「大嫌い」から「大好き」?

 私は、地域防災のリーダーとして、指導及び… と、はじめたい所ですが、私が「大嫌い」だった地域活動や消防団活動が「大好き」になったまでを述べたいと思います。

 私が入団した平成2年6月頃の日本は、バブル経済の末期、地域経済も隆盛を極めていました。その頃の私は、地域活動や消防団活動など自分の生活と最もかけ離れていて、むしろ暇と金があり、かつ、目立ちたがりやの人がするものだと思っていました。

そんな気持ちを持っていた私の入団きっかけは、当時一サラリーマンから父の経営する建築業に見習として転職したばかりという事と、父が自治会長だった為自然と精神的圧力等かかり無理やり入団させられてしまいました。

自分の住んでいる地域のことなど全く関心のなかった私に突然の過酷な任務が与えられ不安な気持ちになった事を思い出します。知人や友人からは「消防団!? 酒飲み団だろ」とか「火事の時の交通整理専門屋だろ」などというような「そんなこと俺にはやってられっか」の意見ばかりでした。

私は、消防団の制服や作業服を着て町に出るのがとても嫌で入団した1年目は訓練等消防活動に両手の指で数える事の出来るほどしか出席していませんでした。
そんな私を更に不安に陥れたのは可搬ポンプです。 あのセンスの無い手引きポンプ及び、ロボットのように動きまわる隊員、路上訓練中通り行く人々の前で絶対言いたくない指揮者の想定など辞めたくなるような事が続々と表れる中ある日、私の消防人生のスタートとなる大きな試練が襲ってきました。それは消防操法大会の選手任命でした。人前で恥を掻くことが一番苦手の私は、その日以来毎日のように操法訓練に没頭しました。

そして、あんなに嫌いだった操法訓練を更にやる気にさせたのは私の所属する第六分団が、7個分団の中で矢口消防団設立以来一度だけ6位、後は全て7位というすばらしい歴史を持った分団だったので「その歴史をぬりかえてやる」と強く思い一生懸命訓練に励みました。
私の狂ったような思い入れと一癖も二癖もあるすばらしい先輩方のお蔭で操法大会「優勝」という栄光に輝きました。その「優勝」がきっかけに自分の地域リーダーとしての消防団活動に責任感が生まれ「大嫌い」から「大好き」変わったのでした。
今では無理やり消防団に入団させた亡き父親と素晴らしき仲間達に大変感謝しています。

最後にどこの消防団でも団員数の確保が厳しいようです。今現在私が入団した頃の時代とはかなり違ってはいますが、その頃の私のように「地域活動なんて」という気持ちでいる人々は変わらずたくさんいると思います。しかし私自身その人々を「大嫌い」から「大好き」にする方法は未だにわかりません。

 

この文章は、毎年行われる消防団員の意見発表会に参加する為に作成したものでした。
矢口消防団を代表して出場する予定でしたが、私達の分団は東京都消防操法大会に出場する為に訓練に励んでいた為、他分団の方に譲り意見発表会への出場は断念しました。