| ●2005/12/05 Mon このコラムを本に!? |
このコラム、ありがたいことに、楽しく読んでいただけているようで、「本を出したらいいのに」って、言って下さる方も多く、って、まあ面と向かって「書くのよしたら」って言う人もいないとは思いますけど、それでも、とっても嬉しいお言葉で、身に余りすぎ。 で、あんまり大勢(私にとっての大勢ですけど)の人に言われるもので、調子にのって、出版社に原稿を持って行ってしまいましたよ。 最近、新聞広告でよくありますでしょ。『あなたの原稿を本にしませんか?』って。あれです。大手の出版社に、いきなり持ち込む勇気がないので、そのうちのある出版社に行ってみたんです。 いや〜、意外にも好評でした。ほんとに、ほ〜っと安堵すると同時に、本気で本を出したいと思うようになってしまいました。現金なものです。 その出版社内での検討会での感想に『チョコレートやアイスクリーム、パンへの想いには、美味しい食べ物や食べる行為への愛すら感じられ・・・』って。 素晴らしい評価をいただいてしまいました。私のただの食に対する、がめつい欲も、人によっては愛ととって下さるんですね。世の中捨てたものではありません。 別の感想には『パントマイムの難しさ、面白さを含めた魅力を伝えるには、実に易しく親しみやすい作品でもある。是非、よい形にまとめ世に問い、その反響を期待してみたい。』と。 そうなんですよね、なんとか大勢の人に、パントマイムに興味を持ってもらえたらって、思うんですよね。それも出来れば、観るだけでなく、実際にやってみてほしいんですよ。 誰でも、歌ったり、絵を描いたり、踊ったりってことは、少なからず経験しますでしょ?多少、マイムをやってみてもいいんではないかなぁと、思うわけなんです。 自分の体を感じる。作る。呼吸を感じる。作る。感情を感じる。感情を生み出す。 自分を見つめる。自分以外のもになる。 体は最高のおもちゃですよ。なんたって安上がり!ですからね。 というわけで、本を出そうと思ったんですけど、お金が必要なんですって。。。 2版以降は全部、出版社が持ってくれるって事なんですけど、初版分は自分持ち。私にとっては結構な額。訪問販売の浄水器の支払いもあるというのに・・・あぁ。 でも、必ず出しますよ、本っ! 決して、食い意地同好会を作るためではなく、パントマイムに興味を持ってもらうために! おーっ! |
| ●2005/11/30 Wed 数字から、潜在意識が見えてくる? PART 2 |
さあ、数字と潜在意識のお話の続きです。前回のコラムを読んでいない方は、まず11月27日のコラムを読んでからにして下さいね。 どんな数字を選びました?これは数字そのものに意味があるわけではなく、その数字を選んだ理由が、潜在意識と結びついているんです。 例えばある数字を、「すっとしてかっこいい」という理由で、選んだとしたら、自分はすっとしてかっこいい人になりたい、見られたいってことなんです。 「どっしりと力強い」からが理由であったり、「柔らかで優しい」からであったり、いろいろだと思いますけど、選んだ数字に対するイメージが、自分がなりたいと思っている人物像なんです。 で、1番目と2番目の数字の意味の違いです。 1番好きな数字は、実際にそうなるように、努力といいますか、意識して行動している人物像を表わしていまして、2番目の数字は、そういう願望がありながら、積極的に実現に向けて、行動をとるわけではなく、どちらかといえば憧れ。 努力せずに手に入れば、実現すればいいのになっていう自分像を表わしているんです。 どうです?思い当たるフシはありましたか? まあ、潜在意識のお話ですから、自分ではピンと来ないかもしれません。身近な人に、確認してみてもいいかもしれません。 私はちなみに・・・って、ひとに自分の潜在意識を知られるのって、恥ずかしいですからねえ。。。食べることしか頭にないことを知られるより、恥ずかしい・・・ |
| ●2005/11/29 Tue マイムの世界って・・・ |
マイムにはマイムの表現し得る世界、マイムでしか表現し得ない世界があるって、思うんです。が、私の知る限りでは、それがどうも曖昧な感じなんです。 単に、マイムっぽいテクニックを使って、無言でやっていればいい、みたいなところがありまして、ピエロにコントに、一人芝居にダンスにと、まあ何でもありなわけです。 さらに、無言のお芝居イコール、マイムみたいなところがありますから、セリフを使う普通のお芝居でも、マイムの訓練があったり、クラシックバレエにもマイムがあったりします。 けれど、マイムをテクニックとしてではなく、表現の分野として考えた場合、私の考えるマイムの無言芝居は、単なる無言芝居ではなく、様式美を持った歌舞伎に近いものなんです。 姿・形のところで触れましたように、マイムは形を通して姿を見せるもので、ポーズや動きが目につきすぎてもいけませんし、想いだけ強くて、ポーズや動きが絵にならないようでも、足りません。 「壁」とか「ロープ」のような、トリッキーなテクニックより、例えば2、3歩先の物を取りに行くといったような、何でもないことをしている時の、姿・形の方がはるかに重要でして、バレエにしましても、跳んだり回ったりだけではバレエになりません。それ以外の何でもなさそうなところに、一分の隙も無い形や動きが要求されるように、マイムもトリッキーなテクニック以外の、無言芝居の姿・形について、もっと考えなければいけないと思うんです。 そして隙を無くすには、心の問題もありますけど、まずはテクニック。 歌舞伎にしましてもバレエにしましても、形・振りがあり、そこに心をのっけていくことで、作り上げているように、マイムも芝居の部分を、個人の感性任せにするのではなく、テクニックとして形を作っていく必要があると、思うのです。 そうして初めて、マイムの表現し得る世界、マイムでしか表現し得ない世界が現れてくるんだと、思いますよ。 俳句が五・七・五という形式で、縛られることによって、独自の世界観を示せるように、マイムも曖昧な無言芝居をなくし、全てにおいてテクニックで縛ることで、独自の世界観を示せると、思うのです。 マイムは何処へ行くんでしょう・・・ |
| ●2005/11/27 Sun 数字から、潜在意識が見えて来る? PART 1 |
公演を観に来て下さった方々、来場出来なくても、興味を持って下さった方々、ありがとうございました。 普段の私のショーではありえないものを、楽しんで頂けていれば幸いです。 さて、その公演のパンフレットで、思わせぶりに書きました、数字と潜在意識のお話です。 好きな数字を選ぶと、自分の中のぼんや〜りとしている願望が、ぐぐっと姿を現してくる。っていうお話。 まあ、と言いましても、私が勝手にそうであろうと思っているだけなんですけど、それでも、いいところを突いていると思いますよ。ちょっと遊んでみて下さいね。 やることは簡単。1から9までの数字の中から、2つ好きな数字を選ぶ。 この時、数字にまつわる意味を考えないで下さい。例えば、ラッキーセブンだからとか、誕生月だからとか。そういうことではなく、極力、形そのものを意識して下さい。シャープだとか、柔らかとか、面白いとか。 決して、アヒルみたい、蜂みたいってことでもないですからね。 あくまで、数字を抽象的なものとして、選んで下さい。なんとな〜く、でいいんです。 2つ選んだところで、1つに絞って下さい。どうしても、こっちは外せないって方を、1番手にして下さい。もう片方は2番手になります。 で、やっぱり選んだ数字2つ共に、どういうところが好きなのか、2つずつくらいの理由をあげてておいて下さい。 これで、1番手、2番手の数字とそれぞれの理由が、はっきりしましたね。 ふ〜ぅ、やっと終わりました。ご苦労様です。 直接お話をしながらでしたら、何でもないことですけど、こうして文章にしますと、どうしてこうも、ややこしい感じになってしまうんでしょう・・・すみません・・・。 というのに、いじわるってわけではないんですけど、ここまで読んできた時点では、まだ理由まで考えてないかもしれませんから、その数字をどう解釈するかにつきましては、次回以降ということで、お許しを。 1週間以内には、書くようにしますね。ちょっと気の長いゲームと思って、楽しんでもらえます? |
| ●2005/11/24 Thu レーズンパンはお好きですか? |
レーズンパンとバターの組み合わせ。どうして、こんなにも・・・あぁ。 バターはもちろん有塩。パンも何も、高いものでなくて、かえって安っぽいものの方が、いいくらいでして、焼く焼かないも気分次第。 焼くにしても、ほんのりだったり、しっかり目だったり。まあ、とにかく何でもいいわけです。それぞれの焼き具合で、違った味を楽しめますからね。 大切なのは、その時の気分、口が、どの程度の焼き具合を求めているのかを、見極めること。 この見極めがあまいと、食べながら後悔します。すると、どうしたって、もう1枚、本来求めていた焼き加減でってことになりますよ。 食べ過ぎ、食べ過ぎ・・・。 バターはたっぷりめ。少ないと、ちょっと寂しい気持ちになります。少ないくらいなら、多過ぎる方が、どんなにいいか。 量の次に問題なのは、バターの状態。 冷蔵庫から出したばかりの、冷たいのも悪くない。しっかりめに焼いたパンの温かさと、バターの冷たさの対比、さらにパンのサクッと、バターのぬ〜ぅっとした感じが、何だかお菓子のレーズンバターサンドみたいで・・・いいなぁ〜。 とはいえ、やはり少〜し溶けかかったバター。あくまで、少〜しですよ。 小さなブロック状のバターの、その表面は熱を受け、光沢を放ちながら、芯はまだ冷たさを残している。この芯の具合が勝敗の分かれ目。 レアでは、熱をかけ過ぎかもしれません。スーパーレアくらいでしょうか。 バターが染み過ぎて、表面にあまり残っていなかったり、きれいに滑らかに塗ってあったりしますと、ちょっと興醒め。 バターとパンが変に渾然一体となっているよりも、口の中で、バターの食感、香り、味が現れては消えっていうのが、醍醐味でもあります。 ちょっと、もどかしいくらいが、いいんです。その方が、よりバターの主張を感じられますから。 焼き上がったパンにバターを乗せ、トースターの余熱で、最後の仕上げ。取り出すタイミングが重要。ここはいっときも目が離せません。美味しい瞬間ですよ。 こうして口にする、レーズンの小粒ながらも、濃厚な甘みと、バターの塩気。それを包み込む、ミルキーな優しい甘み。 へたなお菓子を食べるより、どんなにか幸せな時間でしょう。 そう、結局1枚では、終えられない。 また、冷蔵庫からバターを出して、パン焼いて・・・最初っからです。 私の時間は、無為に過ぎていく・・・ |
| ●2005/11/23 Wed 「姿」を見ませんか? |
前回、姿・形の話をしましたけど、これはちょっといいキーワードなのではと思うんです。 例えば、器。茶器なんかだと分かりやすいでしょうか、形がいいなと思っても、姿はどう?っていう目で見ると、どうですか?何か別のものが見えてきませんか? こんな感じで、家具でも服でも姿を見るようにすると、面白そうな気がするんです。 ということで、人にもあてはめてみると、どうでしょう?外見、表面的な良し悪しとは別に、姿を見てみようとするんです。 まあ、要するに、内面とか本質を見ようとすることなんでしょうけど、姿という言葉を通して見た方が、なんとなく見えてきそうな気がしません? (私は姿を見られると、困ります。ただの食欲ですから・・・) そこで、マイムや踊りに限らず何でもですけど、人前に体をさらしているものは、特にこの姿ということを、気にして見るようにすると、形は形として楽しみつつ、演者の内面を感じることが、出来てくるのではと思うんですよね。 それに、演ずる姿というのは、常に一様に、浮かび上がっているわけではなく、演者の内面と密接な繋がりがありますから、見ていると、その姿の現れの強弱を、感じ取れると思うんです。 演者がたとえ同じ形をとっていても、演者の心が形に向いている時は、形を見るでしょうし、演者の心が演ずることに向いている時は、姿を見ることになると思いますよ。 演者の心のあり方が、そのまま見ている人に伝わるってわけです。 「姿」をキーワードにすることで、より面白い世界が広がる気がしませんか? |
| ●2005/11/22 Tue 姿・形よ、共にパワーアップを! |
いやいや、ここ何日もの間ずーっと、「姿」「形」のことが頭から離れません。(それで、コラムが1週間ぶりになってしまいました) といいますのも、踊りやマイムにとって、形は重要な要素ですけど、真に大切なのは、そうではないはずと考えた時、「姿」という言葉が浮かんできまして、両者の違いついてはっきりさせようと、私の頭は凄い勢いで、回転し続けているわけなんです。(普通の人からみたら、かなり遅い回転なんですけど、私にはほぼ上限・・・) 形は文字通りですからいいんですけど、姿は形に似て、しかしながら全く違うものなんですよね。 姿は大雑把に言いますと、雰囲気でしょうか。 「立ち姿」とは言いますけど、「立ち形」とは言いませんよね。 それに、きれいな形をしたからといって、イコール姿がきれいとも限りませんし、形がきれいでなくても、姿が美しいこともありますでしょ。 たとえば、無我夢中で何かをしている姿は、美しかったりしますものね。 で、人の心を真に捉えられるのが、どちらかと問えば、答えは簡単。姿ですよね。 形はあくまで頭・理屈といった「知」の世界。 姿は意識の深いところ、自覚出来るかどうかのくらいの「感」の世界。 以前、書きましたけど、魂は「知」より「感」を求めているはず。 ところが、マイムや踊りはどうしても、形に目を奪われてしまう。心まで奪われてしまうこともあります。 これは、観る側だけでなく、やっている側も。 そこで、やる側に立場を絞って考えますと、これはよーく考えないといけない問題だと思うんです。 自分は形という、記号となろうとしているのか、姿という心になろうとしているのか。 私自身は、姿を見せられるようになりたい、と思っていますけど、かといって形を軽視したくはありません。 ですから、形は最大限、重視しつつ、形に縛られないようにする必要があるんですよね。 ただこの場合の、縛られないというのは、形を自己流にするというのとは、また別のことでして、形を作ってるって思われないようにするってこと。 形よりも、その形を通して表わそうとする心を、観ている人に届ける。 少しでもいい形。少しでも大きな姿。あぁ、果てしなき道・・・。 |
| ●2005/11/16 Wed テクニックと表現と・・・ |
歌舞伎の玉三郎っていますよね。玉三郎は踊りを、使い分けているらしいんです。どういうことかと言いますと、同じ振り付けのもを、本格的に踊る場合と、一般のお客が喜ぶように、ちょっと動きを派手に踊る場合と。 ようするに、本格的な踊りでは、普通のお客さんが楽しめない、ということなんです。 まあ、結局は商売であって、決して趣味として自分個人の喜びのためだけに、やっているわけではないですからね。 絵画なんかとは違いまして、舞台芸術は人が、その時その場で楽しんでくれないと、成立しませんものね。 ですから、このことは、いい悪いの問題ではないんですけど、やはり、ちょっと考えさせられる問題ではあります。 踊りに限らず、身体表現(演奏も含めて)での、派手な動きや、いわゆる「すっご〜い」っていうテクニックは、人の目(耳)を奪いますよね。奪う・・・ そう、私たち観る側は、目を奪われている。つまり、能動的ではなく、あくまで受け身なんです。楽しんでいるのではなく、楽しませてもらっている。 これに馴れ過ぎてしまいますと、表面的なところばかりに、目が行くようになってしまい、例えばクラシックバレエで、跳んだり跳ねたり回ったりっていうのばかりを、楽しみにしてしまい、体操を見るのと変わらなくなってしまいます。 すると表現者も、どんどん体操選手になってしまう。 と、一見よくないことのようですけど、それだけアクロバティックな動きさえも、超えるような表現パワーがあれば、それは真に常人を超えた、演技(演奏)として、私たちの心の奥深くに、光を届けてくれると思うんです。 そこで、パントマイムですけど、どうしても変わった動き方をするものっていうイメージが、やる側・見る側、共にありますよね。 けれど、その目先の動きを超える「表現」を、少なくともやる側は目指していかないと、マイムが表現の分野ではなく、テクニックの分野に留まってしまうと思うんです。 このあたりのお話は、またの機会に詳しく考えられればと、思っています。 |
| ●2005/11/14 Mon 99%と1%の味わい |
念願叶い、リンツ99%カカオチョコを、頂く機会に恵まれました〜。うっれし〜ぃ! 普通リンツの板チョコって、100gなんですけど、これは50g。見た目の大きさは一緒ですから、それだけ薄いってこと。苦味が強いので、いっぺんに口に入れ過ぎないようにってことなんでしょうね。 さあ、期待に胸膨らませ、封を開けますと、カレーのルーが入っているような容器の中、かなり黒っぽいコーヒー豆が焦げたくらいの色の、チョコといいますかカカオが力強く、その輝きを放っていまして・・・おぉっ! 25mm角くらいの大きさに、割り溝が入っていまして、まあそんな大きさに割り、口に入れますと・・・ すぐには溶けてこないんですね。余計な油分が入っていないからなんでしょう、普通のチョコのようには、すっと表面が滑らかになる感触がないんです。もちろん甘みは感じられません。 けれど、飴のように舐めていきますと、ぬぅ〜うっと、重みのあるねっとりさが、舌と上あごに伝わってきまして、何故だか頭の中には、ツヤっと角が無くなって丸みを帯びていく、チョコの姿が浮かび上がってきまして・・・ 以前、製菓用のカカオチップ、つまりは100%カカオを食べた時は、質の悪さもあるんでしょうけど、もっとざっらとしていましたし、かなりの苦味で、雲泥の差。 ところが、やはり1%の砂糖が効いているんでしょうか、なんとも言えない、甘みと言うよりは旨味に近いような、そして苦味もあるはあるんですけど、決して苦いって思うようなものではなく。 う〜ん、伝えづらいですねぇ。人によっては、もうこれっきりでいいって思うような味ですからねぇ。 少なくとも、「わ〜!美味しい〜ぃ!」っていう類いの味ではないんですよね。葉巻き(私は煙草すら吸いませんけど)を味わうようなものでしょうか? 「うぅ〜んぅ」って、口の中の小さな薄いチョコに、体中の全神経を集中させ、感触、香り、味を確認するよな作業。 そう、美味しさを与えてもらおうとしてはいけない、こちらから能動的に味わいに行かなくては、決して応えてもらえないような感じなんですよ。 「原材料 カカオ99%、砂糖1%」なんて潔い姿でしょうか。このシンプルさに、敬意を表して止みません。 カカオは神からの贈り物。ありがた〜く大切に、そして存分に楽しませていただきます。あぁ、神様って素晴らしい! |
| ●2005/11/11 Fri クリスマスケーキって・・・ |
もうクリスマスケーキのシーズンなんですね。あちこちで予約販売の宣伝が・・・あぁ、私を惑わせる魅惑のケーキたちよぉ。 クリスマスに関係なく、いつだってケーキは私の頭の中から、離れたりはしないんですけど、それにしても、この時ばかりと、怒濤のように押し寄せて来る、ケーキ。 普段でしたら、カットされた1人用の方が目立ってますけど、この時期はなんと言いましても、ホールっ! あのホールケーキを、1人でぜ〜んぶ食べてるところを想像するだけで・・・はぁ〜ぁあ、どうしましょ。。。 って、どうもしないんですけど、やはり目がきらきらしてしまいます。 ケーキの輝きが映っているのか、私の目から、よだれが溢れているのか。 オーソドックスな、白いクリームに赤い苺の組み合わせは、清く凛としていて、気品溢れながらも、柔らかな優しさで、私を誘惑する一方、チョコレート、いえ、カカオがその大人の男の強さと、悪女の艶やかさで、私を掴んで離さないんです。(私が離したがらないだけなんですけど) そんななか、フランボワーズだ、パッションだ、ピスタチオだといった、ムースやら何やらに、マスカルポーネにキルシュに・・・ぁあ〜っ!何でも混ぜて〜ぇっ! 写真を見ているだけで、五感全てがフルフル回転。 サクッとしたサブレ生地は、手応え、歯応え、音、全てが楽しく、「えっ!?いま何が口の中に広がったの?」っていう、掴めそうで掴みきれない、さりげなく、でもしっかりと潜ませてある隠し味に、箸ならぬフォークが止まらなくなり・・・ 濃厚な味わいに爽やかな酸味、す〜っと溶け、ねっと〜りと舌にもたれかかり、しっとりと口の中に寄り添い、時にほろ苦さと・・・はぁ〜〜。。。 「めくるめく」という言葉は、まさにクリスマスケーキのためにあるんですね〜ぇ。 それなのに、1つしか食べられないなんて(1つも食べられないかもしれませんけど)、悲しい、悲しすぎます。なんて殺生な・・・あぁ、いっそのことケーキなんて、この世に無ければよかったのに、なんて思うはずもなく、毎年毎年、無駄な妄想の時間を、た〜っぷりと過ごさせて頂いております。 ケーキを作るは罪。ケーキを想うは愚。 私の心は、どんどん「愚」で満たされていく・・あぁ・・・ |
| ●2005/11/10 Thu 公演のお知らせです。 |
今月11月の25、26日の、金・土と、『パントマリオ』というグループの公演に、ちょこっと出させてもらいます。 小学生料金の設定まである、分かりやすさと、楽しさを大切にした公演です。場所は東京中野にある、「なかの芸能小劇場」。 チケットは既に7〜8割り方、売れてしまっているようです(!) 詳しくはホームページ http://www.pmc-mario.jp を見て下さいね。 |
| ●2005/11/10 Thu 園児はパントマイムに大騒ぎ〜ぃっ! |
昨日は幼稚園で、マイム体験講座&パフォーマンスをやってきました〜ぁっ! 子供達が元気いっぱいで、好奇心旺盛なので、1時間大盛り上がり! 前半はマイム体験。でも、「壁」「綱引き」っていう類いのものは、一切なし。ジェスチャーゲームや、ごっこ遊びなんかで、ごまかしたりもしません。 相手が子供だからといって、ただ楽しければいいというのではなく、むしろ子供だからこそ、きちんと本質的なところを、体験してもらうことが、大切だと思うんですよね。 で、何をしたかと言いますと、「音を身体で表現する」です。 音の高低、大小、響き具合などなどを、まずは楽器を使って。そして、そういう音が、自分達の身体の中にもあるということで、元気な時と元気のない時の音を、みんなでやって。 好き勝手な動きでも、振り付けでもない、見本は見せるものの、子供達が自分なりに、音を身体で作り、感じ取ってくれていましたよ。(と思っています) あんまり、みんなが楽しくやってくれるので、こちらも元気もらって、楽しませてもらいました。 後半のパフォーマンス鑑賞は、まあ、鑑賞とはほど遠い、ワーワーキャーキャーの大興奮! ところで、これも大人の目から見たら、子供向けではあり得ないと、誰もが思う『イアディージュ』(HPのパフォーマンスのページに写真が出てますよ)。 子供はこういう抽象的なものでも、それぞれの想いで、思いっきり楽しんでくれるんです。 大人は奥底では感じてるはずなんですけど、つい「知」がたってしう。頭で理解しづらいために、難しいと思い、子供にはなおさら分からないだろうって。 そんなことないんですよね。子供は考えるより先に、まず感じますから。 前にも書きましたけど、魂は感じたがっているんですよ。理解したがっているわけではないんです。 でもこういう機会って、子供は自分では選べません。与えられるだけ。与えるのは大人。 世の中にはたくさんの、与え・与えられの関係がありますけど、いつでも与える方より、与えられる方が感受性が豊かなんだと、思っている方がいいようですね。 昨日は子供達にとってはもちろん、親御さん、先生方にとっても、そして何より私自身にとっても、素晴らしい出来事だったと思います。いや〜ぁ、ほんとに素晴らしいっ!感謝、感謝ですね。 |
| ●2005/11/08 Tue 芸術を感じられるようになりたいですね。 |
何も無いところに、何かを生み出し、それを人に分からせる、感じさせるようにするって、出来ると思います? 普通に考えて、手品でもない限り、超能力者かいわゆる神ですよね。 でも、いくら超能力者でも、大地や風、陽の光までは、そう生み出せるものではありませんよね。 ところが、そういう奇蹟みたいなことを、神ではない人間がやっているんです。 それを「芸術」って呼ぶんだと。 ただ、芸術はいつでも受け手に委ねられていると、思うんです。 いくら絵が、音楽が、踊りが風や光を表わしていても、受け手が感じ取れなくては、その受け手にとっては、何もないのと同じですものね。 絵なんかで、作者の死後認められるなんていうのも、結局、受け手の感受レベルの問題だと思うんです。(レベルが高い低いとは、違うと思いますけど) そういう意味では、芸術に絶対はあり得ないわけで、昨日までゴミ扱いだったものが、明日、高尚な芸術になってしまうこともあり得るわけです。 ところで今は、非常に即物的な世の中ですし、感じるということを、積極的に行なわなくなっています。 一方、「知」ばかりが重視され、頭でっかちになっている、きらいもあります。 芸術の力とは何かといえば、普通の人が意識出来ていない物ごとに対する感受性を呼び醒ますこと。 物の見方、感じ方が、より深く、より繊細になるために、芸術が存在するんだと、思うのです。 ですから受け手は、分かりやすいものだけに、気をとられるのではなく、また、分からないものを「芸術」という言葉で、片付けてしまうことなく、芸術家が何を発信しているのかに、目を向け、自分が何を受信したのか、自身のより深いところ、意識にのぼってこられるかどうかのところまで、目を向け、耳を傾ける。 多くの人が、こういう機会を多く持つと、きっと世の中、楽しく豊かになるんだと思います。 芸術は人間だけがし得る、(いわゆる)神の領域。 もっと楽しめるようになりたいですね。 |
| ●2005/11/07 Mon 魂は成長する?しない? |
乗り越えられない試練は、やってこないって言いますけど、本当? 乗り越えられない人、いっぱいいますよね。極端な話、自殺する人はたくさんいますし、日常の小さなことでも、乗り越えたとはいえないってこと、多いと思うんですけど。 そうしますと、魂は成長出来なかった、チャンスを活かせなかったってことに、なるんでしょうかねぇ。 そもそも成長って何なんでしょう? 人間で例えますと、赤ちゃんから子供、大人、老人、そして死。 どこからどこまでが成長? 大人になるまで? 大人になったら、残りの人生は意味が無いってことですか? そんなはずはない、といいますか、それでは悲しすぎますから、死を迎えるまでが、ずーっと成長ってことですかねえ。 でも成長って、輝きを増すってことではないんでしょうか。ぐんぐん上に伸びるってことではないんでしょうか。 だとしますと、この世に生まれ落ちてきたときより、死を迎える瞬間の方が、少なくとも輝きを増しているはずですよね。 ぇえっ!?本当? にわかには信じ難いですねえ。 まあ、魂のことは自覚出来ないみたいですから、もしかしたら、死を迎える瞬間が、一番輝いているのかもしれませんけど、そんな自覚出来ないものを、成長させろって、神様もずいぶん無茶な要求をしますよね。 試練を乗り越えたら、成長したってことになるみたいですけど、自覚出来ていない魂のことですよ、本当に成長したかどうかって、どうやって判断するんでしょう? 試練を乗り越えられなくて自殺した人は、生まれてきた時と比べて、輝きはどうなっているんでしょう? それまでの貯金で、多少でも増していれば、人生トータルでは成長したってことになり、輝きが減っていたら、それまでどんなに成長してきていても、自殺の原因となった試練のために、全てがふいになってしまうんでしょうか? 思うんですけど、魂は成長することが目的ではなく、様々な経験をしたいだけなんじゃないかしら。 決して成長のために、試練がやって来るわけではなく、その試練をどういう経験として迎えるか、ただそれだけで、乗り越えるとか、乗り越えられないというのではなく、その試練を前にして、自分がどうしたいか、どうありたいか、だと思うんですけどねぇ。 それでも成長しないと、いけません? |
| ●2005/11/05 Sat 私の魂は、間抜けです。 |
魂は永遠で、やり残したことや学ぶべきことがあって、現世に生まれてきている。皆それぞれ使命があり、必要のない人間はいない。 ただそれを忘れているだけ。思い出しなさい。そうすれば、魂が浄化され、カルマから脱することが出来る。 う〜ん、いかにも本当っぽい。守護霊だとか、前世だとか見える人が言うもので、なおさら本当っぽい。 でも、ということは現世では、み〜んな完全なる存在になるために、わざわざ魂の世界からやって来てるというのに、何のためにやって来たのか、自覚出来ていないってこと? 一部の人は思い出せても、ほとんどの人は思い出せないまま、人生を終え、つまりは魂にとって、無駄な時間を過ごしたにすぎないってこと? あ〜らら、なんて間抜けな魂なんでしょう。そんな魂だと、何度輪廻転生しても、レベルは上がらず、一生(魂の一生って永遠みたいですけど)救われなさそうですよね。 しかも地球上には、そんな不遇の魂がほとんどっていうんですから、目も当てられませんね。 何故、使命や役割を忘れてくるんでしょう? どう考えてましても、憶えておいた方がいいといいますか、憶えておかないと困るはずですよね。 前世で起ったことを全て、憶えておく必要はないですけど、学ぶべきことだけは憶えておいたっていいと、思いませんか? 神様はそういう、ややこしいことは出来ないんでしょうか?そんなはずありませんよね、神様は完璧なんですから。 となりますと、敢えて忘れさせてる?ほとんど誰も救われないのに? 神様って、なんてイタズラ好きなんでしょ。 現世で魂を浄化しなさいって、送り込みながら、送られた私たちは、魂を浄化する方法はおろか、浄化しなければいけないんだってことすら、よく分かってない。 神様は私たちを見て、笑っているんでしょうかねえ? 思うんです。私たち個人個人に、カルマなんてないんじゃないかしらって。 やらなくてはいけないことなんて、本当に何もなくて、ただやりたいことがあるだけなんでは?って。 まあ、あんまり深入りすると、話が長くなりますから、また今度ですね。 |
| ●2005/11/01 Tue 肉体使って、楽しましょう! |
なぜ肉体を持って生まれてきたんでしょう? この間、魂は体感をしたがっているからって、書きましたけど、精神とか心にとっては、肉体が絶対必要不可欠なんだと思うのです。 精神と肉体、どちらが先なんでしょうね? 精神が肉体を支配しているって、考えるのが普通でしょうか。 気力が充実しているとき、興味を強く持って何かをしているとき、確かに肉体は疲れ知らずですものね。 逆に、嫌だなあと思っていると、足取りが重くなったり、だる〜くなったり、ひどいと本当にお腹が痛くなったりしますものね。 でも肉体が一方的に、精神から影響を受けているだけではなく、適度な運動は、気分を良くしてくれますし、マッサージをしてもらうと、日頃のストレスもす〜ぅっと、消えてしまいますよね。 ところで、精神は精神自身をを変えられるんでしょうか? 例えば気持ちが萎えているときに、なんとか気力を振り絞ろうととして、ちょっと大変だと思うんです。 興味の無いものに、興味を持とうとして、あれこれ考えても、そうそう興味を持てるようには、なれないと思うんです。 こんなこと分かりきったことのようですけど、「もっとしっかり」とか「気持ちを入れ替えて」って言ったり言われたり。 無茶ですよねえ。こんなことで変われるなら、だ〜れも苦労しませんよね。 で、肉体の出番。 元気が無いときに、歩く速度をいつもより早くするとか、掃除でも何でも、考える暇が生じないくらい徹底的にやるとか、そうすると、しぜ〜んと徐々に気力が戻ってくる。 興味の無かったことでも、とにかく体験してみる。体がリズムを感じるようになるくらいまで、繰り返しやってみると、ちょっと面白いかもって、思えてきたりする。 まあ、これにしたって、そんなに簡単に事は、運ばないかもしれませんけど、少なくとも精神に変化をもたらせるのに、精神自身が働きかけるより、肉体が働きかけた方が、ず〜っと有効なはず。精神的にも楽ですしね。 そうそう、悪い意味での洗脳にしたって、肉体を弱らせることが重要なポイントですものねぇ。 と、そんなことで、肉体の持つ精神への影響力を、もっともっと大切にして有効に活用すると、み〜んな楽しく、日本の、そして世界の未来は明るくなると思うんですけど。 せっかく3次元の世界に生まれてきたんですから、肉体を上手に使いこなしたいものですね。 |
| ●2005/10/31 Mon 雰囲気は十分、堪能させていただきました。 |
この間の日本舞踊の発表会のお話の時、他人の作ったものを自分のものとして踊るのは、大変なことだみたいなことを、書きましたけど、料理も同じですね。 テレビなんかでよく知られた料理人のお店で、でも料理長はそのひと本人ではないっていうのが、よくありますでしょ。 こういうお店で、物足りなさを感じたことありませんか? 料理長の持ち味が、出せないからではないかなぁ、と思うんです。 有名料理人の味を、忠実に再現しなくてはならず、気持ちがお客の方ではなく、師匠に行ってしまっている。 しかも、最初のうちは師匠の味を鮮明に憶えているので、再現の精度も高いんでしょうけど、どうしても徐々に自分勝手なものになってしまう。 そのときに、忠実でなくてもいいんだ、自分なりの美味しさを新しく発見していくんだ、という気概が持てれば、また許されれば、料理人にとっても、お客にとっても幸せなんでしょうけどねぇ。。。 絵と一緒だと思いましたよ。模写はあくまで模写であって、いくら上手でも、描き手のエネルギーまでは写し取れない。 たとえ絵そのものが多少稚拙でも、描き手本人のエネルギーが、いかんなくぶつけられていた方が、きっと人の心を掴むことが出来ると思うんです。 ところで料理のさらに悪いことには、コストという問題。 商売である以上、切って離せませんけど、有名料理人のお店というだけで、お客が来てしまうので、材料の質を下げて利益を上げる、という誘惑がかなり大きい気がします。 良くない素材で作られた模写料理。こんな悲しいことはありませんが、立派な内装と素敵な器、一見スマートな振る舞いのウエイターさんらによって、美味しく感じさせようと・・・ぁあ・・・ こんなお店はわずかだとは思いますが、ちょっと立て続けに当たってしまい、ひどくがっかりしています。 とはいえ、どうしても見た目の雰囲気に弱いんですよねぇ・・・偉そうなことを言っても、結局俗な人間なんですよぉ〜はぁ。。。 |
| ●2005/10/27 Thu 米粉クッキー |
ショートブレッドって知ってます?小麦粉とバターと砂糖だけで(塩もかな?)作る、シンプルなお菓子。ブレッドといっても、ようするにクッキーとかビスケットです。 結構ボリューム感があるんですけど、ついつい食べ過ぎてしまう。軽い塩気があとを引くんですよね。 そのショートブレッドの日本版という感じのものを、先日いただきまして、つまり、小麦粉ではなく米粉。 最近、米粉を使ったもの多いですけど、米粉100%のクッキーというのは、初めてでしたので、期待に胸を膨らませ、目を輝かせ、ありがた〜く頂戴しました。 あっら!美味しいのはもちろんなんですけど、歯応えがショートブレッドとは全然違って、面白い。 「塩竈」とか「ふんわり落雁」みたいな感じと言いましょうか、「もふっ」というか「ぼふっ」というか。 全く、しっかりした感じがなく、確かに表面も粉吹き芋のように、粉を吹いたようになってましたよ。 ところが食べ始めますと、歯応えからははちょっと想像しなかった食感。 どことなく粘り気が感じられるんです。「ねちゃ〜」まではいきませんけど、何となく口の中に、くっついてきそうな、こなさそうな・・・分かります? そして全体的には、とっても軽く、これはバターの分量のせいなのかもしれませんけど、もしかしたら砂糖に粉糖を使っているからかもしれません。 まあ、この辺のことは、よくは分かりませんけど、美味しいということだけは、よ〜く分かりました。 結局、あっという間。ひとつひとつ大事ぃ〜に味わっていたんですけどねぇ。。。 美味しいものは、美味しいうちにっ!ですよね。あぁ、幸せ〜ぇ。 |
| ●2005/10/26 Wed 魂の修行 |
意識とか精神とか、非肉体のものの方が、肉体より高級な感じがしますよね。からだを鍛えるより、精神を鍛えてる方が、なんだか高尚そうですものね。 肉体はあくまで従属物の扱い。魂がこの世で修行するために借りてるだけの、ただの入れ物。 本当なんですかねぇ? 魂が修行しているんだとしたら、肉体という不自由さを背負う為に、この世に来ているんでしょうか? あり得ないと思うんです。 魂とか精神とか、肉体を持たないものは、それ自身では何も体感できない。何しろ体感って、体が感じることですから。 そう、魂はこの世で、体感したいだけなんじゃないかしら? 触れたり、見たり聞いたり、味わったり。 意識の中、たとえば夢でも、これらを感じてるじゃない、と思っていても、それは体感した経験があればこそ。未知の体感は意識の中で、再現しようがないと思うんです。なにしろ未知ですから。 きっと魂は、自身だけでは味わいようのない体感というものを、肉体を通して経験することで、喜びを感じている。 赤ちゃんを見れば、分かります。あらゆる体感が新鮮だから、いつも喜びに溢れている。喜びを感じるために、いつも未知の体感を求めている。 それが歳をとるに従って、未知のものを拒み、喜びが減り、生きながら死人のようになっていく。 魂にとって肉体は、決して従属物なんかではなく、また不自由な辛い思いをするためのものでもなく、喜びをたくさん味わうための、どうしても必要なものなんだと思います。 そう考えますと、魂の修行というのは、辛いことに耐えるというようなものではなく、どれだけ喜びを味わえるか、ということになる気がします。 魂を磨けるのは、辛さではなく喜びってことですかねぇ。 って、脳天気ぃ〜? いやいや、脳天気バンザ〜イ!ですよ。 |
| ●2005/10/25 Tue 楽しませてもらう?楽しませる? |
上野、三軒茶屋と2週、都内ではかなりの規模の、大道芸フェスティバルがありまして、天気の良くない時もあったのですが、大勢の人が足を運んで下さり、あぁ、ほんとに感謝です。 大道芸というのは、やる方より観る方が疲れると思うんですよね。って話をしますと、大抵の人はそんなことあるはずない、って言うんですけど、そんなことあるんです。 と言いますのは、やる側はぐわ〜〜ぁっとエネルギーを出してはいるもののの、それ以上に観て下さってる方たちから、エネルギーをもらってるんです。 ですから、お客さんが楽しんでくれていればいるほど、こちらは元気になってしまうんですね。なんて、ありがたいんでしょう。 観て下さる方が楽しめるように、エネルギーを使うのは、実は自分のためでもあるんですよね。 これは、パフォーマンスに限らず、人生全てに言えますけど。『情けは人の為ならず』です。 まあ、いずれにしまして、とにかくやる側はエネルギーをいただいているんです。 ということはですね、つまり、観ている人はエネルギーを取られてるんですよ。 ところが、あっちもこっちも、いくつものパフォーマンスを、はしごして観てしまうことで、ほっとした時にどっと疲れを感じることになるんですね。 それだけの体力、精神力を使って、観て下さっていることを思いますと、ほんとに感謝、感謝です。 えっ!?疲れない!?それは、素晴らしいっ! そうなんです、ひとつ疲れない方法があるんですよ。それはですね、積極的に参加するということなんです。 変な言い方ですけど、やっている人をのらせてあげるんです。 それは、笑顔だったり拍手だったり、かけ声だったりいろいろです。ただひたすら集中して観る、というのもあります。なんにしましても、どんどん積極的に、パフォーマーの気持ちをよくしてあげますと、やる側と観る側で双方向のエネルギー交換が起るんです。 そうなればしめたもので、そのエネルギーを大きくすればするほど、お互い元気になれ、楽しくなってしまう。なんて素晴らしいことなんでしょう! 楽しませてもらいたい時は、楽しませてあげる。『情けは人の為ならず』です。 やる側が言うのも、変ですね。 ま、ということで、私はこれからもなんとか、皆さんが積極的に楽しめるような、そんなパフォーマンスをしていきたいと思います。 今後ともよろしくお願いしますね。 |
| ●2005/10/22 Sat 好みの靴を見つけられました。 |
先日、靴を2足買ってしまいました。色違いの同じ型。 こんな買い物をしたのは、生まれて初めてです。色違いとはいえ、同じものを2つ同時に買うなんて、以前でしたら絶対に考えられません。今でも、あまり考えられませんけど・・・。 ものを買う時って、人それぞれでしょうけど、おおよその上限金額があると思うんですよね。腕時計ならいくらまでとか、傘ならいくらとか。 もちろん靴も、私なりに上限を決めてまして、その値段の中で探すんですけど、サイズ・デザイン・色・素材・機能性など、全てをクリアするものとなると、そうそう見つかるものではありませんよね。 特に靴の場合ですと、デザインはインポート物に、いいなぁ〜と思うものがありましても、サイズがまずもって合わない。大抵、大きいんですよ。スリッパになってしまっては、しょうがないですからねぇ。 色は黒でしたら、微妙な色合いをそんなにも、こだわりませんけど、茶系となりますと、途端に難しくなってしまうんです。 茶系ですと色合いそのものより、質感がものをいってきますから、そうすると予算との兼ね合いが・・・。 そして機能性。デザインや色が気に入っても、履き心地が良くなかったり、歩きづらくては、靴としてはどうかと思うんですよね。身体にも悪いですし。 そんな中たまたま、ついでという感じで入ったお店に、素敵な私好みのものがありまして、ああいうのって不思議ですね、一番最初にパッと目が行くんですよね。で、一応他のものも一通り、見るんですけど、やっぱりその最初のしかないんですね。 茶系の方だけを買うつもりで、会計をお願いしていたんですけど、その間どうしても黒い方も気になって、試着しているうちに、その気になってしまいました。 気に入った靴は、どうしてもいつも履いてしまうので、消耗が激しくなってしまう。といって、ダメになったころに、もう一度同じものを買いたくても、売ってないことが多い。 で、今回は思いきって、買ってしまいましたよ。 こういう買い物って、なんだかとっても心臓がドキドキしますね。「いいんだろうか?いいんだろうか?」って思っている一方で、「買っちゃったぁ〜!買っちゃったぁ〜!」って。 いま幸せ〜ぇな気分です。 |
| ●2005/10/21 Fri やっぱり、「食」。 |
あらら、前回のコラムから5日も経ってしまいました。。。 これには理由がありまして、あまりに「食」の話題が多すぎる。 会う人、メールをくださる人、みーんなから、「食べる人」として見られているようで、なんだかだんだん恥ずかしくなって・・・「食」以外の話題をと思っているうちに、ぁあっ!?という間に、時間が過ぎてしまったんです。 そう、要するに結局、私は「食べる人」でしかないようなんです。は〜〜ぁぁ、情けない。。。 運動しか能がないのを、昔、「脳みそが筋肉」って言ってましたけど、私は「脳みそが胃袋」って感じでしょうか。 胃液に満たされた脳みそ。4つの胃を持つ牛と、どっちが凄いかしら? と、そんなわけで、今回はコーヒーを取り上げてみることにしました。 ちょっと前になりますけど、感動的なコーヒーを飲む機会に恵まれまして、なんでも、グァテマラコーヒーの品評会で世界No1に輝き、それも「ブルーベリーのような風味」と評価されたコーヒーでして、んっまあ〜!まあ、び〜〜〜っくり!!! コーヒーとは思えない。少なくとも私が、過去飲んできたものとは、全く別物。(大したものは飲んできてませんけど・・・) ブルーベリーっていうのは、そんな爽やかさってことらしく、私、ソムリエではありませんから、そんな繊細なことは分かりませんでしたけど、それでもその爽やかさが、尋常でないことだけは、十分わかりました。 培煎苦さみたいなものが、全くと言っていいほど感じられず、キレがいいといいますか、審査的には「クリーン味」満点、ということなんです。 そして何よりも、香りっ! 口に含んだ途端、思わず「何だ、これっ!?」衝撃的でした。 で、どんな香りかって、どうにも表現のしようがないんですけど、よ〜く熟した木の実が軽く発酵したような感じですかねぇ。ぅ〜ん・・・どんぐりが完熟したらこんな感じになりそうな・・・伝わりませんよね・・・しかもその完熟木の実が、いい香りとは思いづらいでしょうし。 でも、ほんとに素晴らしかったんですよ。 何を隠しましょうか、たまたま試飲(!)させてもらっただけなんですけど、隣の見知らぬコーヒー好きらしいおばさんと、思わず目を合わせ、まるで旧知の仲のように、その美味しさ、驚きを分かち合ってしまったんですから。 いや〜、素晴らしい経験をさせて頂きました。ありがとう。合掌。 |
| ●2005/10/16 Sun 柔軟体操なんて、無理しないでっ。 |
いわゆる身体が柔らかいってことより、動きが柔らかいことの方が、ず〜っと大事だと思うんです。 そこで、いわゆる柔軟体操で、動きが柔らかくなりますか? 絶対にならないと思いますよ。全く別物、お互い関係のない動きですから。 そもそも柔軟体操って、無理して筋肉や筋を伸ばそうとしてますよね。それも動きを止めて、「ふ〜〜っっぅ」って。 これはヨガなんかでも、同じことだと思うんですけど、なんだか凄いポーズをとったり、曲げたりって、その最終形態にこだわると、本来の意味を見失ってしまいますよ。 ああいうポーズ・形態は、頑張ってやるものではなく、当たり前に出来るかどうかです。つまり、自分の身体の状態、使い方をチェックするためのもので、決して目指すものではないはずです。 さて動きが柔らかいっていいましても、けっしてクネクネするようなことではなく、身体の中でいかに無駄なく、効率のいい力の伝達がされているかどうか、ということです。 つまり動きが柔らかいというのは、スムーズってことですから、柔軟体操で身に付くものではないんですよ。 で、どうしたらいいのかって、ことになりますけど、単純な話、やはり動くしかない。 その動きですけど、スムーズってことは、粗野ではなく繊細ってことです。それも筋肉の動きが繊細ってこと。 さらにスムーズというのは、どこか一部の筋肉に無理をさせないよう、出来るだけ各部の負担を減らし、多くの筋肉が少〜しずつ働くのが理想。 身体に限らず、会社なんかの組織でも同じですよね。み〜んなが少しずつの軽い負担で、動いている方が、どこか局所的にしわ寄せが来ているより、はるかに健全ですよね。 さあ、そのように筋肉を働かせて、動きの質を高めるには、外からの力ではダメなんですね。やはり、当人の意識です。意志ではないですよ。その気になることではなく、感じることです。 どこかに無理がかかっていないか、どれだけ楽に出来ているか。 これらを感じ取ることで、修正を加え、さらに質を高める。柔らかくする。 自分自身を見つめるしかないんです。外に現れる形に惑わされては、いけないんです。外はあくまで結果です。 肝心なことは、いつだって目には見えないものです。 柔軟体操をがんばるより、たとえば毎日の歩きを柔らかくしましょう。でも気を付けて下さいね、自分自身を見つめ過ぎて、ぶつからないように。 |
| ●2005/10/15 Sat あぁ、素晴らしきかな、ごま塩玄米ごはん! |
玄米にごま塩、以前はそれほどの組み合わせとは、思っていませんでしたけど、「ぬちマース」と黒すりごまのごま塩にしてからは、考えが完全に変わりました。 美味し過ぎますっ!こんなにも美味しいものか!?と思うくらいに、素晴らしく美味しいんです。 玄米ってちょっと独特の匂いがありますから、苦手な人はその匂いで、玄米を敬遠してしまうこともあると思うんですけど、このごま塩でしたら、「えっ!?」ってびっくりするんじゃないかしら。 ただし、ちょっとかけただけではダメですよ。た〜っぷりですよ。どれくらいたっぷりかと言いますと、「ごまおはぎ」状態にするくらい。真〜っ黒にするんです。 冗談みたいですけど、これがやめられない。味まで「ごまおはぎ」みたいになってしまうんですから。 「ぬちマース」は塩分が低いので、かなり多めにかけても、しょっぱくない。むしろ玄米の甘さを引き立ててくれる。そして黒ごま。芳ばしさが玄米のあの匂いを消し、すってあることで、なんともいえない心地よい歯触りを・・・あぁ、噛めば噛むほどに口の中いっぱいに拡がる甘さ、旨さ。 玄米を食べているのか、ごま塩を食べているのか、まあ、とにかく黒ごまの消費のスピードの早いこと早いこと。ここ2週間くらいで、これまでの人生で食べた黒ごまの総量を、すでに超えてるんじゃないかしら。 史上最強(たぶん)の食べ物「玄米」と、やはり種子という生命エネルギーに満ち満ちた「黒ごま」。これら大地のエネルギーを携えたものと、海水塩という、生命の源である海のエネルギーを携えたもの、この組み合わせの素晴らしさよ!これ以上シンプルで、美味しい組み合わせがどこにありましょうかっ!(知識に乏しい私にとってはですけど・・・) 大地と海、つまり地球のエネルギーを取り入れることで、きっと宇宙とつながるんですよ。 って、実感は全くもってありませんけど、それはまだ実感出来るだけの能力がないというだけで、必ずや宇宙エネルギーが、私の体内に、精神に取り込まれてるはず・・・はず。 もし取り込まれていなかったとしても、いいんです。なにしろ、美味しくて幸せ〜ぇ、なんですから。 それにしても、「ぬちマース」は高すぎます。残りわずか。 あぁ、幸せは長くは続かないものなのかしら・・・幸せよ、永遠たれ。 |
| ●2005/10/11 Tue 朝ごはんの、いろいろ。 |
朝ごはんを食べた方がいいとか、食べない方がいいとか、いろいろ言われていますけど、どうなんでしょうか? 朝からしっかり食べるというのを、半年くらい続けたこともあるのですが、せっかく頭に血液を送り込んで、活動開始っ!っていう朝なのに、しっかりですと血液が胃に集まってしまい、ぼ〜っと眠たくなってしまうんですよ。 しっかりと言いましても、別に豪華なものではなく、粗食ですよ。もう大分前なので、詳しいことは憶えてませんけど、玄米菜食に近いようなものだったと思います。 それでも、ぼ〜っとなってたことは、はっきり憶えています。 (単に食べ過ぎだったのかもしれませんけど・・・) まったく食べないっていうのも、がんばって半年くらいやったりもしたんです。 朝は排出の時間だから、体に食べ物を入れるのは良くないって。 でもこれは厳し〜っぃ! お昼までの長いこと、長いこと。お腹がすき過ぎて、ふらふらしてくる。頭の中は食べることばかりに、意識がいってしまい、活力が湧いてこない。は〜ぁ、情けない・・・。 それと、『ライフスタイル革命』という本に影響されて、朝はフルーツだけっていうのを、これは多分3年以上続けまして、その片鱗を残して今のフルーツ&ご飯に至ってるわけです。 朝はエネルギーが必要ですけど、消化の負担は少ない方がいい。 ですから、しっかりでは負担が大き過ぎますし、食べないではエネルギー不足になってしまう。そこで、フルーツ!なんです。 フルーツは消化がよく、すばやく果糖がエネルギーとして、体内に巡るみたい。そして瑞々し!。 朝起きたら、まずコップ1杯の水をっていうくらい、朝の体は水分を必要としてるからでしょうか、朝一番に口にするのが、フルーツ(バナナは重過ぎますけど)というのは、体も心も幸せな気分にしてくれます。 ただ、果物のエネルギーは長もちしないので、最近はご飯を少量頂いているんです。 なんだかとっても妙な組み合わせですけど、フルーツを食べ終えて、いったん水で口をゆすぐようにして、口の中をリセットすれば、結構気にならないものなんですよ。 それにしても食べるという本来本能的な行為を、体の要求とは別の所で、頭でっかちに・・・ いつか体の要求にスムーズに従って、食事を取れる日が来るのかしら?あぁ、食い意地との戦いですぅ。。。 |
| ●2005/10/08 Sat イギリスのこのビスケット、イギリスではどの程度売れてるのかしら? |
なんでしょうっ?このビスケット・・・「ダッチーオリジナル・オートビスケット・ブラックペッパー」。 オーガニックで、材料もいたってシンプル。植物油脂なんて使わず、バターたっぷりと書いてある。まさに私好み。 しかも、ブラックペッパー。ちょっとピリッと大人な味わいを、期待させますよね。 封を開けると、1枚がかなりのボリューム。食べ応えがありそうで、いやがうえにも期待は高まります。 ところが・・・かっらい、辛い・・いいえ辛いなんてものではありません。口の中がヒリヒリです。それもまだ半分くらいしか、食べていないのにですよ。粗挽き黒こしょう全開という感じです。 説明文をもう一度、よく読んでみますと、ビールに合うというではないですか。そうなんです、ビスケットといいながら、ビールがすすみそうなくらい、刺激的。刺激的すぎる。 ビスケットらしい甘さは、微塵も感じられず、むしろ刺激で、体があったかくなりそうなんです。 1枚食べ切るのが、やっとでした。4枚毎でひと袋になっていましたので、残り3枚は普通でしたら、多少美味しくなくても開封した以上、必ず食べ切ってしまうのですが、今回だけは迷わず、袋に戻しました。 私にとって、ありえない行為です。ですが、ほんとになんの躊躇もありませんでした。 私はビールに限らずお酒は飲みませんから、この後残りはどうしたらいいんでしょうか・・・ カマンベールチーズをのっけたら、美味しそうなきがしますねぇ。たっぷりのせても、チーズに負けない、十分な強さを持っていますから、いいかもしれません。 でも、もともとバターたっぷりというのに、チーズまでたっぷりでは、乳脂肪の塊を食べるようなもの。ふ〜んむ・・・ やっぱりチョコですかねっ! カカオ6、70%のブラックチョコをのせて、オーブントースターで、軽く焼く。チョコが光沢を放ちながら、とろ〜っとなったところを、こぼさないようにいただく。 いや〜ぁ、これは美味しそう。香辛料とチョコの組み合わせは、お互いの量のバランスは難しいですけど、ビスケット生地も合わさってきますから、かなりいけそうな気がしますよ。 って、こんな筈ではなかったんですけど。こんな無理して、他のものと合わせなくても、ショートブレッドのように、ただそれだけで、美味しくいただきたかったんですぅぅ。。。 |
| ●2005/10/06 Thu 塩もいろいろ |
安くていい塩を手に入れることが出来ました〜っ! いい塩といいましても、とりあえず再生塩(にがりを添加したもの)ではなく、海水だけで作った無添加の塩というだけですけどね。それでも嬉しくて、2キロ分を購入。 ちなみに、南オーストラリアの南極海の海水を、太陽と風の力で18ヶ月かけて、つくられてるみたいです。 これに以前から買い置きしてあった沖縄の「ぬちマース」と、友人からもらったやはり沖縄は久高島の塩。 それとやっぱり買い置きしてある、中国青島の海水塩。 これでかなりの海水塩が、我が家にはやってきましたよ〜っ! 再生塩も未開封のもが1キロあるので、塩だらけです〜ぅ。 (徐霊、徐霊っ!?) ところで同じ海水塩でも、中味はかなり違うようなんですよ。 詳しいことは分かりませんけど、「ぬちマース」と「久高島」のは炭水化物が結構含まれてるんです。塩と炭水化物って、なんだか結びつかないんですけどね。 それと、カルシウムの量が全然違う。沖縄のふたつはやっぱり、頭抜けている。南極海は全くかなわない。炭水化物も入っていませんでしたし。 海水そのものも違うのかもしれませんけど、作り方が大きく影響している気がします。 「ぬちマース」は常温で結晶化させてるようですし、「久高島」は天日を使ってないようですし、何かその辺に秘密があるんでしょうね。 そうそう、塩化ナトリウムようするに塩分、これも表示を見る限りかなりの差が。「ぬちマース」はなんと70.9%!たしかに全然しょっぱくない。 いい塩は甘みを感じるっていいますけど、そんなレベルではないんですよ。はじめて舐めてみた時は、「これ何???・・・塩なの?」って。 できたらこんな塩を、使い続けたいですけどねぇ・・・あまりに値段の差が・・・。 まだ南極海の塩は開封していませんけど、塩分98.6%。まあ、青島の99.4%よりは美味しそうですけどね。 塩もいろいろですねぇ。今までは再生塩と海水塩を区別して考えていませんでしたし、同じ海水塩でもこんなに違いがあるとは。 でもこれは、家で成分表をじっくり見比べたので、分かったことでして、お店の売り場でもっと分かるようにしてあると、助かりますし嬉しいんですけどね。 それにしても、いや〜、塩、楽しいです〜〜〜ぅ。 |
| ●2005/10/05 Wed 心奪う美しさ |
パントマイムに限らず、美しい動きというのは、動きそのものに、あるわけではないんですよね。 どこに美しさがあるかというと、動き終わりと、動き始めだと思うんです。 「ま」がいいとか、悪いというのとは、また違うと思うんですけど、心地よい「止め」「ストップ」があるか無いかは、重要なポイント。 どうしても動きそのものに、目を奪われがちですけど、ほんとに美しい動きをする人と、美しいはずなのに、何か心に届いてこない人を比べると、動きの終わりと始まりの質に、大きな差があるんですよ。 一見小さな差なんですけど、その影響はとんでもなく大きい。 音楽や歌みたいなものの方が、分かりやすいかもしれませんね。 息の継ぎ目みたいな部分、ある流れから次の流れへの変わり目、この音の生じない部分に対する、心配り。 どのように音を止めに行き、どのように音を出していくか。 ここのところを、迷いなく気持ちよくやってもらえると、聴き手は心奪われてしまうと思うんですよね。 身体の動きというのも、音と同じですよね。マイムやダンス、芝居に限らず、お茶や書だって身体運動ですから、やっぱり同じ。 みんなこの動きの止めと入りが、美しくあるかどうか、その切れのよさが、人の心を捉えられるかどうかの、違いだと思うんです。 でもこの止める、入るっていう作業は、想像以上に難しいんですよねぇ。これこそ、呼吸と身体の動きの一致は、絶対必要条件。 先走ることなく、慌てることことなく、音の無いところを音として使えるように。 そのためには、常に今、その瞬間、瞬間を大切にしないといけないと思うのです。 あぁ、言葉で言うは易しいですけど・・・ あぁ・・・ぁぁ・・・ |
| ●2005/10/05 Wed 自由ってなんでしょう? |
「自由」というのは、自分で自分をコントロール出来ることかなと思うんです。自分以外のものの力によって、自分の意思とは違うことが起きないこと。 私のことですから、別に難しい話ではなく、身体の話なんですけど、自由な身体に少しでも近付きたいなと思って、こんな話を持ち出しました。 でもきっと、身体について考えていくと、一般社会にも通じる考えになるんですけどね。 身体の自由さといいましても、軟体人間とか怪力人間にってわけではないですよ。それは確かに、今より柔軟性や筋力とかアップするに、こしたことはないですけど、そうではなくて、身体のあらゆる部分を動かせる、コントロール出来るってことです。 コントロールというのは、単独での一部分の話ではなく、常に全体、頭の先から足の先まで、ぜーんぶ。 で、一番コントロールしづらいのが、体幹部分なんですね。骨盤、背骨、肋骨辺りでしょうか。 こういった最も動かしづらいけれど、その影響力はとてつもなく大きい所の、自由度が高まると、自然に枝葉に当たる手足も、自由度が高まってくるんですよね。 ここに気が付かないと、枝葉の手足ばかりを自由に動かそうとして、その気になってしまう。 この種の動きは、一見派手で大きくなりますけど、実はとてつもなく小さいんです。実際の手足の届く範囲にしか、エネルギーが行ってないですから。 他人の目からは分かりづらく、本人も意識しづらい体幹部分から動けると、エネルギーは実際の身体の寸法なんて、軽々と越えていきます。 もちろん意識の問題もありますけど、同じ意識ならテクニックとして、体幹を使った方がパワーアップします。 そして、一番肝心なのは、この体幹の動きを手足がサポートすること。手足は自由度が高まったからといって、思いっきり動かすのではなく、よりコントロールされた動きが求められるんです。 ちょっと抽象的すぎて、分かりづらいですよね。ごめんなさいね。 でもこの自由のあり方を、社会生活に当てはめて考えるのは、面白そうだなと思うんですけど、どうでしょう? つまり自由というのは、勝手ではなく、より抑制されるべきものが生じるのでは?って考えると・・・う〜ん、具体的なことはまた今度ですね。あぁ、今晩頭がぐるぐるしそうです〜ぅ。。。 |
| ●2005/10/03 Mon 屋外でのパフォーマンス |
今週の土曜8日はオーディションです。日テレ汐留タワー(東京の新橋)では毎週土日に、いろいろなパフォーマーが出演しているのですが、出演するには半年毎にライセンスを、取得しなくてはならないんです。 ということで、8日は16時30分からゼロスタ広場という所で、『魔女』をやります。 このパフォーマンスは、魔女をベースにしてはいるものの、内容はかなり変化してきていまして、5、6年前のものとはもちろん、全く別物。 1年前でも相当違ってますし、半年前でもやっぱり違っています。 ただ随分と集約されてきてはいますので、そんなに大きな変化ではないかもしれませんけど、それなりに印象は違うのではないかなぁ・・・と思ってます。 ですから、以前観たことのある方も、よかったらぜひ観に来て下さいね。 ところで、当日のちょっと気になることが、明るさ。 『魔女』パフォーマンスでは、表情の変化はと〜っても大事なポイント。けれどゼロスタ広場は、屋根のようなものがあるので、さらに時間帯的にも、どうしても暗めなんですよね。 まっ、屋外でやる以上、どうしようもない事はどうしようもないですし、それもまた屋外でやる面白さですけどね。 私が舞台でのマイムをメインにせず、屋外でやっているのは、日常の空間に非日常の空気を持ち込む面白さと、パントマイムというごく一部の人の世界を、いろんな人が否応なしに接してしまう面白さからなんです。 ある意味、暴力的な行為ともいえますけど、それだけに観て下さる方々に、何かしら心にあったかいものや、光りみたいなものが生まれてくれたら・・・いいですね〜ぇ。 ともあれ、ようするに今回のコラムは、体よく「観に来てください宣伝」をしているわけでして、当日は他にも何組かパフォーマーが来ていますし、遊びに来て下さいね〜! |
| ●2005/10/02 Sun 勝手違いました、日本舞踊。 |
今日は日本舞踊の発表会でしたが、人前で踊るのは7年くらい前にやったきり、今回が2回目。緊張、緊張でした。 いくら普段マイムを人前でやっていましても、関係ありませんね。マイムは自分で作っていますけど、踊りはやはり他人のものですから。 その他人のものを、自分のものにするくらい、踊り込んでいれば、また違ったいい意味での緊張があるんでしょうけどね。 たった7分だったみたいなんですけど、踊り終わって舞台袖に引っ込んだら、どぅお〜ぉっ!と疲れが噴き出してきましたよ。 それでももし、踊り終わった後、客席に向かって挨拶のお辞儀でもして、拍手いただき(いただければ・・ですけど)、にっこりできれば、疲れなんてぜ〜んぜん感じないんでしょうけどね。 現金なものです。マイムでもそうですけど、お客さんの嬉しそうな顔を見られると、疲れるどころか、ますます元気になってしまいます。 ところが、決めのポーズのまま幕が降りて、そのまんまというのは、どうにも消化不良な感じなんですよね。 マイムでもウォーキング(漂流型パフォーマンス)では、確かに終わりはないんですけど、お客さんの反応を直に感じ取りながらやっているので、舞台の上の日舞とはやはり全然違います。 まあそれでも少しでも、今日の踊りを楽しんでいただけたなら、幸いなんですけど。 今日観に来て下さった方、観には来られなくても興味を持って下さった方、ありがとうございます。 それから、すみませんでした。時間が予定よりかなり早まってしまい、せっかく来ていただいたにもかかわらず、すでに終わってしまって。。。ほんとごめんなさい。 それにしても、日舞は奥が深い。演技と踊りの融合といいますか、演技を踊りに昇華させているといいますか。踊ってはいけない踊り。といって、純然たる芝居でもない。 あぁ、やっていてよかった〜ぁ。 |
| ●2005/10/01 Sat 日本国民、みんな一斉に履けばなぁ・・・ |
今日、一本歯の下駄を履く機会がありまして、初めてだったんですけど、あれはいいですねえ。普段履きにしたいと思ってしまいましたよ(人目が気になるので、そんな勇気は持てませんけど)。 何がいいって、今流行りのバランスボールみたいなもので、とにかくバランスを、とり続けていなくてはいけない。 歩いている方が楽なんですよ、ただじっと真直ぐ立っているのは、思いのほか大変。足を前後にすれば楽なんですけど、「気を付け」みたいな格好は結構大変。 これを普段から履いていたら、背筋がまっすぐになるだけでなく、骨盤周りの筋肉を使いますから、お腹周りがほっそりするんじゃないかしら。 それに、自然と集中力もつきそうですよ。 山伏とか天狗とかって、一本歯の下駄を履いて、山の中を駆けずり回ってるんでしょうから、これは素晴らしい修行ですよね。 普通に靴を履いていたって大変なところを、こんな下駄で普通以上の動きをしてしまうわけですから、下駄を脱いだら、とんでもない生き物になってしまうはずですよ。 単に動きだけの問題ではなく、真の集中力によって、意識や頭脳も研ぎ澄まされるでしょうから、発想なんかも常人離れしそう。 こんな簡単で、効果抜群の修行方法を考えだした人は、ほんと素晴らしいですねえ。 昔の人は、頭脳と身体は結びついているものだと、経験的に分かっていたからこそ、こんな修行を思いつき、それに賛同出来たんでしょうね。 思いつく人も素晴らしいですけど、賛同できる人も、同じように素晴らしい。 今の世の中は、この辺のところが分かっていないから、学校で体育の時間が減ったり、また体育といっても、真の身体作りではない、表面的なスポーツに行ってしまう。 身体をつくることが、イコール精神、頭脳をつくることに結びつかないと、もったいないと思うんですよね。 そうそう、この場合の精神というのは、スポーツマンシップとか根性とかではないですよ。あくまで宗教的境地の、宇宙とつながるとか、自分のより奥深くを観るとかですよ。 と、私もこんな境地に、少しでも近付けたらなぁと思いつつ、やっぱり一本歯の下駄は恥ずかしい・・・あぁ、情けない・・・。 |
| ●2005/09/27 Tue 今度は塩。塩ですよ、塩。 |
減塩、減塩といいますけど、どうも現代人は塩不足らしいんですよ。 微量栄養素といわれるミネラルが、不足しているというのは聞いたことあると思うんですけど、減塩のせいみたいなんです。 栄養というのも大切なのはバランスですから、何かひとつ足らないからといって、それをサプリメントなんかで、補えばいいというものでないですよね。 鉄分、亜鉛、マグネシウムなど単独で増やしたからといって、全体のバランスが崩れていたら、何にもならない。 特に栄養というのは複雑に絡み合って、一大ネットワークを形成して、機能しているんですから、人間の浅はかな科学知識で、どうにかなるなんて思うこと自体が、傲慢。 いつだって、自然に対して謙虚でいないと、ですよね。 分かりづらい微量栄養素をバランスよく摂るには、いろいろなミネラルを含んだ、自然界に存在する食品「塩」が一番! ということで、昔から命の源といわれる「塩」をたくさん摂ることを、試してみることにしました。 塩と水さえあれば生きていける、といわれるくらいなのに、塩を減らして他の栄養をたくさん摂るというのは、基礎をおろそかにして、外見的なところばかりを気にしているのと同じですものね。 ただし、精製塩は絶対にまずい。精製し過ぎたものは、食品ではなく科学薬品ですから、人体は受け付けません。 一番いいのは、自然海塩。でもこれはかなり高価。 とりあえずは再生塩という、よくある「赤穂の塩」とか「伯方の塩」みたいに、にがりを加えたタイプのもので、やってみようと思います。 そうそう、水をたくさん飲むのは、私には向かないみたいということを、以前書きましたけど、どうもこれは水分の取り過ぎで、体(血液)の塩分濃度が低くなってしまうからみたいです。 低体温の人も、高血圧・低血圧、便秘、冷え症の人も、み〜んな塩が足りればよくなるようですよ。って、無責任なことは言えませんから、とにかく塩多めの食生活をしてみますね。 |
| ●2005/09/22 Thu いつでも最高! |
最近、足がとっても軽くなりまして、非常に快適であります。軽くなって初めて、以前は重かったんだなぁと思えるんですね。 足のことはともかく、あらゆる面で現状に満足することは、大切だといいますけど、もっといい状態があるんだ、現状で満足してはいけないんだ、ということも大切ですよね。 ところがこんなことは、頭では分かっていても、現実には簡単にはいきませんね。 現状に満足してしまっては、先に進めません。(先を見ていなければ、それはそれで幸せでしょうけど) かといって、先を見ているばかりに、現状に不足を感じていては、幸せや自信を感じられない。 やはり道のりを楽しむのが、大切ということでしょうか。 目的地、目標をつくったとしても、たどり着く必要はない気がします。 いやいや、たどり着こうとすることは、重要だと思うんですけど、たどり着くことを目的にしてしまって、その道のりを楽しめないのは、もったいない。 それに、最初の目的地にこだわる必要も、ないんじゃないかしらね。途中で変わったって、それが自然な流れなら、流れに任せた方がいいと思いますし。 あんまり目標に向かって、がむしゃらになり過ぎて、周りが見えなくなるのは、どうかと思います・・・が、どうなんでしょうねぇ、がむしゃらにやった方が、いい時もある気がしますし・・・ふぅ〜〜。 まあ、いずれにしても、現状というのは後にならないと、見えてこないですし、現状が最高ということもないわけですから・・・おっ!? もしかして、最高というのはたくさんあるのでは? いつでも最高というのは、あり得るのではないかな? そうですね、現状は現状で最高なんですよ。でも、明日は明日でもっと最高なんですね。 つまり、いつでも山の頂上にいるんですが、さらに一歩登ろうと、足を踏み出すと、その分だけ山頂が伸びてくる。 山頂までの道があって、その道を登るのではなく、自分の歩みが山頂を導いてくるんです。 山頂の高さは自分で決められる。低いままでも、高くにでも。 決まった固定された山頂はないんですね。 足が軽くなって快適なので、少し山頂を伸ばせそうです。 |
| ●2005/09/20 Tue 日舞は踊りじゃないんですよ。 |
えー、日舞の発表会ですけど、「玉佐保会」と称して、10月2日の日曜、京王井の頭線は久我山駅から徒歩2分『久我山会館』(TEL03・3333・3436)。 12時開演ですが、いつ来ていつ帰っても自由の入場無料。 私は最後から5番目に、『梅』というのを10分ほど踊ります。5時から5時半くらいの間でしょうか? もちろん最後は師匠の踊り(の予定)で、終了予定は6時半頃。 前回も書きましたけど、今回は勉強会なので、ほんと普段の練習のままといった感じです。まあ、多少はいいもの着ますけど、それはあくまで、練習の時と比べての話ですから、まったく豪華さも華やかさもありませんよ、きっと。 そうそう、私の踊る『梅』は師匠の師匠が創られたもので、その一部をちょっと踊らせてもらいます。ちなみに女形です。 日舞に馴染みのない人は、びっくりするかもしれませんけど(私がそうでしたので)、踊りといいましても、ただ振り付けがあるというのではなく、基本的には大抵お芝居になっているんです。 ですから演目によっては、1人2役、3役ということもざらなんですよ。 今回の私のはひと役ですけど、過去に練習では6役くらいのもやったことがありまして、結構楽しかったですよ。 子供に旦那とその妻、お婆さんに公家と医者と。入れ替わり立ち代わりで、これなんかは、ほんとに踊りというより1人芝居ですね。 ただ日舞のストーリーですけど、唄の文句が聞き取れて理解できれば、分かるかもしれませんけど、私なんかは今だにそうなんですけど、さっぱり聞き取れない・・・。 リズムのせいだと思うんですけど、言葉として耳に届いてこないんですよね。 歌舞伎だってそういうところ、ありますでしょ?ちょっと分かりづらい。それが歌になってしまうと、ほぼお手上げです。 しかも、現代の我々の生活とはかけ離れた世界だったりしますから・・・とほほぉ〜、なんですよ。 というわけで、ストーリーを理解するのは、ちょっと(かなり)難しい。 このあたりはパントマイムに似たものがありますね。だんだん眠たくなってくる・・・いや、いやっ!眠たくさせてはいけないっ! とにかく今回は10分です。見に来てくださった方は、がんばって起きてて下さいね。そして出来れば、ほかの方の踊りも、師匠の踊りも見ていって下さいね。 |
| ●2005/09/17 Sat 私の日舞の先生は、素晴らしいんです。 |
来月10月の2日に、日本舞踊の発表会がありまして、ちょっと踊ります。(ほんの10分くらい) と言っても、勉強会という極々身内ノリといいますか、お互いこんな感じですみたいな、とにかく費用をかけないで、舞台に立ちましょうってことなんです。 もちろん観覧無料でいつ入って、いつ出ていっても構わないんです。 普通、日本舞踊というのは、お弟子さんたちを舞台に立たせることで、かなりの収入を師匠は得るものらしいんです。「つけとどけ」っていうんですかねぇ。 お弟子さんたちは、演目にもよりますけど、衣装やかつらにメーク、小道具、大道具その他、とにかく全て自分で費用を負担する上、その「つけとどけ」で総額100万200万は当たり前のようなんです。おそろしい〜〜〜ぃ世界です。。。 ところが私の先生(藤間玉佐保師匠)は、ほんとにいい先生でして、今回は特に、場所代もかなり安い所で、衣装も自分達の手持ちの物で、もちろん大道具なんか使わず、お互いの助け合いで人件費もかけないようにして、とにかく必要最低限の費用で、みんなを舞台に立たせてあげよう、としてくれているんです。 私はこの先生しか知りませんから、他での日舞の実態は詳しくは分かりませんけど、相当に恵まれた環境のようです。 これは何もお金のことだけでなく、教え方も聞くところによると、こんなに丁寧に教えて下さる先生は、そうはいないみたいなんです。 いや〜ぁ、ほんとにありがたいことです。 別にいろいろと調べたりして、この藤間先生を探し当てたわけではなく、通いやすい場所でっていうのだけで、たまたま一番最初に見学に行った、そこがこの先生の教室だったわけなんですよね。素晴らしくツイてましたよ、ほんとに。 私、パントマイムでも、パフォーマンスの世界でも、出会いにはほんとに恵まれています。ただ感謝、感謝です。 で、日舞の発表会ですけど、よかったら覗いてみて下さいな。 場所は東京の久我山で、お昼過ぎくらいから始まって、6時半くらいまでかしら?私は多分、5時半前後だと思うんです。 詳細は20日以降、ここであらためて連絡させてもらいますね。 |
| ●2005/09/15 Thu どなたか、「以前より頭良くなってるね」って、言って下さい! |
パントマイムをやると、頭が良くなるんですよっ。 創造力が身に付くということではなく、脳が活性化されるんです。なぜか? 体を動かすには、筋肉に脳からの指令が必要ですよね。ですから、体を動かすということは、脳を刺激しているってことなんです。って、何を今さらですか?指先を使うのはいいっていいますしね。 ところが、パントマイムは肉体表現というだけあって、全身の筋肉を指先のように(!?)使うんですから、これ以上の刺激がありましょうかっ!!! 特にポーリッシュマイム(他のマイムは分かりませんけど)は、丹田周りの微妙なコントロールが、その神髄みたいなものですから、いま巷でも話題になっている、骨盤周辺のインナーマッスル、腸腰筋(大腰筋と腸骨筋)に脳がアクセスするわけです。 ここを思うように動かそうとするには、かなり脳が汗をかきますよ。脳が考えるんです。「一体、わたくし脳のどの部分が働けば、この筋肉を動かせるのか?」って。 今まで一度も刺激されていなかった、脳の暗闇の部分に光をあてるようなもの。 でも、これならピラティスなんかも、似たようなものでしょう。けれど、マイムの場合は、これと同時に手や足、指先、頭の先まで似たような作業が必要なので、脳はフル回転。 しかも、ただ動けばいいってものではなく、他人が見て分かる「表現」にしなくてはいけませんから、繊細さが要求されます。 さらに!自分の体で表現してる架空のことを、実際のこととしてイメージ(例えば、目の前の草原が広いことを、頭でイメージするのではなくて、その広さを体で受け止めている、という肉体感覚を得ること)することで、ますます脳の暗闇が開放されていくわけです。 私のマイム教室では、表面的な形を覚えてもらうことより、きちんとした肉体感覚を得て欲しいと思っているので、生徒さんたちも一生懸命、トライしてくれていまして、いつも、体以上に脳が汗だくになっています。 ですから、きっと私も生徒さんたちも、頭が良くなっているはずなんです。たとえ誰に気付かれることがなくても、本人さえその自覚がなくても、きっと、きっと頭が良くなっているはずなんです・・・はず、なんです・・・ぅ。 |
| ●2005/09/13 Tue 野党でも、与党でもいいんですけど、本気で考えてみてね。 |
民主党は残念でしたねえ。『朝6時始業』をメイン政策にしていたら、良かったのになぁ。。。 『朝6時始業』を読んでいなかったら、ちらっと見てくださいね。「どっかの政党で・・・」のタイトルで、書いてありますから。 で、これは手前味噌ながら、ほんとにいいことづくめ。だと思うんですよ。 大雑把にいえば、日の出とともに活動を開始し、日が沈んだらおとなしくするわけですから、電気はかなり節約できるはず。 それから、み〜んなスマートになれるんですよ! この間、新聞で見たんですけど、脂肪を貯える細胞は1日のなかで、増減しているらしいんですけど、夜の10時から2時の間が最も多いんですって。 つまり10時以降の飲食は、日中の飲食より脂肪になりやすい!食べた後、あまり体を動かさずに寝るからってことも、あるんでしょうけど、それだけではないってことみたいなんですよ。 やはり10時から2時というのは、すべてにおいてエネルギーが充満する時間帯なんですねえ。(これも以前書きましたね) 体も精神も充電のためには、この時間帯を外してはならないようです。 やっぱり朝6時始業は、いいことずくめっ! そう、それで国民み〜んなスマートであれば、生活習慣病を始めとする、いろいろな病気が減り、医療費の軽減につながる。素晴らしいですねえ。 こうして、電気や医療費の軽減によって、その分の予算が浮き、前にも書きましたように、犯罪が減ることでも様々な予算が浮く。 これらを、教育・福祉・文化芸術などなど、いろんなところに回せば、日本全体に明るさが漂い、希望に満ちた人の国になるっ! でも『朝6時始業』の一番のポイントは、政治家に夜の活動をさせないこと。夜に考えることより、昼間に考えることの方が、健全ですからね。 悪巧みはいけませんよ〜〜ぉ。 |
| ●2005/09/10 Sat チョコレートよ! カカオよ! |
わたくしチョコレートには目がありません。特にカカオの多いものに目がありません。 今日あるお店で、リンツの99%カカオのチョコが、売られているのを見つけました。 えっ、ええ〜〜〜!? 99パーセントぉぉ!! これは素晴らしいっ! 高くて買う勇気は無かったんですけど・・・いやぁ食べてみたい。リンツの70%くらいの、美味しかったしなぁ・・・ リンツではないですけど、86%のは何度か食べていまして、いい感じなんですよね。甘くなく、油のしつこさもなく、かと言って苦いわけでもなく。 かつてカカオ100%のものを買って、ちょびちょび食べていた時がありまして、ま、要するに製菓用のカカオチップを食べていたんですけど。 これは最初のうちは、さすがにちょっと辛かった。 けれど、エスプレッソみたいな濃いコーヒーと一緒に食すと、カカオの甘みが感じられ、なかなかいけたんですよ。 カカオもいろいろと種類があるみたいですし、製品にするまでの工程にも、質の良し悪しがあるでしょうから、ただカカオ何%というだけで、美味しい美味しくないは言えませんけど、やっぱり99%は気になりますねぇ。 この1%の違いが、どう出るのか?きっと美味しさへの、こだわりだと思うんですよね。100%では出せない甘さ、98%では甘過ぎる。 カカオそのものを楽しむより、さらに楽しめる、味わえるんでしょう。スイカに塩を振るみたいなものでしょうか? ん〜っむ・・・それにしても高い・・・私は意気地なしですぅぅ。。。 |
| ●2005/09/07 Wed エゴをなくせば、天災を防げる!? |
天災が多いですねえ。台風にハリケーン。国内に限らず世界的に、ここ数年、特にひどい気がします。 地球温暖化の影響だって言う人もいますけど、どうなんでしょうか? 温暖化の影響がないとは、私も思いませんけど、温暖化が原因のように考えてしまうのは、いかがなものでしょう? なぜ温暖化が起きたのか?これは間違いなく、人間のエゴ。 人間のエゴのエスカレートが、最近の天災を呼んでいる、と考えなければ、真の解決はないと思うんです。 ま、温暖化に限らず、犯罪の凶悪化や子供達の情緒障害などなど、全てエゴが原因だと思ってますけど。 エゴの一番分かりやすい例が、所有欲だと思うんです。 例えば車。車というのは、移動のための手段のはずですけど、それを手段ではなくモノとして捉え、自分だけのものにしてしまう。 なんでも同じ。本来、モノそのものに価値があるわけではなく、その機能に価値があるはず。機能を所有するって、どういうことなんでしょうか? 目に見えるモノは、確かに有限ですから、出来たら自分だけでも所有したいと、思うのは当然でしょう。 けれど、機能というのは本来無限ですから、所有する必要はないはずなんです。 それと、所有の何がいけないかというと、そこに停滞が起きてしまうこと。 全ては循環、流れてこそですよね。お金でも、人の気持ちでも。 どこかで滞ってしまうと、動脈硬化のように悪さをするんですよ。 富を所有しようとしたり、権利を所有しようとしたりって、一見所有している人・地域・国は潤って、パラダイスのようですけど、さっきの動脈硬化のように、実はそれ自身が悪なんだと思うんです。 所有せずに、どんどん流せば、出してしまえば、流れが起きて、流れていればこその生命が、輝き出す。 流れが止まるというのは、死を意味するわけですから、今の地球環境はほとんど死なわけです。 流れを作らないでは、生き返れないんですから、最近のひどい天災を、単純に温暖化のせいにしたんでは、解決できない。 世界的な富や権利の偏りをなくす、エゴを極力抑える。これが実現の方向に動き出せば、天災も徐々に減っていくと思うのです。 は〜ぁ、偉そうですよねえ・・・やっぱり富たいですから・・・いやっ、富を還元しますよ!みんなの心と身体の健康のために! 富よ!私を通り過ぎなさい! |
| ●2005/09/06 Tue 水分、たくさん摂るべきか、摂らざるべきか・・・ |
『食事中に水をたくさん飲みますよ〜』って、以前にこのコラムで宣言しましたけど、やめました。 身体にいいってことで、始めましたけど、いいとは思えませんでした。 2日目くらいで、んむぅ!?これはあまり良くないのでは?とは思ったんですけど、がんばって続けたんですよ。 朝も昼も夜も、毎食700ミリリットルくらいの水を飲むようにしたんです。 私は食事の最中には、ほとんど水を飲まない人間で、食後もあまり水分は摂らない方なんです。 たとえ辛いカレーでも、コップ1杯飲むかどうかです。 それを無理して、飲んでみるようにしたんですけど、やっぱり向いてないようです。 ただ、思わぬ発見がありまして、意外にお腹がチャポチャポしない。さらに、水を飲む度に口の中が洗われるために、次のひと口がすごく新鮮な味に感じられるんですよ。 ごはんでも、味の強いおかずでも、さっぱりしたものでも、「ああ、本来はこんな味がするんだなぁ」って。 「三角食べ」って言うんですか?ごはんとお味噌汁とおかずを、交互に食べるの。あれは白いご飯で、一旦口の中を(舌を)リセットする目的があると思うんですけど、それよりも、もっとはっきりと、よりクリアーになるので、食事の途中にもかかわらず、まるでひと口目のような新鮮さを、味わえるんです。 ま、それにしても、身体に悪いかな?って思うことはあっても、いいなって思うことはありませんでしたから、やめることにしました。 そして今まで通りの水無し食事をしましたら、やっぱり調子がいい! 私には私の水分量があるのでしょう。 皆さんはどうでしょう? 実験は楽しいですよ。 |
| ●2005/09/03 Sat 「料理は愛情」ではありません |
「料理は愛情」って、料理に愛情を込めることだって、思ってる人いませんか? 違いますよ〜ぉ。「料理は愛情表現」ですっ! 料理を通して、いかに愛情を表現するか。 何もオムライスにケチャップで、ハートを描くことではありませんよ、もっちろん! まず肝心なのは栄養。朝昼晩とそれぞれの食事の意味合い、役割を考えて、バランスのいい食事をつくる。 でも食事って、栄養を楽しむわけではないですから、やっぱり味。 そこで、栄養を考えるという優しさをベースにして、味で楽しませてあげる。元気にしてあげる。心踊らせてあげる。 ああ、なんて素晴らしい愛情表現なんでしょうか。 で、この味を支えるのが、知識と技術。このふたつ無くして、工夫はあり得ません。 工夫ばかりが突出してしまっては、小学生が予想の立たない理科の実験を、ひとりで行なうようなもの。その実験結果を「料理は愛情」なんて言葉でごまかそうだなんて・・・ ま、思わぬ成功もあるでしょうけど、それって愛情表現?博打じゃないんですから。 それでもどうしても、愛情表現は苦手だという人もいるでしょう。けれど、既製品、出来合いのおかずよりは、不器用でも精一杯やっていれば、伝わりますから。 「料理は愛情」で、ごまかすことなく、真摯な姿勢で表現しようとして下さいね。(私は一体誰にお願いしているんでしょうか???) 表現が稚拙でも(ようするに美味しくなくても)、表現しようという気持ちは、必ず伝わります。家族ならきっと分かってもらえます。 ただし、お客さんを招く時は注意しましょう。その愛情表現は伝わらないかもしれませんよ〜。 |
| ●2005/08/31 Wed 9・11総選挙 |
政治家というのは役者だと思うんですよね。役者はただ演技が上手ければいいってものではなく、タレント性といいますか、人間性といいますか、とにかく人を魅了する何かを持っていないと、人が見てくれない、ついてきてくれない。 ですから、政治家は役者であった方がいいといいますか、役者でないといけないと思うのです。 ところが、役者というのは普通、演出家のもと演技をするわけで、その演出家も脚本家の書いた本を演出するわけです。 私たちはお芝居を観に行く時、まず何より、役者を楽しみにすることが多いですよね。もちろん演出家を重視する場合もあるでしょうけど、やはり誰が出演しているかは大切。(いい、悪いは別ですよ) と、脚本はほとんど気にしない。 でも本当に大切なのは脚本なんです。いい脚本があって、初めて演出が活き、役者が光る。 脚本が悪ければ、凝った演出、魅力的な役者で表面的には楽しめても、なーんにも心に残らない。 政治も同じように考えますと、脚本に当たるのが政策。 中味をどうやって、国民に訴えるのかという演出と、国民の気持ちを引っ張る役者である政治家は、本来この脚本に当たる政策のためにあるはずだと思うんです。 それがどうしても私たちは役者重視、政治家のタレント性に目を奪われてしまう。 まあ、これはある程度仕方のないこと、だからこそ面白いともいえるかな? 私だって偉そうなことは、とても言えたものではありません。 けれど政治家には、自覚していただきたいですね。この脚本・演出・役者というそれぞれの役割を。 勘違いしてはいけませんね。役者が全てを握っているだなんて。 役者としての魅力は、脚本・演出を活かしてこそ光るもの。 一方、脚本・演出を活かせない、魅力のない役者であるなら、政治家として表に立つ意味がない。 脚本家や演出家向きの人もいるはず。 あぁ、私たちはどこに目を向けて、誰を選べばいいのでしょう・・・? |
| ●2005/08/30 Tue 骨盤が歩き出したっ!? |
このコラムで、自分の考えていることを、無理矢理にでも文章にしているおかげで、これまでボンヤリしていたものが、ハッキリすることがあります。 なんとなく意識していたことを、明確に捉えられる素晴らしいきっかけに、なったりするんですよね。ありがたいことです。 これもひとえに、皆さんがこの拙いコラムを、読んでくださっているからこそです。 ほんとに感謝、感謝です。ありがとうございますぅ〜。 で、前々回(?)にちょっと触れました「骨盤(腸骨)」。 これまでも重視してはいましたけど、あのコラムを書いた後、骨盤の動きの重要性、有効性につくずく恐れ入っている次第なんですよ。 そのおかげで、歩き方がまた進歩!(だと思っているんですが・・・) いや〜ぁ、快適、快適。 なんたって骨盤周りが、爽やか〜ぁぁぁ。 って、何言ってるんでしょ?って感じですよね。骨盤に爽やかも何も・・・意味不明過ぎますよね。 何と言ったらいいんでしょうか、骨盤の辺りが、澄み渡った青空のように、実に軽やかと言いましょうか。それとも、さらさらの水の中で骨盤が漂っているように、滑らかと言いましょうか。 とにかく、「私」が歩いているというより、骨盤がするすると、ひとりで歩いているような感じ。 今までよりさらに、筋肉を使わずに済んでいるんです。 身体全体も軽やかですし、頭の中もスッキリ爽やか(かな?) ただ、それにしても、こんなことにやっと、今さらながら気が付いたなんて、は〜ぁぁ、情けない・・・と思うんですよね。 いったい何年マイムをやっているんでしょう・・・。 道は長い。楽しい道だからいいんですけどね。 |
| ●2005/08/29 Mon どこかの政党で、やってくれないかしら? |
日本を良くする、素晴らしい方法が見つかりましたよっ! この間、後輩と話をしていて、これはいいっ!って。 学校や会社の始業時間を、朝6時にするんです。7時でもいいですけど、とにかく早朝。そして、終業時間はもちろんその分、早めるんですよ。何も早くから起きて、たくさん勉強したり働いたりするわけではありませんよ。 人間の機能は、太陽の動きに沿っていると思うんですよね。つまり、日が昇っていく時、午前中は機能が良く、沈んでいく午後は機能もだんだん下がっていく。 日が沈んだら機能はほとんど停止。寝る時間。 人の体内時計は、つまらない人間の意識や意志より、よっぽど正確で強力。これに従った方が賢明。 今の夜更かし文化は、無理がある。 とにかく、早くやることやって、残りの3時くらいからは、自分の時間を過ごす。 すると、仮にお酒を飲みに行くとしても、こんな明るい時間だと、そうそう飲まないはず。みんな健康! 深夜うだうだしている若者たちも、明るいうちだと、気持ちよくうだうだ出来ない。しかも早く眠くなる。 世の中のサイクルが、数時間早まるだけで、犯罪も減る。やはり悪巧みは夜がないと、気分が盛り上がらないですからね。 仕事も勉強も、能率が上がるので、国民みんな優秀人間。 気分もいいので、ネガティブになりづらく、国民みんなポジティブ人間。 爽やかな明るいオーラ漂う国になりますよ〜ぉ。 しかっも!以前書きましたけど、みんな肌もぴっかぴかぁ〜〜〜! こうして、いい方向へ転がりだすと、現金なもので、もっとよくなりた〜〜い!よくなれるぅ〜〜と思い始め、ほんとに良くなってしまう。 いやぁあ!なんて素晴らしいんでしょうか。 こむずかしい政策より、サマータイムの導入より、この『朝6時始業』で日本万歳!世界を引っ張れ! |
| ●2005/08/28 Sun 水、飲みますよ〜っ! |
水をたくさん飲んだ方がいいって言いますけど、どうなんでしょう?実感できないんですよね。 まあ、だいたいが、私は身体の変化みたいなものに対して、鈍感なので、よほどの変化がないと分からないと思うんですけど。 以前、とにかく水をたくさん飲むようにした時期があるんです。半年以上続けたと思います。 朝起きてコップに2杯くらい。午前中だけでも4〜5杯。午後、夜、寝る前と、よく聞く1日2リットルは、ゆうに飲んでいたと思います。水なんか飲みたくもない、寒い冬でも朝から晩まで、飲む、飲む。 なーんにも、です。ただただトイレが近くなるだけです。 飲めば出るって感じで、なんだかトイレの水を流すのが、もったいないくらいでした。何しろほぼ無色なんですから。 そしたら、ある本に書いてあったんです。水を飲んですぐにトイレに行くようなら、ただ水が通り過ぎるだけで、身体の中で何の役にもたっていないばかりか、腎臓に負担をかけるだけだって。 そうかあ、自分は水分を変に摂ることはないんだな、というより摂らない方が腎臓のためにも、いいんだと思いまして、すぐさまやめました。 で、調子が悪くなったかというと、そんなこともなく、相も変わらぬ体調で、トイレの水の無駄遣いが減ってよかったなと。 ところが最近、新たな情報で、食事中にたくさん飲むようにすると、いいというのがありまして。 前回の水飲みの時はもちろん、私のこれまでの人生で、食事中に水を飲むというのは、ほとんどしてきていないですし、むしろ避けていましたから、食事中の水飲みがいいというのは、にわかには信じ難く、実行に移すのにはためらいが・・・。 けれど、やってみないことには、何も言えませんし、かえって今までの自分にはない行動基準で動いてみる、というのも面白いかなと。 やってみることにしました。 いつまで続けられるか、分かりませんけど、できるかぎり挑戦していきたいと思ってます。 いつか報告しますね。 |
| ●2005/08/25 Thu 次の次くらいに、パントマイムがこないかなあ・・・ |
ピラティスとかパワーヨガとか、よく耳にしますね。パワーヨガというのは、どんなものなんでしょうか? ヨガとパワーって、私の中ではほとんど相反するものなんですけど。 まあ、それにしても後から後から、いろんなものが出てきますねえ。ほんとにそれらが進化系なのか、私にはよく分かりませんけど、ほんとに大事なのは、取り入れる人の意識だと思うんですよね。 今、エアロビクスをやっている人って、どれくらいいるんでしょうか?かなりの数の人が、ピラティスやヨガ系に移っている気がします。両方やる人は少なそう。 どれを信じるかは個人の価値観ですし、向き不向きもあるでしょうけど、いわゆるダイエット(痩身)とか、英語の勉強に似てるように感じてしまいます。どこがか? より簡単そうなものを、選んでいる気がするんですよね。 しかも、簡単だから自分に向いてる、と思っているのではないかなぁ。つまり、今までやってきたものは、難しいからあまり効果が上がらなかった。今度のは簡単そうだから、私にも出来るはずって。 一見簡単なのが、ほんとに簡単とは限らないのに・・・。 ダイエットや勉強に関しては、何にも言えませんけど、運動系はやはりちょっと気になります。 今は昔と違って、がむしゃらに体を動かせば鍛えられる、という時代ではありませんけど、誰もが手軽に出来そうな運動で、それ相応の効果をあげようとなると、やはり簡単ではないと思うんですよね。 簡単そうなものの方が、奥が深かったりするわけですから、昔のとにかく汗をかくといった類いの運動に比べて、どれだけ自分の中に入っていけるかが、すごく重要なポイントになってくると思います。 スピードスケートの清水宏保選手が、筋肉と会話するって聞いたことあります? ほんとに筋肉が言葉を発するとかではなく、それくらい自分の身体に注意を注がないと、せっかくのピラティスもヨガも、結局昔の汗かきのものと、たいして変わらないものになってしまいます。それではもったいない。 太極拳をほんとの武術の練習道具とするくらいの、そんな意識で望まないと、一見簡単そうなものは、やはり簡単なもののままで、終わってしまいかねません。 流行に惑わされずに、真の楽しみを見い出して下さいね。 流行を楽しむってのも、あるんでしょうけど・・・それはまた、別のお話。 |
| ●2005/08/24 Wed カラダは楽しい! |
昨日のコラムは、かなり分かりづらかったと思います。すみません・・・。 身体の使い方の感覚は、各人各様ですからねえ。 私の感覚がそのまま、当てはまる場合もありますけど、全く分からない場合もありますし。 私の説明が、言葉足らずってこともあるでしょうし。 最終的には、何にも意識せずに動けるのが理想なんですが、無意識で理想の動きが出来るなんてことは、よほどの天才でないとあり得ません。 私たち凡人は、まず意識の上にあげてこないことには。 で、その意識への上げ方ですけど、その人がどれくらい、身体に対して細かく目を向けられるか。目を向けられないことには、動かしようがありませんからね。 ですから、ある程度は解剖学的な知識も必要になってきます。 私もほんとにまだまだなので、脊椎の何番とかまでは分かりませんけど、キーとなる骨は押さえておいた方が便利。 マイムのレッスンで、よく口にする骨は「仙骨」、「骨盤(左右の腸骨の意味で)」、「胸骨」、「肩甲骨」、「肋骨」でしょうか。 これらの骨に、どっち向きの力をどの程度かけるのかとか、いろいろですけど、たとえば、腸骨は右と左各々で開いたり閉じたり、肋骨は前と後ろ、右と左やっぱり各々を感じて使ったり。 自然にこれらの動きが出来ていれば、わざわざ意識の上にあげてこなくても、いいのかもしれませんけど、意識的に捉えておくと、応用がききやすいと思いますよ。 私の場合は日本舞踊を教わる時、非常に有効なんです。 まあそんなことも含め、解剖学的に自分の身体を使えると、実際の感情とか気持ちなどに、頼らず振りまわされずに、感情表現が出来るんですよ。もちろん、ほんとの心の状態は大切ですけど。 それと表現活動とは関係ない人でも、このような身体の使い方が出来ると、精神状態とは関係なく、たとえば元気そうに見せられるわけです。 そしてこの、元気そうに見せている身体が、心に影響を与えて本当に元気になってくるんですね。本当ですよ。 身体を意識して動かすというのは、馴れないうちはとっても面倒くさいことかもしれません。 一般の人はもちろん、パントマイムをやっている人でも、多くは同じでしょう。 でも、とにかく自分なりに感じてみようとすれば、新しい世界が開けてきますよ。 一緒に身体を探検しましょう! |
| ●2005/08/23 Tue 骨をねじりましょう!? |
腕とか脚の骨を、堅い棒のように思っていませんか?でもすると、身体の使い方が固く、直線的になってしまうと思うんですよね。 彎曲するもの、ねじれるものとイメージした方が、動きがよくなると思いますよ。 太極拳や気功なんかですと、丸いボールを抱えるような形をとったりしますけど、外側に表れる形としてではなく、骨そのものが、ねじれながら彎曲するようにすると、より丸みを帯びてくるはず。 腕や脚をまっすぐ伸ばす時も、ただ直線的に伸ばすより、ねじり伸ばすようすると、力も強くなりますし、長さも長くなります。 ただし気を付けないといけないのが、腕・脚の付け根。ここがきちんと体幹部にねじり込まれていなくて、はずれたような状態ですと、身体の芯の力が伝わりません。 言葉だけで伝えるのは本当に困難ですねえ。ここまでの話が何となくでも、分かってもらえているのかどうか不安ながら、さらに続けます。 この腕・脚の付け根は、その関節の隙間を押し出すように拡げ、ねじり出そうとすることで、ねじり込まれたような状態にするんです。 ほとんど理解不能でしょうか・・・。 腕に関して言えば、肩甲骨からの動きを大切にすることと、思ってもらってもいいのですが、腕にしても脚にしても、体幹部、背中からねじり出していく。 このねじり出しがないと、体幹部が箱のように固まったまま、腕・脚が堅い棒となり、関節のところから折るように使ってしまい、その動きはまるで、ロボットのようになってしまいかねません。 こうなると動きが小さく、外へ拡がりませんから、その人自身の実際の大きさ・寸法でしか動けません。 ねじり出して、エネルギーを外へ拡げましょう。 気持ちも大きく拡がりますよ。 |
| ●2005/08/20 Sat お化粧は電車の中で |
この間は電車内での飲食のお話でしたから、今回はお化粧。 車内でのメークというのは、やっている人にとっては何ともなく、当たり前なんでしょうけど、そのメーク姿を本当に気にならない人というのは、老若男女、いったい国民全体で何割くらいいるんでしょうねぇ? たとえば煙草を自分は吸いながらも、他人の煙は気になるという人がいるように、自分は車内メークをするけれど、他人がしているのは気になる、という人もいるんでしょうか? (もちろんこの場合の、気になるというのは、やめればいいのにという思いを持つということで、どんなテクニックかを盗もうとしていることではないですよ。) メーク直し程度の人もいますけど、ほとんどフルメークをする人も結構いますよね。 家でメークする時間がなく、仕方なくなのか、それとも時間の有効利用として、積極的に移動時間をメークに充てているのか。 いろんな人がそれぞれの理由で、しているんでしょうけど、この時間有効利用派も、かなりの数にのぼると思うんです。 でも私、まだ見たことないんです。メーク落とし。 時間帯が合わないのかしら? それともまだ誰も、メーク落としはやっていないのかしら? 疲れて家に帰ってからより、車内で落としておけば、後は洗顔だけで済むでしょうに。 いないのか出会えないのか、分かりませんけど、きっとそのうちに、ですね。 いや〜〜〜、幸せの国日本よ、永遠に。 |
| ●2005/08/16 Tue 将来が楽しみ |
電車の中での飲食が、ほとんど当たり前のように、行なわれていますけど、この間、小学生低学年くらいの男の子に、お母さんが食事をさせていまして・・そう、明らかに食事です。 私が電車に乗り込んだ時には、既におにぎりを食べさせているところでした。 お母さんは「あわてないのっ!」って、せっかちに、小声ながらも苛立ちを抑えられない口調。そして「こぼさないのっ!」って。 は〜ぁ、偉いもんですね。どんな時でもきれいに食べさせるんですねえ。 さらにご丁寧に床?通路?に落ちたご飯つぶを、お母さん拾っている。なんて立派なんでしょう。 と、なんとかおにぎりを食べさせ終えると、栄養のことを考えてでしょうか、コロッケが出てきましたよ。それもやはり、こだわりなんでしょうか、スーパーで売っているようなプラスチック容器に入いったものではなく、お肉屋さんの揚げ立てコロッケのように、紙に包まれていました。 もちろん紙には少し、油が染みています。 小ぶりながらきつね色のきれいな、サクッとした感じのコロッケ。 男の子は美味しいと思っているのかどうか、まあ美味しさなんてどうでもいいんでしょうけど、とにかく何とか食べ終え、お母さんは男の子の油で汚れた手を拭い、そこでタイミング良く駅に到着。慌てて降りていきました。 いやあ、どんな状況でも栄養を考えた食事をさせ、慌てずこぼさずにとマナーをしつけ、こんな素晴らしいお母さんをもった子供は、可哀想・・いやいや、幸せですねえ。 あの男の子、中学生くらいになったら、電車の中で「うどん」だって上手に食べられるようになりますね。もちろんコロッケうどん。 あっ、そうそう。お母さ〜ん、ほんの少しでしたけど、コロッケの衣カス、椅子に落としたままでしたよ〜〜〜。 |
| ●2005/08/15 Mon ポーリッシュマイムをやることって必要? |
ポーリッシュマイムはほんとに、ほんとにお薦めですけど、ポーリッシュマイムをやる必要はないと思っています。って言ったら問題かしら? でも本当にそう思うんですよね。 これはポーリッシュマイムに限らず、何でもそうだと思うんです。音楽、踊り、武術、それからお茶にお花に書。ほんとになーんでも。 ○○流とか○○派、○○スタイルってありますけど、過去の遺産を骨董品のように、大事に保存することが目的でしたら、そのスタイルを最重要視すればいいでしょう。 でも大事なのは、スタイルではないはずです。 そもそもスタイルというのは、過去のある天才的な人が、作り出したか、やっていたことをなぞるための、羅針盤みたいなものだと思うんです。 ですから、ものすっごく価値の高い、学ぶべきことの多いものであることの反面、それはやはりあくまで、その天才的な人のものであって、決してそれを学んでいる人のものではない。 スタイルにとらわれすぎることは、すなわちその天才、要するに他人を追いかけていることですから、その人自身はどこかへ行ってしまいます。スタイルに埋没してしまいます。 これでは、なんの魅力もないものになってしまうのでは? まあ、とはいえ私を含む多くの凡人は、ゼロから新しいスタイルを作り出せるはずもなく、やはりこのスタイルというもの、私の場合はポーリッシュマイムをとにかく真摯に身に付けつつ、なんとか埋没せぬようにする必要があるわけです。 自分を見失いやすいんですよね、やればやるほど・・・。 さてポーリッシュマイムでは肉体を呼吸でコントロールすることで、表現する身体を作ることが、大きなひとつの目的ですから、マイムのみならず、何にでも有用です。 ですからポーリッシュマイムはほんとにお薦めです。 けれども、たとえマイムをやる場合でもポーリッシュマイムをやる必要はない。ポーリッシュマイムに埋没する必要はない。 但しポーリッシュマイムを真の手段とするには、しっかり身に付ける必要はありますけどね。 あぁ大変、大変。 |
| ●2005/08/13 Sat スポーツ中継・・・はぁ〜 |
今、世界陸上をやっていますね。夜遅いのでほとんど新聞でしか分かりませんけど、なんだかワクワクしますよね。 世界新なんて聞くと、是非そのシーンを見たいなと、ニュース番組をあちこち切り替えてしまったり。 ところでスポーツ中継って、どうしてあんななんでしょう?いつもイヤ〜な気持ちになります。 何が嫌かって、たくさんあるんですけど、一番は何ですかねえ・・・日本人を必要以上に応援することでしょうか。 日本人が活躍するのは、もちろん嬉しいんですけど、中継でもニュースでもみんな、応援し過ぎ。うるさい。あれは報道ではなく、応援番組。 プライベート色の強い媒体なら、それでいいでしょうけど、一体あれは何が目的なんでしょうか?まるで戦争下の士気高揚報道みたいです。 人間の能力の信じられなさを感じたいのですから、日本人の活躍とは関係なく、世界のトップのパフォーマンスを堪能させて欲しいんですよね。 別に、日本国民として一体感を持って、「がんばれ、我が同志よ!」なんて・・・ もひとつ大きな嫌になる問題は、応援が主体になっているので、走りやジャンプなどの技術的なことが、ほとんど解説されないこと。 誰それのこのテクニック・フォームの、こういう点がうんぬんとか、一般論では良くないと思われるスタイルなのに、なぜトップになれたのかとか、そういったことは、何も分からない。 一番になった人の様子を見ても、ただ他の競技者と比べて、凄かったのねってことしか分からず、何故そんな結果が出せたのかという、技術的な特異点は知りようがない。 総体的に言えることは、「競技」を見せてくれず、「競争」しか見せてくれない。 アナウンサーはただ視聴者を盛り上げようと、常に「がんばれ!」「がんばってますよ!」の気持ちを込めて、力んだ声を張り上げるだけ。う・る・さっい! 競争にしか興味がいかないなんて、競馬とか競艇じゃないんですから。 一体いつになったら、競争ではなく競技を楽しめる時代がくるのでしょう? 戦争がなくならないのと同じように、無理なことなんでしょうか? どうしても国別に1番とか2番とかを、争いたいのでしょうか? まあ、とりあえずは、報道する側が視聴者の興奮を、先取りしないでくれるだけでもいいんですけどね。 |
| ●2005/08/12 Fri ポーリッシュマイムの薦め |
ポーリッシュマイムは素晴らしい!んですよ。 ただし、これはかなり特殊なマイムでして、なぜ特殊かって、ほとんどやっている人がいないってことなんですけどね。 なぜやる人が少ないのか? 簡単に言いますと、ポーリッシュマイムは分かりづらい。見る人にとってではなく、やる人にとって。とにかく練習しづらいんですよ。 以前にマイムには「型」がないって書きましたけど、実際にはマイム独特の動きを練習していく過程は、イコール「型」の練習だと思うんです。 「型」という認識がなくても、外面的な動きや形を、反復練習しているのであれば、「型」の練習と言ってもいいのではないかという意味でです。 ところが、ポーリッシュマイムの場合、エネルギーと言いますか、呼吸と身体の動きの調和を最も重視しているので、外面的な動きや形の練習は、しているような、していないような、という感じになってしまうんですよ。 ここの処が非常に厄介な点でして、教わる側がポーリッシュマイムの、外面的なところを重視して練習してしまうと、正直言いまして、あまり見られたものにはならないんです。 手足が長い日本人離れした人なら、まあ表面的には綺麗かもしれませんけど・・・。 一方、きちんとエネルギー重視の練習をしたとしましても、これはまさに、自分と向き合う以外にありませんから、出来ているのかいないのか。上達の度合いが見えづらいんです。 しかも、やはりマイムとしての独特のテクニックがないことには、マイムにはなりませんし・・・。 私のクラスでは出来るだけ、反復練習的なものは避けつつ、一方では、たとえば一見ただの筋トレでも、マイムの動きにつながるようにし、そこに誰にでも分かるマイムのテクニックを2〜3割の程度(時間的に)で練習してもらっています。 ポーリッシュマイムの素晴らしさを学ぶには、このバランスがいいと思ってますけど、やはり習得には時間がかかります。 場合によっては、普通の人から見たらマイムっぽい動きではなく、上手に見えなくて、練習の甲斐がないと思ってしまうかもしれません。 それでもだからこそ、ある一線を超えて身に付けば、誰が見ても分かる素晴らしさが醸し出せるのでは、と思っています。(私のレベルは別として) マイムをやっている人は、ポーリッシュマイムを経験して損はないと思いますよ。 |
| ●2005/08/09 Tue より快適な身体に |
ここのところ、身体の使い方といいますか、意識の仕方を変えてみまして、非常にいい感じなんです。 どう変えたかをここで説明するのは、ちょっと難しいんですけど、一言でいうなら「下に行きながらジャンプしている」といったところでしょうか。 「???」ですよねぇ。 なんと言いますか、重力という下降エネルギーと、立ち上がるという上昇エネルギーを、同時に作って感じるようにしているんです。 このやり方は以前からやってはいたんですけど、強く意識することもあれば、全く意識しないこともありまして、それを最近、この上下同時というのを、全てのベースにするくらい強く意識するようにしてみてるんです。 そうしましたら、以前にも増して背が高くなり(身長は伸びませんよ。そう感じるだけですよ。)、腰を中心として体が軽くなってるんですよね。 ですから、「歩き」が更に快適になりまして、久し振りに例のルームランナーをやってみたところ、そのマシーンの最高速度でも、走らないでいることが以前より楽。まあ、といっても所詮2、3分の話ですけどね。 でも確かに普段の歩きも、質がアップした気がして、とっても幸せな気分なんですよ。 更に、このおかげかどうか分かりませんけど、マイムパフォーマンスの本番が何日か続いても、身体が全く痛くならなかったんです。 以前ならば、多少はどこか張ってきたりしたんですけど、それが嘘のようにない。筋肉に負担がかかっていない感じなんです。 とにかくあまりに快適なので、練習の最中に眠たくなってしまうこともあるのですが、なんとかこれを、意識せずとも出来るようにしたいですね。 そしてこれを読んで下さってる方にも、体感してもらえれば・・・は〜ぁ、言葉だけでは難しいですよねぇ。 |
| ●2005/08/07 Sun これもまた人生? |
自分が何を食べたいのか、分からない時ってありませんか? お腹がすいているのは間違いないし、何かを食べたいというのも間違いない。けれどその時、「今、いったいなにを食べたら満足するのか?」 いろいろ想像をしてはみるものの、どれもしっくりこない。 普段食べていないお肉?それとも魚? あっさりした感じ?それともこってり?スパイシー? ドーンとボリューム?少量でも色々なもの? ごはん系?パン系? ・・・ほんとに何にも分からない。自分のことなのに、どうしてここまで分からないの? この状態になると、何を食べてもまず満足しない。一応これかなってものを食べてはみるものの、食べながら、あ〜・・・違ってたって。 こんな食事ほど寂しく、悲しいものはありません。こんな思いはしたくありません。 でも分からないものは分からない。そして頭の中はそのことでいっぱい。「いったい私は何が食べたいの?」 ただでさえ、食べることばかり考えているというのに、この迷いが生じると、食べ物で頭が破裂しそうになります。 思いついては打ち消し、また思いついては、また打ち消し。 食べてみては否定し、また食べてみては、また否定し。 「ああ、これだ〜っ!」なんてことは、夢のまた夢。 この時間、人生をとてつもなく無駄にしているような・・・いや、間違いなく無駄でしょう。あ〜ぁ・・・ でもこんな悩みが、食べ物のことでよかったです。仕事や結婚相手のことだったら・・・あ〜〜〜ぁぁ 食い意地の張りが大きいおかげですかねぇ? |
| ●2005/08/06 Sat 無闇に「今」を生きない |
「今を精一杯生きなさい」って何て無責任な言葉でしょう。今を精一杯生きたら、未来がどうなるというんでしょうか?素晴らしくなるんでしょうか? だいたいこの手の言葉って、生きるパワーを失いかけた人、未来に希望を持てない人に対して、使うと思うんですけど、ますます追い詰めてしまうのでは? この言葉の何が一番問題かって、まるで人生は積み重ねで成り立つものだ、という前提にたっていること。 昨日の次は今日、今日の次に明日がやってくる?そんなバカな! 確かにカレンダー的にはそうかもしれませんけど、人生は歩みですよ。昨日10歩、今日10歩。さあ20歩分進みましたか? まっすぐ一直線上なら20歩分でしょうけど、曲がっていたらどうでしょう。1ヶ月、1年。スタート地点から1歩も進めてないかもしれないんですよ。 精一杯生きる、全速力で走るというのも同じことでは? 疲れを充実感と勘違いすることはあっても、全然進んでないことがあり得るんですよ。 人生は積み重ね、時間は過去から未来に向かって流れていくもの、って考えてしまうと、このワナにはまってしまいます。 時間は過去からではなくて、未来から流れてくるんですよ。(本当は時間は流れではないと思いますから、これも正しいとは言いませんけど) 少なくとも、過去が今を作って、未来に向かうのではなく、未来が今を作り、その今が過去に意味付けをしているんです。 未来と繋がらない状態、行く先がない状態で必死に走るより、ゆっくりのんびりとした歩みでも、未来が見えている方が、ずっと大切なんではないでしょうか。 「今を精一杯に」なんて、もっともらしい言葉は、言う方も聞く方も気を付けないといけません。 |
| ●2005/08/05 Fri おにぎりを大切に |
おにぎりが凄いってことに、今さらながら気が付きましたよ。 愛情を込めるうんぬんより、気エネルギーが込められているんですよ。 よく言う「お母さんのおにぎりは美味しい」って、もちろん技術的なことはあると思いますよ。塩加減に握り具合。 でもきっと、どんなに下手でも愛情といいますか、美味しく食べてもらおうという気持ちさえあれば、絶対に出来合いのものより美味しいはずなんです。 それは概念的な愛情とか気持ちとかではなく、気エネルギーなんではないかと。 他の料理もみんな同じことかもしれませんけど、やはりおにぎりは特別だと思うんです。 おにぎりって両方の手で、包み込むように作りますよね。何かに似ていると思いません? そう、気功です。私は気功法というのは特別やりませんけど、気功って大抵、両手でボールを持つような格好で、気を練ったりしますでしょ。それに手の平を相手に向けて、気を送ったり。 手の平は気を出すには、もってこいなんだと思います。 とすると、おにぎりって握る人の気が充満しているわけですから、食べる人にとっては、おにぎりというより、気を取り込んでいるようなものですよね。 お寿司はちょっと違います。片手でご飯を扱いますし、やはり両手で包み込む形というのは、大切なポイントな気がします。 そしてそれを、できたら片手ではなく両手で持っていただくと、美味しさも格別。間違ってもお皿にのっけて、お箸で食べてはいけません。途端に、おにぎりの美味しさが消えてしまいます。 握り手の両手の気を、両手で受け取る。 いや〜、「おにぎり万歳」ですね。 |
| ●2005/08/04 Thu 睡眠 |
今朝は久し振りに早起き!たっぷり体をほぐすこともでき、ばばっとシャワーも浴び、実に爽快〜〜〜。 睡眠時間を何時間とるかって、たまぁに話題になったりしますけど、大切なのは量より質。といって質を高めるってどうしたらいいの?ってことになりますよね。 ですから私は何時に寝るかを重視しているんです。 経験的には絶対12時前。12時を過ぎて寝ると、何時間寝たかというには、ほとんど関係ない。なんだか眠たくすっきりしないんですよ。 11時くらいに寝られれば、たとえ同じ7時間なら7時間でも、かなりす〜っきり。10時に寝られたら、こんな素晴らしいことはありません!(10時に寝られる状況なんて、あまり考えられませんけど) 中学生くらいの時から、この何時に寝るかというのは、とても重視していまして、大学を卒業する頃までは、ほぼ10〜11時の間には寝ていたんですよ。 まあ、他の人とリズムの合わないことといったら・・・。 テレビの映画なんかも、途中で眠た〜ぁくなってしまい、大抵最後まで見られませんでしたし。(ちょっと恥ずかしい・・・) でも多分この12時という時間は、大切な区切りの時間なんだと思うんです。 何かで聞きましたけど、肌が再生する時間帯は夜の10時〜2時の間らしいんですよ。この時間帯に寝ていれば、お肌復活!ってことになるけれど、起きていると、その後何時間寝ても復活度が低くなってしまう。 瞑想、私は特別に瞑想をしたりはしませんけど、これも夜の12時が一番いいと聞きます。(私がこんな時間帯に瞑想なんてしようものなら、あっという間に夢の中です) 12時前後というのはエネルギー、特に再生エネルギーみたいなものが充満する時間帯なんでしょうかね? ここで新しい生命パワーを取り入れられるかどうか、重要なポイントのようです。 ただ、体のためには寝ていた方が良さそうですけど、精神・魂のためには起きて瞑想した方が良さそうで・・・いったいどうしたらいいんでしょう? まっ、私は俗な人間ですから、なんの迷いもなく寝ることを選びますけどね。 |
| ●2005/08/02 Tue ありがたいチョコレートパフェでした |
先日、チョコレートパフェをいただきまして、パフェはやはりひとつの憧れですが、そうそう食べるものでもなく、ところがそのお店の雰囲気が「ここはチョコレートパフェですよっ」って、耳元でささやいている気がしまして、そのお誘いを素直に受けましたのです。 人(?)を信じるものですねぇ。メニューに写真がなかったので、一抹の不安はあったんです。いつもであれば、見本を見ないでは絶〜っ対に頼みませんから。 誘いに飛び込んだ甲斐がありました。何が良かったって、変な話、チョコではなくフルーツ。それもバナナ。 私がパフェをあまりオーダーしない、最大ともいえる理由は「バナナが許せないっ!」なんです。 到底フルーツとはいえない、もっそもそか硬くて青臭〜いバナナ。安くカサを増やそうという魂胆。もちろんトッピングだけでなく、バレないように器の奥で、アイスやクリームに隠された、必要以上に大きなバナナ。 「バナナやコーンフレークが食べたいわけではな〜〜〜いっ!」 「パフェは何処だ〜〜〜っ!」 しかもチョコレートパフェですと、ほんとにバナナ、バナナ、バナナ。 生ぬるい大量のバナナに、チョコだか何だか分からない、粘着性の高いチョコレートソース。最悪・・・です。 ところが今回のチョコレートパフェのバナナ。 「おっ!?これは!まさか、こんなことが・・・」 一瞬食べる動きが止まってしまいました。 量的には4、5切れと、確かに多めではあったんですけど、美味しい。 実がきゅっと締まっていてキメが細かく、味は爽やかな品のいい甘み。貴婦人のようと言ったら言い過ぎかしら。 まさに食べごろといった感じで、シュガースポットが出るか出ないかくらいのタイミングでは。 いやあ、このパフェ、嬉しさより感謝の気持ちを抱いてしまいました。 コーンフレークもはいってませんでしたし、他のフルーツも、立派な素晴らしい生のパイナップルに、味の濃いオレンジ、食感のいい薄くスライスした4枚のリンゴと、半分にカットした巨峰。 ああ、素晴らしい。 かなりいい感じのパフェでした。ありがとう。感謝、感謝。 |
| ●2005/07/31 Sun 呼吸は誰でもやってますけど、出来ているわけではありません |
ストレッチに限らず、「息を吐きながら」やって下さいねって、よく言いますけど、同じ「息を吐く」でも、やり方によってはかなり意味合いが違ってしまう気がしまうんですよね。 仕方のないことですし、私も以前はそういうところがあったと思うんですけど、息を吐くことに集中しすぎるあまり、口や頬の辺りが力んで、吐いた気になってしまう。 それと胸式呼吸のために、吐ける量が少なく、無理に長く吐こうとすると息が詰まってしまい、結果力んでしまう。 せっかく意識して一生懸命やっていることが、かえってアダになる。もったいないこです。 何故こんなことになってしまうのか?これは以前書きましたけど、教える側が自分は殆ど無意識で、きちんとやってしまっているために、相手にきちんと言葉で説明してあげられない、ということが考えられます。 けれど、分かっていても、あえて教えないということもあると思います。 これはいじわるとかではなく、呼吸の仕方はそんな簡単に、教えられるものではないですし、教えれてもすぐに出来るようになるわけではありません。 呼吸を教えていては、たとえばストレッチをしないまま、ストレッチ教室が終わってしまいます。 でもそれでいいんでしょうか? 私はそれを不親切だと考えます。 私の呼吸法がどの程度のものかは、自分では分かりませんけど、マイムを教える際には出来る限り、ベースとなる呼吸はきちんと教えたいと思っています。 呼吸をおろそかにしたまま、ストレッチでもマイムでもやったとして、ほんとの意味でやったことにはならないわけですから、生徒を変にやった気にさせてしまうだけ、タチが悪いと思うんです。 本当の意味でその人のためにならない。そんなことをするのは、たとえ相手が喜んだとしても、親切だとは思えないんです。 表面的な楽しさはそれはそれで、十分楽しみながらも、そのベースとなる一見マニアックなところを、きちんと抑える。 教える側も教わる側も、ここは大切なポイントだと思います。 「息を吐きながら」を深く実感しようとするだけで、今までとはかなり違ってくるはずです。 そして息を吐くというのは、筋肉を緩めるため、大きなパワーを出すためということを理解し、実感しようとしてみて下さい。 私も自分の呼吸の質を皆さんと一緒に、上げていければと思ってます。 |
| ●2005/07/28 Thu ビバ!ウナギ |
今日は土用の丑の日で、どこも鰻、鰻。コンビニまで鰻弁当の予約販売。なにもここまで、と思いますけど美味しいから仕方ないかな。素晴らしい食べ物ですね、鰻の蒲焼き。たまりません。 ところでウナギって、川から産卵のために海へ行くとき、オスからメスになる雌雄同体の生き物らしいんですよ。知ってました? オスからメスに変身するときって、どんな感じなんでしょうか?本人は当然なんらかの自覚はあるんでしょう。オスでもメスでもないときの感じというのも、不思議な感じがします。 もし途中でアクシデントがあって、スムーズに移行できなかった場合、その中途半端な状態で生きていくんでしょうか? いや、オスでもメスでもない状態ではなく、オスでもありメスでもあるという状態かもしれませんよね。ただそうすると、生殖器関係の位置が、ぶつかりあってしまいそうなので、やはりどっちでもない状態を経由するって考えた方が、妥当な気がします。 となると、何かが徐々に無くなっていき、別の何かが生まれてくるんですよね。う〜んむ・・・傷口がかさぶたになって、元に戻っていくようなもの? なんだか、とたんに大したことない気がしてきてしまいました。これだと、ほとんど本人も自覚してないでしょうから、気が付いたらメスになっていたってところでしょうか。場合によっては、気が付いてないのかもしれない。 そもそもオスとメスって別けて考えることが、おかしいのかもしれません。非常にニュートラルな生物で、雌雄別体より次元が高いのでは? ひとりでも、子供ができるんですよ。アダムとイブなんていらないんです。アダミブってとこでしょうか。アダミブが何人かのアダミブを産み、その子アダミブたちがまた何人かずつのアダミブを産んでいく。 いろいろなところの跡継ぎ問題なんか、一気に解決しますね。なにせ、男も女もないんですから。 ウナギって素晴らしいっ! |
| ●2005/07/28 Thu 「ごっこ遊び」は楽しいですよ |
「ごっこ遊び」って小さい時やりましたよね?お店屋さんごっことか、ヒーローものごっこ。子供は大抵好きですよね。 ちゃ〜んとケーキ屋さんの時は、ケーキ屋さんっぽく。八百屋さんの時や、お医者さんの時もそれっぽく。 ヒーローなら、ウルトラマンとか何とかレンジャーとか、みんななりきって、普段とは全く違う人格になって楽しんでますよね。 これを大人になってもやっていると、普通は周りから白い目で見られることになりますけど、パントマイムという名を借りると、堂々と出来るんですよ。 とこれは、ちょっと大袈裟な言い方ですけど、パントマイムの重要な要素のひとつに、この「ごっこ遊び」はあげられると思うんです。 パントマイムにもいろいろとあるでしょうから、その人自身と言いますか、普遍的な人間として演じる場合や、個人的なキャラクターを活かす場合もあるでしょう。 でも全く別のキャラクターになるのは、と〜っても楽しいですよ。 私の場合キャラクターは、身体から入いります。つまりまずは形。背中は丸いか伸びているか?脚は内股かがに股か?あごは上がっているか引いているか?などなど。 普通は気持ちが形を導いくのかもしれませんけど、私はあまり気持ちは重視しません。形が気持ちを導き、増大させてくれるのを待ちます。 こうやって形や動きが出来てきますと、普段の自分からは到底考えられない、人物や生き物になってしまうんですよ。 弱くなったり強くなったり、可愛くなったり恐くなったり。 自分で自分を「この人は一体だれ?」って思ったりするんですよね。いや〜ぁ、たっのし〜いっ! パントマイムを単に、壁とか綱引きなんかのテクニックだけで、捉えてしまうのは実にもったいない。 もっと単純に変身願望を叶えてくれる、最も安上がりな方法として考えると、これほど素晴らしいものは無いと思うんですけどね。 もちろん人に見せるとなると、簡単にはいきませんけど、個人的に楽しむ分にはな〜んの問題もありません。 さあ、とりあえず猿の真似だっていいじゃないですか!ぜひやってみて下さいな。大切なのことはただひとつ。 真剣に! みなさん楽しい1日を過ごして下さいね。 |
| ●2005/07/26 Tue ミューズリ−を美味しく食べましょう |
ミューズリ−は馴れない人には、バッサバサでモソモソで相当食べづらく、しかも甘みもないですから、ほとんど鶏とか豚の飼料です。 でも栄養的には同じようなシリアルに比べて、ずっと優れていまして、オート麦、小麦、ライ麦などの穀物を丸ごとつぶして乾燥させたものが主体。これにドライフルーツ類が適当に入いっていたりするんです。 フルーツ類が多い方が、甘みが増して美味しいんですけど、食事的な位置付けで食べてますから、ここはちょっと気持ちを抑えて、フルーツ少なめ。 小腹がすいた時には、よく食べます。(しょっちゅう小腹がすくんですけど・・・) バサバサのままでも、そんなに悪くはないんですけど、大きいスプーンでいっぱいすくって、そんなに口に入れると、口の中の水分が全部ミューズリ−に吸われて、張り付いて、呼吸がぁ・・・ 咳き込んだりしたら、辺り一面ミューズリ−だらけ。 まさに鶏小屋か豚小屋。 これは避けなければなりません。 シリアルに牛乳をかけるように、ここでは豆乳の登場〜ぉ。 ところがシリアルなら、さらっとした牛乳で美味しく食べれますけど、ミューズリ−のモソモソ感はかなりのものでして、さらっとした液体では、とても太刀打ち出来ないんです。 それどころか、モソモソとさらっとの違和感が、口の中で喧嘩して、液体は飲み込んでしまいたいのに、まだ噛んでいない穀物は飲み込みたくないしって。かえってタチが悪い。 そこで豆乳ヨーグルト! これは素晴らしい。 豆乳掛けミューズリ−にお酢を入れるんです。結構入れますよ。これにた〜〜っぷりとシナモン振って、少しだけオリゴ糖。 これを混ぜると、どろっとした見た目はヨーグルト。 このどろっがミューズリーにからんで、いい感じで食べられるんです。滑らかな口当たり。 ほとんど甘くないですから、時々出てくるレーズンに喜びを感じながら、結構な量をいただいてしまいます。 見た目は少なくても、乾燥して小さくなってるだけですから、実はかなりの量のはずなんですよね。ですからうっかり、食い意地に任せてつくってしまうと、食べている途中で、う〜っ・・・ってなりかねません。 今日も量を気にしながら、作ってます。 |
| ●2005/07/25 Mon 豆乳を楽しく、美味しく! |
乳製品は甘いもので、十分すぎるほどとっているので、牛乳はまず買ってきません。家では豆乳。もちろん無調整豆乳。 でも、あの独特な匂いは、どうにも好きになれないんですよね。ですから、そのまま飲むってことは、絶対にありません。それなら、豆乳なんて買わなければいいのにって、思いますよね。 ミューズリーというシリアルのもっと食べづらい、乾燥穀物食品みたいなのがあるんですけど、これには豆乳が欠かせないんですよ。 これをしょっちゅう食べてるもので、どうしても豆乳なんですね。 ところが、最近買ってきた「おから入り豆乳」。これは美味しい。 普通であればカス扱いのおからを、一緒に絞り込んでいまして、もっと豆乳臭いのかと思いますけど、これが全く予想に反しまして、かえって普通の豆乳より匂わないんですよ。びっくりです。しかも、と〜ってもクリーミーで甘い。 とはいえ、濃厚でかなりボリューム感がありまして、そんなにゴクゴク飲むようなものではないんですよ。 そこで、試してみました。アイスミルクコーヒー! コーヒーショップみたいな所にありますかね?(頼んだことはありませんけど) 以前、普通の豆乳で作りましたら、やっぱり臭くてダメだったんですけど、今回のはいけますよっ!。 インスタントコーヒーですけど、水とおから豆乳とちょっとシナモンパウダー。砂糖やシロップは入れません。 かなりたっぷりめに豆乳を入れても、全く気にならない。それどころかよりクリーミーで、ほんのりした甘さといい塩梅。 しかも食物繊維たっぷり! アイスミルクコーヒーで、食物繊維がとれるなんて、ちょっと得した気分。これはほんとにお薦め! 大豆イソフラボンにギャバ(ギャバって何?)。体にいい植物性のタンパク質。こんなにいいことづくめで、なのに美味しい。 今年の夏は「アイスソイミルクコーヒー」です! |
| ●2005/07/24 Sun 習い方のコツ |
前回、教わるのは大変ですよってお話をしましたけど、なんとか少しでも上達したいですよね。 どうしたら上達するか? ずばり言いますと、「自分で練習方法を編み出す」です。教わっていることの本質的意味を汲み取って、そのことを会得すべく、自分なりのやり方を考える。 決して、教わったことを憶えておいて、復習するのではありませんよ。もちろん、それはそれで重要なんですけど、それもあくまで、本質的意味を探るために必要なんでありまして、その意識なくただ繰り返し復習をしましても、かなり時間がもったいないです。 自分の練習法を作り出せないということは、やっていることを理解していないってことですから。いえ、仮に頭で理解していても、身体は理解していないってことですよ。 もし身体が理解しているにもかかわらず、自分の練習法が思いつかないとなりますと、ただ『型』が上手になるといったような、本番で使えない、応用のきかない技術が身に付くだけに、なりかねません。 ですから教える立場からしますと、あまり事細かに言葉で言い表わさず、見て感じとらせるようにした方が、教わる側が能動的にならざるを得なくなりますから、いいのかもしれないって思うんです。 日本の伝統的なものは、こういったやり方が多い気がします。「盗め!」って。 ただ、師匠と弟子みたいな感じでしたら、それでいいのかもしれませんが、週に1回、2回数時間程度のレッスンであったり、今の合理的思考の社会にあっては、なかなか難しい。 それに私個人のことで言えば、まだまだ学ぶことだらけで、とても「見て盗め!」なんて、恰好のいいことは言えませんし・・・ふ〜ぅ。 まあ、懇切丁寧に説明をしても、しなくても、教わる人が身体で理解するには、どうしたって能動性が必要なわけですから、私のマイムクラスでは、それならとにかく言葉で伝えて、少しでもこちらの意図するところに、近付いてもらえればと思って、やっています。 先生、師匠も言葉で説明してくれる、してくれない、説明が上手、下手、いろいろだと思いますけど、教わる側はいつでも主導権を握って、その言わんとするところ、やらんとするところを、なんとかつかみ取って、自分の練習法をひとつでも作ってみて下さいね。 それが、「習う」のではなく「学ぶ」になりますから。 習っているうちは習得できません。学んでこそです。 |
| ●2005/07/22 Fri 教わるって大変よ |
身体の使い方を人から教わる場合、注意して下さいね。 何にかと言いますと、教えてくれる人と、教わる人とでは身体が違うってこと。当たり前だと思われるかもしれませんけど、これがクセモノなんですよ。 単に細い太いとか、柔らかい硬いってことよりも、身体が持っている意識が違うんです。普段の身体の使い方・あり方が違うということ。 立ち姿、歩き方全然違いますでしょ。物を持ち上げたり、押したり、握ったり、同じような動作でも、身体の使い方(どこに力が入いって、どこが抜けているかや、力が出ているの方向など)が、全く違う。 無意識レベルでの身体の使い方は各人各様。 さらに厄介なのは、同じ言葉に対する解釈の違い。 「もっとお腹に力を入れて!」って言われたら、どうしますか? この場合、お腹をギューッと締めても、まずもって好ましい結果は得られません。 多分、「息を止めないで、ちゃんとお腹を締めて!」なんて言われるのが関の山です。 本人は一生懸命、言われた通りやっているのに、ちゃんとやれって言われてしまっては、救われませんよね。 教える側はその意識の仕方、やり方で出来るんでしょうけど、無意識レベルでの身体の使い方や言葉の解釈が違っていては、教わる側は出来るはずがないんです。 赤い画用紙と青い画用紙。同じ黄色を塗っても、同じ色にはなりませんよ。しかも、黄色といっても、レモン色っぽいのか、山吹色っぽいのか、その言葉の受け止め方でも全然違ってきてしまいますでしょ。 教える側も教わる側も、無意識レベルでの身体のあり方・使い方のお互いの違いを理解し、さらに、言葉がお互いにとって、同じ意味にはならないということも、本当によく理解してやり取りをしないと、いつまでたっても並行線。 これは分かっていても、大変。 教える側は自分が意識していないことは、言葉に出来ませんし、教わる側は教えてくれる人の言葉を、教えてくれている人の立場で解釈しないとなりません。 しかも、たとえ手先だけの動きでも、厳密には肘、肩、肩甲骨、肋骨、背骨、骨盤など全てが絡んできていたりします。 言葉にならないところまでも、キャッチしようという心構えが必要。 目先の言葉や動きに惑わされてはいけません。 よく聞き、よく見て、理解を深める。 相手を知り、自分を知る。 教わるってパワーが必要なんですよ。 上手に教わりましょ〜っ! |
| ●2005/07/21 Thu 美しく! |
モデル立ちっていうんでしょうか、脚を前後に重ねて背筋をびーっと伸ばして、胸を強調したような立ち方。あれって、綺麗だと思います?私にはそうは思えませんで、綺麗な立ち方ではなく、綺麗にみせようとしている立ち方だと思うんですよね。 少なくとも美しいとは思えない。 あれって、無理を感じませんか?頑張ってまーすって。それだけで、すでに美しくないと思うんですけど、それより何より、本人の体に良くないと思いますよ。 モデル立ちは腰に力が入いりすぎ。反らしすぎ。腰はいかなる時でも、力を抜くようにしないと、傷めてしまいます。 ただ力を抜くと言いましても、猫背のように曲げてしまっては、結局腰に負担がかかりますから、あくまでまっすぐ。 よく言う、「お腹に力をいれろ」というのは、腰の力を抜くためなんです。単にお腹に力をいれればいいってものではないんです。 それと胸を張ったように見えるのは、わざとかもしれませんけど、腰を反らせている結果。まさに逆猫背。 元気なさそうに見えるよりは、いいかもしれませんけど。 その胸ですけど、猫背のように閉じてしまっては、呼吸量が少なくなってしまうのと、中丹田(胸のまん中あたり)が閉じて明るさや、やる気といったパワーが減少しやすいですから、よくないのはもちろんなんですけど、あんなに強く張ってしまうと、やはり呼吸が浅くなりますし、中丹田が堅すぎて、人を弾き飛ばすというか、寄せつけないような感じになってしまう気がします。 胸は開いている方がいいんですが、張ってはいけない。 腰は柔らかくまっすぐに。 どうしたらそうなるか? ここで言い表わすのは難しいですけど、呼吸を意識してみて下さいな。 口は閉じていていいんですけど、のどを、出来たら奥を柔らかく広く開いた状態にして、会陰というツボ(お尻の穴のちょっと前あたり)に向かって、やっぱり柔らか〜く、吐き込んでみて下さい。息の通る道が、まっす〜ぐで、長〜くて、滑らか〜にって。 座っている時も同じですよ。これを読みながらやってみて下さいね。 どうです?出来た気がしました? モデル立ちのように不自然な格好より、楽で自然な姿の方が美しいと思います。 まっすぐに、中を柔らかくして、みんなで美しくなりましょう! |
| ●2005/07/20 Wed パン、パン、パン〜っ! |
『PAUL』ポールというパン屋がありまして、ここの「アンシェン・ポール」という、きっといちば〜んシンプルなパン、これが美味しい、美味しい。 初めての出合いは偶然で、何年か前に東京駅でパン屋を探していた時、よさ気だなと覗いて、店名のついたそのパンを、買わない訳にはいかないであろうと、食べたところ・・・「うっわっあ〜〜〜!!!」 このフランスパンは一体どうなってるの? 確か小麦粉と塩だけだった思うんですけど・・・? フランス産の小麦らしいんですが、なんと風味豊かなことか。これは皮ではなく、中味を味わうタイプ。そしてほんとに味わえる。もっちりと重量感があり、色は印象としては、灰色がかった白。こんな美味しい小麦があるんですねぇ。 そしてそして!ここの「パン・オ・ショコラ」にチョコをコーティングした「パン・ショコ・ショコ」。絶品っ! いやいや、びっくり、びっくり。イートインで食べていたんですけど、思わず声をあげてしまうところでしたよ。 あのフランス産小麦と発酵(?)バターが織り成す、これまた豊かな風味。黄味がかった生地が、輝いて見えましたよ。 当然油っぽい感じはなく、むしろ爽やかな甘み。この生地とチョコが、また実にマッチしていまして、お互いを引立てているんですよね。チョコはどちらかと言えばマイルドで、全体が優しい味わいになっています。けれど決して子供っぽくはない。 あ〜ぁ、なんて素晴らしいんでしょう。 『ポール』と『メゾンカイザー』、もし隣どうしにあったら、迷うでしょうねえ。どっちも捨て難い。いっそのこと、両方を食べ比べたいですね。いやぁ、比べなくていいんですよ、ただただ、味わいた〜〜〜い。 |
| ●2005/07/19 Tue 呼吸を見せる!? |
呼吸は無意識でもしてますけど、意識してコントロールも出来ますよね。呼吸は肉体運動的でもありますけど、感情・心とも密接につながっていますよね。 緊張を強いられる場面で、深呼吸したりしますでしょ。 無理やり大声で笑っていると、ほんとに訳もなく可笑しくなったり、小さな女の子が泣き真似をしているうちに、本当に泣き始めてしまったり。 全て呼吸が心を導いているんですよね。 呼吸はふつう私たちが想像する以上に、強力なパワーを持っているんです。 で、パントマイムはこの呼吸を、使いこなしていこうとする表現手段なんですよ。 もちろんスポーツ、お芝居、書にお茶、料理など、肉体を使うあらゆる活動は、そのパフォーマンスを高めるためには、呼吸を使いこなさなければならないと思いますけど、マイムの場合は「呼吸を見せる」ということに、特徴があるのではと思います。 呼吸のリズム、強さ、長さなどを、単純に肺の活動としてではなく、手足を含めて全身で見せるんです。 ですから呼吸と動きの連動が、重要になってくるんですけど、呼吸をしながら動くとか、呼吸と動きを一致させる、というのとは違うんです。 少し分かりづらいかもしれませんけど、呼吸と動きという2つのものがあるわけではなく、動きはあくまで呼吸の結果。 呼吸が身体を押し出し、引っ張て、形・動きをつくっていく感じです。 まあ、このあたりのことは、頭で理解するのもままならないんですけど、身体が理解して実際にやるとなると、は〜〜〜ぁって感じなくらいで、日々の練習はこれを獲得するためにあるようなもの。「動く禅」といいますか、「演劇ヨガ」といいますか。 ともかくも呼吸が全てを担っている、心と身体を結び付けている、このことを実感、体現しようとすることは、実生活にもいい影響があると思うんですよね。 多くのひとが、パントマイムをやってくれると嬉しいですねぇ。 |
| ●2005/07/16 Sat 頭と身体、一生懸命考えてね |
頭からではなく、身体から生まれてくるものというのは、面白いなと思います。よく言う、頭でっかちになるなって、こういうことなんでしょうね。 たとえばこのコラムの、食べることに関するお話。これを書く時、私、全身五感全てを働かせているんですけど、そうしないと頭だけで書いていると、途中で自分でつまらなくなってしまうんですよね。と言っても結局語彙が無いので、「おー!」とか「あー!」とかばっかりで、はぁ〜・・・情けない。 マイムパフォーマンスでも、頭が先行してしまうと、どうしてもつまらない。(単に私のアイデアが、貧弱?・・・う〜んむ、否めません) 身体に任せるところがないと、私自身が楽しめない、ということもありますけど、お客さんも楽しくないと、思うんですよ。 多分、スポーツ、芸術はもちろん、日常の料理などの家事でも、同じなんだと思います。 どれだけ、身体に任せられるか。これに尽きる。 頭で考えたことというのは、何故か(当然?)自分を超えられない。自分の範囲内でしかない。 対して、身体から生まれたものは、自分自身でさえその生まれてきたものに、驚きがあるくらいですから、きっと他の人にとっても、何か感じるところが生じるんだと思います。 「ひらめき」も頭からではなく、身体から出るんだと思います。 ひらめきって、段階を追ったり、積み重ねたりという数学や科学的なものではなくて、一瞬にして全てが分かるというか、別の次元に行ってしまうというか、ともかく、思考が追いつかない状態。 ですから、ひらめきの後に、そのひらめきを理解するために考える。この思考の段階を踏まないと、せっかくのひらめきが、宙に浮いてしまい、そのうち気付かないうちに消えていく・・・。あら〜ぁ、もったいない。 『我、思うゆえに我あり』っていうのは、ここでの話でいきますと、違うんではないかと思うんです。 人間は脳・頭だけで考える存在ではなく、身体も考えている、何かしら生み出しているわけですから、『我』が思う前に、たとえ頭で考えなくとも、『我』はすでにいるのではないかと。すでに身体は考えているのではないかと。 身体が考えたことを、うまく表現、体現する。この能力を身に付けるためには、やっぱり凡人の私は、頭で考えながらやっていくしかないんでしょうかねぇ。 (何言ってるか伝わったかしら?・・・頭も身体も貧弱なんですぅぅ〜) |
| ●2005/07/15 Fri やっぱり食べる話 |
このコラム、食に関することが多いですよね。まるで私がしょっちゅう、あちこちで色々と食べてるいるかのような。 でもそんなことは全然ありませんで、どちらかと言いますと、おそらく外食の機会は少ないと思いますよ。 なにより最も私が恐れているのは、オシャレふうを装って、たいしたことのない料理を、少量なのがさも素敵でしょって出してきて、値段だけは一人前(ひとり分じゃないですよ)。 料理の見た目の美しさや楽しさは、もちろん重要な要素ですけど、それはあくまで演出であって、脚本に当たる料理そのものが、私にとっては何より大切。そしてコストパフォーマンス。 高ければ美味しくて当たり前。「この値段でこの美味しさ!?」っていうのを、味わいたい。さらに接客の姿勢も、すごく気になる。 そう、私は贅沢で図々しく、我が儘なんです。 こんな私が、良かったなぁ〜と思うお店のひとつが、『ラ・ルーナ・ロッサ』。 イタリアンのお店で、東京の中目黒駅から歩くと15分くらいかしら。ちょっと不便ですけど、目黒川沿いの緑が綺麗なところに、静かに佇んでいまして、お店の人もとてもいい感じなんです。 自分の行動範囲外なので、ランチで1回行っただけですけど、とってもいい印象を残してくれています。 その時に選んだパスタは、「鹿のラグ−のリガトーニ」でした。 私好みのしっかりとした味わいの、ボリューム感のある、そして美しさを感じさせるものでした。もう詳細は憶えてないんですが、ひと口食べる度に、おぉ〜〜、何がこんなに美味しくしているんでしょうって。奥深く単純ではない、全てがこのひとつの味をまとめるために、調和しているっていうんでしょうか。 前菜風のサラダも手抜きがなく、パンも自家製。 これにコーヒーがついて、1000円ですよ。(1年ちょっと前ですけど) こういうお店で食事ができた時って、と〜っても幸せ〜ぇな気持ちになります。 外で食事をする時は、出来るだけこの幸せ〜ぇを、味わいたいんですよね。は〜ぁ・・・『ラ・ルーナ・ロッサ』行きたくなってしまったぁ・・・。 |
| ●2005/07/12 Tue 味の好みは、十人十色。 |
「マダレナ」をご存じですか?函館の修道院、トピスチヌかトラピスタかでしか売ってないようなんですけど、この美味しさは、まさに愛の美味しさ! 何も特別なお菓子ではなく、ようはマドレーヌなんですけど、たったひと口で幸せ〜ぇな気分に導いてくれる、やっぱり特別なお菓子。 材料はいたってシンプルで、洒落っ気も全くありません。けれど、だからこその味。 ガイドブックにちょこんと、紹介されていて、そこでしか手に入らないというので、修道院だけにと〜っても地味だけれど、買っておくかなって。そしたら、はっあ〜〜ぁ・・・なんてこと。もう後の祭り。もっと買っておくべきだった〜ぁ・・・。 ところがその2、3年後に、仕事で函館に行く機会がありまして!自分では買いに行けなかったんですが、仕事先で知り合った人が、わざわざ地元の友達にお願いをして、差し入れとして買ってきてくれたんです。なんて、ありがたく嬉しいことでしょう。感謝、感謝。 でその場で、みんなで頂きまして、(ねっ、どう、どう?美味しいんじゃない?)って、心の中でみんなに話しかけながら、私はすでに幸せ〜を体中で味わっていたのです。 けれど、けれど、「懐かしい味ですね。」 えっ!? それだけ? あらら・・・。 何だかとっても悪いことをしてしまったみたいで、せっかく面倒なことをして、買って来てくれたのに。は〜ぁぁ、申し訳ないですぅぅ・・・。 味の好みは、ほんとに分かりませんね。 確かに「マダレナ」は、今どきの味ではないんですよね。でも、いい材料を大切に、心をこめて作った、そうたとえるなら、母親が子供のために、お菓子本とにらめっこしながら、初めてつくったような、そんな素朴ながら愛情たっぷりの味なんですよ。 まあ、それにしたって、好みの問題なんでしょうけど。 マドレーヌで有名な『ル・パティシエ・タカギ』のマドレーヌより、「マダレナ」の方が何十倍も好きな私は、他の人とはかなり好みが違ってるんでしょうかねぇ? |
| ●2005/07/11 Mon クロワッサンっ! |
『メゾンカイザー』のパンは、やっぱり美味しいぃ〜。他にも美味しいパン屋はたくさんあるんでしょうけど、ここのが大好き。 クロワッサンで有名なだけに、クロワッサン好きの私の中でも、ダントツの宸P。初めて食べた時は、あぁ、今まで食べてきたのは一体何だったんでしょうって。 何層にもなった生地が、サクッサクッというよりザクッザクッ、パリッパリッ! 焼きがしっかりしているので、その薄〜い層の一枚一枚に存在感があるんです。口にした時パラパラと落ちる、クロワッサンの破片が「見捨てないで〜、食べてぇ〜〜。」って、私に訴えかけてくるんですよ。 こんなクロワッサン生地を使った、パン・オ・ショコラにいたっては、もう、もう、あぁも〜〜〜っぉ! チョコのなんたる力強いことか。子供だましではありません。決して本なんか読みながら食べてはいけないんです。どこまでも正面から全身で、受け止めなくてはならないのです。 ですから飲み物も、コーヒーか紅茶か、ホットかアイスかという、基本的なチョイスもさることながら、それを口にするタイミングと量が難しい。 口の中に広がるせっかくのパンの味を、飲み物でリセットしてしまうのは、もったいないと思う反面、リセットした方が、また新鮮にパンを味わえるということもあります。 また一方では、飲む量をほんの少しにして、パンの余韻を残しつつ、ちょっとすっきりさせるという手もあります。 ともかくも、決してたくさん飲むなんてことは、してはいけないんです。 飲み物で胃がチャポチャポしてしまいますと、パンの美味しさ半減してしまいます。 たとえば、池に何かをポチャンと落とすのと、柔らかな枕に落とすのとでは、全然感触が違いますでしょ。それと同じ。 パンを食べた時に、ポチャンとはしたくないんです。きちんと受け止めてこその味だと思うのですよ。 ・・・あらっ? ほんとは別のパンのことを、書こうと思ってたんですけど... ハーブ入りのチャパタにボンレスハムとチーズをのせて焼いた、シンプルながらしっかりした味わいの、満足度の高いパン。 今日はこれを食べたんです・・・。 なのにクロワッサンを思い出したら、暴走してしまいました。 またの機会に、ですね。 |
| ●2005/07/10 Sun 自由な世界へ |
「型」っていうのは、気を付けないと始末が悪いんですよね。 武術や伝統芸能に「型」はつきものですけど、それに限らず、スポーツや芸事、その他なんでも指導者が教えてくる「形」も、一種の「型」と言えると思うんです。 本来「型」と「形」は同じものとして、考えてはいけないのですけど、どうしても曖昧になりがち。 「型」っていうのは、ある身体の使い方・意識の仕方を、分かりやすく目に見える形で表わしたものだと、思うのです。一方、「形」は「型」の説明で出てきたように、あくまで結果なんだと思います。ある意識の仕方で身体を使うと、こんな形になりますよって。 習う側も、教える側も、この似て非なるものを、きちんと分かっていないと、必ずどこかで壁がやってきてしまうと思いますよ。 武術やスポーツの場合ですと、せっかくの「型」練習が、実戦とは結びつきの弱い、単なる練習のための練習に、なりかねませんし、表現活動の場合は、形はそれっぽいけれど、出来ているとは到底言い難い、といったことになってしまいます。 ですから「型」は、ナビゲーターとして、つまり先人の編み出した、身体の使い方・意識の仕方を学びとるためのヒントとして、利用していくものであって、決してその「形」を身に付けたり、順番を憶えたりするような、類いのものではないと思うのです。 「型」の練習は一見、不自由を強いられているようですけど、実はその向こうに、はるかに自由な世界が広がっているはずなんです。(わたしもまだ不自由な世界にいますから、あくまで「はず」) 自分勝手に動くのが、一番自由なようですけど、実は不自由。不自由なことに気が付いていないだけ。 「型」を利用して、自由な世界にいければと思っています。 |
| ●2005/07/09 Sat ほんとに、いい食材を活かしてるんですか? |
安心・安全やこだわり食材なんかを、売りにしたものがありますけど、そんなうたい文句にパッと飛びつこうものなら、まあひどい目に会いますよっ! 今日のシュークリーム、すごく大きく「安心素材」って、さらに八ヶ岳高原のしぼりたて牛乳、北海道産生クリーム、お菓子専用卵と続く。 さらにさらに、「素材を活かして職人が一つ一つ手作りするように、やさしく、ていねいにお作りしました」とまで書かれているんですよ。 「手作りするように」と、あくまで「ように」で、決して手作りでないことは明白ですから、そこはいいんです。 ところが、安心素材と謳っていながら、原材料を見ますと、何やら怪しげなものが入っているんです。 グリシン、カゼイン、リン酸塩(Na)。 今日のは入ってませんでしたけど、シュークリームに何故か、化学調味料アミノ酸が入っているものもあるんですよ。 これらは一体どういうことなんでしょう? まさに「売らんかな」だけで、作っている。良心というものが無い。いや、無いどころか、ある意味これは詐欺ですよ!許せませんっ! 許さないって言いましても、出来ることは、そういった商品を買わないようにするだけなんですけど・・・たまにうっかりしてしまうんですよね。でも多少はいいんですよ、きりがありませんから。 ただこうやって包装紙なんかに、表示してあるものは、チェックのしようがありますけど、対面販売で売られているものは、表示の義務がないので、知るすべがないんです。 パン屋、ケーキ屋、お惣菜屋などなど、これらはたとえ化学合成の添加物やらなんやらを使っていても、私たちはどうしようもない。いちいち全部お店の人に聞くなんて、とても出来ませんし、多分お店の人も分かってない。 今は「健康」がキーワードですから、方々で一見よさそうなものが、たくさん売られていますけど、中味は千差万別。気を付けませんと、割高なものを買わされた上に、体にもよくないってことに、なりかねません。 安心・安全、こだわり食材が大好きな私は、最近ちょっと疑心暗鬼です。 |
| ●2005/07/07 Thu これは素晴らしいかも! |
きのうのコラムで、愛を忘れた犯罪者を「やわやわ」にって、書きましたけど、私は今朝思い立って、自分で自分に試してみましたよ。 きのうの話では、自分の柔らかさを相手に溶け込ませるように、抱きしめるってことでしたよね。そこで、自分で自分のあっちこっちを、なでたんです。 なでるといっても、たんに手のひらでだけでなく、手の甲はもちろん、脇や肘に上腕、前椀で体中を、足も内股をすり合わせるようにして、そう、蛸にからまれたみたいに、とにかくぐにゃぐにゃと。 これを読んで、試し始めた人は注意して下さいね。実は蛸ではちょっと強すぎなんです。 一番大事なのは呼吸。呼吸を意識して、柔らか〜く、とろぉりぃ〜〜んとして下さいませ。吸う時はは特に注意が必要。ついおろそかになってしまい、早くなったり、固くなったりしてしまいますからね。 それから、顔。真剣になってはいけません。 目は半開き、口もちょっと半開き、且つちょっと嬉しそうに。ほっぺも緩め、のどの辺りも後ろの首筋も、頭もおでこも、み〜んな溶けるように。 腕を、手を、指を、そして足を、自分の体にからませる。触れ合っているところがとろけて、さらに奥まで溶けあうように。 リズムも重要。焦らないで。ぬめ〜〜ぇっですよ。 そして、あくまで優しく。 いやいや、これは相当怪しいですよ。一人っきりの時か、さもなくば、集団で否応無しにかのどちらかでないと、本人よりも見せられた人が可哀想です。 でも、でもですよ、これはいい練習になると思いましたよ! 自分の「やわやわ」さがよく分かる。愛すべき存在になるための大切なポイント、脱力加減を身を持って感じられるんですから。 誰かと険悪な雰囲気になりそうな時、この感じで相手にからみついたら、いいかも。「愛すべき存在」度を試す、いいチャンスかも。でも気を付けないと、険悪を通り越して、疎遠になってしまうかも・・・。くれぐれもご注意を。 |
| ●2005/07/06 Wed 愛、愛、愛っ! |
この間、「愛すべき存在」になるために、徹底した脱力をしていきましょうか、ということを話をしましたけど、この「やわやわ」で面白いことが出来そうな気がしてしまいました。 愛なんて気持ちがなくても、すっごぉく「やわやわ」ならば、愛を感じるというか、愛が生じるというか、そんなことがあるんではないかと。 想像してみてもらえます? お互い特別の愛情をもってはいない誰かが、あなたの背中にそれはそれは柔らか〜く、溶け込むように、手のひらを当てるんです。どうですか? なんだか優しい気持ちになりそうじゃありません? さらに、そんな柔らかさで手を包み込まれたり、抱きしめられたりしたら・・・ あららぁ〜、愛、感じちゃいそうですよぉ。 そこで、これを刑罰に使うんです。 今、凶悪な犯罪が増えていますよね。人を人とも思わないような 事件が、次から次ぎへと起きている。 こういった犯罪を犯す人に、共通して言えることは、他人に対する愛情が希薄で、さらに同時に、自分が愛される存在だということが、分かっていない。 ふぅ、自分のことみたい・・・。 まあ、ここは刑罰の話ですから、自分のことは置いておくとしまして、罪を犯した人に、先程の「やわやわ」を毎日朝晩やるんです。 誰がやるか? 刑務所なんかの教官みたいな人でしょうか。誰でもいいと思うんですけど、最初にも言ったように、別に本当の愛情を持っていなくてもいいわけですから、仕事として上手に出来ればいいと思うんです。 そしてできたら、抱きしめながら言うんです。柔らかく溶け込ませるように、「私はあなたを愛していますよ」って。 そしたら、犯罪を犯した人も段々と、「やわやわ」になっていって、そう! 愛すべき存在になり、さらに愛を与える人に! ってやっぱり短絡的? やって損はないと思うんですけどぉ・・・はぁ〜。 |
| ●2005/07/05 Tue 美しくっ! |
キャベツの千切り。これが早く切れる人は、ゆっくり切っても、当然きれいに切れますよね。 ところで早く切れない人は、ただスピードが遅いというのではなくて、仕上がりもきれいではない。仮にこの人が早く切ろうとすると、荒っぽくなる。 これと同じことが、パントマイムにも当てはまるんです。 実際にはいろいろなんですけど、パントマイムではスピードは要求されません。ですがこの一見ゆっくり、というところに落とし穴がありまして、ちょっと練習をすると、なんとなくそれっぽい動きが出来てしまうんですね。「なんとかなってる」という気になってしまうんです。 ゆっくりなら千切りが出来る、と思っているのと同じです。 そのマイムの動きをもっとスピーディーに、力強くやろうとすると、分かるんですけど、大抵うまくいかない。 うまくいかないということは、その動きを出来ていないということなんです。本当は「なんとか」なんて、なってないんです。 キャベツの千切りと同じです。理に適った動きが出来てないということです。 一方で「それっぽい動き」になっているのなら、それで構わないんではない?って思うかもしれませんけど、そこはやはり天と地との差がありまして、それっぽいというのは、どうしたって嘘の動きなんです。 嘘は美しくないんです。たとえ綺麗な動きだとしても、美しくはないんです。 キャベツの千切りと同じように、早く切れないということは、ゆっくりしか切れないということ。つまり仕上がりは汚いってことですから。 パントマイムに限らず、太極拳でも、お茶のお手前でも、書道でもそうだと思うんです。一見ゆっくりで、力を使わなそうなものをするときは、そこのところを、よほど注意しないと、「それっぽい」で終わってしまう。美しさがでてこない。 私も、いつも「出来たっ!」と思ったものが、あとで「それっぽかった」だけだったことに、気が付くことがしょっちゅうです。 まあ、気が付いて良かったって、思うようにしてますけど。でないと、年中落ち込んでないと、いけなくなってしまいますからね。 少しずつでも、美しくなっていければと思ってます。 |
| ●2005/07/03 Sun 愛すべき存在へ! |
昨日の続きです。 大人は赤ちゃん返りをしても、愛すべき存在になれないようなので、もう一度赤ちゃんのことを、考えてみましたよ。 どうして私たちは、赤ちゃんを愛してしまうのか? とても弱い存在だからでしょうか。赤ちゃんはひとりでは生きていけません。助けを借りなくてはなりません。それでいて、生命に満ち溢れていますから、その健気さに心を打たれてしまうからかもしれません。 それとやっぱり、あの笑い顔でしょうか。混じりっ気のない純度100%の笑顔。なんだか、赤ちゃん自身の体よりもず〜っと大きな喜びで、私たちを包み込んでしまいそうですよね。 そして、疑いを知らない眼差し。私たちを全てまるごと、受け入れてくれているような、あんな目で見られたら、全て許してしまいますよ。 さらに、脱力加減も関係ありそう。あんなに脱力されると、こっちまで力が抜けてしまいます。ずいぶん前に流行った、「たれパンダ」みたいなもんですね。癒されます。 はっはぁ〜、これはやっぱり、愛されますよ。 ひとの心を打つ、その健気な生きざまに、ひとを笑顔で包み込み、まるごと受け入れ、癒してしまう。こんな人が愛されなくて、どんな人が愛されるんでしょうか?って感じですよね。 冷めた見方をすれば、人間の動物としての本能、子孫を残さなければならないという本能によって、赤ちゃんをこの世で最も愛すべき存在として、感じるようになっているんだと思いますけど、いずれにしましても、愛すべき存在になるのは、簡単ではなさそうですよ。 心を打つような生きざまを見せるのは、無理そうですし、笑顔で包み込むには、パワーが足りなさそう。まるごと受け入れるなんて、到底出来そうにありません。 そうしますと、残るは脱力。 ふんむ、これならば精神からのアプローチではなく、肉体からのアプローチなので、可能性はありそうです。といいますか、これしかなさそうですよ。 そうとなれば、とにかく筋肉をやわやわにして、内臓もゆるゆるにして、脳みそまでとろとろの半熟にしちゃいましょっ! (私の脳みそは、筋肉ぅぅ?) 目指せ、愛すべき存在! そしてその向こうの、愛を与える人間へ! ・・・・・・虫がよすぎるかしら・・・? でも、認知症の人も、身体の奥まで柔らかくしてあげられたら、愛すべき存在になるかも。 |
| ●2005/07/02 Sat 愛するって、なぁんでしょ? |
「人を愛しなさい」、「愛とは与えること、見返りを求めてはいけません」って、こんなストレスの溜まりそうなこと、出来るんでしょうか? そんな聖人君子みたいになれなんて、それではいっつも劣等感にさいなまれてしまいますよ。自分は人を愛せない人間なんだ、愛のないダメ人間なんだって。 ところで一方で、子供のときに愛された経験(実感)がないと、愛というものが分からず、人を愛せないっていわれてますよね。 どこか、おかしくありません?愛するためにはとにかくまず、愛されることありきだと。 とはいえ、そうなると、人を愛せる人間になろうとするならば、まず最初に、愛される人間になった方が、よさそうですよ。 愛するより、愛されろ。ふ〜んむ・・・ 愛される人間の一番の見本は、やっぱり赤ちゃんでしょうか。赤ちゃんって、愛すべき存在ですものね。 んんっ??? 愛すべき存在? 赤ちゃんは愛されようとしているわけではなく、ただ愛すべき存在だから、愛されている! ふぅ〜・・・。そっかぁ、愛すべき存在になればいいんですね。 でも赤ちゃんなんて、世界一わがままで、欲求のまま、感情のまま。他人のことなんて気にもせず、ただただ、生きるためだけに生きているようなんですけど・・・? まあ、誰に対しても、分け隔てはないですね。それと、感情のままといっても、変に引きずることはないですし、あと、自分が拒絶されるとか、受け入れてもらえないかもしれないとか、そんな不安とは無縁そうです。さらにさっきも書きましたけど、何より人から愛されようと、人のご機嫌をとったり、顔色を伺ったりなんてしませんよね。 うh・・、でもこんな真似ができるのでしょうか? 出来たとして、愛すべき存在になれるのでしょうか? たとえば、人間歳をとると赤ちゃんに戻っていくって、言いますよね。変な話、認知症が進むと、それこそ最も赤ちゃんに近付いていってる気がしますけど、赤ちゃんのように、愛すべき存在かというと、「・・・・・・」ですよね、現実は。 あららぁ・・・、いとも簡単に、行き詰まってしまいましたよ。 大人は、愛すべき存在になっても、愛されないみたいです。 これでは、愛を知ることも出来ず、人を愛せる人間になるなんて、到底不可能ではありませんか。どうしましょう? ふ〜ぅ、このつづきは、また明日ですね。 |
| ●2005/07/01 Fri まだまだ、ほんとに計り知れないですね。 |
今朝の新聞に、理論値の倍以上の巨大核惑星発見、の記事がでていまして、核の大きさは地球の質量の30倍が限界だろうと、いわれていたのが、70倍(!)もあるらしいのです。 核の大きさうんぬん、地球の質量のうん10倍って言われましても、???ですけど、科学的な予測といいますか、限界値といいますのは、ことごとく破られるものなんですね。 光が全く届かない深海に、ちゃ〜んと生物がいたり、水圧で体がぺしゃんこになってしまう、と思われていた深さより、はるかに深く人間が潜れたりしてますものね。 寒さも暑さも、空気の薄さも関係なく、まさかという所まで生物がいるようですし、生命(惑星も生命だと思ってます)というのは、計り知れない力を持っていますよね。 それが何故か、自分たちの知った範囲での現象のみを捉えて、科学と称して(それが科学なんでしょうけど)、さも、これが真実だ、これが全てだみたいに、のさばっている。 いや、科学が悪いわけではなく、私たち受け手の捉え方の問題なんですけど。 科学の力を絶対視してしまい、何やら難しい数字が並んで、データという名で目の前に出されると、ころっといってしまう。何言う私もそのひとり。 でもデータなんていっても、実験する人間の、あくまで主観的予測に基づいて行なわれた結果でしかないわけで、要するに人間の想像の範囲は超えられない。 生命の力を勝手に、限定してしまったりする。 それでもちゃんと例外とか、想定外とかいわれるものが出てきて、新しい世界を私たちに見せてくれる。素晴らしいですね。 生命、人間がもつ大きな力、未知のパワーによる新しい世界を、誰かひとりの例外的能力として片付けてしまうのではなく、人間誰もが、本来持ち得る能力なんだということを、科学者、研究者が、検証してくれますと、その他大勢の私たちも、自分の可能性を信じられるようになると、思うんですよね。 「出来るわけがない」と思っているのと、「出来るはず」と思っているのとでは、結果はおのずと違ってきますから、人類全体の底上げになりますよね。 いろいろな分野で、これまでの理論では考えられなかったことを、どんどん検証していってもらいたいものです。 私たちの可能性を引き上げてくれる、そんな科学を期待します。 今朝の、巨大核惑星発見は、まだまだ限界は無さそうという、素晴らしいニュースでした。ありがとうですね。 |
| ●2005/07/01 Fri 今日もいっぱい食べました! |
玄米というのは白米に比べて、穀物の力強い味がありますし、消化が大変なのでボリューム感があるんですよね。ですから、よく言われることに、毎日のご飯を玄米にすると、おかずが少なくてすむ。そして素敵な体型になると。 普通の人は、ほんとにそうなのかもしれませんが、私の場合はどういうわけか、逆になってしまいまして、物凄い大食漢になってしまったんです。 何故かと言いますと、確かに玄米はおかずがなくても、十分いけそうな感じなんですけど、これまでの何十年という習慣により、おかずの種類や量を変えられなかったんです。 お腹の具合がどうのこうのというよりも、やはり目で見た感じというのは、とっても重要な要素なんです。 ですから、多少お腹がふくれたなと思っても、つい今までの量のおかずを食べてしまうんです。 そうしているうちに、胃が大きくなったのか、消化能力がアップしてしまったのか分かりませんけど、たまに白米での食事になると、ああ物足りない、物足りない。 ほんとに物足りないなんてものではありませんで、白米がおかゆのように、する〜する〜っと入ってしまうのです。 さらに白米ですと、いくら美味しくても力強さはないですから、どうしてもおかずをたくさん食べてしまう。 昔はこんなにも、食べなかったはずなのにと思いつつ。 止まらない、止められない、止めたくない。 はぁ〜、私の食欲はなんて浅ましいんでしょう。からだの内なる欲求ではなく、目で食べてしまっている。目が満足しないと、箸を止められない。 しかも、もし目が満足して、味も満足すると、もっと味わいたくなり、また食べてしまう。 そう、結局いつでも食べるんです。 からだのことに、人一倍気を使っていそうで、全くもってだらしがない。 このコラムも、食べることが大半。パントマイムの人のホームページなんですけどね・・・。 |
| ●2005/06/29 Wed 普段の練習より、汗かきました。普段さぼっているのかしら・・・? |
この間、生徒さんが楽に走れたっていうことを、このコラムで取り上げましたけど、私自身はそんな、走る機会というのがなかったので、今日ちょっと試してみましたよ。 いつもパントマイムの練習に行っている所は、いわゆるジムみたいなところで、と言っても公共の施設なので、素敵〜ぃって感じは全くなく、でもいろんなマシーンはそれなりに置いていまして、さらにフリーなスペースもありますので、使い勝手がいいんです。 で今日は利用者が他に2人しかいなかったこともありまして、人気のマシーン、ルームランナー(?)に挑戦してみました。 いやあ、やってみるもんですね。 30分もやってしまいましたよ。 普段の練習では味わえないスピードが、より動きの質に関する情報を、身体にもたらしてくれました。 しかも外を走るのと違い、景色も着地の感触も変わらないので、ただひたすら、動きの質に意識を集中できる。 かなりリラックスした動きが出来た気がしまして、満足、満足。 と書くと、凄く走ったみたいですけど、実際には、走ったわけではありませんで、普段の歩きの5割増しくらいのスピードで、歩いただけなんですけどね。 それでも私としては、満足、満足。 言い訳じゃありませんけど、普段走っていない人は、早歩きの方が、動きの質を高めやすいと思うんですよ。 別に体力をつけようとか、心肺能力を高めようって、わけではありませんからね。 そうそう、その心肺能力ですけど、30分の早歩きで、息は特に変化なしって感じでしたから、高まるわけがないんです。 体力的にも、多分メリットはなかったような気がします。 ・・・何のためにやったのかって? いいんです、ただ動きの質のためなんですから。 あの楽に走れたっていう生徒さんのことが、分かった気がしたんですから。 それに早歩きといいましても、時速8キロくらいですから、30分で4キロくらいは歩いた計算になるんですよ。そんなに、めちゃくちゃ悪くはないと思うんですけど。 まぁっ、いずれにしましても、初めての経験で新たな気付きがありましたから、素晴らしいっ! よかった、よかった。 |
| ●2005/06/28 Tue いろんな味があるので、大変ですよ。 |
いやいや、これだけ暑いと、頭の中はアイスクリームのことでいっぱい、いっぱい。 アイスクリームっていうのは、何故あんなにも魅力的なんでしょうか。心も体も、う〜ぅっとりです。 そして何故あんなにも少ないんでしょう? あっという間ですよ。あの幸福なひととき。幸福とはそんなものなんでしょうか? 私はもっと幸福に浸りたい。浸り続けたいのです。 アイスというのは、ちびちび食べるものではない。やはり、ある程度の塊を口に入れ、口の中でにゅわ〜ぁあんっと溶けていく、その食感こそが命ですから。ソフトクリームとも、またすこし違った楽しみ。 ですから、あまり冷え固まってしまったようなものは、アイスとしての魅力が8割方無くなってしまう。ファミリーサイズみたいなものは、注意が必要。封を開けたら、一刻も早く食べ切らねば。 そしてこの口溶けこそが、私にとっては最も重要なので、乳脂肪分の高いものが好ましい。たとえいくら美味しくても、フルーツ味にありがちな、どこか氷っぽさを感じさせるものは、やはりアイスとしては魅力が劣ってしまう。どうしても2番手。 この暑さですと、アイスが溶けるのが早すぎて、あまりよろしくないのですが、あまり溶けなさすぎても面白くない。 口溶けが大事というのは、何も口の中に入れてからのことだけではないんです。口に入れる前から、既に始まっていまして、アイスがまだ器にある時点で、表面がすこーし溶け始めているくらいがいい。そう! 半熟みたいな状態。 あの半熟状態が見せる、艶。素晴らしいじゃありませんか。 口に入れると、一番最初にその溶けかかった、冷たすぎず、ぬるくはない、とろっとしたアイスが、上あごと舌の間で、一体どこからが口で、どこからがアイスか分からないような瞬間を作り出してくれる。 この口に入れた瞬間は、まさにダイヤモンドの輝き。この輝き無くして、何がアイスか! あぁ、せめてあのミニカップアイスが、同じ値段でダブルサイズなら・・・。 |
| ●2005/06/26 Sun 冷房の季節が襲来! |
いよいよ暑くなってきましたねえ。結局、梅雨らしい梅雨もないままに、猛暑に突入という感じですね。 で、毎年思うのですが、きっと、多くの人が同じように、感じていると思うのですが、ど〜をして、電車や建物の中はあんなにも、寒くするんでしょう? 弱冷房車にしても、あんなのはほとんど、言い訳みたいなもの。 この暑さの中で、なんとか過ごせるようにって、薄着をして肌出して歩いているんですから、なにもそんなにムキになって、冷やしてもらわなくてもいいんですけど。 ひと駅、ふた駅しか乗らない人が、不快にならないようにって、してるんでしょうか?それくらいの短い時間、多少の不快さはガマンしてもらうべき。ガマンすべき。 長く乗っている人のことを、考慮していただきたいものです。 冷房がからだに良くないというのは、周知のことと思うんですけど、にもかかわらず、車内はまるで冷蔵庫。いや、チルド室。 しかも立っていると、首筋の辺りに冷風が。 これはもはや、立派な殺人行為ですよ。 あっちこちで、こんなに冷やさないでっていう声が、たぁくさん上がっているのに、一向に改善される気配がありません。 どうも「暑い」という苦情に対しては、敏感に反応するわりに、「寒い」という苦情に対しては、「まあ、何か羽織って下さいな。」みたいなところが、見受けられる。電車に限らず、日本中どこでも。 だいたい暑いと文句を言うのは、おじさんで、その文句を受けるのも、おじさんで、「そうですよねえ、やっぱり暑いですよねえ。」って、そんな感じなんでしょう。 そのことで多くの女性や子供、男性だって、命を少しずつ削られていってること、ほんとに分かってるんでしょうか? 命が削られるというのは、寿命の問題ではなく、生命エネルギー、簡単に言えば元気さの減少。 からだの元気が減少すれば、気持ちの元気さも減少してしまうんですよ。他人はもちろん、本人も気付かぬうちに。 これは国としても、大きな損失ですよ! と思うんですけど。 自分の奥さんや娘さんに、少〜しずつ毒を盛るような真似は、止めましょう! どうしてもと言うのなら、個人的に的を絞ってやって下さい。無差別大量殺人からは、手をひいて下さい! と、ついつい熱くなってしまいました。 やっぱり電車で頭を冷やした方がいいかしら? |
| ●2005/06/25 Sat こんなに闘ってますか? |
モスバーガーの前を通ると、いつも美味しそうだなぁ〜って。どうしていつも、あんなに美味しそうなんでしょう。 今日はタコス・ナンでした。デザート類も美味しそうですし、見る度、食欲との闘いです。 でも実際に食べに行くってことは、まずないんですよね。以前は、たまに行くこともありましたけど、このコラムで取り上げた『エコロジカル・ダイエット』を読んだ前後から、モスバーガーに限らず、ファーストフードのお店には、行かなくしてるんです。まぁ一応、環境のためですかねえ。 モスバーガーにはあまり感じませんけど、マクドナルドみたいに全世界に、あれだけのものを安値で提供し続けるっていうのは、尋常じゃあないですよね。 しかも工業生産品ではなく、生き物ですよ。生産するのではなく、飼育するんですから。一体どこで、どうやって、あんなに大量に均質に育て続けているのか? 広大な土地の確保、大量のエサ、大量の排泄物の処理、病気予防や早く大きく成長させるための薬剤投与などなど。 ちょっと想像の範囲を超えてる気がします。実感のしようがありません。 あちこちで、この手の問題については、取り上げられていますから、今さらですけど、そういった環境破壊につながることに、積極的に加担しないようにって、ファーストフードは控えるようにしているんです。 って言っても、別にただの自己満足です。環境保護なんて、おこがましい。 例えばノーレジ袋にしても、まあ要らないものは要らないですけど、スタンプ集めていくらかになるので、つい積極的になってしまってるだけですし、水や電気の節約も同じことで、必要以上に使うのはもったいない。 紙やペットボトルのリサイクルも、ゴミになるよりは、少しでも役に立つならその方がいい。ただ捨てるのは忍びないですから。 ファーストフードも、食事として考えると意外に高くつきますし、そのわりに満足度は、高くなさそうな気がしまして。 ・・・っいや、でも、あのモスはやっぱり魅力的だなあ、はぁ〜、どうしましょう。罪作りな宣伝ですよね。食べ始めたら、止まらないかもぉぉ。今度モスの前を通ったら、足を止めてしまうかなあ。いつも首だけは、ず〜っと釘付けなんですけどね。 ああ!闘いだあ! ふっ〜、それにしても、人生もっと大きなことで、悩んだ方がいいのかしら・・・? 明日の朝目が覚めたら、立派な人間になってたらいいのに。 |
| ●2005/06/24 Fri 寒天食べてます? |
寒天が売ってないんですよ。何軒かスーパーを見たんですけど、どこも入荷日未定。どうもテレビ番組で紹介されたようで、1ヶ月くらいは無理かなあ。寒天なんて、今まで見向きもしていなかっただろうに。 棒寒天どころか、粉寒天までない。どう紹介されたか分かりませんけど、普段からちょくちょく使ってる側からしますと、はっきり言って、いい迷惑です。 きっと「痩せる」ってことで、紹介されたんでしょうけど、普段食べつけないもので、痩せるとか、体質改善とか、どうしてそんなことしたがるんでしょう? あくまで普通の食品であって、魔法の薬じゃないんですから。 大抵その手の番組では、1週間とか、せいぜい2週間くらいの実験で、「ほーら、こんなに効果が!」って。 そりゃあ、そんな変則的なことをすれば、多少なりとも効果はでるでしょう。 でも、よほどの決意がなければ、そんな無茶なこと続けられないのは、新聞のテレビ欄の「寒天に驚きの効果が!?」なんて紹介文を見た時点で分かる。 テレビもテレビで、そんなこと分かってるはずだと、思うんですけど、さも手軽に長く実行できるでしょって紹介してしまう。世にあまたある、健康雑誌と一緒。影響が大きいだけに、たちが悪い。 まあ、こんなに目くじら立てても、しょうがないんですけど、病気とかでもない限り、フツーゥの人はフツーゥに、毎度毎度の食事を楽しんだ方が、ずーっといいと思いますよ。 栄養とかどうとかも、大切なんでしょうけど、別に栄養をとって生きてるわけではないんですから。 肉でも野菜でも、あくまでその生命エネルギーみたいなものを、取り入れてるんだと思いますよ。 あらゆる栄養素を、バランスも完璧に、でもそれを全てサプリメントでとったとして、元気でいきいきと生きていけると思います? 寒天はもちろん、サプリメントではなく海草ですから、食べた方がいいとは思いますけど、そんな、むきになって食べるようなものかしら? ふ菓子じゃないですけど、いっそのこと、棒寒天をそのままバリバリと、おやつに食べたらって言いたくなります。 寒天はゼラチンのように動物性ではないので、さっぱりとしていて、これからの暑い季節には、ちょっといい感じ。 ところてん、みつ豆。海草がおやつになるなんて。 早いところ入荷して下さいな。 |
| ●2005/06/23 Thu ウグイスの鳴き声っていいですね |
きのう山の中で、ウグイスの鳴き声を聞きまして、毎年聞いている、自分の家の周りのウグイスとは、こんなにも違うものなのかと思わされましたよ。 ウグイスの声そのものも違うのか、そのへんはよく分かりません。ウグイスは鳴き声を、親だか何だか、他のウグイスの鳴き声を聞いて、練習していって上手に鳴けるようになる、という話をきいたことがあるので、もしかしたら、都会のウグイスと山の中のとでは、違いがあるかもしれません。 でもきっと、木や山に囲まれているか、コンクリートに囲まれているかで、鳴き声の響き方がかなり違ってくるのでしょうね。 山の中では、それはそれは美しかった。その違い、どう表現したら伝わりますかねぇ? 都会のは何か、直接的というか直線的というか。一方、山の中のは、柔らかくてまあるいというか・・・う〜ん。 そうですねぇ、例えば水でいったら、水道水か岩清水か、といいますか、色でいったら、原色かそれともいろいろ混ぜながらも澄んだ色か、という違いかなあ・・・。 ふ〜む、カレーならば、その日のカレーと次の日のカレーの違い?インスタントコーヒーと、挽き立ての豆をきちんとドリップしたコーヒーの違いか?普通の牛乳と、低温殺菌の牛乳?精製塩と自然塩? は〜ぁ、なんて発想が貧困なんでしょう。貧困どころか、どうしても食べ物の方へ、引きずられていって・・・。情けない。 そうですねえ、山のウグイスの声は、何か薄いガラスのドームの中で、聞いているような。って、そんな状態あり得ないんですけど。でもまあ、そんな感じですぅぅ。 語彙も表現力もないって、なんて寂しいんでしょう・・・。 ただひとつ強く感じたのは、都会のウグイスの声は、単純にそのウグイスの声そのものなんですけど、山の中のウグイスの声は、その山とか森の声の一部みたいなんです。 あっ、水琴窟みたい、かな? |
| ●2005/06/21 Tue 普段の生活に、パントマイムを? |
きのうのパントマイムのレッスンの後、生徒さんのひとり、女性なんですけど、彼女が嬉しそうに報告してくれまして、曰く、他のお芝居の稽古で、みんなでランニングをしなければならず、走るのはどちらかというと、苦手で気乗りはしないながらも、マイムのクラスで普段練習している、身体の使い方を試してみたところ、信じられないくらい快適に走れたと。 息は切れない、足も疲れない。しかもスイスイ走れたって。 もともと大きな目を、さらに大きくまあるくしながら、話してくれました。 いやあ、嬉しいですねえ。こういう話を聞くと、ほんと心の底から嬉しくなってしまいます。 パントマイムというと、普通の人には出来なさそうな、特殊な動きをするものという、イメージがあると思うんですけど、そんなことはないんですよ。 表面的には確かに、変わったことしますけど、本質的な部分では、日常生活の動きと深く結びついているんです。 もっと言いますと、日常生活の動作の質をアップする要素が満載!ほんとですよ! と言いますのも、以前このコラムで書きましたけど、私のパントマイムはナンバ、常歩(なみあし)を非常に重視していまして、これに武術的な要素が入ってきていますので、やったことはありませんけど、きっと古武術的なんだと思います。 今や古武術の身体の使い方というのは、その有用性から、一部の特殊な人たちのものではなく、一般の人たちが日常生活に取り入れるべく、取り組みが行なわれているようなんです。 ですから同じように、ここのパントマイムで学んでいることを、先の女性のように、マイム以外のところで役立てもらえるというのは、非常に重要かつ嬉しいことなんですね。 だいたいパントマイムを、本職でやっていこうとする人ばかりが、学んでいるわけではありませんし、死ぬまでやり続ける人ばかりではありませんから、それに一日のうちでも、パントマイムをやっていない時間の方が長いわけですから。 パントマイムを特殊なものとしてしまうのは、実にもったいないことだと思いますよ。 パントマイムを学びつつ、自分の日常の動作の質を、どんどんアップさせて、より健康で快適な生活を送ってもらえたら、私は本当に幸せです。他には代えがたい幸せです。 あぁ、ありがたいことです。ありがたい、ありがたい。 幸せだなぁ〜〜〜。 |
| ●2005/06/20 Mon お楽しみのクッキー? |
ウーロン茶クッキーにジャスミン茶クッキー、美味しそうでしょ。 身内から香港みやげにってもらいまして、もうひとつのお菓子が、ちょっといただけないものだったので、一抹の不安はあったんですけど、材料を見ると、マーガリンに砂糖、小麦粉といった、ごくシンプルなもので、香料も着色料も使っていないみたいで、あとはそれぞれに、ウーロン茶パウダー、ジャスミン茶パウダーが使われているだけ。 これはちょっと楽しみと。 紅茶のクッキーはよくありますけど、中国茶っていうのは、記憶では今まで食べたことがない。 それでちょっとというか、結構というか、それなりの期待をもって、まずはウーロン茶の方。 個装袋を開けて取り出してみると、どうもクッキーの色が怪しい。ウーロン茶なので、濃いめの茶色を想像していたのですが、何故か黄緑色。しかも鮮やか系。 茶葉粉末を思わせる、黒っぽいブツブツは散らばってはいるものの、この色はどうにも不自然にきれい。 どういうこと?と思いつつも、まあ、ふつうにひと口いただきました。 ふぅわっ!何これ!? 口の中だけでは収まりきれず、鼻の奥まで充満する、この香り。いや、これは香りではなく、もはや「匂い」。 この匂いは、そう、まさしくトイレの芳香剤。しかも、昔の公衆便所なんかに吊るされていた、あのショッキングイエロー色の丸い玉。 あんなものが、口の中に入ってきたかと思うと、はぁぁ、なんと言ったらいいのやら・・・。 味そのものは、特別まずいというわけではないと思うんですけど、この場合そんなことは、もちろんどうでもよく、こんなもの食べたら、死ぬんじゃないかと。 (それでも、ジャスミン茶の方も食べたんですけどね。なにしろ、食べたことないものは、試しておきたいもので。食い意地は、かなりはっております。) ウ−ロン茶パウダーにジャスミン茶パウダー。 一体これは何なんでしょう?相当にいけないもののようです。 材料がシンプルだからって、安心してはいけませんね。注意、注意。 それにしても、ああ、口の中に、いつまでも匂いが・・・。 |
| ●2005/06/19 Sun 長い階段でした |
足首がきゅーぅっと締まった女性が、階段をのぼっていまして、単に足首だけが締まっているというより、足首の上も下もずーっと締まりっぱなし、という感じ。 女性らしい美しさというのとは、ちょっとニュアンスが違うんですけどね。でもやはり美しかったんです。 ところがそんな足首より、ほんとはもっと目を奪われたところがありまして、それは「ふくらはぎ」。いや、「ふくらはぎ」というより、あれは「ひらめ筋」でした。 まるっきり無駄な脂肪がないので、縦長に左右ふたつに分かれたひらめ筋が、左右計4つ、浮き出る、浮き出る。 太く発達しているわけではなく、細いことは細い。筋肉が浮き出なければ、細くきれいな足のラインなんですよ。けれど、その浮き出たひらめ筋が、なんとも硬質的。 それなのに、はいているスカートがフェミニンって感じだったものだから、その硬質的盛り上がりをみせる「ひらめ筋」の、目立つこと、目立つこと。 その女性、後ろ姿しか分かりませんでしたけど、印象としてはそんなにアスリートぉーって、感じではなかったことも、より一層ふくらはぎを強調していまして、階段を一歩上がるごとに、右がぎゅぎゅっ、左がぎゅぎゅっと交互に、盛り盛り上がる。 足がそれだけ締まっていますから、腕も無駄な脂肪がなく細い。 今の時期にしては、結構日に焼けた感じでしたから、もしかしたら「鉄人レース」とか「マラソン」とか、耐久性の過酷なスポーツを、やっているような人だったのかもしれません。 それにしても、あんなにも無駄の削ぎ落とされた、発達しながらも細いふくらはぎ。 いいものを見させていただきました。ありがとうございます。 |
| ●2005/06/18 Sat 私は、いい餌食? |
どっふぁ〜あ〜、とんでもない買い物をしてしまいまたぁぁぁ。浄水器ぃぃ。正式名称は「磁活水生成器」ぃぃぃ。 テレアポっていうんですか、いきなりどこで知ったか自宅に電話がかかってきて、何だか結局、訪問販売。怪しいぃ〜。 4時くらいから説明を受けて、終わったのは9時近く。わ〜うぉ!ですね。 普通に考えて、こんなの絶対に買わないですよね。 つい数日前に、知人がやはり訪問販売で、えらく高い浄水器を契約したって知って、すぐさまクーリングオフをさせたばかり。そんな高い浄水器は変だよって。 それなのに、そのさらに倍くらいする、とんでもなく法外な値段の浄水器を買ってしまったんですぅぅぅ。 その値段は性能に対して、ほんとに妥当なんでしょ〜かぁ〜? まあ、でもいいんです。私としましては、納得したわけですからね。普通の流通経路には乗ってないので、今回の訪問販売がなかったら、知る由もなかったわけですし。 聞いたこともないメーカーの商品だと、たとえ性能が良くても、値段が高いと警戒してしまいがちですけど、例えば化粧クリーム。これなんて、原価を考えたら相当ぼってますよ。それでも、有名ブランドだと何故だかみんな納得して、いや却ってありがたがって買ってしまう。 化粧品なんて、大抵は原材料にかかるコストではなく、コマーシャルなどのコストを、買ってるようなもなの。それでも、納得してれば問題ないのですから、浄水器だって同じことだろうと。 ただ願わくば、次回カートリッジ交換のときに、この会社が潰れていませんように・・・。15年後なんですぅぅぅ。 |
| ●2005/06/17 Fri 画期的な汚れ落とし |
電解洗浄水って聞いたことあります?水だけで汚れが落とせるという、いっけんマユツバもの。 ふつう、油汚れって洗剤で落としますよね。洗濯物の汚れにも洗剤。髪や体も同じように、シャンプーや石鹸。歯磨き剤もですね。 石鹸は洗剤じゃない? いや同じですよ。汚れを落とす原理は、どれも一緒。「界面活性作用」です。油膜を破って、油分を浮き立たせるわけです。 ところでこの作用は当然、ひとの皮脂にもあてはまりますから、手が荒れたりするんです。皮脂という保護膜が破れてしまうわけです。 洗顔後の化粧水は、保護膜のなくなった肌に浸透する。でその後に、油分をもったクリームやリンスみたいなものを付ける必要がるんです。 でも考えてみて下さいよ。化粧水がどうのこうのより、まず洗剤の薬剤成分が、からだの内部に浸透していってるはずなんですよ。 さあそこで質問です。 洗剤や石鹸、シャンプーなどを、たとえ薄めたとしても飲めますか?歯磨きした後の泡々飲めます? いやですよね。からだに悪そうですもんね。 でも肌から浸透してるってことは、味がしないだけで、ようは同じことなんじゃない? これは界面活性剤が合成だろうと天然だろうと同じこと。原理は一緒ですからね。 何とかならないんでしょうか? というところで、あのマユツバの電解洗浄水の登場! 科学の力はすっごいですねえ。水を電気分解して作るらしいんですけど、汚れを落とす原理が全く違う。 水にマイナス電気を持たせ、汚れというプラス電気を持ったものを、くっつけて剥がしてしまう。磁石みたいなもの。 詳しいことは分かりませんけど、汚れといわれるもの、油、ほこりなどは、すべからくプラスの電気を帯びているらしいのです。 この原理なら、肌を傷めることがないのはもちろん、使用後にクリームやリンスがいらないんですよ。皮脂は破られませんからね。食器洗いでも、すすぎはごくごく簡単。洗濯のすすぎも1回でOK。 とにかく洗剤成分がもともと無いので、ヌルヌルが残らない。なにしろ水ですから。 びっくりしましたよ。スプレーでシュッシュッてすると、ほんとコマーシャルみたいに、汚れがすーっと落ちていく。 いやあ、こんなことってあるんですねえ。 これからの時代は、界面活性作用ではなくて、マイナス電気の力ですね。 |
| ●2005/06/16 Thu また集合意識 |
この間、集合意識とか神の話をしましたけど、そのとき「人間はひとりひとりに意識があるけど、他の生き物は集団とか種でひとつの意識がある」って書きましたよね。 数日前に見た蟻の行列。まあ、なんとたくさんの蟻たちが、整然と働いていることでしょう。まさに不可能を可能にしてるような、人知を超えた世界ですよね。 この蟻の行列、先の意識をキーワードに、人間の血液の流れとダブってしまいました。 血液に意識があるなんて、だれも思いませんよね。とはいえ顕在、潜在問わず、ひとの意識というもので動いている(働いている)わけではない、ということは確かでしょう。 さすれば、血液にももしかしたら、彼らなりの意識があるって、考えても悪くはないかなと。 血液とか筋肉(随意筋も不随意筋も)とか何でも身体を構成するものは、みーんなそれぞれ意識があって、その集合意識がひとつの肉体をつくっているのかも。 その肉体の意識と、自分が自分であるというような人間としての意識とが、組み合わさって、いわゆるひとりの人間としての意識になるのかしら?と考えてみました。 何が言いたいのかと申しますと、やはり全ては意識の繋がりなんであろうなってこと。 集合意識っていうのは、個と個が繋がったネットワークのことを指すのであって、決して全体という枠の中に、ばらばらで個が存在するわけではないってこと。 そうでなければ、人間がうまく生きて行けませんもんね。血液が他を無視して勝手なことされたら、困りますよ。 病気というのは、そういうことなんでしょう。ネットワークの一部が切れてる状態。 今は、あっちこちでネットワークが切れてるんでしょうね。 ひとりの人間の中で。世界の人間の中で。地球上の生き物の中で。地球という星の中で。 血液が勝手しないでいてくれるように、私もあまり勝手しないようにしないとなぁ・・・。 |
| ●2005/06/15 Wed ちょっと気の重くなる話 |
『エコロジカル・ダイエット』っていう本知ってます? アメリカの食肉産業の実態を、取り上げたもので、かなりショッキングな内容です。きっと日本でも似たようなものなんだろうと思いました。 読んだのはかなり前なんですけど、なんだか思い出してしまいました。 ここで書くのはどうかとも思ったんですけど、思い出してしまったというのも、何かあるのでしょうし、こういう現実が隠れたところにある、ということを知っていて悪くはないと思い、あえて書くことにしました。 一番衝撃的だったのは、鶏に関すること。 卵って当たり前ですけど、雌しか産むことが出来ないんです。卵を産めない雄は、役立たずなんですよ。しかも食肉用にまわることもないんです。 産卵用と食肉用とでは、品種が違っているのか、産卵用として産まれてきたヒヨコたちも、雄だと分かった時点で、用無しになってしまうんです。 雄ヒヨコは育てても意味が無いんですよ。どうすると思います? そうです、処分するんです。 「処分」って、モノじゃないんだからって思いますよね。で、言い換えると、殺すってことです。 「殺す」って、もっと酷いじゃないって思います?でも現実はもっと酷いですよ。処分と殺すをいっぺんにやってしまうようなものです。 この方法を知った時はもちろん、今こうして書きながらでさえ、胸が苦しくなります。 この事実を知る前に比べれば、とり肉も卵も食べる量は減らしましたけど、それでも全く食べないわけではありませんから、自分も加担者のひとりなんでしょうけど・・・。 もちろん全てが、こんな酷い扱いを受けているわけではないことは、分かっています。ほんとに愛情いっぱいに育ててらっしゃる方たちも、大勢いらっしゃると思います。 けれど、安価で生産されている背景には、一部こういうことも、行なわれているということです。 (今、日本がどうなのかは無責任ながら、私わかりません。すみません。) では最後に、その処分方法です。(読まない方がいいかもしれません) 大量のヒヨコの雄・雌を次から次へと判別をしていき、不用な雄を躊躇なく、どんどん大きな黒いポリ袋に、生きたまま放り込んでいきます。そして、袋がいっぱいになると、上から足で踏みつぶして、さらに詰め込んでいくのです。 こうして、処分と殺すということを同時に、行なっているのです。 |
| ●2005/06/13 Mon 人類滅亡!の危機に、生き残れるか? |
なんで人間は自分たちが、特別な生き物だと思いたがるんでしょ?まるで生命の進化の最終点でいたいかのよう。もっと言えば、他の生き物とは次元の違う、全く分離された存在だと思いたがっているみたい。 DNAが猿や犬とほとんど変わらない、という結果に何を驚くのか? 生き物はそれぞれ、何の能力に秀でているかというだけで、そこに優劣はないはず。 人間は知的能力が発達したけど、空を飛んだり、速く走ったりとか、他に虫だって草だって、みーんな何らかの能力を発達させることで生き延びてきてる。 人間がまるで、進化の最後に現れたかのように見えるのは、単に何億年も前の段階では、生き延びられるだけの知的能力が、発達していなかったにすぎず、ようやくここ何千年かで、発達が追いついたっていうことなんじゃない? 地球誕生以降、様々な生き物がそれぞれの能力を発達させながら、環境に対応出来なかったものは絶滅し、対応出来たものや、別の能力に活路を見い出せたものが生き残りって、そういうことを繰り返してきただけ。 これって進化?適応じゃない? だからこそ様々な生き物がいるわけで、進化であれば徐々に、ひとつに集約されていくはず。枝分かれなんてするはずがない。 それで今、人間は自分の知的能力を、持て余すくらい発達させてしまって、いろーんな弊害が出てきてしまったのかな。 環境問題、クローン技術を巡る問題、延命や生前検査などなど。 以前にも書きましたけど、ここで登場するのが、人間がもつもうひとつの偉大な能力(どんな能力も偉大なんでけど)、「心」。 やっぱりこれがキーワードなんでしょうかねえ。 心の発達(発達ってことばは、ちょっとそぐわないですけど)に意識を向けないと、これからは生き残っていけないのではないでしょうか。 人間絶滅の恐れって、きっと「知」の暴走が招くんでしょうね。 う〜ん、生き残れるかなあ・・・。 まあ、これまでも自分の知的能力が十分だったとは、とても思えないのに、生きてきたから、なんとかなるのかしら? いやいや、他人任せではいけない。って、食欲なら他人に分けてあげられるくらい、十分あるのに・・・。 |
| ●2005/06/12 Sun いつでも食欲の季節ですよ |
よく食べる人だっていうイメージが、あるみたいなんですが、いやほんとにその通りでして、かなり食い意地は張っております。 特に飲み会みたいな席ですと、お酒を飲まないということもあって、それはそれは食べます。食べ続けます。 それも、温かいものは温かいうちに、ドレッシングのかかった野菜は、水っぽくならないうちに、お刺身などの生ものは乾燥しないうちにって、すこしでも美味しい状態のものを食べたいので、出されるとすぐに手を付けてしまいます。 さらに、貧乏人根性というか、出されたものを残すということに、非常に大きな抵抗を感じるので、人の分でも何でも気になってしまいます。 大皿料理が変に少し残っていたりすると、気になって気になって仕方ない。別に私が食べる必要性は、全くもってないのですけど、自分がその残りを食べるなら(大抵は食べたいんですけど)、そう、少しでも美味しい状態で食べたい。 あぁ、どのタイミングで箸をのばしたらいいんでしょう? こんな自分が、情けなく、不憫でなりません。 と書いてくると、物凄い大食いのようですが、定食みたいなものを、外で食べると、全部食べるのはちょっときつぃなって、思うくらい、量を多く感じるんですよ。他の人はよく食べられるなって。 これは自分でも、ちっと不思議。 ただ、ひとつ思い当たるふしはあるのです。 そんなお腹いっぱいの定食の後でも、デザート・スイーツなら、いくらでも頂きますよって、戦闘準備は出来てる気がするんですよ。 きっと、いや絶対、私の別腹はメインの本腹(?)より大きい。それもかなり大きい。 あぁ、なんだってこんな恥ずかしいことを、書いているんでしょう・・・。あぁ・・。 |
| ●2005/06/11 Sat 蒸し暑さも飛んでしまいますね |
今日はちょっと、びっくり嬉しいことがありました。 「晴海トリトンスクエア」でのパフォーマンスを、予定を変更して、『私は授かった』ではなく『イアディージュ〜誕生〜』をやったんですけど、4歳だという女の子が、いたく気に入ってくれまして、1時間以上も後の2回目のパフォーマンスも、待っててくれて、見ていってくれたんですよ。 このパフォーマンスは大人の目から見ると、とても子供が興味を持ちそうな感じはしないと思うのですが、意外にも子供は、興味津々で楽しんでくれるんですよね。 それでその女の子が言うんです。 「ずいぶん、いいパフォーマンスですね。」って。 いやぁ、ありがたいやら、はずかしいやら。でもほんとに嬉しい限りですよ。 そして、びっくりしたことに、以前にも見たことがあるって言うんです。それも2歳の時にって。 は〜ぁ、憶えてるもんなんですねえ。 それともやはり特別なのかしら?とっても利発そうな目をしていましたから。 そういえば、2年くらい前にトリトンで、この『イアディージュ』を、やっぱりえらく気に入ってくれて、一時期毎週のように見に来てくれてた女の子がいたんですよね。ようやく喋れるようになったくらいの子。 その子なのかしら? まっ、その子だったにしても、そうでないにしても、あんなにも目をキラキラさせて、「おもしろかった」って言ってもらえて、今日はとっても幸せです。ありがとうね。 |
| ●2005/06/10 Fri 今朝ひとりで、興奮してしまいましたが・・・ |
今朝、神様がいるのか、いないのかってことを、考えていたら、ほぼ直感的に思ったんです。 「神っていうのは集合意識のことだ」って。 誰もが納得できるような、説明はできないですけど、こんな風に考えてたんです。 人間以外に神なんてことを、考える生き物はいないだろう。 神は単に人間の意識の中にしか存在しないのか? いや、考えなくたって、意識しなくたって、いるものはいるんじゃなかろうか。 日本という国は、日本人の集合意識であろう。国という実体は無くても、集合意識として存在している。 動植物も、個体ごとの意識は無くても、集団ごと、種族ごとの意識はあるのではないか。 (人間の身体に例えたら、手とか足はそれぞれの意識は無いけど、ひとりの人間としての意識下にあって、調和のとれた活動をしている、みたいなこと。) 地球も生きている、と言われることがあるってことは、地球に意識があるか、それとも動植物のように、集団(太陽系か、銀河か)としての意識下にあるのではないか。 そう、つまり(って何がつまりなんでしょう?)集合意識は、実体はなくても存在していて、一方、個の意識の集合なのに、まるで個とは別に、切り離されて存在しているかのよう。 日本という国が、実体は無くても存在していて、一方、私たち個人とは別に国が機能しているかのように。 神というのは、これと同じことなんではなかろうか。 人間以外の意識も含めて、あらゆる意識の集合なのではなかろうか。 私たちと別に、神という存在があるのではなく、私たちが、神をつくる構成員のひとりなのではないか。 こう考えると、よくいわれる「ひとりひとりの中に神様がいる」とか、「神に似せてつくられた」とか、「みんな神の子」みたいなことが、納得出来ます。 なんたって、私たちひとりひとりが、神様の一部なんですから。 こんなこと、みんなとっくに分かってるのかしら? 今さらなんでしょうか・・・? |