Hahnenrippen 出張所:
Wikipedia記事について思うことあれこれ


 Wikipediaの記事はまさに玉石混淆。
 すばらしい記事もあれば、とんでもない記事もあります。
 そういったWikipediaの記事についてあれこれ思うことを書き連ねてみました。





 「銀河英雄伝説」のビッテンフェルト提督の名前のもとになったと思われる、エーベルハルト・ヘルヴァルト・フォン・ビッテンフェルトという将軍がいる。プロイセンの軍人で、普墺戦争でエルベ軍を指揮していた人だ。
 日本語ウィキペディアではプロイセン軍「左翼」を指揮していた、と書かれているが、エルベ川とシュレージエンの位置関係を見れば明らかなように、正しくは「右翼」の指揮官である。(地図)
 ちなみに、何と言うことか、ケーニヒグレーツの会戦のページは日本語ウィキペディアには存在しない。
(24. 05. 2012)


 「首都」の項目を見ると、オランダのベアトリクス女王が亡くなって、ウィレム・アレクサンダー王太子が暫定政権を立てているようなことが書いてある! まだ元気だぞ、女王様。
(17. 2. 2012)


 「バーケンヘッド級軽巡洋艦」の項のカナ書きがおかしい。
 このクラスはギリシャ向け建造艦を買収したものだが、原名を Αντιναυαρχος  Κουντουριωτης Antinauarchos Kountouriotis と、 Λαμπρος Κατσωνης Lampros Katsonis という。
 これを日本語ウィキペディアでは「アンティノアクロス・コンドーリオティス」「ランブロス・カトソニス」と表記しているのだが、どう見ても「アンディナヴァルホス・クンドゥリオティス」と「ランブロス・カツォニス」である。「アンティノアクロス」なんてどこから出てきたのか。
 別にギリシャ文字を読めなんて言ってない。英語版を開いてラテン文字を読めばいいだけである。やっぱりウィキペディアンはアルファベットが読め(ry
 Antinauarchos も、anti- nau- archos と分離すれば、「前」「航海の」「長官」=海軍中将、ということがわかるが、まあそこまではウィキペディアンには問うまい。しかし書いてある文字をそのまま読む努力はしてほしいものである。
(15. 2. 2012)


 2012年2月現在、ウィキペディア日本語版には「JDAM」という項目と「統合直接攻撃弾薬」という項目の二つが同時に存在するが、この二つは同じものである。他言語版へのリンクは両方とも同じ項目へのリンクになっているし、後者にはご丁寧にも前者へのリンクまで貼ってある。


 日本語ウィキペで「マニラ湾海戦」を引くと、英語名称が “Battle of Manira Bay” と書いてある……。
 もちろん「マニラ」の正しいつづりは "Manila" である。
 あと気になるのが、「スペインのアジア艦隊はこの戦いで全滅した」とあるところで、在フィリピンのスペイン艦隊の名称は「太平洋艦隊 la Flota Española del Pacífico」であったはずである。
 ウィキペディアの編集なんて、すぐそこにつづりや用語を確認できる手段があるのに、この惨状はどういうことか。
(7. 2. 2012)


 ウィキペディアンは第二次世界大戦では太平洋戦域にしか興味がないのか、ラプラタ沖海戦の参加艦艇のうち、「エクセター」には個別ページがあるが、「エイジャックス」と「アキリーズ」には個別ページがない。装甲巡洋艦「アキリーズ」と甲鉄艦「エイジャックス」にはページがあるのに……。
 それにしても、「アキリーズ」はニュージーランド海軍所属で、ソロモン諸島にも出撃して日本軍の空襲で損傷したりしてるんだがなあ。
 「アキリーズ」のページは変なページで、英語以外に存在する言語版は、チェコ・ドイツ・ハンガリー・ノルウェー・ロシア・フィンランド・ベトナムという変な取り合わせである。あの変態民族ポーランドがないのも珍しい。
(7. 2. 2012)


 「レオニード・ニコラビッチ・ゴッドヤット」という項目がある。日露戦争の旅順攻防戦で、ロシア側で迫撃砲を発明した人だ。
 しかしこの人の名前は Леонид Николаевич Гобято Leonid Nikolayevich Gobyato なので、明らかに「レオニード・ニコライエヴィチ・ゴビャート」だと思う。d と b を間違えてるぞ!
 英語版もあるのだから、やはりウィキペディアンはアルファベットが読めないのではないか。

 関連項目として「迫撃砲」の項を見てみたら、ゴビャートの迫撃砲の呼び名“Бомбомёт”「ボーンプィエ」というカナが振ってあった。キリル文字が読めないなら読めないでいいから、むちゃくちゃなカナを振るのはやめてほしい。おそらくこれの読み方は「ボンボミョート」である。
(5. 2. 2012)


 以前、「モニター艦」の項目の内容が非常にひどくて、北軍の「モニター」の直系の初期のモニターまでもが対地砲撃用であるかのように書かれていた。
 それが、この前開いてみたら、ちゃんと初期の対艦モニターとその衰微の話と、第一次大戦に登場した対地モニターの話が、しっかり分けて書いてあるように直っていたので感心した。
 これでもうひとつ、ヴェトナム戦争時の重武装河川舟艇のモニターのことがちょこっと載っていれば完璧なのだが、それは高望みか。
(5. 2. 2012)


 2012年1月18日現在、「ウィーナー・ノイシュタット」Wiener Neustadt の項の地図上の市の位置がまちがっている。
 地図上で赤く示されている町は、ヴィーナー・ノイシュタットではなく、ヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス Waidhofen an der Ybbs である(ドイツ語版が正しい)。


 なに人が書いたのか知らないが、オーストリアのフォアアールベルク Vorarlberg 州の町(ドルンビルンとかルステナウ)を引くと、「フォアアールベルク」を「フォラールベアーク」と書いてある。
 アレマン語ではそう言うのだそうだが、オーストリアの地名は標準ドイツ語で書くべきじゃないのかね。Salzburg 「ザルツブルク」としか、Sankt Pölten「ザンクト・ペルテン」としか書いてないぞ。現地発音ではルツブルク」「ンクト・ペルテン」なのだが。
 Hohenems の項が一番ひどい。
“「ホーエネムス」はアレマン語のうちシュヴァーベン語に属する現地のオーストリアアレマン語の表記で、標準ドイツ語では「ホーヘネムス」と表記される。”
 逆だろう。Hohen 「ホーン」と発音するのがオーストリア風だ。ヴィーン西駅で Lehen 駅まで切符を買おうと思って「レーエン」と言ったら通じなかった。「レーヘン」だったのだ。
 それと、「ホーヘネムス」ではなく「ホーエンエムス」だろう。リエゾンさせるなよ。
(19. 01. 2012)


 ソ連の軽巡「クラスヌイ・クリム」を検索した時、ウィキペディアのページはヒットしなかった。
 さすがにこんなマイナー艦はページがないか、と思って Красный Крым で検索し、ロシヤ語ウィキペディアのページを開くと、なんと日本語版へのリンクがあるではないか。
 おかしいな、と思ってリンクを開くと、ページの題名は「クラースヌィイ・クルィーム」
……確かにそれが正しいのは認める。しかし、日本人が検索する時にどんな文字列を入力するか考えれば、その表記でしかヒットしないのでは困るだろう。「クラスヌイ・クリム」「クラスニイ・クリム」「クラスヌイ・クルイム」あたりもリダイレクトでそのページに飛ばすようにしないとまずいんじゃないの?
 私の守備範囲のドイツ語で言えば、「アドミラル・グラフ・シュペー」ではヒットせず、「アトミラール・グラーフ・シュペー」と入力しなくてはいけない、ということになっているようなページがあったら、それは百科事典としては落第だと思う。
(ちなみにシュペーの日本語ウィキペディア表記は「アドミラル・グラーフ・シュペー」である。)
(6. 12. 2011)


 ウィキペディアに「マイゼン・シュレーディン効果」という項目がある。クレイモア地雷に応用されている現象のことらしい。
 この「マイゼン・シュレーディン」だが、英語ウィキペディアを見ると、つづりは“Misznay-Schardin effect”であり、どう見ても「ミスナイ・シャルディン効果」としか読めない。特に「マイゼン」の「ゼン」なんてどこをどう読んだものなのか。ウィキペディアンはラテンアルファベットが読めないのか?
 ロシヤ語版を見ると、эффекта Мижней-Шардина effekta Mizhney-Shardina とある。これを見ても、どう考えても「マイゼン・シュレーディン」にはなりそうにない。
(6. 10. 2011)


 日本語ウィキペディアの「はつゆき型護衛艦」の項と「広開土大王級駆逐艦」の項を読みくらべるとなかなかおもしろい。ダブルスタンダードだよJAP!
(19. 3. 2011)


 ふと思いついてウィキペディアの「蔚山沖海戦」「黄海海戦」の項を開いてみて、そのあまりのお粗末さに驚いた。
 「蔚山沖」は出典未詳の逸話ばかり載っていて(「出典厨」はこのページを見てないのかね?)戦闘の経過がまるで不明、時系列に誤りもあるひどい内容だ。
 「黄海海戦」は参加艦艇の一覧すらない上に戦闘の経過も極めておざなり、別名の「8月10日の海戦」という名前も載っていない。さらには本海戦の経過がイギリス海軍に遠距離射撃の重要性を印象づけて砲術の革命の一因となったということも書いていない。
 一方、英語版Wikipediaの記述は実に詳細で、なぜ日本語版はこれの全訳を載せないのだろうと思うほどだ。
 「日本海海戦」の項も、一節ごとにツッコミどころがあるトホホな出来で、とても人にお見せできる代物ではない。「(三笠の)三番砲塔」などと書いてあるぞ。
 NHK「坂の上の雲」で日露戦争に世間の興味が集まるであろうこの時に、日本語ウィキペディアがこのありさまとは恥ずかしい限りである。

 ちなみに日清戦争の黄海海戦の項もこれに輪をかけてお粗末なものである。
 しかもこの項の英語版は一貫して清国艦隊側から戦闘を描いていて(それはそれで興味深いが)、日本艦隊の意図その他がまるでわからない。
 ウィキペディアンには明治海軍を愛している人がまるでいないらしい。
 じゃあお前が書けって? とんでもない、ウィキペに書くくらいなら自分のサイトに書きますわな。

 驚いたことに、日本語ウィキペディアにはサンティアゴ・デ・クーバ海戦の項がない。ポーランド語版にはあるのに……。
(5. 12. 2010)


 ウィキペディアの「黒井悌次郎」の項目が少し変。海軍陸戦重砲隊配属が明治38年1月(旅順陥落後!)になっているように読める。
 これは直前の記載と照らし合わせて考えると、重砲隊編成とともに隊長に任ぜられ、二〇三高地奪取・旅順艦隊壊滅後の37年12月中旬以降に香港丸に帰任、38年1月まで南遣艦隊に勤務して、旅順陥落後の38年1月12日に旅順口工作廠長に任ぜらる、というのが正しい順序だろう。
 香港丸の行動とあわせ考えると、南遣艦隊には結局行ってない可能性もある。

 「明治三十七八年海戦史」を開いてみた。
 黒井中佐は重砲隊編成前から第二軍上陸地点警備のための陸戦隊指揮官をやっており、6月23日の重砲隊編成とともに隊長に任じられている。
 そのまま旅順陥落まで重砲隊指揮官を務め、陥落後は海軍物件の受領委員長を兼務している。
 その後2月7日に旅順口鎮守府が開府され、黒井中佐は旅順の海軍物件を鎮守府に引き渡している。重砲隊が最終的にどう解隊されたかは不明。規模を縮小してそのまま鎮守府所属なのかな?
 一方、香港丸は11月29日には南方警備を命ぜられて12月13日に出撃している(南遣艦隊所属ではなく、連合艦隊直属の独立部隊らしい)から、黒井中佐は南方警備には参加していない。この警備行動は38年1月まで行われ、香港丸は1月18日に佐世保に帰着している。
(1. 12. 2010)


 ウィキペの「オーストリア・ドイツ語」の項に、「オーストリア・ドイツ語と標準ドイツ語の対比表」がある。
 その中に、Palatschinken = Pfannkuchen = ホットケーキ とあるのだが、パラチンケンはホットケーキじゃないぞ。もっと薄くて、中に具を巻き込んで食べる、クレープに近いものだ。
 もう片方の「プファンクーヘン」を画像でぐぐってみても、出てくるのは、パラチンケンのような、薄手の、具をはさむやつだ。Pancake でぐぐってみると、そのちがいがよくわかる。
 日本語の部分だけ「クレープ」にすればいいんじゃないかな。

 そういえば母とヴィーンに旅行に行ったときに、一度食べてみるかと思ってシュヴェーデンプラッツ近くのパラチンケン屋に入り、適当に頼んでみたら、何が入っているのか、きわめて異様な味とにおいがしてほとんど食べられなかった、ということがあったなあ。あれはいったい何が入っていたのだろう。名前をメモしておくのだった。いまならデジカメで撮っておくところだったのだが。
(1. 12. 2010)


 なんかここだけアンサイクロペディア。
(1. 12. 2010)


 英語やフランス語のウィキペディアを引いてみると、明治時代の巡洋艦「畝傍」は 「"Forges et Chantiers de la Gironde" 「ジロンド鉄工造船所」で設計建造された」と書いてある。
 ジロンド造船の造船所はその名の通りボルドー近郊のジロンド川沿いにあるので、「畝傍」が、日本で知られているようにル・アーヴルで建造されたことが確かならば、英仏語ウィキペの記述は誤りである。
 ジロンド造船は有名な火砲メーカーのシュナイダー社(カネー技師もシュナイダー社の社員である)の系列なので、ジロンド造船で船体を建造してわざわざメディテラネ造船で艤装するというのも不自然だ。
 英仏語の記述は何をもとにしているのだろうか?
(9. Sept. 2010)


 翻訳のネタ用に、ナポレオニックの会戦の記事をあさっているのだが、案外いいものがない。
 思うに、英語 Wikipedia の記事があまりに詳細でかつまとまっているので、他の人が何か書こうという意欲をそいでしまっているのではないか。
 実際、英語 Wikipedia のナポレオニック記事は実に充実している。ライター(エディター)にかなりのマニアがいるようだ。
 といって、Wikipedia を翻訳するのもなー。
 ちょっと困っているこのごろなのであった。
(6. 8. 2010)


 2010年6月末現在、驚いたことに、日本語Wikipedia にシュヴァルツェンベルク元帥の項目はない。
(3. 7. 2010)



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