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平成18年9月24日(日)
♪ 「涼宮ハルヒの溜息」
(谷川流著、角川スニーカー文庫)
涼宮ハルヒシリーズ第二巻。 今回は映画。 SOS団の面々はどんな目に合わされるのでしょうか。 流れで読むライトノベル、なかなかです。
平成18年9月24日(日)
♪ 「一万年の天皇」
(上田篤著、文春新書)
帯に『戦後60年でも、近代140年でも、皇紀2600年でもなく - 縄文以来、一万年の単位で「天皇」を取り戻そう』と書いてあったので、何も考えずに買ってしまいましたが、ちょっと後悔。
天皇制に対する筆者の考えはなかなかユニークです。
ところで、著者には失礼かもしれませんが、ところどころに挿まれているコメントのほうがよほど大事だと思うのです。 むすびで書かれていることや、あとがきの阪神大震災の裏話の方が、よほど意味があります。 あと、ひらがなが多いのはわざとでしょうか。
平成18年9月18日(月)
♪ 「涼宮ハルヒの憂鬱」
(谷川流著、角川スニーカー文庫)
高校の入学早々、新入生の自己紹介のとき後の席の美少女が、いきなりとんでもないことを口走ったら、あなたは一体どうするか。
といった感じの書き出しで始まる本作。 世界観の作り方、話の進め方、登場人物のユニークさ。気に入りました。 ライトノベルでそろそろ面白い作家がいないかな、と思っていたところなのですが、なかなか手が出せなかったのは、最近立ち読みする時間が無くなってとりあえず読んでみて面白かったら買おうということができなくなったせいかなと思っています。
世間では面白いと評判だったのですが、学園物は最近たくさん出るようになったので却って遠慮してたのですが、遠慮してて損したと言う感じです。 まあ、そのかわりシリーズ物をこれから何冊か読めるというわくわく感がありますので、相殺ですかね。 はまる人ははまると思います。
平成18年9月18日(月)
♪ 「在日の耐えられない軽さ」
(鄭大均著、中公新書)
著者は父親が朝鮮の人、母親が日本の人である在日の人です。 著者の在日論は政治化しておらず、血肉が通っているものの様に感じられます。 題名は「存在の耐えられない軽さ」をちょっと捻ってつけています。 父のこと、母のこと、自分のこと、そして妹のことについて語られる本書は、自叙伝風でもありますが、マスコミで喧しく語られている在日論とは少し毛色が変わっています。 著者の父親も著述業の人で、かなり有名な人だったようです。
さて、この本の中で一番興味を引いたのは以下の部分です: (p.184-185) だが、在日がコリアンであるとか外国人であるということは、本当に自明なことだったのだろうか。先にも記したように、朝鮮・台湾出身者の日本国籍は、一九五二年の民事局長通達で一律に喪失したとされるが、ということは、例えば一九四八年生まれのわたしは、生まれてから四年ほどの間は、日本人だったということを意味するのだろうか。いや在日の日本国籍は今でも存続しているのだという人もいる。国際法学者で東大教授の大沼保昭氏によれば、民事局長通達による国籍剥奪措置は、国籍を法律事項とする憲法第十条に反する意見向こうの措置であり、したがって在日韓国・朝鮮人の日本国籍は潜在的には今でも存続しているのだという(略)。 にもかかわらず、日本人も在日も、在日の外国籍を自明のものとして行動してきたのはなぜか。おそらく重要なのは左派。進歩派系知識人の役割であろう。なぜならば、日本社会で、在日に恒常的な関心を寄せ、その擁護者や専門家を任じ、在日論者として活動してきたのはこれらの人々であり、彼らは一九五二年の民事局長通達を批判しながらも、だから五二年以前の在日には日本国籍があったのだとか、だから在日には今でも日本国籍があるのだとは決していわないからである。なぜなのか。彼らの活動は長い間、北朝鮮労働党の支配下にある朝鮮総連に歩調を合わせたものであり、朝鮮総連は在日を在外公民と位置づけ、在日の使命は南北の統一、韓国の民主化にあるといっていたからである。つまり日本の左派・進歩派系知識人は、「帰化は同化である」とか「帰化は民族的裏切りである」などという朝鮮総連のプロパガンダの流布に協力しながら、在日が日本社会に統合されることに反対してきたのであり、それは最近では「外国人参政権法案」の推進という形で、今度は民団との関係によってそのことが実践されているのである。(略) (p.186-187) かつて朝鮮総連と歩みをともにする日本人知識人が奇妙なことをいっていたように、今日、民団と歩みを共にする日本人知識人もおかしなことを言っているなと思う。(略) 左派・進歩派系の日本人知識人はかつては差別にたいする批判者として、今日では多文化共生の実践者として在日の擁護者を装っているが、彼らは在日が日本社会に統合されることに反対してきたという意味では、在日たちからライフ・チャンスを奪ってきた人々であるともいえる。(略)
自叙伝風の書き物ではあるけれど、上記の記述からは、何事かが読み取れるような気がするのですが。 在日の苦労を重化させたのは誰か。興味深いところです。
平成18年9月16日(土)
♪ 「美しい国へ」
(安倍晋三著、文春新書)
自民党総裁選前に読み終わりました。 ご存知平成18年秋の自民党総裁選立候補者の中で一番人気の安倍氏の本です。 内容はまあ普通の本といったところ。バランスはいいと思います。 特に可もなく不可もなくと言ったら厳しすぎるでしょうか。
それにしてもところどころさりげなく挿まれている、特定勢力に対する恨み節は、さすがというかなんと言うか。 まあ、事実だったら反論なんてできないんでしょうけどね。
小生は麻生さん支持なのですが・・・もし安倍さんが自民党総裁、ひいては総理大臣になったとしても、麻生さんには外相とか続けて欲しいものです。面白いし。 谷垣さんはごめん、いらない。
平成18年9月16日(土)
♪ 「戦術と指揮」
(命令の与え方・集団の動かし方)
(松村劭著、PHP文庫)
元自衛隊陸将補の松村氏の著書。 軍隊における戦術というものは存外応用範囲が広い。その基本的なところを解説している本です。 基本の解説の他、シミュレーションが3題あって、なかなか読み応えがあります。
挿入されているコラムが秀逸なので、いろいろ考えさせられます。 現代日本人は軍事アレルギーがありすぎますが、教養として最低これくらいは認識しておかなくてはならないでしょう。
平成18年9月10日(日)
♪ 「数年後に起きていること」
- 日本の「反撃力」が世界を変える -
(日下公人著、PHP研究所)
日下さんの本です。 日本人は自信を回復し世界に羽ばたこうとしている、という日下さんらしい愛情のあふれた本です。 日下さんは日本を褒め過ぎるので、却って慢心してまずいのではないかとも時々思うのですが、かといってみんなが日下さんの発言を妄信してそっちの方面にも転ぶこともどうやらなさそうなので、最近では、まあいいかと思っています。
面白い切り口としては、上流と下流は同じような生活スタイルになってしまう、というくだり。 この観点は正直に言って、無かった。 もう一つの切り口は、「中国は外交下手で昔から失敗ばかり、これからも」という話。これは盲点で、しかも納得できる。中国は古代から世界政府で外国がなかったからである。さすが。
あとは、ドラえもんやポケモンが世界の子供達の共通認識になるだろうこと。 これはマンガやアニメが基本的に日本精神をベースにしているからで。 欧米やその他世界各国と世界観が違う日本の文化が、アニメやマンガを媒介として世界に広がる、面白いですね。
ここは麻生さんに総理大臣になってもらって、もっと日本のアニメやマンガからくる日本精神を世界に広げることができれば、世界は平和になるんじゃないでしょうか。 妄想ですけど。
日下さんの本は、視点が独自で面白いです。
平成18年9月2日(土)
♪ 「儒教と近代国家」
「人倫」」の日本、「道徳」の韓国
(朴倍暎著、講談社選書メチエ)
日本と韓国での、近代と儒教思想についての関わりを論じた本です。 日韓とも儒教の路線を守りながら近代化を目指したのですが、その路線の違いにより両国の近代化の道のりは異なりました。 その是非ではなく、両国ともどういう思想を辿ったのか、という歴史的背景を観察した本です。
著者は韓国の人で、韓国と日本でそれぞれ哲学や論理学を修めた人ですが、こういった観点で日韓を論じたのは初めてでしょうか。
特に韓国での近代化の歴史は、やはり韓国の人が書いたものを見るに限ります。 儒教は死んだ学問ではなく、ひょっとしたら現代思想として甦らせる事ができるかもしれないですね。それも決して復古主義的なものではありえない形で。
平成18年8月22日(火)
♪ 「本気で言いたいことがある」
(さだまさし著、新潮新書)
さだまさし氏が様々なことを語ります。 今の日本の社会に対する不満、そして日本への限りなき愛情が注がれています。 さださんらしい、優しくそれでいて力強い文章です。
この本で一番印象に残った文章
僕は「炭鉱のカナリア」でありたいと思っているんです。 (中略) それに、考え方を帰るなら、そういう唄を、僕が自由に、思うように歌えている間は、何のかんの言ってもこの国はまだ健全だし、大丈夫と言うことでしょう。 ただ、何らかの理由で - それが見かけ上、どんなに小さなことでも - 僕が自由に歌えなくなることがあったら、つまりカナリアが黙ることがあれば、それは危険の合図だと思って下さい。
さださんが、ずっと考えていたことが語られています。
この本を読んで、ますますさだまさしという人に、興味を覚えました
平成18年8月15日(火)
♪ 「転回期の科学を読む辞典」
(池内了著、みすず書房)
天文学(Astronomy)からゼロ(Zero)まで、様々な題目を元に科学の来し方行く末を案じている書。
池内先生って兵庫県のご出身だったんですね。 この本も新聞の書評で面白かったので買ったものです。 常温核融合の項、55ページ、常温核融合を否定した有馬氏を描いたくだり、
東大の教授で原子物理学の権威であった有馬朗人死は、「これが本当であれば丸坊主になる」と宣言した。(まだ、頭の毛が残っていた時代である。)そして、丸坊主にならずに済んだ(結局、自然に丸坊主になったのだが。)実験は全くの架空のでっち上げに過ぎないことが徐々に明らかになったからだ。
この記述だけでも楽しい。
ハードカバーで安くは無いですが、読み物として面白かったです。 若い人ほど読むべきだと思います。
平成18年8月11日(金)
♪ 「祖国とは国語」
(藤原正彦著、新潮文庫)
筆者もあとがきで書いているが、「祖国とは国語」との文言はフランスのシオランの言葉で、山本夏彦氏が引用したものを再引用したとのこと。 人類たるもの、自分の先祖が長い間育んで来た言語の歴史を無視できるものではないし、無視するのは何よりも損である。 昨今の本朝における状況に対する、筆者の憤りと叫びが表されている。 その他いろいろなエッセイがこめられていて、面白い。
解説で斉藤孝氏が
「ああ、この人に文部科学大臣になってもらいたい」
と書いたのも、むべなるかな。
いろいろなことが見えてくる本です。
平成18年8月1日(月)
♪ 「大礒正美のよむ地球きる世界 日本はどうなる編」
(大礒正美著、彩雲出版)
皇室問題、中国問題、韓国問題、北方領土問題、靖国問題、憲法問題、小泉問題など様々な事柄を適切に切り取ります。 これは日本編ということですので日本の問題を取り上げていますが、こういった視点は本当に大手マスコミに欲しいところです。 まあ、彼らはわかってて書いてないのでしょうけどね。
皇室典範問題=秋篠宮いじめとか。 中国人は、日本人が戦争中中国人を殺して食ったと思っているとか(日本人や、おそらく朝鮮人もそんなことはしない。人肉を食べるのは漢民族の方だろう・・・自分達が食べるから他民族も食べると思っているのでは?)。 台湾軍は実質上日本軍の愛弟子であるとか(逆に日本には日本精神は無くなった・・・)。 靖国神社の宮司に在日の人を持ってくるのはどうかとか(在日じゃなくても、李氏王族の子孫がいいのでは?)。 教育は国がするものと勘違いした(させられた)日本人が築いた戦後の駄目駄目さとか。
こんな素敵な視点で書いている著者ですが、サイトがあってそちらも繁盛しているとのこと。 http://oiso.net こういった視点が初めての人にはお勧めです。
平成18年7月26日(水)
♪ 「スレイヤーズすぺしゃる27 スタンプ・トゥ・キル」
(神坂一著、富士見ファンタジア文庫)
外伝の27冊目。今回は珍しくナーガ無しです。 話のテンポがいいので好きなのですが、新シリーズはまだでしょうか。
平成18年7月10日(月)
♪ 「プログラマを笑え!」
(藤井裕之著、株式会社ソーテック社)
叫ぶ!Cプログラマの人が書いたエッセイ集みたいなもの。 著者の哲学が所狭しと、ギャグ満載で並べられています。 一部腹を立てる人がいるかもしれないけど、真実のかなりの部分を付いているんじゃないかな。
ちなみに一番気に入ったのは、”エシュロン対抗案”。 メールのフッタに「核兵器・スパイ・爆弾・・・etc」と2行くらい書いたらいいんじゃないか、という案であるが、うまいなぁ。 こういう機転が欲しいものです。
平成18年7月5日(水)
♪ 「叫ぶ!Cプログラマ プロが説くCのカラクリと落とし穴」
(藤井裕之著、株式会社ソーテック社)
なんでみんなCを誤解しているかを解説した本(違う?)。 これを読んでいたら私もプログラマになっていたかも・・・ということは無いだろうな。きっと。 いや、まあ、面白い本です。 うんちくだけでも読む価値あり。
平成18年7月2日(日)
♪ 「雷轟 rolling thunder」
(押井守著、エンターブレイン)
米国が南北戦争で2つに分裂し、日本が太平洋で覇権を握ることになった仮想歴史でのベトナム戦争を描く。
押井監督がこの本を書いた動機は本の中でいろいろ書かれているので省略するが、登場人物の台詞:
「もしかしたら、日本人は空なんか飛んじゃいけないんじゃないかって、そう思うんだよ。」(p.83)
そしてあとがきで書かれている作者の独白:
この国に戦争を放棄する権利などありません。 負けるべき戦争をそれと承知で戦い、敗れるべくして敗れた国に、戦争を放棄する権利などあっていいはずがありません。 そんな国には懲罰を下さねばならない。 なぜなら−−懲罰こそが正義の本質だからです。 現実の日本が戦争に値せず、まして勝利に値する国でもなく、むしろ戦争という行為から自身を阻害して生きようとするなら、虚構のなかで不相応な勝者の試練を与えてみよう−−そう思ったことが、この企画の発端でした。(p.170-171)
とある。 圧巻は、p122-137の戦争に対する醐堂に語らせる部分でしょう。 一読されることをお勧めします。 押井監督の個人的趣味であることは忘れずにね。
平成18年6月27日(火)
♪ 「古代史 9つの謎を掘り起こす」
(関裕二著、PHP文庫)
関氏のこれまでの書籍の内容をまとめたもの、といったところ。 ところで、これまで物部氏は出雲だと思っていたが、今回は吉備となっている。出雲が出雲を邪魔者扱いすると言うのも確かに変ではあるが、さて。 神功皇后の活躍とヤマトによる裏切りの系図は次の通り。北九州の卑弥呼が邪魔になっていたことから、ヤマトは越・出雲軍である神功皇后を派遣しこれを撃破。しかし今度は、派遣軍の神功皇后が北九州で独立の気配を見せたことから、焦ったヤマト・吉備が神功皇后陣営を強引に潰し、出雲も管理下においてしまったというのが、出雲の国譲りになっている、という。 こっちの説明の方が良い様な気もしますね。
こういう歴史の眺め方って素敵です。
平成18年6月13日(火)
♪ 「タイタンの妖女」
(カート・ヴォガネット・ジュニア著、浅倉久志訳、ハヤカワ文庫)
奇妙な本で、面白いと言われながら本屋に並んでいることが少なく、手に入れることが割りと難しい本ってありますが、これがまさにそう。 紀伊国屋書店が何を血迷ったか「じゃあ切れないように百冊入荷してやるから買って読め!」とか勝負に出て、おかげで手に入れることができました。趣味で入荷するなよな・・・
SFです。 ある事件で全能者となったウインストン・ナイルス・ラムファードは、地球を救うため無慈悲にも自分の妻と、地球一の大富豪を利用して世界を改造してしまいます。 それに費やされた人命は多数。 そして、ウインストンのタイタンでの親友であり協力者、マゼラン星雲からの旅人サロとその母星が地球人類に及ぼした影響が次第に明らかになります。 物語は決して救われることはありません。 しかし、それでも最後を含め、ところどころにちょっと仕掛けを残しています。読者が幾ばくかでも救われるように。
ある意味おそろしい話の流れです。ところどころにギャグを散りばめながら、決して登場人物が救済されることは無い。誰も助けてくれない。仕掛けに抗うことも困難を要し、しかも登場人物が運命に抗うこと自体が仕掛けであるという困った仕組みを取っています。 こんな物語を紡ぐ人は、天才であり、しかも半分狂っていると思わざるを得ない。 でも、面白い。この作者は天才だ。そう思わせるSFです。
この本の中で一番気に入っているのは、実は目次と題名の間のこの記載です。
本書の中の人物、場所および事件は、すべて実在する。ただし、一部の談話および思考は、やむをえず著者の解釈で構成した。無辜の者を保護するためにあえて名称を変えることはしなかった。無辜の者の保護は、全能の神が天国の日常作業の一部としてなされているからである。
平成18年6月6日(火)
♪ 「究極のSF 13の解答」
(ジェイムス・ティプトリー・Jr、ハーラン・エリスン他著、エドワード・ファーマン&バリー・マルツバーグ編、浅倉久志・他訳、創元SF文庫)
今から30年前、SF界のそれぞれの巨匠に書かせた、究極のSF。 アシモフとかクーンツとかディックとか超有名作家が並んでいてそういう意味では壮絶。 アメリカンSFって、ちょっと味が違いますよね。こだわる場所が違うというか。楽しませるところが違うのかな。 そういう意味では日本SFが好きな私。
平成18年5月27日(土)
♪ 「鬼の帝 聖武天皇の謎」
(関裕二著、PHP文庫)
聖武天皇は影が薄い。藤原氏や皇后の光明子のお飾りとしての印象が強い帝である。 本当はそうではなかったと関氏は言う。 では、どのようなものだったのか。
聖武天皇は、持統天皇の子孫であり、母も藤原氏、皇后も藤原氏。最初から藤原の邸で育てられた、初代の藤原腹の天皇である。後に皇后となる光明子は、同じ籠の中で育てられたと言う。 そしてある時期までは藤原の全くの傀儡として動く帝であった。 聖武天皇の即位は神亀元年(724)。和銅三年(710)の平城京遷都以来、世は藤原氏の天下となっていた。 養老四年(720)に藤原不比等が死んだ後も、四人の子、武智麻呂、房前、宇合、麻呂ががっちりと藤原の天下を守っていた。 当然反藤原派というのもいて、その最有力候補が左大臣であり、天武天皇の孫である長屋王である。ちなみに長屋王は持統天皇の血筋ではない。 民衆からの支持は圧倒的に長屋王の方にあったが、長屋王は藤原の謀略の前にあっけなく倒されるのである。聖武天皇と光明子の間に生まれた子、基皇子が一歳を前に夭死する。長屋王は左道を学んだと言う言いがかりを付けられて一族もろとも自殺させられてしまうのである。。 これで藤原の完全な天下になったが、なんと、天平九年(737)藤原四兄弟は天然痘により全員死亡してしまう。これで一気に藤原氏は衰退し、橘諸兄、吉備真備らが台頭してくる。
ここから、聖武天皇は反藤原に転じるのである。 天平九年、聖武天皇の母、宮子は37年間もの間藤原邸に幽閉されていたが、僧玄ムによる宮子開眼事件、すなわち、聖武天皇、母・宮子、皇后・光明子による反藤原・天武回帰への道筋が出来上がっていくのである。聖武天皇は持統天皇の血もひいているが、天武天皇の血もひいているのである。 天平十二年(740)、九州に左遷させられていた藤原広嗣が決起するものの鎮圧された。ここで、聖武天皇は天武系復活の宣言のごとく、天武天皇の壬申の乱をなぞって東国行幸を行い、そして天平十三年(741)恭仁京に移る。 この恭仁京〜紫香楽宮時代が聖武天皇の絶頂期であった。 天平十五年(743)有名な大仏発願の詔。
しかし、この後は天武天皇は藤原の反撃にあうのである。 難波への行幸の途中、天平十六年(744)、藤原仲麻呂に子・安積親王を暗殺されてしまう。この後も、放火、流言蜚語の他、群発地震も手伝い、聖武天皇は平城京に戻らざるを得なくなる。 天平勝宝元年(749)、聖武天皇は天智系回帰を宣言させられ、孝謙天皇に譲位せざるをえなくなる。 天平勝宝二年(750)、吉備真備が九州左遷。天平勝宝八年(756)、聖武上皇崩御。翌年(757)、橘諸兄薨去、大炊王(淳仁天皇)立太子、橘奈良麻呂の反撃失敗。その翌年(758)、孝謙天皇譲位、淳仁天皇即位と、ここに天武系の反撃は一旦頓挫するのであった。
ただし藤原仲麻呂の時代も長くは続かなかった。 奈良麻呂の乱で443人が死罪または流罪という規模で、諸豪族の恨みは仲麻呂一人に集中した。光明子の影響で他の藤原氏が仲麻呂に冷淡だったことも手伝い、仲麻呂は一気に朝廷における影響力を喪失、天平宝字八年(764)、起死回生のクーデターを起こすも、九州から呼び戻された吉備真備らの活躍により鎮圧(恵美押勝の乱)。乱を鎮圧した孝謙上皇は、有名な
「王を奴と成しても、奴を王と言っても、私の好きなようにすればよい。たとえ誰かを帝に立てたとしても、礼を失し従わぬようであれば、これを配せばよい。」
との聖武天皇の命を述べ、淳仁天皇を廃し、称徳天皇が即位する。
称徳天皇は、後世に有名となる弓削道鏡事件を起こすが、これは藤原のための天皇なら、もとの物部系の子孫すなわち道鏡に譲位して、いっそ天皇というものを潰そうと本気で思っていたものと考えられる。 吉備真備も称徳天皇崩御の後、反藤原闘争を続けるが、復活した藤原一族には適わず、天智系光仁天皇が即位。吉備真備は失脚し
長生の幣、この恥にあう
と言い残し、職を辞する結果となる。
ここに聖武天皇・光明子・称徳天皇の親子が戦った反藤原闘争は終わり、光仁天皇〜桓武天皇と天智系が続き、桓武天皇の御世、平安京遷都により、藤原の天下・平安時代がはじまるのである。
藤原氏の先祖は百済王族であり、百済王族は騎馬民族の扶余で、いわば少数民族で百済を支配していた歴史がある。 そして藤原氏は律令の抜け穴を悪用し、朝廷を独占。実質的な日本乗っ取りに成功している。 ここまでくれば、藤原氏は天皇位を簒奪する力はあっのに、最終的に実権のみの獲得で終わったのは何故だろうかという疑問がわく。 それは聖武天皇が仕掛けた裏社会との共闘であって、裏社会は過去に藤原氏によって没落させられた物部氏の末裔が育てた文化でもあった。 藤原が統治できない非良民の存在。その鬼の文化によって天皇はもはや藤原氏の手の届かない存在と化したのである。 こうしてみると平安の鬼は、それなりの存在理由があったのだろう。 天平の歴史をなぞるため長くなってしまったが、こうした見方もできるという。この歴史の面白さは、なかなかである。
平成18年5月24日(水)
♪ 「聖徳太子の秘密」
〜「聖者伝説」に隠された実像に迫る〜
(関裕二著、PHP文庫)
聖徳太子には謎が多い。 例えば、隋へかの有名な「日出づる処の天子」の国書を記したとされるが、隋からの外交使節に応対したのは誰かとの記載は日本書紀には無い。 隋の記録はというと、推古時代のはずであるのに隋の代表は「大王」に会ったと記されている。 このように日本書紀自体が謎とも言えるのである。
著者は語る。 聖徳太子は上宮、上の太子であり、中宮あるいは中の太子が天武天皇、下の太子が天武天皇の孫の長屋王ではないか。 聖徳太子は用明天皇の子、天武天皇は用明天皇の子(または孫)と考えられる高向王の子で、あるいは聖徳太子と天武天皇は親子であったかもしれない。 聖徳太子は、「日本書紀」が創った、蘇我系皇族の象徴だった可能性もある。 蘇我系・天武系王統を後の天智系王統は全く大切にしていない。 にもかかわらず、蘇我・天武天皇一族の祟りを恐れ、一族の寺である法隆寺を恐れたのではないか。 それは、天智天皇・中臣鎌足の組が、蘇我入鹿を始めとして孝徳天皇の側近に至るまで蘇我一族をテロや冤罪で粛清して権力を手に入れ、天武天皇が壬申の乱で一度蘇我系に戻したところで、次の持統天皇・藤原不比等の組が、再び天武天皇の子孫を悉くテロや冤罪で粛清していった、その流れが、藤原氏に祟りの恐怖を与えたのであろう。
明治の王政復古は、古代の歴史や倫理観がそのまま復活している。日本書紀の重用も、一度中世に没落していた藤原氏の復活も謎である。 著者は言う、
『日本書紀』編纂の中心に藤原氏がいたとされているから、彼らの隠然たる勢力は、今日の史学界にも大きな影響を与えていると考えるのは、はたして深読みが過ぎるであろうか。
古代史と言うのは過去だけではなく、現在にも多大な影響を与えているようである。
平成18年5月23日(火)
♪ 「継体天皇の謎」
〜古代史最大の秘密を握る大王の正体〜
(関裕二著、PHP文庫)
継体天皇というと一般には王朝交代という四字熟語が想定される。その前の武烈天皇が悪政の限りを尽くしていると記載されていることから、中国式な連想から考えられているものである。 ところが、継体天皇が何故応神天皇の末裔とされているのかが謎となってくる。
応神天皇は神功皇后の子であり、関氏の説では神武天皇や大物主神の子孫・大田田根子に当たる人物である。 神功皇后の別人格は記紀にいろいろある。その中にコノハナサクヤ姫がいるが、コノハナノサクヤ姫を母とし炎の中から生まれた子に、彦火火出見尊(=神武天皇の可能性)と火明命(尾張氏の祖)がいる。敗走した神功皇后の子孫は、一つは南九州へ逃れ、一つは東国へ逃れたのではないか。そして東国へ逃れた子孫は尾張氏となったのではないか。 そしてヤマトが困窮したとき、もう一方のトヨ(神功皇后)の子孫が求められた、それが継体天皇なのではないか。 継体天皇の擁立がヤマトの王権のリセットとなり、この後蘇我氏や尾張氏がヤマトの運営に影響力を持つようになるのである。
継体天皇は、やはり大きな謎を秘めているに違いない。 それは通説のように新王朝故の謎ではなく、ヤマト建国に遡る謎であろう。
こういった仮説は非常に面白いものである。
平成18年5月18日(木)
♪ 「神武東征の謎」
〜「出雲神話」の裏に隠された真相〜
(関裕二著、PHP文庫)
今の世の中で神武東征というと「神話」として扱われる。「歴史」ではないというわけである。 しかし、著者は、
「神話や神武東征は歴史ではない」という戦後史学界の頑迷なる思い込みが、歴史を見る目を曇らせてしまった
と悲痛な叫びを上げている。 山陰地方から古代遺跡が出ても「出雲」は神話のままになっている。
では神武天皇とはどのような存在だったのか。 日本書紀や古事記の中にばらばらになって、しかも繰り返し出てくる存在になっていると言う。 日本書紀は通説のように天武天皇の為に書かれたものではなく、その当時国家を席巻していた藤原氏の為に書かれたものである。 そのためヤマト建国の際の事象が全くわからなくなっている。
鍵は「日向」であり「出雲」である。 弥生後期に北部九州が鉄の独占を狙い、関門海峡を封鎖してしまったことから一つの歴史が始まる。このため中国地方以東の国々は日本海側の出雲経由で鉄を手に入れることになる。出雲は繁栄し中心的な存在となり、吉備、越、尾張といった国々と連合し、ついに北部九州のヤマト(山門)を破るに至る。 おそらく中国での後漢、三国時代、晋といった戦国の世の激動が、列島の方にも大きく影響していたはずである。 筑紫の山門の卑弥呼は、ヤマトのトヨ(神功皇后)に敗れ、天岩戸の事件となる。しかし、九州派遣軍の神功皇后(トヨ)もヤマトの出雲と対立し、敗走し、出雲の国譲りとなっている。そして南九州に逃れていた神功皇后の子・応神天皇のヤマト入りが、神武天皇のヤマト入りであり、崇神天皇時代の大物主神の子・大田田根子のヤマト入りである。
非常に面白い、わくわくする仮説である。 中国大陸は殷周革命、春秋戦国、前漢後漢、三国志時代と騒乱が絶えなかった。例えば後漢末期、黄巾の乱、三国志時代には、戦乱のため人口は三分の一とか十分の一とかになったと言う。減った人は全部飢餓や戦乱で死んだのだろうか。そんなはずは無いと思うのである。 想像はいくらでも膨らむ。
平成18年5月14日(日)
♪ 「壬申の乱の謎」
〜古代史最大の騒乱の真相〜
(関裕二著、PHP文庫)
壬申の乱というと、天智天皇の子の大友皇子と、天智天皇の弟の大海人皇子(天武天皇)が戦って大海人皇子が勝った事件ですが、これが昔からいろいろと話題の種になっています。 天武天皇は天智天皇の弟ではなく兄ではなかったのかとか、何故武力の無いはずの天武天皇が近江朝正規軍を擁する大友皇子に勝つことができたのかとか。 実は大海人皇子は蘇我系の正統な継承者であり、尾張氏とも縁が合った。そして隠棲していた吉野から尾張氏の地盤の東国に無事逃げたことで、勝負が決まったのである。すなわち精強な東日本の兵力が悉く天武天皇側に付いたことで、近江朝側の兵士は恐れをなして逃げ去ったのである。
日本書紀が天武天皇の命令で編纂されたと言うのはかなりあやしい。藤原の祖、中臣鎌足(=百済王・豊璋)を賛美するため、天智天皇(中大兄皇子)・大友皇子親子と天武天皇を賞賛して見せたのではないか。そして天武天皇の系譜をうまいこと抹消したのではないか。面白い説です。
天智天皇と天武天皇の長幼が逆か否かというのはもうどうでもいいのです。聖徳太子とされる人物の没年が推古29年かそれとも30年か、大海人皇子の生年が推古31年か否か。これを隠すために日本書紀が編まれていたとしたら、非常に面白いことになりますね。
平成18年5月11日(木)
♪ 「大化の改新の謎」
〜闇に葬られた衝撃の真相〜
(関裕二著、PHP文庫)
大化の改新というと、中大兄皇子と中臣鎌足が専横を振るう蘇我入鹿を成敗し、古代の行政改革を進める魁となった事件と、一般には考えられている。 しかし、実際には違うのではないか、というのが著者の意見である。 聖徳太子が導入しようとした律令制度は、蘇我系政権下で実施されようとしたが、それを潰したのが中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(実は百済王・豊璋)の組であった。壬申の乱で一旦は蘇我系の天武天皇の政権で行政改革が進められたが、天武天皇崩御後、持統天皇(天武の娘)と藤原不比等(鎌足=豊璋の子)の組が改革を骨抜きにしてしまった。律令制度は欠陥だらけの法制となり、この後、藤原氏は権力を利用して土地を私有する(荘園)こととなる。 中世、武士が勃興し、源頼朝が鎌倉政権を作ってやっと、藤原氏が国家を私する時代が終わることになる。
乙巳の変とは、改革ではなく改革つぶしだった。 この視点は新しい。 なんだか、現代の相にも似ている。 それもそのはず、歴史はつながっているからである。
特にこのシリーズが気に入っているのは、単に古代の謎解きだけではなく、各章の最初に書かれているコラムが秀逸だからである。 いくつか挙げる。まず、明治維新について書かれたくだり:
極論すれば、明治維新は理想に燃えた若者たちの夢を食い尽くし、現実を泳ぎ回るのに巧みな小人物たちだけが残り、彼らが浅知恵で急ごしらえした改革事業ということができる。その結果、多くの弊害を後世に残してしまったとはいえないだろうか。派閥がものをいい、官僚がのさばる社会が完成した。(第一章)
その他の章も、本シリーズが扱っている古代史とその後の日本の歴史とを合わせ鏡にしたコラムが書かれており、これだけでも読み物として面白いできになっている。
平成18年5月7日(日)
♪ 「ファイザーCEOが語る 未来との約束」
(ハンク・マッキンネル著、村井章子訳、ダイヤモンド社)
製薬業界の世界一企業、米国のファイザー社の会長兼CEOが書いた医療への希望と願いが込められた本。 ご存知のように、日本も米国もそして世界中の国々で、従来の医療制度に黄信号が灯っている。総医療費の増大、医療事故の増加、そして医療に対する不安と不信。皆真面目に対策を考えているが何かが間違っているのではないか。それに対して製薬業界のトップが投げかけた、こういう考え方があるという問いかけ。医療を患者と医者の関係に戻そう、治療も大事だがもっと予防に重点を移そう、そういったことが書かれている。 製薬企業の経営者が自分達の都合の良いように書いていると見る人もいるだろう。そういった読み方もあると思う。しかし内容は非常に真摯なものであるし、一顧の価値はある。 なお、中のエピソードにも良いものがあるので、それだけでも面白い。
著者は"自分の健康には自分で責任を持つ"を始めとして10の提言を行っている。詳しくは本書を読んで欲しい。あまりにも楽観的で魅力的で、しかしながら今までの各国政府の思想と全く反対の方向であるので実現は非常に難しいと思う。 医療関係の端っこに位置する者として、良い提案の一つだと思われる。 興味のある人はぜひ一読を。あなたの健康や医療に対する視点が変わるかもしれない。
平成18年4月30日(日)
♪ 「「脳」整理法」
(茂木健一郎著、ちくま新書)
「脳」で有名な茂木先生の著書です。 世界の理解に必要な「冷たい知」である「世界知」と、生きていく上で必要な「熱い知」である「生活知」。 この二つのバランスの必要性を著者は説きます。 また、生きていく上では、偶然と必然の間の微妙な「あわい」領域=偶有性の読みの良さが必要であるとも説きます。 脳の使い方如何で生き方が変わるのです。
「セレンディピティ」の説明も秀逸です。 セレンディピティは「偶然の幸運に出会う能力」とされますが、「行動」、「気づき」、「受容」が偶然を必然にするセレンディピティを高めるために必要だと。 ここで、著者は言います: 偶然素敵な恋人に出会う能力と、偉大な科学的発見をする能力は、じつは同じである。 もうこの台詞を紹介したくて書いたようなものです。
この本にはいろんなヒントが隠されているように思われます。
平成18年4月29日(土)
♪ 「消された王権・物部氏の謎」
〜オニの系譜から解く古代史〜
(関裕二著、PHP文庫)
一般の歴史では、物部氏は蘇我氏との争いの果てに滅んだことになっています。 では物部氏は全く無くなったのか。 そうではない、シコ、モノ(鬼)と呼ばれていたものからオニと呼ばれるものになったのだと。 称徳天皇、道鏡、天武天皇、役小角、橘諸兄、玄ム、吉備真備、聖武天皇、行基。この鬼達の本当の願いとは何だったのか。 そして天皇家はなぜこのような永きに渡って存在しているのか。
古代から続く日本の風土に基づく歴史が、今の日本の宗教観にも現れている。 筆者は言う: このような穏やかな宗教観が、今日につづく日本人の”あいまいさ”につながっているとするならば、むしろ我々はこれを誇りとすべきであろう。民族紛争、宗教戦争に彩られてきたこの世界の歴史に鑑み、これからの地球を思うとき、この”あいまいな発想”こそ、最も求められてくる宝物思われるからである。
平成18年4月29日(土)
♪ 「スレイヤーズすぺしゃる(26)ミッシング・セイント」
(神坂一著、富士見ファンタジア文庫)
ご存知、リナとナーガの珍道中。 馬鹿話なのだが、話のテンポが非常に面白い。 疲れた頭には良い清涼剤になります。 この歳でこんな本読んでるとなんか言われそうですが・・・
平成18年4月17日(月)
♪ 「古代史の秘密を握る人たち」
〜封印された「歴史の闇」に迫る〜
(関裕二著、PHP文庫)
蘇我入鹿、藤原不比等、饒速日命、葛城氏、聖徳太子、中臣鎌足、道鏡、神武天皇、崇神天皇、雄略天皇、継体天皇、天智天皇、天武天皇、聖武天皇、卑弥呼、神功皇后、斉明天皇、持統天皇、光明子、称徳天皇、スサノオ、大国主神、浦島太郎。 これらの人物は古代史においていかなる意味を持つのか。
まえがきで「太平洋戦争が起きた原因を、聖徳太子をもって、解き明かせ」との問題を提起。 聖徳太子が目指した律令制の導入と、明治日本が目指した近代憲法の導入。そしてその結果の類似性。 では、律令制導入前後は何が起こっていたのか。 日本書紀がかき混ぜて隠してしまったであろう歴史の流れを、ある補助線で読み解いていきます。 その補助線とは、藤原氏の支配。 この名家が世間からはどの様に見られていたかを考えれば、確かにこういった見解も肯けるというもの。
筆者の考えるように、古代史を紐解くことで、現代日本の行く道を考えることができるかもしれない。 今の天皇家の状況を考える上でも、参考になるかもしれない本かもしれません。
平成18年4月16日(日)
♪ 「土曜日の実験室 詩と批評とあと何か」
(西島大介著、INFASパブリケーションズ)
いや、なんと言うか。 確かに実験的な詩と批評です。 わかる人にしかわからない世界・・・か。
平成18年4月8日(土)
♪ 「古代史」封印された謎を解く
あまりに意外な「あの人物・あの事件」の真相とは?
(関裕二著、PHP研究所)
この本のテーマの一つに「日本書紀が編纂された目的は何か?」があります。 通説では天武天皇のために書かれた事になっているが、実は持統天皇・藤原不比等のために書かれたものだったのではないか、と。 日本が律令制に移行する前夜、ヤマトの朝廷では何が起こっていたのか。 そこに蘇我、物部といった、実はヤマトの正統王家と、実は滅亡百済王家に乗っ取られた中臣家(後の藤原家)の暗闘があった。乙巳の変(大化の改新)、壬申の乱と流れて行き、最終的に裏技で藤原不比等が主導する当初考えられていたのとは似ても似つかぬ律令制が敷かれてしまったのではないか、と。 その後日本という国を私物化した藤原家は、現代に至るまで名家であり続けるのです。しかしながら後ろ暗い印象を拭い切れないのは、藤原家の歴史に根差すものかも。
なかなか面白い本です。
平成18年3月27日(月)
♪ 「人は見た目が9割」
(竹内一郎著、新潮新書)
情報の伝達手段として、言葉は全体の7%しか占めていない。 残りの93%の方が当然割合が大きい。 そこで「見た目が9割」なのである。 見た目だけでなく、仕草、行儀作法から伝わるメッセージは実は大きい。 そういったことが書かれています。 マンガ、舞台を活躍の場とする著者ならではの視点が新鮮です。 一読をお勧めする本です。
平成18年3月21日(火)
♪ 「仏教vs.倫理」
(末木文美士著、ちくま新書)
仏教の倫理性欠如という刺激的な文言は、読書魂を惹きつけます。 最近の日本社会における道徳・倫理が摩滅している様に見える件については、仏教を始めとして宗教は皆適用できない。 宗教は超・倫理であると。 そして葬式仏教は実は非常に意味があることではないのか、とも。 究極の他人である死者を我々は忘れてはいけないという指摘には感服しました。 生者だけでは世界を維持していくことができるのか、できないのではないか。 この本は人間とは何かを問い直してくれる本です。
平成18年3月18日 (土)
♪ 「幼年期の終り」
(アーサー・C・クラーク著、福島正実訳、ハヤカワ文庫)
オーバーロードと呼ばれることになる彼らの不可思議な行動、そして人類の上に最終的に訪れる状況。 こういった不思議な人類物語も、またありえるのだな。
平成18年3月16日 (木)
♪ 「ストリンガーの沈黙」
(林譲治著、ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
「ウロボロスの波動」の続編。 AADDと地球の対立は次第に厳しさを増し、ついに地球はAADDへの攻撃を決定します。 その時AADD側は、心臓部とも言える天王星系にあるAADがおかしくなっていきます。 同時にストリンガーと命名された未確認物体が太陽系に接近。 一体、AADDの運命はどうなるのか。そしてストリンガーの正体は。 そして最後に衝撃の事実が出てきます。 なかなか味のある作品です。
平成18年3月5日 (日)
♪ 「でたまか アウトニア王国人類戦記録5 長嶺来光篇」
(鷹見一幸著、スニーカー文庫)
15冊にも渡る旅がやっと終わりました。 楽屋落ち小説と作者も自嘲していますが、アニメ・漫画世代、それもちょうど我々の世代にとってはとても懐かしいものでした。いわば、我々の世代に向けて「こんなのあったよね、覚えてる?」と語りかけてくるような作品でした。 ザナックスと人類の生存を賭けての戦いは、どのように行われ、どのような結果になったか、それは本書を読んでください。 いつもは電車の中で読むのですが、今回は自宅で読んで正解でした。とても電車の中では読めなかったでしょう。 「ええかっこしいと、やせ我慢」 この作品の基本律が、この最終巻で開示されました。 この作品はネット世代の共感を呼びながら、なおかつネットで批評されると言う最近の出版物に特有の業を背負って生まれ、書かれています。作者は小生の一世代上の自称オヤジですが、このような人がライトノベル界に参入してくれたことは、ライトノベルの層を厚くする意味で非常に重要だったと思われます。 ライトノベルは、少年少女にとっては憧れであり、我々若い大人にとっては懐かしい童話であると思います。この作品にこめられた想いの一つは、ひょっとしたらこれからの戦いに役立つかもしれない。 そう思います。
平成18年2月26日
♪ 「99.9%は仮説」
(副題)思い込みで判断しないための考え方 (竹内薫著、光文社新書)
いきなり「飛行機はなぜ飛ぶのか?実はよくわかっていない」から始まります。
つかみはばっちりです。
・世の中は全て仮説でできていること
・科学は全然万能ではないこと
・自分の頭がカチンコチンに固まっていたこと
を竹内さんは言っています。
世の中、これを言って現実逃避をして頭がお花畑の世界に行ってしまう人が多いのですが、竹内さんは逆。科学に対する愛情がとてもあふれているのがわかります。
まあ、現実逃避をする人は科学が好きではないからこその強引な結論なんでしょうが。
白い仮説、黒い仮説、グレーな仮説。
楽しいエピソードが満載です。科学が好きな人なら手を打って喜びそうだし、科学が嫌いな人でも、科学が好きになるかもしれません。
科学への愛情、いいですね。
科学技術だけではありません。
世界のさまざまな物事もほとんど仮説で動いています。
みんなでもう少し頭を柔らかくしてみたいものです。
平成18年2月19日
♪ 「ガリア戦記」
(ガイウス・ユリウス・カエサル著、國原吉之助訳、講談社学術文庫)
カエサルは2千年と少し前くらいに活躍したローマの政治家であり司令官であり著作者であった人です。塩野七海さんの「ローマ人の歴史」でも2巻を費やして書かれています。まさに世界史に冠たる人物といって過言ではないでしょう。
そのカエサルがガリア(今のフランス地域)で戦った記録を、本人が執筆したものです。
ラテン語で書かれたこの戦闘報告書は文学としても一級品とされ、カエサルが武将としてではなく、文筆家としても優れていたことを示すものです。
カエサルはこの「ガリア戦記」の後、ルビコン川を渡って内乱に突入し、幾多の戦いを経て勝利を得ます。しかし、最後は共和制ローマを守ろうとした人々に暗殺されてしまいます。カエサルがそのまま生きていたらどのような世界史になったか、非常に興味が尽きないところです。
平成18年1月8日
♪ 「太陽の汗」
(神林長平著、ハヤカワ文庫)
世界通信社のスタッフ、日本人のJHとアメリカ人のグレンがペルーで調査をしていく状況を、JHとグレンの両方の視点で描いていく。JHは日本語しか、グレンは英語しか、ペルー人はスペイン語または現地語しか理解できないが、この世界では自動翻訳機がその仲立ちをしているという設定である。
ところが、グレンとJHが別々に行動をする羽目になってから事態はおかしくなっていく。グレンの認識とJHの認識がずれてゆく。そして徐々にJHの世界が溶けて別の世界に飛ばされたような感覚になっていく。そして、最後はJHは全く次元の違う世界で目を覚まし、そこで物語りは終わる。
まさに神林ワンダーランドというべき現実と認識のギャップの魔術である。現実の世界の名称が使われている、神林作品にしては珍しい設定であるが、世界が徐々に変質していく様を描く本作もさすがといったところである。
平成18年1月7日
♪ 「泥棒国家日本と闇の権力構造」
(中丸薫、ベンジャミン・フルフォード著、徳間書店)
郵政民営化は日本の資産を外資に売り渡すことだとか、小泉氏を初めほとんどの首相は米国の言いなりになっているとか、一部では一般教養になっていることが書かれている。
「共産主義とは、億万長者の富を否定するどころか彼ら以外の資本家を倒し、労働者をさらに抑圧して、地球の全ての富を億万長者らが独占するために考え出された巧妙な陰謀」とか「世界権力が目指す新世界秩序にとって最も邪魔なのが独立自営農」というのは面白い。仏革命も露革命もなるほどね、という感じ。権力とかその近辺のきわどい人々と生で会話した人の知識はなかなかありがたい。
まあ、中程からの生まれ変わりだとかUFOだとか地震気象兵器とかいったところは、さすが徳間書店といっておこう。徳間ってこういうの好きだね。あと北朝鮮を褒め過ぎなところがとってもあっち系というところか。
平成18年1月6日
♪ 「語られなかった皇族たちの真実」
(竹田恒泰著、小学館)
おそらく、小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が女系天皇容認などの答申を出してしまったために世に出た本だと思う。
著者の言うとおり、皇族というのは皇統の安全装置というものであり、皇族縮小により皇統の自然消滅を狙ったGHQはさすが賢しいと言うべきであろう。
天皇というのは日本の最も重要な柱であって、これを外せば日本はまことにつまらない国になるだろう。羊飼い連中は全ての日本人が羊となることを狙っているのだろうが、そんな計略にわざわざ乗せられるのは腹立たしいし、そんな無秩序な世界は願い下げである。だいたい日本の首相他様々なものが世界権力の傀儡である状況なのだから最後の砦くらいは護らないと駄目だろう。
本書には戦中戦後の皇族の活躍の様子が書かれており、そこだけでも一読の価値はあると思う。
平成18年1月5日
♪ 「ゴーマニズム宣言EXTRA 挑戦的平和論」
(小林よしのり著、幻冬舎)
ゴーマニズム宣言は漫画家が言論界に土足で踏み込んで来たとその界隈では大好評のものですが、読ませる技量があって面白い(?)のだから仕方がない。この漫画家に一言も二言も言いたい人はいるだろうが、しかし言っている事は面白い。ふざけた表現が多用されるが、そこを面白いと思うかどうかである。
そして本質は硬派であろう。全てを捨てて漫画を描いているのだから、自分の身がかわいいサヨクやポチ保守では歯が立たないのは当然だろう。
かつての有名なギャグ漫画家の人々の多くが精神的に疲れて業界や人生を去って行ったのとは対称的に、今でも精力的に活動している。全くの奇跡とも思える。
さて、心情的には小林氏に賛同するものは多いだろうが、世の中の流れとなるまでには至らないと思う。そうなれば面白いと思うのだが、世界の支配層と戦うだけの体力はまだないだろう。小林氏の系統の思想が世界に拡がれば面白い世の中になると思うのだが。
平成18年1月3日
♪ 「ローマ人の物語XIV キリストの勝利」
(塩野七生著、新潮社)
西暦337年から395年、四世紀のローマ帝国を襲った変化の歴史を描いている。
ローマ帝国の終焉は、地理的感覚から見れば蛮族の侵入をローマ軍で防ぐことができなくなったことが理由のように見える。しかしながら国家的感覚から見ればこの理由だけでは足りない。むしろ、ギリシャ・ローマの多神教の世界からキリスト教の世界に百年程の時間をかけゆっくりと変わって行った事の方が大きな理由なのではないか。ローマ帝国の主神がユピテルからキリストになった時、ローマの一千年余の歴史が幕を閉じたのだろう。
日キリスト教徒である日本人著者がローマの歴史を語ることの大きなメリットがこの巻で明らかになると言えると思う。
ローマの美術、芸術、文学、思想が、一宗教の帝国乗っ取りによりほとんど全て破棄されてしまったのは、歴史の帰結とはいえもったいない限りである。皇帝や国民の大部分が特定の宗教、思想に突っ走った時、それを是とできない人々は、自分達の歴史を守ることができるだろうか。そうした感想を抱かざるを得ない。
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