の歩みを語る三千枚に及ぶ大河小説である。
 孫にあたる雪子夫婦は空襲で爆死し、その弟は徴兵で近衛連帯にたまたま配属されたため二・二六事件の反乱軍の一員とされ、激戦地へ送られ戦死。その弟も特別攻撃隊に志願し、戦死という痛苦を味わう鶴代。さらに彼女にとって辛いことは、息子壮太郎が特殊工作機関の幹部として大陸侵略の黒幕的役割を果たしていることであった。
 踏みつけられても踏みつけられても立ち上がり、一生を貫いていく鶴代を応援しつつ、一方で、戦争とはだれが何のために引き起こすのかを考えながら、この本を初めて読んだのは二十歳の時だった。それから、しばらくは「戦争」に関する本をむさぼるように読んだ記憶がある。
 日本が太平洋戦争に突入していった十二月八日(真珠湾攻撃の日)にちなむ毎月八日の、女性たちによる反戦平和の「八の日行動」を続けて十六年目になる。戦争は勝っても負けても、自国にも対戦国にも多くの鶴代を生み出すことになる。私が、二度と戦争による被害者にも加害者にもなりたくないと行動するのは、私の中にずっと鶴代が棲み続けているからかもしれない。
 昨年十二月、第三十三回護憲全国大会参加のため、北海道を訪れる機会を得た。物語冒頭に登場する小樽、札幌の豊平川べりも歩いた。しかし大会の中で、和人はアイヌ民族を侵略し、土地を奪い、言語・文化を奪ってきたと突きつけられた。大きな衝撃だった。
 今、そんな視点でまたこの本を読み返している。
                                 1997.3.26 徳島新聞夕刊

思い出この一枚
 太平洋戦争開戦日の十二月八日を「戦争の加害国として、この日を決して忘れてはならない」と、毎月八日に、反戦・平和を訴えて街宣活動をしている「八の日・平和を守る女たちの会」。その先頭に立っているたかがいさんのほろ苦い思い出の写真がこれ。
 一九七四(昭和十九年)年十二月、「第八回青年の船」に県代表として乗船するため、出発あいさつに県知事を訪問した際に撮影した。
 郵政省徳島地方貯金局(現・徳島貯金事務センター)に就職したばかりの二十歳。好奇心が先に立って、戦争の加害責任など考えてもいなかった。
 五十日余りの船旅の寄港地は、パプアニューギニア、オーストラリアなど四カ所。各地で戦争記念館を訪ねたり、旧日本軍の戦跡を目の当たりにしたりした。「戦跡を見ても、自分に近いものとは思えなかった。亡くなった日本の兵隊に対して哀悼の意を表す、そんな気持ちが強く、加害面など何も知らずに、おこがましくも船に乗っていたわけです」
 その後、偶然「美味しんぼ」で知られる雁屋哲さんの著書「日本人の誇り」を読んでいて、キャンベラの戦争記念館に展示されている旧日本軍の特殊潜航艇の話に目がとまった。「はっとなりました。シドニー湾の攻撃で、オーストラリア人が十九人、イギリス人が二人死んだ、と書いてある。私が見たのはこれだったんだ」。思い出にほろ苦さが加わった。
 「私が無知であったように、進んで学ばなければ、戦争の加害は学校ではあまり教えてくれません。加害の面を知らずして、国際貢献や人類の共生という言葉を語ったり、子供たちを外国に出したりするのは罪でないかと思うんです」
 「八の日」行動は、雨の日も風の日も継続され、もう十七年になる。若いころの反省の気持ちも、活動のばねになっている。
                                 2000.1.19 徳島新聞

国連・女性2000会議(徳島からNGOフォーラムに参加して)
 一九九五年、中国・北京で開かれた世界女性会議に参加してエンパワーメント(力を付けること)した多くの女性に接し、二000年のニューヨークにはぜひ私も、と心ひそかに考えていた。
 しかし、今回はこれまでと違い、世界会議ではなく国連特別総会という位置づけなので、世界のNGOが一堂に集うフォーラムはなしと、早々に発表された。あきらめかけていたところ、各NGOが独自で事業を企画するという情報をキャッチ。その日のうちに申し込みを済ませた。私の応募した「グローバル・フェミニスト・シンポジア」には、国内外の約二百六十人が参加した。国連本部で開かれた政府間会議には百八十八カ国の政府代表三千人が出席したが、そのほか一万人を超える各国NGOのメンバーがニューヨークに集まっていたという。
 スケジュールはシンポジウムとワークショップが主で、四日間を通して会場はずっとニューヨーク市立大学大学院だった。グローバリーゼーション(地球規模で考えること)と政治、経済、女性運動とのかかわりなどについて五つのシンポジウムが開催され、国連機関や政府役職者、大学教授、弁護士など世界各地の多様な分野での主導的な女性をパネリストに迎えて、報告や問題提起を受け、会場との意見交換も行った。
 また、ワークショップでは、北京会議で採択された「北京行動網領」の重大関心領域である暴力、紛争、人権などのテーマで企画され、私は「山口の女性は日本国憲法をどうみるか」「マイノリティー女性への複合差別」に参加した。スケジュールは盛りだくさん、講師はそうそうたるメンバーばかり。こんなぜい沢な企画はそう経験できない。
 しかし、ここにじっと座って聞いているだけでは、国連本部の状況は全く見えてこない。何のためにニューヨークまで来ているのか分からない。国連総会の傍聴は、国連認定のNGOに所属し、かつ登録された人しか入れない。しかも、五十人までという制限があり、地域での草の根の活動をしている多くの人は入れない。そこで毎朝、毎日傍聴することのできた人が、その状況を報告する場が持たれた。
 本会議では各国代表が七分ずつ見解表明を行い、並行して別室で「成果文書」の作成作業が進められた。ところがその作業が難航。その様子も、会場の熱気そのままに伝えられた。
 具体的には「家族」に同性愛者や非婚のカップルも含まれるという、新たな概念を定義するかどうかなど。無理やり「成果文書」を作ろうとする国に対し、「北京行動綱領」より後退しかねないので作らない方がいいという国があり、紛糾した。伝統や文化の違いを超えて、いかに女性の権利を推進していくかということで、政府間での調整がぎりぎりまで続けられたという。
 またNGOはただ単に傍聴しているのではなく、反対している各国政府代表に対してはロビー活動で働きかけ、自国の政府にはブリーフィング(意見交換)の場で具体的な問題を指摘するなど、大きな役割を果たしている。
 日本政府とのブリーフィングでは、日本のODAがアジアの女性たちにどのような影響をおよぼしているのか、△進駐軍の基地問題、ことに沖縄の女性たちに対する日本政府のスタンスはどうなのか△人身売買や臓器の商品化の問題にどう対応するのかーなどの指摘がなされた。
 会期終了前日の八日の朝になっても、成果文書二百六十項目のうち、百四十五項目しか合意できていなかった。国連総会を一日延長し、「政治宣言」と「成果文書」の採択が行われたことを知ったのは帰国してからのことだったが、その陰には多くのNGOの政府に提言し、また連携して行動した力が働いていたと確信している。
                                 2000.6.20 徳島新聞

ビラ配り逮捕言論弾圧危ぐ
 自衛隊官舎へのビラ配布で逮捕者が出て驚いていたら、その5日後、昨年の総選挙で政党のビラを配布した国家公務員が国家公務員法の「政治的行為の制限」に違反するとして、逮捕・起訴されるということがおきた。
 国公法の政治活動制限という違憲性は置くとしても、公務員としての仕事や職権に全く関係のない休日に一市民としてのビラ配布がどうして逮捕や起訴に該当するのか。
 イラクに自衛隊が派兵され、有事法制の完成をめざす関連7法案が国会に提案される状況下での言論弾圧の始まりでないかと危惧する。
 「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者でなかったから、何も行動に出なかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安をましたが、社会主義者でなかったから、何も行動に出なかった。それからナチスは、学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびごとに不安をましたが、それでもなお行動に出ることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だから立ち上がって行動に出たが、その時はすでに遅すぎた」と、自らも7年間強制収容所に送られたマルチン・ニーメラーは述べている。
 遅すぎたという愚を繰り返してはならない。
                                 2003.3.24 徳島新聞
ビラ配布逮捕由々しき問題NEW!
 ビラ配布をしただけで逮捕されるという信じられないようなことがまた起きました。東京都葛飾区の民間マンションで共用廊下を歩き各戸の新聞受けに日本共産党の「都議会報告」「区議団だより」などを配布していた男性が住居侵入容疑で逮捕、起訴されたのです。
 自衛隊官舎にイラク派遣反対ビラを配布し住居侵入に問われた事件で、東京地裁八王子支部が無罪判決を出したことは記憶に新しいところです。政治的主張のビラは憲法の保障する政治的表現活動の一態様であり民主主義社会の根幹を成すものだとして商業的宣伝ビラよりも優越的地位を認めたものです。検察側が控訴しているとは言え、無罪判決の一週間後に同種の行動に対して逮捕、起訴するというのは起訴権の乱用とも言えるのではないでしょうか。
 折しもNHKの従軍慰安婦問題の番組に政治家が圧力をかけ内容を変更させていたという内部告発がなされました。改編が事実だとすればテレビ番組が政治家の意を受けて制作放送されたことになります。
 一方で市民の一番容易な表現行為であるビラ配布が犯罪だとして規制されることになれば、私たちは本当のことをどのように知り、あるいは伝えればいいのでしょうか。
 今回の事例を自衛隊のイラク派遣延長、有事体制の強化、改憲のための国民投票法制定の動きなどと考え合わせれば、政府の方針と違う意見を述べることを市民に萎縮させることを目的としているように思えてなりません。決して一政党だけの問題ではありません。
                                 2005.1.27 徳島新聞

郵政民営化の意図わからずNEW!
 小泉首相は施政方針演説で郵政民営化法案を成立させる強い決意を表明しました。
 「郵政民営化基本方針」では、純粋持ち株会社の下に、窓口ネットワーク、郵便、貯金、保険の4つの子会社を置くとしていますが、ユニバーサルサービス(全国一律サービス)を課しているのは郵便会社のみです。貯金と保険は対象外であり、窓口会社は努力義務でしかありません。つまり、郵便の配達だけは行われても郵便局そのものは無くなる恐れがあるということです。「基本方針」には都市部の局の再配置も書かれており、決して過疎地域だけの問題ではありません。
 また、郵貯・簡保の資金を「民間に流せば経済の活性化になる」(小泉首相)との主張は、350兆円にのぼる庶民の財産を民間企業が分けあおうということでしょうか。
 誰のため、何のための民営化なのか未だに私たちにはわからないままです。「官から民へ」のスローガンだけで公共サービスが切り捨てられていいものでしょうか。
 ただ、今のままの郵政公社で良いというのではなく、すでに営利企業化している公社の実態、特定局制度、官僚の天下り、40万人の公務員と言われながら12万人が「ゆうメイト」と呼ばれる非常勤労働者であることなど多くの課題を公社が抱えていることも忘れてはならないと思います。
                                 2005.1.29 徳島新聞


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